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    <title>新くるくる日記</title>  
    <link>http://ameblo.jp/kyokyom/</link>  
    <description>読書記と日々の雑感</description>  
    <language>ja</language>  
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      <title>あるリストを見て</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 この前映画に関するあるリストを見た。鑑賞後の後味の悪さのすごい映画みたいなリスト。紹介されている映画ごとに感想も書かれている。そしてそれに対する別のある人のそのリストに対する感想を見てそれがすごく面白くてハッとさせられることがあった。<br />それは主観的であるということと客観的であるということってどういうことなのかってことなんだけど。<br />鑑賞したあとに語る言葉の示すものがふたつにわかれるとする。<br /><br />わたくしは作品に寄り添おうとするなら客観的な言葉や分析というもので語っていくと思っていたし後者は主観的な言葉で好き勝手に語られると思ってた。<br />でも違う・・・というかそれだけじゃないような気がする。<br />主観的な言葉で作品に寄り添う言葉で語られることもあれば、客観的な言葉で私はこう感じたことを知ってもらいたい！という感じで語られることってあるんじゃないかなって思った。<br /><br />形式は主観だけど実質は客観、形式は客観だけど実質は主観。<br />まあわたくしがこうとらえてみたこと自体は直感だけどﾍ(ﾟ∀ﾟ*)ﾉ<br />てか、これはちょっと大雑把すぎるな。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />.
 
</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/kyokyom/entry-10993464196.html</link>  
      <pubDate>Mon, 22 Aug 2011 03:57:33 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>「家霊」</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 岡本かの子の食事物（？）の作品にでてくる食べ物は美味しそう…というよりはなんというべきなのかなあ。<br /><br />「家霊」「食魔」「鮨」を再読してみた。<br />小説における料理、食事の描写が美味しそうと感じられるのはそれはそれでもちろんひとつの楽しみだけど、かの子のものは食べることのもっと生々しい部分が伝わってくる。でもそれもあくまで料理・食事部分を切り取って語ろうとすればそうなるってことで、全体の話の流れの中においては、食べることは生々しさだけではなくもっと深い意味をもつように感じた。<br /><br />たとえば「家霊」では、どじょうという生き物・食材を媒介にして、料理屋“いのち”の先代おかみと彫金師の間で人間の生気・生命力とでもいうようなものがぐるぐる循環していく形になっているところにおののいてしまう。<br />その循環の過程で一人の名工を誕生させ簪の名作を生み、そしてまたひとりの女に浮世の苦しみを耐えさせた。<br />でもそれは二人の間だけの話で、もう老人となった彫金師は世間に認められているわけでもなく、ただただまいばんどじょう汁をツケで食わして欲しいとやってきては店のものにも邪険にされたりしている。<br />それと気になることがある。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />彫金師<br /><font color="#0000FF">「はじめは高島田にも挿せるような大平打の銀簪にやなぎ桜と彫ったものが、丸髷用の玉かんざしのまわりに夏菊、ほととぎすを彫るようになり、細づくりの耳掻きかんざしに糸萩、女郎花（おみなえし）を毛彫りで彫るようになっては、もうたいして彫るせきもなく、一番しまいに彫って差上げたのは二三年まえの古風な一本足のかんざしの頸に友呼ぶ千鳥一羽のものだった。もう全く彫るせきは無い」<br />　こう言って徳永は全くくたりとなった。そして「実を申すと、勘定をお払いする目当てはわしにもうありませんのです。身体も弱りました。仕事の張気も失せました。永いこともないおかみさんは簪はもう要らんでしょうし。ただただ永年夜食として食べ慣れたどぜう汁と飯一椀、わしはこれを摂らんと冬のひと夜を凌（しの）ぎ兼ねます。朝までに身体が凍（こご）え痺（しび）れる。わしら彫金師は、一たがね一期（いちご）です。明日のことは考えんです。あなたが、おかみさんの娘ですなら、今夜も、あの細い小魚を五六ぴき恵んで頂きたい。死ぬにしてもこんな霜枯れた夜は嫌です。今夜、一夜は、あの小魚のいのちをぽちりぽちりわしの骨の髄に噛み込んで生き伸びたい――」<br /><br /><br /></font><br /><br /><br />おかみ（先代）<br />　<font color="#66CC00">母親は、死ぬ間際に顔が汚ないと言って、お白粉（しろい）などで薄く刷き、戸棚の中から琴柱（ことじ）の箱を持って来させて「これだけがほんとに私が貰ったものだよ」<br />　そして箱を頬に宛てがい、さも懐（なつ）かしそうに二つ三つ揺る。中で徳永の命をこめて彫ったという沢山の金銀簪（かんざし）の音がする。その音を聞いて母親は「ほ　ほ　ほ　ほ」と含み笑いの声を立てた。それは無垢（むく）に近い娘の声であった。<br /><br /></font><br /><br /><br /><br /><br /><br />この対比は気になるんだけどなあ。<br />まあでも結局それもどうでもよくなるというか、対比なんかさせずにそのまま流れの中で読んでいるとこのふたつの箇所はとてもつよく胸に迫る。<br />いのちをつないでいくことの迫力に圧倒される。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />青空文庫<br /><a href="http://www.aozora.gr.jp/cards/000076/files/984_19594.html" target="_blank">http://www.aozora.gr.jp/cards/000076/files/984_19594.html</a><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />.<br /><br /><br /><br /><br /><br />
 
</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/kyokyom/entry-10993040570.html</link>  
      <pubDate>Mon, 22 Aug 2011 02:55:44 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>リアリティの水準？</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 <br /><iframe width="294" height="220" src="http://www.youtube.com/embed/YGwz4NEPo9g" frameborder="0" allowfullscreen></iframe><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />「メリーポピンズ」見ててへぇ～と感じたことがあったんだけど。。<br />メリーゴーランドに乗っててくるくるまわっている途中から人の乗っている木馬が台座から離れて外に飛び出していくシーンがある。<br />木馬は台座にとめておいたり人がつかまったりするために胴体を上下に棒が貫いているけど、台座から離れていってもその棒がついたまま。野外に飛び出した木馬はゆっくりと上下に揺れながら前に進んでいく。<br /><br />この映画ってアニメと実写の合成シーンがあるんだけど、その木馬で野外に飛び出していくところも実写+アニメ。<br />木馬は上下に揺れながら前に進んでいるんだけど、走りながら木馬が下にさがるときに木馬から突き出ている棒が地面にささる。そうするとちゃんと棒が土をかきだしていくところを描き映しているんですよね。<br />これまず思ったのはリアルだなあてことだった。それ見て驚いた。<br />でもちょっと考えて見ると、それは本当にリアルさに感心できる話なのかそれとも描かれるべき当たり前のことなのか考えはじめると判らなくなった。<br /><br />昔アニメの名作劇場見ていたときにへぇと思ったんだけど、ある作品で一時的に激しい雨が降るシーンがあった。そのあと雨が上がってから川の流れを映していたんだけどちゃんと水が茶色く濁っていて、そのことにも感心してしまったことがあった。見ているときにこれひょっとしたら水辺の危険さの演出かなと思ったんだけど、確かそのあと誰かが川で溺れたとかそんなことはなくて、ただ増水して濁っているというだけの描写だったと思うんだけど。<br /><br />細かいところまでちゃんと演出するんだなあと思って感心したけど…。<br />ただなあ…じゃあリアルだったらそれでいいのかって話もある。<br />土がかきだされなくても水が濁らなくても作品全体の面白さに特に関係しないというか。<br />いや、もちろん細部へのこだわりって大切なのは判る。でもここではそういう話ではないというか、そういう描き込みっていうのはどのくらいの水準にするのかという判断があるんじゃないかと思った。<br />まあ才能の有無もあるけどでもやろうと思えばどこまでだってやれてしまうときに、しかし時間が限られていればそのリアルさの演出にだって当然取捨選択が働く。<br />そのリアルさの水準を決定することってその作品がどんな・・・・・・<br />続かないなあ。<br />なんだろうね、リアルさの水準って。<br />そんなものあるのかなあ。<br />たいした話じゃなかったのかな。<br /><br /><br /><br /><br /><br />ということを十日ほど前に書いていて昨日「バットマンリターンズ」を見たんですね。<br />いやあ、こんな面白い映画だったのか～ってまずは驚いたんだけどそれはおいといて。<br />生れの不幸への同情をそそるけど悪党なペンギン男。<br />ある企業家と組んでゴッサムシティを表からも裏からも支配しようとたくらんで市長選挙に出るんだけど、バットマンは悪だくみを見抜いている。<br />そこでバットマンはペンギン男が大勢の有権者を前に調子のいいことを喋っているそのマイク、スピーカーをのっとってペンギン男の声で市民を馬鹿にし嘲弄する内容の演説を流す。<br />当然その選挙演説を聴いていた市民達は激怒。ふざけんなーとか罵倒しながらペンギン男に向かってみんな野菜とか卵とかばしばし投げつけるんですよ。<br />まあそこふつーに見てたんですね、わたくしは。<br />そしたらペンギン男がいまいましそうに言う。<br />「（市民たちは）なんで野菜なんか持っているんだ！」って。<br />え、だってそういう映画なんでしょ！？って思わずつっこんだよ。<br />同時に「やられた！」という気分になってあと可笑しくて吹き出してしまった。<br />（しかしまあ考えてみるとそれも今だからこそそういう見方になっていたのかしれない）<br /><br />ええと、なんだっけかな。<br />ちょっと結論は出ないですね。<br />また色々作品に触れつつ意識して見ていこうかなと思います。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />
 
</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/kyokyom/entry-10930413866.html</link>  
      <pubDate>Thu, 23 Jun 2011 23:53:25 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>黄身</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 卵を茹でてみました<img src="http://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/105.gif" alt="チョキ" /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20110620/21/kyokyom/ed/b4/j/o0480064011302864695.jpg"><img src="http://stat.ameba.jp/user_images/20110620/21/kyokyom/ed/b4/j/t02200293_0480064011302864695.jpg"  alt="$新くるくる日記" border="0" /></a><br /><br /><br /><br />蛇口から汲んだばかりの水道水を使って茹でた卵。<br />黄身がちょっと黒っぽい。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20110620/21/kyokyom/bb/7f/j/o0480064011302864694.jpg"><img src="http://stat.ameba.jp/user_images/20110620/21/kyokyom/bb/7f/j/t02200293_0480064011302864694.jpg"  alt="$新くるくる日記" border="0" /></a><br /><br /><br />水道水をプラスチック容器に汲んでから２４時間放置。<br />その後茹でる。<br /><br /><br /><br /><br />ちょこっと黒っぽいけど汲みたての水道水で茹でたときよりもまだ黒さが抜けています。<br />そもそも黄身が黒っぽくなるというのは水道水の中の塩素の働きなのでしょうか？<br />まあ一応そういう仮説を立てて、かつ汲み置きした水からは塩素が抜けていくという俗説を信じてやってみたことでした。<br />塩素のためかどうかは判らないけども、汲み置きした水を使ったらまあ少しだけ黒っぽさは抜けたよう。<br /><br /><br />でも汲んだばかりの水道水でも圧力鍋で茹で卵を作ると鮮やかな黄色い黄身だった気がする。<br /><br /><br /><br />だからなんなんだって話だけどなんとなく気になったのでやってみた。<br />味はどうなんだろうなあ。ひとつは細かく刻んでサラダにのせて食べてもうひとつはマヨネーズまぜてサンドウィッチの具にしたから判らなかった。まああったとしてもそんなたいした違いでもないと思うけど。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20110620/21/kyokyom/a1/b6/j/o0480064011302864696.jpg"><img src="http://stat.ameba.jp/user_images/20110620/21/kyokyom/a1/b6/j/t02200293_0480064011302864696.jpg"  alt="$新くるくる日記" border="0" /></a><br /><br />照明が違うから同じ条件で撮影できていない。<br />ちょっとした参考程度の写真。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><img src="http://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/195.gif" alt="ダイヤ" /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />
 
</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/kyokyom/entry-10929529348.html</link>  
      <pubDate>Tue, 21 Jun 2011 02:50:02 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>サウンド・オブ・ミュージック</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 私のこころが孤独なときには<br /><br />丘にゆけば<br /><br />私の耳になつかしい<br /><br />響きがきこえてくる<br /><br />私のこころは<br /><br />音楽の響きに祝福され<br /><br />私はまたうたおう<br /><br /><br />（映画「サウンド・オブ・ミュージック」より“サウンド・オブ・ミュージック”）<br /><br /><br />子供へのしつけ方に頭にきた大佐、マリアを追いだそうとして叱り付けたあとに子供たちの歌声が聴こえてくる。<br />「あれは？・・・」と大佐<br />「お客様のために子供たちが歌を練習したのです」答えるマリア。<br />大佐は屋敷の中へ。<br />お客様を前にして歌う子供たち。<br />それをみた大佐は黙ってたたずんだのち思わず歌いだす。。<br />という大佐のパートの歌詞（訳詞）です↑<br /><br /><br />昨日テレビ東京で「サウンド・オブ・ミュージック」が放送されていたので見ました。<br />で、その日のうちにBSでこれまた西ドイツ「菩提樹」という映画が放送されていたのですが、こちらも同じ原作を下にして作られた映画で、というかこちらの方がサウンド・オブ・ミュージックより製作は早かったのですね。なんで同じ日に放送されたのだろうか？なんて思いましたが。<br /><br />サウンド・オブ・ミュージックのレコードを持っていて、たまに聴きます。<br />あまり気分がよくないときなんかに音楽聴きたいとこのレコードを選ぶことが多い。<br />音楽が溶け込んだ生活というか、人生は音楽とともにあるという強い意識を持てたらなんか楽しそうだなあと思うことがある。<br />しかしオイラなんで音痴なんだよヽ(`Д´)ノ<br />とも思うことがある。<br /><br />☆☆☆<br /><br /><br />[私信]<br />ブログにメッセージさせて頂きました<img src="http://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/064.gif" alt="チューリップオレンジ" /><br /><br /><br /><br /><br />http://www.youtube.com/watch?v=wAhiiaV7UFs&feature=related
 
</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/kyokyom/entry-10758131641.html</link>  
      <pubDate>Wed, 05 Jan 2011 23:07:50 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>敬愛なるベートーベン</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 <br /><br /><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=13239999" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">敬愛なるベートーヴェン [DVD]/エド・ハリス.ダイアン・クルーガー.マシュー・グッド.フィリーダ・ロウ.ニコラス・ジョーンズ....<br /><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51uj8WYQHAL._SL160_.jpg" border="0" /></a><br />￥3,990<br />Amazon.co.jp<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />もうね、「製作国イギリス」ってでるだけでドキッとするわけですよ。<br />イギリス映画好きなんです。<br />製作国のところみてイギリスってあったら「わわっ」て嬉しい悲鳴をちっちゃくあげてしまう。まあ、この映画はイギリス・ハンガリーなわけです。<br />この１０年で、イギリス映画ってことで見たのは記憶では４作品はあるのですが、タイトルまで覚えているのはえびボクサーだけかなあ。残りもよかった。<br />イギリス映画って当然といえば当然なんだろうけど、フランス映画やイタリア映画ともまた違うと思う。<br />まあものにもよると思いますが、よくできた映画って虚飾をはいで俳優の演技も抑制されていたりするけど、特にその抑制の仕方にイギリス風味って現れる気がするんです。<br />うむ、よく判ってないよ。<br /><br />この映画、新しいベトベン像の解釈するのかなと思わせて案外古典的なベトベン像。でもだからといってどこかで見覚えが聴き覚えがあるという感覚にはならない。きちんと計算された上でみつけた着地点で妥協や単純な分かりやすさとは違うと思う。<br />というか、うーん、なんていうかな・・・大衆的な分かりやすさをそこまでしたたかに利用するのかっていう風にも感じたりする。<br /><br />でもね、やっぱりある種の判りやすいベートーヴェン象にのっとっているし、映画の作りもそれほど新奇なことをやっていないから、ああ、もうだめかな、ちょっと典型的にすぎる、ここらへんで崩壊するかな・・・とみせかけて挽回するんですよ。<br /><br />そして映画の随所で当然ベトベンの曲が使われているけど、その音楽との付き合い方もよかった。<br />大作曲家の大傑作ちりばめればっていう音楽への頼り方ではなく、音楽もここぞというところで真正面に据えて、準備を整えたら曲にまかせきってしまうきっぷというように感じる。<br /><br />なんていうかな、大衆的な作品でありつつ、ほどよいというか、自分たちがどこまでできるのかっていう見極めがとても上手だと感じました。<br /><br />年末にきていい作品を見られたのが嬉しいです☆<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><img src="http://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/076.gif" alt="オレンジ" /><br /><br /><br /><br />
 
</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/kyokyom/entry-10751438162.html</link>  
      <pubDate>Wed, 29 Dec 2010 19:43:31 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>鉄分の補給と言って釘を煎じて飲んでしまうのよ。</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 <br /><br /><br /><br />ナージャ「叔父さん、紅茶とコーヒーどっちがいい？」<br />ミーチャ「ジャム入りコーヒー！」<br />ナージャ「贅沢ね」<br />ミーチャ「ナージャ！何歳になった？」<br />ナージャ「6歳！」<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=13236671" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">太陽に灼かれて【字幕ワイド版】 [VHS]/ニキータ・ミハルコフ,オレグ・メンシコフ,インゲボルガ・ダクネイト<br /><img src="http://stat.ameba.jp/blog/img/ucs/affiliate/common/no_image_affi_article.gif" border="0" /></a><br />￥16,800<br />Amazon.co.jp<br /><br /><br /><br /><br />いやあ、すごい映画だった。腹の底にがつんとこたえた。<br />ニキータ・ミハルコフ監督か。<br />はじまってしばらくは恋の話かと思った。<br />昔愛した男と今愛する男が一人の女をめぐり恋のさや当てを・・・とまでは考えていなかった。<br />でもそうとらえてみたいほどにはじめは牧歌的な雰囲気な中で話が進んでいく。<br />途中で、あれ、そんなのんきな時代だったかなあと思いつつも、かえってソビエト時代の暗いイメージを吹き払う、あんな時代にもこんなのんびりした状況だってあったんだよというソビエト時代を新しくとらえなおしたという映画かなとかぼんやりとあらぬ方向に話の推測をしてみたり。<br />が、やはり革命後のソビエトがそんな牧歌的な状況になるのを許すはずもなく。<br />いや、この映画はすごかったな～。<br />ニキータ・ミハルコフ監督は黒澤明監督がソビエトで「デルズ・ウザーラ」を撮ったときにその支援を行ったとか。<br />わあ、そうなんだ～となんだかちょっと嬉しくなったり^^<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><img src="http://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/118.gif" alt="宝石赤" /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />
 
</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/kyokyom/entry-10751262067.html</link>  
      <pubDate>Wed, 29 Dec 2010 18:28:40 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>ニャーと言われてもなー</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 <a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=6864314" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">猫本 2（NEKO-MOTO NYA）(KCデラックス)/諸星大二郎<br /><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51r9dQW3DXL._SL160_.jpg" border="0" width="113" /></a><br />￥700<br />Amazon.co.jp<br /><br /><br /><br />いやあ、みんな面白い<br />大御所から新人まで使いまわしではない猫漫画の数々にうっとりにかにか。<br />猫と一緒に暮らしていない漫画家にまで描かせるんだからなあ。<br /><br /><br />09・10・20　記す<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />
 
</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/kyokyom/entry-10334767286.html</link>  
      <pubDate>Wed, 29 Dec 2010 17:59:18 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>そうそう</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 「失われた時を求めて」がなぜか時を同じくして二つの出版社から新訳が出るというのはたまたまなのでしょうか。たまたまだとすごいなあと思うが、岩波と光文社古典新訳文庫なわけだからななるほどとも思う。<br /><br /><br /><br /><br /><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=13219796" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">失われた時を求めて（1）――スワン家のほうへI (岩波文庫)/プルースト<br /><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51EVFfNB3kL._SL160_.jpg" border="0" /></a><br />￥945<br />Amazon.co.jp<br /><br /><br /><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=13219795" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">失われた時を求めて〈1〉第一篇「スワン家のほうへ1」 (光文社古典新訳文庫)/マルセル プルースト<br /><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51pY0XdYTAL._SL160_.jpg" border="0" /></a><br />￥1,000<br />Amazon.co.jp<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />で、数年前にも集英社文庫ヘリテージシリーズでも出てましたよね。これはそれに先行する抄訳の出版を行ってその上で全訳がなされたらしいですが。<br /><br />集英社文庫ヘリテージシリーズで「失われた時を求めて」の新訳が出たときにお友達が読んでたから、わたくしもーと思って読んでみました。難しいと言えばやはり難しく、自分の力だと場面場面が孤立して繋がりあわないのでお友達の感想読んでそういうことが書いてあったのかーって思わずため息ついてしまったがそれでもどうにか最後まで読んだ。<br /><br />で、そんな読書でも最後まで読んだらまた読みたいわあって思うほどには楽しかった。感じることは多少なりともあったんですよね。今でもいくつかの場面は読書時に感じる手触り感のようなものと一緒に頭の中にぼんやりと残っている。<br />そのときは一応最後まで読めたことに満足したし何がしかの感情も覚えた。でも感じることってそれを表現するというかアウトプットするだけの力を持たないと己の内に混沌とした状態で溜まったままになってしまう。<br /><br />それがやはりちょっと具合悪い時があるのですよね。<br />個人的にはまずは感じてこそとは思うけども、でもそれを取り出せない状態が続くことはあるときには大きな苛立ちとなってわだかまってしまう。自分の力以上のものに挑戦することってそれをしたっていう満足感はあるけど、そこだけで終わると後にたたるのかもしれないと。　<br /><br />どうにか乗り越える方に進むかあるいは戦線を縮小して自分のテリトリーを守るか。<br />楽しみを求めるなら己の分を知った中で遊ぶ方が楽しい気がする。<br />「足るを知る」ってそういうことなのかな？<br />いや、よくわからないわあ。<br />まあどっちでもいいよ。<br />気分屋だしね。<br /><br />なんか話がアレだな。<br />インプットとアウトプットについては以前も書いた気がするけど。。<br />まあ流されて生きているだけだからこういうこと考えてもあんまり意味もないかなという気はするけど、あるとき意味を持たせられるような変化とかを望むようになるのかなあどうかなあという若干のおのれへの期待は・・・ないかなあ。<br /><br />まあしかし結局は・・・うん、今書こうとしたことは来年の課題だ。<br />なににつけ「結局はバランスだよなあ」という思い、でもその表現には飽き足らない。<br />この「結局はバランスだよなあ」というのはほんとなににつけ強く実感するけど、その表現はもうやだ。違う言い方を見つけたい。気持ちとしてはそこに落ち着いてもいいけど、その表現で終えるのが不満。昔も今も変わらないこと、それは受け入れる。<br />ある人間の考えたことが別のある人間と同じ考えであったりすでに考えられていたものであっても、それは異なる人間から生まれたことであり、異なる背景から同じ思考が生まれてきたという事実。その意味。<br />時代によって同じことも人によって同じことも表現が異ならないと同じさは力を失う。<br />違うことも力だが同じことも力だと思う。<br />まあともかく「結局はバランスだよなあ」に自分なりの表現を見つけることを来年の課題にしたいと思います☆（その場の思いつき）<br /><br /><br /><br /><br /><br /><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=13219794" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">失われた時を求めて〈1〉第一篇 スワン家の方へ〈1〉 (集英社文庫ヘリテージシリーズ)/マルセル プルースト<br /><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/31VCQBG3RNL._SL160_.jpg" border="0" /></a><br />￥930<br />Amazon.co.jp<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />
 
</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/kyokyom/entry-10750159885.html</link>  
      <pubDate>Wed, 29 Dec 2010 17:50:31 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>パチンコ</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 <br /><a href="http://www.youtube.com/watch?v=CL8W8VGWKwc&feature=related" target="_blank">http://www.youtube.com/watch?v=CL8W8VGWKwc&feature=related</a><br /><br /><br />３：０５～３：０７で、行くのか！？と思わせしかしいかず……と思いきや次の瞬間（3：08）でいきなり爆発するのがすごい好き。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><img src="http://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/055.gif" alt="てんとうむし" />
 
</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/kyokyom/entry-10712016241.html</link>  
      <pubDate>Sat, 20 Nov 2010 03:22:13 +0900</pubDate> 
    </item> 
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