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    <title>大海の一滴</title>  
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    <description>10年後の自分のためのメモ。</description>  
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      <title>『ハーメルンの笛吹き男―伝説とその世界』</title>  
      <description> <![CDATA[ 　<font size="4"><font size="3">阿部謹也、『ハーメルンの笛吹き男―伝説とその世界』 、ちくま文庫</font> <br />
</font><br />
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<font size="2">1284年6月26日のことだった。様々な色が入り乱れた上等な服を身にまとい、奇妙な形の銀の笛を持った男が、どこからともなくハーメルンの街に現れた。男が笛を吹くと、家々から子供達が飛び出して踊り狂いながら男の後をついていき、街を出て、山の所で姿を消してしまった。その数は130人にものぼった。 <br />
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「ハーメルンの笛吹き男」という童話でこの物語を知っている人は多いだろう。近世以降の物語においては、笛吹き男が鼠退治をしたり、最後に子供達が戻ってきたりといった改変が加えられていることがある。しかし伝説の本来の形においては、子供達は唐突に、奇怪な笛吹き男の後につき従って消えてしまうのみである。興味深いのは、多くの中世史の研究者が、この伝説は――何らかの形で――かつて実際に起った出来事に由来していると考えている点だ。というのも、笛吹き男が現れたとされる日から間もない時代に、すでに複数の文献が、1284年6月26日のハーメルンを特定し、きっかり130人の子供達の失踪について記述しているからである。もちろん伝説がそのまま真実のはずはない。そもそも当時の遍歴芸人――笛吹き男――はきわめて貧しく、上等の服など着ているはずがなかった。それでも、かつてこの伝説を研究したライプニッツは言う。「この伝説のなかには何か真実なるものがある。」 <br />
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1284年のハーメルンで一体何が起ったのか、子供達はどこへ消えたのか、そして&lt;笛吹き男&gt;とは誰なのか――。本書はこうした問いかけを軸にミステリータッチで始まる。 <br />
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この伝説については何百年にもわたる研究の蓄積があり、いくつもの説がある。著者はそのうち主要なものを検討していく。なかでも大きく取り上げられているのが、東ドイツ植民説だ。この説によると、子供達（実は成人した若者達）は、言葉巧みな植民請負人に勧誘され、ハンガリーのような東方へと集団で移住していったのだという。確かにハーメルンの人口圧はかなりのものであり、そしてこのような植民は、当時の東ドイツで一種のブームであった。交通もままならず――もちろん電話も郵便もなく――正確な地図さえない時代、はるか東方へと去っていった自分の息子や娘のことを思う両親の気持ちは、どれほどのものだっただろう。この悲しみがやがて伝説へと転化し、若者達をたぶらかした植民請負人は奇怪な笛吹き男の姿になった。 <br />
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しかし、この説にも無理がある、と著者は言う。というのも、当時東方植民がブームだったのなら、なぜハーメルンの事例だけが何百年も語り継がれることになったのか。それに、植民には、地元の有力者も絡む計画的な事業という側面があった。一面においては、東方植民は希望に満ちた出発、ちょうど19世紀ドイツの片田舎の若者がアメリカに旅立つようなものだったのかもしれない。それは、笛吹き男の伝説に漂う悲しく陰惨なトーンと相容れないのではないか――。 <br />
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そこで阿部謹也は、13世紀のハーメルンに生きた人々の姿、伝説が語り継がれてゆく世界に生きた人々の姿に焦点をあてる。名を残すことなき人々の姿が、社会学的な視座から、生き生きとよみがえってくる。連綿と続く日常の苦難と抑圧、その反作用でゲルマン的要素のほとばしり出る祝祭の興奮――それは子ども十字軍と同じ根を持っているのではないかと著者は言う――、そして正当な（正当とされた）社会秩序から排除され、恐れられながら差別された人々の存在。中世において遍歴芸人とは、乞食や放浪学生や墓堀人やユダヤ人や売春婦らと同様に、教会の庇護を得られず市民権も持つことができない賤民であった。彼らは不吉や災いの象徴と見做され、貧しくとも正当な秩序の中に留まっている人々から恐れられ、それゆえに排除の対象となった。丸山眞男なら抑圧の移譲というかもしれないが、ここでそんな近代的な概念を持ち出しても意味がないかもしれない。 <br />
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ある記録によると、子供達の失踪から300年近くを経た時代においても、ハーメルンの人々は笛吹き男の伝説を生々しく語り継ぎ、「300年後にまた来て子供達をさらう」と告げたとされる笛吹き男の再来を恐れていたという。1553年のことだ。ちょうど1550年ごろから1553年にかけてハーメルンの人々は、ヴェーゼル河の大氾濫や不作、そして凄惨な宗教戦争といった、未曾有の災厄にみまわれていた。こうした中、伝説の中の奇怪な悲劇、&lt;笛吹き男&gt;の物語が呼び出され、凶暴な世界に投げ入れられた人々の不安は、遍歴芸人という被差別賤民の姿に結晶し、語り継がれることになるのである。&lt;笛吹き男&gt;とは、ひとつの虚焦点だった――史実が何であったにせよ、その虚焦点こそが、貧しい人々が紡いできた長い歴史を雄弁に物語っているのである。 <br />
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1284年に実際に起った出来事は何だったのか、笛吹き男とは誰なのか。――本書を読み終わる頃には、そんなミステリーは私の頭の片隅に追いやられてしまっていた。複雑な感動があった。ライプニッツの言うとおり、この伝説には、たしかに真実なるものが含まれている。しかしそれは、真犯人は誰かといった「無味乾燥な史実」ではなく、もっと深く、絶えることなく現代へと続いている人間の姿ではないだろうか。世界そのものが、人々をとりまく自然と社会が、そこに生きる人々の悲しみが、&lt;笛吹き男&gt;を生み出し、育てたのだ。 <br />
<br />
耳を澄ませてみると、21世紀の今日、世界中の至るところから、&lt;笛吹き男&gt;が奏でる笛の音が聞こえてはこないだろうか。</font>
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      <link>http://ameblo.jp/taksagawa/entry-10164920589.html</link>  
      <pubDate>Sat, 15 Nov 2008 01:10:30 +0900</pubDate> 
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