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    <title>？</title>  
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      <title>黄昏人戯言思い出日記</title>  
      <description> <![CDATA[ <br /><br />その事がまたまた彼の運命を変えていきます。<br /><br /><br />体力も回復し、体調も万全となった彼は、自衛隊除隊後に何をすべきか考えていたのです。<br /><br /><br />大島で、美しい椿などの花々を目にした彼は閃きます。<br /><br /><br />『これからは、花だ～』<br /><br /><br />ガサツな彼でも、大島の花々に、大いに癒されたのでしょう。<br /><br /><br />それからは、職権濫用しまくりで、自衛隊の飛行機を使っては、日本中の花を見学に行き、知識を身に着けていったのです。<br /><br />頃合を見て辞めた彼は、東京でも有名な花屋さんに押しかけと<br />『一年間、雇って下さい。給料は要りませんから、とにかく勉強させて下さい。』<br /><br /><br />彼は行動力の塊みたいな奴です。<br /><br />自衛隊に入り、根性まで、身に着けたのでしょう。<br /><br /><br />なんとか一年間の修行を終えると、生まれた故郷に帰り、休耕田を一反と、一台の２トントラックを借りました。<br />そして、意気揚々と東北地方へ出掛けて行くのです。<br />花苗の買付けの旅です。<br /><br /><br />買付けとは言うものの、現金なんて有るワケありません。<br /><br />早い話、口約束の口手形です。<br /><br />純朴で人の良い東北のお百姓さんに取り入り、半年後の支払いを約束し、大量の花苗を購入していったのでした。<br /><br />
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      <link>http://ameblo.jp/mackk/entry-10152090320.html</link>  
      <pubDate>Thu, 16 Oct 2008 06:38:09 +0900</pubDate> 
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      <title>黄昏人戯言思い出日記</title>  
      <description> <![CDATA[ その田平もやはり、浪人していて上京していたのですが、根っからの勉強嫌い、入れてくれる大学も無くて、親からも半ば見放され、新宿でヒッピー生活を送っていたのでした。<br /><br /><br />早い話がホームレスです。<br /><br /><br />しかし、彼は人一倍度胸がありました。<br /><br /><br />イヤ、ヤケクソ？<br />火事場のクソ力？<br /><br /><br />今流に言えばＰＱ値が高かったのでしょう。<br /><br />彼は最後の十円を使いある事をします。<br /><br /><br />それが、彼のその後の人生を大きく変えて、拓けたものにしていくのです。<br /><br /><br />さて、彼は最後の十円を使いナニをしたと思いますか？<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />彼は、最後の十円を使い、電話をします。<br /><br />自衛隊に！！<br /><br /><br /><br />『モシモシ自衛隊ですか？<br />隊員募集をしていますよね、今から即入隊したいので、新宿まで、迎えに来て下さい。』<br /><br /><br />野垂れ死に、餓死寸前の田平は、自衛隊入隊を決断するのです。<br /><br /><br />モチロン、入隊と同時に栄養失調状態の彼が、病院送りになったのは、言うまでもありません。<br /><br /><br />体調を戻した、田平は元々屈強な体育会系、部隊の中で、巾を効かせてきます。<br /><br /><br />彼は休みの時などは、後輩を脅しては、大島などへ、遊覧飛行に出掛けていたそうです。
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      <link>http://ameblo.jp/mackk/entry-10151209575.html</link>  
      <pubDate>Tue, 14 Oct 2008 00:57:26 +0900</pubDate> 
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      <title>黄昏人戯言思い出日記</title>  
      <description> <![CDATA[ 彼には口癖がありました。<br />『酔って枕す美人の膝。』<br /><br />しかし、美人とは全く無縁の男で、齢58才になる今日、未だに独身、酔って枕す美人の膝枕なんて、夢のまた夢だったのです。<br /><br /><br />その頃から、酒に溺れ、結局は受験にも失敗し、誰にも心を開かず燻り続け鬱病を患ったと聞いています。<br /><br /><br />一方、私は、翌年からは、スベリ止めで合格した、目白にあるＧ大学に通う事になります。<br /><br />そういえば、当時、受験生ブルースなんて流行っていましたっけ。<br /><br /><br />まだ、学生には、バンカラ気質が残り、私もチャラチャラした格好の連中を、心の何処かで軽蔑していました。<br /><br /><br />そんな時、新宿ではヒッピーと言われた連中が多くたむろしていました。<br /><br /><br />後年知ったのですが、そのヒッピーの中に、高校同級生の田平がいました。<br />正確には、彼は学業不振で、落第してしまい、同級生になってしまったと言うべきでしょう。<br /><br /><br />今では成功し、Ｋ市では実業家として著名人となっています。<br /><br /><br />彼は、高校時代には、体育祭の時、酒を飲み泥酔し、近くの小川ではしゃぎ回っていた所を、警察に通報され、友人吉田共々、停学を食らうなど、かなり目茶苦茶な奴だったのです。
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      <link>http://ameblo.jp/mackk/entry-10150802217.html</link>  
      <pubDate>Mon, 13 Oct 2008 04:00:07 +0900</pubDate> 
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    <item> 
      <title>黄昏人思い出戯言日記</title>  
      <description> <![CDATA[ <br /><br />三島由紀夫は、師の川端康成より早くノーベル賞の候補にもノミネートされるほど才能溢れる天才作家であり、高校時代に彼の作品に触れた私は、彼の作品や彼の行動にはいつも注目していたのです。<br /><br /><br />あの時代に文学を多少でも囓った青年は、殆どが三島由紀夫に、大きな関心を寄せていたと言っても過言では無いでしょう。<br /><br /><br />彼の言動や書籍は、当時の若者の耳目を集めて、思想や価値観に大きな影響を与えていました。<br /><br /><br />学生運動の華やかなりし頃、全学連との東大での集会にも出席し、『君達が天皇陛下万歳と、一言叫んでくれたら、僕は君達を支持するよ。』と言い放ち、会場割れんばかりの拍手を受けた事がありました。<br /><br />彼は右翼には勿論、左翼にも人気があったのです。<br /><br /><br /><br />友人鶴岡も大きなショックを受けていて、その夜は彼と酒を飲む事になりました。<br /><br /><br /><br />しかし、厳しい財政事情です。<br />私は下宿から真新しい読んだばかりの単行本を二冊持ち出し、古本屋に売りに行き、鶴岡は、古ぼけたオンボロ電気コタツを抱えて質屋に金を借りに行きました。<br /><br /><br />私達は、飲まずにはおれなかったのです。<br /><br /><br />私達は安い酒を丼に注ぎ、遅くま黙々と飲みました。<br /><br /><br /><br />
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      <link>http://ameblo.jp/mackk/entry-10145853343.html</link>  
      <pubDate>Wed, 01 Oct 2008 03:20:11 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>黄昏人戯言思い出日記</title>  
      <description> <![CDATA[ <br />予備校通いも半年過ぎた頃から、更に学生運動は激しさを増し、遂には、私の志望校だった九州大学教養部も、全学連に占拠され、警察機動隊との激しい攻防が繰り広げられていました。<br /><br /><br /><br />この九州大学教養部に近い予備校寮にも、全学連シンパがいて、何かと騒がしい環境になりつつありました。<br /><br /><br /><br />同時に、大学紛争も何だかんだと言っても、先ずは東大、次に京大それから九大の順。<br /><br /><br /><br />奴らも、結局は序列を付けて、紛争を展開しているのです。<br /><br /><br />序列や秩序を破壊しようと企む連中が、実は序列に従って闘争を展開するなんて滑稽に感じました。<br /><br /><br /><br />結果、今の国立大学では、まともに勉強は出来ない、東京の私立大学へ行こうと考えたのです。<br /><br /><br /><br />そして、冬には上京し、東京での生活が始まりました。<br /><br /><br /><br />そこで、偶然にも同級生鶴岡と出会ったのです。<br /><br /><br />奴との出会はある意味私の人生を大きく狂わした出会だったように思います。<br /><br /><br /><br />多分。奴も私に出会わなければ…と思っている事でしょう。<br /><br /><br /><br />彼は、早大近くのキリスト教教会の真裏の小さな下宿屋の六畳一間に棲息していました。<br /><br /><br />ホント、何も無寂しい侘しい部屋でした。<br /><br /><br />あるものと言えば、電気コタツと布団、そして、電気ポットでした。<br /><br /><br />そして、当然の如く貧しい生活を送っていました。<br /><br /><br />予備校のそばにある下宿屋は、私にとっては格好の休憩場でした。<br /><br /><br />ある日、彼と共に、代々木で浪人を送っている吉田君ところに遊びに行こうという事になり、出掛ける事になりました。<br /><br /><br />吉田君を尋ねると、彼は丁度晩ご飯の最中でした。<br /><br /><br />そるを見た鶴岡は、彼に『良いもの食ってるなあ～、俺にも食わせてくれ～』と、彼の丼を取り上げて、さっさとお腹の中に詰め込んだのでした。<br /><br /><br /><br />彼は、カツ丼を食べていたわけでも、うな丼を食べていたわけでも無いのです。<br /><br /><br />彼は、残り僅かになった米で、お粥を作り、田舎から送ってきた梅干しを乗せて食べていたのです。<br /><br /><br /><br />鶴岡の生活状況が伺える出来事で、私はこの時、コイツらスゲェと妙に感動したものでした。<br /><br /><br />そんな事があって数ヶ月後、私は驚愕する事件を知る事になりました。<br /><br /><br />記憶違いがなければ、11月の薄寒くなっていた季節の出来事であったと思います。<br /><br /><br />三島由紀夫が、四谷の自衛隊本部を占拠し、割腹自殺を遂げるという、衝撃的な事件が起きたのです。<br /><br /><br />
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      <link>http://ameblo.jp/mackk/entry-10144222170.html</link>  
      <pubDate>Sat, 27 Sep 2008 00:04:46 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>黄昏人戯言思い出日記</title>  
      <description> <![CDATA[ さてさて予告通り、思い出話を…<br /><br /><br /><br />それは、青春時代の愚かな行動の数々を著し、恥を晒しつつ、青春時代に置き去りにした、忘れ物を探す、みたいな…<br /><br /><br /><br />私が高校を卒業したのは、１９６９年、日米安保条約改定前年。<br /><br />そして、晴れて私が、童貞も卒業した年でもあります。<br /><br /><br /><br />世の中は、７０年安保に向けて、学生運動が最も激しく、彼等の東大安田講堂占拠により、東京大学入学試験が中止になった年でした。<br /><br /><br /><br />この出来事は、少なからず受験生の私にも影響があり、受験失敗、浪人生活へと突入します。<br /><br /><br /><br />結局、私は浪人生活を、半年を福岡、一年半を東京で過ごす事となったのです。<br /><br /><br />福岡では、田島の予備校寮から、当時大名にあった予備校に通う事となりました。<br /><br /><br /><br />そこでの半年間は、私が最も青春していた時だったと、今も思っています。<br /><br /><br /><br />予備校で出会ったＭ子の可憐な横顔を、チラッと見ながらも、目標に向かって必死に努力をしていた当時の私は、今、思い起こしても、『なかなか初ヤツよのお～』と健気で、褒めてやりたくなります。<br /><br /><br />続。<br /><br />
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      <link>http://ameblo.jp/mackk/entry-10143501153.html</link>  
      <pubDate>Thu, 25 Sep 2008 04:03:20 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>黄昏人戯言日記</title>  
      <description> <![CDATA[ <br /><br /><br />さてさて、思い付くままに、昔々の思い出などを綴ろうとしたら、過去のブログをとの、ご希望がありましたので、百人一首考を再度アップし直しました。<br /><br /><br /><br />ハンネも変えたので、やや面映ゆい気がします。<br /><br /><br /><br />次回からは、予定通り、ぼちぼちと下らない思い出話や、世間話を書き連ねる事とします。<br /><br /><br /><br />
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      <link>http://ameblo.jp/mackk/entry-10140621155.html</link>  
      <pubDate>Thu, 18 Sep 2008 01:31:33 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>過去の栄光・順徳院No.99</title>  
      <description> <![CDATA[ 後鳥羽天皇の第三皇子であった順徳院は、十四才で、天皇に即位し、二十五才で譲位します。<br /><br /><br /><br />鎌倉幕府の勢いの前に、朝廷の力は失われていくばかりで、憂鬱な日々の中で、この歌を詠みます。<br /><br /><br /><br /><br /><br />ももしきや  古き軒端の  しのぶにも  なほあまりある  むかしなりけり<br /><br /><br /><br /><br /><br />『宮中の荒れ果てた御殿の古い軒端には、しのぶ草が生えているよ。<br /><br />そのしのぶ草を見るにつけ、皇室の衰退が情けなく思われ、どんなに偲んでも、なお偲び尽くせない昔のよく治まっていた御世であることよ。』<br /><br /><br /><br /><br /><br />この歌を詠んだ五年後に、父後鳥羽院らと共に、承久の乱を起こしますが、二か月で敗北すると、順徳院は、佐渡に流されます。<br /><br /><br /><br />そして、帰都の望みも叶わず、絶食し痩せ衰えて亡くなりました。<br /><br /><br /><br />順徳院の時代認識の甘さと政治的な見識不足を、感じさせる歌でもあるようですね。
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      <link>http://ameblo.jp/mackk/entry-10140602578.html</link>  
      <pubDate>Thu, 18 Sep 2008 00:35:16 +0900</pubDate> 
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    <item> 
      <title>舞散る桜・入道前太政大臣藤原公経No.98</title>  
      <description> <![CDATA[ 藤原公経、後の入道前太政大臣は、内大臣坊城実宗の子として生まれますが、妻は源頼朝の姪を迎えます。<br /><br /><br /><br />千二百二十一年に朝廷と鎌倉幕府が対立して、承久の乱が勃発すると、密かに幕府に情報を送り、助けました。<br /><br /><br /><br />その功で、太政大臣になり、大変な贅沢三昧の日々を送ったと言われています。<br /><br /><br />しかし、迫りくる老いだけは、如何ともし難く、その悲しみの中で詠みます。<br /><br /><br /><br /><br />花さそふ  嵐の庭の  雪ならで  ふりゆくものは  わが身なりけり<br /><br /><br /><br /><br />『桜の花を散らし、激しく風が吹いている庭は、ちょうど雪が「降りゆく」ようです。<br /><br />思えば、本当に年老いて「古りゆく」のは、実はこの自分なのだなぁ…。』<br /><br /><br /><br /><br />裕福な者にありがちな、悩みではあります。<br /><br /><br /><br />藤原定家の妻は公経のお姉さんでした。<br /><br />定家は随分と公経の世話にもなったようです。<br /><br /><br /><br />公経は、京都北山に、西園寺を建立します。<br />これは、後に金閣寺となりました。
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      <link>http://ameblo.jp/mackk/entry-10140602499.html</link>  
      <pubDate>Thu, 18 Sep 2008 00:35:02 +0900</pubDate> 
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      <title>鎌倉右大臣・源実朝No.97</title>  
      <description> <![CDATA[ 藤原定家の和歌の弟子の一人に、鎌倉右大臣源実朝がいます。<br /><br /><br />実朝が生まれた年に、鎌倉幕府は開かれ、実朝七才の時、父頼朝は亡くなります。<br /><br /><br /><br />頼朝の跡を継ぎ、将軍となった、兄の頼政は、何者かに暗殺され、実朝が兄の跡を継ぎ、将軍となります。<br /><br /><br />将軍となった実朝は、明日の不安を覚えながら、そんな中で、歌を詠みます。<br /><br /><br /><br /><br />世の中は  常にもがもな  なぎさこぐ  あまの小舟の  綱手かなしも<br /><br /><br /><br /><br />『この世の中、永遠に変化しないものであれば良いのになあ。<br /><br />海岸に沿って漕いで行く漁師の小舟の引き綱を、他の漁師が引いている姿は、愛しいなあ。<br /><br />こんな穏やかな日々がいつまでも、続くとよいのですが。』<br /><br /><br /><br /><br /><br />この歌の願いも虚しく、右大臣になった翌年、鶴岡八幡宮で、甥の公暁に暗殺されました。<br /><br /><br /><br /><br />彼は、将軍になりたくてなった訳では有りません。<br /><br />頼朝の子でさえ無ければ、もっと平和で、幸せな人生を送る事が出来たでしょう。
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      <link>http://ameblo.jp/mackk/entry-10140602409.html</link>  
      <pubDate>Thu, 18 Sep 2008 00:34:47 +0900</pubDate> 
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