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    <title>～新川の社務所から～</title>  
    <link>http://ameblo.jp/shinkawa-koutai/</link>  
    <description>札幌市北区新川にある「新川皇大神社」の神主が、神社にまつわる豆知識や日々の出来事など、徒然なるままに書き記します。</description>  
    <language>ja</language>  
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      <title>万葉集38,39</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 <p>0038やすみしし　わご大君　神ながら　神さびせすと　吉野川　激(たぎ)つ河内に　高殿を　高知りまして　登り立ち　国見をせせば　畳（たたな）はる　青垣山(あをかきやま)　山神(やまつみ)の　奉(まつ)る御調(みつき)と　春べには　花かざし持ち　秋立てば　黄葉(もみち)かざせり【一は云はく、黄葉(もみちば)かざし】　逝（ゆ)き副(そ)ふ　川の神も　大御食(おほみけ)に　仕(つか)へ奉(まつ)ると　上(かみ)つ瀨(せ)に　鵜川(うかは)を立ち　下(しも)つ瀨に　小網（さで）さし渡す　山川も　依(よ)りて仕(つか)ふる　神の御代かも <br />
柿本人麻呂</p>
<br />
<p>【折口信夫訳】わが天皇陛下が、神樣通りに尊い行ひをなさる爲、吉野川の急流の流域に、高殿を高く目につくやうにお建てになり、それに登つて、御領内を御覧なさると、むく／＼と續いた青い垣の樣な山の神が、天皇陛下の御心をお慰め申す爲の獻上の心づくしと見えて、春の頃は、山が花を頭飾りにし、秋になると、紅葉をば飾りつけ、それから川の方でいふと、遊副川の神も、天子の御膳部に供へ奉らうと、上流の方には鵜川を設け、下流の方にはさで網をさし渡して（人々の魚をとることが出來るやうにしてゐる。）魚をとる。かういふ風に、山川の神迄が、一處になつてお仕へ申してゐる、貴い御代であることだ。</p>
<br />
<p>【愚訳案】<br />
親愛なる天皇陛下は神のごとく<br />
ますます神にお近くなられ<br />
吉野の激流　その間の洲に高い御殿をつくられ<br />
お登りになり　国見をなさると</p>
<p>折り重なるような　垣のような青い山<br />
その山々の神々へのささげものとして<br />
春は花を　秋には紅葉を　かざしに持つ</p>
<p>宮廷をめぐる川の神も<br />
陛下のお食事をご奉仕せられる<br />
上流では鵜を飼い　下流ではさで網をはる</p>
<p>山川がこぞってお仕えする<br />
まさに神の時代でございます</p>
<br />
<br />
<p>反歌</p>
<br />
<p>0039山川も　依(よ)りて仕(つか)ふる　神ながら　たぎつ河内に　船出せすかも <br />
柿本人麻呂</p>
<br />
<p>右は、日本紀に曰はく「三年己丑の正月、天皇吉野の宮に幸（いでま）す。八月吉野の宮に幸す。四年庚寅の二月、吉野の宮に幸す。五月吉野の宮に幸す。五年辛卯の正月、吉野の宮に幸す。四月吉野の宮に幸す」といへれば、いまだ詳らかに何月の従駕に作れる歌なるかを知らず。</p>
<br />
<p>【折口信夫訳】山や川も寄り合うて、天皇陛下にお仕へ申してゐるその急流の流域に、神樣その儘に、見るも貴く、舟を出して入らせられることである。（形は前の歌よりは整うてはゐないが、内容は空疎でない。唯登り立ち云々以上の句の、全體の上に齎す勢力は、極めて微妙であると云はねばならぬ。） </p>
<br />
<p>【愚訳案】<br />
山や川もこぞってお仕えする<br />
神さながらの天皇陛下が<br />
この急流の中洲から<br />
舟を出されることだよ</p>
<br />
<p><br />
●原文<br />
安見知之　吾大王　神長柄　神佐備世須登　芳野川　多芸津河内爾　高殿乎　高知座而　上立　国見乎為勢婆　畳有　青垣山　山神乃　奉御調等　春部者　花插頭持　秋立者　黃葉頭刺理【一云、黃葉加射之。】　逝副　川之神母　大御食爾　仕奉等　上瀨爾　鵜川乎立　下瀨爾　小網刺渡　山川母　依弖奉流　神乃御代鴨</p>
<p>反歌</p>
<p>山川毛　因而奉流　神長柄　多芸津河内爾　船出為加母</p>
<p>右、日本紀曰、三年己丑正月、天皇幸吉野宮。八月幸吉野宮。四年庚寅二月、幸吉野宮。五月幸吉野宮。五年辛卯正月、幸吉野宮。四月幸吉野宮者、未詳知何月従駕作歌。</p>
 
</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/shinkawa-koutai/entry-10890157803.html</link>  
      <pubDate>Fri, 13 May 2011 12:00:00 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>桜の開花に寄せて</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 <p>　境内の桜が咲く季節となりました。</p>
<p>　二本あるうち一本は四月三十日にほぼ満開となり、今は散りはじめています。もう一本は一週間ほど遅れ、ちょうど今が見ごろです。お近くの方はお参りのついでに、どうぞご覧ください。</p>
<p><br />
　張継の詩の一節に、こんな句があります。</p>
<br />
<p>　年年歳歳花相似<br />
　歳歳年年人不同<br />
</p>
<br />
<p>　花は毎年同じように咲くが、人は毎年同じではない。相似たり、同じようにですし、花ももちろんよく見れば少しは変っているのでしょう。人もまた、よきにつけ悪しきにつけ、変っていきます。</p>
<br />
<p>　有名なフレーズですので、小説を読んでいるとたまにこの句に出会います。今ぱっと思い出すところで阿刀田高『サンジェルマン伯爵考』と、阿川弘之『年年歳歳』。ところがこのふたつの作品、物語の場所も時間も違えば、この句の使い方もまるで異っている点で、面白いです。ただ、それぞれの作品において重要な位置にあるのは同じです。そこまで紹介してしまうような野暮はしませんので、興味を持たれた方は一度ご覧ください。</p>
<br />
<p>　雪のある頃に比べれば、ずいぶんと暖かくなってきましたが、まだ春の陽気を感じる日はあまりありません。もしかすると、私がじじむさくなって、寒がりになってしまっただけかもしれません。そんなふうに変ってしまっただけかもしれません。人同じからず。</p>
<br />
<p><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20110512/14/shinkawa-koutai/25/10/j/o0480085411223245860.jpg"><img alt="～新川の社務所から～-201105101328000.jpg" src="http://stat.ameba.jp/user_images/20110512/14/shinkawa-koutai/25/10/j/t02200391_0480085411223245860.jpg" border="0" /></a>
 </p>
 
</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/shinkawa-koutai/entry-10889387771.html</link>  
      <pubDate>Mon, 09 May 2011 12:00:00 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>万葉集36,37</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 <p>吉野の宮に幸しし時に、柿本朝臣人麿の作れる歌 <br />
　<br />
0036やすみしし　わご大君の　聞（きこ）し食(め)す　天（あめ）の下に　国はしも　多（さは）にあれども　山川の　清き河内(かふち)と　御心を　吉野の国の　花散(はなち)らふ　秋津の野辺(のへ)に　宮柱　太敷(ふとし)きませば　百磯城(ももしき)の　大宮人は　船並(ふねな)めて　朝川渡り　舟競(ふなきほ)ひ　夕河渡る　この川の　絶ゆることなく　この山の　いや高知らす　水激(みづたぎ)つ　滝(たき)の都は　見れど飽(あ)かぬかも <br />
柿本人麻呂</p>
<br />
<p>【折口信夫訳】我が天皇陛下が御治めになる天下に、國といへば澤山あるが、その中で、山や川の景色の爽かな川の流域だ、と大御心をおよせになつてゐる、吉野郡の秋津野に、離宮の柱を太くお据ゑになつたので、御所仕への官人衆は、船を竝べて朝の川を渡り、又舟の競漕をして、日暮れの川を渡るといふ風に、遊んでゐる。この川が、水はなくなることなく、聳えてゐる此邊の山は、何時迄經つても低くならずに、永久に高くあるにちがひない。澄んで激しく流れる、急流のほとりに在る都は、いくら見ても飽かぬことだ。</p>
<br />
<p>【愚訳案】<br />
親愛なる天皇陛下がお治めになる天下に<br />
多くの国はあるといっても<br />
清らかな山や川にかこまれた「河内」として<br />
み心のうちをよしとされる　吉野という土地</p>
<p>花の散る秋津野に立派な宮柱を据えたので<br />
宮廷の者どもは朝夕競って舟をつらね川を渡る<br />
この川の流れは尽きず<br />
この山はいつまでも高くある滝の都<br />
飽きもせず激流を眺めているのだ</p>
<br />
<br />
<p>反歌</p>
<p>0037見れど飽かぬ　吉野の河の　常滑(とこなめ)の　絶ゆることなく　また還り見む <br />
柿本人麻呂</p>
<br />
<p>【折口信夫訳】見ても見あかぬ吉野の川の、始終滑らかな水苔のなくならない樣に、いつまでもやまずに、幾度も見にやつて來よう。（長短歌共に、簡素に出來てゐる。殊に反歌は、單純化の巧みに行はれた者といふべきである。長歌は、稍お座なりの宮ぼめに傾いて、無内容に近い。） </p>
<br />
<p>【愚訳案】<br />
見飽きることのない<br />
吉野の川　なめらかな流れ<br />
その水の絶えることがないように<br />
また来て　眺めようではないか</p>
<br />
<p><br />
●原文<br />
幸于吉野宮之時、柿本朝臣人麻呂作歌 </p>
<p>八隅知之　吾大王之　所聞食　天下爾　国者思毛　沢二雖有　山川之　清河内跡　御心乎　吉野乃国之　花散相　秋津乃野辺爾　宮柱　太敷座波　百礒城乃　大宮人者　船並弖　旦川渡　舟競　夕河渡　此川乃　絶事奈久　此山乃　彌高思良珠　水激　瀧之宮子波　見礼跡不飽可聞</p>
<br />
<p>反歌<br />
雖見飽奴　吉野乃河之　常滑乃　絶事無久　復還見牟</p>
 
</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/shinkawa-koutai/entry-10881034809.html</link>  
      <pubDate>Sat, 07 May 2011 12:00:00 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>天の下青人草の朝よひに御蔭とよそる道はこの道</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 <p>天（あめ）の下青人草（あをひとぐさ）の朝よひに御蔭（みかげ）とよそる道はこの道</p>
<br />
<p>本居宣長</p>
<br />
<p>『玉鉾百首』（前掲）所収、四番歌。記紀ではウマシアシカビヒコヂノ神が葦より化生しており、同様に人間もまた、草のようなものであるとの観念があった。むろん、ここでの青人草も人間をさす。「よそる」は頼りにするの意。ここまでの三首によって、宣長が説く神道は、アマテラス大御神の道であり、それは御代御代の天皇が受け継いでこられた道であり、人間がいつもそのお蔭を頼りにする道であるということが、明確になる。</p>
<br />
<p><br />
●参考（原文）<br />
『直毘霊・玉鉾百首』村岡典嗣校訂・岩波文庫（昭和11）より</p>
<br />
<p>天能下青人草乃朝夕邇御蔭登余曽留美知波此道</p>
<p>アメノシタ　アヲヒトクサノ　アサヨヒニ　ミカゲトヨソル　ミチハコノミチ</p>
 
</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/shinkawa-koutai/entry-10881032489.html</link>  
      <pubDate>Fri, 06 May 2011 12:00:00 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>高御座天つ日嗣と日の御子の受け伝へます道はこの道</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 <p>高御座（たかみくら）天（あま）つ日嗣（ひつぎ）と日の御子の受け伝へます道はこの道</p>
<br />
<p>本居宣長</p>
<br />
<p>『玉鉾百首』（前掲）所収、三番歌。高御座は天皇の御座、天つ日嗣は天の日の神より受け継ぐこと、すなわち皇位であり、当然日の御子は天皇を意味する。宣長は、皇位が連綿とつづくさまをも、ここで道に例え、やはり神の道であるという（なお、二番歌ではアマテラス大御神の道が神道であると詠んだ）。つづく四番歌まで最後が「この道」となっていて、宣長にとっての神道がいかなるものであるのか、その要点が理解できる。</p>
<br />
<p>●参考（原文）<br />
『直毘霊・玉鉾百首』村岡典嗣校訂・岩波文庫（昭和11）より</p>
<br />
<p>高御座天津日嗣登日御子之受伝閇坐道者此道</p>
<p>タカミクラ　アマツヒツギト　ヒノミコノ　ウケツタヘマス　ミチハコノミチ</p>
 
</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/shinkawa-koutai/entry-10881031713.html</link>  
      <pubDate>Thu, 05 May 2011 12:00:00 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>万葉集35</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 <p>背の山を越えし時に、阿閇皇女（あへのひめみこ）の作りませる御歌</p>
<br />
<p>0035これやこの　大和(やまと)にしては　わが恋ふる　紀路(きぢ)にありといふ　名に負(お)ふ背(せ)の山<br />
阿閇皇女</p>
<br />
<p>【折口信夫訳】これがその、即大和の國でいうて見れば、私がこがれてる夫の君の、夫《セ》といふ名を持つた、それでゐて、紀州に在るといふ、背の山であるのだ。</p>
<br />
<p>【愚訳案】<br />
これが　大和にいるとき<br />
恋こがれていた　背の山<br />
ここから向こうは紀伊国<br />
もう畿内ではないのだと</p>
<p><br />
●原文<br />
越勢能山時阿閇皇女御作歌 <br />
此也是能　倭爾四手者　我恋流　木路爾有云　名二負勢能山</p>
 
</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/shinkawa-koutai/entry-10870064068.html</link>  
      <pubDate>Wed, 04 May 2011 12:00:00 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>しらざりしおほ海のはらにながれきてひとかたにやはものはかなしき</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 <p>しらざりしおほ海のはらにながれきて　ひとかたにやはものはかなしき</p>
<p>紫式部</p>
<br />
<p>『源氏物語』（須磨）所収。源氏が一時失脚して須磨に都落ちしていたとき、ミソギをすれば運の開ける日だと聞いて、旅の陰陽師におこなわせたおりの歌。ただし、人形（ひとがた）という紙に身のケガレを移して流したようなので、今日でいうハラエにむしろ近かろう。つまりは、その人形に寄せて自分の身を嘆いた歌である。なお、源氏物語は大長編なので、この須磨や次の明石巻で飽きる人が多い。これを俗に「須磨源氏」「明石源氏」という。</p>
<br />
<p>●参考訳<br />
今まで知らなかった大海のほとりまで流れてきて、人形にケガレを移している。その人形の流れて行く末を思うと、ひとかたならぬ物悲しさに襲われる。<br />
</p>
 
</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/shinkawa-koutai/entry-10870063028.html</link>  
      <pubDate>Tue, 03 May 2011 12:00:00 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>万葉集34</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 <p>幸于紀伊国（きのくに）に幸しし時に、川嶋皇子の作りませる御歌　或は云はく、山上臣憶良の作 <br />
 <br />
0034白波(しらなみ)の　浜松が枝(え)の　手向草(たむけぐさ)　幾代(いくよ)までにか　年の経(へ)ぬらむ【一は云はく、年は経にけむ】<br />
川嶋皇子</p>
<br />
<p>日本紀に曰はく、朱鳥（あかみとり）四年庚寅（かういん）の秋九月、天皇紀伊国に幸（いでま）す」といへり。</p>
<br />
<p>【折口信夫訳】白良の濱に來ると、濱松の枝を結んで、道の神へ御供へとして奉つてある。（この近くの岩白では、わが友有間（ノ）皇子もせられた。）いつの時代まで、なし傳へるつもりで、今までも續いて來てゐるのだらうね。 </p>
<br />
<p>【愚訳案】<br />
白波の寄せる　この浜の松に<br />
結んである　手向けの幣<br />
どれだけの年月が経ったのだろうか<br />
こんなに　ぼろぼろになって</p>
<br />
<p><br />
●原文<br />
幸于紀伊国時、川嶋皇子御作歌　或云、山上臣憶良作 <br />
白浪乃　浜松之枝乃　手向草　幾代左右二賀　年乃経去良武【一云、年者経爾計武】<br />
日本紀曰、朱鳥四年庚寅秋九月、天皇幸紀伊国也</p>
 
</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/shinkawa-koutai/entry-10868078120.html</link>  
      <pubDate>Mon, 02 May 2011 12:00:00 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>人しれずわれこひしなばあぢきなく　いづれの神になき名おほせん</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 <p>人しれずわれこひしなばあぢきなく　いづれの神になき名おほせん</p>
<p>『伊勢物語』</p>
<br />
<p>八十九段の和歌。「思いを寄せる人に知られず恋死にするなら、それはそれで仕方がないこと。そのときは、どちらの神に無実の罪名を負わせようか」。この男は何度となく恋愛の成就を祈願したが、果たされずにいたのだろう。一見不遜で、冷静さを欠いているようにも見えるが、案外落ち着いている。そうでなければ「無実の」ということばは出てこないだろう。なお、同段の本文によれば、相手は男より身分が高い人だったようである。</p>
<br />
<p><br />
<font color="#0000ff">●参考（原文）</font></p>
<p>むかし、いやしからぬ男、我よりはまさりたる人を思ひかけて、年へける。</p>
<br />
<p>人知れずわれ恋ひ死なばあぢきなく<br />
何れの神になき名をおほせむ </p>
 
</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/shinkawa-koutai/entry-10868059909.html</link>  
      <pubDate>Sun, 01 May 2011 12:00:00 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>万葉集32,33</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 <p>高市古人の近江の旧堵を感傷して作れる歌【或る書に云はく、高市連黒人（たけちのむらじくろひと）といへり】</p>
<br />
<p>0032古(いにしへ)の人にわれあれやささなみの故(ふる)き京(みやこ)を見れば悲しき<br />
高市古人</p>
<br />
<p>【折口信夫訳】自分は、今の世の人間である。それに、昔の漣の縣《アガタ》の古い都の跡を見ると、悲しくなつて來る。ひよつとすれば、自分が、昔近江の朝廷に仕へてをつた人なのであらうか。なんだか、昔の人の樣な氣がする。（此歌は、時代錯誤に興味がある。） </p>
<br />
<p>【愚訳案】<br />
おれはもう　昔の人間なのだ<br />
こうして古い都を見れば<br />
悲しくなってしまうのだから</p>
<br />
<p><br />
0033ささなみの国つ御神の心（うら）さびて荒れたる京(みやこ)見れば悲しも<br />
高市古人</p>
<br />
<p>【折口信夫訳】漣の郷の土地を領してゐられる、神の御意志に違うて、斯うした處に都を造られた爲に、神の御心にかなはず、御不興によつて、かういふ樣に荒れ果てた、都を見ると悲しくなる。（二首ながら、前の人麻呂の歌よりも、更に傑れてゐる。人麻呂のにはまだ／＼虚僞が見えてゐるが、此には、人の胸を波だゝせる眞實が籠つてゐる。） </p>
<br />
<p>【愚訳案】<br />
荒れ果てた都のあと<br />
見るも悲しい<br />
この　さざなみの国の<br />
神がお怒りになられたのだ</p>
<br />
<br />
<p>●原文<br />
高市古人感傷近江旧堵作歌【或書云高市連黒人】</p>
<p>古人爾和礼有哉楽浪乃故京乎見者悲寸</p>
<p>楽浪乃国都美神乃浦佐備而荒有京見者悲毛</p>
 
</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/shinkawa-koutai/entry-10867952242.html</link>  
      <pubDate>Sat, 30 Apr 2011 12:00:00 +0900</pubDate> 
    </item> 
  </channel> 
</rss>

