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    <title>森田稲子のブログ</title>  
    <link>http://ameblo.jp/morita-ineko/</link>  
    <description>会員制寄稿誌「日本の森林を考える」編集長のブログ。 本誌の内容や編集長の思いを、紹介していきます。</description>  
    <language>ja</language>  
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    <item> 
      <title>編集後記　ー最新号（通巻３９号）ーから</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 <a href="http://www.1st-plan.co.jp/" target="_blank"><img src="http://stat.ameba.jp/user_images/20091015/13/morita-ineko/55/83/j/o0146021610276824297.jpg"alt="37"border="0"align="left" hspace="10"></a><a href="http://www.1st-plan.co.jp/" target="_blank"><font size="-1">会員制寄稿誌</font><B><br />「日本の森林を考える」</b><br />シリーズ（１０）<font size="-1"><br />続・森林の可能性　第３号<br />【通巻３９号】</a><br /><br />内容詳細は<a href="http://www.1st-plan.co.jp/backnumber/series10/newfolder-1/index3.html" target="_blank">こちら</a></font><br clear="all"><br /><font color="#003366">●</font>編集室に次々に投稿原稿が集まってきた。そうした中、２０２０年までに１９９０年対比２５％CO２の削減を目指すと表明した、鳩山首相の国際舞台での演説が、何度も伝えられた。演説は、森林・林業について言及したものではなかったが、改めて森林・林業についても考えさせられるものがあった。<br />	<br /><font color="#003366">●</font>つい最近まで、３．８％の森林吸収源を実現させるため、<br />森林整備だ間伐だと、必死の取り組みを行ってきた。それだけに、６％から急躍２５％への目標拡大は、森林吸収源３．８％も次のステージに飛躍的増大を期待されることになるのかということになる。<br /><br /><font color="#003366">●</font>しかし、日本の森林面積は國土の７割に変わりなく、どんなにがんばっても、樹木の生長を急激に高めるわけにもいかない。<br /><br /><font color="#003366">●</font>直嶋経済産業大臣が２５％について、笑いをかみ殺しながら、「できるわけ無いが、その達成には、すべての主要国の積極的な参加を条件としている」と解説した、いささかトリック的な言葉を思い出す。<br /><br /><font color="#003366">●</font>そういうことが許されるのであるならば、森林の吸収源についても、国際間での広い解釈とカウントが可能となる。当然木材のカーボンニュートラル、森林の公益的機能、森林バイオマスなどを新しい視点から捉え数値化すると、日本の森林吸収源の評価は、飛躍的に増大するのではないか。せっかくのチャンスである。会員の皆さん、チャレンジしてみてはいかがだろうか。<br /><br /><font color="#003366">●</font>本号には、４名の方が投稿されている。最初に「長伐期を見据えた森林林業への道」のⅡを渡邊定元氏が書かれた。<br />５０年生の伐期に達した人工林を、１００年後を想定して、皆伐せずに間伐を繰り返して、７カ年毎に１０万円/ｈa、百年後に１０００万円/haの資産を造成する施業計画を立案している。<br /><br /><font color="#003366">●</font>二番目に執筆されているのは、赤堀楠雄氏であるが、そのタイトルが変わっている。「間伐材＝エコだけでいいのか」氏の間伐材に対する最近の思いを示したものだ。<br /><br /><font color="#003366">●</font>三番目の嶋瀬拓也氏は、本誌では投稿の少ない製材業について執筆された。林業サイドから製材業を見るとき〔国産材をどれぐらい使うか〕「いくらで買うか」という点に終始しているように思われる。製材業を地域の街づくりや地域文化・経済の中にきちっと位置づけることが、林業再生にとっても重要ことだと熱く述べている。<br /><br /><font color="#003366">●</font>最後に、森林ジャーナリスの田中淳夫氏は、“消える森林”として、今、森林林業にとって大問題になっている森林境界の現状について、当事者の立場から書かれている。このテーマも本誌では、初めてである。<br /><span align="right"><br />〈森田〉</span><br clear="left"> <br /><div class="rank">◆参加しています。応援どうぞよろしくお願いします。<br /><A HREF="http://blog.with2.net/link.php?680543"><img src="http://stat.ameba.jp/user_images/20090313/16/morita-ineko/94/4f/g/t01100025_0110002510151828645.gif"  alt="true-blogLank" width="110" height="25" border="0" /></a>←クリック</div><br />
 
</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/morita-ineko/entry-10363893199.html</link>  
      <pubDate>Tue, 13 Oct 2009 17:04:25 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>森林と編集（１９）　樹木って何だろう？</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 自然音痴の私が、編集だけでなく、リライトまで手伝った、１冊の本がある。「自然と友だちになる法」シリーズの中の『森の樹木』である。森林生態学がご専門の前田禎三氏と谷本丈夫氏の共著である。<br /><br />私はこの本が大好きだ。<br />中でも一番最初の章の『樹木って何だろう？』は、読んでいるうちに木のことが良く分かってきて、木と友だちになったような気分になってくる。<br /><br />惜しいのはこの本が絶版になっていることである。<br /><br />Ｂ５判という小型の本ながら、ハードカバーで、「森の樹木」、「森の野鳥」、「森の野草」、「森の昆虫」「街の中の森」の５冊がセットになってケースに入っている。図書館用で、分売も効かなかった。１５年前に第一プランニングセンターが制作して、学研から発行されたものである。いまでも、どこかの図書館にあるかも知れないが、見つけるのは至難の業かもしれない。<br /><br />そこで、私はこの本をブログで紹介したいと思うようになった。私が書いたブログは７１点あるが、最近になって、その中で一番人気があるのは、泥亀さんの話と、『針葉樹と広葉樹の違い』だという事が分かってきたからである。<br /><br />でも、そのままだと長くなるので、Ｑ＆Ａの形にして紹介してみよう。<br /><br />　　　　　　　<br /><strong><font color="#008000">Ｑ１　木と草とではどこが違いますか。</font></strong><br /><strong>Ａ１　大きくなるのは木で、小さいままなのが草。</strong><br /><div class="qa"><font color="#B22222">回答</font>　「ウドの大木」と言うことわざがあります。<br />ウドは草だが、大きくなると、1.5ｍの高さにもなります。<br />「コケモモ」は木ですが、10ｃｍくらいにしかなりません。このように、木と草を大きさだけで区別することは出来ないのです。</div><br /><br /><strong>Ａ２　木には年輪があるが、草には無い</strong><br /><div class="qa"><font color="#B22222">回答　</font>これはなかなかいい線をついています。でも、マレーシアやボルネオに生えているフタバキ科の木には年輪がありません。年輪は、季節の変化がはっきりしていて、成長が止まる寒い季節や乾季をもつ地域の木にはできますが、季節の変化が明らかでない熱帯地域で育つ木にはできません。<br />しかし、年輪は、「木」のように長い年月を生き、毎年太り続ける植物にしか、できないという意味からいうと、1年から2年で地上部が枯れてしまう「草」には、その時間がありませんから、先ほどの「年輪があるかないか」の区別は正しいともいえるでしょう。</div><br /><br /><strong>Ａ３　草はやわらかいが、木はかたい。</strong><br /><div class="qa"><font color="#B22222">回答</font>　この答えは木の最大の特徴と言っても良いかも知れません。やわらかい茎をもつ「草」と違って、「木」は、茎（幹）が木質化していてかたく、大きくなるのに、適した特性をもっています。<br />樹齢3000年を超える屋久島の屋久杉には高さ３０ｍ、直径5ｍをこえるものがあります。<br />重さを計ったらおそらく何百ｔにもなるでしょう。そんな大きな体を支える事が出来るのも、幹が、いわばじょうぶな木材でできているからです。</div><br /><strong><br /><font color="#008000">Ｑ２　「木」とは？</font></strong><br /><div class="qa"><font color="#B22222">回答</font>　「木の体」は、根、幹、葉の三つにはっきりと<br />区別できます。それぞれが重要な役割と、それを行う特有な構造をしています。<br />このことが、植物の中でも、木だけを長い寿命をもち、タテにも、ヨコにも大きくなる<font size="5">森の王様</font>にしているのです。</div><br /><br />※画像クリックで拡大表示↓<br /><div align="center"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20090925/11/morita-ineko/c1/0e/j/o0550133910261046709.jpg"><img src="http://stat.ameba.jp/user_images/20090925/11/morita-ineko/c1/0e/j/t02200536_0550133910261046709.jpg" alt="森田稲子のブログ-樹木の姿" /></a><br /><br /><br clear="left"> <div class="rank">◆参加しています。応援どうぞよろしくお願いします。<br /><A HREF="http://blog.with2.net/link.php?680543"><img src="http://stat.ameba.jp/user_images/20090313/16/morita-ineko/94/4f/g/t01100025_0110002510151828645.gif"  alt="true-blogLank" width="110" height="25" border="0" /></a>←クリック</div><br />
 
</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/morita-ineko/entry-10349072682.html</link>  
      <pubDate>Wed, 23 Sep 2009 20:24:28 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>木質ペレットの話</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 木質ペレットといえば、2ヶ月ほど前に、森林ジャーナリストの田中淳夫さんが、木質ペレットに対し、あまり邪険なことを言うものだから、歯向かって、そこはプロとアマの違い、ボコボコにやられたことを思い出します。<br /><br /><font size="2"><a href="http://ameblo.jp/morita-ineko/theme5-10015691359.html#main" target="_blank">■森林ジャーナリスト田中淳夫氏のブログ「木質ペレット」を読んで</a></font><br /><br />私に体力が無いために、一瞬にして終わったあの論争は、一体どちらが、勝ったのでしょう？<br />という事は、私はまだ、負けたとは思っていないのです。<br />しぶとく木質ペレットについて、多くの人が関心を持つのはいい事だと考えているのです。<br /><br />それに、私は木質ペレットの役割について、最近、ある凄いことを思いついてしまいました。<br />それは、ストックとしての役割です。木質ペレットは、木質エネルギーのストックヤードだと、考えられないでしょうか。命を支えるストックヤードです。そうだとしたら、国民皆が関心を持つのは当然のことなのです。<br /><br />この発想は、実は私だけのものではありません。ある方のごく真面目な提案から、私が木質ペレットに結びつけて思いついたのです。<br /><br />ある方のごく真面目な提案とは、今から10年前に、会員誌に投稿されたものです。その会員誌とは、他ならない私が編集長をしている「日本の森林を考える」です。<br /><br />同誌の創刊号（1999年4月30日）にその記事は載っています。タイトルは、「国産材時代を実現するための発想」で、ある方とは小澤普照氏です。<br />小澤氏は、元林野庁長官で、アイディア長官として、有名な方です。<br /><br />記事全体では、12000字の長文ですが、その中で約800字を使って氏は、木材備蓄についてのアイディアを書いておられます。今読むと、それが、とても面白いのです。<br />面白いというより破天荒なのです。少し長くなるかも知れませんが、その概要を紹介してみましょう。<br /><br /><font color="#008000">>今後、わが国で、もっとも大きな需要が見込まれるものはエネルギーである。しかし、わが国の森林成長量のすべてをエネルギー利用しても、１０％以下しか賄えず、多くを石化燃料に頼らざるをえない。<br /><br />>そこで、木質系エネルギーの備蓄政策を具体化する必要がある。本来森林そのものが、備蓄の機能をもっているわけだが、成長量をより大きくするために、間伐などによって、資源を林外に排出する必要がある。そして、備蓄するのだ。<br /><br />>かつての水中貯材は、３００年、４００年後でも、利用できる可能性を立証している。土中蓄材についても研究開発が望まれよう。量的には１ｈａの土地があれば、2ｍの堀削で1万ｔ程度の貯材は可能ではないか。<br /><br />>貯蔵場所としては傾斜地は防災の観点から避けて、極力平坦地形、あるいは平地を選ぶべきである。<br /><br />>減反農地だけでも、100万ｈａを超えていると聞いている。１万ｈａで、１億ｔの貯材というのは、実現可能であるだろうし、カーボンシンク機能としても意味をもつ。<br /><br />>山林に放置される間伐材（年間200万㎥）などからとりかかるのが現実的である。これを適正価格で買い取り、あるいはその他適正な方法で集積し、土地提供者には、土地リース代を払って保管してもらう。<br /><br />>これらは公的実施を含めて検討する必要がある。排出土は盛土して、景観とカーボンシンクに配慮した緑化を行って第二の森林とすることが、21世紀の温暖化防止政策としても、地方活性化策としても有効であろう。。</font><br /><br />さすが長官です。山林に放置されている間伐材（林地残材）は、まとめて土の中に埋めて将来のエネルギー利用のためにとっておこう、というのです。あんまり大胆な意見なので、ドキドキしてきました。<br /><br />でも、そうやってどんどん貯めていったらどういうことになるのでしょう。それに実際にエネルギー不足になって掘り出した後は、元の土はほかに使っているわけだし、どうやって復元するのでしょうか。<br /><br />そこで、私は思いついたのです。ペレットです。ペレットだったら、そんな苦労をしないですむ。<br /><br />日本は、災害の多い国です。ですから、日頃から、そのための備えがされています。たとえば、東京の日比谷公園の地下には、いざというときのために何万人分もの非常食や水、毛布などが蓄えられていて、使用期限のあるものも古くならないように日頃から管理されているそうです。<br /><br />そうした常備品の中に木質ペレットを加えてもらうのです。避難の期間が長期戦になったり、野外だったりしても、水と火があれば何とかなると言われます。ペレットだったら、炊事用にも、暖房用にも大いに役に立ちます。それに、使わない場合でも、カーボンシンクの役割を果たす事になります。おそらく日本全国の避難場所には、そうした機能が備わっているのでしょうし、全部あわせれば相当な量になるはずです。<br /><br />これが私の木質パレットの有効活用に関する思いつき提案ですが、いかがでしょうか。<br /><br clear="left"> <div class="rank">◆参加しています。応援どうぞよろしくお願いします。<br /><A HREF="http://blog.with2.net/link.php?680543"><img src="http://stat.ameba.jp/user_images/20090313/16/morita-ineko/94/4f/g/t01100025_0110002510151828645.gif"  alt="true-blogLank" width="110" height="25" border="0" /></a>←クリック</div><br />
 
</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/morita-ineko/entry-10342276672.html</link>  
      <pubDate>Mon, 14 Sep 2009 11:04:19 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>ままごと菜園</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 マンションの４階にある私たちの編集室では、べランダに降り注ぐ太陽エネルギーを有効利用して、家庭、否、職場菜園を始めた。<br /><br />といっても、二十日大根、ゴウヤ、ミニトウモロコシと、栽培する野菜はまことにささやかで、プランタも４０ｃｍ×１７ｃｍ×１７ｃｍが１個という日本一貧相な菜園である。<br /><br />でも、編集室は南西の角にあるから、朝の７時から夕の７時近くまで、太陽光がさんさんと照りつける。適度な日陰もあり、水さえ欠かさなければ絶好の栽培環境であろう。<br /><br />この環境に当初から目を付けていたのが、若い女性デザイナーである。<br />いつだったか、安い給料をはたいて、家庭菜園に最低限必要な一式を買って来た。<br /><br />「社長に野菜を食べてもらおうと思って」と泣かせる台詞つきである。<br />しかし、私はその家庭菜園のグッズ一式とやらを見て、言葉に詰まった。<br /><br />確かに、土壌も肥料もある。<br />「種は？」と聞くと、『種代でも馬鹿にならないので、お父さんからもらってくる』と言う。<br />先ほど紹介したプランタに、その下にしくトレー。それにシャベルとジョウロ。<br /><br />このジョウロが振るっている。小さめのペットボトルにまるで哺乳瓶の乳首を付けているように、穴の開いたジョウロの口が付けられている。<br />こういうものが、１００円ショップかどこかで売られているのだろう。<br />でも、考えてみれば、それでいいのだ。<br /><br />私はそれらの家庭菜園グッズを見て、少女時代のおままごとを思い出した。<br /><br />でも、本人はいたって真剣である。<br />プランタにまず荒い土を入れ、次に普通の土を重ねる。<br />表面をきれいにならして、買ってあった二十日大根の種をまく。<br />最後に例のジョウロで、水をまいて終わりである。<br />水には液体の肥料をほんの少々混入したみたいである。<br /><br />その様子が、なかなか様になっているから、土の配分などプランタを仕入れたところの店員にでも聞いたのであろうと思っていた。<br /><br />数日たって、わが菜園には、小さな緑の発芽が点々と見られた。<br /><br />「ああ、生きていた！」<br />朝夕水を几帳面にやっていたものの、自分の播いた種が本当に芽を出すとは信じられなかったのだろう。<br />何とも不思議な喜び方である。<br /><br />ところが、それから間もなく、５・６ｍｍに成長した緑が元気がなくなり、水をやるが、回復せず、枯れ始めた。<br />そして、ついに全滅。育て親の彼女も、しおっとなってしまった。<br /><br />その様子を見て、姉さん株の編集者が、<br />「面積に対して播いた種の数が多いんです。しかも纏めて播いている。もっとばらつかせないと。それに種を播いてから上に土を被せて軽く押さえ付けるようにしておくと根が浮き上がらないで安定したんです。」<br /><br />私は感心して、「あなた、良く知っているのね」と言うと、<br />ぼそっと、「種袋の後ろに書いてありました。」<br /><br />２・３日後、再び元気を取り戻した菜園主は、今度はゴウヤとミニコーンに挑戦するという。<br />ところがゴウヤは彼女の休みの日に私が水遣りを忘れて枯らしてしまった。（ごめんなさい）<br /><br />残ったのは、ミニコーンだけである。<br />しかし、トウモロコシは、たとえミニでも、たった1本だけでも、十分に楽しめる。<br /><br />トウモロコシの姿をした新生児の小指大の包（ほう）を発見した時は、ちょっとした感動だった。<br /><br />いつの間にか、私が一番熱心な観察者になっていたかもしれない。<br />朝夕、トウモロコシを訪ねては、包を恐る恐る触ってどのぐらい実っているのか確かめる。<br />しかし、ちっとも充実感が無いのはどうしてか。<br /><br />中は空気だけで実が生って無いような気がする。<br />外見がふっくらとした立派な包だけに腑に落ちない。<br />デザイナーは、『想像妊娠なのかなあ』なんて、冗談を言う。<br /><br />そのうちトウモロコシの実は、どうやって実るのだろうという話題になった。<br />編集者は「先端のひげの部分におしべとめしべがあって、外で受粉してから身を包む皮の中に<br />うつるんじゃあないですか。」<br /><br />そうだとすれば、中の実も、だんだん膨らんでくるだろう。<br />私はインターネットで調べることにした。<br /><br />すると、編集者の推測はだいたいのところで当たっていた。<br />それどころか、凄いことを知ったのである。<br />トウモロコシの身を包むようにして延びている白いひげは、<br />すべてめしべであった。<br />そして、めしべ1本1本は、1個1個の粒の実につながっていた。<br />受粉後のめしべは実を太らせ、受粉に失敗すると、実の粒も、未熟や歯掛けになっているというのである。<br /><br />なんという面白さ、不思議さか。<br />私たちは自然界の仕組みに圧倒された。<br />このことは、おままごとのような菜園から得た大きな収穫だった。<br /><br /><br clear="left"> <br /><div class="rank">◆参加しています。応援どうぞよろしくお願いします。<br /><A HREF="http://blog.with2.net/link.php?680543"><img src="http://stat.ameba.jp/user_images/20090313/16/morita-ineko/94/4f/g/t01100025_0110002510151828645.gif"  alt="true-blogLank" width="110" height="25" border="0" /></a>←クリック</div>
 
</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/morita-ineko/entry-10333805913.html</link>  
      <pubDate>Wed, 02 Sep 2009 09:11:45 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>バイオマスの森</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 現在、林野庁が中心になって、『美しい森づくり運動』が懸命になって行われていますが、実際には、間伐遅れで、荒廃した危険な森林が日本各地に増えています<br /><br />これらの森林の多くは下刈りが終わってからほとんど、誰の目にも触れずに、ここまできており、作業道が開通されて<br />そのひょろひょろとしたマッチ棒の集まりのような森の実態が、初めて分かったというものが結構あるようです。<br /><br />外から見れば、何のかわりもなく見える森林でも、中に入ると、前に紹介した千葉県の森のように、多くの木が溝腐れ病に掛って、森は荒廃しており、木材として使えるものはわずか３割程度しかなかった例もあります。<br /><br /><br />いったい、こうした森はどうしたらよいのでしょうか。<br /><br />このまま放置しておいたら、風害や雪害などの災害にあって壊滅する危険性があるでしょうし、病気の場合は、周辺の森につぎつぎに蔓延していくでしょう。そのうえ木材収入の期待はまったくと言ってよいほどないのです。<br /><br />しかし、チップや木質ペレットなど、バイオマス資源としてなら十分に魅力があります。<br /><br />そこで、私の『思いつき』提案としては、こうした森林を「バイオマスの森」として新たに位置づけ、木材資源を目的につくられた森林をバイオマス資源の森に切り替え、同時に森林改造を行っていこうと言うものです。<br /><br />しかし、こうしたことを実現させていくには、４つの課題があります。<br />（１）	小面積単位の皆伐が必要であるが、その伐採経費は？<br />（２）	山林所有者の同意はどうやって、得るか。<br />（３）	活用後の森林は、どのような森をどうやってつくるか。<br />（４）	全体のマネージメントは誰が行うか。<br />（５）	その他<br /><br />上について、私の簡単な考えを示せば、次のとうりです。<br />（１）	立木のままで入札する。<br />（２）	森林管理の社会的責任は本来所有者にあるはず。<br />法的処理を講じても、地上権だけでも、返上してもらえる方法はないか。<br />（３）	明治神宮の森を造成したときの地域のクライマックスの森（永遠の森）、自然林造成の技法を参考にし、森林ボランティアがおこなう。出来上がった森林は保安林に編入する。<br />（４）	公募型にし、指導力のある実力者を選ぶ。<br />（5)       ペレットなど、付加価値をつけるため、バイオマス関連の支援を徹底的に行う。<br /><br /><br />以上<br />　　　　　　<br /><br /><br />
 
</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/morita-ineko/entry-10325316353.html</link>  
      <pubDate>Fri, 21 Aug 2009 10:47:50 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>国有林と私(12)素顔の国有林　後編（最終回)</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 <a href="http://www.1st-plan.co.jp/cart1st/0004.html" target="_blank"><img src="http://www.1st-plan.co.jp/cart1st/image/0004.jpg"align="left"></a><a href="http://www.1st-plan.co.jp/cart1st/0004.html" target="_blank">【素顔の国有林】を特別価格にて頒布致します。<br />3,150円→1,500円（在庫限り）<br />（詳細はコチラから）</a><br /><br clear="left"><br /><br />日本の国有林というのは、不思議なところである。国有というからには、国が所有している林野であり、国民が共有している、財産である。<br /><br />しかし、国民はほとんど国有林について知らない。標高が高く、森林限界に入ったりすると、ああここは国有林だろうな、と、思ったりする程度である。<br /><br />国有林がどんなところで、どんな経営が行われているか、などいう事は、このブログの閲覧者の多くも知らなかったに違いない。<br /><br />２８年前に、国有林問題に精通しておられた、農学博士の森巌夫氏の卓越したリードによって、国有林の素顔は始めて明らかにされた。６名のトップリーダーたちによって語られた赤裸々な話は、実に衝撃的であったろう。<br /><br />私は、このブログのために、１０倍はあると思われる本文の中から、語り手の特徴が特に現れている箇所をピックアップして、再編集している。しかし、その内容や語り口にはほとんど手をつけていない。このブログは「素顔の国有林」の濃縮版といえるだろう。<br /><br />８回にわたって続いたこのシリーズをご覧になって皆さんはどのようにお感じになっただろうか。<br />	<br />私は２８年ぶりに、「素顔の国有林」を読み直して、国土の２割の上に展開された、壮大な無駄ずかいを感じた。<br /><br />最終的には２兆円を超えた国からの借金。その腹れあがった原因となった高い利息。返済の足しにと、伐採された未だ生長途上の樹々。<br />賃上げや職場環境改善をテーマとした、組合員と署長との長い時間にわたる団体交渉。労働史上まれと言われた２つの組合間の激烈な抗争。<br />そこにはお金だけでなく、驚くべき時間や、心身のエネルギーが浪費されてきたように思われ、悔しさ、残念さ、そして悲しみが湧き上がってくる。<br /><br />どうしてこういうことになってしまったのか。私は国有林は国民共通の財産でありながら、国民が不在だったからではな<br />かろうかと思う。<br /><br />森巌夫氏の「はじめに」の表現によると、[第三者にはそこにはあたかも厚いベールがあるかのように感じられた。そして、「見えない」は、「見せない」「閉鎖性」と受け取られ、「伐採庁」、「自然破壊の元凶」といった陰口をまで生むにいたる。]　<br /><br />国有林側は、どんな批判を受けようと、山男の美徳として、沈黙を守り通してきた。そして、国民は、あえて、ベールを引かなかった。<br />これが、国有林と国民との構図であったというのである。<br />残念ながら、この構図は今もあまり変わっていないように思う。<br /><br />しかし、国有林は、わが社の森でも、わが家やわが仲間の林野でもない。国有林は国民みんなのものなのである。<br /><br />私は、国有林は、早急にこの原点に立つべきだと思う。なぜなら、環境や資源問題が大きなテーマとなる中で、将来に向かっていまこそ、国民は、国有林を必要としているからである。<br /><br />広大で有力な情報源として、開発や実践のフィールドとして、人材育成のカリキュラム編成の中で…….。<br /><br />皆さんはいかがお思いだろうか。（おわり）<br /><br />
 
</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/morita-ineko/entry-10314500559.html</link>  
      <pubDate>Wed, 05 Aug 2009 12:34:57 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>国有林と私(11)素顔の国有林　中編（６）藍原義邦　十三代長官</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 <u>十三代林野庁長官　藍原義邦氏(1976年～1979年)</u><br /><br /><strong>森</strong>　昭和五十年代に入ると。国有林経営の赤字が深刻な問題になってきます。昭和５０年度には、現金収支で300億円、損益では135臆円の赤字が出る。赤字はその後さらに大きくなり、資金運用部資金から、長期借り入れをおこなっても収支をもち応えるのがやっとで、52年度の損失は906億円となった。<br />藍原さんは、そんな時期に長官となったわけですが‥‥。<br /><br /><font color="#008000"><strong>赤字対策の裏側</strong></font><br /><strong>藍原</strong>　長期借用金として４００億円の財投（財政投融資）資を導入したのが昭和５１年度です。私が長官になったのは１０月ですから、予算化は松形長官の時代だった。当初の要求額は４００億円だったのだが、予算折衝のときに、事務レベルでは３５０億円でいったん手を打ったんです。あのとき、財投資金の増額でいくか、金利を三分五厘（３．５％）にしてもらうか、いろいろあったんです。結局３５０億の借入で手を打っておいた。<br /><br />ところがこれが問題になり、すったもんだのあげく、最終的には中川一郎先生や当時農林政務次官だった浜田幸一先生などが中に入って、当初の要求どおり４００億円にアップしたんです。予算の最終段階でのどんでん返しですから、いわば事務レベルでの信議違反ですよ。それが後に尾をひきましてね。<br /><br /><font color="#008000"><strong>失った信用</strong></font><br />翌昭和５２年度には９００億円の要求を出したんだが、大蔵省の理財局長は当時のまま。前年にトラブルがあった後だけに、そんなに大きな要求額を出すのは問題があるということで、予算折衝はたいへんでしたよ。私も４回くらい行きましたかね。夜中の１時、２時に呼ばれたこともありました。<br /><br />それで、どうしてもだめというんです。財投は劇薬みたいなもので、うまく使えばいいが、両刀だからまちがえるとたいへんなことになると、なかなかウンと言ってくれない。とにかく、苦労して８３０億円で手を打つ段階になったんですがね、それを理財局長が信用してくれない。前年にやられていますから、林野庁のいうことは信用できないというわけです。ふつうならこれも失礼な話なんだが、局長室から中川先生のところに電話しろというんです。それで中川先生に電話で了解してもらって８３０億円になった。<br /><br />＊　　　＊　　　＊　　　＊<br /><strong><br /><font color="#008000">営林署の統廃合問題</strong></font><br /><strong>森</strong>　ところで、経費節減のために行った営林署の統廃合についても話してくださいませんか。<br /><br /><strong>藍原</strong>　内地の九つの営林署を統廃合する問題は、53年８月に公表して５４年３月までかかりました。これは地元との問題ですからずいぶん力を入れましたし、中川大臣や大河原事務次官にはご苦労いただきました。<br /><br /><strong>森</strong>　北海道では営林局が５つあったのを再編整備して１局４支局とし、営林署には手をつけない。一方都府県の９つの営林局で、それぞれ一署づつ廃止するという案でしたね。<br /><br /><strong>藍原</strong>　そうです。とくに長野県の妻籠、高知県の馬路村、岩手県の新町、秋田県の白沢といったところは、いわば奥山村です。ここに営林署を置いたのは国有林経営上の必要があって置いたのですが、山村にとっては、この官庁は地元の産業にもなっているんですね。営林署はサービス行政ではないので、地元にそういうつながりはないけれど、日常的に深く結びついている。その営林署がなくなることによって、人間が４、５０人もポンといなくなっちまう。それは地元の経済問題としても大きいというわけですよ。<br /><br /><strong>森</strong>　営林署はそういう山村にとっては格式を示す「顔」でもあり、地元のプライドでもある。そういう営林署に手をつけるのは、苦労が多すぎて気の毒でもある。むしろそういうところは残しておいて、たとえば大都会の真ん中にある営林署を整理して、経費削減とか合理化を図ったほうが効果的ではないかなどと‥‥。<br /><br /><strong>藍原</strong>　あのね、そういう考え方は確かにあると思いますよ。ただ国有林の経営というのは、地元のためにもならなくてはいけないけれど、国民全体の山だということでもありますからね。これからの国有林は、ミクロにものを考えて対応していったら全体がうまくいかないという問題があります。まずマクロの網をかけて対応していくということが必要だと私は思いますね。<br /><br /><font color="#008000"><strong>退官後の営林署めぐり</strong></font><br /><strong>森</strong>　藍原さんはいろいろなところで、人間の信頼関係の回復とか「人の結びつき」の大切さとか「愛情」といったことを強調なさいました。実際、それがいまの国有林にとってきわめて大事なことだと思います。そこで、そのあたりのことを、もうすこしうかがいたいのです。<br />　<br /><strong>藍原</strong>　役人を辞めたときにね、仕事は別にして、これからの人生でやりたいことが三つあったんです。一つは車の免許をとること。二〇世紀の人間として車の運転ができないのはさみしいじゃないかと思いましてね。それは実現しました。次に女房に３０年間苦労のかけ通しだったから海外旅行に連れていってやりたいと。昭和５４年の５月に辞めた後、ともかく、二週間のパック旅行にとびこんで、ヨーロッパをまわってお茶を濁しました。<br /><br />三つ目はね、死ぬまでに営林署を全部まわろうという目標をたてたんです。国有林にお世話になって長官までやらせていただいたのに、自分の出先を全部見ていないじゃないか。<br /><br />もし、民間会社の社長だったらこれは大問題である。支店を知らなくて経営ができるわけがないと。それで辞めてからこれまでに７２ヶ所まわったんですよ。全部で３３５の営林署があるから、まだそうとうかかりますが。訪ねたしるしに「管内概要」をもらって、それに署長の名前と日付を書いてもらってるんです。ただでサインしてもらうの悪いから、ちゃんとビール券を置いてくる（笑）そしていろいろなことを聞いてくるんです。<br /><br />(次回は、後編・最終回)<br /><br clear="left"> <br /><div class="rank">◆参加しています。応援どうぞよろしくお願いします。<br /><A HREF="http://blog.with2.net/link.php?680543"><img src="http://stat.ameba.jp/user_images/20090313/16/morita-ineko/94/4f/g/t01100025_0110002510151828645.gif"  alt="true-blogLank" width="110" height="25" border="0" /></a>←クリック</div><br /><br />
 
</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/morita-ineko/entry-10310490205.html</link>  
      <pubDate>Thu, 30 Jul 2009 17:03:32 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>国有林と私（１０）素顔の国有林　中編（５）片山正英　九代長官</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 <div class="book"><a href="http://www.1st-plan.co.jp/cart1st/0004.html" target="_blank"><img src="http://www.1st-plan.co.jp/cart1st/image/0004.jpg"></a><br /><a href="http://www.1st-plan.co.jp/cart1st/0004.html" target="_blank">素顔の国有林　詳細はこちら</a></a></div><br /><u>九代林野庁長官　片山正英氏（1967年～1973年）</u><br /><br /><font color="#008000"><strong>国有林の役割</strong></font><br /><strong>森　</strong>　中央森林審議会の答申では、木材関連産業の振興のために、木材の安定的継続的な供給が必要であるといっています。つまり木材関連産業の振興は、国有林野事業の役割であるように言われていますが，それは行政施策として行うべきモのか、国有林の立場において行わなければならないのか、良く分からない。片山さんはどのようにお考えですか。<br /><br /><strong>片山</strong>　現実論として、民間の大会社が山村に進出した場合を考えて見ましょう。会社は経済的なことだけをやればいいのか。それ以外のことは国が全部みてあげますということがいえますかね。地元の繁栄にも地元の環境にも寄与する事が当然の義務として議論される時代なんです。<br /><font color="#008000"><strong><br />再検討すべき国有林の使命</strong></font><br />国有林も例外ではないでしょう。もし、答申が地元振興に関することはすべて一般会計からもらってやりなさいというのであれば、理論的には正しくても、予算的観点からも、事業実行の観点からも現実的でないといわざるを得ません。やはり、国有林の負担において地域振興のために、できる範囲のことはやるべき義務があると思う。しかし、現実には国有林であるために地域が振興しないという不満すら生じている。そのあたりもを明快にすべきですね。<br /><br /><strong>森</strong>　　現在は、民間の営利本位の企業であっても、社会的責任を果たすべき義務はありますからね。<br /><br /><strong>片山</strong>　そう。国有林も昔はやっていたと思いますよ。しかしいま、国有林が赤字になるが故にそれをやらなくてもいいんだというのであれば、国有林はますます地元と離れてしまう。地元にすれば、国有林の山はどこかにもっていってくれ、民有林であったほうがどれだけありがたいかしれないということになる。実際、そういう声がもう出てきていますよ。国有林の販売にあたっても、まず国有林の使命をもう一度再検討すべきですね。<br /><br /><font color="#008000"><strong>借金問題と人員削減</strong></font><br /><strong>森</strong>　ただ、今後二、三年のうちにかならず問題になるのは、国有林が借りている借金のことです。その金利は平均すると、約8%でしょ。民有林は何分で借りているかとおおむね3.5`%。なぜ国有林だけが八分で借りなくてはいけないんですか。検討を要しますね。<br /><br /><strong>片山</strong>　それさえやれば、私は国有林も捨てたもんじゃないと思います。<br />国鉄はね、あの高い利子で借りていても、利子補給を含めて一般会計からなんと毎年７千億円くらい助成してもらっている。そのほかに一兆円ぐらいの赤字を毎年出している。林野庁のほうは利子補給は一銭ももらっていないのです。その点で国鉄の赤字と林野庁の赤字は、同じ赤字でも内容がちがう。<br /><br /><font color="#008000"><strong>国鉄と比べると</strong></font><br />つけ加えていいますと、国鉄は人員整理をあまししていないでしょ。林野庁は毎年２パーセントぐらいしています。たいへんな努力ですよ。今、行政管理庁が5ヶ年で５％人員を削減しなさいという勧告をするとか言っていますね。１年にすると１パーセントですよ。林野庁はそういわれなくとも、年におよそ２％ずつ人員削減をやっているんです。こういうことは、私は高く評価すべきだと思いますよ。<br /><br /><strong>森</strong>　一〇欠一補、つまり一〇退職すれば一人採用するということらしいですが、改善努力というか、すごいもんですね。<br /><br /><font color="#008000"><strong>出来ていない国有林問題の解決策</strong></font><br /><strong>片山</strong>　しかし残念ながら、基本的なところで国有林問題の解決策ができてないんではないかと思うんですよ。将来、国有林の経営は安定するのかと問われたら、安定すると答えることはできません。<br /><br />その条件として人員整理、木材などの価格、借入金とその金利、公益事業に対する一般会計導入のあり方、土地利用、機構整備など、多くの問題を解決していかなければなりません。ところが、具体的な計画とそれにもとづく実行という段になると、万事円満とばかりにはいかない面もあります。<br /><br />困難な事は想像に難くないが、それでもあえて抜本策を求めるのは、もはや従来のパターンでは解決しがたい現状にあると判断しているからです。それに、なによりも国有林に対する周囲の理解が必要なんですが、これも必ずしも十分とはいえませんしね‥‥。<br /><br /><font color="#008000"><strong>歯がゆい思い</strong></font><br /><strong>森</strong>　この対談集を読んでもらって、国有林の努力を知ってもらいたいですね（笑）。国有林の人は一生懸命やっているのに。片山さんは先輩として歯がゆいでしょう。<br /><br /><strong>片山</strong>　歯がゆいですね。林野庁の努力もわかるけれど、一般から評価されていないのが残念です。しかし問題も多いですから、できれば国会の場で大臣と十分に討論してみたいですね。与党議員として、むしろ虚心担懐に質問してみたいですよ。他人が見ると林野庁をやっつけているかっこうに見えるかもしれないけどね。それも歯がゆく思うところですね。<br /><br />（次回は、十三代林野庁長官　藍原義邦氏）<br /><br clear="left"> <br /><div class="rank">◆参加しています。応援どうぞよろしくお願いします。<br /><A HREF="http://blog.with2.net/link.php?680543"><img src="http://stat.ameba.jp/user_images/20090313/16/morita-ineko/94/4f/g/t01100025_0110002510151828645.gif"  alt="true-blogLank" width="110" height="25" border="0" /></a>←クリック</div><br />
 
</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/morita-ineko/entry-10309868376.html</link>  
      <pubDate>Wed, 29 Jul 2009 19:05:42 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>国有林と私(９)素顔の国有林　中編（４）熊井一夫 初代日林労委員長</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 <br /><div class="book"><a href="http://www.1st-plan.co.jp/cart1st/0004.html" target="_blank"><img src="http://www.1st-plan.co.jp/cart1st/image/0004.jpg"></a><br /><a href="http://www.1st-plan.co.jp/cart1st/0004.html" target="_blank">素顔の国有林　詳細はこちら</a></a></div><br /><u>初代日林労労働組合委員長　熊井一夫氏(１９５７年～１９７９年)</u><br /><br /><strong>森</strong>　昭和34年に全林野から独立して、日林労が誕生しますね、そのときのいきさつをお聞かせ願いますか。<br /><br /><font color="#008000"><strong>甘かった判断</strong></font><br /><strong>熊井</strong>　ちょっとおこがましい話ですが、そもそも私は、左傾化する全林野の体質改善と正常化路線を進めるためには、弓削（委員長）、熊井（書記長）ラインが最も適役と自負して、本部入りしたのです。<br />しかし、あの東北闘争で明らかなように、左翼の病魔にむしばまれてしまった全林野の体質は、もはや誰が役員につこうと改革できるものではありませんでした。<br />そこで、何よりも混交した組織にメスを入れ、運動の進め方を抜本的に修正する必要があると考えて、それらの問題についての全国大会をもち、冷静に討議検討しようではないかと、書記長辞任後も再三本部へ呼びかけたんです。<br /><br /><strong>裏切り者のレッテル</strong><br />ところがです。それに応えてくれないだけでなく、やがて組織論や運動論をいう者は裏切り者だろうときめつけ「台風指令」なるものをもって、碁・将棋にいたるまでの一切のつき合いをするなとか、六荷の法則（いつ、どこで、誰と、誰が、何を、どうした）によって組合員が組合員を監視したり、ついには徹底的な批判や中傷をやるようになってきたんです。<br /><br />私たちがまだ全林野組合員の当時においてですよ。とくに、憲兵あがりの過激派である宮本功書記長あたりはひどかった。その彼も現在は自民党の後援者ですけどね。<br />いつの時代でも労働運動というのは血と血の闘いの集積ですが、それはまったくひどいもので、私自身だけでなく、多くの仲間や妻や母にまでいやがらせが行われたものでした。そして、これ以上組織内にとどまっていても、いたずらに混迷を深めるばかりだし、良識ある組合員を不幸な道づれにしてはいけないと考えて、出ることを決意したんです。<br /><br /><font color="#008000"><strong>全林野からの脱退</strong></font><br /><strong>森</strong>　本庁にいる組合員の多くは、東北闘争など作業員中心の過激な運動には批判的だったんでしょう。だから、組織検討委員会を設置して検討し、それをふまえて３４年の第九回全林野大会（鬼怒川大会）に問題を提起した。<br />そして大いにもめるわけですが、このときは組織の統一を守ることが決定される。しかし結局は、１０月に全林野を脱退することになるわけですね。だから日林労は、発足当初から本庁では多数を占めていたんですね。<br /><br /><strong>熊井</strong>　日林労の結成時には、本庁から３７５名が参加しました。これは本庁の９割を占める圧倒的多数です。実のところ、本庁の組合員のほとんどは、これまでの運動のありかたに、疑問を感じると同時にうんざりしていたんです。<br /><br /><font color="#008000"><strong>すでにうんざり、当然のように終結</strong></font><br />春期闘争だ何だといってはムシロ旗で廊下に座り込んだり、長官の机を叩いたり‥‥。そんなことまでしなくてもいいじゃないか。逆にそんなやりかたではよくならないんじゃないか、ということをみな感じていた。自分たちの賃銀ひとつとってみても、団体交渉権もない一般の公務員より、かえって悪いじゃないかと疑問に思っていたわけですよ。だから、当然のように日林労に結集した。<br /><br /><strong>森</strong>　本庁では日林労が主流派で、全林野は少数派になったわけですが、以後これに続いて熊本と高知に日林労の組織ができますね。高知では昭和３１年に全林野から脱退して結成されていた事務系職員の労組が、日林労に加入してくる‥‥。<br /><br /><strong>熊井</strong>　そうです。その後あちこちで結成されましたよ。<br /><br /><font color="#008000"><strong>増伐への動きをどう見たか</strong></font><br /><strong>森</strong>　さて、国有林野事業のほうに目を移しますと、昭和２９年の北海道風倒木のあと、３２年から林力増強計画が始まって、増伐の方向に傾斜していきます。これに対して熊井さんの判断はどうだったのでしょうか。どういう動きをなさったのですか。<br /><br /><strong>熊井</strong>　林業は農業や畜産、水産等の一次産業のように一年勝負（決算）じゃなく、５０年も６０年も、場合によると１００年以上もかかる。それだけに、しっかりとした長期の経営ビジョンをもって臨まなければならない。<br />ましてや、時の政府や一年そこそこでくるくる変わる大臣に林政の大計が左右されるようではならない。<br /><br />あれは、河野一郎農相のときでしたかね。大臣が「暴騰を続ける諸物価狂乱の元凶は木材だ。住宅の促進と諸物価の安定のため、国有林は大量の増伐をし、市場に木材を出せ」と指示しました。これによって、当時１６００万㎡ぐらいの伐採量だったのがポンと２３００万㎡の大増伐に及んだのです。<br /><br />さすが河野さんだと国民的には一時うけたかもしれませんが、植伐計画が狂い、山が荒れるのは当然です。林野官僚は哲学がないというより長いものに巻かれろ式だったのです。<br /><br /><strong>森</strong>　昭和３６年に河野さんは二回目の農林大臣になって、３２年の林力増強計画よりももっと大量に伐採することを命じまして、木材増産計画というのが策定されましたね。組合の立場からすれば、伐採量が増えれば、それだけ仕事の量も増加するわけですから、これら増産計画も支持されたのでしょうね。<br /><br /><strong>熊井</strong>　日林労は国有林経営を木材生産オンリーに固執することなく、広大な林野を活用して、自然休養林やレクリエーション場の建設、あるいは新規事業もどんどん開発し、職場の拡大と国民的には緑を生かしたサービスを提供すべきだとしばしば提言していました。<br /><br />したがって無計画なめちゃくちゃな増伐には、きわめて批判的でした。<br /><br />　　　　　　　＊　　＊　　＊　　＊<br /><br /><font color="#008000"><strong>尊敬している田中文雄</strong></font><br /><strong>森</strong>　日林労と全林野との違いはいろいろなところにあるわけですが、なんといっても中心となるのは労使協調問題です。<br />ここで、労使協調を強調なさる日林労のお考えを述べていただきましょうか。<br /><br /><strong>熊井</strong>　私がよく思い出すのは、かつて王子製紙の大闘争をなさった田中文雄さんのことばです。彼は、こういっているんです。「今日、産業や企業を語る場合には、労使関係を抜きにしてはできない」と。「産業なり、企業の発展は一にかかって労使関係にある。もちろん経営者に責任はあるが、労使関係が正常であるかどうかで盛衰がきまる」というのです。田中さんは、あの闘争当時、山林部長でしたが、林学出身ではめずらしく大王子の社長になりました。<br /><br /><strong>森</strong>　現在は、日経連の副会長ですね。まだ第二臨調にも入っておられる。<br /><br /><strong>熊井</strong>　そうです。林政審議会の委員もやっておられますが、立派な方です。<br />家庭でも同じだと思うんです。夫婦が別な方向を向いて、ケンカばかりしていたら立派な家庭はできるわけがない。国有林も同じで、労使関係がうまくいっていなければ、国民から信頼される経営はできるわけがないですよ。もちろん、労使は立場がちがうから言い分もそれぞれあるが、経営に対してはお互いに一丸となってやっていこうという体制をとらなくてはならない。<br /><br /><font color="#008000"><strong>社会的環境への絶望</strong></font><br />熊井　思い出すんですが、北見局管内のある東大出の若い林学士が突如、署長を辞めたことがあった。昭和三十年代後半でした。彼は退職のときに、「私は山が好きで自然相手に仕事がしたいと思って林学を学び、営林署に入った。<br />しかし、北海道というところは自然環境もきびしいけれど、それより厳しいのは社会的環境でした。つまり、全林野の過激な行動のことです。私は、これ以上こんな職場にとどまることはできない。まだ若いエネルギーがあるうちに、卑怯なようだけど、この職場を去って新しいところを求めていきます」とね。<br /><br />当時の北海道、たとえば留辺蕊営林署の場合を例にとってみると、一般職員の平均勤務時間は年間だいたい２０００時間といわれていた。ところが、団体交渉に使っている時間をみると、５００時間余りになっている。団体交渉をやるには調査や執行委員会等の下準備がいるから、実際はその倍の１０００時間から１２００時間ぐらいが交渉関係に使われている。一年のうちの半分か、それ以上が団体だけで消えていく。それも徹夜、徹夜の激しい交渉がね。<br /><br />今は少しはよくなったと思うが、三～四十年代は地元の町村長や森林組合長が営林署に陳情に行っても、団交、団交でなかなか会えないと苦情がいつもでていたのです。<br /><br /><br />(次回は、九代林野庁長官片山正英氏)<br /><br /><br clear="left"> <br /><div class="rank">◆参加しています。応援どうぞよろしくお願いします。<br /><A HREF="http://blog.with2.net/link.php?680543"><img src="http://stat.ameba.jp/user_images/20090313/16/morita-ineko/94/4f/g/t01100025_0110002510151828645.gif"  alt="true-blogLank" width="110" height="25" border="0" /></a>←クリック</div><br />
 
</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/morita-ineko/entry-10308876245.html</link>  
      <pubDate>Tue, 28 Jul 2009 09:17:14 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>国有林と私(８)素顔の国有林　中編(３)北村暢初代全林野委員長</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 <u>初代全林野労働組合委員長　北村　暢氏(１９５０年～１９５２年)</u>　　　　　　　　<br /><br /><strong>森</strong>　戦前の山村では、営林署の署長さんといえばたいへんな権威があって、地元では村長でも土下座したなどという話を聞いたことがあります。それが戦後になると、山林労働者が署長と団体交渉で対等の口をきくようになる。<br />労働組合が出来たということは、考えてみれば大変なことです。日本の林業の夜明けとでも言うべきでしょうか。<br /><br /><font color="#008000"><strong>差別と搾取の戦前</strong></font><br /><strong>北村</strong>　戦前の国有林の労働者には、想像を絶する身分差があったようです。昭和２５年の春、長野営林局管内へ出張したときに聞いた話ですが、戦前は事業所主任が仕事を終えて帰り、事業所の玄関に腰をおろすと、作業員(雇人)がすかさず脚絆を解き足をすすいで「お上がりください」といったという。<br /><br /><strong>森</strong>　軍隊式というか、上の者には絶対服従で、しかも山村地域のおくれも影響してたんでしょうね。営林署のお役人のえばりかたは、いまなお語りつがれているぐらいです。<br /><br /><strong>北村</strong>　戦後になっても、封建的なしきたりはまだ残っていて、私のような下っ端役人でも、本庁から来たというだけで、現場の作業員からは満足に話も聞けないという状態だった。<br /><br />四国や九州の国有林では、戦後間もなく作業員の組合ができていますが、四国の初代委員長になったのは、官行製炭（国有林の直営による木炭生産）の製炭夫ですよ。<br /><br />製炭夫といえば、民間では「焼き子」と呼ばれ、四国では大阪あたりの業者が味噌、醤油から米まで前貸しして、年に二回精算するというようなことをやっていた。しかも、中間に親方がおって搾取する。はじめに値段を決めて契約関係をはっきりさせてやるんではない、いわゆる庄屋制度的なものですよ。<br /><br /><strong>森</strong>　私は炭焼きの調査から山村問題の研究に入ったんですが、まったくおっしゃるとおりでしたね。「一俵いくら」という焼歩は、盆と暮れの精算のときに旦那が一方的に決める。「お前にはこれまで、米、麦、味噌、醤油、地下足袋など、これだけ送っているから、結局借金がこれだけ残る」とね。”焼き子にはさがりはつきもの”という言葉がありますが、さがりというのは借金のことなんです。つまり、いつも借金奴隷になっていた‥‥。<br /><br />　　　　　　　＊　　＊　　＊　　＊<br /><br /><strong>森</strong>　　北村さんは国有林における労働運動の大幹部でいらっしゃったわけで、まずは国有林の労働組合の誕生あたりから、お話しいただきたいんですが。<br /><br /><strong>北村</strong>　昭和20年の10月11日ですから、戦争直後といえましょう。ＧＨＱが人権擁護の5代改革というものを実施せよと命令してきた。この5つとは、婦人解放、労働組合の結成奨励、教育の民主化、司法の民主化、経済機構の民主化（独占廃止）。戦前は役人が、労働組合をつくるなんてことは考えられもしなかった事ですよ。<br /><br /><strong>森</strong>　　北村さんは昭和22年2月1日の、いわゆる「2，1ゼネスト」の時にはもう労働運動に入っておられたんですか？<br /><br /><strong>北村</strong>　あの時は北海道道庁で職場の闘争委員をやっていた。<br />労働組合は出来ていたが、それほど活発でなかったように思います。<br /><br /><strong>森</strong>　北村さんは昭和24年10月に本庁計画課にうつられますね。労働組合をやるために出てこられたのですか。<br /><br /><font color="#008000"><strong>労働運動への参加、上京</strong></font><br /><strong>北村</strong>　お米持参の東京出張は大変だったですよ。<br /><br /><strong>森</strong>　　そのあと、労働戦線は、実に複雑な展開をしますね。<br />２．１スト禁止の後、5月に社会党首班の片山内閣が成立しますが、1年も持たずに退陣する。全逓や国鉄などの闘争が激化する。また一方では産別民主化同盟が結成され、労働組織の中で、左と右の対立が深まる。そして、23年7月に、マッカーサー指令に基づく政令201号(公務員の労働3権、団結権、団体交渉権、団体行動と争議権の禁止)が交付された。また、レットパージもあった。<br /><br /><strong>北村</strong>　昭和25年11月1日のレッドパージは、公務員として職場にいることが適正でないという理由でやられたわけです。あれは、行政整理という名におけるレッドパージだったとわたしは思っています。<br /><br /><strong>森</strong>　さて、次には、公労法適用というのがおおきなエポックになりましたね。(公労法)昭和27年1月の公労法適用の翌月、全林野が結成され、北村さんは、初代の委員長になられる。そして林野の闘争は少しずつ変わっていくわけですが、北村さんご自身の動きも複雑ですね。<br /><br /><font color="#800080"><strong>※公労法</strong>）<br />●公労法の適用---三公社（国鉄、電電、専売）五現業（優勢、林野、印刷、造幣、アルコール）の職員の労働関係について、民間私企業の労働者および公務員のいずれとも異なる取り扱いをすることとして、昭和２３年に公労法が制定された。すなわち、公労法の適用を受ける労働者は、団結権・団体交渉権および労働協約の締結は認められるが、争議行為は禁止され、不当労働行為制限および紛争の調整は公労委が行い、強制調整、強制仲裁制度がとりいれられている。</font><br /><br />そして、参議院に出馬される。北村さんは社会党からの出馬でしたね。<br /><br /><strong>北村</strong>　そう。残念ながら、私は落ちて、半年後の9月に復職して、石谷憲男業務部長(のちに林野庁長官、参議院委員)の元で森林企画官になり、もっぱら国立公園の仕事をやっていた。<br /><br />　　　　　　　＊　　＊　　＊　　＊<br /><br /><strong>森</strong>　　ところで、民有林の労働問題にしても、また日林労との関係にしても、ここで、いわゆる「二確認」の考えをお聞きしておきたいのですが。<br /><br /><strong>北村</strong>　昭和三十年代に入って、経済復興の要請から国有林の大増伐が始まります。同時に機械化も進んで、とうとう現実成長量の2倍以上も伐られる事になってしまった。そのために当局は経営規定の改革を二度にわたって行うわけです。<br />大面積の皆伐で効率を上げるという方向ですから、自然破壊の問題がでてきたのは当然です。<br /><br />昭和39年に林業基本法が制定されますね。基本法林政では林業の経済性というか、企業性の追求を厳しく言うようになるんです。当時は経済性一点張りでは駄目だということで、国土保全機能という公益的なものを法律に織り込むべきだと主張して、それを入れさせたのです。と同時に、国有林における直営直傭問題についてもその確約を秘密裏に取ったわけです。<br />　<br /><font color="#008000"><strong>林業基本法を通すために</strong></font><br /><strong>森</strong>　それがいわゆる「二確認」つまり「直営直傭を原則として雇用の安定をはかる」という４１年の国会答弁と、それに関する労使の確認につながるわけですね。これは戦後の国有林の労働運動史のなかの最大のハイライトとなるもので興味深い。当局の主な方々でも「二確認」というのはまさに青天の霹靂だったという人さえいる。<br /><br />けれども昭和３９年の林業基本成立の段階からひかれていた路線だといわれると、林業の基本的なあり方を国が示せということだったわけですか。<br /><br /><font color="#008000"><strong>なかなか出来ない林業基本法</strong></font><br /><strong>北村</strong>　農業基本法はすでに昭和３６年に制定されていました。漁業の振興法もできた。ともに答申があったのは３５年です。ところが林業基本法は何年たってもできないんです。私ども社会党のほうからは森林基本法いうのを逆提案していたりで、すんなりとはいかない。当時の田中重五長官（昭和３８年５月～４１年７月）としては、若干あせりがあったと思うんです。<br /><br /><strong>森</strong>　どうして林業基本法を急がなくてはいけなかったのでしょう。役人の面子ですか。<br /><br /><font color="#008000"><strong>林業基本法を通すために</strong></font><br />北村　面子ばかりではないと思いますがね。宣言立法ですから、あってもなくても行政に支障はない。しかし、当時は池田内閣の所得倍増論が出たり、国有林解放運動が出てきていた。林業基本法を出すことによって国有林の使命も明確になる。そのことは、私どもの側にしても、大事だと考えていたわけです。<br /><br />まず基本法を作って、それにもとづく林道法や造林法、あるいは森林組合法といったものを実体法として制定し、林業関係の法体系を確立すべきだという考え方があったわけです。<br /><br /><strong>森</strong>　なるほど。与野党ととも、内容はともかく基本法をつくれということでは一致していたんですね。<br /><br /><strong>北村 </strong>ところが当時の国会は与野党伯仲で、林野庁としても、基本法ですからあまり不細工なまねもできないし、かといって基本法ですから簡単に通るとも思えない。しかも出した以上はなんとかして通したい。私どもとしても、経済合理主義オンリー的なものをすんなり通すわけにはいかない。<br /><br />実際、林業基本法が修正のうえ衆議院を通ったのは、国会会期が押し迫っていた。参議院で慎重審議ということでもなければ会期中には通らない。そういう状況のなかで、私どもは労使関係でネックになっている部分について、確約をとったわけです。<br /><br />かといって基本法を審議しないで通してしまえというのでは、同じ社会党内の議員を納得させるのもむずかしい。そこで非常に重要な確約を林野庁からとりつけたので、ここのところは簡単な審議で通してもらいたいということで私は役員会で頭を下げた。<br /><br />混乱したまま閉会した国会の最終日、あと何時間かというところで、農林水産委員会を開いて私の簡単な質問を終わって林業基本法をどうにか通し、本会議上堤に間に合わせたのです。<br /><br />そこまで進めるには、国会図書館の一室を借りたりして、そこで当局側と真剣勝負のような折衝をやったものです。<br /><br /><strong>森</strong>　その確約で一本とたっという感じだったんですか。<br /><br /><strong>北村</strong>　そう。組合としては長い間の念願でしたから、そういうことになります。「あんた責任もってやるな」と<br />いう固い約束のもとで申し合わせたわけですからね。<br />この約束にもとづいて出てくる「二確認法」は、その後の労使関係にたいへん大きな影響があるわけです。<br /><br />そういう意味で、これは林野庁当局にとっても労働組合にとっても死活問題といっていい重要問題だったことは否定できないと思いますね。<br /><strong><font color="#008000"><br />「二確認」をめぐって</font></strong><br /><strong>森</strong>　田中長官としては、一つの考え方をもっていたわけですね。<br /><br /><strong>北村</strong>　田中さんとは長官を辞められたあとも何回かあってるんですけれど、田中さん自身、直営直傭というものが、国有林野事業の企業性追及という意味でも、付加価値を高めていくものだから必要だ、という考えであったようですね。<br /><br />だからいま田中さんに会って、あのときは労働組合なり社会党の圧力に屈したのですかと聞いたら、田中さんは胸を張って、「直営直傭が正しかったと思っている」といわれると思いますよ。私ははそこのところで田中さんと意思統一ができたと思っていますね。のちにある座談会ではっきりそういってくれているようですしね。<br /><br /><strong>森</strong>　確信はそれなりに、立派ですね。<br /><br /><strong>北村</strong>　ええ、立派だと思います。いまでも今後の林業労働力確保のためには、直営直傭論が正しいと思っているんです。したがってこの申し合わせはけっして無理強いしたのではなくて、いわば男同士の申し合わせであったと思っています。<br /><br /><strong>森</strong>　結局、国会で「二確認」がなされたのは、昭和４１年３月。ずいぶん長くかかったんですね。<br /><br /><strong>北村</strong>　「二確認」のあと、２，３ヶ月で田中さんが辞めて、若林正武さん（のちに参議院議員）が長官になるんですが、田中さんとしては、在任中にこれを協約にして責任を果たされたわけです。最終的には大臣の承認が必要ですから、坂田農林大臣にわかってもらったわけでしょう。<br /><br /><strong>森　</strong>大臣が答弁するからには、自民党のほうも了解したわけですか。坂田大臣も戦前の農林省における技術者運動の指導者でしたね。<br /><br /><strong>北村</strong>　林野庁長官としては自民党の林政調査会へ行って説明したと思います。私は国会答弁の前日、大臣とお会いし、最後のつめをやってその文案をはっきりさせたんです。「国有林経営については、中央森林審議会の答申もあり、目下鋭意検討中でるが、国有林経営の基本姿勢として、直営直傭を原則として、これを積極的に拡大し、雇用の安定をはかることを前提として検討して参りたい。なお通年化については努力して参りたい」<br />大臣はここまで突っ込んで答弁することになったわけです。<br /><br />私たちが大臣とのつめを終えたのは夜九時ごろでしたね。<br /><br /><font color="#008000"><strong>誤ってた原稿</strong></font><br />その翌日、農林水産委員会で渡辺勘吉議員の質問に答えるかたちで、大臣は役人が書いてきた文書をそのまま読んだわけです。渡辺議員は「まことに画期的な答弁だ、代が変わり歴史が移ってもこの方針を守ってもらいたい。」<br /><br />などと評価して国有林の雇用問題の質疑を終わり他の議題に移っていった。ところが聞いていると昨夜の打ち合わせの文案と、どうもちがうんだな。これは、と思ったものだから、さっそく速記をとりよせてみると、明らかにちがっている。<br /><br />委員会が終わってしまったらたいへんだから、すぐに林政課長をよんで答弁のやり直しをさせることにした。まちがったともいえないので、前の答弁にはちょっと齟齬があったので、これから答弁するのが正しいと、大臣にもう一度打ち合わせ通りの文案を読ませて、議事録を入れ替えてもらった。<br /><br />あとで聞いた話だが、大臣とのつめのあと、長官から案文を渡された林政部長ら関係者は、この主旨の「答弁要旨」を作るものと早合点し、深夜まで議論して三つの案を作ったそうですよ。大臣が最初に読んだのが、その一つであったわけです。<br /><br />これが３月２５日。この大臣答弁をそのまま労使で確認したのが「三・二五確認」といわれるものです。これにもとづいて、６月３０日、農林省三番町の会議室で、長官と全林野との間で「基幹要員についての臨時雇用制度を抜本的に改めて雇用の安定をはかること」を確認する。これが「六・三〇確認」です。この二つがいわゆる「二確認」なんです。<br /><br />この「二確認」が昭和４１年にあって、基幹作業職員制度が発足したのが５２年です。その間に合理化計画が何度も出てくる。政府の財政調査会あたりからは、国有林の前面請負という方向がでてくるんです。<br /><br /><strong>森</strong>　昭和４７年には、林政審議会の答申が出る。これは、「より良い直傭、より良い請負」となっていますね。<br /><br /><strong>北村　</strong>当局側としては、なんとか「二確認」を骨抜きにしたいわけでしょう。私どもはそこで、再三再四、「二確認」を確認して、その実現を迫ってきたわけです。<br /><br />　　　　　　＊　　＊　　＊　　＊<br /><strong><br /><font color="#008000">なぜ赤字なのか</font></strong><br /><strong>森</strong>　国有林の赤字問題も深刻ですね。これを他の３Ｋ赤字などと十把ひとからげにされるのも困ったものです。<br />なんとかしなければなりませんが、今後の展望はどうでしょうか。<br /><br /><strong>北村</strong>　国有林の合理化は赤字問題が基本になっている。赤字を解消するために機構の縮小、人員の削減をやる。事務所の統廃合をやって非効率な直営直傭を請負に切り替える。これが当局のいう合理化です。私は、なぜ赤字になったかという基本問題を論議しないで、ただ赤字だ赤字だというのには絶対反対なんです。<br /><br />政府の土地住宅政策の貧困からは住宅建設がのびない。そのために材価が低迷している。これは林業が振興しない最大の原因です。それにもかかわらず外材が入ってくる。ちょっと値がよくなると外材が入って国産材を圧迫する。<br /><br />木材価格がずっと低迷していて、今年あたりは低迷どころか下落している。木材価格の動向が決定的な要素をもっているわけですよ。<br /><br />かつて、昭和４５，６年に経済不況になって、国有林財政が赤字になった。この傾向が４７，８年も続くだろうと思われた。ところが昭和４８年が狂乱物価で４９年には国有林が史上最大の黒字になるわけです。あれは木材価格があがったからで、国有林を合理化した結果ではない。その例でもわかるように、国有林の赤字問題は木材価格問題にあると言たいのです。<br /><br /><strong>森</strong>　林野庁が国有林の改善計画を立てたり審議会答申などをもらうといつも不思議に木材価格が上がる。また、「神風が吹いた」などといっていますが、こんどはそうはいきますまい。<br /><br /><strong>北村</strong>　現在の木材不況は非常に深刻ですよ。もう一つの赤字原因は高度成長期の増伐です。いまの生産量は最盛期の六割ほどに落ちている。しかも今後１５年ぐらいはこの水準、つまり１３００万㎥まで落とさなくてはならない。これはいったい誰の責任かということです。高度経済成長期の社会情勢から、国有林を増伐せざるをえなかった。私はある程度の増伐はやむをえないと思うが、しかし伐りすぎた。しかもそれは、国の政策でやられたんだということをいっておきたいですね。現実成長量の倍くらいで伐って、蓄積を減らしてしまったわけです。そういう財産を食ってあげた収益は、将来のため特別会計内に積み立てておかなくてはいけなかったものなんです。<br /><br />(次回は、元日林労委員長　熊井一夫氏)<br /><br /><br clear="left"> <br /><div class="rank">◆参加しています。応援どうぞよろしくお願いします。<br /><A HREF="http://blog.with2.net/link.php?680543"><img src="http://stat.ameba.jp/user_images/20090313/16/morita-ineko/94/4f/g/t01100025_0110002510151828645.gif"  alt="true-blogLank" width="110" height="25" border="0" /></a>←クリック</div><br />
 
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      <pubDate>Sun, 26 Jul 2009 17:28:25 +0900</pubDate> 
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