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    <title>アフガニスタン便り</title>  
    <link>http://ameblo.jp/pwjafghanistan/</link>  
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      <title>あふれたリアルに　その３：過剰な記号、頽弊する物語</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 南三陸町の八幡川、水尻川には鮭が戻ってきている。
仮設の志津川漁港で揚げられた7匹のピンコから作ったイクラを御馳走になった。
美味しいイクラをこんなに沢山一度に食べたのは初めてであった。
現地の人々の大変さは変わらないが
イクラを作って下さった地元の方の気持ちに嬉しくなって
自分の無力感を少し忘れることが出来た。




 
　　　　　　　　　　　　　　　　　写真１：南三陸町の花火


前回のブログから
実存やら魂やら何やらと
社会問題が山積している時節柄、虚しいとも思われかねない抽象的な話が続いていて
私の周囲からは
”アフガニスタンという現場を失って相当ヤキが回った”と
御同情・御批判頂く向きもあるのだが
ヤキが回っているのは今に始まったことではないので
もう暫くヤキが回ったような話にお付き合い願いたい。


世の中が
山のような喫緊の課題に迫られている時に
悠長に抽象的な話でもあるまい
と言われれば反駁し難いが
開き直って言うのならば
私にとっては
日本の社会が
後ろ髪を引かれつつも仕方なくなく
その場凌ぎの性急な判断で追いまくられているように思え
そんな状況では
寧ろ
一見杳昧を彷徨っているように思えても
実存に繋がる話をする鍛錬をしておいた方がよいと思う。


私にとっては10年ぶりとなる長期間の日本滞在中であるが
日本で暮らして感じるのは
暮らしの底流に流れる
尻に火が付いたような焦燥感だ。
それは
震災・原発・経済不安によって幾許か助長されたのかもしれないが
基本的には
この10年間の間に一時帰国する度に感じていたものと同質の焦燥感である。


本来
社会の中で長期的な物言いを担当しているはずの
多くの学識経験者やら研究者
文芸関係者やら芸術関係者
教育者やら宗教関係者までが
何だか
大多数が同じようなトーンで
ニヒリズムを出汁にした
信条という薬味を入れ忘れたプラグマティズムを無自覚に選択しているように思えてならない。
”お前のそういう印象は大衆メディアのせいであって
本当はどっしりと構えた人間が大勢いるのだ”
と言われそうだが
それを確信させる実感を持つ機会は
東北の被災地の皆さんと触れ合う場合以外では
余りない。


経済・環境・原子力・自然災害など
対応が急がれている問題の中で
制御可能な課題
つまり
それらの問題によって発生する悲劇の量を抑えきれそうな課題は
余りないように思う。
いわば手遅れの問題だらけの現代である。


（そもそも、シェラレオネの内戦もアフガニスタンでの戦争も
どんな紛争も自然災害も
その悲劇の量からみれば手遅れなことばかりである。
手遅れであることに対して
それでも
更なる悲劇の拡大を最小限にしようというのが
支援業界の目的と思っている。）


この状況下では
”手遅れと知りつつ最善を尽くす”という凄味のある気概を持つか
手遅れであることを知らないで済む世界を探し続けるか
どちらかになりそうな気がする。
出来れば
前者のような人間になりたいと思っているが
私如きには死ぬまで無理かもしれない。


手遅れの事ばかりの現代だが
私が一つ
まだ手遅れではないと思っていることがある。
それは
今後、山積された問題によって引き起こされる大量の悲劇によって
命や魂といった実存的な課題が繰り返し我々に押し寄せる時に
困窮した我々が
藁にでもすがるように
極めてお粗末で軽薄な思想に－思想とも呼べないような屁理屈に－
なだれ込んでしまい
その趨勢が、更なる悲劇を産んでしまう
そういう2次災害を遏防することである。
それが出来たなら
現在の危機による影響が納まるであろう何百年後かに暮らす子孫への
大きな遺産となるように思う。
そうする為には
遠回りかも知れないが
全ての事象の背景に厳然と存在している実存的なことについて
例えその抽象性が非生産的に見えたとしても
観照する修練をしておくことが大切ではないか
と思う。

さらに
もう少し批判的な言い方をするなら
様々なシステムを信じ切って暮らしている人々のほうが
その認識の抽象性は悪質のような気がする。
属性の表象性を疑わないことが社会的実践と思い込んでいては
人間が繰り返し直面してきた悲劇に
余りに無防備であると思う。

だから
もう暫くヤキが回ったような抽象的な話を続けさせて頂きたい。



●　●　●　”日本にいてアフガニスタンについて考える”ということ

過日
アフガニスタンから日本に一時帰国されていた
私が秘かに私淑している知人に再会してお話をすることが出来た。
そのときの話題の多くは
治安に関するものとなったが
非常に示唆に富んだ知見を頂くことが出来た。
知人との話題は当然のことながら
パキスタンそしてISIにも向かった。

ここ数か月間に発生したアフガニスタンでの治安関連事件のうち
大きなものだけを列挙しても

07月12日…カンダハル州で、カルザイ大統領の弟へのテロ事件
08月06日…ワルダク州で、米海軍特殊部隊SEALチーム６らを載せた米ヘリChinook撃墜さる
08月19日…カブールで、『ブリティッシュ・カウンシル』襲撃事件
09月10日…ワルダク州のNATO基地が襲撃され、米兵含む89人死傷
09月13日…カブールで、アメリカ大使館・NATO本部などを狙った攻撃
09月20日…高等和平評議会議長ラバニ元大統領・スタネクザイ同事務局長への爆弾テロ

という具合で
個々の事件の意味がそれぞれに深い。
特にラバニ元大統領事件の周辺について
その動静を観れば以下のようになる。


09月22日…マレン統合参謀本部議長、「パキスタンのテロ支援が国家的戦略として行われている」
　　　　　　　「ハカニグループはISIの一機関」と発言

09月30日…オバマ大統領、「ISIとイスラム武装勢力に明確な関係を示す情報なし」と発言
　　　　　　　パキスタン政府のアルカイダ掃討作戦への貢献も強調
　　　　　　　「ISIのハカニグループへの関与も不明瞭」とも発言

10月01日…ＩＳＡＦ、ハカニグループのアジ・マーリ・ハン幹部をパクティア州で拘束

10月01日…アフガニスタン保安局、ラバニ事件について
　　　　　　「クエッタ・シューラが関与した証拠や書類を見つけた」と発表

10月01日…カルザイ大統領、「タリバンとの和解交渉の停止」と発言
　　　　　　　カルザイ大統領、「オマル師らとの交渉が不可能であり、今後の交渉パキスタン以外ない」と発言
10月02日…アフガニスタン政府、「計画はクエッタ、実行犯はパキスタン人」と発表
　　　　　　　ISIの関与も断定、「証拠をパキスタン政府に引き渡した」と発言
　　　　　　　これに対してパキスタン外務省は反発

10月03日…ハカニ氏、犯行否定

10月05日…アフガニスタン政府NDS、カルザイ大統領暗殺計画首謀者を逮捕
　　　　　　　ハカニグループと繋がりがあった模様
10月05日…カルザイ大統領、NYでの講演で、「タリバンとではなくパキスタンと交渉する」と再び発言

10月06日…オバマ大統領、自ら、パ軍・ISIとアフガニスタン武装勢力との関係を指摘
　　　　　　　　武装勢力との関係断絶を要求。「パへの経済支援は継続する」とも

上記のような主だった報道だけをみても
読み筋としては、幾つもの可能性が考えられる。
私としては
3月にサリプルを離れて以降
アフガニスタンに関する知見への接触がメディアなどからの二次・三次情報に偏っているわけで
私のアフガニスタン観から”肌感覚”という言語化の難しい部分が大いに欠落している。
だから
肌感覚を伴った知人の発言が
私に色々なものを喚起させてくれ
3月以前の感覚の何分の１かは戻ってきたように思われて
非常に有難かった。


ISIの話のように
知人も私も
その実体に直接触れた経験がない対象
（ISIについては
その実体に直接触れたという感覚を持っている人など
当事者も含めていないのではないか
とさえ思う）
殆どの人がその実態を知り得ないものについての言及は
我々の予備知識や知見の少なさや言及の射程距離の短さが明確である為
かえって生々しく感じることが出来
それは結局
遠いものでありながら
非常にリアルであった。
このことには
大げさかもしれないが
ヒュミントの存在意義が強く示されている。
一方
日本にいて
日本で暮らす人とISIについて語っても
それは自家中毒的な万能感に味付られてしまい
議論の目的によって帰結の方向が決定されてしまう。
二次情報の陥穽である。

実体が構造的な安定を持たないときには
それについてのエリントの深みには限界があると思う。

最前線と後方での記号の表象性の不連続性
これはどんな業種でも見られる現象である。

私には
これが前回のブログで述べた『平時の表現形式』の応用問題に思える。 




 
　　　　　　　　　　　　　　写真２：サリプルのブシカシ場



●　●　●　『平時の表現形式』についての実感

私の下手な造語である『平時の表現形式』
この言葉を使って私が言いたかったことについて
もう少し考えてみたい。


まず私の実感した『平時の表現形式』について述べてみよう。

『平時の表現形式』を明瞭に実感したのは10年前、
シェラレオネに赴任して初めて一時帰国したときのことである。
その後
現在に至るまで
休暇でシェラレオネやアフガニスタンから日本に戻って来る度に
又は
中越地震や東北大震災の現場から東京などに戻って来る度に
以下に述べる気味の悪い感覚に包まれるのが常であり
この感覚が
『平時の表現形式』の肌感覚だと思っている。




 

 　　　　　　　　　　 　　　

 
　　　　　　　　　　写真３・４・５：2001年12月、壊滅状態だったコノ（シェラレオネ）
『ブラッド・ダイヤモンド』の舞台ともなったコノは、焼け焦げた家屋ばかり廃墟のようだった。町中の井戸の中は惨い状態であった。当時はパキスタン軍が治安維持部隊として駐屯していたが、国際NGOスタッフが反政府軍残党に斬首される事件も発生した。発掘されたダイヤの原石を巡る殺人事件があった。私のオフィスではスタッフの奥さん同士が痴話喧嘩で流血していた。町の子供達はとても可愛かった。まさに実存的主題の坩堝のような現場であった。




成田空港に着陸するまでは
飛行機の中で
”日本に帰ったら、あれもしよう、これもしよう、あの人に会おう、この人に連絡しよう”と
あれこれと思い巡らして非常に活動的な気分なのだが
着陸するとすぐ
機内にある種の空気が急激に立ち込めて来るようであり
もう到着ロビーに出る頃には
その気味の悪い感覚にうんざりと疲弊してしまい
”家の近所でラーメンと餃子でも食べて寝よう”
というくらいに
意欲は殫竭し活力は極度に萎えてしまうのであった。

この、気味の悪い感覚は
”到着ロビーに出たら、もう、周囲のモノ全てに名札がついている感じ”
”家の冷蔵庫の裏の隙間にも、トースターの中のパン屑にも、全部に意味が充満している感じ”
というような感覚である。
シェラレオネ勤務の頃から
親しい友人に何とかこの感覚を伝えようとしていたが
この表現は差詰め妄言であり
ノイローゼとしか思われなかったかも知れない。
しかしこれは、私の実感そのままの表現なのである。

自動販売機にも
空き缶にも
大型建築物にも道路にも
自動車にも
街路樹にも
歩いている人にも
ごみ箱の中にさえ
機能や意味が端的に示された名札が
くっついている感覚である。

私は、この気味の悪い気分が
『平時の表現形式』を体感したときの一つの現れ方だと思っている。

機能という名札で埋め尽くされた上に出来上がっている仕組みが
見え難いようで
しかし
あからさまな存在感で
隠顕しながら確かに自走しているのを感じるのであり
それは
分かり易くて軽薄な記号と因果律の充満した
澱んだ洞のような世界なのである。


●　●　●　”物語”から 緒につく


私が感じた
この”周囲の物全てに名札がついている感じ、全てに意味が充満している感じ”
というのは
私の超個人的な心象であり
それは
私個人が
私個人を取り巻く
狭くて深い世界に関わる中で
私の中に生まれた”物語”の一部分である。
私のこの心象に
所謂科学的な客観性があるのかないのか
と問われれば
ない、と応じるしかない程に
私個人が
私の周辺と触れ合うときに生まれた個人的な”物語”である。

蛇足ながら
私がこれまでにブログで述べた
”物語”についての話、”貨幣”、”情報”、”信仰”についての話なども
アフガニスタンやシェラレオネなどの現場で
私が全人格的に直面した実存的な経験によって薫陶されて芽生えた
私を取り巻く外界の意味を
私が掘り下げるときの
個人的な”物語”である。

そういう個人的な”物語”の語り口というは
例えば
”スマートフォンの使い方”とか
”５分でわかるロボット工学”とかいった
ある程度客観的と思われる事物について述べる場合とは
全く異なる心の姿勢から発せられたものである。

よくよく省みると
私はそれらの超個人的な”物語”を
弊団体が運営しているこのブログで書いてみようとしている訳で
ブログの趣旨からかなり逸脱していると思われ、申し訳ない。
しかし
アフガニスタンでの支援活動の経験を他の人と共有したいと思うと
実務的な事象を共有することを除けば
こういう”物語”のようなものを示すことになるのではないだろうか。
つまりもっと突き詰めた言い方をするのなら
他人と何かを共有したいと思う場合は
超個人的な”物語”を伝えることになるように思う。

（勿論
伝え方には色々あって
このブログのように
言葉を尽くすのが最善だと思っているわけではない。）

だから
私の狭くて限定的な経験世界から浮かび上がる物語が
所謂一般的な”世の中”を理解するための客観的な知見になるとは
つくづく思えないし
小さな私の小さな物語を
大きな世界を読み解くような”大きな物語”に繋げようという意志もない。

ただ
文化人類学的な専門家によれば
実際に今も息づいている神話というのは
日々の個々人の生活の中で
個々人の実存的な体験と絡み合いながら
常に変更され更新されているそうで
多くの専門家が研究対象としたアメリカ先住民の場合でも
現地の語り部たちは
「本当のところは”これが神話”っていうものはない」
と言うそうだ。
各家庭や共同体の構成要素の各々の事情で
日々神話は作り変えられてゆくそうだ。

だから
個人個人が
自らの周辺世界の意味を日々掘り下げていくという作業は
人間が太古から継続してきた実存的な営みだと思う。
私が繰り返し使う”実存”という言葉は
超個人的な入口から心とか魂を覗くということとも言えるが
物語はそこから生まれるわけである。
個人の物語は
個人の実存的命題について湧きあがった内的必然性の集合体であるから
世界を説明し尽くしそうという野心からは遠いところにある。
そして
個々人の物語が
沢山縒り合わさった結果として
演繹でも帰納でもない
内的必然性の収斂の中で大きな物語が結晶し
実存の言葉を支えるようになっていくのではないだろうか。
つまり
個人が物語を深める作業は
現代社会の持つ、世界を裁断しようという異様とも思える野心とは無縁であり
人間社会で亘古亘今続いてきた
人知を超えたものへの配慮が育まれるときに不可欠な
揺籃であったはずである。
この作業なしでは
実存と繋がるどんな世界の解釈も存在できないのではないだろうか。

翻って
日本にいて思うのは
過剰な記号の中で生まれた
”世界全体が理解可能である”という思い込みと
”世界を理解した”と思うことから得られる
麻薬のような快楽で中毒になっている様な
説教臭い酔っ払いを眺めているような異質感である。
個人の物語を見つけていく作業が
お手軽な世界理解にすり替わっている。


だから
一見個々人の物語に見紛うものも
お手軽な世界理解の変形版でしかないことがある。
個人の物語は本来
本人の実存的経験から来る一次情報から創造されるものであり
二次・三次情報から作られるものは
実は
個人の物語とは呼べない贋造ではないだろうか。


大きな世界を説明し尽くそうとする意志が氾濫している現代
お手軽な世界理解を誘発するような情報体系であふれる現代
私には
個人が物語を紡ぐという千古不易な営みが
安易な記号化の元で繰り広げられる陳腐な因果律や論理に
取り込まれてしまっているように思える。
『平時の表現形式』のせいで上手く隠されてしまっている実存的主題について
それを掘り下げる人間の根源的な意志が
判り易い論理で代替されているように思えてならない。


『平時の表現形式』を使い続けていると
恰も世界が理解可能なように思え
世界を言い切ってしまい
実存的主題さえ単純な因果律で言い切って
お手軽に不安を解消して
物語を取り溢しながら
快楽を得ている。


日本に帰ってきて思うのは
全体的に
そういう安直な快楽で麻薬漬けにされているような
清朝時代の阿片窟のような
甘い窒息感である。


日本では
『客観的な世界理解などは有り得ないはずだ』
と主張することが憚られるぐらい
世界は理解可能だと仮想してしまっているように思う。

思想史からみれば
”世界が理解可能である”という認識上のスタンスは、今に始まったことではない。


カントがコペルニクス的転回と称した認識の仕組みというのは
”我々の認識が対象に準拠しなければならない”のではなく
”対象が私たちの認識に準拠しなければならない”とした点にあるが
これは
カントが敬虔なキリスト者であったことで補間されていたと思う。
”物自体”を認識することは出来ず
我々は”現象”にのみアプローチが可能であるという考え方と合わせることで
”対象が認識に準拠する”範囲を現象に留めたことが
私には
彼の信仰心の表現方法の一つだと思える。


ハイデガーによれば
”Weltbild”（”世界統握”）の時代とは
”世界というものは
始めから人間によって細かく調べることが可能でそれによってコントロールも出来るもの”
という
西洋に萌芽した認識が普及した時代である。


下って
西洋では中世の頃
”実体は
スプシステンチア（それ自体）とスプスタンチア（諸性質や属性）の２つに分けられる”
と考えられた。
そして近代では
存在に対する諦めなのか居直りなのか
スプスタンチアのみが重視されることになった。
つまりWeltbildの時代では
世界は統握でき裁断できる対象なのである。
私の理解では
ニーチェの言う”真理への意志”も
理解可能な世界という虚構に恋い焦がれた中で生まれる。


この文脈で言えば
私には
現代が”スーパー・スプスタンチア時代”とも呼べる状況にあると思える。
現代では
<a href="http://ameblo.jp/pwjafghanistan/entry-11071487271.html">続きをみる</a><p>『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』</p>
 
</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/pwjafghanistan/entry-11071487271.html</link>  
      <pubDate>Thu, 20 Oct 2011 15:03:35 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>あふれたリアルに　－その２：東北報道と実存の言葉－</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 先に書いたように
私は、微力ながら東北支援に携わることが出来た。

そこで出会うことの出来た地元の皆様との毎日は、
私の宝物である。
それが、どれくらい有難いものであったかは、
まだ上手く言葉にならなくて　もどかしいけれど、
思い出すのも、もったいないくらいである。
震災後半年たった今現在の暮らしの文脈で思い出したら、
手垢がついてしまいそうで、
肖え物の御守のようにして
とても大事にしている。




 
　　　　　　　　　　　　　　　　　　写真１：南三陸町の花火

●　　●　　●


震災後、
たくさんの人が大量の言葉を用いて、
新聞やテレビ、ラジオ、書籍、広告媒体や映像媒体を使って
震災を伝えた。
それらのなかには、並々ならぬ真剣さで伝えようとしたものがたくさんあった。
報道に関わる人々を始め、
あらゆるジャンルの著名人、有名人、有識者、芸術家、コピーライターなどが、
様々な手を尽くして言い表そうとした。

特に
被災地で読んだ、
三陸新報とか河北新報、岩手日日などからは
震災後かなり経ってからも迫ってくるものを感じた。

大量の言葉が生まれた。

平時、言葉を仕事の重要なツールとして用いている職業的表現者の皆さんが
”力を絞って言い表さなければ”と切実に感じている”何か”が、
如何に大きなものであるかを明示していたように思う。
それはもちろん、一般人である我々も同様に、全身で感じていた”何か”だと思う。


震災直後の報道、
被災者の皆様自らの言葉や自衛隊や消防隊の皆さんのコメントが含まれた報道、
被災地の媒体による報道、
これらからは、
媒体というクッションを通してさえ直に伝わってきたが、
それは、
現地で感じる、押しつぶされるような感覚を
正当に表現するものであったように思う。

●　●　●

ただ、震災後時間が経ち始めると、
全国新聞や大手民放などの媒体を通じて伝えられる言葉の一部は、
どういうわけか、私の感覚から少しずつずれ始めた。
そういう報道には、正直、
積極的に触れる気がなかなか涌かなかった。

私は、現地で緊急支援、漁業復興支援をしていたので
努めて新聞には目を通していたが、
現場で全国紙の朝刊を見る気分にはずっと違和感があった。
もちろん、仕事に関わる漁業関連の記事などは読めるのだが、
それ以外の記事では、読むのが苦痛である文章も多かった。

時間が経つほどに、
報道や表現の形式が、
強烈に何かに吸い寄せられて引き戻されるような感覚であった。
それは現場での感覚から少しづつずれていく感覚でもあった。

私の知り合いで東京で金融関連に努める人も
普段は隈なく読める経済紙に対して、
全く読む気が起こらないと言っていた。

言わずもがなだが、
被災された方々や救援作業をされている方々の言葉がそのまま載ったり映ったりする部分には
依然として、今も、釘付けとなり言葉を失う。
しかし、それ以外の、
何と言えばよいのだろう、
媒体側の人が、事象を整理するクダリには、
それが新聞であろうと、映像であろうと、芸術であろうと、アカデミックなものであろうと、
著名人であろうと、学識経験者であろうと、芸術家であろうと、
映画監督であろうと、音楽家であろうと、コピーライターであろうと、
そういった人々に誠意があろうとなかろうと、
意識的であろうと無意識的であろうと、
営利目的・自己顕示目的であろうとなかろうと
そういう人々に表現されたことが全体として、
震災直前までその表現者たちが使い慣れてきた、
平時の表現形式に強引に引き戻されている感じであった。
おそらく、当の本人も自覚しているのではないか、と思うくらい、
震災後から見れば古色蒼然としか言いようのない修辞とかまとめ方で
表現しようとしているようであり、
それは、
現地に満ちていた、胸がふさがれるような感覚からは非常に遠いものであった。

そうして、そういう違和感が襲ってくると、私から読む気が失せてしまうのであった。

そして今、
震災から半年経って
この違和感は、妙な感じで落ち着いてきてしまった。
それは、違和感が無くなった、というよりは、
違和感が全体を凌駕した感覚、とでも言えるだろうか。

●　●　●


私は今、この違和感について以下のように考えている。

すなわち、
この違和感は、

『我々は、如何に、
普段育んできた平時の言葉を、
実存的な深みについての心象を交換しようとする意志の中で鍛えてこなかったか』

ということを示しているのではないだろうか。

私はただのチンピラNGO職員だから、
僭越とは自覚しつつ思うのだが、
現代は、余りにも、
実存的な事柄について
鷹揚な姿勢で臨むことでそれを過小評価し
そういう態度をとること自体に抵抗を感じなくなってしまったのではないか、
と思うのである。

実存、という、哲学用語しか思い浮かばないこと自体、
私自身が、
平時の表現体系に戻っていることの証左であり、
自分の抱いた違和感の中に徐々に取り込まれている証左でもあり、
実存的深淵を表現する為の鍛錬が足りないことの証左でもあるのだが、
それでもここで、敢えて、実存、と言う言葉を使いたいと思う。

上手く言えないけれど、
また、
上手くいうことは不可能だけど、
現場で被災された方から伺った様々なお話、それを伺った時の感覚、
私を含めて被災地で活動された皆さんが現地で感じられたであろうあの感覚、
あの、心がおしつぶされて言葉を失う感じを、
上手く言えないとは知りつつも敢えて便宜上言い表そうとすると、
私の知ってる単語の中では
実存、くらいしかなかったので、
ここでは、この単語を、非常にあやふやながら、
そういう気持ちの総称として使うことにした。

もっと言えば、私には、
こういう、出来れば触れないでそっとしておきたい気持ちを
あまりに明示的な記号で表すことは適当でないと思え、
”実存的”という、日常的には、意味があるような無いようなよくわからない単語を使って、
指示代名詞的に表現したかった。
だから、
実存という言葉の起こりであるキルケゴールに始まる実存主義哲学のように
分節的に厳密性を担保しながら注意深く使われてきた単語としてではなく、
だから、実存的、という風に、曖昧に使っている。

●　●　●

通俗的な現代日本語では、
”宗教”という言葉を用いて、
”如何わしくて、禍々しくて、眉唾の神秘主義”を一纏めにして表象することで
可笑しな安心感を得ようとしているが、
それで、”宗教”が本来担ってきた重要な役目まで
一緒にどこか目に見えないところに片付けてしまったような気がする。
そこでは、
実存的なことについての先人たちの真摯な取り組みも
一緒にどこかに片付けられてしまったように思う。

人類は、
などと、私のようなただのチンピラNGO職員が言うと説得力のかけらもないが、
人類は多分、
おそらく有史以前から、つまり石器時代からこれまで、
宗教的なものを中心としながら、
実存的な事柄についての表現を少しずつ練ってきたのだと思う。
実存的なことに如何に向き合うか、ということを練り続けてきたのだと思う。
そういった人間活動の多くの部分が
実存的なこととの折り合いを探るように洗練されてきたのに違いない。

”宗教的なもの”だけが、実存的なものを担ってきたのでは勿論ないし、
”宗教的なもの”が、実存に向かい合う普遍的な作法を完璧に練り上げたわけでも勿論ないが、
だからといって、
無宗教を気取って
実存を蔑ろにする代償として、
無意識に向かって潜んでいってしまう不安までもなかったことにして毎日を過ごすことは、
結局は、不安を更に複雑にしているようにも思う。

近代以降、
メタフィジカルな事象を表現することについて、
おざなりに扱うような気分が徐々に広がっていると考える。

話が大分とそれてしまったが、
私は、
私たちがこれまで、
実存的な事柄を表現することに余り一生懸命でなかったために
非常に足腰が弱くなった表現形態しか持たず、
そのせいで、
折角、震災時には図らずも多くの人の間で共有された実存的深みが、
震災からしばらくたった頃から散逸してしまったように思う。
そして、半年経った今は、
平時に溢れていた表現形式の網にかかってしまい、
再び引き戻されて、覆われてしまった、
という風に思うのである。

●　●　●


では、私がここで言う
”平時に溢れていた表現形式”、というのは何であろう。
僭越乍ら述べると、
平時の表現形式とは
お手軽に記号化された表象で構成された、論理学を基盤とした表現形式のことである。

もう少し詳しく言うならば、
以前このブログで書いた私見だが

『表象性がきわめて怪しい記号群を真として、或いはいつか真となることを盲信して、
そういう記号を大量に供給しながら、
それを、
論理的に自明であるという旗頭の下で流通させて構成していくという、
朽ちない情報価値という危いものを前提として成り立った、
擬似的な信仰体系』

と言えるのではないかと思うのである。

そしてこの平時の言葉では、
震災であふれたリアルをとらえられなかったのではないだろうか。

震災直後のあの時、
平時の言葉は機能を停止した。
そのかわり、無言の祈りのようなもので、空間が満たされた。

あの時の節度ある言葉、
つまり、
尊いものへの祈りを前提とした上で、
安否や現状やとるべき対策を出来るだけ正確に迅速に共有しようとした、
ある種の沈黙に担保された表現形式が現れた。
あれは、私たちが有史以前から育んできた
魂の言語、実存の言葉だったのではないだろうか。

平時に流通していた夥しい記号群は
実質的には既に震災前からインフレ状態であったが、
震災後には、その本来の市場価値を露わにして価値が低下し、
平時の言葉というシステムは停止したのだ。
実存からは離れた空疎な単語は虚しく感じられた一方、
魂の言語は圧倒的な共有感覚を伴って、しばらく流通した。

しかし、その後、
時間の経過とともに
実物経済の復旧に連動してか、
平時の記号群も再び流通し始めた。
大量の記号を流通させて成立しているのが現代社会のシステムとすれば、
その積み重ねの上に成り立つ経済に連動することは、
経済に引っ張られる形で
精神生活も震災前の平時の言葉で動き始めることにつながる。

震災前のシステムを動かすために
実存の言葉、魂の言語は、再び潜在化して見えにくくなろうとしている。

●　●　●


実存、とか、実存の言葉、と言うことで言えば、
アフガニスタンの現場は、真に赤裸々な実存的事象の集合体である。
それはシェラレオネもそうだったし、
インド西部地震もそうだったし、
神戸大震災も当然そうだった。



 
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　写真２：山岳地域の村の少年。

もっと敷衍して述べるならば、
実存的事象の横溢こそが、
国際緊急支援という業界の現場の大きな特徴の一つである。
私を最も惹きつけて来た属性は、
国際緊急支援が、隠しようもなく大きな実存的課題に常に接近している、
というところである。

実存的な事象の例を挙げろ、と言われても
実存的なことは言葉にするのが難しく、
本心を言えば、出来れば言葉にしないで済ませたく、
だから、
ある程度時間が経って
自分のなかで一体化してからでなければ、表現しにくいものである。
だから、ここで何か例を挙げれれば、と考えた結果、
私の経験したことのうち、
距離感があって比較的語りやすい例について、述べてみたい。
少し遠くて古い話からの例で申し訳ないが、
短い話にして以下に少し紹介してみたい。

……

10年前、私がシェラレオネの難民キャンプで井戸掘削をするために
井戸掘りチームを編成したことがあった。
シェラレオネの基岩の地質は非常に古い花崗岩であるから
井戸掘削にはパーカッション方式のリグを使用する必要があり、
そのオペレーションのためには、専門的なスキルを習熟する必要があった。
そのため、現地の人々からスタッフを公募し、面接や試験をした。
定職に就く機会はわずかなので、多くの応募者が集まった。
その時、非常に真面目な印象のある30代くらいの男性がやって来た。
シェラレオネの男性には、明るく自己主張をする人が多いように思うが、
そしてその男性もそれなりの主張をする人であったが、
他の応募者と違って、ちょっと考えをまとめてから話すような慎重さがあり、好感を持った。
私は、長時間面接をしていたので、ちょっと気が抜けていたのかもしれないが、
一通りのことを訊いて心中で採用を決めた後、
何気なく、家族のことを訊いてしまった、訊いてすぐ後悔した。
今となっては、この面接については、タブーを破ったということを悔いるしかない、
内乱を経験したこの国では、人々は言語に絶する残酷なことに遭遇してきているので、
濫りに個人的な質問をするべきではなかったのである。
私の質問を受けると、彼の表情は一気にこわばって目の光が消えた。
そして一泊おいてから、無表情のまま、殆ど機械的に家族の物語を話し始めた。
妻がひどい<a href="http://ameblo.jp/pwjafghanistan/entry-11015713511.html">続きをみる</a><p>『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』</p>
 
</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/pwjafghanistan/entry-11015713511.html</link>  
      <pubDate>Mon, 19 Sep 2011 16:14:11 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>あふれたリアルに　－その１：アフガニスタンから東北へ－</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 大変長いインターバルで御座いましたが、久しぶりに更新致します。


●　　●　　●


今日は、東日本大震災から半年、アメリカでの同時多発テロから10年という日であった。

私は、偶然にも3月の地震発生直前にアフガニスタンから日本に帰国していて、
地震発生直後から東日本大震災の緊急支援の一員として支援に加わることが出来た。



 
　　　　　　　　　写真１：南三陸町で行われた花火大会にて


これまで8年間行ってきたアフガニスタンでの支援活動と、
東北地方での支援活動、
どちらの現場においても、
自分の働きが効果的に何かに貢献できたとは思えない。後悔も多い。
しかし、
『何かできることをしたい』という、たくさんの人が抱いたのと同じ気持ちを、
そのまま実行に移すことが出来る仕事に就いていることは、
有難い縁であり、得難い廻りあわせであった。


9・11を知ったのは、アフリカのシェラレオネで働いている時であった。
勤務地の一つである難民キャンプから事務所に戻ろうとした時に、
現地スタッフから教えられ、
事務所に戻ってテレビを観た。
当時、衛星放送が映るテレビは余りなく、
各国のNGOスタッフが徐々に私のいる事務所に集まってきて、
アメリカ人、フランス人、イギリス人らと一緒に観た。当然皆、言葉はなかった。

今思えば、9・11が起こったために、
私はその1年数ヵ月後からアフガニスタンで仕事をすることとなった。

そしてこの3月、アフガニスタンから帰国して4日後、
ミーティングに出席するために出社した30分後に、地震が発生した。
すぐに準備を始めて出動した。

私は、大学生となってから約11年間、岩手で暮らしていた。
正直、良い思い出しかない懐かしい土地である。

国際支援の仕事に就くことを決めて岩手を離れ、
幾つかの国で働いて、
そして今回の震災で東北に戻ってきた。

以上のような経緯であるから、
原始宇宙のように未分化な私の脳みその中では、
シェラレオネ、アフガニスタン、東北というのが、
全く全てが分かち難く繋がった塊となっている。
何と言えばいいのだろう、
子供の粘土遊びで喩えると、
粘土を使って、車を作ったり、飛行機にしたり、人形にしたりするけれど、
それは結局、同じ粘土の塊であることに変わりはないわけで、
車や飛行機や人形という外見以上に、粘土そのものに意味があるような感覚、
そういう、未生已然の同一感覚、と言えるかもしれない。
それが私の実感である。


●　●　●

さて、今日のブログでは、まず、
ブログを更新していなかった、2010年7月から今日までの期間の1年余りについてご報告しようと思う。

この期間は、私にとってとても目まぐるしい期間であった。


時系列で述べると、
まず、2010年夏以降から2011年年始までは、
依然治安悪化が続いていたアフガニスタン北部において、
私はPWJ現地代表として、また唯一の日本人スタッフとして
これまでどおり水資源調査事業を中心に業務を遂行していた。
反政府勢力の動静は、日々変化を見せ、
それを如何に業務計画に反映させるかに心を砕く、
慌ただしい毎日であった。

そして、今年の1月6日、
反政府勢力によってPWJ車両が攻撃され、
現地スタッフが大けがをする事態となった。
幸い、スタッフは一命を取り留めたが、
それは幾つかの幸運が重なってのことであった。
そして、この事件を受けPWJ東京本部は、
アフガニスタン現地事務所閉鎖の方針を決定した。
事業計画は大きく退行することとなった。

（なお、これまで行ってきた水資源調査事業については、
近い将来に予定されている私のアフガニスタン再訪で、総括されて終了となる計画であるから、
事業自体はまだ継続している状態である。）

●　●　●

事務所閉鎖が決定された当時の私としては複雑な思いであった。

PWJがこれまで、
顕著となっていた治安悪化傾向を考慮した上で事業遂行という選択をしてきた以上、
今回の事態は、PWJとして”想定内”であったはずだから、
事務所閉鎖という判断は、私個人としては不得要領な決定であった。

更に言えば、
怪我をしたスタッフを含め、現地スタッフ全員が事務所を閉めることに反対していたから、
撤退という判断を裏付ける理由は、現場には希薄であった。
突然の撤退を現地スタッフに納得してもらうために何度も開いたミーティングは、
本当の意味での説得力を欠いたものであった。
現地スタッフへの説明は、
心情としては、
アフガニスタンでの水資源管理についての展望や願望について
これまで何度も語り合ってきた現地スタッフに対しての
苦しい弁解であるとともに、
私自身を強引に納得させるための作業でもあった。


●　●　●

しかしながら、
8年間に及ぶ現地駐在は、私の心身をかなり困憊させていたことも確かであり、
後数年は続くことになっていた水資源調査を完遂できるか、
100％の確信が持てなくなる場面も少なからずあった。

現地での生活の全てが、
五感の全てを刺激しながら、
好悪の範を超えて昼夜を分かたず私に押し寄せ、
それは確かに、
未熟な私にとっての全人格的な研鑽となり、心に果実として充牣した（と自分では思っている）。
そして、私のアフガニスタン観は、 
生き生きとした形でそれまでの私の世界観を飭正した。

支援についての考え方から、
共同体がもつ目に見えない可能性に至るまで、
実地での体感から考察することが出来たわけである。
どんな仕事でもそうだと思うが、
余りに整理された知見は、硬直化した理解しかもたらさない。
アフガニスタンについて日本で学ぶときは、
どうしても、”歴史”とか”イスラム教”とか”国際政治”というタームで整理整頓された形で学ぶことになる。
しかし私の場合、
現地で起きている事象を、
歴史・経済・政治・思想・宗教などといった簡便な言葉で強引に分類される以前の、
生生しいままで体感できたわけである。
それは、これまでこのブログにも記してきた私見にも反映されていると思う。

形而上と形而下とを区分することなく織り交ぜた私の体験は、
それ自体がアフガニスタン的なのかもしれない。
（それがなぜアフガニスタン的だと思うのか、については、
稿を改めて、述べたい。）

しかしその一方で、疲労が蓄積していたことも否めない。

1月に発生したような治安事件の可能性をゼロにすることは不可能である。
常に流動的な反政府軍勢力の動静、
政府軍・I<a href="http://ameblo.jp/pwjafghanistan/entry-11004692925.html">続きをみる</a><p>『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』</p>
 
</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/pwjafghanistan/entry-11004692925.html</link>  
      <pubDate>Sun, 11 Sep 2011 20:16:18 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>オマル師が？</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 こんにちは、児島です。

アフガニスタン現地メディアでは本日、
「オマル師が、パキスタンで、すでに3ヶ月前に逮捕されていた」という<a href="http://ameblo.jp/pwjafghanistan/entry-10583515790.html">続きをみる</a><p>『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』</p>
 
</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/pwjafghanistan/entry-10583515790.html</link>  
      <pubDate>Tue, 06 Jul 2010 23:12:55 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>うたてある主の御許に仕うまつりて、すずろなる死にをすべかめるかな</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 こんにちは、児島です。


実は、
6月の初旬から約2週間、猛烈な下痢が続いていた。
そして、その初めと終わりのそれぞれ２，３日は、きっちりと発熱と頭痛に襲われた。
何かのウイルス性の下痢かとも思われるが、
よくわからず、
只管、水を飲んで脱水症状にならぬようにして、過ごしていた。
発熱がひどかったときは、申し訳ないが、業務を断続的に休んだ。

ここで、私のこの度の下痢の一部始終を、
あまり精緻に描写すると尾籠になるので書かないが、
まるで爆発するような勢いであった。
現地スタッフは、
「コジマの身体の中には、IED(Improvised Explosive Device)が仕掛けられているんじゃないスか」
「DIED（Diarrhetic Improvised Explosive Device）スね」
と言って、頻繁にトイレに駆け込む私を笑っていた。

治安の悪化しているアフガニスタンでは、
反政府活動に使われる各種爆弾を

・IED(Improvised Explosive Device)
・BBIED(Body Borne Improvised Explosive Device)
・RCIED(Radio Controled Improvised Explosive Device)
・VBIED(Vehicle Borne Improvised Explosive Device)
（※Explosive を Exploding とする場合もある。また、これらの略記の頭に”S”をつければ、&quot;Suicide&quot;という意味も付帯される）

というように、形態別で表記し、日常の会話でも使っている。
だから、”DIED”とは、なかなか上手いと思ったが、時節柄、悪い冗談である。

7年以上のながきにわたりアフガニスタンの脂っこい飯を食い続けたせいで、
昨年くらいから、内臓系の調子が悪く、色々な数値も悪くなっている。
それも影響してか、最近はなにやら、病気になると長引くようになってきた。
今回の下痢も、こんなに長く続くとは思わなかった。
体重もかなり減ってしまった。

＊＊＊


昨年からずっと全体的に体調不良であるから、
免疫系が参っているのかもしれない。

下痢と発熱で寝ていたとき、多少回復した時を見計らって、
４，５年前にアフガニスタンに持ってきていて読み終わっていなかった、
1993年、つまり17年以上も前に出版された、　
多田富雄著　「免疫の意味論」をやっと読了した。
今頃読んだのか、と笑われそうなくらいの名著である。
専門用語は難解で、どれだけ著者の言いたいことを理解できたかわからないが、
面白い本であった。
さらに言えば、
免疫が参ってるときに、免疫の本を読むのは、臨場感があってなかなかよかった。


 
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　写真：多田富雄著『免疫の意味論』　


私は免疫学の素人であるから、随分と前に書かれたこの本の内容が、
現在の免疫学によってどれほど確認されたり、或いは覆されたりているかどうか知らない。
しかし、この本は、
免疫という、人間個人個人を生存させている最も重要な仕組みから、
自己とは何なのかを考察したという点で
画期的な書物であることは今も変わらないであろう。

著者が唱えた「スーパーシステム」という考え方、
私なりに言えば、

「人間の身体は、
どこかの臓器が集中的に維持管理しているわけではなく、
そういう、現代人が想起しやすい”集中管理型システム”ではなく、
どこかで何かが統合をしているのではなく、
またそれぞれの要素に明確な目的があるわけでなく、
混沌とした構造の中で精妙かつ曖昧に維持されている」

という考え方は、
おそらく覆されていないのではないかと思う。

江戸時代、それまで”五臓六腑”と呼んでいた内臓諸器官を、
解剖によって実際の臓物に分類して見せたのがリアリストの古典的な一例であるとするなら、
免疫学という比較的新しい学問が、
目にはさやかに見えぬ「免疫」という仕組みを読み解いて
人間の生命維持にとって曖昧かつ重要な働きをしていることを示したこと、
臓腑論の持つ非還元的な理解への再認識に繋げたこと、など、
リアリズムの現代的好例と言えるだろう。


＊＊＊


話は変わるが、
6月23日に
アフガニスタン駐留米軍のマクリスタル司令官が辞任した。
事実上の解任である。


マッカーサー以来の解任劇という。
マッカーサーは
北京やウラジオストックまど25都市に原爆を落として反共体制を強固にしようという計画を立てて首になったが、
今回の解任の原因は、
マクリスタル司令官が、アフガニスタンでの戦略に関連して、
オバマ政権内で要職にある人物について誹謗中傷した発言が雑誌に掲載され、
その記事がオバマ大統領の逆鱗に触れた、ということにある。
オバマ大統領はこの記事の中でのマクリスタルの発言が
「文民統制への脅威である」として、それを公式の解任理由とした。

このマクリスタル司令官の辞任について、
現地NGOの一職員としても、思い致すことは、少なからずある。

この事件の渦中の様々な人間に、
自分の視座を投じて想像してみれば、
様々なことが思われる。
以下、今日は、それらのことを書いてみたいと思う。

なお予め断っておくが
以下は、完全に私個人の意見であって、
私が現在所属しているNGOを代表するものでは勿論ないし、
支援業界を代表するものでは、全くない。

＊＊＊

まず、
この解任劇のきっかけとなった記事 ”The Runaway General” を読んでみたが、
ここに書かれている、マクリスタルとその側近達による米政府首脳への雑言は、
確かに口汚いものであるが、
その言葉遣いの猥雑さによく現れているように
現場の軍人達がオフレコで不満を吐露している、という雰囲気である。
私の印象としては、
言わば、日本の”オトナ”の世界でいうなら、
”サラリーマンの居酒屋談義”　が活字化したような、そんな印象である。

マクリスタルが辞任に追い込まれた原因とは、
言い方を換えると、
この本音談義を、インタビュー記事として載せられてしまったことにある。
深読みをすれば、
やすやすと雑誌に載せられること自体に、なにやらウラを感じるくらいである。
どこまでの深読みが妥当なのか、ただのNGO職員ではわからないが、
マクリスタル側、オバマ側どちらにも、
この記事を世に出さしめたことへの
思惑があったと言われてもおかしくないと思われる。

この記事を読んで、
マレン統合参謀本部議長は「読んでいて気分が悪くなった」と述べたが、
私は、このマレン氏の言葉を額面どおりに捉えた場合、
自らも武官であるマレン氏が、
”現在行っているアフガニスタンでの戦争について、
これくらいの鬱憤もなく、
現場の作戦が遂行しているとでも思ってるのか？”
と思うと、
むしろマレン氏の発言をいぶかしく思う。

しかし、そういうウラ、陰謀説のような類推をするのはここではやめて、
一般的なメディアで顕在化している事件の記述だけを見ながら、
現在のアフガニスタンについて、
色々考えをめぐらしてみたい。



＊＊＊

まず断っておくが、
私はアメリカ政府の始めたアフガニスタンでの戦争に賛成する者ではない。

文脈に配慮しない”ソモソモ論”は不毛であるが、
しかし、
これだけの犠牲を払ってしまう戦争をなぜ始めたのか、
やはり疑問に思う。
９・１１、天然資源、米軍需産業といった色々な要素が語られているが、
それらによっても、これだけ多大な犠牲と釣りあうものとも思えない。

さらに時間を遡上してソモソモ論をするのなら、
”冷戦時代にアメリカがテロリストを養成してしまった”ことにまでも言及したくなる。
その場その場でプラグマティックに政略を展開していった結果が今の混迷である、と思う。


しかし乍ら、
今この時点のアフガニスタンでは、
実際にタリバンとアルカイダがいて反政府活動を行い、
それを抑えるためにNATO軍とアメリカ軍がアフガニスタン国軍とともに活動している、
というのが現状であるから、
これらのソモソモ論は虚しい。

例えば、
サッカー日本代表とカメルーンの試合のあった14日は、
ここサリプルでは、夜20時から21時の間に
ジェット戦闘機が20回以上、低空飛行で通過し、爆音が鳴り響いていた。
これは、おそらくドイツ軍所有の戦闘機トルネードを用いた、反政府勢力への空爆作戦のためである。
サリプル西部にある反政府勢力行動に対抗するための軍事オペレーションの一環であったわけだ。
つまり、サリプルで反政府勢力と交戦状態に入った政府側の地上部隊が、
ISAFに援軍を要請した結果、マザリシャリフのドイツ軍がスクランブルを行ったということである。
このように、
サリプルのような田舎の州でも、
すでにISAFの軍事的プレゼンスが、
反政府勢力とのパワーバランスのためには
不可欠なものとなっているのである。
現場でソモソモ論をすることには虚しさが伴う。

現に、アフガニスタンの現地住民の意見で多く聞かれるのは
（私が話す機会のある人々に限られるから、大半とは言えないかもしれないが）、
「現在のアフガニスタンに、
外国軍がいて空爆などで今でも民間人が犠牲になっていることには反感を持つが、
しかし、もし今突然にNATOとアメリカ軍がいなくなれば、
その軍事的真空状態に乗じて、
反政府軍や武装勢力がつけこんでくるであろうし、
そうなれば、再び内戦状態に逆戻りするかもしれない。
そう考えれば、
警察や国軍が十分に機能するまでは、
NATOやアメリカ軍にはいてもらわなくてはならない」
という意見だ。
当事者としての諦観が含まれた、リアリティのある意見である。



＊＊＊

私はまた、当然ながら、
マクリスタル司令官個人についても、彼を擁護する立場にはない。

当然、マクリスタルその人の、人柄などは知る由もないが、
その経歴を見れば一目瞭然、
完全な職業軍人であることは明白である。
今回の記事によれば、
イラク戦争時代、彼が Head of Joint Special Operations Command だった頃は、
このJSOCは”殺人機械”と呼ばれたそうであるから、
極めて忠実に、敵の殲滅という任務を遂行する人間であるにちがいない。
軍司令官とは、
課せられた”軍事的命題”の遂行のみを、武力をツールにして考える人間のことである。
いわゆるCOIN(Counterinsurgency)の任務についても、
昨日今日任務に就いた人間ではなく、
おそらく、民間人の犠牲者も出しつつ成果をあげて来た、血みどろの経歴を持つ人間である。

多分に野心的で、
自分と側近達を”チーム・アメリカ”と呼ぶほどに愛国的で、
自分達の戦術選択の合目的性にはかなり自信があったに違いない。
アメリカ政府から与えられる任務について、
その遂行・完遂をもって、自らの存在理由とする人間なのだろう。
昨年オバマ大統領に”あと、4万人増派すれば勝てる”と進言したときには、
マクリスタル氏自身、もしかしたら、本当に勝てると思って発言してるのかもしれない、と思えるほど、
自分が戦闘する意味について懐疑なく自信に満ち溢れている人間に見える。

（なお、私は、アフガニスタンでのアメリカ軍の完全な勝利はありえない、と思っている。
つまり、マクリスタル司令官の示した、
”増派による勝利”という戦略には、その合目的性については疑念がある。
アメリカ軍・NATO軍による攻勢は、
タリバンとの和解に持ち込むための好材料を得るためのツールと考えるのが真っ当であると思っている。
ただ、アフガニスタン戦争で勝つ、という目的自体を疑い始めると、
陰謀説的な思考に傾斜するので、ここでは避ける。）

マクリスタルが昨年、司令官就任後に打ち出した戦略では、
それまで余りに酷かったアフガニスタンの民間人被害を
最小限に食い止めるという方針が含まれていた。
これは一見すると、人道的な見地に立ったように見えるが、
しかし、職業軍人としての彼にとっては、
民間人被害を低下させるという戦略は、
”民間人被害を少なくして民心を得る”という、
戦略そのものとしての意味しかないであろう。
だから現実的には、民間人被害者をゼロにすることを目的としてはいなかったであろうし、
例えば人道的な意味は、後付的なものでしかなかっただろう。
勝つことが、職業軍人の彼にとっての至上命題である。



 




 
 
写真：　最近、現場で出会ったアフガニスタンの人々。長引く戦争状態と、国際政治のゲーム感覚のせいで、私の感覚も麻痺してしまいそうだが、”民間人が被害を受ける”というのは、こういう無辜の人々が、抗うことも出来ずに戦闘に巻き込まれて血まみれになる、ということである。私は闇雲に人道主義を振りかざすつもりはないが、個人のレベルの命についての重みと、国家レベルのそれとは、現代においてもなお開きが大きい。なぜか我々日本人はそれを意識しない習慣があるが、我々は確実に、前近代的なものと共に生きている。



だから、
アメリカによるアフガニスタンでの戦争自体に異議を感じる私としては、
辞任になった彼の身の上に同情するつもりは全くない。

＊＊＊

だから、マクリスタル氏に肩入れするつもりは全くないが、
しかし、もし、
仮にもし彼の立場となって
現在のアフガニスタンについて考えてみれば、
或いは、彼の元で軍事活動を遂行する末端のアメリカ軍・NATO軍兵士の視座に立てば、
見えてくる景色が違ってくる。

それは極言すれば、
マクリスタルにとってのワシントンが、
或いはISAFのそれぞれの兵卒にとっての上官達が、
本気で、対テロ戦争、COINで勝てる、と思っているのか？という現場サイドからの疑念であり、
それに命をかけさせられることへの純粋な疑問だ。

”正規軍　対　宗教的・民族的基盤を持つテロ組織”　
という非対称な戦争では、武力の優位による一方的な勝利が可能だとは思えない。

COINの意味について、
当然ながら、アメリカ軍の中では、その位置づけや勝利の仕方について、
莫大な資力を投入して研究されているに違いないが、
そこで、明確な勝算をはじき出せているとは思えない。
イラクでの成功例がよく引き合いに出されるが、
あれはケーススタディでしかないのではないだろうか。
領土や支配域を面的に脅かす冷戦時代のような仮想敵に対しては
愛国心や戦略も立てやすかろうが、
COINはまったく異なる形態である。

早い話が、
アメリカにおける士官教育のカリキュラムの中で、
COINに対して勝負を仕掛ける意味とその勝算を、
深い納得をもって理解せしめる指導体系は
ないのではないだろうか。

兵士も士官も、
現在進行形のCOINに、
内心は、或いは無意識に、大いに疑念を持っているのではないだろうか。

マクリスタル司令官の解任の原因となった記事の中でも出ていたが、
マクリスタルの打ち出した、民間人の犠牲者を最小限にするための具体的な戦術を、
現場の兵士に対して、納得させることが非常に困難であったということである。
マクリスタルはアフガニスタンの最高司令官でありながら、
前線にまで赴き、一平卒を相手にCOINに関わる戦術の意味を説いたが、
兵士達は簡単には納得しなかった。
このことにも、COIN遂行への疑念は如実に現れている。

正規軍同士の戦いとは全く異なる現象が起きているCOINの戦場では
現場の当事者達は、COINについてそう簡単に納得できるものではない。

マクリスタル本人でさえも、アフガニスタンのCOINで本当に勝利できるとは思っていなかったのでは？
とさえ、思えてしまう。

現に、6月に実行計画されていたカンダハル州での大軍事オペレーションは延期されたままである。
マクリスタル解任事件直前のニュースでは、9月までは延期だろう、と言われていた。
ISAFは、軍事行動の前に、まず民意を得るために、
カンダハル周辺の住民を、雇用などによって取り込む戦術をとっているが、
住民は、タリバンからの報復を恐れてISAFや米軍への協力を渋っている。
例えば、ISAFは灌漑修復事業を計画し10,000人の労働者を募集したが、応じたのは1,200人だけだ。
また、タリバンからの報復では、ISAFへの協力者がすでに12人殺害されているらしい。
マクリスタルと緊密な関係を持っていたとされるカルザイ大統領でさえ、
6月10日カンダハルで約40人の犠牲者を出した反政府勢力による自爆テロが起こるまでは、
住民の承認と協力が得れていないという理由で、
マクリスタルのカンダハルでの軍事オペレーションの実行には賛成していなかった。
住民が協力したがらない理由の一つは、
いつ撤退するかわからないISAFが、住民の安全を保障できるわけがない、と思っていることである。

住民の協力が得られないために、
オペレーションの中核の軍事作戦にまで到達できないのである。

そもそも、このCOINに勝算はあるのか。
軍隊のリアリズムから見て、これは大きな疑問であろう。

今回のマクリスタル解任についてのメディアの論調では
”オバマ政権内のアフガニスタン戦略についての対立が露呈した”というくくり方が多いが、
それは不正確で、COINの遂行についての現場発の疑問が表面化したということではないか。

そういう疑問の方向は、彼ら軍人を統べるホワイトハウスに向けられて当然である。


＊＊＊

翻って、アフガニスタン支援である。

先進国からの支援が本質的なものになるかどうか、
先進国とアフガニスタン政府が示す復興の方針についても、
私は、COINと同様、非常に懐疑的だ。
大量の資金が、今後もアフガニスタンに流れ込んでくることが決まっているが、
それが効果的に使われるのか、私は大いに不安である。

COINで勝てないのであれば、
早々にアフガニスタンから逃げ出したいと思っている国は多いと思われる。
しかし逆に、
パキスタンからイスラエルまでの一連の地続きの国々が
何かの火種になることも十分考えられ、
その中では、アフガニスタンが安定しておくことは重要であるから、
そう簡単にも逃げられない。

そういう国々が打ち出す支援策は、
どれも、政治的な配慮ばかりで、
大量に流れ込んでくる支援のための資金を
どういう計画のなかで使っていくのか、について、
思いつきのような大枠しか決まっていなくて、
支援として画餅が多いのではないか、と思う。
支援として画餅が多いということは、
結局はアフガニスタンの安定につながらないということである。
アメリカはアフガニスタン政府に腐敗体質を糾せ、と迫るが、
その体質が一朝一夕に変わるはずはなく、
であるならば、そこに大量の資金を無闇に放り込むことが、
果たして効果的な支援になるのか。

特に”タリバンの社会復帰”という思いつきは、
単純な記号化で政治家が浮き足立ち、
記号のパズルと文言ばかりが洗練されていって、
現場から見れば、リアリティがない。
極言すれば<a href="http://ameblo.jp/pwjafghanistan/entry-10572325109.html">続きをみる</a><p>『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』</p>
 
</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/pwjafghanistan/entry-10572325109.html</link>  
      <pubDate>Thu, 01 Jul 2010 20:54:31 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>ムード歌謡、万歳</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 こんばんは、児島です。



今日は木曜日、アフガニスタンでは金曜日が休日なので、
今の時刻は２１：３０、ちょっとくつろいだ気分である。

外も静かで、
草むらでは虫が鳴いている。
月もでている。
皚皚とした雪原は疾うに高山の奥地に去り、
雨季にだけ広がる鮮やかな花畑もそろそろ姿を消そうとしている。
この、雨季の終わりの短い期間、
大気中の砂塵は、断続的な降水で洗い落とされているので、
空気は澄んでいて、
オアシス地帯の緑もまばゆい、
短いけれど良い季節である。



 
　写真：サリプルの天水域の一部は、雨季の終わりの春先、１、2週間だけ、このような花畑になる。


＊＊＊

こんな良い季節であるのにも関わらず、
私の体調は今ひとつ良くない。

まず、何にもまして不愉快なのは、
アゴがだるいことである。
ここ数週間、ずっとアゴがだるい。

この理由ははっきりしていて、
最近、一日中無意識にずっと歯をくいしばって、噛みしめたままなのである。
仕事中でも、ふと気がつくと、
我知らず、歯を、ぐーーーっと噛みしめている。
かみ締めすぎてアゴの筋肉がだるくなっているわけだが、
ここ数日はこれが頭痛にまで発展してきた。


このアゴの症状は、
アフガニスタンに赴任してから何年か経った頃、2006年頃から始まり、
一時期治まっていたのだが
最近また再発したわけだ。

この症状がひどかったのは、
たしか、2006年暮れとか2007年頃か、と記憶している。
当時、日本に帰国したら家族に、
”寝てるとき、空中に手を上げて、ウーーーンとうなされている”
と指摘された。

それほど悪い夢を見ていた訳ではないし
自分ではうなされた覚えはないのだが
とにかくそういうときは、朝起きたときに既にアゴがだるいのである。
寝ている間も、食いしばっているに違いない。

その症状が最近、また戻ってきたのだ。
朝起きたらアゴがだるい。
そして、日中もずっとだるい。

＊＊＊

最近、治安は益々悪くなっており、
アフガニスタンで最も治安の安定しているサリプルでも
事件が増えている。

そんな状況では、
我々が行っている水資源調査の活動範囲も狭められてくる。
すでに随分前から、
最も重要なデータを得るための山岳地帯には行けなくなってしまった。
調査で訪れることができる村は、比較的近隣に限られてしまっている。

あまつさえ、
今週は、そんな調査中で、何度も車両のトラブルが起きた。



 
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　写真：　車両トラブル　その１．



　　　　　　　　　　　　　
 
　　　　　　　　　　　　　　　　写真：車両トラブル　その２．




　　　　　　
 

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　車両トラブル　その３．


写真で示したようなトラブルがあったときでも、
フィールドにいるときの精神状態は随分とよい。
現実的な問題の対応に終始しているときは、忙しくても、疲れ方がフィジカルである。


現在の私にとっての問題は、
フィールドから離れる時間が長くなることである。
現在のような行動制限のなかでは、
自然、事務所にいる時間も多くなる。
事務所にいる時間が多くなると、
仕事に関する机上の空論だけが、思考の中を去来して、
実際、実務は追いつかないという、
仕事はアンバランスな進捗具合となり、
非常に不愉快な精神状態になることである。

なんのために現場にいるのだ、と苦々しい。


治安の悪化と、事業の停滞、
そんな目に見えない負荷が、
歯をくいしばらせる原因かもしれない。

＊＊＊

話は変わるが、
私は治安が悪くなり出した数年前から、
そして特に、
アフガニスタン人以外のスタッフが私一人になってからは、
出来るだけ音楽を聴かないようにしてきた。

それは、
銃声やヘリ、ジェット戦闘機、輸送機の爆音など、
治安状況の動きを示唆する音を聞き逃さないようにするためである。


サリプルでは最近、軍用飛行機の飛行が増えている。
その大きな理由は、
近くにある反政府勢力の根城への軍事オペレーションのためである。
アフガニスタン国軍、NATO軍との交戦はここサリプルでも行われている。

軍事オペレーションが大規模に行われる期間には
頻繁にヘリが飛ぶこともあり、
そのたびに、機影を探し飛行方向を確認し、
手持ちの治安情報と照らし合わせたりする。

　（そんなふうに音に対して注意をするようにしていると、
　常に物音に敏感になるため、
　日本に一時帰国したときは、
　家の近所の米軍基地で訓練をしているF１６などの音に反応して
　ついつい確認するために外に出て空を見上げてしまう。
　ヘリの音などがしても、ついつい空を見て機影を捜してしまう。）

だから、
サリプルで一緒に生活しているスタッフには、
銃声などがしたら私が寝ていても起こして知らせるように、と伝えてある。
かなり遠くでの銃声だと、耳を澄まさないと聞こえないこともある。
だから、なんとなく、気が抜けない毎日である。

とにかく、
治安対策のため、音楽鑑賞を自粛しているわけだが、
もしかすると、このことで
私の生活から潤いが奪われているのかもしれない。

私は、音楽が無いと生きていけない、というような音楽好きではないけども、
やっぱり、ふと良い唄やよい曲を聴くと、いい気分になるから、
音楽を聴かない生活というのは、
治安悪化やら仕事の停滞の中では、
私の心の持ち方に、少なからぬ影響を与えているかもしれない。


そういえば、
シェラレオネに駐在していた頃は、
治安は落ち着いていたので、
頻繁に、大好きな、中島みゆき　を聴いていた。
いま考えれば、あの時間が、私の精神をほぐしていたのかもしれない。

＊＊＊

ただし、今でも、音楽を全く聴かないわけではない。

沢山の現地スタッフが同時に事務所内にいるときなどは、
それだけ、耳の数が増えるわけで、
治安に異変があったとしても発見が遅れることはまずなかろう、と思われ、
そういうときは、
業務時間外にちょっとだけ、小さな音で音楽を流すことがある。

そこで最近、
なんとも心に沁みるのが、
”ムード歌謡”だ。

3、4年前、日本に帰国した折、
実家のCDの中に、”ベスト　ムード歌謡”というシリーズが何枚かあったので、
iPodに入れておいた。

上に書いたような事情で、
最近は、あまりiPod自体、あまり使っていなかったのだが、
2週間ほど前、
ふと思い立ち、
控えめな音で、この”ムード歌謡”のシリーズをかけてみると
これが、なんとも胸に迫るのだ。

菅原洋一、フランク永井、石原裕次郎、五木ひろし、橋幸夫、
ロス・インディオス＆シルビア、テレサテン、北原ミレイ、藤圭子、石川さゆり・・・

今の、この私の精神状況の、どこにムード歌謡に共鳴するところがあるのか、
よくわからないのだが、
深呼吸をして、
ふーーーっと一服できるのである。
なんというのか、
ちょっと懐かしいような、
気持ちのちょっと深いところを掘り起こしてくれるような、
いい気分になることができる。

なぜだろう。

＊＊＊


はっきり言って、
私には音楽の素養は全くない。

だいたい、”ムード歌謡”というジャンルが、
ジャンルとして成立するのかも知らないし、
正直に言えば、
何がロックで何がジャズで、何がボサノバで何がポップで、何がブルースなのか全く分からない。
”ベスト　ムード歌謡”の中にある、
「中之島ブルース」、「港町ブルース」、「女のブルース」がブルースなのかどうかさえ、
全く分からない。

だいたい、
これまでの人生で、プロの歌手のコンサートに行ったのは2回だけだ。

1回目は、小学校低学年のとき、
当時住んでいた、新潟県の南部にある、とある市民会館で催された
「加山雄三リサイタル」に家族4人で行ったときと、

2回目は、ずっと後になって
大学院生のときに先輩が、
ただでスティービーワンダーのコンサートのチケットをもらってきたので
お供して見に行ったときの
その２回だけだ。

加山雄三の時は、
昭和の時代の市民会館だから、
パイプ椅子を並べたような会場で、
おそらくいま考えれば
音響設備もそれほどではなかっただろう。
音楽の内容については全く記憶がない。

スティービーワンダーのときは、
なぜか、控え室まで通されて握手までしてもらったのだけど、
ファンの方には申し訳ないが、
コンサートに慣れていない私には、
音が大きくてうるさ<a href="http://ameblo.jp/pwjafghanistan/entry-10527975140.html">続きをみる</a><p>『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』</p>
 
</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/pwjafghanistan/entry-10527975140.html</link>  
      <pubDate>Thu, 20 May 2010 05:32:54 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>あらためて考えると、貴重な日々を過ごしている</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 こんばんは、児島です。

昨年秋頃から、
今後の事業計画をどうするか、色々検討しており、
時間を見つけては、
過去、PWJが行ってきた事業記録などを見ては、あれこれと考えごとをしている。


＊＊＊


さて、
そうやって過去の資料を引っ張り出している最中に、
たしか2006年くらいに
このブログの以前の担当者の、アフガニスタン現地代表だった平井さんが、
忙しい業務の合間に、私のノートの裏に勝手に描いていた、
私の似顔絵が出てきたので、
今日から、ブログのプロフィール用に用いることにした。
（ときどき、このブログを更新してくれる山元さんには申し訳ないが。）


さすが、
現地代表として、業務を巨細にわたって監督し、かなり格好よくガンガン捌いていた平井さん
（私は、その仕事振りに、非常に感動してた）、
画力にもその才気がにじみ出ており、
かなり失礼な似顔絵ではあるが、
私の持つ、天性のみすぼらしさ、貧相な表情など、
特徴を的確に、余すところなく描写している。


しかし見れば見るほど
かなり失礼な似顔絵だ。
失敬極まりない。


＊＊＊


しかし考えてみると、
平井さんとしては、
私のような、すっかりトウが立ったおっさんを部下に持ち、
さぞや気苦労も耐えなかったことだろう。


いや、平井さんだけでなく、
今も時々このブログを更新してくれる山元さん、
山元さんの前任であったK氏など、
現地で共に時間を過ごした面々には
色々迷惑をかけてきたことが、
以前の事業記録を見ていると、後から後から思い起こされる。


＊＊＊


NGOの現地事務所というのは、
部活の合宿所のようなものである。


小さな事務所での共同生活だから、
だらしのないところも、そそっかしいところも、
隠せるわけもなく、
嫌でも応でも見られてきたわけだ。


もしかしたら私だけかもしれないが、
（そして、もし、私だけだったら、ただの思い上がりでしかないが）
同じ現場で共に働いた日本人スタッフに対して、
同じ釜の飯を食<a href="http://ameblo.jp/pwjafghanistan/entry-10438987296.html">続きをみる</a><p>『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』</p>
 
</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/pwjafghanistan/entry-10438987296.html</link>  
      <pubDate>Sun, 31 Jan 2010 01:05:51 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>カルザイの人事と軍閥</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 こんにちは、児島です。



前回のブログでは、
いささか私の物言いが、
信仰が生きるアフガニスタンに希望を託した、明るい妄誕へ流れてしまった。
肯綮に中った想像にはリアリティが含まれるが、
私の前回の妄言が、どれくらいアフガニスタンの事象を汲み取っているかは分からない。
日々残酷な事件が発生しているときに、
あまりに将来に明るさを思うのは不謹慎かもしれない。

BBCの行ったアフガニスタンでの世論調査が今日11日に放送されていて、
それによると、
７０％のアフガニスタン国民が事情は好転していると考えている、という結果だったが、
母集団が1,500人というのも気になるし、
春の攻勢を前にした現時点で、
BBCが掘り起こした世論に、
そのまま現実が映し出されているとも思えない。

ただ、私が思うに、
希望の種とは、
真摯な想像力の余地を残しながらリアルを顧眺するという、高度な緊張感から生まれるはずで、
私としては
現在起きている事象に目を向けながらも、
現実を咀嚼しようとする意気込みを持って、
心事に浩さを保ち続けられたら、と思う。




 

写真：雪の降る中、停車する乗り合い自動車。かなりの山奥にまで人と荷物を運ぶ、ロシア製ジープである。なお、屋根に載っているのは、荷物ではなく、2人の乗客である。雪がひどく、プラスティックシートをかぶって乗っている。この寒い中、何時間も屋根の上で揺られるのである。


さて、今回は、
前回とバランスをとるわけではないが、
少し、現実的な話を書いてみる。

＊　＊　＊

このブログで昨年書いたように、
冬の夜間のサリプルでは、
日中には220V以上ある電圧が50V以下に下がる。
サリプル中心部の電化が年々進んでいて、
夜間の電力需要が増えるからであろう、
この電圧低下は昨年の冬よりもさらにひどくなっている。


日没前には、デスクトップ型のPCはダウンしてしまうし、
最近は比較的電力を必要としないネットも、
頻繁に不通になるようになり、
多くの日で、夕方から22時くらいまでダウンしてしまう。

オフィスの中では、電灯をつけていても手元も見えないし、
オフィスの外になると、
敷地内に治安対策のため設置している外灯も、
マッチを燃やしている程度しか光らず、
電球の中のフィラメントの細い線まで直視できそうなほどの光しかない。

更に悪いことには、
近所の電気使用量の気まぐれな変化により
電圧が頻繁に上下するので、
それがオフィス内の電化製品にダメージを与えることである。
現に2週間前、冷蔵庫のモーターがやられて、修理に出している。

気持ちも沈みがちな、寒灯の夜が続く。
スタッフとの会話も、この暗さに同調するように、
耳語するような小声になりがちである。
暗いオフィスの中で
電圧の変化に呼応して、スタビライザーが
ギュルギュル、キーキーと鳴り続けている。

＊　＊　＊



この状況を冬の風情としてたのしむことも出来ようが、
防犯上よくないし、
オフィスの電化製品にもよくない。

というわけで、
数ヶ月前に、
この低電圧対策として、
サリプルに新しく出来た電気屋さんに注文してトランスを製作してもらって、
オフィス内のパソコン用の電源に試用してみていた。
正直、はじめは、
この手作りのトランスには余り期待していなかったのだが、
これが存外に調子よく、
手元は少し明るくなった。
PCやネットのダウンする時間も短くなった。

このサリプル製のトランスが好調であるので、
気をよくした私は、現地スタッフと相談し、
外灯用を少しでも明るくするために
もっと容量の大きいトランスを製作しよう、ということになり、
年末にそれを設置したのだが、
予想よりも外灯が明るくなった。

実は、私個人としては、
サリプルの真っ暗な冬の夜は
大気中に砂埃の多い乾季の夜空に比べると、
星がはっきりと見えるのが好きなので、
もし、トランスを設置して外灯が明るくなると
”天の川が見えなくなるのではないか”
という心配もしていた。
しかし、そんな趣味的な気分で治安対策を犠牲にするわけにはいかないので、
大型トランスを導入してみたわけである。

幸か不幸か、
星空が見えにくくなるほどの劇的な改善は見られなかったが、
それでも警らのためには大きな改善となった。

＊　＊　＊

と、ここまで
なぜ長々と、
サリプルの電気事情の話を書いているのか、
自分でも忘れそうになっていたが、
そうそう、
”モハメド・ユヌス・ナワンディッシュ”という人について書くための枕のつもりだった。

昨年のブログで、
サリプルの電気事情を紹介した折、
（たしか、2009年の1月ごろのブログだったかと思う）
片田舎のサリプルの電化が以外に早かった理由として、
水・エネルギー省の副大臣であった
上記のモハマド・ユヌス・ナワンディッシュという
サリプル出身の人物について書いたことがあった。
彼が副大臣だったのは、カルザイが2004年に正式に大統領に選任される前の、
暫定政権期、2002～2004年頃であるが、
その後、どうしているか分からない、と書いた。

で、
最近、そのナワンディッシュ氏についての消息が分かった。
先ごろ罷免されたカブール市長の後任として、
氏が選ばれた、ということが判明したのだ。
久しぶりに表舞台に戻ってきたというところか。
当然ながら、カルザイ大統領の指名である。

各種メディアで報道されている通り、
現在、カルザイ<a href="http://ameblo.jp/pwjafghanistan/entry-10431770578.html">続きをみる</a><p>『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』</p>
 
</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/pwjafghanistan/entry-10431770578.html</link>  
      <pubDate>Mon, 11 Jan 2010 13:21:26 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>”情報”と”貨幣”と”信仰”と</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 こんにちは、児島です。

大晦日にも書いたが、
あたふたと過ごしているうちに、
アフガニスタンは秋から冬になり、イードが終わり、冬至を過ぎ、2010年が始まってしまった。




 
　写真：冬枯れのボガウィ村、夕間暮れ。西日の残る暖かいところに集まって、なにやら話している子供たち。

＊＊＊


私は毎日、
反政府勢力による爆破事件など、陰々滅滅とした治安情報を集めて対策を考えたり、
現在建設工事が進行中の工事現場で、
セメントと砂利と砂の配合が間違っている！などとガミガミ文句を言ったり、
設計と施行状況の違いについて現場主任と言い合いをしたり、
足元を見てふっかけてくる商売っ気たっぷりの資機材屋などと交渉したりしているわけだが、

こういう仕事をしているときの気分というのは、
不愉快な気分ではないのだが、
ただ、
頭の中の焦点がぼやけてくる、というか、
なんといえばいいのだろう、
たとえて言うと、
目をくっつけるようにして、新聞などの細かい文字を長時間読んでいて
ふっと顔を上げると、自分の周囲の壁やら窓に焦点が合わなくなる、
そんな、
頭の一部しか使っていないような、
硬直化した気分になる。


 



 


 　写真：工事現場を見に来ていた子供。　この寒いのに裸足の末っ子、優しい兄、照れ屋の次女と三女、というところ。女の子二人は、キャアキャアと笑っては私にちょっかいを出してきてカメラを向けると顔を隠すという繰り返し。兄はそれを微笑んで見ていた。


こういう日の夜、
例えば今日のように、
行き詰っている仕事の合間に、
オフィスの外にある便所まで小便をしに出ると、
冬の星が無数にガチャガチャと光っていて、
虚をつかれる思いだ。

ドーーーン！と横たわる天の川を見ると、
気持ちが和らぐ気がするのだが、
多分それは気の迷いだ。
その証拠に、星空を見ても、仕事は一向にはかどらない。
まあ、星空をみたからといって仕事がはかどるわけもない。


今日は
この、気の迷いついでに、
日ごろ漠然と考えていることを、書いてみようと思う。


＊＊＊


雨も雪も、今年の雨季は、出だし好調である。
北部の中心都市であるマザルシャリフと首都カブールを陸路で結ぶ幹線道路には、
途中、サラン峠という標高の高い難所があるが、
そこも大雪だときいた。


マザルシャリフといえば、
最近、なにかと仕事があって、
マザルシャリフに日帰り出張をすることが多い。

ルートとしては、
『サリプル－シビルガン－バルフ－マザルシャリフ』
という経路で往復移動する。


アフガニスタンでの治安悪化傾向は、
比較的平穏なアフガニスタン北部も例外ではなく、
反政府勢力の攻撃が頻繁に発生している。
マザルシャリフに向かう幹線道路では、
ISAF（国際治安支援部隊）指揮下のドイツ軍の軍用車両のコンボイを頻繁に見かけるし、
警察による検問も厳重になっている。


　
 
写真：マザルシャリフへ続く中央幹線道路で見たドイツ軍の戦車。
装甲車を見かけることは多いが、戦車をみることは少ない。



 
　　　　　写真：サリプル中心部のアフガニスタン国軍（ANA）駐屯地。




検問が厳重になった、と書いたけれども、
アフガニスタン警察による検問は、
この”厳重”という日本語から連想するような細かさはない。

検問の方法について、警察内部にどういう規定があるのか知らないが、
私からみれば、
当直警官の気分次第、としか思えない要領で、
ときどき、大型トラックを止めて荷物を検査したり、
現地の人がタクシーとして使うハイエースをおもむろに止めてみたりしているだけのようで、
例えば、
私たちの乗る車両は、たいていの場合、まったくチェックされずに通過できる。

私は、この検問を通過するたびに思うのだが、
これだけ杜撰な検問であるのだから、
もしも、私が反政府勢力のメンバーで、
アフガニスタン北部の状況を撹乱するためのテロ行動を画策している当事者であれば、
南部や東部から、もっと頻繁に武器弾薬を持ち込んでIEDを仕掛けるだろうと思う。

つまり、たとえ私が、
まるでB級のアクション映画のような、
非常に大雑把でマンガチックなテロ計画を実行したとしても、
政府に対してある程度のインパクトは与えることができるだろう、と思うのだ。

ということは、逆に言うと、
この大雑把な検問と、それと矛盾するような、北部での反政府活動の少なさは、
”反政府分子が、如何に周到な計画性を持ち、慎重な集団であるか”
という可能性を示している気がする。

慎重である、という意味は、
”目下計画中のテロ活動の成功を期して慎重である”、
という目先の慎重さのことばかりでなく、
全体的な反政府活動の戦略についても、
限りなく愉快犯に近い粗暴な作戦を展開しているのではなく、
何かしら明確な戦略のある青写真をもとに活動を遂行しているかもしれない、ということである。
そんな印象を受ける。



＊＊＊

しかし、この印象は
しばしば私の脳裏に浮かぶ、雑多な印象のひとつであって、
確定的な知見ではない。

マザルシャリフの治安のよさは、
ここを統治するアタ氏の威力によるところが大きいという考え方もあるし、
アタ氏自身が、犯罪者集団を統率しているという噂もある。
反政府勢力にとって北部は攻撃目標としての魅力に欠けるのかも知れないし、
反政府活動の拠点たるべき協力的な村が少ないのかも知れない。
反政府行動を行っているアクターが、タリバンなどからは距離を持った一団なのかもしれない。
アタ氏は、先に行われた大統領選挙時に、アブドゥラ・アブドゥラ氏側についたので、
その去就にまつわる動きも、今後出てくるかもしれない。
つまり、
実体は知りようがない。

だから、上記したような、私の個人的な印象というのは、
現地情勢を見るときに私が抱く印象のなかの、単なる一つの例であり、
これだけを切り取っても、治安について考える材料にはならない。

私は現地で活動をしながら、
いつも、上記のような小さな印象を忘れないようにしながら蓄積していって、
実際に発生する治安問題を考えるとき、
それらの印象群全体を見渡す気持ちで考えるようにしている。

これらの蓄積された印象の各々は、
なんの確証も傍証もなく、
自分でも信用できないくらいの希薄な印象でしかなく、
”情報”などというものには程遠く、
”知見”とすら呼べない、
なんというのか、漠然とした憶測、とても言うものである。

それらの印象群は、
ときに互いに矛盾するような仮説群であり、
それらを頭のなかでくっつけたりほどいたりしながら、
状況を理解しようとしていくわけである。

これほど頼りない私の印象群であるが、
”＊＊村で、＊＊名のアフガニスタン国軍兵士が犠牲になった”とかいうような
かなり精度の高い確証を得ることができる情報よりも、
自分で蓄積してきた仮説だらけの印象群のほうが、
長期的にみて、事態を類推するときの価値が高いように思う。
可塑性の高い印象群のほうが、
流動的な状況を読み解くには、有用だ、と言えるかもしれない。
リアルであることと、リアリティがあること、
そこには、根本的な違いがあるのかもしれない。

＊＊＊

私だけではないと思うのだが、
一般に”情報”という言葉を使うとき、
私は、居心地の悪さを感じてしまう。
もちろん、”情報”という言葉は便利なので、
仕事でも日常生活でもついつい使ってしまうが、
言った後、自分で違和感を持ってしまう。
例えば、会議などで
「私が得ました情報によれば・・・だと考えられます」
などと発言したり、
人がそのように発言するのを耳にすると、
なんだか、
座りの悪い感じ、
わざと何かをぼやかしているような気がしてしまうのだ。

この感覚はいったい何なんだろう、
というのが数年来の私の疑問であった。

＊＊＊

最近、この疑問を考える一つの糸口を見つけることが出来た。
その糸口は、佐藤　優 著の「国家の謀略」にあった。
この本によると、
『”情報”という言葉の語源は”敵情報告”を短縮したもの』
だそうである。
もしかしたらこれは一般常識なのかも知れないが、
恥ずかしながら私は今まで知らなかった。
これを知ったとき、上の謎が少し解けてきたように思えた。

つまり、”情報”という言葉は、
もともと　”戦争に勝つため”に収集された報告のことであった、というわけだ。

そこで、
”情報”の語源についてもう少し詳しく知りたくて
ネットで調べてみたら、

http://www32.ocn.ne.jp/~env_info_math/yamasita-diary/information-origin.pdf
 

という、非常にわかりやすい記述を見つけた。

これによると、諸説あるようだが、
”情報”という言葉が最初に用いられたのは、
森鴎外がドイツの軍用書を翻訳したときに作った言葉である、とか
幕末のフランスの軍用書の翻訳時に作られた言葉である、とか
様々だが、
つまりは、近代に近い時期に出来た軍隊用の日本語、まだ若い日本語であるわけだ。

この語源に従い、
”情報”について、戦争との関係で考えてみれば、
本来”情報”が持っている性質は自ずと類推されてくる。

一般的に、理想的な軍隊とは、
彼我の軍事力の評価にリアリズムを持っていなければならない、と思う。
そうでなければ、勝てるか負けるかという判断を間違うからだ。
その判断をするために”情報”＝”敵情報告”が必要となる。

そして、真のリアリズムを達成するためには、
複雑怪奇な現実と向き合うことが必要であるから、
そこで集められる”敵情報告”についても
100％の正確さなどは想定してはならないはずである。

つまり、”情報”という言葉はもともと、
100%の正確さとは無縁な言葉で、
完全に正しい報告などありえない、
そういう状況が前提条件となった言葉だったわけだ。 

サリプルという比較的平和な田舎に住んでいる私が、
治安状況について検討しているだけでも
事態の推移についての様々な推測が成り立つのであるから、
いわんや、
実際に戦争が行われている状況では、
”情報”と呼ばれるもののなかに、
如何に玉石混淆、如何にピンキリな内容を含むものが含まれるか、
容易に想像できる。

戦時下において”情報”を収集し検討するリアリストは、
不正確なことを前提のうえで、
それらの報告を見渡し、
その都度”確からしい”方向をさぐっていくことになる。


＊＊＊


しかしながら、
現代の日本で使われている”情報”という言葉には、
その語源に含まれていた
”不正確なもの”というニュアンスが薄まっているように思う。

現代日本で使われる”情報”という言葉には、
なんだか、
なんというのか、
語感として、
”100%正しいこと”、”正確なこと”、”無条件に信用すべきこと”
というようなニュアンスが含まれているような気がしてしまう。
いや、
”情報”自体を100％正しいと信用している、というよりも、
どんな信用出来なさそうな、ガセネタのような”情報”に接するときにも、
知らず知らずのうちに、
”完全無欠の正確無比な情報”というものがどこか別のところに存在することを、
心のどこかで期待している、そんな気がする。
”今は入手できなくても、この世のどこかに必ず100％正しい情報があるのだ”
という妄想とでも言おうか。

しかし、100%信用できる、完全無欠な情報なんてあるのだろうか、手に入るものだろうか。

”情報”という言葉の現代的な使い方の起源は、
上記のhttpによれば、
1950年代に輸入された数学的な理論のなかで
”インフォメーション”の訳語の専門用語として使われ始めたことによるようだ。
このことは、
なんとなく、ではあるが、
なぜ”情報”という言葉が、
現代のように”正確なこと”というイメージをもつようになったかの理由の一つにも思える。
しかし、むしろ、
そういう使い方を時代が要請した、というほうが理解の仕方として正しい気がする。

＊＊＊

たとえば、
”三角形の内角の和は180°である”という記述を
”情報”と呼べるかどうか。

この記述は
信用できる内容を含んでいるけれども、
”三角形の内角の和が180°”というのは、
”三角形”という主語の中にすでに含まれた意味であるから、
は自明のことを言っているだけだ。
主語の中にすでに含まれた内容を書き出しているだけだ。

あるいは、
”A&#61;B かつ B&#61;Cなら、A&#61;Cである”という論理に従って構成された記述を
”情報”と呼べるかどうか。
A、B、Cそのものの表象性を問題にはせずに
ひたすらに論理学的思考を積み上げたものは、
硬直化しすぎている。

これらような自明さ、あるいは硬直化した”真理”を
情報とは呼べなかろう。

まあこれらの、
三角形や論理学的な例は極端すぎるが、
とにかく、”敵情報告”の中に、
このような自明性を持った報告があるわけがない。
本来、”情報”＝敵情報告とは
流動的な現実の側面を描き出すためのもので、自明なものではないはずだから。


しかしもしも、
”情報”と呼ぶものを、すべて正確なことだ、と皆が考えたら、
どうなるだろう。
情報が、とたんにめまぐるしく流通し始めるに違いない。
”正確である”という価値で固定されて、朽ちることのなくなった状態だからこそ、
情報は流通する。

現代において、特に先進国において、
これだけ情報が流通しているのは、
情報が持つ、ある種の”朽ちにくい価値”が保証されているからではないだろうか。
流通するからそれが正しい気がしてくるのか、
正しいと思えるから流通するのか、
順序はわからないが、
とにかく、朽ちにくい価値が情報に付随している。
情報の朽ちにくさ、の前提の上に社会が成り立っている。
情報の正しさを仮定して初めて機能している社会だ。


＊＊＊

私の思い込みかもしれないが、
日本に帰国して、
テレビを観たりコンビニで立ち読みをしたりするたびに思うのは、
”あふれている情報は全て正しいのだ”という前提ありき、
”情報は自明である”という前提ありき
で物事が語られているような気がするのである。

事実に最も近い一次情報は流通しにくいことは分かるが、
二次情報とも呼べない、
三次・四次情報とでも呼びたくなるような、
根拠の不明瞭な、根無し草のような”情報”が
大量に高速で流通している気がする。
なんだか、
空中に浮いたジャイロが高速回転してる、そんなイメージを持ってしまう。
根も葉もない価値体系が、独りで勝手に稼動してる、そんな気分がする。

そんな、勝手に高速回転している価値体系の中では、
ある情報が間違いであると判明したときは
別の確からしい情報に、あまり抵抗なく塗り替えられてゆく。
なぜそんなにお手軽に塗り替えて上書きできるか、といえば、
それは、
”どこかにきっと真に正しい情報があって、それをいつか知ることができるはずだ”
という”信仰”に裏打ちされているからではなかろうか。

今自分が持っている情報が信用できないものであると薄々分かっていても
半ば訳知り顔な気分のなかで、
”それでも本当の情報はいつか知ることが出来るんだ”と信じることで
とりあえず落胆から救済されている。
”いつか手に入れることが出来る真の情報”という仮説に担保された、
キリのない、尻に火がついたような信仰である。


つまりいいたいことは、
”情報”がこれだけ流通しているということは、
そこに何らかの信仰が存在している、ということだ。
いわば、
”情報教”だ。

私たち先進国出身者は、
無宗教を気取って、
魂の救済を求めないという鷹揚な空元気で
虚勢を張っているけれど、
深層においては、
救済されない魂の部分を、
頼りない”情報教”で埋めようとしているのかも知れない。

もしそうだとすれば、認識しておいたほうがよいのは、
”情報教”の中心にあるのは
”いつの日か、100％正しい真の情報を入手できるはずだ”
という、片思いのようなドグマだけだ、ということだ。

情報が物事を説明していく、その端から、
次から次へと情報は硬直化してしまうから、
情報は、心の中の何かを、いつも取りこぼしていく。
この”心の中の何か”を包摂できない限り、
”情報教”の底は割れたままだ。
そしてこの”何か”とは、
古来、神話や信仰が担っていた部分である。

＊＊＊

私の勝手な想像だが
もともと、大昔の石器時代くらいの人間社会の中では、
色あせることのない”不朽の情報”というのは、
神話や信仰といった、精神のリアリティを表す世界観によってのみ
人間に供給されていたと思う。
人々の魂を救い上げるために、様々な物語が育まれてきた。
太古の人間社会に流通していた情報は、いわば、”魂についての情報”であった。

そこには、
現代における情報のような固定化はなく、
芳醇なリアリティがある。
現代の情報のように素早くは流通せず伝達には時間がかかるが、
それが人間の魂に共鳴している。
流動する毎日のリアルにも同期している。

”魂についての情報”が、
神話や信仰と融和している時代は
おごそかな方法で”魂についての情報”は守られ大切にされていた。
精神的にはある程度、平安であったであろう。
というより、精神の平安を得るための知見が
”魂についての情報”だ<a href="http://ameblo.jp/pwjafghanistan/entry-10427444839.html">続きをみる</a><p>『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』</p>
 
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      <pubDate>Tue, 05 Jan 2010 19:15:20 +0900</pubDate> 
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      <title>大晦日</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 こんばんは、児島です。

あたふたと過ごしているうちに、
アフガニスタンも冬になり、
ついに2009年も終わりの日である。

振り返って考えると、忙しくしていた、とは思うのだが、
具体的に何が大変だったか、あまり細かく思い出せず、
8月から今日まで、ブログを更新することもしないで、
いったい何をしていたか、
とにかく、あっという間に冬になり年の瀬になった気分である。

このブログを読んで下さっている数少ない皆様には、
聞いて頂きたいことが色々あって、
ここで書きたかったのだが、
書けずじまいになったしまった。
それらはまた、
年が明けて、<a href="http://ameblo.jp/pwjafghanistan/entry-10423831389.html">続きをみる</a><p>『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』</p>
 
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      <link>http://ameblo.jp/pwjafghanistan/entry-10423831389.html</link>  
      <pubDate>Thu, 31 Dec 2009 20:54:14 +0900</pubDate> 
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