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    <title>AFTER THE GOLD RUSH</title>  
    <link>http://ameblo.jp/nyarome007/</link>  
    <description>とおくまでゆくんだ　ぼくらの好きな音楽よ――</description>  
    <language>ja</language>  
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    <item> 
      <title>She said NO!</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 <a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20100131/16/nyarome007/b2/4a/j/o0222022210395607572.jpg"><img src="http://stat.ameba.jp/user_images/20100131/16/nyarome007/b2/4a/j/t02200220_0222022210395607572.jpg"  alt="$AFTER THE GOLD RUSH-よしだよしこ「She said NO !」" width="220" height="220"style="clear:both;float:left;"  border="0" /></a><font size="2">日比谷公園から外堀通りを歩き、銀座の繁華街へ、そして東京駅を通り越し、常盤橋公園へ。それが昨日のデモコース。日比谷野外音楽で開催された「チェンジ！日米関係　普天間基地はいらない 辺野古・新基地建設を許さない　1・30全国集会」。集会後、数千人の参加者と都心を歩いた。<br /><br />街を歩くのが好きだ。同じ思いを持った人となら、なお気分は高揚する。だから、語弊があるかもしれないが、ぼくは歩きながら、ずっと、高ぶった気持ちを抑えることができなかった。<br /><br />「デモなんて恰好悪いよ」と言う人もいるだろう。そのとおり。プラカードを持って歩くなんて、ちっとも恰好いいものじゃありません。それどころか、公安には写真を撮られるし、もしかすると、歩道側には、職場の仲間たち、上司や部下の目があるかもしれない。つまり、ぼくのようなしがない勤め人にとって、デモは、かなりリスキーな行為でもあるのだ。<br /><br />それでも、ぼくがデモに行くのは、高邁な使命感とか、純粋な正義感とか、そんな立派なものでは決してなく、自分の内側にある何かを確認したいからだと思う。素顔を晒し、メッセージを胸に掲げて街を歩く。その時、いやがおうでも自分の書いた言葉が、自分自身に跳ね返ってくる。お前は本気か？　偽善ではないのか？　これはかなりしんどい。でも、そこで初めて分かることもある。悟る、というと、修行のようだが、その感覚に近いような気もする。<br /><br />今年に入ってから、あるミュージシャンの言葉にいたく感銘を受けた。しごく共感した。それは、中川五郎氏の1月22日の日記に書かれていた次のような言葉だった。<br /><br /><em>　　1960年代後半のあの当時も、反差別やベトナム反戦、それにアメリカの黒人差別のことなど、「ひとごと」<br />　　「よそごと」を歌ってどうするんだということをよく言われた。確かに16や17歳で歌っていたぼくの歌は、<br />　　頭でっかちで、中身も薄っぺらくて、夢みたいなことを言っているだけのものだったかもしれない。<br />　　最初は権力を攻撃したり、鋭いメッセージを歌ったり、皮肉たっぷりの歌を歌っていたまわりのフォーク・<br />　　シンガーたちは、みんな「ひとごと」や「よそごと」を歌うのでなく、「自分のこと」、「自分だけのこと」<br />　　を歌うようになり、そうした歌がとても持て囃されるようになっていった。（中略）<br />　　しかしぼくは40数年後の今にして改めて思う。「ひとごと」や「よそごと」を「自分のこと」にできなくて、<br />　　何が愛だ、何がしあわせだ、何が優しさだ、何が思いやりだ。そして誰も歌わなくなってしまったとしても、<br />　　ぼくだけは「ひとごと」や「よそごと」とされることを「自分のこと」として歌い続けたいと、強く思っている。</em><br />　　（<a href="http://www.goronakagawa.com/cgi-bin/diary.cgi?mode=view&no=359" target="_blank">「The World According to Goronyan. ナカガワゴロウの世界」</a>）<br /><br />これを読んで、ぼくは、霧がすっと晴れたような気分になった。勇気が湧いてきた。つまりは想像力の問題なのだ。もし、自分の町に基地がやってきても、それでも、「ひとごと」や「よそごと」でいられるだろうか？　ぼくらは、いつしか「ひとごと」や「よそごと」を「自分のこと」にする想像力を失ってしまったから、性根の美しい人たちのことを当てずっぽうに「偽善者」呼ばわりしてしまうのではないか？<br /><br />そしてもう一つ、偽善を嘲笑って何もしない連中より、一歩を踏み出して行動している「偽善者」の方がよっぽどいい。「何もしないことの罪」「沈黙することの罪」が何より重いということは、シンガーソングライターのよしだよしこさんが教えてくれた。――彼女は、「公民権運動の母」ローザ・パークスから、そのことを教わった、と歌っている。<br /><br />　　1955年12月1日　冷たい雨降る夜<br />　　仕事帰りの人々を乗せる　一台のバス<br />　　白い肌は　前のドア　<br />　　黒い肌は　同じコインを払って後ろのドア<br /><br />　　She said NO! <br />　　沈黙を破る勇気の一言　JUST NO!<br /><br />　　私の国はちいさな島国で62年前<br />　　「絶対に戦争をしない」という素晴らしい誓いをした国です<br />　　でもうつむく人が多い国です　知らん顔して歩く人たちが　多い国なんです<br />　　あ～そんなとき　Sister ROSA バスの後ろの席で<br />　　貴女の勇気に思いを馳せます<br />　　（よしだよしこ「She said NO!」）<br /><br />決意に満ちた歌だと思った。そして、その決意は、あのまなじり決して、というやつではなく、とてもさりげない「ふつうの言葉」で表明されているから、ぼくは却ってより鋭いナイフを突き付けられたような凄みを感じてしまった。21世紀に生まれた素晴らしいメッセージソング。一人でも多くの人に聴かれてほしいと思う。<br /><br />よしだよしこ- She said NO!<br /><object width="325" height="250"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/75BxFe0chag&hl=ja_JP&fs=1&"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/75BxFe0chag&hl=ja_JP&fs=1&" type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="325" height="250"></embed></object>
 
</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/nyarome007/entry-10447167204.html</link>  
      <pubDate>Sun, 31 Jan 2010 15:55:28 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>Bobby Charlesを聴きながら</title>  
      <description> <![CDATA[ <p><font size="2"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20100118/01/nyarome007/07/7b/j/o0313031210379868750.jpg"><img style="FLOAT: left; CLEAR: both" border="0" alt="AFTER THE GOLD RUSH-Bobby Charles" src="http://stat.ameba.jp/user_images/20100118/01/nyarome007/07/7b/j/t02200219_0313031210379868750.jpg" width="220" height="219" /></a>
 顔も名前も分からない世界で、ボビー・チャールズとヘロンがぼくらの“つながり”を証明するリトマス試験紙のようなものだった。今から５年前、ぼくがブログを始めた頃。アメリカンロックならボビー、ブリティッシュフォークならヘロン、決して多くの人に聴かれているとは思えないこれらの音楽が、ぼくらの周りにだけは満たされていた。特にボビー・チャールズの１ｓｔ。ここに収録されている「Small Town Talk」をきっかけに、ぼくは松平維秋さんのことを教えてもらったし、盟友弾鉄氏は、そのものずばりのタイトルを付けたブログを立ち上げていた。それから、忘れもしない牧村憲一さんのPied Piper Days―2006年冬、ケンウッドスクエア丸の内を大音量で包み込んだのも、やはりこの曲だった。</font></p>
<p><font size="2"><br />
</font></p>
<p><font size="2">ぼくは、今までにこのアルバムのことを２回文章にしたことがある。１回目はあまりにもお粗末だったので、“無かったこと”にした。２回目は、ここではない別の場所に書き、それは今もどこかに置きっぱなしになっている。だから、これで３回目。それなのに、いまだ一度もまともな文章を書けたことがない。</font></p>
<p><font size="2"><br />
</font></p>
<p><font size="2">人が死ぬたび墓標が立つ。今回もボビーの死を悼んで、ネット上にいくつもの墓標が立った。これから先、ぼくらはいくつ墓標を立てることになるのだろう。さよなら、ボビー。</font></p>
<p><font size="2"><br />
</font></p>
<p><font size="2"><strong>追記</strong>（1/18 21:50)<strong>　<br />
</strong>夕刊を開いて、思わず息をのんだ。浅川マキ、心不全のため逝去。<br />
またひとつ、悲しい墓標が立ってしまった――。合掌。</font></p>
]]> </description>  
      <link>http://ameblo.jp/nyarome007/entry-10436841855.html</link>  
      <pubDate>Mon, 18 Jan 2010 01:49:45 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>フォーク・ソング派宣言</title>  
      <description> <![CDATA[ <p><font size="2">アコースティック・ギターの弦を久々に交換した。ほぼ十年ぶり。これくらい長い間、弦を交換していないと、張り方の要領すら忘れてしまっている。情けなや。悪戦苦闘の末、ようやくすべての弦を張り終えた。</font></p>
<p><font size="2"><br />
</font><font size="2"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20100105/23/nyarome007/1e/7b/j/o0800080010365953505.jpg"><img style="FLOAT: left; CLEAR: both" border="0" alt="AFTER THE GOLD RUSH-folk songs" src="http://stat.ameba.jp/user_images/20100105/23/nyarome007/1e/7b/j/t02200220_0800080010365953505.jpg" width="220" height="220" /></a>
以前、ぼくは、フォーク・ソングを毛嫌いしていた。特に、シンガーが歌詞を先読みしながら優しい笑顔で合唱を強制する、あの「シングアウト」というスタイルが鳥肌立つほど嫌いだった。時代も悪かった。音楽を意識して聞き始めた頃――70年代末、日本のフォークと言えば、ニュー・ミュージックであり、それは、ぼくにとって出来の悪い歌謡曲、もしくはしみったれた演歌と同義語でしかなかった。女々しい歌でハンド・イン・ハンド？　冗談はやめてくれ。</font></p>
<p><font size="2"><br />
</font></p>
<p><font size="2">だから、フォークからなるたけ遠く離れたところにいたかった。湿気と無縁なニュー・ウェイヴが心地良かったし、日本では「季節の中でふざけんな　ヘドが出るぜ」と歌っていた仲野茂は、中学生の頃のヒーローでもあった。</font></p>
<p><font size="2"><br />
</font></p>
<p><font size="2">そんなぼくが日本のフォークに開眼するのは、岡林信康や遠藤賢司、友部正人、高田渡などの、いわゆるＵＲＣ系ミュージシャンを聴くようになってからだが、それでも、随分と長いこと、岡林らはスタイルはフォークだけど、精神はロックだ、などという七面倒臭いエクスキューズ付きで彼らの音楽を聴いていたような気がする。正直に言うと、つい最近までそうだった。フォークは「軟弱で恰好の悪いもの」という刷り込まれたイメージからの脱却はかくも困難なことであったのだ。</font></p>
<p><font size="2"><br />
</font></p>
<p><font size="2">でも、もうやめた。ロックというファインダーを通してフォークを聴き、語るなんて、そんな馬鹿馬鹿しいやり方は。そして、今や、フォークか、ロックか、などという二元論自体がまったくのナンセンスであることは重々承知しつつも、あえて、ぼくは、フォークの側に立つということを宣言しよう。「カッコよくはないけれど」、忘れられ、見捨てられた歌たちを、ぼくは、これからも執拗に聴き続けるだろう。時に歌い、そして、書き続けるだろう。</font></p>
<p><font size="2"><br />
</font></p>
<p><font size="2">かつて、フォーク・ソングは「民衆の心をうたう歌」だった。それは、最も新しい若者の歌であり、時に権力を脅かす鋭利な武器でもあった。そのフォークの牙を抜き、恰好悪いもの、ダサいものにしてしまったのは、一体誰なのか？　いまだ誰も断罪されていない。<br />
告発されるべきＡ級戦犯は、もしかすると、あなたのレコード棚の奥にいるのかもしれませんよ。</font></p>
]]> </description>  
      <link>http://ameblo.jp/nyarome007/entry-10427679883.html</link>  
      <pubDate>Wed, 06 Jan 2010 00:12:46 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>夜間飛行</title>  
      <description> <![CDATA[ <a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20091226/01/nyarome007/16/75/j/o0379021910353526174.jpg"><img src="http://stat.ameba.jp/user_images/20091226/01/nyarome007/16/75/j/t02200127_0379021910353526174.jpg"  alt="$AFTER THE GOLD RUSH-Little Boxes" width="220" height="127"style="clear:both;float:left;"  border="0" /></a><font size="2">妻の入院している病院は、小高い丘の上にあって、夜、病室から外を見下ろすと、家々の明かりが、控えめに、ぽつり、ぽつりと、小さな星のように瞬いて見える。<br />このくらいがいいんだ、と思う。職場から見える新宿の夜景は、地平線ぎりぎりまで光の絨毯を敷き詰めたかのようにきらめいて、いささかトゥーマッチ。情緒も何もあったもんじゃない。<br /><br />明かりを数える。いち、にい、さん・・・・、家の明かりはいい。そこには、人々の生活がある。夕餉の匂い、家族の笑い声、テレビの音。ささやかな喜びと些細な悩み、でもそのひとつひとつが、当事者にはとてつもなく大きくて。<br />マルヴィナ・レイノルズの「Little Boxes」をふと思い出す。高石友也が、まだ鋭くて尖った若者だった頃「小さな箱」と訳して歌っていた。<br /><br />　 丘の上に沢山の　ペナペナ板で出来ている<br />　 小ちゃな箱　小ちゃな箱　みんな同じ<br />　 （中略）<br />　 会社に入り　結婚をして　家庭をつくり<br />　 そして箱に入り　小ちゃな箱はみんな同じ<br /><br />皮肉な歌だ。現代人の画一化や均質化をマルヴィナ婆さんが嘲笑っているかのようだ。でも、ぼくは思う。一見同じに見える「小ちゃな箱」だけど、やはり、箱の数だけ違う人生があって、だから、ぼくらは実のところ、決して画一化も均質化もされちゃいないってこと。同じに見えるのは、上から見下ろしてるからさ。――それは、権力者と同じ目線。ぼくは、そのひんやりとした目線を感じるたび、残念ながらプロテスト・ソングの限界を感じてしまう。<br /><br />小さな箱それぞれに存在するささやかな幸せが、総体となって、初めて大きな幸せになるのではないか。個人的な幸せを度外視し、のみならず軽蔑すらして、人類愛や平和を訴えても、それは決して人々の心には響かないだろう。だから、一人ひとりが、自分の箱の中の小さな幸せを大切に守っていくことは、個人主義ではなく、もっと崇高な理念に基づく行為のような気がする。例えば、ヒューマニズム、例えば、アガペー。<br /><br />そんなことを考えながら、ぼくは病室の窓から外を眺めていた。そして、しみじみと幸せを噛み締める。手術は成功した。ぼくは、現代医学に感謝しよう。周囲の人々の優しさにも。小さな箱の中で、手を固く握り締める。窓の外で、家々の明かりが瞬く。小さな星のように。まるで、ぼくら、夜間飛行しているみたいだ。</font><br /><br /><object width="325" height="250"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/PGmRfT7vP5w&hl=ja_JP&fs=1&"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/PGmRfT7vP5w&hl=ja_JP&fs=1&" type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="255" height="180"></embed></object><br /><br /><font size="2">今年、ぼくは、ちあきなおみの歌声に随分と救われた。彼女は、現代のディーヴァなのかもしれない。</font>
]]> </description>  
      <link>http://ameblo.jp/nyarome007/entry-10419597524.html</link>  
      <pubDate>Sat, 26 Dec 2009 00:45:02 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>A Love Supreme</title>  
      <description> <![CDATA[ <p><font size="2" target="_blank"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20091109/23/nyarome007/33/99/j/o0225022510301913361.jpg"><img width="220" height="220" style="FLOAT: left; CLEAR: both" alt="AFTER THE GOLD RUSH-A Love Supreme" src="http://stat.ameba.jp/user_images/20091109/23/nyarome007/33/99/j/t02200220_0225022510301913361.jpg" border="0" complete="true" complete="true" /></a>
 ◆以下の文章は、3年前の11月に、はてなダイアリーに書いたものです。コメントの一部を含めて再掲します。Thanks to <a href="http://d.hatena.ne.jp/subterranean/20091110/p1" target="_blank">subterranean</a>
 さん。</font></p>
<p><font size="2"><br />
</font></p>
<p><font size="2">1989年の11月はとても寒々とした日が続いて、それは多分当時のぼくの心象風景に木枯らしが吹きまくっていたからだと思うんだけど、6月の天安門事件から始まった大きな時代のうねりが東欧諸国に津波のように押し寄せ、ベルリンの壁に民衆のツルハシが突き立てられた時、ぼくは完全に一つの時代、そして一つの思想が葬り去られたことを知った。忌まわしきスターリニズムの息の根が止められ、平等という名の奴隷生活を強いられていた不幸な民衆が解放されたことは素直に喜ばしいことだったのだけど、それをもって、あの馬鹿馬鹿しい冷戦が資本主義体制の圧倒的な勝利で終わったと断ずるのはあまりにも無邪気すぎる見解だと思ったし、社会主義という厄介者を駆逐した後の資本主義が、マルクスのすべてを否定し、さらには社会民主主義的な政策をも古いコートのように脱ぎ捨てたら、時代は19世紀のイギリスに逆戻りするだけで、ぼくらの未来を明るく照らすはずの蜀台は資本家の私欲に塗れた「労働者の死刑台」に転化されるだろうという漠然とした不安を感じていたんだ。</font></p>
<p><font size="2"><br />
</font></p>
<p><font size="2">そんな寒々とした気分の11月、ぼくはジャズ喫茶でコルトレーンをよく聴いた。当時、ジャズのレコードは数えるくらいしか持っていなかったので、コーヒー一杯で何回でもリクエストができるジャズ喫茶はありがたかった。中でも「至上の愛」は毎回リクエストしていたアルバム。コルトレーンのスピリチュアルなサウンドが紫煙で充満した薄暗い店内に響くと、それは、まるでぼくの進むべき未来を指し示す啓示のように聴こえた。あの時の啓示は、そして進むべき未来は、確かに今ぼくが立っているところにつながっている。だから、耳を澄ませば、今でも1989年の晩秋に鳴り響いた「至上の愛」が聞こえてくるんだ。(2006/11/27 「ひっぴぃのつくりかた」）</font></p>
<p><br />
<font size="1">subterranean 2006/11/27 23:01 <br />
90年代になってからマルクスを読んだ者としては、彼のヴィジョンは随分曲げられてしまっていたのだと感じたものです。あと、どんなに理想主義的な動機で作った国家も、やはり権力装置として定着してしてしまうものなのだな・・・とも。<br />
コルトレーンは、私にとってジャズを聴くきっかけになったミュージシャンでした。最初に手にしたのは『至上の愛』全曲と『セルフレスネス』に収録された「マイ・フェイヴァリット・シングズ」が入った、怪しげな廉価盤だったのですが（笑）。しかし、今考えても素晴らしいカップリングでした。それまでジャズというジャンルがピンと来なかった私ですが、これには一発でヤラれました。それ以来しばらくインパルス・レーベル期のコルトレーン漬けの日々が続きました。当時はジャズの世界にも、ジミヘンみたいなサウンドを出す人がいるんだ・・・なんて不思議な感想を持ってたものです。</font></p>
<p><font size="1"><br />
</font></p>
<p><font size="1">nyarome007 2006/11/27 23:44 <br />
subterraneanさん、書いた本人でさえ読むのがイヤになるこんな悪文にコメントいただき、ありがとうございます。半ば脳死状態の当ブログでありますが、subterraneanさんからの瑞々しく知性に満ちたコメントを頂くたびに、新鮮な空気を吸ったか如く瞬間的に息を吹き返すから不思議です。<br />
社会主義崩壊の折、「善意で敷き詰められた道は地獄に通じる」とよく言われました。かつてローザ・ルクセンブルグがレーニンに異を唱え、またレーニン自身も認めていたように、ソビエト型社会主義は、100人の馬鹿より１人の天才を重んじる国家で、いかに崇高な理想を奉っていても、それが独裁と強制を伴うものなら、自由と人間としての尊厳を奪われた国民にとっては、地獄以外の何物でもないし、私もそんな体制は真っ平御免なのです。そして、我が国の一番の不幸は、未だ一度もまともな社会民主主義政党を持ちえなかったということでしょうか。（それに引きかえ、1950年代にバート・ゴーデスベルグ綱領を採択したドイツ社民党のすごさよ！）<br />
音楽に関係の無い話で長くなってしまいましたが、コルトレーンは本当に素晴らしい。特に「至上の愛」は、あちらの世界に飛び込んでいくドキュメントのような孤高の美しさがあり、聴く度に新たな感動を覚えるのです。</font></p>
]]> </description>  
      <link>http://ameblo.jp/nyarome007/entry-10384794102.html</link>  
      <pubDate>Mon, 09 Nov 2009 23:37:13 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>大寒町</title>  
      <description> <![CDATA[ <p><font size="2"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20091106/00/nyarome007/9a/fe/j/o0248021810297825571.jpg"><img width="195" height="174" style="WIDTH: 195px; FLOAT: left; HEIGHT: 174px; CLEAR: both" alt="AFTER THE GOLD RUSH-THE FINAL TAPES はちみつぱいLIVE BOX 1972-1974" src="http://stat.ameba.jp/user_images/20091106/00/nyarome007/9a/fe/j/t02200193_0248021810297825571.jpg" border="0" complete="true" complete="true" /></a>
 ゆっくりと坂を上る。風が冷たい。思わずポケットに手を入れる。上りきったところから、ぼくらの住む町の全景が見える。少しだけ立ち止まる。</font></p>
<p><font size="2"><br />
</font></p>
<p><font size="2">――遠くまで見えるネ…<br />
――随分と寒くなったから…</font></p>
<p><font size="2"><br />
</font></p>
<p><font size="2">そんなことを一言、二言話して、また歩き出す。</font></p>
<p><font size="2"><br />
</font></p>
<p><font size="2">不思議なものだ。理不尽で、しごく辛く、やりきれないと思っていたことも、日を重ねていくうち、いつしか、テレビのスイッチを入れたり、バサバサと新聞を広げたりするような、ごく当たり前で、平凡極まりない日常になってしまう。さもなくば、ぼくらの心には何万トンものユウウツが積み上がって、その重力で二度と立ち上がれなくなってしまうだろうから。この夏以降、自然と学んでいったのかもしれない。そういう呼吸の仕方、そういう歩き方を。</font></p>
<p><font size="2"><br />
</font></p>
<p><font size="2">　♪大寒町に　ロマンは沈む<br />
　　星にのって　銀河を渡ろう</font></p>
<p><font size="2"><br />
</font></p>
<p><font size="2">――何の歌？<br />
はちみつぱいの、と言いかけて、でも、何だかそれを説明するのが面倒な気がして、いや、あがた森魚だよ、と言って、鼻歌をやめる。</font></p>
<p><font size="2"><br />
</font></p>
<p><font size="2">そして、死んでしまった加藤和彦氏のこと、イムジン河のこと、などを、ポツリ、ポツリと。<br />
――イムジン河って不思議な歌だね。放送禁止で、レコードも発売されなかったのに、新宿西口では何度も歌われていたんだから。<br />
話しながら、ぼくは昨年の初夏に受け取った１通のメールのことを思い出す。</font></p>
<p><font size="2"><br />
<a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20091106/00/nyarome007/54/b7/j/o0214016710297825572.jpg"><img width="200" height="156" style="WIDTH: 200px; FLOAT: right; HEIGHT: 156px; CLEAR: both" alt="AFTER THE GOLD RUSH-はちみつぱい" src="http://stat.ameba.jp/user_images/20091106/00/nyarome007/54/b7/j/t02140167_0214016710297825572.jpg" border="0" complete="true" complete="true" /></a>
 「…歌詞の、自由の使者の鳥は南から北へではなく、北から南へというところに北賛歌があります。よど号が北へ向かった理由もここにあります。」<br />
メールの主、Ｔ氏ともすっかり疎遠になってしまった。彼の言葉は、いつも鋭利なナイフのようで、容赦無くぼくの急所を抉り、だから次第に、そんな切っ先鋭い凶器のような言葉たちと真正面から向き合うことに疲れてしまった。最後は、ぼくが逃げたのか、彼が見限ったのか――。ものすごく俗な表現で言ってしまえば、それは、世代の違い、だったのかもしれない。「優しさ」という怠惰で無気力な微温湯の中で、すべてを曖昧にして、白黒付けずに仲良しゴッコ、そんなひ弱なぼくらの世代に、還暦を越えたＴ氏はほとほと愛想を尽かしたのではなかろうか。</font></p>
<p><font size="2"><br />
</font></p>
<p><font size="2">　♪大寒町に　雪降るころは<br />
　　もうじきだね　呼んでみようよ</font></p>
<p><font size="2"><br />
</font></p>
<p><font size="2"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20091106/00/nyarome007/c2/ee/j/o0260016910297825574.jpg"><img width="205" height="130" style="WIDTH: 205px; FLOAT: left; HEIGHT: 130px; CLEAR: both" alt="AFTER THE GOLD RUSH-One Step Festival" src="http://stat.ameba.jp/user_images/20091106/00/nyarome007/c2/ee/j/t02200143_0260016910297825574.jpg" border="0" complete="true" complete="true" /></a>
 説明するのが面倒なことは、書くのも同じように面倒だ。そもそも音楽の良さを言葉で説明するなんて、ナンセンス極まりない愚行なのだ。でも愚行と知りつつ、やはり書かずにはいられない。はちみつぱいのボックス（THE FINAL TAPES/LIVE BOX 1972－1974）、おそらく今年ぼくが聴いた音楽の中で、最も鮮烈な印象を残し、今後もずっと聴き続ける作品となるだろう。</font></p>
<p><font size="2"><br />
</font></p>
<p><font size="2">鈴木慶一の弟、博文が書き、あがた森魚のレパートリーとしても知られる「大寒町」は、計6ヴァージョン収録されている。渋谷ジァン・ジァン、代々木いちごの目ざまし時計、池袋ホーボーズ・コンサート…。中でも、ワンステップ・フェスティバルでの演奏が秀逸。ザ・バンドを思わせる重たいリズムに乗せて、鈴木慶一が独特なバイブレーションのかかった歌い回しで１番を、そしてヴァイオリンの武川雅寛が２番を歌い継ぐ。間奏での、まるで「Fool To Cry」のような、鈴木と武川の素朴なファルセットがいい。実にいい。Hoo Hoo Hoo。ぼくは毎回ここで胸が熱くなる。</font></p>
<p><font size="2"><br />
そして、はちみつぱいの湿気と草のかほりに満ちて、凛とした孤高の佇まいに、ぼくはこういうイメージを重ね合わせる。</font></p>
<p><font size="2"><br />
</font></p>
<p><font size="2">　君は僕等の東洋が生んだ<br />
　草花の匂のする電気機関車だ。――<br />
　（芥川龍之介「或阿呆の一生」より）</font></p>
<p><font size="2"><br />
</font></p>
<p><font size="1">※　11/9　最終パラグラフを加筆修正</font></p>
]]> </description>  
      <link>http://ameblo.jp/nyarome007/entry-10381739012.html</link>  
      <pubDate>Fri, 06 Nov 2009 01:18:17 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>Marc Time／Marc Ellington</title>  
      <description> <![CDATA[ <p><font size="2"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20090927/03/nyarome007/6f/a4/j/o0200020010262315627.jpg"><img width="200" height="200" style="FLOAT: left; CLEAR: both" alt="AFTER THE GOLD RUSH-Marc Time" src="http://stat.ameba.jp/user_images/20090927/03/nyarome007/6f/a4/j/t02000200_0200020010262315627.jpg" border="0" complete="true" /></a>
「彼が23歳のアメリカ人であるとか、髭を生やしているとか、気がふれて聖職を剥奪された修道士のように見えるとか、そんなことはどうでもいいことだ」（デヴィット・サンディソン）</font></p>
<p><font size="2"><br />
</font></p>
<p><font size="2">マーク・エリントンにまつわる誤解と伝説は、この勿体ぶったライナーノーツ―１stアルバム「Marc Ellington」（1969年作）に掲載―から始まった。そして、その誤解を「定説」に変えたのは、2ndアルバム「Rains / Reins of Changes」（1971年作）に収録された名曲「I'm Leaving (America)」だったのではないか。妻カレンとの共作によるこの美しいバラードは、サンディ・デニーの哀しげなバック・ヴォーカルと相まって、さながら母国アメリカに別れを告げるマークの心象風景のように聴こえる。</font></p>
<p><font size="2"><br />
</font></p>
<p><font size="2">英国音楽に憧れて渡英した「アメリカ人」マークは、60年代後半から70年代半ばにかけて、イギリスで、カントリー・フレーヴァー溢れる５枚のアルバムを制作した。そして、渡英時に彼が所有していたボブ・ディランの「地下室セッション」のテープが、フェアポート・コンヴェンションやマッギネス・フリントらの手にわたり、それがきっかけで、英国ミュージシャンがディランの未発表曲を演奏するようになった。こんなエピソードが、いつしかまことしやかに語られるようになった。</font></p>
<br />
<p><font size="2"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20090927/03/nyarome007/57/c2/j/o0179017910262315694.jpg"><img width="179" height="179" style="FLOAT: right; CLEAR: both" alt="AFTER THE GOLD RUSH-Rains  Reins of Changes" src="http://stat.ameba.jp/user_images/20090927/03/nyarome007/57/c2/j/t01790179_0179017910262315694.jpg" border="0" complete="true" /></a>
でも、すべては誤解、もしくは伝説だったのだ。マーク・エンリントンは、英国音楽に憧れて渡英した「アメリカ人」などではなかった。彼は、生粋の英国人だった。2007年の春、ぼくは中谷哲也氏のライナーノーツでその事実を知り愕然とした。</font></p>
<p><font size="2"><br />
</font>
<p><font size="2"><strong>中谷</strong>　貴方の出生国は米国なのですか？　また、10代の頃に聴いた音楽など教えてください。<br />
<strong>マーク</strong>　私は生まれも育ちも英国だよ。1945年、ストーンハムで生まれたんだ。10代の頃はクラッシックからジャズ、ロック、トラッド、フォークミュージックまで幅広く聴いていたよ。15才ぐらいかな、ギターを弾き始めた。両親や弟もスコットランドの北部のアバーディーン市に住んでるけど。<br />
（「髭面マーク登場」ライナーノーツより）</font></p>
<p><font size="2"><br />
</font></p>
<p><font size="2">何てこった、まるで、ラフカディオ・ハーンが、自分は「生粋の日本人だった」と告白しているようじゃないか！</font></p>
<p><font size="2"><br />
<a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20090927/03/nyarome007/5b/53/j/o0168016710262317907.jpg"><img width="168" height="167" style="FLOAT: left; CLEAR: both" alt="AFTER THE GOLD RUSH-Restoration" src="http://stat.ameba.jp/user_images/20090927/03/nyarome007/5b/53/j/t01680167_0168016710262317907.jpg" border="0" complete="true" /></a>
</font><font size="2">2007年初頭にマークの１stと4thアルバム「Restoration」（1973年発表の最高傑作！）がＣＤ化された時、「これは奇跡だ」と思った。それまで日本では、いや、少なくともぼくにとっては「Rains / Reins of Changes」が彼の唯一のアルバムだったから。2008年には、3rdアルバム「A Question of Roads」（1972年作）がＣＤ化され、そして、ついに今年、最終作となる「Marc Time」（1975年作）が晴れて再発の運びとなった。これで、彼の5枚のアルバムがすべて揃うこととなる。この再発を実現させたのは、英国でも米国でもなく、日本なのだ。やはり、奇跡、かもしれない。</font></p>
<p><font size="2"><br />
</font></p>
<p><font size="2">さて、その「Marc Time」であるが、力強く、豪快に疾走するスワンプ・ロックナンバーと、英国的なリリシズム溢れるスローナンバーの塩梅が実に良く、過去の4作と比較しても遜色のない出来。プロデュースは、セプテンバー・プロダクションのサンディ・ロバートン。彼の人脈で、元フォザリンゲイのジェリー・ドナヒューとパット・ドナルドソン、フェアポート組のサイモン・ニコル、デイヴ・マタックス、リチャード＆リンダ・トンプソン、マイティ・ベイビーのイアン・ホワイトマン、そして、名ギタリスト、アンディ・ロバーツと、これまた名ペダル・スティールギター奏者であるB.J.コールら、錚々たるメンツが参加している。</font></p>
<p><font size="2"><br />
</font></p>
<p><font size="2">ぼくが特にしびれてしまったのは、マークが情感たっぷりに歌い上げるスローバラード「The Answer Is You 」。B.J.コールの歌心溢れるスティール・ギターとリチャード・トンプソンの乾いた音色のギターソロが素晴らしく、何ともしみじみとした気分になってしまう。</font></p>
<p><font size="2"><br />
</font></p>
<p><font size="2">「Marc Time」とは、足踏みのこと。34年間スタンバイ（足踏み）し続けたアルバムが英国から遠く離れた日本で再発されたことを、彼はどう思っているのか。<br />
マーク・エリントンは、このアルバムを最後に音楽業界から引退。現在は、文化遺産に関する英国政府機関の重役を務めている。</font></p>
</p>
]]> </description>  
      <link>http://ameblo.jp/nyarome007/entry-10351562287.html</link>  
      <pubDate>Sun, 27 Sep 2009 03:05:12 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>Me, Japanese Boy</title>  
      <description> <![CDATA[ <p><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20090919/16/nyarome007/df/0d/j/o0238023710256691681.jpg"><font size="2"><img width="220" height="219" style="FLOAT: left; CLEAR: both" alt="AFTER THE GOLD RUSH-Secret Life of Harpers Bizarre" src="http://stat.ameba.jp/user_images/20090919/16/nyarome007/df/0d/j/t02200219_0238023710256691681.jpg" border="0" complete="true" complete="true" /></font></a>
<font size="2"> かつてぼくはこう思っていた。――バート・バカラックとハル・デヴィッドは、日本という国を、“東洋の神秘”的なイメージ、悪く言えば、ステレオタイプで、誤解と偏見に満ち満ちた色眼鏡で見ていたのではないか、と。そこにあるのは、着物、桜、サムライ、大和撫子、そして、あろうことか、正統派チャイナスタイルでアレンジされたエキゾッチックなイントロ。</font></p>
<p><font size="2"><br />
</font></p>
<p><font size="2">1964年、つまり、東京オリンピックの年に、ボビー・ゴールズボロが歌って全米74位を記録したこの曲は、今や「亜米利加から見た日本」が斯様なものであった、という事実を現代に伝える歴史的資料としての価値しかないのだろうか。</font></p>
<p><font size="2"><br />
</font></p>
<p><font size="2">いや、そんなことはない。<br />
「Me, Japanese Boy」は、先に挙げたような欠点を持つにもかかわらず、やはり紛れもなく名曲であるのだ。どうやら、“誤解と偏見に満ち満ちた色眼鏡”を外すべきは、ぼく自身の方のようだ。バカラック＆デヴィッドという最強のソングライティングチームに対する――。</font></p>
<p><font size="2"><br />
</font></p>
<p><font size="2">　昔々　はるか遠くの国に<br />
　恋する　男の子と女の子<br />
　月明かりの下で　彼は言いました</font></p>
<p><font size="2"><br />
</font></p>
<p><font size="2">　ぼくは　ジャパニーズ・ボーイ<br />
　君のことが好きだ<br />
　ほんとだよ　とっても好きなんだ<br />
　君は　ジャパニーズ・ガール<br />
　ぼくのことを好きだって<br />
　頼むから　そう言っておくれ</font></p>
<p><font size="2"><br />
</font></p>
<p><font size="2">　（中略）</font></p>
<p><font size="2"><br />
</font></p>
<p><font size="2">　青と白の着物を身にまとい<br />
　彼女は　幸せな花嫁になりました<br />
　その日から　今日まで<br />
　彼女は　ずっと彼のそばにいるのです</font></p>
<p><font size="3"><br />
</font></p>
<p><font size="2">シンプルながらも何という幸福感に満ちた歌詞だろう。そして、ハル・デヴィッドは、こんな素敵なことばで歌を終わらせている。</font></p>
<p><font size="2"><br />
</font></p>
<p><font size="2">　今　２人は年を取ってしまったけれど<br />
　聞いたところでは　<br />
　彼ら　昔と変わらず　<br />
　互いに恋してるらしいのです<br />
　彼は　毎晩　彼女にキスして　<br />
　こう言うのです</font></p>
<p><font size="2"><br />
</font></p>
<p><font size="2">　ぼくは　ジャパニーズ・ボーイ<br />
　君のことが好きだ<br />
　ほんとだよ　とっても好きなんだ<br />
　愛が真実なら　こうでなくちゃいけないし<br />
　ぼくと君は　そうあるべきなんだよ</font></p>
<p><br />
</p>
<p><font size="2">カバーの多い「Me, Japanese Boy」であるが、この曲の美しさを最も的確に表現しているのは、ニック・デカロ編曲によるハーパース・ビザールバージョンだろう。<br />
1968年発表の3rdアルバム「Secret Life of Harpers Bizarre」に収録されたそれは、流麗なストリングスはもちろんのこと、ウィンド・チャイムや打楽器の繊細できらびやかな音色が素晴らしく、まるで一編の映画を見ているかのような気分になってしまう。このすこぶる抒情的で甘美な旋律を聴いてグッとこなければ、その人はよほどの朴念仁じゃないかしらん。と、偏見に満ち満ちていたかつての自分を深く反省。</font></p>
]]> </description>  
      <link>http://ameblo.jp/nyarome007/entry-10345977393.html</link>  
      <pubDate>Sat, 19 Sep 2009 17:12:42 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>私はやるから君もやれ</title>  
      <description> <![CDATA[ <p><font size="2"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20090913/22/nyarome007/2c/55/j/o0313042910252963914.jpg"><img width="220" height="302" style="FLOAT: left; CLEAR: both" alt="AFTER THE GOLD RUSH-1968" src="http://stat.ameba.jp/user_images/20090913/22/nyarome007/2c/55/j/t02200302_0313042910252963914.jpg" border="0" complete="true" complete="true" /></a>
 ◆うぇ、恥ずかしい、と、年甲斐もなく、ポっと顔を赤らめるくらいならまだマシな方で、ぼくの場合、まるで、酔っぱらって、人の迷惑も省みず、上半身裸で腹踊りをしながら、そんな姿で場違いにもエラそうに説教を垂れていたようなものだから、それこそ「赤頭巾ちゃん気をつけて」の由美ちゃんのように「舌かんで死んじゃいたい」気分になってしまったのだ。そのくらい、酷い文章を書いてしまった。読み返して唖然とした。即効で記事を削除したことは言うまでもない。あの悪文を最後まで読まれた方がもしいるとするなら、「貴重な時間を無駄に過ごさせてしまった」という一点において深くお詫びしたい。</font></p>
<p><font size="2"><br />
</font></p>
<p><font size="2">◆それでは、あれはお前の本心では無かったのか、と問われると、それは「違う」ときっぱりと言わざるをえないのであって、稚拙な文章ではあったが、論旨については、紛れもなくぼくの本心である。ビートルズが、金にものを言わせる中年の慰みものであってたまるか。音質や“紙ジャケ”の再現度が、音楽の価値に勝ってたまるものか。あ―、こりてないね、俺も。</font></p>
<p><font size="2"><br />
</font></p>
<p><font size="2">◆このところ、ずっと小熊英二氏の「１９６８」（新曜社）を読んでいる。読み耽っている、と書いた方が正確か。上・下刊合わせて２千頁を超える大著なので、持ち運びに不便なのと、夜寝ながら読んでいると、うとうとした時、まるでダンベルが体に落下したかのような強い衝撃と激痛を伴う“凶器”と化すのが難点だが、内容は実に興味深い。小熊氏自身も書かれているとおり、「これまで、『あの時代』を語った回想記などは大量に存在したが、あの叛乱が何であったのか、なぜ起こったのか、何をその後に遺したのかを、解明した研究はなかった」。だから、この本が、1962年生まれの学者によって書かれた意義はとてつもなく大きい。</font></p>
<p><font size="2"><br />
</font></p>
<p><font size="2">◆ネット上では、“当事者”である団塊の世代から、この労作への揚げ足とり、もしくは言いがかりとしか思えないような誹謗中傷が続いている。心底がっかりしてしまう。あなた達は、先の戦争を自らの手で総括しえなかった親の世代と同じ罪を背負っているということにそろそろ気付いた方がいい。記憶はいつだって、自分に都合良く、美しく漂白されていくものだ。あなた達が“命をかけて闘った”と信じた最前線が、実は子供の頃、路地裏で戯れた“戦争ごっこ”の延長線上にあったなんて到底認めたくもないだろうが。違うというのなら、感情的な批判ではなく、冷静に総括をしたうえで反論することだ。「挫折」を逃げ口上にして、その作業すら怠ってきたあなた達に、小熊氏を批判する資格など無いだろう。</font></p>
<p><font size="2"><br />
</font></p>
<p><font size="2">◆「べ平連」の章だけで約200頁。新宿西口フォークゲリラについても、ここまで体系的に書かれた書物はこれまで無かったのではないか。すが秀実の「べ平連に共労党のフラクションがあり、それがべ平連を操作していた」との陰謀説についても、資料や証言を突き合わせた上できっぱりと否定している。「あの時代」に過剰なノスタルジーを抱き続けるサブカル御用達の評論家とは一線を画す、クールで客観的な筆致が読んでいて実に心地良い。そしてしみじみ思ってしまう。どうして、このレベルの研究書すら、“彼ら自身の手で”書かれなかったのだろう、と。</font></p>
]]> </description>  
      <link>http://ameblo.jp/nyarome007/entry-10341954277.html</link>  
      <pubDate>Sun, 13 Sep 2009 22:00:54 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>その日、ギターは武器になったのか？</title>  
      <description> <![CDATA[ <p><font size="2"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20090802/18/nyarome007/09/ee/j/o0250017110225179847.jpg"><img style="CLEAR: both; FLOAT: left" height="150" alt="AFTER THE GOLD RUSH-椛の湖フォークジャンボリー" src="http://stat.ameba.jp/user_images/20090802/18/nyarome007/09/ee/j/t02200150_0250017110225179847.jpg" width="220" border="0" /></a>
 昨日、全日本フォークジャンボリーが38年ぶりに「復活」し、岐阜県中津川市の椛の湖畔に、千人を超える聴衆が集まったらしい。それを報じた毎日新聞の記事を読み、思わず苦笑してしまった。<br />
「正午から開かれたコンサートは、岡林信康の『友よ』の曲が流れる中でスタート」。<br />
これは何か悪いジョークに違いない。<br />
当の岡林は、この日、国営ひたち海浜公園で開催された「ロック・イン・ジャパン・フェス2009」で、孫の世代に限りなく近いロック・キッズを相手に、現在進行形のエンヤトットを演奏していたのだから。</font></p>
<p><font size="2"><br />
</font></p>
<p><font size="2">「友よ」。岡林がこの歌を歌わなくなってから、一体どのくらいの時が経つのだろう。1971年７月に日比谷野外音楽堂で開催された「狂い咲きコンサート」の時には、すでに、「問題の歌」と揶揄し、「お互い恥ずかしい思い出がありますねえ」と思い切り照れながら、囁くように歌っていたから、もう40年近くこの歌を封印しているのかもしれない。</font></p>
<p><font size="2"><br />
</font></p>
<p><font size="2">70年代になり、若者たちは「私たち」から「私」になった。いつしか、「友よ」と、肩を組み、声を合わせて歌うことは、時代遅れでとてつもなく格好の悪いことになってしまった。「♪ぼくの髪が　肩までのびて　君と同じになったら　結婚しようよ」と軽く口ずさみながら、それぞれの小さなトーチカで身を守るようになった彼や彼女たちにとって、フォークソングは、時代と対峙する「武器」ではなく、小市民的な幸せに浸るためのＢＧＭに過ぎなくなっていたのだろう。</font></p>
<p><font size="2"><br />
</font><font size="2"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20090802/18/nyarome007/92/84/j/o0256016010225179343.jpg"><img style="CLEAR: both; FLOAT: right" height="138" alt="AFTER THE GOLD RUSH-新宿ジャカジャカ・リハ風景" src="http://stat.ameba.jp/user_images/20090802/18/nyarome007/92/84/j/t02200138_0256016010225179343.jpg" width="220" border="0" /></a>
 その「友よ」の合唱が、40年の時を経て、新宿花園神社境内に響き渡った。先月上演された椿組の野外劇「新宿ジャカジャカ」。東京フォーク・ゲリラを題材にしたこの芝居には、「その日、ギターは武器になったのか」という実に思わせぶりな副題がついている。そして、開演前のテントからは、「腰まで泥まみれ」や「橋を作ったのはこの俺だ」の歌声が。これは、いやがうえにも期待が高まるではないか。しかし、その期待は、程なくして失望に変わった。</font></p>
<p><font size="2"><br />
</font></p>
<p><font size="2">これはあくまでもお芝居であり、中島淳彦氏流のファンタジーであることは十分に承知している。だから、ディテールに拘るつもりはないし、ゲリラのリーダーが歌声喫茶のリーダーという設定にもあえて目を瞑ろうと思う。――花園神社の夏の祭りに、「べ平連」というフレーズは、やはり少しばかり重く、政治的で、観客の感情移入を拒む恐れがあるだろうことは容易に想像がつくから。</font></p>
<p><font size="2"><br />
</font></p>
<p><font size="2"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20090802/18/nyarome007/17/de/j/o0201020010225179597.jpg"><img style="CLEAR: both; FLOAT: left" height="200" alt="AFTER THE GOLD RUSH-新宿ジャカジャカ" src="http://stat.ameba.jp/user_images/20090802/18/nyarome007/17/de/j/t02010200_0201020010225179597.jpg" width="201" border="0" /></a>
 しかし、それなら何故、会場で「<strong>べ平連</strong>・フォークゲリラはこれからも新宿西口広場でフォーク・ソングを歌います～」というビラを配っていたのか？　小道具だからオーケーと考えたのか。少々理解に苦しむ。（加えて指摘すると、あのビラは、当ブログの画像を印刷したものだろう。歴史の廃棄物処理場から発掘したものなので、それについてどうこう言うつもりはないが。）</font></p>
<p><font size="2"><br />
</font></p>
<p><font size="2">高田渡の「東京フォークゲリラの諸君達を語る」の使い方にも大いに疑問を覚えた。物語との関わりが全く意味不明な「高田馬場のネズミ達」が、あの歌をふざけた調子で歌うのだが、これが全く面白くない。大体、フォーク・ゲリラを論じる時、あの歌を得意気に引っ張り出してきて、「あのカッコイ　エリートさん等をさ」とか「自慢するわけじゃないが　僕は逮捕状が出ている」というフレーズを引用しようとするお馬鹿さんがあまりにも多すぎるのだ。あれは、高田渡一流のサーカズム(Sarcasm)であり、高田渡以外の者が引用すると、単なるインサルト（insult）になり、自らにその刃の切っ先が向けられるということに何故気付かないのだろう。</font></p>
<p><font size="2"><br />
</font></p>
<p><font size="2">貶してばかりではあんまりな気もするので、称賛に値する点も書いておこう。この手の演劇ではいい加減になりがちな、フォークソングの時代考証が丁寧に行われていたこと。そして、その、今や誰も歌わなくなった「いにしえのフォークソング」を、若い役者さんたちの歌で、瑞々しく生き返らせていたこと（一生懸命練習されたのでしょう）。文学座の浅野雅博氏が、良い演技をしていたこと。特にラストの「友よ！」の悲痛な叫びが良かっただけに、無駄の多いストーリー構成が惜しまれるところ。</font></p>
<p><font size="2"><br />
</font></p>
<p><font size="2">＜<strong>劇中歌一覧</strong>（メモと記憶頼りのため、間違いの可能性あり）</font><font size="1">※8/5修正</font></p>
<p><font size="2">俺の空は鉄板だ<br />
おまわりさんに捧げる唄<br />
アカシアの雨がやむとき（山崎ハコ）<br />
自衛隊に入ろう<br />
ウイ・シャル・オーバーカム<br />
腰まで泥まみれ<br />
ベトナムの空<br />
拝啓大統領殿<br />
新宿の女（唄奴）<br />
恋のハレルヤ（唄奴）<br />
主婦のブルース<br />
橋を作ったのはこの俺だ<br />
おいでよ僕のベッドに<br />
かごの鳥のブルース（唄奴）<br />
東京フォークゲリラの諸君達を語る<br />
リンゴ追分（唄奴）<br />
恋の山手線<br />
あるオッサン云いはった<br />
新しい日<br />
一人の手<br />
労務者とは云え<br />
ラングリング・ボーイ<br />
ウイ・シャル・オーバーカム（唄奴＋全員合唱）<br />
友よ（全員合唱）</font></p>
]]> </description>  
      <link>http://ameblo.jp/nyarome007/entry-10312615802.html</link>  
      <pubDate>Sun, 02 Aug 2009 18:49:30 +0900</pubDate> 
    </item> 
  </channel> 
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