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    <title>鳥肌音楽 Chicken Skin Music</title>  
    <link>http://ameblo.jp/sugarmountain/</link>  
    <description>WRITING ABOUT MUSIC IS LIKE DANCING ABOUT ARCHITECTURE.</description>  
    <language>ja</language>  
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      <title>失われた週末は本当に失われていたのか・・・</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 （not second a time先輩からコメントで貴重な情報をいただきあらためて調べていく中でレココレ増刊の「ザ・ビートルズ・ソロ・ワークス」が自宅にあることに今頃気づき、その中のレコーディング・セッション・リストなどを参考に更に追記および動画の追加を行いました。）<br /><br /><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120206/08/sugarmountain/ab/a5/j/o0504038711777650815.jpg"><img src="http://stat.ameba.jp/user_images/20120206/08/sugarmountain/ab/a5/j/o0504038711777650815.jpg"  alt="$鳥肌音楽 Chicken Skin Music" border="0" /></a><br /><br /><br />ジョン・レノンのファンであればご存知かとは思いますが1973年の10月から1975年の1月までジョンとヨーコは別居生活を送っています。現在「失われた週末Lost　Weekend」と呼ばれる期間なのですが、一般的な理解としてはジョンがヨーコと別れLAに出向きニルソンやリンゴやキース・ムーンと呑んだくれて放蕩の限りをつくしていたが、さすがに自分の愚かさに気づきヨーコに謝罪しよりを戻す迄の時期というものなのではないかと思います。<br /><br />僕は「愛と平和」の使者=ジョン・レノンというのはジョンの死後にヨーコによって必要以上にデフォルメされたものだという考えを持っていて何度かこのブログでもそのことを書いてきました。同じようにこの「失われた週末」もジョンの死後、いやその前からジョンの正史からはできるならば削除してしまいたい期間としてジョン・サイドというかヨーコ・サイドからはほとんど語られる事が無かったように思われます。実際ヨーコの発言の中に「失われた週末」における最重要人物であるメイ・パンのことがまったく出てこないというのはあまりにも不自然な気がします。男性による女性差別について「女は世界の奴隷か」という歌をジョンに歌わせたくらいの「超フェミニスト」のヨーコですからメイ・パンをジョンの「慰安婦」として帯同させたなんて、そりゃ言えないですもんね。<br /><br />まぁメイ・パンの言っていることも100％真実であるかどうかは神のみぞ知るなのかもしれませんが、それを考慮するにしても現在の「失われた週末」に対する情報はあまりにも少なく偏りすぎている気がずっとしていました。そこで、手持ちの資料にはなりますが、「失われた週末」の期間に一体何があったのかを時系列に沿ってかき集めてみました。<br /><br />こうして見ると音楽家ジョンという観点から眺めるとこの「失われた週末」という期間が如何に活動的で実りの多い期間であったかということがお分かりいただけるのではないかと思います。決して「失われて」なんかはいない、そう思いませんか･･･<br /><br /><br />1972年11月7日<br />マクガバンが大統領選挙に破れた夜、ジョンとヨーコはジェリー・ルービンのパーティに招かれる。NY中のリベラリストが集まった様なパーティでジョンはしこたま酔っぱらいとある女性とロッカー・ルームに閉じこもってしまう。ジョンと女性の行為は薄い壁を筒抜けでヨーコは強いショックをうけます。この出来事によってジョンとの間の「何か」が失われてしまったと感じたヨーコは自分の気持ちの整理を付けるためにジョンと別居し冷却期間を置くことを考え出します。<br /><br />1973年3月<br />合衆国出入国管理当局から国外退去が命じられる。ジョンの68年の麻薬不法報所持による。<br /><br />1973年3月<br />自身で何度かデモ録音していた「アイム・ザ・グレーテスト」をリンゴ・スターの新しいアルバム『リンゴ』に提供することを決め、サンセット・スタジオの『リンゴ』セッションに参加。メンバーはジョン（P、Vo）、リンゴ（Dr）、ジョージ・ハリスン（G）、クラウス・ヴーアマン（B）というほぼビートルズなメンバー。この歌ジョンが歌っていたらシャレにならないですもんね、リンゴで正解（笑）。<br /><br />1973年7月～8月<br />アルバム『ヌートピア宣言Mind　Games』のためのセッションがNYのスタジオ、レコード・プラントで行われる。プロデューはジョン自身。<br /><br /><font color="#FF0000">☆そして、ここから「失われた週末」が始まります。</font><br /><br />1973年10月<br />ヨーコの提案により別居生活に入る。ヨーコ曰く「愛するがゆえに分かれる」。<br /><br />『アンソロジー』のブックレットによればベッドの中でヨーコはジョンに告げます。<br /><br />＞”私たちはふたりともまだ若くて魅力があるのに、結婚しているというだけの理由でおたがいのなかに閉じこもってしまうなんて、とんでもないわ、そんなの私はいや。私たちらしくないわ、そうでしょ。離れてみて、どうなるか見てみましょうよ。””ロスへ行ってみるのはどうかしら？昔ビートルズのツアーで行って、楽しかったって話していたじゃない･･･。」<br /><br />ヨーコの提案をしぶしぶ受け入れたジョンは最初の4日間は有頂天になっていたが5日目には早くも泣きを入れてきたとヨーコは回想します。<br /><br />＞”もう十分だ、家に帰りたいよ”私は笑い飛ばしました、あまりに早すぎたからです。<br /><br />メイ・パンの著書「失われた週末」によれば、別居の始まりはこんな具合です。<br /><br />＞ある朝早くレノン夫妻の住むダコタ・ハウスの中にあった私の仕事場に、ヨーコが入ってきました。ヨーコは私に、ジョンと「うまくいっていない」ことを打ち明けました。＜中略＞ヨーコは続けてジョンは誰かほかの人と一緒に暮らすことになるだろう、その相手は「ジョンをうまく扱うことのできる人」であってほしい、と言いました。＜中略＞ヨーコはさらに続けました。「あなたボーイ・フレンドいないわよね」。私はペンとメモ用紙を落としてしまいました。聞き間違いではないかしら？私はヨーコに、こちらの一方的な勘違いかもしれないけれど、私はジョンに対して特別な感情はいだいていません、と念を押しました。ヨーコはそれは承知だと言いながらも話をやめませんでした。「あなたがジョンと一緒になるといいと思うの」。私は呆然としてしまいました。お断りします、私にはできませんと何度も言いました。でもヨーコはすっかり心を決めているようでした。「ジョンから誘われたら断らないようにね！」というヨーコの言葉には、単なる提案以上の強さが込められていました。<br /><br />この半月後位にエレベーターの中でジョンに抱きしめられ、キスをされ「こうなる日をずっと待っていた」と告白されます。何度かジョンの誘いを断ったもののジョンの強引さに負け関係を持つことになります。そうしてNYで二人の関係が始まりますが、ある日ヨーコがフェミニストの会合に出席するためにNYを留守にした時に、たまたま弁護士のハロルド・シーダーもLAに向け出発しようとしていました。ジョンは突然思いついたように”NYを離れ二人で暮らそう”といいハロルドに同伴しLAへ旅立ちます。<br /><br /><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120212/13/sugarmountain/7c/41/j/o0400031811789314467.jpg"><img src="http://stat.ameba.jp/user_images/20120212/13/sugarmountain/7c/41/j/t02200175_0400031811789314467.jpg"  alt="鳥肌音楽 Chicken Skin Music" border="0" /></a><br /><br />1973年10月<br />メイ・パンと共にLAに赴いたジョンはビル・ワイマンとアンドリュー・オールダムと会います。アンドリューはベルエアのルー・アドラーの家を借りていたが、ロンドンに戻るのでそこに住めるようにルーに交渉し、ジョンとメイは約2ヶ月そこで暮らすことになります。<br /><br />1973年10～12月<br />LAスにて『ロックン・ロール』のための録音を開始。プロデュースはフィル・スペクターに依頼。過去のフィルとの共同作業はアスコットやNYのスタジオというジョンのホームで行われましたが、今回はフィルのホームであるLAでの録音。NYと違うルーズさでジョンはいつも呑んだくれた状態でスタジオに入り、フィルもその奇人ぶりを遺憾無く発揮したためセッションは混乱を極め、手を焼いたジョンはアルバム制作を一時棚上げにしてしまいます。<br />この時のセッション・メンバーはジェシ・ディヴィス（EG)、ホセ・フェリシアーノ（AG）、リオン・ラッセル（Key）、ジム・ケルトナー（Dr）、ニノ・テンポ（Sax）、ゲストにスティーヴ・クロッパー（G）、ハル・ブレイン（Dr）、ジェフ・バリー、バリー・マン（Cho）というもので、きちんとやってくれていたらなぁと思うのは僕だけ？<br /><br />1973年10月<br />『サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ』の評論家からの酷評、売上の低迷に凝りていたジョンは積極的に発売間近の『ヌートピア宣言Mind　Games』のプロモーション活動を開始します。ロスで再会したアップル・レコード総支配人トニー・キングの忠告もジョンに影響を与えていました。曰く”今、世間は君のことを批評ばかりする過激なやつだと思っている。それではレコードの売上も期待できない。必要なのは昔のように陽気で、ユーモアがあって、みんなから愛されたジョン・レノンに戻ることだ。”。そしてトニーはジョンのイメージ回復の手助となる効果的なインタビューの機会ををセッティングしている。<br /><br /><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=18903397" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">マインド・ゲームス (リミックス&デジタル・リマスタリング)/ジョン・レノン<br /><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/41TV37665NL._SL160_.jpg" border="0" /></a>　￥2,548　Amazon.co.jp<br /><br /><br />1973年10月<br />息抜きをかねてジョンとメイ・パンはラスベガスへ小旅行。トニー・キングやマイケル・ヘイゼルウッドを呼び寄せファッツ・ドミノ（前座はフランキー・ヴァリ）のショウなどを楽しみます。この時ラスベガスのステージに立つフランク・シナトラに歌わせたくて「愛の不毛Nobody Loves You When You're Down And Out」をジョンは作ります。<br /><br /><br /><strong>John Lennon - Nobody Loves You When You're Down And Out </strong><br /><object width="420" height="315"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/XrQVLplY3kY?version=3&amp;hl=ja_JP"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/XrQVLplY3kY?version=3&amp;hl=ja_JP" type="application/x-shockwave-flash" width="280" height="220" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true"></embed></object><br /><br />1973年11月2日<br />アルバム『ヌートピア宣言』発売。<br /><br />1973年11月2日<br />リンゴ・スターのアルバム『リンゴ』発売。ジョン、ポール、ジョージが楽曲を提供しミュージシャンとしても参加。4人揃っての共演はないが大きな話題となる。<br /><br /><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=18903396" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">リンゴ/リンゴ・スター<br /><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/31NF7T37GXL._SL160_.jpg" border="0" /></a> ￥1,784 Amazon.co.jp<br /><br />1973年12月<br />LAのジョンとメイ・パンの元へ離れて暮らす息子ジュリアン・レノン（10歳）と前妻シンシアが訪れる。この時ジョンは4年近く息子とあっておらず最初は気まずさも感じる再会でしたが、この再会がきっかけとなりジュリアンはたびたびジョンの元に訪れ親子の関係は修復されていきます。<br /><br /><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120212/13/sugarmountain/d8/d3/j/o0496045411789314466.jpg"><img src="http://stat.ameba.jp/user_images/20120212/13/sugarmountain/d8/d3/j/t02200201_0496045411789314466.jpg"  alt="鳥肌音楽 Chicken Skin Music" border="0" /></a><br /><br />この時にジュリアンとジョンがお遊びでモーリス・レヴィの管理楽曲である「YaYa」を録音。「カム・トゥゲザー」での盗作判決の穴埋めとして『心の壁、愛の橋』に収録されることに。<br /><br />1974年1月<br />”これまで、僕はビートルズの話をするのが嫌だった。だが今ではそういう気でもなくなってきた。現在、どんなことでも起こりうる可能性がある。近い将来、我々4人で何か素敵なことをするかもしれない。”ロサンジェルス・タイムス紙のインタビュー。『リンゴ』の発売もあり、再結成の噂がまことしやかに囁かれる。<br /><br />1974年2月16日<br />メロディー・メイカー誌が”ビートルズ・トゥゲザー・アゲイン！”という特大見出しでビートルズ再結成を予測。ポールの再結成を匂わす発言、ジョン、ジョージ、リンゴがアレン・クラインを馘首したこと、1月に4人がニューヨークで一同に会した（噂のみ）ことがその理由。<br /><br />1974年3月<br />ニルソンらとともに泥酔し暴れたためロスのトゥルバドール・クラブからたたき出されたことが記事になる。出演中のスマザーズ・ブラザースに悪態をつき、ウェイトレスに暴行を振るったとのこと。<br /><br />1974年3月　<br />NYのプロモーター、ビル・サージェントがビートルズ再結成の一夜公演に42億のギャラを申し出る。ジョンもポールも無視。<br /><br />1974年3月28日<br />ジョンがプロデューサーとなりニルソンのアルバム『プシー・キャッツPussy　Cats』の録音がLAのバーバンク・スタジオで開始される。この日の夜遅くNYに来ていたポール・マッカートニーとリンダがひょっこりと姿を見せます。ジョンとポールはビートルズ解散後、最初で最後のジャム・セッションを行います。途中からはスティーヴィー・ワンダーも加わったというこのセッション、テープが回っていればなぁ。<br /><br />（追記：と書きましたが、しっかりテープが回っていたようで、過去に『A TOOT AND A SNORE IN '74』というタイトルのブートレグも出たことがあるようです。ジョンとポールにスティーヴィー・ワンダー、ニルソン、ジェシ・ディヴィス、ジム・ホーンが参加してのジャムのようです。演奏はかなり荒いですが音源がアップされていましたのでどうぞ）<br /><br /><strong>Lucille～Stand By Me</strong><br /><object width="420" height="315"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/-ICaQ1Cz8ys?version=3&amp;hl=ja_JP"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/-ICaQ1Cz8ys?version=3&amp;hl=ja_JP" type="application/x-shockwave-flash" width="280" height="220" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true"></embed></object><br /><br /><br /><br /><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120212/13/sugarmountain/1e/93/j/o0250019711789316365.jpg"><img src="http://stat.ameba.jp/user_images/20120212/13/sugarmountain/1e/93/j/t02200173_0250019711789316365.jpg"  alt="鳥肌音楽 Chicken Skin Music" border="0" /></a><br /><br />1974年4月or5月<br />ミック・ジャガー（Vo)、ダニー・コーチマー、ジェシー・デイヴィス（G）、ジャック・ブルース（B）、アル・クーパー（Key）、ジム・ケルトナー（Dr）、ハリー・ニルソン（Vo）というメンバーによる「トゥー・メニー・クックス」をプロデュースする。この音源は永らく未発表のままでしたが2007年に発売されたミック・ジャガーのソロ活動をまとめたベストアルバムに収録され陽の目を見ています。<br /><br /><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=18908074" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">ヴェリー・ベスト・オブ・ミック・ジャガー/デヴィッド・ボウイ<br /><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/41QOd-4XFyL._SL160_.jpg" border="0" /></a>-<object width="560" height="315"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/91wnkp0ms6o?version=3&amp;hl=ja_JP"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/91wnkp0ms6o?version=3&amp;hl=ja_JP" type="application/x-shockwave-flash" width="280" height="170" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true"></embed></object>　<br /><br />1974年5月<br />LAで行われていた『プシー・キャッツ』のセッションですが、スタジオ内はセッションかパーティか分からない状態で、結局、きっちりとした仕事のできる慣れ親しんだNYのスタジオ、レコード・プラント・イーストにスタジオを移動し完成させることになります。その後NYのRCAのケン・グランシーのオフィスに赴きアルバムを必ず発売することを確約させます。ジョンは願いを聞いてくれるならアップルとの契約が切れたらリンゴを誘って自分もRCAに移籍するとまで発言したとか。確かにリンゴはRCAに移籍しましたが･･･。<br /><br />NY滞在中ジョンとメイは東52丁目434番地のペント・ハウス・タワーBというアパートで暮らします。ベッド・ルームには当時最も大きかった27インチのソニー・トリニトロンTVを設置し二人はそこで心からリラックスできたようで「夢の夢」のヒントもそのベッドの中で生まれました。この部屋にもポールとリンダなど多くの友人たちが訪問していますが、ジョンにとって一番の訪問者は離れて暮らす息子ジュリアンでした。メイの写真には少年期（11歳）を迎えた息子と海でたわむれる父親ジョンの姿がとらえられています。<br /><br /><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120212/13/sugarmountain/f4/3c/j/o0386050011789316363.jpg"><img src="http://stat.ameba.jp/user_images/20120212/13/sugarmountain/f4/3c/j/t02200285_0386050011789316363.jpg"  alt="鳥肌音楽 Chicken Skin Music" border="0" /></a><br /><br />1974年6月<br />メイ・パンと暮らすLAの借家で新曲のデモ録音。多くの曲はアルバム『心の橋、愛の壁』の収録曲となる。中にはリンゴに提供される「グッド・ナイト・ウィーン」も。（この時期、ジョンはNYにいたと思われ「LAの借家」というのは引用元のレココレ増刊「」ビートルズ・ソロ・ワークス」の間違いか？）<br /><br />1974年6月<br />『プシー・キャッツ』を完成させた後、『ロックン・ロール』のセッションを再開しようとしますが、フィルがLAで録音したテープを持ったまま行方不明状態に（オートバイ事故で入院していた）あったため断念。そこで書き溜めていた新曲を元にオリジナル・アルバム『心の壁、愛の橋Walls　And　Bridges』の録音に取り掛かります。キャピトルはジョンの子供時代に描いた画を使い『ロックン・ロール』のジャケを制作していましたが、むしろ新しいアルバムにぴったり来るということでジョンはこのデザインを『心の壁、愛の橋』に流用しようと考えます。しかしキャピトルはジョンのアルバムだとひと目でわかるポートレイトを使うことを主張し、それを呑んだジョンはメイ・パンを使ってフォト・セッションを行います。ところがアート・ディレクターの要望する写真が素人カメラマンであるメイ・パンのカメラでは取れないということになり、最終的にボブ・グルーエンによる写真がジョンの画とともに使用されることとなります。<br /><br /><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120211/22/sugarmountain/b9/6c/j/o0500050011788368913.jpg"><img src="http://stat.ameba.jp/user_images/20120211/22/sugarmountain/b9/6c/j/t02200220_0500050011788368913.jpg"  alt="鳥肌音楽 Chicken Skin Music" border="0" /></a>-<a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120211/22/sugarmountain/a8/e6/j/o0338033811788368912.jpg"><img src="http://stat.ameba.jp/user_images/20120211/22/sugarmountain/a8/e6/j/t02200220_0338033811788368912.jpg"  alt="鳥肌音楽 Chicken Skin Music" border="0" /></a><br /><br /><br />1974年7月17日<br />合衆国司法局より60日以内の国外退去を命じられる。ジョンは控訴。<br /><br />1974年7月中旬<br />NYレコード・プラント・イーストでニュー・アルバムのためのリハーサル・セッションがスタート。ジョン（G）、ジェシ・ディヴィス（G）、クラウス・ヴーァマン（B）、ジム・ケルトナー（Dr）。この時の音源は『アンソロジー』で聴くことができる。<br /><br />1974年8月<br />ジョンがプロデュースをしたニルソンのアルバム『プッシー・キャッツPussy　Cats』発売。<br /><br /><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=18903395" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">プシー・キャッツ/ニルソン<br /><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/61dZdC6t62L._SL160_.jpg" border="0" /></a> ￥2,500 Amazon.co.jp<br /><br />1974年8月<br />先のリハーサル・メンバーにエディ・モットー（AG）、ケン・アッシャー、ニッキー・ホプキンス（Key）、リトル・ビッグ・ホーンズ（Horn）が加わりレコード・プラントで『心の壁、愛の橋』セッションが行われる。後半ではエルトン・ジョンも参加し「真夜中を突っ走れ」が録音される。<br /><br />1974年8月9日　<br />ウォーター・ゲート事件によりニクソン大統領が辞任。<br /><br />1974年8月下旬<br />『心の壁、愛の橋』のレコーディングを終えたジョンはLAへ飛びリンゴの『グッド・ナイト・ウィーン』のセッションに参加。デモ録音していた「グッド・ナイト・ウィーン」を提供し、カバー曲「オンリー・ユー」（最高！）のアレンジ、ガイド・ヴォーカル録りを行う。<br /><br /><object width="420" height="315"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/OLjaS_EMM-g?version=3&amp;hl=ja_JP"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/OLjaS_EMM-g?version=3&amp;hl=ja_JP" type="application/x-shockwave-flash" width="280" height="220" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true"></embed></object>-<object width="420" height="315"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/pqHpwlPvgPg?version=3&amp;hl=ja_JP"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/pqHpwlPvgPg?version=3&amp;hl=ja_JP" type="application/x-shockwave-flash" width="280" height="220" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true"></embed></object><br /><br /><br />1974年8月31日<br />司法局の国外追放命令はニクソン政権による不当な圧力によるものとNY連邦裁判所に訴える。ジョンがベトナム反戦運動の指導者の一人であり72年の党大会を阻止しようとしたことに対する共和党の報復だというもの。アビー・ホフマン、ジェリー・ルービン、ジョン・ビールといった急進的な活動家との交流もありダコタ・ハウスのジョンの部屋には複数の盗聴器がしかけれていたという。<br /><br />1974年9月<br />74年はビートルズのアメリカ上陸から10年にあたります。この年キャピトルはビートルズに脚光を当てたキャンペーンを行なっていました。そんな中、元ビートルズのジョンのニュー・アルバムが発売されるとあって、キャピトルは最大限のプロモーションを行うことになります。題して「この～を聴け（Listen To This ～）」というキャンペーンでListen To This ～というコピーが上段、中段にはジョンの目許の写真、下段には「ジョン・レノン　心の壁、愛の橋」の文字というデザインが様々な場所に描かれました。「この～を聴けの」の～には媒体に合せ”ポスターを聴け”や”雑誌を聴け”、”バスを聴け”（バスの車体広告）、”Tシャツを聴け”といった具合です。TVコマーシャルも作られ、リンゴ・スターが出演、このお礼としてジョンは『グッド・ナイト・ウィーン』のTVCMに出演します。<br /><br /><br />1974年9月14日<br />”ジョン・レノンなんて全然革命的じゃない。奴は呆れかえる程の大馬鹿、白痴だ。ただ革命、革命って叫んでるだけで、行動ときたら････だもんな。人の気も考えて欲しいよ。皆あいつには気分が悪いんだよ。”メロディ・メーカー誌によるトッド・ラングレンのインタビューより。<br /><br />1974年9月26日<br />”貴方が私に対してアタマにきている本当の理由は分かっている。LAのレインボウであなたと一緒になったとき、私が貴方を誰だか分からなかったからなのだ。メロディ・メーカー誌によるインタビューより。<br /><br />1974年9月<br />『ヌートピア宣言』発売の際に貴重な忠告をくれたトニー・キングをアメリカに呼び寄せます。そしてリンゴとともにEMI/キャピトルのCEOバスカー・メノンに手紙を書きキャピトル内に立派なオフィスを設けさせます。ジョンは信頼していたキャピトル副社長でヒットを探す達人アル・コーリー、トニー・キング、メイ・パンを集めアルバムからのシングル・カット曲を検討します。最有力候補「夢の夢」をはじめ「予期せぬ驚き」から「ようこそレノン夫人」まで候補に挙げられますが最終的にアルが選んだ「真夜中を突っ走れ」に決定されます。ジョンはこの曲のヒットに半信半疑でしたが、結果はアルの耳の正しさが照明されることとなります。<br /><br /><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120212/13/sugarmountain/80/86/j/o0400024311789314488.jpg"><img src="http://stat.ameba.jp/user_images/20120212/13/sugarmountain/80/86/j/t02200134_0400024311789314488.jpg"  alt="鳥肌音楽 Chicken Skin Music" border="0" /></a><br /><br />1974年9月<br />メイ・パンは第1回ビートルズ・コンベンションに赴きます。『トゥー・バージンズ』がこれ以上市場に出回らないように買い占めるようにジョンから頼まれていたメイ・パンは会場でドイツの写真かユルゲン・フォルマーによる61年にハンブルグで撮られた写真を見つけます。ジョンにそのことを電話で報告すると旧知であるユルゲンにぜひとも会いたいということになり後日ユルゲンは当時の写真を持ってアパートに訪れます。『ロックン・ロール』のジャケ写はこうして決まったというわけです。<br /><br />この再会の後メイ・パンと知り合いのレストラン・オーナー、リチャード・ロスのが所有するNY州エレンビルにあるロッジでジョンとメイ・パンは休暇をすごすことにしました。気持ちのいい秋の日ジョンはお気に入りのアイリッシュ・ニット・セーターを着てリチャードの飼い犬を連れ山道を散歩します。前を歩くジョンに声をかけ振り向いた瞬間を、メイ・パンが写真に撮ります。この写真を気に入ったジョンは75年10月24日（メイ・パンの誕生日）にイギリスで「イマジン」のシングルが発売される際にジャケ写として使用しています。<br /><br /><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120212/00/sugarmountain/c0/f1/j/o0800080011788659012.jpg"><img src="http://stat.ameba.jp/user_images/20120212/00/sugarmountain/c0/f1/j/t02200220_0800080011788659012.jpg"  alt="鳥肌音楽 Chicken Skin Music" border="0" /></a>-<a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120212/00/sugarmountain/b5/7f/j/o0300030011788659011.jpg"><img src="http://stat.ameba.jp/user_images/20120212/00/sugarmountain/b5/7f/j/t02200220_0300030011788659011.jpg"  alt="鳥肌音楽 Chicken Skin Music" border="0" /></a><br /><br /><br />1974年10月4日<br />シングル「真夜中を突っ走れ」とアルバム『心の壁、愛の橋』を発表。「真夜中を突っ走れ」は11月16日にソロになって初めての1位曲となる。録音にはエルトン・ジョンが参加。その時にもし1位を獲得したらエルトンのライヴにゲストで出演するという約束が交わされていた。<br /><br />1974年10月<br />アルの努力で無事取り戻されたLAでの『ロックン・ロール』のテープでしたが、ジョンはそのテープを封印し新たに『心の壁、愛の橋』のミュージシャンを使いセッションを再開することを思い立ちます。それを聞きつけたモーリス・レヴィは自分の農場をリハーサルのために提供、『ロックン・ロール』セッションが再スタートされます。<br /><br />1974年10月21日～25日<br />レコード・プラントに閉じこもり5日間で『ロックン・ロール』を完成させる。ジョンがこの時期いかに充実した仕事をしていたかは、この辺からもうかがえると思うのですが・・・。また『心の壁、愛の橋』でいったんボツにした「ようこそレノン夫人Move　Over　Miss.L」を再び取り上げアルバムから3月にシングル・カットされた「スタンド・バイ・ミー」のB面曲として収録（UK盤）。<br /><br />1974年11月<br />ジョンとポールの二人は一時期の険悪な雰囲気は消え昔の仲を取り戻しつつありました。それにともないビートルズに対してもセンチメンタルな感情を持つようになっていました。ジョンは、友人ロバート・スティグウッドがプロデュースしていたオフ・ブロードウェイ・ミュージカル「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド・オン・ザ・ロード」にも積極的に関与していきます。リハーサルを訪問し助言を行なったり、あらゆる機会に作品を絶賛。はてはBBCが撮影するプロモ映像への出演も快諾しNYの街角を歩き市民と触れ合うジョンの姿が撮影されます。<br /><br />この時の映像はYOUTUBEにアップされている「マインド・ゲームス」の動画（これオフィシャルのプロモなんですかね、誰かご存知ないですか）で見ることができます。そう思ってみると3分19秒あたりからミュージカルの劇場前の風景や、ミュージカルのステージでおどけるジョンの姿が映っていますよね。<br /><br />John　Lennon　/ Mind Games<br /><object width="420" height="315"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/qvdZ3BHR90w?version=3&amp;hl=ja_JP"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/qvdZ3BHR90w?version=3&amp;hl=ja_JP" type="application/x-shockwave-flash" width="420" height="315" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true"></embed></object><br /><br />1974年11月28日<br />NYのマジソン・スクエア・ガーデンで行われたエルトンのコンサートに飛び入りで参加。「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」「真夜中を突っ走れ」「アイ。ソー・ハー・スタンディング・ゼア」をエルトンと共演。「アイ・ソー・ハー～」を歌う前には”親友ポールの歌を歌います”というMCをつけていた。このステージがジョンにとっての観衆を前にしての最後のライヴということになった。<br /><br /><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=18903394" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">Here & There/Elton John<br /><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/515QfMmQdrL._SL160_.jpg" border="0" /></a> ￥1,677 Amazon.co.jp<br /><br />このコンサートにはヨーコも訪れておりジョンとの再会を果たしています。<br /><br />＞YOKO”まずエルトンが出てきて歌ったの。＜中略＞そこへジョンが出てきたら、あのマディソン・スクエア・ガーデンのホールが揺れるの。みんなが飛び上がったり、拍手したり、叫んだり、わめいたり、とってもすごかったのよ、本当に文字通り床がふるえていたわ。＜中略＞でもその時見たジョンはわたしの知っていたジョンとは違って、ほんとうに淋しそうな孤独な感じだったのよ。”<br /><br />＞JOHN”聴衆の中に彼女がいるとは知らなかった････彼女が来ると分かっていたらとても僕は行けなかっただろう････ステージから戻るとそこに彼女がいてね、お互いをじっと見たんだよ。まるでインディカ・ギャラリーの場面の再現みたいで、それでその晩から僕たちはまた一緒になった。あの時期は幸福な想い出ばかtりだよ。<br /><br />この時エルトンのコンサートにジョンが飛び入りすることを知って、<a href="http://www.barks.jp/news/?id=1000064803" target="_blank">ヨーコをその場に行くように教えたのは他ならぬポール・マッカートニーだったことをヨーコは2010年になって初めて明かします。</a><br /><br />1974年12月16日<br />英国デイリー・メール紙がジョンの国外追放命令は前大統領ニクソンとホワイト・ハウスによる陰謀だったという記事を掲載。ニクソンの個人的な判断により国外追放の司令を政府関係期間に発していたという事実が明らかにされる。<br /><br />1974年12月19日<br />すでに解散状態にあったビートルズですがEMIとの契約の関係もあり法的にはまだ存続していることになっていました。実質的な解散から4年で法的な問題はほぼクリアされ解散のための書類にリンゴは既にイギリスでサイン済みであったので残り3人がNYで集まりサインをすることになっていました。ジョージはダーク・ホース・ツアーでNYに来ており、ポールとリンダもこのために渡米し、席につきましたがNYに住んでいるジョンが現れません。しびれを切らしたジョージがジョンに電話をいれますが電話に出たのはメイ・パンで、ジョージはジョンへの文句を述べたあとジョンがマジソン・スクエア・ガーデンでのジョージのコンサートに飛び入りするというプランも必要ないと伝えます。<br /><br />翌日ポールとリンダがジョンを訪問します。ポールに諭されたジョンは書類にサインをすることを承諾します。<br /><br />ジョンに対して激怒していたジョージですが、クリスマスに合せジョンの元へ訪れ、ジョージのコンサートにもやってきたジュリアンに対しジョージはすべてを水に流すからパーティに来てくれる旨を伝える電話をジョン宛にさせます。そしてコンサート後のパーティではジョージとジョン、ポールが固いハグを交わすこととなります。<br /><br /><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120212/13/sugarmountain/b6/fd/j/o0199013311789316364.jpg"><img src="http://stat.ameba.jp/user_images/20120212/13/sugarmountain/b6/fd/j/t01990133_0199013311789316364.jpg"  alt="鳥肌音楽 Chicken Skin Music" border="0" /></a><br /><br />翌日からジョンとジュリアンとメイ・パンはクリスマスをフロリダで過ごすため旅立ちます。<br /><br />1974年12月21日<br />シングル「夢の夢No.9　Dream」全米チャートで最高位9位となる。”9という数字が好きだ。自分の生まれた日だし、数字の中で一番大きいし”。<br /><br />1974年12月29日<br />フロリダのジョンの元にアップルの弁護士から解散のための書類が届きます。その書類にジョンがサイン、この瞬間ビートルズは法的にも解散します。<br /><br />1975年1月<br />メイ・パンによればエレンビルから戻ったジョンはそれまで以上に精力的に仕事をこなしていきます。『心の壁、愛の橋』のプロモーション、『ロックン・ロール』のレコーディング、エルトン・ジョンのコンサートへの飛び入り、デヴィッド・ボウイと「フェイム」を共作、そしてニュー・オリンズでポールの『ヴィーナス・アンド・マース』のレコーディングに参加する予定まであったようなのです。結局は時期尚早ということで見送られたようですが、もし････。<br /><br />ジョンはロング・アイランドでメイ・パンと住むための家を不動産業者に探させていたといいます。そして物件は見つかり2月には仮契約を結ぶ手配になっていたとメイ・パンは回想しています。<br /><br />1975年1月<br />上記のメイ・パンの回想とは矛盾しますが、ジョンはヨーコの元に戻ります。”別居はうまくいかなかった”とはジョン・レノン談。<br /><br /><font color="#FF0000">☆☆　これにて「失われた週末」はエンドとなります。</font><br /><br />1975年1月<br />ポール・サイモンがジョンのグリーン・カード獲得闘争を精神的に支援すると表明。<br /><br />1975年2月17日<br />アルバム『ロックン・ロール』発売。<br /><br />1975年3月<br />前月に発売された『ロックン・ロール』のプロモーションのため「スタンド・バイ・ミー」「スリッピン・アンド・スライディン」のビデオ撮りのためレコード・プラント・イーストで生演奏を行なった。<br /><br /><object width="420" height="315"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/iqyoTIIgPMY?version=3&amp;hl=ja_JP"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/iqyoTIIgPMY?version=3&amp;hl=ja_JP" type="application/x-shockwave-flash" width="420" height="315" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true"></embed></object><br /><br />余談ですが、このプロモがジョンの死を伝えるニュースとともに最も流されたことが、「スタンド・バイ・ミー」がジョンの代表曲となるのに一役をかったに違いありません。なんでこの曲だったんでしょうね、本来であれば『ダブル・ファンタジー』の曲であっても良かったのに。まぁ「イエスタデイ」が流されるよりはずっとマシですけど、多かったですもんね、ジョンの曲を流せよってちょっと頭に来てました。<br /><br />1975年3月5日<br />デビッド・ボウイのアルバム『ヤング・アメリカン』発売。NYでジョン・レノンとともに録音された「フェイム」「アクロス・ザ・ユニヴァース」が収録されていた。<br /><br /><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=18908073" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">ヤング・アメリカンズ/デヴィッド・ボウイ<br /><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/41RYZ7MJN7L._SL160_.jpg" border="0" /></a><br /><br />1975年4月18日<br />ATVのスペシャル番組「サリュート・トゥ・リュー・グレイド」の為に生前最後となるライヴ・パフォーマンスを行う。8人組のバンドを従えアコギを弾きながら「スタンド・バイ・ミー」と「スリッピン・アンド・スライディン」「イマジン」を歌う。6月の放映時には「スタンド・バイ・ミー」はカットされていた、残念。（not a second time先輩、情報ありがとうございます。）<br /><br /><object width="420" height="315"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/9XwzTuivX0I?version=3&amp;hl=ja_JP"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/9XwzTuivX0I?version=3&amp;hl=ja_JP" type="application/x-shockwave-flash" width="280" height="220" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true"></embed></object><br /><br />→<a href="http://youtu.be/T2hvkPyiAFE" target="_blank">　「イマジン」はコチラから　</a><br /><br />1975年10月7日<br />裁判所により国外追放命令は破棄され3年に及ぶ闘争は終結（76年7月27日グリーン・カードを取得）。<br /><br />1975年10月9日<br />ヨーコとの間の第一子ショーンが誕生。<br /><br /><br />こうやって見てみると、この時期運命の歯車がもう一回りしていたらビートルズの再結成、そこまでいかなくてもジョンとポールの共作っていうのがあったかも知れないですね。あっそうかそれが失われたのか（笑）。誰のせい？<br /><br /><br />以上。<br /><br />参考文献、引用元は　<br />メイ・パン著「ロスト・ウィーク・エンドInstamatic　Karma」<br />アンディー・ピープルズ著「ジョン・レノン・ラスト・インタビュー」<br />シンシア・レノン著「ジョン・レノンに恋して」<br />ミュージック・マガジン増刊「ジョン・レノンを抱きしめて」<br />レコード・コレクターズ増刊「ザ・ビートルズ・ソロ・ワークス」<br />ジョン・レノン・アンソロジーBOXブックレット<br />ウィキペディア（日米）　他です。<br /><br />
 
</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/sugarmountain/entry-11161734029.html</link>  
      <pubDate>Sat, 11 Feb 2012 15:36:11 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>1967年2月3日から２月１０日のスマイル</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 <br /><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120211/08/sugarmountain/25/26/j/o0671044611786825512.jpg"><img src="http://stat.ameba.jp/user_images/20120211/08/sugarmountain/25/26/j/o0671044611786825512.jpg"  alt="$鳥肌音楽 Chicken Skin Music" border="0" /></a><br /><br />さて、not a second time先輩からいただいたコメントにもありましたが、ブライアン・ウィルソンが入ったビーチ・ボーイズが久々に活動を再開いたします。昨年が結成50周年、そして今年が（メジャー）デビュー50周年を記念しての活動再開でまずは13日のグラミー授賞式でのマルーン5、フォスター・ザ・ピープルとのスペシャル・セッションでお披露目となり、6月以降はツアーも行うようです。<br /><br />上の写真が現在のBB5のメンツなのですが、左からブライナン・ウィルソン、デヴィッド・マークス、ブルース・ジョンストン、アル・ジャーディーンそしてマイク・ラヴ。おやじバンドを通り越しすっかりじいちゃんバンドになっちゃってますね、昔からじいちゃんぽかったアルはあんまり変わっていませんが（笑）。<br /><br />マルーン5、フォスター・ザ・ピープルもロス出身のポップ・バンドですからステージは大先輩に対するトリビュート的なものになるのかなと思います。とくれば初期のサーフィン/ホットロッドのヒットを中心にしたサンシャイン・メドレーをやってくれるんじゃないでしょうか。マイクの猿踊りも見れますよ、きっと。<br /><br />では本題に、６７年、この1週間のスマイルです。<br /><br /><br /><strong>1967年2月3日（金）　スマイル・セッション53　英雄と悪漢・セッション16<br />ウェスタン・レコーダーズ・スタジオ3st　、カリフォルニア州ハリウッド　</strong><br /><br />またもやBB5メンバーによる「英雄と悪漢」のボーカル・セッションが行われる。<br /><br /><strong>1967年2月7日（火）　スマイル・セッション54　英雄と悪漢・セッション17<br />コロムビア・スタジオ、カリフォルニア州ハリウッド　（10：00－10：45PM）</strong><br /><br />「英雄と悪漢」にトミー・テデスコによるギター・パートを追加後、昨日のボーカルをオーバー・ダブ、わずか45分でセッションは終了。<br /><br /><strong>1967年2月8日（水）　スマイル・セッション55　<br />コロムビア・スタジオ、カリフォルニア州ハリウッド　</strong>　<br /><br />デニス・ウィルソン、マイケル・ヴォッセ、ヴァン・ダイク・パークスが参加して「サーフス・アップ」のトラッキング・レコーディングが行われる。結果的にこのセッション・テープは71年にアルバム『サーフス・アップ』の作成時に使用されることになります。<br /><br /><strong>Beach Boys / Surfs Up</strong><br /><object width="420" height="315"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/R2_wBbS7I08?version=3&amp;hl=ja_JP"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/R2_wBbS7I08?version=3&amp;hl=ja_JP" type="application/x-shockwave-flash" width="280" height="220" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true"></embed></object><br /><br /><strong>1967年2月9日（木）　スマイル・セッション56　英雄と悪漢・セッション18<br />ウェスタン・レコーダーズ・スタジオ3st　、カリフォルニア州ハリウッド　（2：00－6：00PM）</strong><br /><br />チャック・ブリッツがエンジニアをつとめジャスパー・ディリーの「ティター・トッター・ラヴ」の追加セッションが行われる。その後マイク・ラヴが参加し「英雄と悪漢」の最後の部分のボーカルを録音。<br /><br /><strong>1967年2月10日（土）　スマイル・セッション57　英雄と悪漢・セッション19<br />ウェスタン・レコーダーズ・スタジオ3st　、カリフォルニア州ハリウッド　</strong><br /><br />「英雄と悪漢」のブライアンのソロ・ボーカルを録音。その後”イン・ザ・カンティーナ”の部分の2分56秒のミックスを完成させる。（オリジナル・テープは紛失してしまうがセーフティー・コピーを元にした音源が90年に再発された『スマイリー・スマイル』と『グッド・ヴァイブレーションズ・ボックス』に収録されている。）<br /><br />当時、唯一の完成品ともいえるミックスであったが、しばらくするとブライアンはこの完成ヴァージョンをオクラにし、再び「英雄と悪漢」パート2のための断片を思いつくままに記録していく。<br /><br />どんどん迷宮にはまりこんでいくことになります。ブライアン以外のメンバーはこのような状況を知ってか知らずか67年最初のツアーに出かけています。南部/中西部10ヶ所という短期のもので、例によりブルース・ジョンストンがブライアンの代役を務めている。公演１回のギャラは9000ドル、同時の固定レートだと日本円で324万円ですか、大卒の初任給が22000円くらいで現在はその9倍強ですから約3000万円弱だけどレートが変動性になっているので600万円くらいのイメージですか。<br /><br />けっこう稼いでますね。ということはビートルズなんてBB5以上に稼げたでしょうから、簡単にツアーやめてスタジオで実験的なアルバム作りに専念したと書かれていますが、収入的にはかなりの決意がなきゃ出来ない気がします（おそらく一公演１万ドル以上でしょうから）。スタジオ班とライヴ班に別れて活動していたBB5はその意味ではすごく合理的だったんですね。これでブライアンさえまともに働いていれば・・・<br /><br /><br />
 
</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/sugarmountain/entry-11161416661.html</link>  
      <pubDate>Sat, 11 Feb 2012 07:21:41 +0900</pubDate> 
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      <title>ツイストで踊り明かそう</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 <a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=18851255" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">ア・ディファレント・カインド・オブ・トゥルース-デラックス・エディション(初回生産限定盤)(D.../ヴァン・ヘイレン<br /><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51GUk1ZW0cL._SL160_.jpg" border="0" /></a><br /><br />本日、とある量販のCD売り場を覗くと新譜コーナーにはヴァン・ヘイレンのアルバムがいっぱい並んでいました。また新手のベストかと思ったらニュー・アルバムみたいですね。なんでもダイアンモンド・デイヴが出戻って再結成してなんと18年ぶりとなるオリジナル・アルバムなんだとか。お腹の出たメタル・ファンのおっさんが買いにくるんだろうなぁ・・・なんて思いながら棚を眺めていくと、おぉこれは。<br /><br /><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120208/01/sugarmountain/76/b9/j/o0432043211781197714.jpg"><img src="http://stat.ameba.jp/user_images/20120208/01/sugarmountain/76/b9/j/o0432043211781197714.jpg"  alt="$鳥肌音楽 Chicken Skin Music" border="0" /></a><br /><br />なんと、サム・クックの『ツイスティン・ザ・ナイト・アウェイ』やないですか。サム・クックの中でも最も売れたアルバムの一枚なのですが、おりからのツイスト・ブームに便乗したアルバムと軽ろんじられているのか未だCD化がされていなかった一枚。ついにめでたくCDで再発されたということですか。オリジナルは62年発売ですから、なんと発売半世紀にして奇蹟のCD化です。早速買って帰ってプレイヤーに。<br /><br />スウィッチを入れると曲が始まる前に何故か小さくスクラッチ・ノイズの音が・・・。なんやこれ、盤起こしかい。なるほど今まで出ていなかったのはマスター・テープに問題があったのか、まっ聴けるだけでも御の字と思わななぁ。いいねぇこのイントロ、そしてサム・クックのこのスムースなヴォーカル、ん？何か声が違う、盤起の時の回転数がおかしいのか？いや、なんか節回しも微妙に違うし、これサム・クックちゃうやん、パチもんつかまされたぁ～<br /><br />ってことでジャケのアーチスト名をよく見ると”TORTOISE　MATSUMOTO”、トルトイスマツモト？いやトータスマツモト？なんやトータス松本くんやんけ。<br /><br />ということで今日は発売したばかりのトータス松本のニュー・アルバムです。今回のアルバムは2003年に発表したソウル/R&Bのカバー・アルバム『TRAVELLER』の続編で『TRAVELLER2』となるアルバムなのですが、前回はサム・クックを始め、オーティス・レディング、アル・グリーン、マーヴィン・ゲイ、リトル・リチャードなどの「名曲」に焦点を当てたものだったのですが、今回はサム・クックのアルバムまるごと１枚に焦点をあてたものになっています。<br /><br />サム・クックの『ツイスティン・ザ・ナイト・アウェイ』のジャケットです。<br /><br /><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120208/00/sugarmountain/87/91/j/o0600060011781167088.jpg"><img src="http://stat.ameba.jp/user_images/20120208/00/sugarmountain/87/91/j/o0600060011781167088.jpg"  alt="$鳥肌音楽 Chicken Skin Music" border="0" /></a><br /><br />着ている服、ポーズ、髪の毛、表情は勿論タイトルなどの文字の字体、配置すべて完コピされています。ワーナー・ミュージック・ジャパンの略WMJもRCAのロゴに似た字体になっていたり、His　Master　Voiceの蓄音機で主人の声を聞くニッパー犬はノート・パソコンをのぞき込むネコ（主人の動画でも見ているのか？）に置き換えられていたりとなかなか芸の細さを感じます。<br /><br /><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120208/00/sugarmountain/d8/de/j/o0800081111781159870.jpg"><img src="http://stat.ameba.jp/user_images/20120208/00/sugarmountain/d8/de/j/t02200223_0800081111781159870.jpg"  alt="$鳥肌音楽 Chicken Skin Music" border="0" /></a><br /><br />裏ジャケもコピーされているのですが、サム・クックのLPの裏にはソング・ライター・チーム、ヒューゴ＆ルイージによるライナーが掲載されているのに対し、トータス盤では本人によるライナーが掲載されています。<br /><br /><strong>サム・クックのアルバム「ツイストで踊り明かそう」が大好きだ。明るくて、華やかで、聴いているとどんどん楽しくなって、もう何回でも聴きたくなる、そんな素敵なアルバムだ。だけど、そんな超名盤がいまだCD音源化されていない。という事は、聴きたいと思ったらアナログのレコードを手に入れるしかない。しかもそれらはもうおそらくすべて中古品で、値段はたぶんけっこう高い。そして何よりレコードプレイヤーがないと聴けない。なんで、そんなバカな？信じられない！<br /><br />だったらおれがCDにしてやる！<br /><br />なぜなら、サム・クックがいなければ、このアルバムがなければ、今のおれは歌など歌っていないからだ。CD音源化できない理由には、権利だなんだといろいろ事情があるのはわかる。だったら、おれが歌えば問題なかろう。歌唱力が違う？顔が違う？何もかも違う？そんな事はおれが一番わかってる。わかっちゃいるけどやめられない。くらえ！聴きやがれ！トータス松本のライフワーク、「TRAVELLER」の第二弾は、サム・クック「ツイストで踊り明かそう」のアルバム・フルカヴァーだ!!</strong><br /><br />トータス君らしいいいライナーですね。レコード会社が発売できないんだったらおれが代わりに歌ったる、男気を感じてしまいます。トータス君も言っているように歌唱力を比べちゃったら、相手は天下のサム・クックですからね、でも好きで好きでたまらない歌をレコードにし、それが他人に聴いてもらえる喜びを胸に抱き楽しそうに歌っているのを聴くときに歌唱力が云々言うのは野暮なものです。トータス君は歌が下手じゃないのですが、今回アルバムを聴きながら、あれっこんなに上手かったっけ？と思ってしまいました。それはトータス君が書いているようにこのアルバムのサム・クックは<br /><br />＞明るくて、華やかで、聴いているとどんどん楽しくなって、もう何回でも聴きたくなる<br /><br />そんな歌い方をしています。そしてその”明るく、華やかで楽しい”っていう形容はそのままトータス君の音楽にもぴったりくるもので、まさしくど真ん中のカバーと言え、歌ってるうちに天国のサム・クックがトータス君に憑依したのかもしれませんね（笑）。<br /><br />ディープなソウル・ファンの方はどう思われるのか知れませんが、やっぱり歌唱力が違う？顔が違う？何もかも違う？と思われるのか、僕はほんと楽しませてもらいました。快哉！<br /><br />トータス松本の音源はアップされていませんでしたので、本家サム・クック版を。<br /><br /><strong>Sam Cooke -Twisting The Night Away</strong><br /><object width="420" height="315"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/KdhSQVZvLgQ?version=3&amp;hl=ja_JP"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/KdhSQVZvLgQ?version=3&amp;hl=ja_JP" type="application/x-shockwave-flash" width="420" height="315" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true"></embed></object><br /><br /><strong>あそこのお話をしよう<br />ニュー・ヨークのどこかにあるという<br />陽気なやつらが集い<br />ツイストで夜を明かしてる<br /><br />そこは楽しみがいっぱい<br />トラブルもとんでいく<br />老いも若いもなく<br />ツイストで夜を明かしてる<br /><br />ツイスト　ツイスト　ツイストで夜を明かしてる<br />みんな最高の気分<br />ツイスト　ツイスト　ツイストで夜を明かしてる</strong><br /><br />書き忘れていましたが、ジャケやトータス君の歌だけでなくバックの演奏ももちろん完コピ（なんだろうと思います、原盤聞いたこと無いので・・・少なくとも「ツイステイン」「シュガー・ダンピン」は完コピ）です。変にいじらず原盤の魅力をとにかくストレートに伝えたい、その気持ち分かります、変にいじくられてがっかりするカバーが世の中にいっぱいありますから。<br /><br /><br />おまけ<br /><br />ロッド・スチュワートの場合もサム・クックは一番の憧れの人。ステージで歌えるのが楽しくて楽しくてしょうがないのでしょうね。<br /><br /><strong>The Faces - Twistin' The Night Away - Live London '73</strong><br /><object width="420" height="315"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/aO6HjH1X8h0?version=3&amp;hl=ja_JP"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/aO6HjH1X8h0?version=3&amp;hl=ja_JP" type="application/x-shockwave-flash" width="420" height="315" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true"></embed></object><br /><br />確かこの歌行く前にロッドが”次は、「メンフィス」がいい「ツイスティン」がいい？”と観客に聞いて後で結局「ツィスティン」を歌い始めます。当時中学生で何のこっちゃだったんですが、今はどっちもいいけどやっぱ「ツィスティン」かなと思います。僕も少し成長したかな（笑）。<br /><br /><br /><br /><br /><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=18851254" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">TWISTIN’ THE NIGHT AWAY/トータス松本<br /><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51MGUBtwXEL._SL160_.jpg" border="0" /></a>　￥2,000　Amazon.co.jp<br /><br /><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=18852532" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">グレイテスト・ヒッツ/サム・クック<br /><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/41D1SQWK34L._SL160_.jpg" border="0" /></a>　￥2,548　Amazon.co.jp<br /><br />
 
</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/sugarmountain/entry-11158540732.html</link>  
      <pubDate>Wed, 08 Feb 2012 00:15:41 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>河原の石川五右衛門by簪（かんざし）</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 少し前に入手したものの放置状態であった『Bad　Friends』という阿久悠さんのトリビュート・アルバムを、聴くモノがないのでこれでも聴くかとプレイヤーに。1曲目は土屋アンナと夏木マリの「UFO」、2曲目は渡り廊下走り隊（拙ブログの読者の方だと、もしかして知らない方もいらっしゃるかもしれませんが、AKB48のメンバーによる別ユニットです）による「渚のシンドバッド」、3曲目はチェキッ娘（おぉ、まだいたのかチェキッ娘と思うたらCDの出た2009年にたまたま再結成してたみたいですね）による「サウスポー」・・・・<br /><br />あれ、これって阿久悠トリビュート言うてもピンク・レディーの曲ばっかやんけ。とブックレットの曲目を眺めるとラスト12曲目に「河原の石川五右衛門」の文字が。”えっ、何やて、嘘っ！「河原の石川五右衛門」ってあの「河原の石川五右衛門」だよな”と歌詞が書かれたページを見ると歌手名は簪で「謎のBad Friends。大瀧詠一氏による「渚のシンドバッド」の替え歌。特別収録」と簡単なコメントが、やはり大瀧師匠の「河原の石川五右衛門」でした。っていうかそれ以外ありえないですよね。<br /><br />ところで歌手の<font size="4">「簪」</font>って誰？というかそもそも漢字が読めない(-_-;)。IMEパッドで調べると「かんざし」と読むんですね。で簪って誰と調べるとどうやら渡り廊下走り隊の変名というか、この曲を歌うためにつけた別名のようです。<br /><br />探したらYOUTUBEにプロモ・ビデオがアップされていたのですが、こちらは本家未唯mieまでが登場するスペシャル・バージョン、ある意味豪華。<br /><br /><strong>河原の石川五右衛門／簪</strong><br /><object width="560" height="315"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/my2U6f7UKU4?version=3&amp;hl=ja_JP"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/my2U6f7UKU4?version=3&amp;hl=ja_JP" type="application/x-shockwave-flash" width="390" height="220" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true"></embed></object><br /><br />頭に出てくる五右衛門風の扮装をしたひげ面の井上鑑さんがどことなく若かりし日の師匠を思わせたり、遊郭（？）にかかった垂れ幕に「瀧」の文字があったりとけっこう遊び心のあるプロモです。<br /><br />この曲のパーソネルもブックレットにあるのですが、それはこんな面々でした。<br /><br /><strong>簪（Vo）<br />井上鑑（Arrange&Key)<br />岡沢章（B）<br />今剛（Gu）<br />三沢またろう（Per）<br />吉田兄弟（津軽三味線）<br />伊集加代子、山田洋子（Cho）</strong><br /><br />岡沢さんってどうだったか記憶が定かではありませんが、大瀧組の常連というかレギュラーの井上鑑さんや伊集さんを使っていたりとこの曲を仕掛けた人、絶対ナイアガラーですね。<br /><br />実はこの曲だけ阿久悠作詞じゃないということもあるにはあるのですが、わざわざブックレットの1頁を使って曲の解説が書かれています。<br /><br />文責は山崎一稔という人で肩書きは阿久悠プロジェクト・プロデューサー。<br /><br />しょっぱなから<br /><strong>このタイトルを見てピンときた方は、間違いなく「ナイアガラ・フリーク」ですね。</strong><br />ですからね。中略。<br /><br /><strong>「サウスポー」の発売は1978年3月25日ですが、何と！その1ｹ月前の2月に大瀧氏は、この曲をレコーディングしています。今回、アレンジャーで参加していただいた井上鑑氏は当時、大瀧氏のレコーディング・メンバーとして活動を始めていました。そしてピンク・レディーのオリジナル曲のレコーディング・ミュージシャンでもあった為、ピンク・レディーと同じメンバーでベーシック・トラックを作るという奇跡が起きた訳です。</strong><br /><br />鑑さん、ピンク・レディーのバックでキーボード弾いていたんですね。知りませんでした。<br /><br />福生スタジオ最後の録音といわれる「河原の石川五右衛門」ですが、結局はお蔵入りとなってしまいます。<br /><br /><strong>しかし、阿久悠氏側からの「替え歌は認められない」という意向により発表を断念。同年11月25日、ナイアガラ・レーベルより『Let's　Ondo　Again』を発売しましたが、「河原の石川五右衛門」は歌詞のみの発表となりました。3年後の1981年、阿久悠氏側から許可がおりたため、アルバム『Niagara　Fall　Stars』に「河原の石川五右衛門」を収録して発表することができました。</strong><br /><br />ピンク・レディーの楽曲なんて冗談の分かる人じゃないと作れないでしょうが、さすがにピンク・レディーの絶頂期にオシャマンベ・キャットで「河原の石川五右衛門」っていうのは阿久さん的にも「勘弁してよ」ということだったんじゃないでしょうか。そして一転発売を許可したのは『Niagara　Fall　Stars』の発売は81年の4月、ピンク・レディは前月に解散していましたから、いままで厳しいこと言って御免ねといったところだったんじゃないでしょうか。それと78年の時点では歌謡界の売れっ子作家阿久悠からすると”大瀧詠一、誰それ？”だったかもしれないですもんね。<br /><br />こうして晴れてオシャマンベ・キャットの「河原の石川五右衛門」は日の目を見ることとなります。（現在はめでたく『Let's　Ondo　Again』のCDに収録されています。）<br /><br /><strong>河原の石川五右衛門／オシャマンベ・キャッツ</strong><br /><object width="420" height="315"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/XiMbfHlPg24?version=3&amp;hl=ja_JP"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/XiMbfHlPg24?version=3&amp;hl=ja_JP" type="application/x-shockwave-flash" width="280" height="220" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true"></embed></object><br /><br />この後、85年にCM絡みで大瀧師匠に小林旭の楽曲依頼が来た際に、師匠自ら”作詞は阿久さんで”というリクエストをします。山崎プロデューサーはこのリクエストを阿久悠が「河原の石川五右衛門」が世に出るのを許してくれた阿久さんへの恩返しでは無かったかと推測しています。阿久悠の熱き心ならぬ広き心と大瀧師匠の先輩への尊敬の念があってスタンダード「熱き心に」が生まれた。ええ話やなぁ・・・・。<br /><br /><strong>小林旭/熱き心に</strong><br /><object width="560" height="315"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/VnSU9kYLqMs?version=3&amp;hl=ja_JP"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/VnSU9kYLqMs?version=3&amp;hl=ja_JP" type="application/x-shockwave-flash" width="390" height="220" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true"></embed></object><br /><br />最近も車のCMで「天然色」が使われたりして、よく”なんで大瀧詠一の曲はCMによく使われるの”みたいなクエスチョンがあり、その答えとして業界内に大瀧師匠のシンパが多いからだみたいな答えがされることがありますが。今回の山崎プロデューサーなんかも絶対ナイアガラーの一人じゃないかと思われます。表向きは阿久悠のトリビュートという形をとってはいますが、おそらくは「河原の石川五右衛門」をあらためて世に出したかったんじゃないかと思います。ポニー・キャニオン発売のコンピなのにポニー絡みの阿久作品ではなくライバル、ビクター音産のピンクレディーの楽曲のみで構成したのも、ピンク以外の曲で構成されたトリビュートであれば「河原の石川五右衛門」を引きずりだす言い訳がなりたたなくなるからでしょう。<br /><br />このようにナイアガラーはフリー・メイソンのように音楽業界をはじめ出版業界や広告業界、はては思想界（内田のおっさん）にまで入り込み、ことあるごとに師匠の歌を持ち出し、印税生活を支えているのです（笑）。<br /><br /><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=18818029" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">Bad Friends~阿久悠トリビュート~/オムニバス<br /><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51Q%2BrCiwd4L._SL160_.jpg" border="0" /></a><br /><br /><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=18818028" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">LET’S ONDO AGAIN 20th Anniversary Edition/ナイアガラ・フォーリン・スターズ<br /><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120205/20/sugarmountain/3c/53/j/o0300030011776724067.jpg"><img src="http://stat.ameba.jp/user_images/20120205/20/sugarmountain/3c/53/j/t02200220_0300030011776724067.jpg"  alt="$鳥肌音楽 Chicken Skin Music" border="0" /></a><br /><br /><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=18818027" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">小林旭 ゴールデン☆ベスト/小林旭<br /><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/21C5S9JHHML._SL160_.jpg" border="0" /></a><br /><br /><br /><br />
 
</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/sugarmountain/entry-11156153399.html</link>  
      <pubDate>Mon, 06 Feb 2012 07:50:55 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>アンジェラ・アキのSONG　BOOK</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 毎週番組前に書こう書こうと思いつつ、いつも書けずじまいで早一ヶ月ほど経ってしまいましたが、今日こそは書きます（本当は昨日の夜までに書くべきだったんですけどね）。<br /><br />ここんとこ毎週楽しみにしているTV番組は、ドラマでは小泉今日子、中井貴一の「最後から二番目の恋」、そして今回紹介のNHK教育じゃなかったEテレでやっている「アンジェラ・アキのSONG　BOOK」ってやつ、「カーネション」はどうしたかって、アレは毎週じゃなくて毎日ですからね。先週から登場の次女直子（=コシノジュンコ）役の川崎亜沙美が強烈なキャラで尾野真千子のがらっぱちな糸ちゃんとのこれからの絡みが楽しみです。しかし役者兼プロレスラーって本自体がすごいキャラでんな。あと麻生祐未はますます可愛いおばぁちゃんに。<br /><br />閑話休題。「アンジェラ・アキのSONG BOOK」でした。この番組はアンジェラ・アキが講師となりポップスの名曲の歌詞の意味を相談役の清泉女子大学の教授でNHKの英語番組ではお馴染みの大杉正明さんやJ-WAVEのDJでお馴染みのクリス・ペプラーをMCに紐解いていくというもの。既に5回分の放送が終了しており、今までにビリー・ジョエルの「オネスティ」、ジャニス・イアンの「ウィル・ユー・ダンス」が紹介（2週で1曲を紹介）されてきましたが昨日の第5回目はボズ・スキャッグスのこれまた名曲中の名曲「ウィー・アー・オール・アローン」が取り上げられていました。<br /><br /><strong>We're All Alone - Boz Scaggs</strong><br /><object width="420" height="315"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/aUAVososCjA?version=3&amp;hl=ja_JP"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/aUAVososCjA?version=3&amp;hl=ja_JP" type="application/x-shockwave-flash" width="280" height="220" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true"></embed></object><br /><br /><strong>外では雨が降り出して止まないかも知れない<br />だからもう泣かないで、夢が僕らを岸辺から海へ<br />連れていってくれる<br />永遠に、ずっと永遠に<br /><br />目を閉じてごらん、そうすれば僕と一緒にいられるよ<br />波の下をくぐり、僕らが知っている洞窟を通り抜け<br />長い間忘れられていた<br />僕らは二人だけ、二人だけの世界さ<br /><br />窓を閉めて灯りを落として<br />それで大丈夫<br />もうくよくよしなくていいよ<br />リラックスして、身を任せてはじめよう<br />その気になるようにやってみて</strong>　訳詞：大杉正明<br /><br />今回の放送では冒頭で「We　Are　All　Alone」というタイトルについて”僕たちはみんな一人ぽっち”とも”僕たち二人だけ”というどちらの意味にも解釈が可能であるのだが、一体どちらなのかみんなに考えて欲しいというテーマがだされていました。<br /><br />この番組1週目は歌詞の対訳、歌手のプロフィール紹介が中心で、２週目に残りの歌詞の対訳、そして聴講生の大学生達により原詞からイメージを膨らませた日本語の歌詞の発表というスタイルを取っています。当然タイトルを”一人ぽっち”とするか”二人ぽっち”（変な日本語ですが）により日本語の意訳も大きく変わってくることになります。<br /><br />ボズのこの曲が日本でも大ヒットした時代をご存知の方であればこのタイトルの解釈という問題は昔からあったよなと思い出されているんじゃないでしょうか。というのはこの曲が収録されたアルバム『シルク・ディグリーズ』が76年に国内発売された時の邦題は「二人だけ」でした。ところが翌77年リタ・クーリッジがアルバム『エニー・タイム・エニー・ホエア』にカバーを収録するのですが、その国内盤での邦題は「みんな一人ぼっち」となっていました。えっ何で？これって全然意味が違うやん、って皆さん思いませんでした、思いましたよね。<br /><br /><strong>We're All Alone - Rita Coolidge</strong><br /><object width="420" height="315"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/s85t8_50EGY?version=3&amp;hl=ja_JP"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/s85t8_50EGY?version=3&amp;hl=ja_JP" type="application/x-shockwave-flash" width="280" height="220" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true"></embed></object><br /><br />確かに、リタのバージョンはどこか憂いがあるというか寂しげですよね、やはりタイトルの解釈の違いが歌い方にもでるもんなんですね。って、勝手に解釈変えてるのはA&M、当時は配給元はキング・レコードか、のディレクターですから、リタの歌は無関係。冗談はこれくらいにして。<br /><br />ウィキでは「みんな一人ぼっち」という解釈は文法的に間違っていると書かれていますが、番組ではどちらの解釈もあり、大杉さんに至っては男の方がゴーストとなって生き残った恋人と一緒にという両方を折衷したような珍解釈までしてしまうという始末（本気なの？）、さてどっちが正しいのでしょうね。<br /><br /><strong>アンジェラ・アキ　/ ウィー・アー・オール・アローン</strong><br /><object width="420" height="315"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/jG5e42WXUcI?version=3&amp;hl=ja_JP"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/jG5e42WXUcI?version=3&amp;hl=ja_JP" type="application/x-shockwave-flash" width="280" height="220" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true"></embed></object><br /><br /><strong>人間はみな一人だから<br />境のない自由な世界をめざす<br />二人で行けば<br />届くよ</strong><br /><br /><br />アンジェラ・アキはこの番組の以前からこの歌を日本語に訳して歌っており2005年のインディーズからの『ONE』に収録、SONYに移籍後の『ANSWER』でも再度カバーをしています。よほど好きな歌なのでしょうが、日本語訳は「みんな一人ぼっち」という解釈で意訳というよりは新たに作詞しているという感じになっています。彼女の場合洋楽を日本語で歌う場合、バイリンガルであるにも関わらず、原詞に必ずしも忠実なのを良しとしていないようです。<br /><br /><a href="http://www.nhk.or.jp/songbook/" target="_blank">アンジェラ・アキのSONG　BOOKは毎土曜11：00からNHKのEテレで放送されています。</a><br />今後、取り上げられる曲はマドンナ「マテリアル・ガール」、シンディ・ローパー「トゥルー・カラー」、バッドフィンガー「ウィズアウト・ユー」です。興味のある方は、ぜひ。<br /><br /><br /><br /><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=18815080" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">Silk Degrees (Exp)/Boz Scaggs<br /><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=18815079" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">Anytime Anywhere & Love Me Again/Rita Coolidge<br /><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/41jckj18nxL._SL160_.jpg" border="0" /></a>-<img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51kQsC5b0TL._SL160_.jpg" border="0" /></a><br /><br /><br /><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=18815078" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">ONE/アンジェラ・アキ<br /><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=18815077" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">ANSWER<通常盤＞/アンジェラ・アキ<br /><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=18815076" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">SONGBOOK/アンジェラ・アキ<br /><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51PHYYFDCGL._SL160_.jpg" border="0" /></a>-<img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51VjwbMYx2L._SL160_.jpg" border="0" /></a>-<img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51oxInmIxsL._SL160_.jpg" border="0" /></a><br /><br />
 
</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/sugarmountain/entry-11156104025.html</link>  
      <pubDate>Sun, 05 Feb 2012 15:13:41 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>お願い郵便屋さんルージュの伝言届けてね</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 <a href="http://ameblo.jp/bsrs/entry-11150927931.html" target="_blank">一昨日Kazukunさんのブログでビーチ・ボーイズの『スタック・Ｏ（オー）・トラックス』の紹介記事を読ませていただきました。</a><br /><br /><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=18799653" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">Stack O Tracks/Beach Boys<br /><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/31A3B1SCJTL._SL160_.jpg" border="0" /></a>- <object width="420" height="315"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/fbr6MVO8IIw?version=3&amp;hl=ja_JP"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/fbr6MVO8IIw?version=3&amp;hl=ja_JP" type="application/x-shockwave-flash" width="160" height="120" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true"></embed></object><br /><br />BB5のファンであればご存知かと思いますが、このアルバムはビーチ・ボーイズの代表曲からボーカル・トラックをマイナスした、今で言うところの（オリジナル）カラオケが収録されています。おそらくオリジナル・カラオケだけを収録したアルバムはこのアルバムが世界で初めてだったと思われます。ただし積極的に、というか創造的な作品として発表したかと言えば、Kazukunさんも書いてらっしゃるようにキャピトルとの契約枚数をクリアするために苦肉の策として発表したというのが本音かと思います。そんな作品ですから当たり前なのですが、BB5のアルバムとしては初めてチャート・インすらしないまま忘れ去られてしまいます。ブライアンがLAの腕利きミュージシャンを贅沢に使って作り上げた最上のサウンドが聴けるというような評価は今だからできますが、当時の人たちから見ればただの手抜きとしか思えなかったでしょうからね。<br /><br />と、前振りはこのくらいにして。オリジナル・カラオケといえばカーペンターズにもあったなぁと記事を読みながら思い出していました。<br /><br /><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120204/13/sugarmountain/5a/8f/j/o0300030011773730004.jpg"><img src="http://stat.ameba.jp/user_images/20120204/13/sugarmountain/5a/8f/j/t02200220_0300030011773730004.jpg"  alt="$鳥肌音楽 Chicken Skin Music" border="0" /></a><br /><br />92年に発売された日本編集の2枚組のベスト・アルバムがあります。ジャケットはディスカウント・ショップで売っているようなパチもんくさいものなのですが内容はグッドで、1枚目が代表曲15曲の入った通常のベスト盤で、2枚目はその15曲からカレンのボーカル・トラックをマイナスした（コーラスは収録）オリジナル・カラオケが収録されていました。カラオケの先進国日本だから出来た企画なのですが、日本からのオファーにわざわざリチャードがマスター・テープをリミックスしてカラオケを作り上げたとのことで、いかにリチャードが日本のファンを大切に思っているかが伺えるエピソードです。<br /><br />さて、そのカラオケ・アルバムを車で聴いていたのですが、前回の「怪僧ラスプーチン」同様にあれっこの曲どっかで聴いたことあるなぁ・・・、というネタで今日もいかしてもらいます。<br /><br />その曲というのは74年11月に発売され翌年１月に見事に全米1位を獲得したマーヴェレッツのカバー「プリーズ・ミスター・ポストマン」です。<br /><br /><strong>Carpenters　/ Please Mr.Postman(KARAOKE)</strong>__________<strong>The Marvelette / Please Mr.Postman</strong><br /><object width="420" height="315"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/DUvo13Hv24s?version=3&amp;hl=ja_JP"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/DUvo13Hv24s?version=3&amp;hl=ja_JP" type="application/x-shockwave-flash" width="280" height="220" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true"></embed></object>__<object width="420" height="315"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/_dVt11UZ0uA?version=3&amp;hl=ja_JP"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/_dVt11UZ0uA?version=3&amp;hl=ja_JP" type="application/x-shockwave-flash" width="280" height="220" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true"></embed></object><br /><br />パーソネルはカレン・カーペンター（dr＆Vo）、ジョー・オズボーン（B）、リチャード・カーペンター（Key＆Vo）、トニー・ベルーソ（G）。カラオケで聴くとリチャードの弾くキーボードが何ともチープに思えてしまうのですが、ここにカレンのボーカルが加わるとそんなことに気づかされないのがアレンジの妙というものでしょうね。<br /><br />この簡単なコードが繰り返される単純なR&R的なオケを聴いて思い出したのが75年2月に発売されたユーミンの「ルージュの伝言」でした。<br /><br /><strong>荒井由美　/　ルージュの伝言</strong><br /><object width="560" height="315"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/bOPL2gGy2FY?version=3&amp;hl=ja_JP"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/bOPL2gGy2FY?version=3&amp;hl=ja_JP" type="application/x-shockwave-flash" width="390" height="220" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true"></embed></object><br /><br />以前この曲について書いたときティン・パン・アレーの演奏と書いてしまったのですが、間違いで正しいパーソネルは平野融（B）、大野久雄（G）、平野肇（Dr）、吉原真紀子（Key）、山下達郎、大貫妙子、吉田美奈子、伊集加代子（Chor）とのことです。達郎の声がよく聞こえますね。<br /><br />勿論「ルージュの伝言」が直截的にインスパイアされているのはキャロル・キングの「ワン・ファイン・デイ」あたりだと思うのですが、それもオリジナルのシフォンズではなく、73年のアルバム『ナウ＆ゼン』に収録されていたやはりカーペンターズのカバーに影響されているのではないかと思います。<br /><br /><strong>Chiffons / One Fine Day</strong>＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿<strong>Carpenters　/ One Fine Day</strong><br /><object width="420" height="315"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/iP8Z_J5Cpmw?version=3&amp;hl=ja_JP"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/iP8Z_J5Cpmw?version=3&amp;hl=ja_JP" type="application/x-shockwave-flash" width="280" height="220" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true"></embed></object>__<object width="420" height="315"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/KK-subj2ZpE?version=3&amp;hl=ja_JP"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/KK-subj2ZpE?version=3&amp;hl=ja_JP" type="application/x-shockwave-flash" width="280" height="220" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true"></embed></object><br /><br />ところで「プリーズ・ミスター・ポストマン」といえばビートルズがカバーしたことで有名です。僕も最初はビートルズで曲を知りました。<br /><br /><strong>The Beatles / Please Mr.Postman</strong><br /><object width="560" height="315"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/Pj4i-fOzLyI?version=3&amp;hl=ja_JP"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/Pj4i-fOzLyI?version=3&amp;hl=ja_JP" type="application/x-shockwave-flash" width="390" height="220" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true"></embed></object><br /><br />「プリーズ・ミスター・ポストマン」は英米ではアルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』の中の１曲に過ぎないのですが日本では「マネー」をB面に独自のシングルがカットされヒットしています。そしてそのシングルを聴いていつかビートルズのようなバンドをやりたいと思ったのが、広島の中学生、矢沢永吉でした。今回ウィキでこの矢沢のエピソードを読んで納得いったというか、ユーミンがカーペンターズの「プリーズ・ミスター・ポストマン」を聴いて「ルージュの伝言」を書いたというのもあながち外れじゃないかもなぁと思ったことがあります。<br /><br />それはCDの出始めの頃に発売された荒井由実時代のユーミンのベスト盤『ユーミン・シングルス1972-1976』のライナーで「ルージュの伝言」の曲紹介として”当時人気絶頂のロッカーであった矢沢永吉をモデルに作られたと言われる、軽いリズムで、気持ち良いほどにポップな曲”と書かれていたくだりで、なんでユーミンが矢沢をモデルに曲を？という疑問がずっとありました（検索してみると結構周知のことみたいですね、恥）。どうやらユーミンは矢沢のファンだったということらしいのですが、矢沢永吉→ビートルズ「プリーズ・ミスター・ポストマン」→カーペンターズ「プリーズ・ミズター・ポストマン」→荒井由実「ルージュの伝言」なんていう数珠つなぎができたというわけです、深読みしすぎという気分もありますが（笑）。<br /><br /><strong>Please Mr Postman- The Carpenters (1975)</strong><br /><object width="420" height="315"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/AHfddvbKb4w?version=3&amp;hl=ja_JP"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/AHfddvbKb4w?version=3&amp;hl=ja_JP" type="application/x-shockwave-flash" width="420" height="315" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true"></embed></object><br /><br /><br /><br /><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=18802432" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">青春の輝き~ベスト・オブ・カーペンターズ<10周年記念エディション＞/カーペンターズ<br /><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/41MYCYJAHZL._SL160_.jpg" border="0" /></a>￥3,000　Amazon.co.jp<br /><br /><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=18802431" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">COBALT HOUR/荒井由実<br /><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/41M761MZW9L._SL160_.jpg" border="0" /></a>￥2,500　Amazon.co.jp<br /><br /><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=18802430" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" 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</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/sugarmountain/entry-11154768737.html</link>  
      <pubDate>Sat, 04 Feb 2012 07:27:42 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item>
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      <description><![CDATA[<table cellspacing="0" cellpadding="0"><tbody><tr><td align="left" valign="center"><a href="http://rss.rssad.jp/rss/ad/GepbVDEBYC3y/JUx0FoUuJSiS?type=2" target="_blank"><img alt="" style="border: 0;" border="0" src="http://rss.rssad.jp/rss/img/GepbVDEBYC3y/JUx0FoUuJSiS?type=3&ent=c8a37f82554035adb273be50a189b385"/></a></td></tr><tr><td align="left" valign="top" > ＳｃａｎＳｎａｐを購入してＥｖｅｒｎｏｔｅプレミアムを手に入れよう！詳しくは≫ </td></tr></tbody></table><div style="font-size:10px;"><span style="padding-top:5px;"><br style="display:none"/><a href="http://www.rssad.jp/trendmatch/trendmatch.html">Ads by Trend Match</a></span><br/></div>]]></description>
      <pubDate>Sat, 04 Feb 2012 07:27:42 +0900</pubDate>
    </item>
    <item> 
      <title>ねぇねぇねぇ　そういうことだったのね</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 今日は朝起きると外は一面の雪化粧。年に1，2回こういうことがあるのですが、雪国生まれの僕にとってはなんとなく懐かしい風景です。まぁ田舎はもっとすごい雪でしたけどね。<br /><br />なんて、余裕こいて雪景色を眺めていましたが、考えたら今日は仕事で津山にいかなきゃいけないことに気づきました。それもどノーマル・タイヤの営業車で、大丈夫か？<br /><br />行きの高速は問題無かったのですが、インター降りると津山は吹雪状態。仕事終えて高速に乗ろうと思ったら冬用タイヤ規制ということで、中国道に入れてもらえずしようがないので下道で岡山まで行って山陽道で帰ることに。時間はかかりますが事故するよりはマシ。持ち込んだCDも聴いてしまったのでFMを聴くことに。久々に矢口清治さんのミュージック・プラザを最初から最後まで聴いてしまいました。番組の冒頭にボニーMの「怪僧ラスプーチン」が流れたのですが、アレこの曲初めて聴くはずなのにどこかで聴いたことが・・・<br /><br /><strong>Boney M - Rasputin</strong><br /><object width="420" height="315"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/kvDMlk3kSYg?version=3&amp;hl=ja_JP"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/kvDMlk3kSYg?version=3&amp;hl=ja_JP" type="application/x-shockwave-flash" width="420" height="315" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true"></embed></object><br /><br />歌メロはまったく違うんですけど、バックのストリングスか奏でるメロディに確かに聞き覚えが。そうです<a href="http://ameblo.jp/sugarmountain/entry-11110055914.html" target="_blank">、年末に記事にした小泉今日子の「私の16才」というか森まどかの「ねぇ　ねぇ　ねぇ」にそっくりなのです。<br /></a><br />ネットで検索するとやはりボニーMと小泉の曲の類似性というか「パクり」だと指摘するブログがけっこうあるみたいですね。割と有名なことみたいですが、僕はボニーM全然聴いたこと無かったので今までまったく気づいていませんでした。ボニーMの「怪僧ラスプーチン」がヒットしたのが78年、森まどかのシングルが79年、確かにパクりというか引用しているんでしょうね。作曲のたきのえいじさんは演歌系の人なのでアレンジャーの神保正明さんの仕業かな。森や小泉を聴いているからボニーMのストリングスが耳に残るのですが、まっさらの状態であのストリングスに目をつけるのはなかなかのものだと思います。<br /><br />森まどか/ねぇねぇねぇ__________________________________小泉今日子/私の16才<br /><object width="420" height="315"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/0CnVzb4yg7Y?version=3&amp;hl=ja_JP"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/0CnVzb4yg7Y?version=3&amp;hl=ja_JP" type="application/x-shockwave-flash" width="280" height="220" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true"></embed></object>-<object width="420" height="315"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/euL-l-iqFyc?version=3&amp;hl=ja_JP"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/euL-l-iqFyc?version=3&amp;hl=ja_JP" type="application/x-shockwave-flash" width="280" height="220" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true"></embed></object><br /><br />まぁ、それがプロというものなのでしょうね。
 
</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/sugarmountain/entry-11153349168.html</link>  
      <pubDate>Thu, 02 Feb 2012 19:21:58 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item>
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      <description><![CDATA[<table cellspacing="0" cellpadding="0"><tbody><tr><td align="left" valign="center"><a href="http://rss.rssad.jp/rss/ad/GepbVDEBYC3y/BSdK2Fcy8cC1?type=2" target="_blank"><img alt="" style="border: 0;" border="0" src="http://rss.rssad.jp/rss/img/GepbVDEBYC3y/BSdK2Fcy8cC1?type=3&ent=cef23e325277fc19fc5877354c556fc2"/></a></td></tr><tr><td align="left" valign="top" > 最新求人が続々更新≪火・金2回更新≫様々な職種・条件で検索可能。今すぐ検索⇒ </td></tr></tbody></table><div style="font-size:10px;"><span style="padding-top:5px;"><br style="display:none"/><a href="http://www.rssad.jp/trendmatch/trendmatch.html">Ads by Trend Match</a></span><br/></div>]]></description>
      <pubDate>Thu, 02 Feb 2012 19:21:58 +0900</pubDate>
    </item>
    <item> 
      <title>1967年1月31日（火）のスマイル</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 <strong>1967年1月31日（火）　スマイル・セッション52　英雄と悪漢・セッション15<br />ウェスタン・レコーダーズ・スタジオ3st　、カリフォルニア州ハリウッド　</strong><br /><br />メンバー全員参加による「英雄と悪漢」の更なるヴォーカル・セッション。いつまでやるの。<br /><br />と、本日はこれまで、で終わるのもなんなんでおまけにこの曲を「ビーチ・ボーイズ・メドレー(バラード編）」、BB5ファン特にブライアン・ファンの方に至福の9分半を。<br /><br /><strong>beach boys medley ballad version</strong><br /><object width="420" height="315"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/1awL4j2eDM0?version=3&amp;hl=ja_JP"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/1awL4j2eDM0?version=3&amp;hl=ja_JP" type="application/x-shockwave-flash" width="280" height="220" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true"></embed></object><br /><br />1981年オランダのスタジオ・ミュージシャンによる覆面バンド=スターズ・オンが発表したビートルズ・メドレー「スターズ・オン45」が世界中のチャートで１位を獲得する大ヒットとなり、その後二匹目のドジョウを狙ってメドレーもののシングルが続々と登場します。EMIも自分とこの看板アーチストの曲でよそ様にばかり儲けられてたまるかと思ったのか、ちょっとひねりを加えた「ビートルズ・ムーヴィー・メドレー」なんていうのを出していたのをご記憶の方もいらっしゃるかと思います。<br /><br /><strong>Stars On 45_______________________________________The Beatles' Movie Medley</strong><br /><object width="420" height="315"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/ZOuZmEKmtWQ?version=3&amp;hl=ja_JP"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/ZOuZmEKmtWQ?version=3&amp;hl=ja_JP" type="application/x-shockwave-flash" width="280" height="220" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true"></embed></object>- <object width="420" height="315"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/EDD0ixhXA5c?version=3&amp;hl=ja_JP"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/EDD0ixhXA5c?version=3&amp;hl=ja_JP" type="application/x-shockwave-flash" width="280" height="220" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true"></embed></object><br /><br />そんな便乗ものの一つとして発売されたのが「ビーチ・ボーイズ・メドレー」でした。トホホ。ただシングル盤で発売されたメドレーはアップ・テンポのサーフィン/ホット・ロッドの曲を編集したヴァージョンで上にアップしたバラード編はシングル発売後に出た12インチのシングルのB面に収録されていたものです。ちなみに本来のシングルのB面には「神のみぞ知る」がカップリングされていました。そんなトホホな企画モノだったのですが76年の「ロックン・ロール・ミュージック」以来久々のTOP20ヒット（最高位12位）となっているのが更にトホホという気持ちです。<br /><br />アップ・テンポのメドレーを歌っている動画があったので（ディック・クラークのアメリカン・バンド・スタンドみたいですね）アップしておきます。完全な口パクなのですが、もっとちゃんと叩いていてるフリをしろよなデニスはん（笑）。<br /><br /><strong>Beach Boys Medley</strong><br /><object width="420" height="315"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/CbX3rKMHYy4?version=3&amp;hl=ja_JP"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/CbX3rKMHYy4?version=3&amp;hl=ja_JP" type="application/x-shockwave-flash" width="420" height="315" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true"></embed></object><br /><br />メドレーのヒットで欲が出たのかキャピトルはメドレーを収録した『終わりなき夏』『スピリット・オブ・アメリカ』に続くベスト・アルバムの第三弾『サンシャイン・ドリーム』を82年に発売します。<br /><br /><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120202/01/sugarmountain/6d/be/j/o0200020011769081026.jpg"><img src="http://stat.ameba.jp/user_images/20120202/01/sugarmountain/6d/be/j/t02000200_0200020011769081026.jpg"  alt="$鳥肌音楽 Chicken Skin Music" border="0" /></a><br /><br />『スマイリー・スマイル』を踏襲したような『終わりなき夏』やミッキーマウスがど真ん中にいて『スピリット・オブ・アメリカ』というなるほどなジャケの前作2枚のジャケは何とか許すとしても一体全体なんなんでしょうねこのジャケは。これじゃぁ売れるわけはなく180位という完全な失敗に終わっています。選曲も『ペット・サウンズ』以降の曲がほとんどで当時はBB5の落ち目の時代の曲の寄せ集めという見方をされたでしょうからね、無理もない気がいたします。でも今だったら結構面白い選曲じゃないかと思ってしまうのは、それだけ評価軸が変わってしまったということでしょうね。CD化してくんないかな（笑）。<br /><br /><strong>Sunshine Dream　Track　Listing</strong><br />"I Can Hear Music" (Jeff Barry/Ellie Greenwich/Phil Spector) – 2:36<br />"Here Today" (Brian Wilson/Tony Asher) – 2:52<br />"Darlin'" – 2:12<br />"Caroline, No" (Brian Wilson/Tony Asher) – 2:52<br />"Aren't You Glad" – 2:16<br />"Good Vibrations" – 3:36<br />"Wouldn't It Be Nice" (Brian Wilson/Tony Asher/Mike Love) – 2:22<br />"Friends" (Brian Wilson/Carl Wilson/Dennis Wilson/Al Jardine) – 2:30<br />"God Only Knows" (Brian Wilson/Tony Asher) – 2:49<br />"Vegetables" (Brian Wilson/Van Dyke Parks) – 2:07<br />"How She Boogalooed It" (Mike Love/Bruce Johnston/Al Jardine/Carl Wilson) – 1:56<br />"There's No Other (Like You Baby)" (Phil Spector/Leroy Bates) – 3:05<br />"Heroes and Villains" (Brian Wilson/Van Dyke Parks) – 3:37<br />"All I Want To Do" (Dennis Wilson/Steve Kalinich) – 2:02<br />"Wild Honey" – 2:37<br />"I'm Waiting for the Day" – 3:03<br />"Cottonfields" (Huddie Ledbetter) – 3:02<br />"Then I Kissed Her" (Phil Spector/Ellie Greenwich/Jeff Barry) – 2:15<br />"Sloop John B" (Trad. arr. by Brian Wilson) – 2:56<br />"Be Here in the Morning" (Brian Wilson/Carl Wilson/Mike Love/Dennis Wilson/Al Jardine) – 2:16<br />"Bluebirds Over the Mountain" (Ersel Hickey) – 2:51<br />"Keep an Eye on Summer" (Brian Wilson/Bob Norman) – 2:21<br />"Do It Again" – 2:25<br />"The Beach Boys Medley" - 6:44<br /><br />おまけのおまけ。<br />こんなんもありましたね。イギリス人て本当にBB5のこと愛していますね。<br /><br /><strong>Gidea Park - Beach Boy Gold [totp2]</strong><br /><object width="420" height="315"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/RjsfeBHDhKY?version=3&amp;hl=ja_JP"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/RjsfeBHDhKY?version=3&amp;hl=ja_JP" type="application/x-shockwave-flash" width="420" height="315" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true"></embed></object><br /><br /><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=18768427" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">Endless Summer/Beach Boys<br /><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51ENH2DV8TL._SL160_.jpg" border="0" /></a><br />￥689　Amazon.co.jp<br /><br /><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=18768426" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">Spirit of America/Beach Boys<br /><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51E53Cjh8SL._SL160_.jpg" border="0" /></a><br />￥1,312　Amazon.co.jp<br /><br />
 
</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/sugarmountain/entry-11152759348.html</link>  
      <pubDate>Tue, 31 Jan 2012 00:44:48 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>「My Favorite Artists　A　to Z」　＃9　「I」の巻</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 <font color="#FF0000">最後まで書き上げる前にアップしてしまっていたようです。続き書き上げてあらためてアップさせていただきました。</font><br /><br /><br /><br />さて「My Favorite Artists　A　to Z」の「I」の巻ということで自宅のCD棚を探したのですが、なんと「I」のアーチストはアイズレー・ブラザースしかありませんでした。それもWAND時代のベストとCBSのベストというベスト盤のみでFavariteというのはおこがましい限りなのですが、ない袖は触れないのでアイズレーで行きます。ただしちょっと変則的です。<br /><br /><strong>The Isley Brothers / Twist & Shout</strong><br /><object width="420" height="315"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/uOF0daJg1Mk?version=3&amp;hl=ja_JP"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/uOF0daJg1Mk?version=3&amp;hl=ja_JP" type="application/x-shockwave-flash" width="420" height="315" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true"></embed></object><br /><br /><strong>さぁ　腰を振って　ベイビー　ほら　（腰を振って　ベイビー）<br />踊って　歌って　（踊って　歌って）<br />ほら　こっちに　一緒に　さぁ　ベイビー　ほら　（こっちに　ベイビー）<br />こっちで一緒に　踊って　歌って　（踊って　歌って）<br /><br />さぁ　踊って　歌って　（踊って　歌って）<br />最高にいかして見えるよ　（いかしてる）<br />あんたに　ぞっこんさ　（ぞっこんさ）<br />思った通りだよ　（思った通りさ）</strong><br /><br /><br />作者でもあるバート・バーンズ（バート・ラッセル）がプロデュースし62年6月に発売されたシングルは全米17位という大ヒットとなり59年の「シャウト」の47位以来チャート・ヒットの無かったアイズレー・ブラザースにとって久々のヒットとなります。そして、63年2月にビートルズがデビュー・アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』でカバーしたことによりこの曲は一気にR&R、R&Bのスタンダードとなっていきます。<br /><br />ビートルズのカバーがアイズレーのバージョンを下敷きにしていたこともあり、アイズレーがオリジナルだと思ってらっしゃる方も多いかもしれませんが、厳密にはアイズレーもカバーとなるのですが、この曲にまつわるエピソードを知れば心情的にアイズレーをオリジナルだといいたくなってしまいます。<br /><br />エピソードに行く前に本当のオリジナル・バージョンをお聴きください。61年アトランティックから発売された黒人ヴォーカル・グループ、トップ・ノーツのバージョンです。<br /><br /><strong>Top Notes / Twist & Shout</strong><br /><object width="420" height="315"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/LsDpc-8iR8g?version=3&amp;hl=ja_JP"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/LsDpc-8iR8g?version=3&amp;hl=ja_JP" type="application/x-shockwave-flash" width="280" height="220" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true"></embed></object><br /><br />若きジョン・レノンの最高のヴォーカルで歌われるビートルズ・バージョンに慣れ親しんだ耳で聴くと”なんじゃコリャ”（by　Gパン刑事）と突っ込みたくなるひどさです。もしアイズレー版が無くトップ・ノーツ版だけだったらビートルズは絶対カバーしていませんね。なんというか、妙に浮かれているというか、下半身に来ないんですよね全然、ジョンの方がよっぽど黒くて腰にくる。<br /><br />ところでこのトップ・ノーツの「ツイスト＆シャウト」をプロデュースしたのは誰あろう、ジョンも憧れの、フィル・スペクター（正確にはジェリー・ウェイクスラーとの共同プロデュース）なのです。<br /><br />当時スペクターはレスター・シルの紹介でリーバー/ストーラーの弟子としてアトランティックで働いていました。その当時のスペクターのプロデュース作品を集めたアルバムが90年に発売されたことがあるのですが、そのライナーの中にジェリー・ウェイクスラーが「ツイスト＆シャウト」について触れている文章があります。<br /><br /><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=18720662" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">トゥイスト・アンド・シャウト~12アトランティク・トラックス/アーティスト不明<br /><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120129/19/sugarmountain/3f/97/j/o0300030011762734170.jpg"><img src="http://stat.ameba.jp/user_images/20120129/19/sugarmountain/3f/97/j/t02200220_0300030011762734170.jpg"  alt="$鳥肌音楽 Chicken Skin Music" border="0" /></a><br />￥3,150　Amazon.co.jp<br /><br /><strong>バート・バーンズが最初に我々のところに持ってきた曲のひとつが”ツイスト＆シャウト”だったんだ。アトランティックではデレクとハワード、つまりトップ何とか、そう、トップ・ノーツでその最初のヴァージョンを出したんだけど、その頃丁度フィルが俺たちの仕事をしてたときで、それであいつと俺と2人でプロデュースしたんだけど、最悪だった。バートはまだただの若造で、コントロール・ルームに座って、俺たちが奴の曲をメチャクチャにしているのをただ見ているだけだったのさ。フィルはいろいろ手を加えるし、テンポも間違っていたし、ノリもひどかったのに、バートでもプロデュース出来るんじゃないかっていうことに気付かなかった。奴はただ座って、自分の曲が壊されていくのを眺めてたってわけだ。あとで奴に言われたよ「てめぇがぶち壊しやがったんだよ。」ってね。</strong>（アルバム『トゥイスト＆シャウト』ライナーより）<br /><br />曲を作ったバート・バーンズも当時は駆け出しのソング・ライターで、元々R&Bやラテンが大好きで曲作りを始めたバートにとってはインディーズながらR&Bのヒットを量産するアトランティックは憧れのレコード会社だったでしょうから、ほとんど借りてきた猫状態で10歳も年下の生意気な若造フィル・スペクターのオーバー・プロデュースにも何も言えなかったのでしょうね。ただ内心はジェリーに後年ぶっちゃけたように「てめぇがぶち壊しやがったんだよ。」っていう気持ちを抱いていた事は想像に難くありません。<br /><br />多分このアトランティックでの仕打ちから学んだのかバートはプロデュースも行うようになります。そして出会ったのが泣かず飛ばずでセプターのサブ・レーベルであるワンドと契約したアイズレー・ブラザースに出会います。そして彼らにスペクターによってぶち壊された「ツイスト＆シャウト」を歌わせ見事に全米17位のスマッシュ・ヒットとなります。<br /><br /><strong>わざわざ特等席に座らせて、曲の殺戮場面を見せつけるようなものだった。ひどい曲をつくる方法は何千とあるが、いい曲をつくる方法はひとつしかない。わたしたちは正しいグルーヴ、正しいスピリットを捕らえられなかった。バートが自分でやったときには（アイズレー・ヴァージョン）、みごとにそれを捕らえてみせたよ。</strong>（ジェリー・ウェイクスラー談、「フィル・スペクター甦る伝説」より）<br /><br />バートからすればジェリーとスペクターに見事に敵討ちをしたというところなのですが、ジェリー・ウェイクスラーの偉いというか狡猾な所は、こいつ使えると思ったら自分の元に取り込んでしまうところです。正に海千山千。レッド・バードを作りアトランティックを離れたリーバー/ストーラーに変わるスタッフ・ライター兼プロデューサーとして雇いいれたのでした。この起用は大正解でソロモン・バーク（「クライ・トゥ・ミー」や「エヴリバディ・ニーズ・サムバディ・トゥ・ラヴ」）、ドリフターズ（「アンダー・ザ・ボードウォーク」「サタディ・ナイト・アット・ザ・ムーヴィー」）をはじめバーバラ・ルイス、リトル・エスター・フィリップ、ウィルソン・ピケット、オーティス・レディング、ラーヴァン・ベイカーといったシンガーのヒットを生み出していきます。<br /><br />バートの「ツイスト＆シャウト」をカバーしたビートルズは64年にはアメリカでも大ブレイクし、ビートルズに続けとばかりに英国のビート・グループが大挙してアメリカに進出しポップ・ミュージックのマーケットは英国勢に席巻されてしまいます。英国勢に対抗できたのはビーチ・ボーイズとモータウンだけとも言われますが、実は英国勢が<br />歌った楽曲の少なからぬものはアメリカの職業作家の作ったものであり両手を上げて降参という訳ではありませんでした。そんな中でもバート・バーンズは責めくる英国勢に立ち向かうかのように一人ロンドンに渡りルルやゼムに楽曲を提供しプロデュースも行なっています。<br /><br /><strong>Them / Here comes the night</strong><br /><object width="560" height="315"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/aXD1B2651X8?version=3&amp;hl=ja_JP"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/aXD1B2651X8?version=3&amp;hl=ja_JP" type="application/x-shockwave-flash" width="350" height="220" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true"></embed></object><br /><br />バートが英国で仕事ができたのは、おそらくはビートルズのあの「ツイスト＆シャウト」やストーンズが歌ったソロモン・バークの「エヴリバディ・ニーズ・サムバディ・トゥ・ラヴ」の作者兼プロデューサーだったという看板があったからでしょうね、きっと。<br /><br /><strong>The Beatles / Twist & Shout</strong><br /><object width="420" height="315"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/tR9AmsbgCSA?version=3&amp;hl=ja_JP"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/tR9AmsbgCSA?version=3&amp;hl=ja_JP" type="application/x-shockwave-flash" width="420" height="315" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true"></embed></object><br /><br /><strong>The Rolling Stones - Everybody Needs Somebody To Love</strong><br /><object width="420" height="315"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/pBmOQvJCj88?version=3&amp;hl=ja_JP"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/pBmOQvJCj88?version=3&amp;hl=ja_JP" type="application/x-shockwave-flash" width="280" height="220" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true"></embed></object><br /><br />業界の顔役になったバートは65年には自身のレーベル「バングBANG」を作ります。知らなかったのですがこのBANGというのはバート・バーンズのB、アーネットとネスヒのアーティガン兄弟のAとN、そしてジェリー・ウェイクスラーの本名ジェラルドのGという頭文字を組み合わせた名前だったみたいです。バートはゼムを抜けたヴァン・モリソンをバングに迎え入れ看板アーチストに育てようとしたみたいですが、その思いは67年に心臓発作によるバートの急死で閉ざされてしまいます。享年37歳、早すぎる死でした。<br /><br /><strong>Van　Morrison / Brown eyed girl</strong><br /><object width="420" height="315"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/kqXSBe-qMGo?version=3&amp;hl=ja_JP"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/kqXSBe-qMGo?version=3&amp;hl=ja_JP" type="application/x-shockwave-flash" width="280" height="220" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true"></embed></object><br /><br />ヴァンのアルバムがなんで一枚だけバングから出ているのかずっと不思議だったんですが、そんな訳があったということです。バートが生きていればずっとバングから出していたのかもしれないですね。<br /><br /><br />
 
</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/sugarmountain/entry-11149411084.html</link>  
      <pubDate>Mon, 30 Jan 2012 16:20:31 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item>
      <title><![CDATA[PR: 駒込駅10分　新築マンション2LDK3380万円より]]></title>
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      <description><![CDATA[<table cellspacing="0" cellpadding="0"><tbody><tr><td align="left" valign="center"><a href="http://rss.rssad.jp/rss/ad/GepbVDEBYC3y/XC0YEQdfcPiQ?type=2" target="_blank"><img alt="" style="border: 0;" border="0" src="http://rss.rssad.jp/rss/img/GepbVDEBYC3y/XC0YEQdfcPiQ?type=3&ent=f96584e381ceacd6cc92c9b019cd43de"/></a></td></tr><tr><td align="left" valign="top" > 3駅3路線が徒歩圏内　第1期先着順受付中　オープンレジデンシア本駒込 </td></tr></tbody></table><div style="font-size:10px;"><span style="padding-top:5px;"><br style="display:none"/><a href="http://www.rssad.jp/trendmatch/trendmatch.html">Ads by Trend Match</a></span><br/></div>]]></description>
      <pubDate>Mon, 30 Jan 2012 16:20:31 +0900</pubDate>
    </item>
    <item> 
      <title>「My Favorite Artists　A　to Z」　＃8　「H」の巻</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 「My Favorite Artists　A　to Z」　＃8　「H」の巻です。Hといえばジョージ・ハリスンやジミ・ヘンといったところがすぐ思いつくかもしれませんね。ハンブル・パイやイアン・ハンターなんてのもありますが、も少し新しいとこでヘア・カット・100やニック・ヘイワードくんなんていうのもいいですね。ホール＆オーツで行こうかと考えたのですが最終的に以前も取り上げたことのあるルパート・ホームズを再びピック・アップすることにいたしました。みなさんお忘れの方も多いでしょうから（笑）。<br /><br /><a href="http://ameblo.jp/sugarmountain/day-20051221.html" target="_blank">以前は「ピナコラーダ・ソング」という別名でAOR、MOR好きにお馴染みの「エスケイプ」を取り上げた</a>ので今日は「エスケイプ」も収録されていたルパートの代表作『パートナー・イン・クライムス』からの第3弾シングルとして全米32位のスマッシュ・ヒット「アンサリング・マシーン」をお聴きください。<br /><br /><strong>Rupert　Holmes　/ Answering Machine</strong><a href="http://ameblo.jp/sugarmountain/day-20051221.html" target="_blank"></a><br /><object width="420" height="315"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/RcS0oA2OQfQ?version=3&amp;hl=ja_JP"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/RcS0oA2OQfQ?version=3&amp;hl=ja_JP" type="application/x-shockwave-flash" width="420" height="315" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true"></embed></object><br /><br /><strong>さっき　彼女に電話した<br />指輪とかもろもろすべて<br />きみのお好きなようにするよ<br />僕はずっと結婚したかったんだって<br />電話が通じ　返ってきたのは・・・・<br /><br /><em>ごめんなさい　これは留守電です<br />ただいま外出中　やり方をご存知なら<br />お名前と電話番号を<br />折り返し連絡いたします<br />では30秒間お話ください<strong></strong></em><br /><br />”結婚しよう　きみもそう思っているよね<br />電話を　電話を　電話を切らないよ<br />きみがベッドに行く前に　きみに・・・・”<br /><br />ピーッ　電話は切れた<br /><br />そこで猫のためドッグ・フードを買いに出かけちゃったんだ<br />もちろん　その3分後には電話があったってわけさ<br />はたして僕と結婚し人生を共にしてくれるのか<br />もちろん　彼女なりの筋書きもある<br />僕に電話をすれば　帰ってくるのは<br /><br /><em>ごめんなさい　これは留守電です<br />ただいま外出中　やり方をご存知なら<br />お名前と電話番号を<br />折り返し連絡いたします<br />では30秒間お話ください</em><br /><br />”メッセージは聞いたわ　答えを言わなきゃね<br />考えて　考えて　いろんなこと考え抜いて<br />あなたと結婚して　一緒に暮らせるか<br />私の答えは・・・・<br /><br />ピーッ　電話は切れた<br /><br /><em>ごめんなさい　これは留守電です<br />ただいま外出中　やり方をご存知なら<br />お名前と電話番号を<br />折り返し連絡いたします<br />では30秒間お話ください</em></strong><br /><br />今で言うところの”出会い系”ネタで倦怠期の夫婦の姿を小粋描いた「ピナコラーダ・ソング」同様に、この歌も結婚を前にした男女間のすれ違いを「アンサリング・マシーン」=留守番電話を小道具にした短編小説のような作品です。<br /><br />愛し合うもの同士が留守番電話という文明の利器に振り回されいつまで経ってもお互いの気持ちを伝え合うことができないというのが笑いを誘いますが、これも「エスケイプ」の新聞の投書欄による出会いと同様、ケータイ電話やEメールが普及した現在だと設定自体が成り立たないエピソードになっちゃっていますね。ケータイがあればドッグ・フードを選びながらでも返答の電話を受けれるし、もし電話が通じないとしてもメールで返答はできてしまいます。でもそんなんじゃ歌にしても面白くも何ともないですよね、ドラマは生まれやしない。<br /><br />その昔「君の名は」という全国の女性の涙を誘った恋人同士のすれ違いを描いたドラマ、それもラジオでっせ、がありましたが、今じゃ涙どころか笑いを誘うスラップ・スティックに思われてしまうかもしれません。<br /><br /><strong> 織井茂子/君の名は</strong><br /><object width="420" height="315"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/4Md_l8i29mM?version=3&amp;hl=ja_JP"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/4Md_l8i29mM?version=3&amp;hl=ja_JP" type="application/x-shockwave-flash" width="280" height="220" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true"></embed></object><br />(そっか映画版の主人公は中井貴一のお父さん（佐田啓二）だったんですね。）<br /><br />さて、僕の持っている『パートナーズ・イン・クライム』のライナーに書かれたバイオではルパートは父の影響で子供時代からクラリネットに親しみ、マンハッタン・スクール・オブ・ミュージックという音楽学校で作曲法や編曲などを学び、次第にスタジオ・ミュージシャンとしての仕事を行うようになります。このバイオによればストリート・ピープルの70年の全米36位のスマッシュ・ヒット「ジェニファー・トムキンズ」がルパートのプロとして最初の成功と書かれていますが、実はこのストリート・ピープルズというバンドはルパートとロン・ダンテによる覆面バンドだったようです。<br /><br /><strong>STREET PEOPLE- "JENNIFER TOMKINS"</strong><br /><object width="420" height="315"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/2s4IyD0FAB0?version=3&amp;hl=ja_JP"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/2s4IyD0FAB0?version=3&amp;hl=ja_JP" type="application/x-shockwave-flash" width="280" height="220" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true"></embed></object><br /><br />で、バイオには書かれていないのですが、「ジェニファー・トムキンズ」は元々はロン・ダンテが覆面シンガーをつとめルパートもアレンジなどで関わっていたバブル・ガム・グループのカフ・リンクスの2ndアルバムのために用意されていたもののようなのです。アーチーズの大ヒットによりロンはカフ・リンクスに関わることができなくなり2ndアルバムは頓挫したのですが、勿体ないと思ったのかルパートは「ジェニファー・トムキンズ」の音源をストリート・ピープル名義でシングル・カットしたということのようです。覆面バンドがチャートを賑わしていた当時らしいエピソードです。<br /><br />”ジェニファー・トムキンズは日曜日に生まれた　月曜にはパパが家を飛び出し　７歳の時ママが死に　11歳で働き出した　なんて不公平なんだ”<br /><br />この曲のクレジットはGerard Florio/Rupert Holmes/Paul Vanceとなっているので必ずしもルパートが歌詞を書いてるとは限りませんが、なんとも変な歌で、単純なポップ・ソングにはなっていません。やはりルパートが作詞していると思って間違いないんじゃないかと思います。<br /><br />何故なら、ボーイズ（Buoys）の「ティモシー」という71年に全米17位となったルパート作品がこれまた変な歌詞なんです。<br /><br /><strong>The Buoys - 'Timothy' (1971)</strong><br /><object width="560" height="315"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/yaZkQelQCBI?version=3&amp;hl=ja_JP"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/yaZkQelQCBI?version=3&amp;hl=ja_JP" type="application/x-shockwave-flash" width="390" height="220" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true"></embed></object><br /><br />軽快なポップ・ナンバーなので想像できないと思いますがこの曲は事故で炭鉱に閉じ込められ、食料もまったくない状況で3人男が生きるために最後の選択をしてしまうという歌で”ティモシーはどこへ云ったんだ”という歌詞にぞっとしてしまいます。ボーイズの2ndシングル「ギブ・アップ・ユア・ガンズ」も撃ち合って死ぬか、投降して縛り首になるかという立場に追い込まれたガンマンが最後に愛した女のことを思い出すみたいな歌で、とにかく昔からストーリー立てをして歌詞を書いていたんだと気づかされます。<br /><br /><strong>Give up your guns - The Buoys</strong><br /><object width="420" height="315"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/BCCTXNU9-Gw?version=3&amp;hl=ja_JP"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/BCCTXNU9-Gw?version=3&amp;hl=ja_JP" type="application/x-shockwave-flash" width="280" height="220" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true"></embed></object><br /><br />現在はブロードウェイの劇作家としても活躍するルパートのルーツという感じもしますね。<br /><br /><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=18716834" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">パートナーズ・イン・クライム/ルパート・ホームズ<br /><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/518AllCG7CL._SL160_.jpg" border="0" /></a><br />￥2,548<br />Amazon.co.jp<br /><br /><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=18716833" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">トレイシー/カフ・リンクス<br /><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/519DWSCN3NL._SL160_.jpg" border="0" /></a><br />￥2,394<br />Amazon.co.jp<br /><br />
 
</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/sugarmountain/entry-11149092321.html</link>  
      <pubDate>Sun, 29 Jan 2012 07:36:40 +0900</pubDate> 
    </item> 
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