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    <title>あび卯月日記</title>  
    <link>http://ameblo.jp/tuneari/</link>  
    <description>あび卯月☆ぶろぐの日記版です。日常の些細な出来事の感想を書く豫定。</description>  
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    <item> 
      <title>懲りずに大学不要論をぶってみる。</title>  
      <description> <![CDATA[ 最近の若者が駄目なのはみな大学に行くようになったからだと思っている。<br />
高校まで真面目だった人間も大学で不真面目になる。<br />
<br />
だいたい、最近の学生は学生なのに勉強をしない、本を読まない。<br />
一体、何のために大学に行っているのかわからないのが大勢いる。<br />
<br />
大学に行って大抵の人間は悪くなる。<br />
大学に行ってもろくなことをしないからだ。<br />
サークルやなんやらで遊び呆けて、人間としての真摯さを失い、ずるさを得る。<br />
金も無駄だし、なにより時間の無駄だ。<br />
<br />
以前にも書いたが何度も云う。大学を減らせ、大学生を減らせ。<br />

昔のように高卒でどんどん就職できる社会体制に戻すべきだ。<br />

大卒の枠をいまの大学院生の枠のようにしてもいい。<br />
かつては、銀行も高卒を大勢採用していた。<br />
それで支店長までなれたいい時代だった。<br />
<br />
教師や医者など高等な知識や教養を必要とする者、研究者を目指す理系学生、本当に学問を追及したい者。<br />
大学に行くのはそういった人たちだけでいい。<br />
]]> </description>  
      <link>http://ameblo.jp/tuneari/entry-10445117983.html</link>  
      <pubDate>Thu, 28 Jan 2010 22:31:09 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>郷里大輔さん逝く</title>  
      <description> <![CDATA[ 先ほど、郷里大輔さんの逝去を知った。
<br />
先日、ゲゲゲの鬼太郎の目玉の親父役で有名な田の中勇さんの訃報を知り、ショックを受けていたところ、今度は郷里さんの訃報。
<br />
いま、ほとんど呆然としている。

<br />
<br />
郷里さんは私が一々説明するまでもない名声優。
<br />
とはいえ、名前だけ聞いてもピンと来ない方もおられるだろう。
<br />
だが、声を聞くと誰もが「あぁ、この声は知っている」と頷くと思う。
<br />
例えば、ドラゴンボールZでいうとウミガメ、牛魔王、閻魔大王、ミスター・サタン。
<br />
クレヨンしんちゃんならヒロシの上司である部長さん。
<br />
これだけで大半の方が声を思い出していただけると思う。
<br />
アニメ以外では「ビートたけしのTVタックル」のナレーションが有名だろうか。

<br />
<br />
私はこのＴＶタックルを毎週観ていて、郷里さんのナレーションには長年親しんできた。
<br />
ところが、今日、ナレーションが別の人でどうしたんだろうと怪しんでいると番組終了後に郷里さんの訃報を伝えるテロップが流れたのだった。
<br />
思わず「嘘！」を連呼してしまった。

<br />
<br />
郷里さんは他に類を見ない特徴的な声の持ち主だった。
<br />
一言で云うとゴツイ声。
<br />
大男や迫力のある男性の役がピッタリだった。
<br />
私より少し上の世代だと『魁！男塾』の男塾塾長、江田島平八がハマリ役だったと回想するのではないか。
<br />
いわば、ゴツイ声の第一人者。
<br />
例えば、ある作品でいかにも屈強な男が出るとする。
<br />
そんなとき配役を考える上でまづ一番に候補に上がるのが郷里さんだったと思う。

<br />
快演という言葉があるが、郷里さんは怪演という言葉が似合う役者さんだった。
<br />
これは、怪獣の役が多かったことも含め、強烈な個性をもってする演技が怪しさをも醸し出していたからだ。

<br />
<br />
私のような声優ファンにとって、声優が亡くなることは本当に哀しいことだ。
<br />
声というのは取り替えがきかない。
<br />
現在演じておられるキャラクターにとって声という命を吹き込む人が居なくなるのだ。
<br />
そして今後、その人にピッタリのキャラクターが生まれてももう器用することができない。<br />
 <br />
いま、声優業界はアイドル声優が跋扈するようになり、本当に魅力的な声を持つ人材が減ってきた。
<br />
しかし、そんな声優界の屋台骨を支えているのが、ベテラン声優と呼ばれる人たちだ。
<br />
ベテラン声優とは演技力も去ることながら取替え不可の魅力的な声を持った声優さんのことをいう。
<br />
郷里さんはまさにそういう声優の一人だった。
<br />
怪優を失って呆然としているのは多分、私だけではない。
]]> </description>  
      <link>http://ameblo.jp/tuneari/entry-10442857359.html</link>  
      <pubDate>Mon, 25 Jan 2010 23:42:40 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>古本屋めぐりの愉しみ</title>  
      <description> <![CDATA[ 先日、上司から「あびくんは日曜日とか何してるの？」と問われたので、<br />
正直に「古本屋めぐりとかしてます。あとは、部屋で本を読んだりとか・・・」<br />
と答えたら「彼女とかいないの？」と来た。<br />
「いません。・・・愛人なら二三人いるんですが」<br />
とフレンチジョークで返すと近くにいた先輩も含め思いっきり苦笑されてしまった。<br />
<br />
さて、そんなわけで、私の趣味は読書なので休日ともなると本屋あるいは古本屋に行かないと気がすまない。<br />
昨日もブックオフで<br />
<br />
世界単位認定協会・編『カラー版　新しい単位』（扶桑社サブカルPB）<br />
『筑豊を歩く　身近な自然と歴史のハイキング』（海鳥社）<br />
中村靖彦『日記が語る日本の農村』（中公新書）<br />
西木正明『夢顔さんによろしく』（文藝春秋）<br />
プロジェクトＸ制作班・編『プロジェクトＸ挑戦者たち1　執念の逆転劇』（ＮＨＫ出版）<br />
岩波書店編輯部・編『昭和の終焉』（岩波新書）<br />
丸山静雄『インパール作戦従軍記　一新聞記者の回想』（岩波新書）<br />
河内孝『新聞社　破綻したビジネスモデル』（新潮新書）<br />
竹内政明『読売新聞「編集手帳」第三集』（中公新書ラクレ）<br />
長嶺超輝『裁判官の爆笑お言葉集』（幻冬舎新書）<br />
<br />
を買った。<br />
お金は大丈夫かと思われるかもしれないが、百円コーナーを漁るのでこれすべて百円。<br />
古本屋めぐりの楽しさは百円コーナーの中からいかに自分の好みの本を探し当てるかにあると云ってもいい。<br />
もっとも、ブックオフのような古本屋ではなく、個人が経営しているような古書店だとまた違った楽しみがある。<br />
こちらは値段ではなくそれこそ、古い雑誌や稀少本を探すのが楽しい。<br />
<br />
さて、それぞれ書評も書こうと思ったがなんかめんどくなってきたのでオシマイ。<br />
]]> </description>  
      <link>http://ameblo.jp/tuneari/entry-10441719624.html</link>  
      <pubDate>Sun, 24 Jan 2010 16:52:58 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>twitterはじめました。</title>  
      <description> <![CDATA[ <p>冷やし中華はじめました、のノリで。</p>
<p>そんなわけで、ツイッターはじめました。</p>
<p>妹から「ツイッターはじめまついったー」というタイトルの方がいいとアドバイスを受けたがこれは採用しなかった。</p>
<br />
<p>流行モノが大嫌いで流行りモノをやったり食べたり聴いたり見たりすると負けだと思っている私なのだが、このツールは覚書を行う際などなにかと便利そうなので負けてしまった。</p>
<br />
<p>URLは <a href="http://twitter.com/abiuduki">http://twitter.com/abiuduki</a>
　です。</p>
<br />
<p>abiudukiってそのまんまですね。<br />
abiuduにしようか迷ったが、「略してるのがなんかウゼー」と思われるのもアレなのでkiも含めた。<br />
なお、「うづき」の「づ」は「du」です。ここ、試験に出やすい。</p>
<p>まだ使い方が全然解りませんが、お知らせまで。</p>
]]> </description>  
      <link>http://ameblo.jp/tuneari/entry-10438171674.html</link>  
      <pubDate>Tue, 19 Jan 2010 22:28:07 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>恋愛からみる自由と平等</title>  
      <description> <![CDATA[ 今号の「ＳＡＰＩＯ」は新年号だけあって、久々に読み応えのある記事が多かった。
<br />
巻頭、曽野綾子さんの言葉は生きる元気を与えてくれるものだったし、細野真宏さんの記事は日本の財政問題を理解する上では必読。
<br />
池上彰さんの「世界三代紛争地帯」の解説はいつものことながらわかりやすい。
<br />
ゴーマニズム宣言は小林よしのりが宮中のお茶会に招待され、そこで辻元清美に逢ったエピソード。

<br />
<br />
中でも光っていたのが呉智英さんの自由と平等論だ。
<br />
これは恋愛論を枕に自由と平等が本来、相反する思想であることを指摘している。

<br />
呉さんによると恋愛至上主義は本来、純恋愛主義ともいうべき思想で現在のように次々に相手を代えて恋愛を楽しむことではないのだと。
<br />
だが、現代ではどうも正反対の意味で使われがちだ。

<br />
<br />
かつて、結婚は生活と不可分で生きてゆくための手段・基盤としての意味合いが大きかった。
<br />
いわば、家族とは一種の経営体であり、結婚は自由恋愛の結果ではなく、生活の手段であった。
<br />
それゆえ、かつての日本では男女共に年頃になると、世話好きの親類なり、または所属する組織団体が結婚へのお膳立てをした。
<br />
その時代は結婚することについて、恋愛スキルは現在のようには必要なかったし、まして婚活（結婚活動）なんて言葉はなかった。
<br />
お見合いなど、結婚までの手順がほとんど社会制度のようにしてあった。

<br />
<br />
ところが、戦後、結婚の自由、恋愛の自由が叫ばれるようになり、結婚における家と家の繋がりや生活の基盤・手段としての側面は薄れてきた。
<br />
日本人は恋愛の自由を手に入れたのだが、一方で、自由恋愛は格差を生んだ。
<br />
恋愛スキルのある者は自由に恋愛を楽しむが、そうでないものは結婚どころか恋愛すらまともに出来ないという風に自由恋愛は恋愛弱者を生み出したのである。
<br />

いわば、かつて恋愛の自由はなかったがその分、平等であった。<br />
いまは恋愛の自由があるかわりに平等ではない。
<br />
<br />
と、私なりに呉さんの論を敷衍すれば以上のようになるが、実は私は恋愛論には興味がない。
<br />
今と昔の結婚の意味合いにも反論があろうし、現代人に云わせればやっぱり自由恋愛がいいよ、と云うだろう。<br />
 <br />
私が面白いと感じたのはやはり、自由と平等は本来相反する思想であるという点だ。
<br />
自由と平等に関して、戦後の日本ではどちらも金科玉条の如く祭り上げられている概念だ。
<br />
どちらも大切であり、自由と平等こそが、民主主義の本質ですよと喧伝されてきた。
<br />
ところが、この二つの概念はいまみてきたように本来、相反する思想であり、両立は困難なのだ。

<br />
一見、不思議に思えるかもしれないが、自由と平等はお互いに反撥し合っている。<br />
 <br />
ここでは、恋愛を例に出したが、経済もそう。
<br />
平等な経済（統制経済）は格差を生みにくいが、停滞や矛盾、無駄をもたらす。
<br />
一方で、自由経済は経済格差、貧困を産む。
政治と一緒にしていえば、平等を目指せば全体主義に、自由を目指せば弱肉強食の社会になる。

<br />
<br />
実はこれ今日的な問題であるようにも思えるが、別に戦後になってはじめて現れた問題ではない。
<br />
戦前の日本においても自由と平等の両立は大きな課題であったのだ。（これについては稿を改めて詳述したい）
<br />
いわば、近代国家の宿命というべき問題であり、日本も少なくとも明治以来ずっと悩みつづけてきた。
<br />
そして、その両立を達成できた時代は戦前戦後を通じて一度も無かった。
<br />
現在の日本は経済において自由を優先しすぎたあまり、自由が平等を押しやっているわけで、いまその揺り戻しの時期にきている。
<br />
<br />
繰り返すが、自由と平等の両立は困難なのだ。
<br />
それでもなお、我々はその両立の達成につとめなければならないのである。


<br />
<br />
<br />
さて、恋愛論だと思って御覧になってくださった方はこんな堅い話になるとは思いませんでしたよね、すみません。
<br />
では、恋愛論に戻って・・・
要は自由と平等のバランスが大切。
<br />
呉さんが指摘するように婚活ブームは文明の矛盾の帰結。
<br />
自由恋愛、あるいは恋愛が至上のものでないことはいうまでもない。
<br />
そういうのに流されると馬鹿をみる。（例えば、『お一人様の老後』とかね）<br />
まづは、自分の頭で考えることからはじめたい。
]]> </description>  
      <link>http://ameblo.jp/tuneari/entry-10433830907.html</link>  
      <pubDate>Thu, 14 Jan 2010 02:07:52 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>あけましておめでとうございます。</title>  
      <description> <![CDATA[ あけましておめでとうございます。<br />
今年も宜しくお願い申し上げます。<br />
<br />
<br />
平成二十二年元旦　　あび卯月<br />
]]> </description>  
      <link>http://ameblo.jp/tuneari/entry-10424192807.html</link>  
      <pubDate>Fri, 01 Jan 2010 03:04:31 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>『エヴァンゲリオン』に甘き死を</title>  
      <description> <![CDATA[ 本当はエヴァンゲリオンの映画が公開された前後に書きたかったのだが、結局、いまになってしまった。<br />

まぁ、いいや。<br />

<br />

エヴァの新作映画の公開が発表されたときの感想は「やめてくれ」だった。<br />

エヴァは既に終わった作品だからだ。<br />

・・・というと、反論が返ってくるだろう。<br />

漫画はまだ続いている、『ぷちえう゛ぁ』もある、『碇シンジ育成計画』、ゲームもある、と。<br />

<br />

しかし、私にとって本もののエヴァは地上波及び、そののち劇場で発表されたアニメ作品だ。<br />

私がエヴァを評価する所以はテレビ版の最終回による。<br />

あれほどの衝撃をアニメで受けた事はあとにも先にもない。<br />

よく夢野久作の『ドクラ・マグラ』を読んだら、気が変になりそうになると聞くが、私はまさにエヴァの最終回を見たあとがこの状態だった。<br />

正確にいえば、エヴァの最終回はフィルムブックで読んだ。<br />

そのあと動画の方を見た格好だ。（時期はブームがすっかり沈静化した2000年頃）<br />

ともかく、エヴァの本編はあれで終わっていた。<br />

あの衝撃的な終り方があったからこそ、わたしはエヴァに惹かれいまだに引きずっている。<br />

<br />

そのあと、二次創作がいつまでも続いたがそのことはいい。<br />

むしろ、二次創作好きとしては、そういった二次創作がエヴァ終了後も創られつづけたことがエヴァ好きに拍車を掛けたといえる。<br />

多くの二次創作があったからこそ、長い間エヴァを見つめづけていた。<br />

だから、『鋼鉄のガールフレンド』も最近でいうと『<span class="mw-headline" id=".E6.96.B0.E4.B8.96.E7.B4.80.E3.82.A8.E3.83.B4.E3.82.A1.E3.83.B3.E3.82.B2.E3.83.AA.E3.82.AA.E3.83.B3_.E5.AD.A6.E5.9C.92.E5.A0.95.E5.A4.A9.E9.8C.B2">新世紀エヴァンゲリオン 
学園堕天録</span>』も、あれはすべて本編ではなく、公式の二次創作でいわば、番外編だ。<br />

ところが、新作の劇場版エヴァはこれまでのテレビ版、劇場版エヴァに新たな解釈を試みた作品になる。<br />

いわば本編のやり直しに近い。<br />

繰り返すが、本編は既に終わったのだ。<br />

終わった本編の上に二次創作がある。<br />

これがエヴァの正しい姿だった。<br />

<br />

ところが、今度の映画は完結したはずの本編を再び掻き乱すことになる。<br />

完全なるパラレルワールドとして捉えるならばこれも一つの二次創作ともいえるが、公式の劇場版である以上、一次創作、つまり本編といえる。<br />

私にとって新作のエヴァは美しく完成している絵画の上から再び絵の具を塗りたくられるような思いがする。<br />

同じく美しく完成するか大変心もとない。<br />

私がエヴァの新作映画を観ていないのはそういう事情による。<br />

もっとも、新キャラの真希波・マリ・イラストリアスは鶴屋さんのような奔放キャラが好きな者にとっては気になるところであるが。<br />

<br />

角川はエヴァの亡霊を目ざめさせてしまった。<br />
ヱヴァンゲリヲンと微妙に名を変えて。<br />

いま、エヴァに必要なのは甘き死だ、これ以外にない。<br />
]]> </description>  
      <link>http://ameblo.jp/tuneari/entry-10422369319.html</link>  
      <pubDate>Tue, 29 Dec 2009 22:26:51 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>M-1グランプリ2009　感想</title>  
      <description> <![CDATA[ <p>今年も無事、M-１グランプリが終了した。 </p>
<p>年を経るにつれ、M-1がお笑いの祭典としてあらぬ高さにまで祭り上げられているきらいがないでもないが、今年も例の如く感想などを。 </p>
<br />
<br />
<p>▼ナイツ </p>
<p>紳助は去年よりも巧くなったと褒めていたが、私は去年より笑えなくなっていた。 </p>
<p>今年一年の内に随分見て、見慣れてしまったからか。 </p>
<p>やっていることは延々と言葉を間違っているだけだし。 </p>
<p>決して嫌いではないのだが、特に笑った箇所がない。 </p>
<p>つくづくお笑いは好みに左右されると感じる。 </p>
<p>ツッコミの仕方がもっとマニアックだったら私向けだろう。 </p>
<p>80点。 </p>
<br />
<br />
<p>▼南海キャンディーズ </p>
<p>既に売れっ子になっているからか、一種の余裕が感じられた。 </p>
<p>その余裕が良い効果をもたらす場合と悪い効果をもたらす場合とがあるか、今回は後者だったか。 </p>
<p>私は山ちゃんのマニアックな突っ込みが好きで、例えば今回の「そのナルホドは進研ゼミの漫画でしか見れないよ」など結構笑えたのだが、全体的に突っ込みの勢いや漫才自体のスピード感がやや弱めだった感じがする。 </p>
<p>85点。 </p>
<br />
<br />
<p>▼東京ダイナマイト </p>
<p>こういう芸人が出られることはM-1の良さともいえる。 </p>
<p>東京ダイナマイトは爆笑ではなく、押さえた笑いを提供してくれる。 </p>
<p>じわじわ、じわじわくる笑いだ。</p>
<p> リーダー（松田大輔）のくどめのボケをハチミツ二郎さんの冷静突っ込みによって中和される。 </p>
<p>このコントラストがいい。 </p>
<p>個人的には好き。 </p>
<p>87点。</p>
<br />
<br />
<p> ▼ハリセンボン </p>
<p>上沼恵美子から「恋をすると漫才が面白くなくなる」と云われたことについて、はるかは「上沼さんには悪いですがますます面白くなっています」と云ってた。 </p>
<p>が、ますます面白くなったとは感じなかった。 </p>
<p>下手するとパワーダウン。 </p>
<p>いや、それははるかの方ではなく春菜の突っ込みの方が空回りしたせいか。 </p>
<p>声を張り上げすぎだったように思う。 </p>
<p>彼女ら、コント番組ではピカイチに光るのだが、漫才となるとイマイチ。 </p>
<p>逆にいうと、漫才以外では面白いのだから今回の評価が低かったからといって気を落とすことはない。 </p>
<p>81点。 </p>
<br />
<br />
<p>▼笑い飯 </p>
<p>私は笑い飯のラヂヲを聴いていたくらいの笑い飯びいきなので毎年どうしても甘い目で見てしまう。 </p>
<p>が、今年は私だけでなく、みな本当に面白かったという。 </p>
<p>嬉しい。 </p>
<p>実際、私も今年の芸人の中で一番笑った。 </p>
<p>二本目のネタも一本目のようなクオリティがあれば優勝だったろうに。 </p>
<p>それにしても、M-1でチンポジ連呼(笑) 今年は笑い飯にとってラストイヤーになった。 </p>
<p>優勝できなかった彼らだが、八年連続決勝戦出場という輝かしい記録を打ち立てた。 </p>
<p>そしてその記録以上に彼らの功績は伝説になるだろう。 </p>
<p>95点。（一本目） </p>
<p>90点。（二本目） </p>
<br />
<br />
<p>▼ハライチ </p>
<p>たぶん、はじめて見た。 </p>
<p>一種の危なさがあって良かった。 </p>
<p>とにかく、左の人はあまり動かず、右の人が動き回り喋りまくり。 </p>
<p>どちらかというと若い人向けの笑いなのかもしれない。 </p>
<p>彼ら自身私より若いし。 </p>
<p>これが平成世代のお笑いか。 </p>
<p>普通に面白い。 </p>
<p>86点。 </p>
<br />
<br />
<p>▼モンスターエンジン </p>
<p>彼らは芸達者だね。 </p>
<p>神々コントや西森さんの鉄工所ラップ、ゴッドハンド洋一。 </p>
<p>そして、今回見せてくれた漫才。 </p>
<p>それは、しゃべくり漫才という正統派。 </p>
<p>若干昭和の香りもして良かった。 </p>
<p>大笑いというより感心という感じ。 </p>
<p>完全に余談だが、「鉄工所ラップ」は本当に感動する。CDも買った。 </p>
<p>84点。 </p>
<br />
<br />
<p>▼パンクブーブー </p>
<p>パンクブーブーというとパッとしない、地味、華がない・・・。 </p>
<p>これが、いままでの彼らのイメージだった。 </p>
<p>そういった印象を一気に吹き飛ばしてくれたのが今回の漫才だった。 </p>
<p>漫才の形態はアンタッチャブルに似る。 </p>
<p>ボケがとにかくボケ倒し、突っ込みは喉が枯れるほど強烈に突っ込む。 </p>
<p>どちらが先か知らないが、この形態は安定感がある。</p>
<p>無論、その安定感を出すためには実力がないと無理だ。</p>
<p>面白かったのはその実力が彼らに伴っていたからだろう。 </p>
<p>独特の悪口は特に良かった。 </p>
<p>94点。（一本目） </p>
<p>96点。（二本目） </p>
<br />
<br />
<p>▼NON STYLE </p>
<p>はっきりいって、ノンスタイルは嫌いな芸人だった。 </p>
<p>去年のM-1で彼らが優勝したことは不可解で、実力に相応しない評価をされた芸人と思っていた。 </p>
<p>明らかにオードリーの方が面白かったからだ。 </p>
<p>それを証明するかのようにM-1優勝者にもかかわらず、その後の活躍もパッとしなかった。 </p>
<p>毎年、M-1のCMには前年優勝芸人が起用されるものだが、それも無し。（これは少し可哀想だと思った） </p>
<p>が、一本目のネタは前回優勝者の名に恥ぢないものだったと思う。 </p>
<p>「日本がやられました」のセリフとか、ケーキを運んできて切り分けるくだりなんかツボだった。 </p>
<p>苦渋を舐めたことが彼らを成長させたのだろうか。 </p>
<p>88点（一本目）。 </p>
<p>84点（二本目）。 </p>
<br />
<p>以上、お笑いファンの方々から「お前は何様だ」とお叱りを受けそうな辛口のことも書いた。 </p>
<p>が、私はM-1に出場した芸人さんに心から敬意を抱いております。 </p>
<p>厳しめのコメントは芸人さんたちに対する激励とお考え下さい。 </p>
<p>って、誰に言い訳してるんだ(笑) </p>
<p>今年のM-1は昨年よりも全体的に良くなっていたと思う。 </p>
<p>昨年よりも平均レヴェルが高かった。 </p>
<p>私は笑い飯に優勝をあげたかったが、パンクブーブーが優勝を勝ち取った。 </p>
<p>文句はない。 </p>
<p>まだまだ華の無い彼らだが、なにそんなものはあとからついてくる。 </p>
<p>これからも頑張ってください。 </p>
]]> </description>  
      <link>http://ameblo.jp/tuneari/entry-10417919607.html</link>  
      <pubDate>Wed, 23 Dec 2009 22:44:57 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>アニメ『とらドラ！』の感想を書いてみる。</title>  
      <description> <![CDATA[ <p>『とらドラ！』をやっと見終わった。</p>
<br />
<p>なんというか、コドモ同士の恋愛いざこざを見せ付けられて不快だったというのが一番の感想だろうか。</p>
<p>あるいは少女漫画を読ませられたといった感じか。</p>
<p>妹は「そりゃあ萌えアニメじゃないだから当り前」と云ったが、萌えアニメと非萌えアニメという違いから来る違和感ではなく、男性向けか女性向けかという違いに思えた。</p>
<p>（というか、私はそんなに萌えアニメを観ているのか？）</p>
<br />
<p>登場人物もどれも好きになれなかった。</p>
<p>逢坂大河はワガママ娘だし、櫛枝美乃梨は恐いし、川嶋亜美は性格悪いし、北村祐作はなんか変。</p>
<p>唯一、高須竜児だけは優しさに好感を持ったが、その鈍感さとウジウジした感じは嫌だった。</p>
<br />
<p>逢坂大河は日本版のルイズのようなキャラかと思ったらどうも違った。</p>
<p>ルイズはサイトに対して並々ならぬ愛情と恋心を抱いていて、しかしその事実を認めたくないという貴族としてあるいは女としてのプライドから普段、サイトには冷たく当ってしまう。</p>
<p>『ゼロの使い魔』はこの細やかな女心の描き方が抜群巧かった。</p>
<p>一方、逢坂大河は本来、北村が好きなため、竜児のことを駄犬としか思っていない。</p>
<p>はじめ、自分の秘密を知られてしまったがために竜児を殺そうとしたくらいだ。</p>
<p>しかし、共同生活を送る内に竜児の優しさに触れ彼に惹かれてゆくのだが、その過程が巧く書ききれていない。</p>
<p>ずーっと、冷たく当っていた男を突然好きになる感じが嫌だった。</p>
<br />
<p>櫛枝美乃梨（みのりん）はいつも底抜けに明るい。</p>
<p>変な語尾をつけたり、奇行に走ったり、おどけたりと見ている方が恥ずかしくなるほど自己を演じている。</p>
<p>しかも、かなり無理をしているようだ。</p>
<p>その証拠に、一度スイッチが入るといつものキャラはどこへやら、ブチギレモードに突入する。</p>
<p>こういう情緒が安定していない女子ははっきり云ってしまえば、怖い。</p>
<br />
<p>川嶋亜美は本作ではもっともリアルに描かれた人物だ。</p>
<p>女子特有の裏表を強調したような人物で、一般人の前ではぶりっこするが特定の人物の前ではどす黒い性格を全面に出す。</p>
<p>本作ではその差が極端に描かれているため、「漫画」だが、現実社会にこういう女性はたしかに居る。</p>
<p>そもそも女性とは本質的に川嶋亜美だ、というとお叱りを受けようか。</p>
<p>しかし、そういうしたたかさが女性の逞しさであると思う私は女性崇拝者。</p>
<p>だから、亜美ちゃんはみのりんの作りキャラを見抜いていて、いざこざがあった後もキャラを演じるみのりんに対して「あー、うっせーうっせー」とのたまう。</p>
<p>このシーンは大好きだ。</p>
<p>私もしらじらしくキャラをつくる人物に云ってみたい。</p>
<br />
<p>北村祐作ははじめ大河が好きだった。</p>
<p>それで、告白したのだが、振られる。</p>
<p>このとき大河も北村を好きだったはずなのに振ったのはそれこそツンデレだったからか。</p>
<p>それで、今度は大河の方が北村に対して熱を上げた時にはすでに別の女子（生徒会長）を好きになる。</p>
<p>大河の気持ちを知りつつ、鈍感を演じ、大河の気持ちなんて知りませんよという態度を通したのは彼なりの復讐だったのかもしれない。</p>
<p>だとすれば、かなり女々しい奴ともいえるが、この女々しさは生徒会長から振られた時もそうだった。</p>
<p>腹いせに髪を金髪に染め、自己破壊のような態度を決め込んだ。</p>
<p>女に振られてこういう態度をとる男が私は心の底から大嫌いだ。</p>
<p>女に振られたエピソードなんて男なら酒の席のネタ話にしろよ。</p>
<p>この北村という男、いつもオトナぶって一段上からモノをいうような態度をとるが底は浅い。</p>
<p>某所に北村は鈍感なふりをして事態から逃げる卑怯者という意見があったが言いえて妙だ。</p>
<br />
<p>最近のラノベはどれもこんなもんなのか。</p>
<p>私が『とらドラ！』を好きになれない最大の理由はリアルなようでリアルでないといった点だ。</p>
<p>そりゃあ、創作なんだから当り前だろと反論されそうだが、それならはじめからリアルを捨てて描けばいい。</p>
<p>例えば、私が変だと思うことはみのりんの態度。</p>
<p>いや、あのオタク女子のような立ち振る舞いとかリアクションとかそういう意味じゃない。</p>
<p>彼女が竜児から告白されたときのことだ。</p>
<br />
<p>竜児は合宿の夜、みのりんに告白する。</p>
<p>これに対し、みのりんは態度をあやふやにして応じない。</p>
<p>竜児は振られたと思う。</p>
<p>しかし、実は櫛枝、竜児のことが好きだったのだ。</p>
<p>これは親友である大河の本当の気持ち（つまり、大河は竜児のことが好き）を知っていて、大河に対する遠慮からそのような行動をとったと説明されている。</p>
<p>だがこれ、変じゃないか。</p>
<br />
<p>だいたい、大河といい、みのりんといい、好きな人から告白されて振るというのはどういうことか。</p>
<p>みんな自分の気持ちに素直だったら、大河と北村はくっつき、竜児とみのりんもくっつきと話はそこで終わっていた。</p>
<p>してみれば、本来すぐに終わっていたことを、そのようにしないで、敢えて反対の行動をとったことによって、竜児と大河がくっつくというオチにしたのが本作の最大の面白さなのかもしれない。</p>
<p>理論的にその面白さはわかる。</p>
<p>運命って数奇なものですね、と。</p>
<br />
<p>しかし、感情の問題としてこのクソガキどもは何をやっとるんじゃと思うわけだ。</p>
<p>それとも最近の若い人たちの恋愛ってみんなこうなのかね？</p>
<p>いや、むしろ、好きでもないのに告白されたからとりあえず付き合ってみるかといってその空間における男女がぐーるぐーる入れ替わるってのが実態だろう。</p>
<p>「どいつもこいつもビッチばかり」というネット住人の嘆きも一理あるわけだ。</p>
<p>つまり、とらドラ！メンバーの恋愛のやり方とまったく逆。</p>
<br />
<p>だとすれば、『とらドラ！』はそういう簡単にくっついたり離れたりしている昨今の若者の恋愛に対する痛烈なアンチテーゼなのかもしれない。</p>
<p>と、これは邪推の域かもしれないが、そんな様々な読ませ方をさせるのが、この「とらドラ！」という作品だ。</p>
<br />
<p>少なくとも、あび卯月が嫌いというんだから、「とらドラ！」はいい作品に違いない。</p>
]]> </description>  
      <link>http://ameblo.jp/tuneari/entry-10415031883.html</link>  
      <pubDate>Sat, 19 Dec 2009 22:27:03 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>声優グランプリMemorial</title>  
      <description> <![CDATA[ <p>「声優グランプリMemorial（メモリアル）」が出た。</p>
<p>声優グランプリが創刊されてからの十五年を振り返ろうという企画だ。</p>
<br />
<p>インタビュー記事のラインナップは國府田マリ子、井上喜久子、岩田光央、岩男潤子、椎名へきる、関智一、子安武人、野川さくら、田村ゆかり、堀江由衣、水樹奈々と90年代末からゼロ年代初頭にかけての声優ブームを牽引した豪華な声優が並ぶ。</p>
<p>平野綾、小野大輔、福山潤あたりもいるのは声グラの歴史を振り返るという趣旨からは首をかしげたくなるが、人気者だから入れたのだろう。</p>
<p>贅沢を言えば、林原めぐみ、丹下桜、宮村優子、桑島法子、久川綾、櫻井智、氷上恭子が加われば往年の声ヲタが泣いて喜ぶ顔ぶれになる。</p>
<br />
<p>目を引く記事は井上喜久子さんと堀江由衣のもの。</p>
<p>喜っ子さんは相変らず、年齢の縛りを完全に無視したコスプレ（今回はメイドさんだ）をやってくれているし、堀江由衣は十年前から顔がちっとも変わっていないというサイボーグぶりを披露している。</p>
<p>本書のどの声優の記事もそうだが、堀江由衣の記事にも過去の写真が何枚も掲載されていて、ほちゃ（堀江由衣）の顔が十年前と同じであることがわかるのだ。</p>
<p>しかし、インタビュアーはそのことに一切触れない。</p>
<p>ほちゃが堤さやかのコピーロボだということは声優業界のタブーなのだろうか。</p>
<p>それよりもっとタブーなのが、喜っ子さんの年齢の話題だ。</p>
<p>喜っ子さんはいつまでも十七歳だからだ。</p>
<br />
<p>一方、変化が激しい声優もいる。</p>
<p>岩田光央の記事では彼が随分とイメージチェンジしたことがわかるし、同じ写真に収まっているみやむー（宮村優子）に至ってはほとんど別人だ。</p>
<p>このように変わる声優と変わらない声優にはどのような差があるのか考察してみようと思ったがやめた。</p>
<p>たとえば、人気が一定の声優は外見の変化も少ないとか。</p>
<p>一見、正しそうだが、じゃあ、毎年顔が変わっている大谷育江さんはどうなのかという議論になる。</p>
<br />
<br />
<p>1994年、第三次声優ブーム華やかりし頃、声優グランプリは創刊された。</p>
<p>冒頭の「声優グランプリ１５年の軌跡」は創刊号からの声グラの表紙がずらりと掲載されているが、私より少し上の世代の人にとっては目頭が熱くなるのではないだろうか。</p>
<p>94年から2000年頃までの声グラの表紙を眺めるだけで私も郷愁に襲われる。</p>
<br />
<p>もっとも、私が声ヲタになったのは2000年頃。</p>
<p>その時点から、私は過去に遡って声優雑誌を買った格好になる。</p>
<p>だから、当時としても既に歴史を振り返っていたわけだが、そのころ親しんだ声グラはとりもなおさず94年～2000年までのものだ。</p>
<p>だから、声グラを振り返ることは青春（かどうかはわからんが）の甘酸っぱい思い出を振り返ることと同じなのだ。</p>
<p>いわんや、創刊当時から声グラを読んでいる人は尚更だろう。</p>
<br />
<p>ちょっと、「歴史」といえないような新しい記事も多いが、往年の声優ファンなら買いだ。</p>
<br />
]]> </description>  
      <link>http://ameblo.jp/tuneari/entry-10405967637.html</link>  
      <pubDate>Mon, 07 Dec 2009 21:14:06 +0900</pubDate> 
    </item> 
  </channel> 
</rss>
