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    <title>熊森活動備忘録</title>  
    <link>http://ameblo.jp/kumamoribibouroku/</link>  
    <description>日本熊森協会の実態を明らかにする元スタッフの回顧録</description>  
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      <title>備忘録16　面汚し</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 <font size="3">「法律屋は技術屋だよ。だからこそ扱う人間の心の持ち方が問題なんだ。」<br />私が学部生の頃にお世話になった江口厚仁先生は、こう言っておられた。いい言葉だな、とふと思い返した。<br /><br />なぜこんな話を冒頭に持ち出すのかというと、弁護士で、熊森企画推進局長の室谷悠子のことを考えていたからだ。彼女は、1993年に森山とともに貝原俊民知事（当時）にクマ捕殺中止を直訴しに行った武庫東中学校の生徒の一人であり、熊森の次期会長と目される人物である。このことは熊森HPに詳しいので<a href="http://kumamori.org/about/ayumi/" target="_blank">こちら</a>を参照されたい。<br /><br />私がその席上で熊森と森山に批判を加えた8月31日のスタッフ会議には、室谷は欠席していた。後日、熊森の方針会議にて、私への処分と同時に、私が運営担当理事となっていた日本奥山保全・復元学会の研究発表会をどうするのか、ということも話し合われたそうだ。もっとも、あの学会は熊森とは別団体として立ち上げた。だから、熊森の会議で学会のことについて話し合われることがまずおかしいのだが。私としては、引き受けた以上はやり遂げようと思っていた。何よりあの「学会」は熊森とは別団体として設立しており、加入者から金を取っていたからだ。<br /><br />9月10日ごろだったか、室谷から私に電話があり、「学会の担当理事から外れてもらう」と伝えられた。私は言った。「担当理事については、学会理事会の決定事項であり、学会総会での承認事項だ。それを覆すのであれば、理事会、臨時総会を開くのが妥当と考えますが。」しかし、室谷は「理事の中だけのことだから」と意味不明なことを言い、後日、担当理事変更を知らせる文書が郵送されてきた。また、私は職員の待遇改善についてどうするのか、と聞いたのだが「答える必要はない」とのことだった。<br /><br />後日、私は室谷が熊森の会議で示したという、労務管理上の問題の解決案を伝え聞いた。それは、次のような内容だった。<br /><br /><br />・各職員は「管理職」ということにして管理職手当を出す。<br /><br />・就業規則はこれから室谷が作る。<br /><br /><br /><br />私はこれを聞いて、全身の力が抜ける思いがした。「名ばかり管理職」で残業代の支払いを免れようとするなど、ずいぶんと手垢のついた古臭い手を持ち出してきたものだ。それで運営資金を拠出した会員への説明責任を、人を雇用する立場として、さらには「実践自然保護団体」としての社会的責任を果たしたことになると考えるこの女の神経は、本当に信じられない。だいたい、3人（当時）しか職員がいないのに、誰が誰を「管理」するのか教えてほしい。このような者が、<a href="http://www.asunaro-l.gr.jp/profile/prof_murotani.html" target="_blank">所属事務所のHP上</a>で、自らの専門分野に「労働事件」を挙げているとはとんだお笑い草だ。<br /><br />労働三法の起草者にして日本の法社会学の父である末弘厳太郎先生は、以前にも引用した小稿「役人の頭」（慧文社刊『嘘の効用』2008所収）において、学者、役人、政治家、法曹など、およそ「法律」に近い職業の者は、法律をもって百般を断ずることなく、まず人間らしくあれ、そのために自らの「良心」と「常識」を省みて、それを正しきものたらしめよと論じられた。末弘先生ご自身も、東京帝大に奉職されながら、戦前において労働法規の整備を唱え、わが国初の労働法の講義をされ、治安維持法をはじめとする恣意的な国家権力の発動を徹底的に批判された気骨の人であった。このことを意識するとせざるを問わず、「良心」と「常識」によって行動する法律の専門家の例は枚挙に暇がない。たとえば、古くは法社会学研究の「第一世代」において川島武宜先生と双璧をなした戒能通孝先生は、「小繋事件」で東京大学の教授職を辞してまで入会権者たちの弁護活動を行った。（詳しくは岩波新書から刊行されている戒能通孝『小繋事件』を参照されたい）また、弁護士の津久井進さんは、去る3月11日の東日本大震災が起こるや、即日日弁連で呼びかけて対策会議を開き、何度も被災地に足を運んでは法律相談に乗り、それを関係学会で発表して広く協力を呼びかけておられる。私と知己のある司法書士の羽瀬智文さんは、多重債務者の自殺防止のため、広く弁護士、司法書士に呼びかけNPOまで立ち上げて活動をされている。私の同級生の中にも、既に法曹あるいはそれに准ずる資格を得て、経験不足に悩みながらも「良心」と「常識」をもって仕事に取り組む者たちがいる。ある者は自分の経験を顧みて「あしなが育英会」の法的側面からの支援に頭をひねり、ある者は自分の出自から得た問題意識に基づき在日韓国人の人々の相続問題を扱っている。このような人々が、私も含めた後進たちに、どれほど深い感銘と薫陶を与えることか。同様に「良心」と「常識」に従った「人間らしい」仕事をされている法律家の皆さんは、他にも全国にたくさんおられることだろう。そのことを想像すれば、ただ昔からいるというだけで近年はまともに活動にも参加しない組織のちっぽけな権威主義に凝り固まり、杜撰で恣意的な組織運営に何らの改善策も提言せず、あまつさえプロフェッショナルとして弁護士の職にありながら、きわめて悪質な労働搾取とその「ごまかし」に加担する者の軽さと醜さはわかる。<br /><br />私は、弁護士としての室谷の仕事ぶりは知らない。あるいは事務所の顧客に対してはきちんと対応するのかもしれない。ただ、このような労働搾取に加担しているという一点をもって、弁護士として、法律の専門家として「失格」であると考える。室谷悠子のような者は、存在自体が法律家の面汚しと言わねばならない。先人たちへの侮辱と冒涜であるし、後進たちへの悪しき見本である。私は改めて室谷に猛省を促すものである。<br /><br />また、熊森企画推進局長としての室谷の仕事ぶりはどうか。資料集1および2において紹介した、非常に恣意的に作られている「会則」や「指針」でさえ、この女は守っていない。日本熊森協会会則第15条によると「活動を促進する」ことが使命であるはずの企画推進局の長が、日頃自らはろくに活動に参加せず、多くのボランティアの反感を買っていることには失笑を禁じえない。「100％嘘のない会」であるはずの熊森の、運営責任の一翼を担う企画推進局長が、しかもプロフェッショナルの弁護士でありながら、労働搾取の「ごまかし」をするのか。<br /><br />室谷は、総会、支部長会、各シンポジウムや、ミーティングなど熊森の内部に対しては繰り返し言っている。「熊森を100万人の自然保護団体に」「そのためには、絶対に熊森を分裂させてはならない」と。自ら汗をかき泥にまみれる活動をせず、多くの人々の不満と不信を買い、つまりは「分裂」の原因を作っているのは誰であるか。また、あれほど熊森がHPなどで抗議行動を呼びかけた、2010年11月の瀬戸市のクマ錯誤捕獲事件も、実際に現地に行くという行動を起こしたのはたったの4人、しかもうち2人は森山昭典と大内だ。（この件の行動の是非はここでは論じない。ただ、私は数を頼んだクレーマーは百害あって一利なし、クマ捕獲→即殺処分の流れを進めるだけと考える）100万人どころか、10人も動かせていないではないか。<br /><br />また、室谷は2009年の<a href="http://www.bigissue.jp/backnumber/bn110.html" target="_blank">ビッグイシューの記事</a>をはじめ各メディアへの露出、<a href="http://www.asunaro-l.gr.jp/newsletter/vol12/news_murotani.html" target="_blank">自身の所属事務所のHP</a>など「外向き」には、「法律の専門家として自然保護に取り組みたい」と繰り返し述べている。その内実は、極めて悪質な労働搾取を看過するのみならず、「名ばかり管理職」などと古臭い手でごまかそうとすることだけだ。私は、これ以外に室谷が「法律の専門家」として熊森に関わった例を知らない。その結果、忠実だったスタッフの一人が今こうして反逆している。全くもって皮肉としか言いようがない。<br />これは他の熊森スタッフにも言えるのだが、つまるところ、室谷にはプロフェッショナリズムが完全に欠如している。弁護士としても、熊森企画推進局長としてもである。さらに悪質なのは、この女は決して自らの手は汚さないことだ。たとえば、支部の取り潰しなどについて、室谷の意見が多分に取り入れられるが、実際にそれを伝えて恨みを買うのは森山や清野なのだ。<br />これまで述べてきたようなことをして、この女は恥ずかしくないのだろうか。<br /></font>
 
</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/kumamoribibouroku/entry-10896610660.html</link>  
      <pubDate>Thu, 19 May 2011 18:35:56 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>備忘録15　決別</title>  
      <description> <![CDATA[ <font size="3">　前回のエントリー備忘録14における記述の一部を訂正したことをお知らせする。具体的には、熊森の総会においてそもそも「議事」が取り上げられたり、会員の承認を得たりすることがないことを書き加えた。去る5月1日に行われた熊森の第14回総会であるが、その後明らかになったことがあるのでお伝えする。私のブログの記述に反応してか、熊森は福島県、静岡県、愛知県の会員のうち、支部が潰された後から入会した会員を、総会に呼んでいたそうだ。一方的な「取り潰し」でなく、その後のフォローもしていますよ、というポーズだろうか？また、「熊森を100万人の大自然保護団体へ！」などとは一言も言わなかったそうだ。つまりは、「熊森色」が極めて薄い総会だったという。今年の4月に行われた奈良地区との話し合いでは、その冒頭に「奈良を潰すことなんか簡単にできる」と言ったそうだが、1ヶ月も経たないうちにずいぶん態度が変わっている。高まった批判を、一時的に態度を軟化させてやり過ごす肚なのだろうか。「実力行使」に訴えてでも私を総会から締め出した理由が何となくわかった気がする。<br /><br />さて、話の続きをしよう。私の証言も、もう大詰めに近づいている。<br />2010年8月31日、私は武者震いを抑えながら熊森事務所の敷居をまたいだ。既にスタッフ会議の出席者は多くが集まっていた。「お久しぶり！」と森山昭典が握手を求めてくる。上辺だけの、軽薄な振る舞いだ。この男は口だけはよく動く。<br /><br />ふと見ると、Nの姿がない。会議に出席せずに帰ったようだ。私は、やはり当初の予定通り、この日に発言するのはやめて、12月の学会で森山を吊し上げようと思った。Nがいないのでは、この時に言う意味は薄いと考えたのだ。<br /><br />午後7時に会議が始まった。その会議の冒頭で、<a href="http://www.the-miyanichi.co.jp/contents/?itemid=30527" target="_blank">支部の活動において死亡事故が発生</a>したことが明らかにされた。しかし、森山まり子は、「そんな活動してるなんて私は知らなかった。だからこれは熊森活動じゃない。だから熊森本部には責任はない。支部にもそう伝えるから。」と言い出した。死人が出たことを、かくも軽く考えられるその神経を疑った。同時に、許せない思いが湧き上がり、発言した。もっとも、怒りにかられて私も感情的になったことは、非常にまずかったと反省している。まず、熊森の職員に対する労働条件は、極めて劣悪であり、非人道的かつ非常識な「搾取」であること、このような労務管理は熊森という組織にとって長い目で見て非常にまずいことなどを述べ、待遇を改善すべきであると述べた。<br />その後は、まさにその場にいた者たちから私への集中砲火であった。思えば、会話を録音しておけばよかったのだが、手元の手帳に書きとめた範囲内で、発言者と発言内容を記しておく。<font color="#0000FF">青字</font>が熊森本部の関係者の発言である。なお、付してある私の反駁は、そのとき言ったものもあればそうでないものもある。<br /><br /><br /><br /><font color="#FF0000">会長　森山まり子</font><br /><br /><font color="#0000FF">「私も教師時代、残業代ももらわずに残って仕事をした。また、熊森活動は私も手出しで金を出してきた。私はどうなる？」</font><br />（反駁）<br />ボランティアでやっている者と、職員は別である。なぜなら、職員は熊森に生活を丸抱えされているからだ。熊森がなくても自分の生活を守れる者と、熊森がなくなったら路頭に迷う者を同列で考えるべきではない。<br /><br /><font color="#0000FF">「当事者じゃない君がなんで発言するの？職員たちは何も文句言ってない。」</font><br />（反駁）<br />雇う側と雇われる側の力関係は一目瞭然である。また熊森には労働組合などない。何も言わないことが雇用条件に満足していると解釈するのは、強者の極めて一方的なご都合主義である。それに、組織運営にまずいことがあれば、それの是正を求めるのは、会費と寄付によって活動費を得ている本部スタッフの一員として当然の責務である。そもそも、この論理に依拠するならば、獣害に対して何の影響も受けない森山が「クマを殺すな」などと口出しをするのは筋違いである。だいたい、森山は「正しいと思ったことがあればたった一人でも声を上げよう」などと生徒に説いていたそうだが、その通りのことをして何が悪い。<br /><br /><font color="#0000FF">「職員たちも熊森の同志。多少他より条件が悪くても我慢してくれる」</font><br />（反駁）<br />「同志」を雇用するのであれば、通常よりも好待遇で雇うのが筋ではないのか。我慢しているのではなく、我慢を強いられているのだ。<br /><br /><font color="#0000FF">「そんなことでは自然保護が、奥山保全・復元ができない」</font><br />（反駁）<br />それよりはるか以前、自分たちの仲間さえないがしろにする団体に、「自然保護」も「奥山保全・復元」も達成し得るとは到底考えられない。<br /><br /><font color="#0000FF">「私は人に後ろ指をさされるようなことはやってない」</font><br />（反駁）<br />それを判断するのは熊森の一般会員か、熊森の「く」の字も知らない第三者である。<br /><br /><br /><font color="#FF0000">応援団長　森山昭典</font><br /><br /><font color="#0000FF">「社会に出たこともない学生のくせに生意気なことを言うな」</font><br />（反駁）<br />その「社会に出たこともない学生」に指摘されるような非常識なことをやっているのは誰か。<br /><br /><font color="#0000FF">「熊森はボランティア団体だから定時を超えた仕事は全てボランティア」</font><br />（反駁）<br />既に述べた通り、ボランティアと職員は別に考えるべきである。暴論という他ない。<br /><br /><font color="#0000FF">「会長に対して失礼だ」</font><br />（反駁）<br />杜撰な組織運営は、資金を拠出してくださった会員に対する明白な裏切りだ。その説明責任を果たしてから礼節を説くがいい。<br /><br /><font color="#0000FF">「今残業代なんか払ったら熊森は潰れる。」</font><br />（反駁）<br />働いた分の報酬をまともに出せないならば最初から人など雇うな。でなければ残業など一切させるな。だいたい、その残業も、通常では考えられないほどの長時間の拘束だ。使うだけ使って、定時以外はボランティアとは、虫がいいにも程がある。こんな搾取をやって平然としているのであれば、熊森など社会から撲滅されて然るべきだ。<br /><br /><font color="#0000FF">「残業を強制はしていない。」</font><br />（反駁）<br />早く帰ったら次の日に「みんなが忙しくしてるのになんで早く帰った？」などと言ったのは誰か。それでも拘束を強制していないと言えるのか。<br /><br /><font color="#0000FF">「最低限の生活は保障している」</font><br />（反駁）<br />何をもって「最低限の生活」というのかまず不明。ただ、実際に職員の生活状況等を聞いたところ、どうやらそれは「何とか食える」ということを指しているように見受けられる。みんなまだ若い。将来に向けて貯金も必要であろうし、これから結婚だってするだろう。ささやかな趣味だってあるだろう。それらを全て犠牲にしてまで一方的な条件で働けというのであれば、その職場は異常である。<br /><br /><font color="#0000FF">「俺が会社を経営してたころは、不景気のときは自分は一切金を受け取らずに社員に払った。十分じゃないけど、みんなありがとうと言ったら納得してくれた」</font><br />（＊註：この男は、TVのCMの制作会社を経営していたと自称している。私は<a href="http://www.e-kenbisha.com/index.php" target="_blank">その会社</a>の登記簿を調べたが、確かに過去代表取締役としての登記はされているものの、まともに会社経営にタッチした形跡はない。TVのCM製作の会社でもない。）<br />（反駁）<br />そんな話は何の関係もないし誰も聞いていない。過去がどうあれ、今の熊森の労務管理は明白な搾取であるし、また夫婦で会を私物化し、恣意的な運営をしている時点で経営者として失格である。過去に会社経営をしていたことで熊森の経営に口出しをするのなら、なおさらその責任は厳しく追及されるべきだ。そもそも、会則にもくまもり指針にも規定のない「応援団長」とは一体どんな役職なのか。だいたい、「ありがとう」と言って払うべき金の支払いを免れるなどという話は通らない。そんな話を真顔でするこの男の神経には失笑を禁じえない。試しに店で買い物をして代金を支払う段になって金を払う代わりに「ありがとう」と言ってみるか。また、自分が食わずに部下に給料を払う覚悟があると言いながら、職員には劣悪な条件での労働を強いて、一方で森山夫妻は<a href="http://maps.google.co.jp/maps?f=q&source=s_q&hl=ja&geocode=&q=%E8%A5%BF%E5%AE%AE%E5%B8%82%E8%80%81%E6%9D%BE%E7%94%BA9-19&sll=36.5626,136.362305&sspn=30.814916,56.162109&brcurrent=3,0x6000f3232887e57d:0x2005e20053919d86,0&ie=UTF8&hq=&hnear=%E5%85%B5%E5%BA%" target="_blank">西宮市老松町</a>というそれなりに結構な住宅地に家を構えている。それを売って職員に手当を払ったらその言葉を信じよう。<br /><br /><font color="#0000FF">「しばらく活動に来なかったやつが偉そうなことを言うな」</font><br />（反駁）<br />常日頃活動に来ない室谷悠子や岡真理子が「偉そうなことを言う」のはなぜ許されているのか。それがどれほど多くの人々の不信と不満を買っていることか。<br /><br /><font color="#0000FF">「お前は金の話ばかりして根性が汚い。」</font><br />（反駁）<br />きちんと支払うべき金を支払ってから言うがいい。<br /><br />＊なお、私は「一人娘の森山文恵が熊森職員と同じ条件で働かされていたらどう思うか？」と森山夫妻に聞いたのだが「熊森は世襲じゃない」などと意味不明の発言をしていた。<br /><br /><br /><font color="#FF0000">国際部長　岡真理子</font><br /><br /><font color="#0000FF">「森山先生がどれだけみんなのことを大切に思ってるかあなたはわからないの？」</font><br />（反駁）<br />労働搾取を強いているという一点で、とりあえず職員は大切に思っていないということだけはわかりすぎるほどわかる。また、それまでの数々の恣意的で杜撰な組織運営を見ても、どう考えてもスタッフも大切にしているとは思えないし、繰り返すがそれは会員への裏切りである。日頃まともに活動に参加しないくせに、ただ昔からいるというだけでちやほやされているこの女にはわかるまい。<br /><br /><font color="#0000FF">「今日日、残業代をくれるところの方が少ない。私だってタダで残業している。」</font><br />（反駁）<br />よそがやっているからうちもやっていいというのは通らない。だいたい、日付をまたいでまで職員を働かせる職場こそ稀だろう。この女も<a href="http://www.hyogo-c.ed.jp/~kabutoyama-hs/index.html" target="_blank">自らの職場</a>で日付が変わるまで拘束されることなどまずあるまい。午後7時に始まる熊森の会議に来ているのが何よりの証拠だ。<br /><br /><br /><font color="#FF0000">ボランティア部長　奥野美歌</font><br /><br /><font color="#0000FF">「あなたは私に奥山保全・復元学会の議事録を作らせるだけ作らせて見にも来ない。無責任」</font><br />（反駁）<br />学会の話など何の関係もない。論点をすり替えるな。その話に答えるとしても奥野に総会その他の議事録署名人を打診したのは私だが、その議事録に対して責任を負うのは会長である森山だ。私を責めるのは筋違いである。<br /><br /><br /><font color="#FF0000">職員　調査研究部　清野和彦</font><br /><br /><font color="#0000FF">「俺たちは納得して働いてる。なぜ口出しするんだ」</font><br />（反駁）<br />あのような劣悪な条件で納得する方が異常である。大体、清野はともかく他の職員、また過去の職員も全員が納得の上であのような劣悪な労働条件を甘受していたとは到底考えにくい。待遇や職場環境の改善を求めるのは労働者の当然の権利であり、場合によっては義務といえるかもしれない。百歩譲って今後熊森が職員を採用しないというのであれば清野の主張通りでもいいかもしれないが、熊森がその後も職員募集をかけている以上、この状況を改善しないことは将来やってくる職員に対しても同様の搾取を強いることを意味し、長い目で見て組織全体にとって非常に好ましくない。清野のこの意見は、この男がいかに組織全体のことを考えていないかを代弁するものである。<br /><br /><font color="#0000FF">「学会の仕事を何もせず、文句ばかり言って無責任だ」</font><br />（反駁）<br />その話は関係ない。論点をすり替えるな。<br /><br />＊ちなみに清野は、私が他の人と話をしているときも、横から口汚く罵り続けた。この男は当時から国会に通いつめていたが、野次の飛ばし方だけはきちんと覚えてきたらしい。誰が悲しむと言って、この男の親が一番悲しむことだろう。<br /><br /><br /><font color="#FF0000">森復元チームリーダー（のちに職員）　中本菜々</font><br /><br /><font color="#0000FF">「こんなに人に優しい団体ないですよ」</font><br />（反駁）<br />労働搾取を職員に強いる団体のどこが「人に優しい」のか教えてほしい。<br /><br /><font color="#0000FF">「みんな純粋な気持ちでやってるのになぜ邪魔するんですか？」</font><br />（反駁）<br />純粋であることは、悪いことではないが、同時に危険なことでもある。私が「人類史上最も純粋な人は？」と聞かれたら、<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC12SS%E8%A3%85%E7%94%B2%E5%B8%AB%E5%9B%A3" target="_blank">武装親衛隊第12SS装甲師団</a>の将兵たちを挙げるだろう。また、労働搾取をはじめとする数々の杜撰で恣意的な組織運営のあり方は、将来において熊森の命運を縮めるものであり、それこそが「純粋な気持ち」に支えられた活動を妨げるものであろう。<br /><br /><br /><font color="#FF0000">大阪市地区長　上田彩</font><br /><font color="#0000FF">「みんな疲れてるんやからいらん話せんといて」</font><br /><br /><font color="#FF0000">北大阪地区長　藤田昌英</font><br /><font color="#0000FF">「せっかく私、奥山保全・復元学会で発表しようと調査してたのになんであなたが裏切るの？」</font><br /><br /><font color="#FF0000">南大阪地区長　井洋一</font><br /><font color="#0000FF">「クマを救うためなんだから仕方ないじゃない。何を労働組合の真似事してるの？笑」</font><br /><br />＊私は、この連中の一連の発言には唖然とした。日頃、陰では散々熊森本部への不平不満を並べているくせに、いざそれを表沙汰にした者が出たら森山に媚びるのだ。ビタ一文もらっているわけでもないのに、なぜこんなに尻尾を振るのか理解できないし、そのあまりの卑怯さに呆れ果てるしかなかった。なお、このブログのことを最初に森山に「ご注進」したのは上田だそうだ。<br /><br /><br /><br />とまあ、このような調子で2時間あまり私は叩かれ続けた。Nの仇討ちどころではなかった。最後の方は、森山夫妻や清野、奥野、中本らがひたすら私に罵声を浴びせ続けるばかりで「話」にならなかった。環境教育部長の安部真理子や、一部の人々はひたすら黙っていた。途中からは私もかなり感情的になってしまったので、伝わる話も伝わらなかったのだろう。もっとも、私がずっと冷静に話をしていたとしても、私の言いたいことがきちんと伝わったとは思えないが。<br /><br />会議が終わったあと、ずっと黙っていた事務局長の大内義栄が私のところに寄ってきて言った。<br />「きちんと時間をかけて話したら、みんなわかってくれる。必ず戻ってこいよ。また一緒に活動しよう」<br />私は、これを額面通りに受け取って、前々から熊森のあり方について疑問に思っていたこと、事前に西川先生に相談したことなどを打ち明けた。そのことは、もれなく森山に密告された。多少の尾鰭はついていただろう。この期に及んでこの犬を信じた自分の人の好さが嘆かわしい。<br /><br />結局、私はこの会議での出来事を理由に、熊森から「追放」された。労働条件その他の組織運営についての問題点も、今でも何一つ改善されてはいないだろう。<br /><br /><br /><br />最後に。<br />後で知ったことだが、この会議から程なく、「方針会議」で私への処分が話し合われたそうだ。私にはそのことが知らされない欠席裁判だ。<br />その席上で、安部真理子は「労働条件の問題に関しては、室井君の言っていることが正しいと思います」と、発言したそうだ。「環境教育部長」としてではなく、一人の人間としての発言と理解している。学生時代から10年も熊森にいる彼女にとっては、熊森に批判的な意見を述べることは、自分の20代の否定になりかねない。相当の勇気がいることだっただろう。それが嬉しかった。彼女のこの一言だけが、私にとって、せめてもの救いだった。<br /></font>
]]> </description>  
      <link>http://ameblo.jp/kumamoribibouroku/entry-10893739213.html</link>  
      <pubDate>Mon, 16 May 2011 20:19:48 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>備忘録14　仇討ち前夜</title>  
      <description> <![CDATA[ <font size="3">約2週間も更新を怠ってしまった。あるいは森山は、私の証言が途絶えてホッとしていただろうか。最近は何かと忙しかった。<br /><br />先週末、法社会学会の研究大会に参加してきた。同様の立場の若手研究者との交流や、各シンポジウムも非常に有意義だった。近い将来、私もぜひ自分の成果をあの場で発表したいものだ。それ以上に、何よりも良かったのは、これまでの研究の参考にしてきた諸々の論文の著者の先生方と直にお会いできたことだ。関西でも入会権とコモンズについて、法社会学とコモンズ論のそれぞれの研究者との共同研究会が開かれているとのことで、今後は私も末席に加わることとなった。どこかの自称自然保護団体の息がかかった似非学会ではこうはできなかっただろう。つくづく、あのようなものを浅慮にも世に送り出した自分を、改めて恥じた。<br /><br />ときに、熊森の公式ブログにおいても、<a href="http://kumamori.org/news/blog/2011/05/07/recent-act/4383/" target="_blank">先日の総会に関する記事</a>が掲載されていた。いちいち言葉尻を捉えて反駁しないが、一節を取り上げよう。これにはこう書かれている。<br /><br />「くまもりの全国総会は、企業などの総会とは違い、仕事や生活とくまもり活動を両立させねばならないという厳しい環境の中で、（中略）汗まみれ泥まみれで頑張ってきた仲間たちが、1年間のお互いの健闘を称え合い、今年度の活動への勇気と希望を得るものです。」<br /><br />通常の株主総会などとは違った雰囲気にしたいというならすればいい。ただ、過去の総会と同様であるとするならば、会員に対する説明責任が何一つ果たされていない。森山その他、熊森の組織運営の中枢にかかわる者たち、財団法人化したのであれば、理事その他の役員に対する信任も得ていなければ、決算、予算についての承認も得ていない。そもそも、会員のうち、わずか260名しか出席しない総会は、総会として成り立たない。以前と同じであれば、いちいち議事についての委任状も取っていないし、またそれ以前に「議事」が取り上げられない。計算書類なども直ちに公開されて然るべきだ。そのあたりを疎かにしていながら、何が「企業などの総会とは違う」のか。熊森が会費と寄付を財源として活動をしているのであれば、あくまでその「総会」は、運営に携わる者が会員への説明責任を果たす場であり、そこにまずいことがあるのであれば、総会は一義的には会員による役員への責任追及の場でなければならない。また、この1年熊森がどう「健闘」したのか教えてほしい。自ら「豊かな森のシンボル」としているクマの大量出没を、ただ指を咥えて見ていただけではないか。森山も、その取り巻きも、汗まみれにも泥まみれにもなっていない。汗まみれ、泥まみれになっているのは、あくまでボランティアの面々であって、森山や室谷や清野ではない。<br /><br />さて、前置きが長くなったが、話の続きをしよう。<br />Nからの話を聞いた私は、怒りに全身が打ち震えた。森山も、その取り巻きも、絶対にこのままでは済まさない。そう決意した。<br /><br />その間にも、熊森の、いや、森山の横暴は続いていた。<br />2010年7月、愛知県支部が強制的に閉鎖処分になった。その事情はこうだ。同県内でクマが捕獲され、支部長以下スタッフが、自治体、県庁に、そのクマを放獣してもらうよう交渉した。そこで、用地を見つけてくれたらそこに放す、という回答を得た。しかしながら、県内では用地を見つけられなかった。地元住民の了承を得られなかったそうだ。熊森のトラスト地に放そうにも、森山が渋ったと聞く。そこで、わずかな伝手を頼って、かつてパージされたある支部の支部長がやっているクマの保護施設に連絡し、引き取ってもらう手はずを整えた。すると、途端に森山からは「裏切り者と接触するとは何事か」と、一方的に支部の閉鎖を言い渡されたという。話し合いの場を持たせてください、事情を聞いてください、と懇願しても突っぱねられたそうだ。しかも、「支部閉鎖」を言い渡す、ただそれだけのために支部長をわざわざ愛知県から兵庫県西宮市の本部まで呼びつけたというおまけつきだ。きっと、話せばわかってもらえると思いながらやってきたのだろう。当時の愛知県支部長は弱冠24歳（当時）、熊森で最年少の支部長だった。熱意ある若者が、その情熱を捧げた対象に切り捨てられた時の悔しさは、無念は、どれほどのものだろうか。その胸中は察するに余りある。支部の人々の善意に基づくボランティア活動を少しでも森山が気に入らなければ潰す、それが熊森のやり方である。地域ごとでの自然保護や動物愛護の活動を妨害するような組織が、どうやって日本の自然を守るというのか。<br /><br />また、2008年の「造反」事件の一部の真相も知った。若いスタッフ同士が結婚したいと言い出し、それを何が気に入らなかったのか森山が「結婚したいなら辞めろ」と言ったそうだ。なぜそんな個人的なことまで口出しするのか。さらに、前回のこのブログのコメントに寄せられた証言によると、森山は「別の結婚相手」まで指定したそうだ。完全に危険なカルトの「集団結婚」と同じではないか。察するところ、その「相手」とは、自らの一人娘の森山文恵ではないだろうか。後で知ったのだが、同様のことは過去何度もあったらしい。<br /><br />どうにもこうにも我慢がならなかった。あの偽善者どもをどう料理してくれようか・・・。真っ先に私が思いついたのは、12月に予定されていた日本奥山保全・復元学会の研究大会において、事実を明らかにして森山を糾弾することである。とにかくそれまでは雌伏し、熊森の仕事を完璧にこなそう、そう考えた。私は引き受けたことについて完遂する責任もあるし、春にあの似非学会について好意的に報道したマスコミにも、訂正記事を書かせることで責任を果たさせよう、と。<br /><br />しかし、この計画には変更が加えられることになる。8月いっぱいで、Nが退職することになったのだ。カレンダーを見ると、8月31日はスタッフ会議の日だ。私は、その席上で、森山と熊森のあり方を明らかにし、スタッフたちの前で批判しようと考えた。特にスタッフ会議であれば、大阪、兵庫の地区スタッフも来る。彼らは日頃本部に対して不満を募らせているから、あるいは同調者が出るかもしれない。何より、今まで私も含めた誰もが直接的、あるいは間接的に踏みにじってきたNの仇討ちをしてやりたかった。奥山保全・復元学会の研究会当日に森山を吊し上げるほどのインパクトは期待できないであろうし、それをすれば確実に私も「裏切り者」の烙印を押され、追放されるであろうが、それでもNの代わりに森山に牙をむいてやる者が一人ぐらいいいてもいい、そう思った。<br /></font>
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      <link>http://ameblo.jp/kumamoribibouroku/entry-10890548619.html</link>  
      <pubDate>Fri, 13 May 2011 18:58:18 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>備忘録13　搾取</title>  
      <description> <![CDATA[ <font size="3">ケンカは頭数だ。そう思った。<br />今日、熊森の総会に顔を出そうと、会場に行った。入口で制止された。一度外へ出たのがまずかった。後で手薄になったところを突破しようとしたのだ。無理に押し通ろうとしたところを5、6人に取り押さえられ、一部始終をデジカメで動画撮影し、「暴漢です」と警察に突き出された。世の中狭いもので、呼ばれて来た警察官が、高校の後輩の父親だった。調書を取るのもそこそこに、小一時間ほど茶を飲みながら談笑していた。自分のこと、熊森とのかかわり、相手のこと、高校時代の思い出、いろいろと話をした。連絡先まで交換し合い、<br /><br />「今度、飲みに行きましょうや。」<br />「はいな、息子も一緒にな！よろしく伝えとくわ。」<br />「わしとなんで知り合うたかは言わんといてくださいや（笑）」<br />「わかっとるがな。今日みたいにあんまり無茶なことしたらあかんで。あんないかがわしい奴らと関わり合ったらロクなことないで。しっかり研究して早よ教授になりや。」<br /><br />と別れた。それが、いやな思いをした後の清涼剤になった。本当にありがたかった。<br /><br />動画撮影、通報というやり方は、恐らくは室谷の入れ知恵だろう。もっとも、実際に私も清野を踏みつけたり大内を小突いたりしたのだが。あれ以上やるなら「お勤め」覚悟だ。前科などつけたくない。それにしても、あの時の大内と清野の「してやったり」という顔は忘れられない。本当に悔しい。被害届を出さなかったのは、これが「事件」になり、取り調べが微に入り細をうがてば、いろいろと公に知られてはまずい事実が出てくるからだろう。というか、今日の総会は成り立っているのだろうか。法人組織の「総会」たるに必要最低限な「法人構成員の3分の2以上の出席」はあったのだろうか？<br /><br />ただ、私は今日、総会に行くべきではなかったと思う。私を制止したり、取り押さえたりした中には、環境教育部長の安部真理子ほか、善意のボランティアの人々もいたからだ。「荒らしに来る暴漢がいるかもしれないから」と因果を含められていたのだろう。安部を使ったのは、私がここで彼女に対しては好意的に述懐しているからだろう。そんな人々に、あのような、いやな役回りをさせた。本当に申し訳ないことをした。この場を借りても、方々にお詫びすることを許していただきたい。<br /><br />さて、話の続きをしよう。3回ぶりに時系列順の「備忘録」である。<br />2010年5月、森山まり子の正体を看破してからというもの、私はどうにも陰鬱な気持ちで日々を過ごしていた。熊森の総会が終わり、チーフを引き受けていた森復元活動も終え、私はぱったり熊森の活動には顔を出さなくなっていた。森山やその他の連中など顔も見たくなかった。それとは気づかず偽善の片棒を担いだことへの自責、森山まり子の正体を見抜けなかった自分の不明に対する嘆き、Nの惨状をどうしてやることもできない無力感、このような実態を知らずに会費や寄付を拠出して下さっている顔も名も知らぬ人々への申し訳なさ・・・さまざまな思いが去来した。また、12月に予定されていた日本奥山保全・復元学会の研究大会の運営担当理事になっていたことも気が重かった。そんなことはやりたくない、さりとて、理事として担当を引き受け、さらには何人かからは会費を取ってしまった上は、やらないわけにはいかない。さて、いかがしたものか・・・。<br /><br />そのような陰鬱さは、ある日突然吹き飛ばされることになる。<br /><br />6月某日、私はNと会うことがあった。茶飲み話に「仕事、どないや？」と聞いてみた。やはり「職場いじめ」は続いていた。森山まり子は、Nにははっきり「君にはメッセンジャーボーイ程度しか任せられない」と言ったそうだ。「若ぐま隊」の担当も外されたという。私ははっきりと感じた。森山は、Nを辞めるように仕向けていると。クビにすればいいものを、居心地の悪い環境を提供して退職に追い込もうとするのは、「不当解雇」という言質を与えないためであろう。あるいは、弁護士で企画推進局長の室谷悠子の入れ知恵があったかもしれない。いずれにせよ、あまりの卑怯さに呆れ果てた。<br /><br />そして、Nの口から語られたのは、さらにとんでもない事実だった。当時Nは、実家から通勤していた。「一人暮らしではない」ことを理由に、「家賃分差し引き」として、他の職員よりも5万円も安い給料で働かされていたのだ。めちゃくちゃだ。住居手当がつくかどうかの話がなぜ本俸に影響するのか。いわゆる「ブラック企業」でも、ここまで悪質なものは珍しい。N自身は「自然保護の仕事がしたかったからこの条件でも納得したんです」と語るが、まず非常識にして不誠実、自然保護という美辞麗句を隠れ蓑に若者の善意と熱意を悪用している点でさらに許しがたい。言うまでもなく、労働基準法違反の差別待遇である。<br /><br />Nからこの話を聞いて、これはと思って調べた。すると、全ての職員に対し、残業手当が一銭たりとも支払われていないことが判明した。私はそれまで、前年の私に対する「内定取り消し」を、今いる職員に満足な報酬を支払うために、私が割を食ったと考えていた（詳細は本ブログ備忘録第5回を参照されたい）。完全とは言えずとも、常識の範囲内の残業代ぐらいは払っているだろうと甘く見ていた。ちなみに、熊森職員の残業は尋常では考えられないものである。熊森HP上では、定時は10:00～18:00とされていた。現在はこれが9:00～18:00に変更されている。いずれにしても、熊森の職員が午後6時に職場を後にしたことなどただの一度もない。それどころか、日付が変わるまで拘束されることも常態化していた。加えて休日出勤も当たり前。休みを返上して出てきた日さえ、日付をまたぐことも多々あった。これに対して何の手当もないのはあんまりだ。夜中まで仕事をして、帰り道に痴漢にあった女性職員もいたと聞く。さぞかし怖い思いをされたことだろう。加えて、これもいつか話したかと思うが、たまに仕事を早く切り上げて帰ると（それでも午後9時よりも前であることは皆無に等しい）、次の日に「みんなが忙しくしているのになんで帰った？」と文句を言われるのである。実際に言われているのを私は見たし、ボランティア（一時期バイト）の私でさえ言われたことがあるのだから、職員に対しては推して知るべしである。ちなみにこれを言うのは、たいていは「応援団長」の森山昭典だ。ついでに紹介しておくと、会長の森山まり子も、夜中まで事務所にいる。たいていは最後までいる。しかし、出てくるのは基本的に午後、それも3時以降であることが多い。職員には残業手当も出さず、長時間の拘束に代える代休も取らせず、「会長様」は西宮市老松町9-19というそれなりに結構な住宅街にあるご自宅で、ゆっくりぐっすり日が高くなるまでお休みになっているというわけだ。職員が夜中まで拘束されるのも、この女の夜型の生活に振り回されているからだ。かく言う私も、帰ろうとしたら「話があるから」といって森山に呼び止められ、そのおかげで終電を逃したことが何度かあった。この件にしても、信義と良心と常識を著しく欠いている行いである。これも労働基準法に違反しているのは言うまでもない。<br /><br />断っておくが、私は残業手当さえ出せばいいとは思わない。仮に残業代を出していたとしても、このように従業員をやたらとこき使うような職場は極めて「異常」であり、働く者の人生を、生活を、無遠慮に蹂躙するものであると言わねばならない。わが国の労働三法の起草者である末弘厳太郎先生も、1922年の小稿「改造問題と明治時代の省察」（慧文社刊『嘘の効用』2008に所収）において「不良なる条件で労働者を酷使することは、永く将来にわたって人々の健康を害し、労働力を損なうことになる」と論じておられる。そもそも、「生きるために仕事をする」のではなくて「仕事をするために生きる」ことは、到底人間らしい生活とは言えない。<br /><br />森山は言う。「文明の方向転換を」と。すなわち、「経済発展ばかりが優先され、自然を破壊してきた歴史を反省せねばならない」ということであろう。確かにその通りである。しかしながら、労働者に対する搾取もまた、自然破壊と同様に、経済発展の、近代化の「負の遺産」である。自然破壊は反省するが、労働搾取は反省しなくてもよいというのか。自然保護などと言うはるか以前に、「人権」というものを一体どう考えているのか。<br /><br />また、熊森のスローガンは「豊かな森を次世代へ」である。しかしながら、その次世代を担うべき若者を、劣悪なる条件で酷使している者がこのような台詞をうたうことは、大いなる欺瞞であり、偽善であり、背理である。<br /><br />何より重要なことは、熊森は会費と寄付により運営されていることである。このような労働搾取は、長い目で見て職員の健康を害し、労働力を損なうのみならず、日本熊森協会の社会的信用を著しく落とし、さらには会の命運をも縮めるものである。これまで私が語ってきたような会員数の水増し、各スタッフに対する隷属的服従の強要など、恣意的で不公正な組織運営上の諸問題も同様である。会費と寄付を財源としながら、組織運営の整備を怠り、自らの首を絞めることは、それを拠出した会員、寄付者に対する明白なる裏切りである。まして法令違反があることなど言語道断である。<br /><br />このような一連の杜撰な組織運営の責任は、最終的には全て森山まり子に帰する。日本熊森協会は、森山の私物ではない。財団法人化などしたのであればなおさらだ。繰り返し強調するが、会費と寄付を運営資金としている以上、それを拠出した人々の思い、期待に応える絶対的な責任を、森山と熊森本部は負っている。そして、これまで私が指摘してきたような点につき、森山も熊森本部も、その責任を果たしていない。「遵法」という最低限のレベルにおいてさえである。<br /><br />断言する。森山まり子は一組織の代表者として失格である。そもそも、毎日顔を合わせる職員さえ、共に活動するボランティアさえないがしろにする者が、顔も名も知らぬ人々の善意を尊重し得るはずがない。「自然保護」も「奥山保全・復元」も形骸化している。このような者を最上長に戴くことは、そこにいる全員の不幸であり、組織崩壊の序曲である。<br /></font>
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      <link>http://ameblo.jp/kumamoribibouroku/entry-10878058596.html</link>  
      <pubDate>Sun, 01 May 2011 17:09:02 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>雑記帳5　奥山水源の森保全・再生議員連盟と「生きた法」</title>  
      <description> <![CDATA[ <font size="3">前回、雑記帳4において、お伝えし忘れていたことがある。2010年、(特非)奥山保全トラストは三重県多気郡大台町の大杉谷地区にある「父ヶ谷」および「池ノ谷」の一部、676haをナショナル・トラスト運動により取得した。そのために、2009年から2010年にかけて、購入金の不足分9000万円につき、大々的に寄付を募っている。詳しくは<a href="http://okuyama-trust.org/report/" target="_blank">(特非)奥山保全トラストのHP</a>をご覧いただきたい。この寄付、実際に集まった額は1億とんで500万円ほどである。金が集まりすぎたのだ。この余剰金1500万円ほどについては「行方不明」である。個人的には、トラスト地の維持、管理に充当されて然るべきと思うが、(特非)奥山保全トラスト側からは何らの説明もなされていない。というか、寄付を募っておきながら、実際の購入金額、集まった額、さらに余剰が出ていながらその使途について何ら明らかにしないのは、甚だしく非常識な行為であり、寄付者に対しても土地を託してくださった売主の方に対しても説明責任を全く果たしていない。<br /><br />さて、話の続きをしよう。2010年11月、「奥山水源の森保全・再生議員連盟」なるものが発足した。熊森の強い働きかけにより、50人ほどの議員が集まったそうだ。会長に前田武志、幹事長に森元哲生、事務局長に石井登志郎が就任している。他にも、顧問に鳩山邦夫、副会長に赤松正雄、幹事に大島九州男など、顧問、支部顧問といった形で熊森に関係を持つ議員も名を連ねている。民主、自民、社民、公明、共産、無所属と、まさに超党派といったところである。「くまもり通信」の記事、<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%A5%E5%B1%B1%E6%B0%B4%E6%BA%90%E3%81%AE%E6%A3%AE_%E4%BF%9D%E5%85%A8%E3%83%BB%E5%86%8D%E7%94%9F%E8%AD%B0%E5%93%A1%E9%80%A3%E7%9B%9F" target="_blank">Wikipedia</a>や<a href="http://ameblo.jp/toshiro141/entry-10711610325.html" target="_blank">石井のブログ</a>などの記述を拾えば、熊森と協働、連携しての勉強会やシンポジウムなどが今のところの活動内容らしい。今後においては、森林整備や野生鳥獣への対応などに関しての、熊森の意見を反映する形での法案も作成、国会へ提出されるのではないかと思われる。<br /><br />私は、この議連について、手法そのものは高く評価されるべきであると考える。なるほど、市民団体が議員へと働きかけ、自分たちの要望を立法に反映させてゆくことは、ある意味において議会制民主主義の本旨に立ち返ったものであると言える。特に、選挙民が、各政党や各候補者の主張する政策そのものや、長期的な公益よりも、宣伝や近視眼的な損得に左右されやすい「劇場型」の選挙が続いている昨今においてはなおさらである。余談であるが、私は個人的に、ここ数年の選挙のあり方を非常に危険視している。あれでは、選挙というものが本来果たすべき機能を果たしておらず、そのことは民主主義そのものの機能不全であると考えるからだ。この状態が長く続くことは、「民主主義」そのものへの軽侮を生み、そうなったときに最も喜ぶのは既得権益を持つ者たちである。このことは、今から70年前のこの国の歴史を学べばよくわかる。閑話休題、そのことを考えても、NGOの働きかけによる議連設立という手法は、民意の議会への反映という意味で新たな処方箋となるかもしれず、自然保護のみならず、多くの局面において参考にされるべきであると個人的には考える。党派性に捉われていないことも、特定の政党の党利、党略に左右されにくくなり、非常に高く評価すべき点だ。<br /><br />ただ、一方で、もし森山ほか熊森の中枢にいる者たちが、議連による立法措置を講じれば、この国が熊森が主張するように「文明の大方向転換」を起こし、「自然保護大国」へと生まれ変わると考えているならば、私はこれを「愚の骨頂」と考えるのである。なぜならば、われわれの社会生活は、法律に基づいているわけでもなければ、必ずしも法律の予定した通りのことが発生するとは限らないからだ。末弘厳太郎先生はこのことを指して「人間の世界」と「法律の世界」を分けて考えるべきであると論じておられる。たとえば、私が誰かに借金をしたとする。それを返すのは、民法何条にどう書いてあるから返すのではなく、借りたものを返さないことは良心と常識に反することであるから返すのだ。たまに、それを返さない、あるいは返せない者がいて、その時になって初めて民法だの民事訴訟法だのの出番、つまりは「人間の世界」の話が「法律の世界」の話になるわけだ。また、法律には何の規定もされていないが、われわれがそれに従って社会生活を営んでいるものは少なくない。たとえば、家や土地を一括払いで買う場合、通常は契約書を交わした時に手付金を支払い、残金が全て支払われた段階で所有権の移転登記をするのであるが、そんなことは民法にも不動産登記法にも定められていない、ただの「商慣行」にすぎない。他にも、親孝行をしなさいなどとは民法のどこにも書かれていない。（ちなみに、子供を大切にしなさいとは書かれている）このように、法律に何の定めもないが、しかし人々がそれに従って社会生活を営んでいる行為規範のことを指して、オイゲン・エールリッヒは「生きた法」と呼んだ。ちなみに、この「生きた法」の概念を日本に持ち込んだのが末弘先生であり、1920年代当時に「法律」と「生きた法」の乖離を指摘したことが、日本の労働法と法社会学の原点である。さらに、わが国における書かれた「法律」と現実の社会生活や「生きた法」との乖離は、戦後においても川島武宜先生や戒能通孝先生、さらにはフランク・アップハム先生といった国内外の研究者が現代にいたるまで指摘するところである。<br /><br />この話を森林整備や野生鳥獣の話と照らし合わせれば、たとえば雑記帳4において私が指摘したような入会権にまつわる諸慣行などは、まさにこの「生きた法」にあたるものと言えよう。ならばなおさら、法整備をする以前に山間部に住む、最も「自然」に近い位置で生きる人々の生活の実情というものを、詳細に調査することがまず求められるのではないか。逆に言えば、そういった現実に人々がそれに従って生活する「生きた法」の精査なき立法は、「画餅の法律」を徒に増やすだけで、何らの有効性も持たないであろう。<br /><br />たとえば、熊森は1999年の鳥獣保護改正、すなわち、有害駆除の許可権限を都道府県に委譲したことを「改悪」と呼んで指弾しているが、私はこれを、獣害に悩まされる人々が現実に行ってきた対応を立法化しただけにすぎないのではないかと推察している。「昔の日本人は野生動物を殺さなかった。獣害にも殺さずに対応した」というのは、熊森が、というか森山が作り出した幻想に過ぎない。もっとも、本当にそれが可能ならそれに越したことはないとは思うが。熊森のトラスト地も含まれる三重県大台町の大杉谷地区は、古来より林業が盛んな地域であるが、たびたびクマによる川剥ぎ被害に悩まされてきた。そこで、住民有志の「決死隊」によるクマ狩りが行われたとの記述が、同地について詳細な記録がなされている『宮川村史』に散見される。江戸時代のことらしい。また、私が面談調査をした住民の方の証言にも、同内容のことがあった。時期にして、少なくとも1950年代時点ではそのような対応はなされていたという。昔話のことを思い出しても、たとえば「かちかち山」でおじいさんが畑を荒らしたタヌキを捕まえてタヌキ汁を作ろうとするくだりなどは、昔の日本人が獣害への対策として「動物を殺す」ということも選択肢に入れていたことを想起させる。他にも、たとえばナショナル・トラスト運動一つとってみても、その取り組みがいかに甘いものであるかは、雑記帳4において指摘した通りである。<br /><br />さらに付け加えるならば、熊森の主張は、必ずしもその会員の総意を反映したものとは言えない。まず、一般財団法人の法人格を取得していながら、誰が発起人であるか、代表者、理事、監事など役員についてその権限と責任、選出方法、総会における会員の総意の汲み上げなどについて何一つ明らかにされていない。定款も公開されていない。それどころか、森山の意思にそぐわない者を徹底的にパージしてきたことは、これまで私が語ってきた通りである。何の落ち度もないのに、熱心に活動していたのに、「（森山の言う）造反者と連絡を取った」というだけで「取り潰し」にされた支部もある。パージされた人々や、地域ごとに根差した活動の受け皿としての支部を潰された人々の無念は、察するに余りある。このようなあり方は、会員への明白な「裏切り」であるし、会員一人ひとりの思いをないがしろにする森山が「会員の代弁者」として議員に働きかけるのは、人々の善意を食い物にする、極めて悪質な行為であると言わざるを得ない。それ以前に、熊森の会員数は実態を反映していない。「賛同会員」などという曖昧な会員枠を作って、人数を水増ししていることは、これまで私が指摘した通りである。このような事実に反する数字を背景とした議連設立、ロビー活動は、動いた議員への詐欺行為に他ならない。<br /><br />以上のようなことから、「奥山水源の森保全・再生議員連盟」が、いかに立法措置を講じようとも、それが山間部の人々の生活のありよう、「生きた法」を全く無視した熊森の主張を鵜呑みにしたものであるならば、何らの実効性も持たない「画餅の法律」を徒に増やすだけであり、「奥山水源の森保全・再生」に何一つ貢献するところがないものであろうと私は予想するのである。一方、議会への民意の反映という意味において、非常に高く評価すべき点もあるだけに、大変残念で仕方がない。たとえば森元哲生氏のような山間部の地方選出議員も加盟しており、山間部の事情について参加議員が全く無知だとは思えないことに希望を見出すのである。熊森の主張を鵜呑みにすることなく、たとえばそういった議員独自の調査、研究などによって、この議員連盟が実効性をもって森林整備や自然環境の問題に寄与してくれることを願ってやまない。<br /><br /><br /><br /><br />参考文献<br />・ 戒能通孝（1964）『小繋事件：三代にわたる入会権紛争』（岩波新書）<br />・ 金子由芳（2010）「紛争解決制度の吸い上げ‐生きた慣習規範の吸い上げ‐」（『アジアの法整備と法発展』第5章 大学教育出版）<br />・ 川島武宜（1967）『日本人の法意識』（岩波新書）<br />・ 川島武宜（1968）「入会権の基礎理論」（2002『川島武宜著作集第八巻』所収 岩波書店）<br />・ 末弘厳太郎(1922)「嘘の効用」（2008『嘘の効用』所収 慧文社）<br />・ 末弘厳太郎（1924）『農村法律問題』（近藤康男編『明治大正農政経済名著作集16』1977 農山漁村文化協会）<br />・ 高村学人（2009）「コモンズ研究のための法概念の再定位 －社会諸学との協働を志向して－」（『社会科学研究』第60巻第5・6号）<br />・ 名和田是彦 楜澤能生（1993）「地域中間集団の法社会学 ―都市と農村における住民集団の公共的社会形成とその制度的基盤」（利谷信義・古井蒼生夫・水林彪編『法における近代と現代』所収 日本評論社）<br />・ 眞鍋貞樹（2006）『地方自治の理想と幻想』（富士社会教育センター）<br />・ 三俣学・森元早苗・室田武編著（2008）『コモンズ研究のフロンティア －山野海川の共的世界－』（東京大学出版会）<br />・ Ehrlich, Eugen（1913） “Grundlegung der Soziologie des Rechs”河上倫逸訳（1984）『法社会学の基礎理論』（みすず書房）<br />・ Ramseyer, J Mark（1998）　”Japanese Law: An Economic Approach” (University of Chicago Press)<br />・ Upham, Frank K（1989）　“Law and Social Change in Postwar Japan”(Harvard University Press)<br /></font>
]]> </description>  
      <link>http://ameblo.jp/kumamoribibouroku/entry-10877343983.html</link>  
      <pubDate>Sat, 30 Apr 2011 22:20:48 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>雑記帳4　ナショナル・トラスト運動と入会権</title>  
      <description> <![CDATA[ <font size="3">雑記帳3の話に付け加えておこう。総じて、熊森は「受け売り業者」である。ドングリ運びにしても、熊森の永久顧問の東山省三氏が紀伊半島のごく一部でやっていたことの受け売りである。<br />また、「国民大運動にする」と宣言した森復元活動において、熊森が「子供でもできる間伐方法」として「皮むき間伐」を推奨した。これは鋸谷茂氏が執筆された「鋸谷式　新・間伐マニュアル」にて紹介された「巻き枯らし」を元にしたものであるが、熊森としてこれをやった実績は極めて少ない。先駆的に滋賀県支部が行っているが、これとてチェーンソー間伐との併用である。また、滋賀県支部や鋸谷氏、三重県の藤原林業がやっている皮むき間伐の写真を、自分たちの活動であるかのように森山が講演で紹介したこともあった。実に悪質な剽窃である。<br /><br /><br />今回は、私の研究テーマに直結するナショナル・トラスト運動についての話である。そもそも、熊森のトラスト運動から得た問題意識が、私の研究の原点であるので、そういう意味においては熊森には感謝している。しかし、だからこそ、余計に杜撰で恣意的な組織運営は許せない。<br /><br /><br />さて、熊森、というか「奥山保全トラスト」に限らず、日本のナショナル・トラスト運動について、私は①イギリスにおけるナショナル・トラスト運動の展開との比較検討が不十分なのではないか、②自然環境の保全と日本の山間部の人々の生活・文化のあり方の親和性が十分認知されていないのではないか、という2点において問題点を見出している。<br /><br />まず、19世紀末にイギリスにおいて発展したナショナル・トラスト運動は、元来は産業革命以降、急速な工業化と農業不振による貧民の発生と都市流入、それに伴う犯罪や疫病の増加を鑑み、一部の識者や資産家が救貧や社会改良のため、レクリエーション用地を確保すべきで、そのためには自然環境を開発から守るべしとした「オープン・スペース運動」にその起源がある。このオープン・スペース運動の最大の団体が「入会地保存協会」、英国ナショナル・トラストの母体となる団体である。ここから、ロブ・ハンター、オクタヴィア・ヒル、ハードウィック・ローンズリーの3名が、不動産の取得のために、法人組織の設立を主張し、結果誕生したのがナショナル・トラストである。設立当初、ナショナル・トラストはとにかく取得しようとする土地の住民との関係を重視した。折りしも、入会権（Right of common）、すなわち住民たちによる共同体的な土地利用の権利は、囲い込みなどによって解体しつつあり、これに「公益性」という新たな側面を強調することで、その役割を再構築し、住民の諸権利も含めて自然環境や歴史的名勝の保護という目標を達成してきた点に特徴が見出せるし、このことがイギリスにおけるナショナル・トラスト運動の展開史から学び得るべき重要な点であると強調したい。なお、この「入会権」は、これから述べる日本の「入会権」とは別物である。ゆえに、原語の“Right of common”を付させていただいた。<br /><br />日本における自然環境の保護に着目した場合、生態系に調和的な慣習基盤として「入会権」の存在が考えられる。すなわち、その土地の住民の生活や文化、慣習の存在ゆえに、ナショナル・トラスト運動の対象となるような自然環境が守られた、と私は考えるのである。入会権は、明治以前より続く慣習に基づく地元住民による山林原野などの利用についての権利である。法制史上、明治期における土地法制の転換（地租改正や民法施行など）で、入会地（入会権の付着した土地）は各地域における共同体的利用・管理の実態があったにもかかわらず、その多くが官有地に編入された。その中で住民による入会権存続の努力の例もまた少なからず存在する。たとえば、住民による入会地の所有権の取得などである。入会権は、特に戦後、現代に至るまでは住民の自己決定機能として変容してきている。たとえば、住民内部のコンセンサスで、入会地をスキー場にして経営した（その経営も入会権の取り決めに基づくもの）新潟県の打石スキー場などがその例である。私は、熊森と関係のある、兵庫県宍粟市の「原観光りんご園」も同様のものと見ており、今後ぜひ研究対象としてみたいと考えている。<br />一方で、入会権は過疎化・高齢化による解体・消滅の危機に瀕しており、入会権の主体たる入会集団を構成する住民は、入会権の「役割の再構築」を求めている。この点でナショナル・トラスト運動との歩み寄り・連携の可能性が考えられる。すなわち、山林原野の生態系と長く共存してきたこのような現代に至る入会権との連携を図り、解体・消滅しつつある入会権の存続を部分的に補完することは、究極の目的たる自然環境の保護への近道なのではないか、ということである。<br /><br />近年、入会権を「コモンズ」として捉え直し、環境保全の側面から再評価する動きが、主に環境経済学や環境社会学方面において見られる。いわゆる「コモンズ論」と呼ばれる研究群である。すなわち、入会慣行によって、たとえば地域の住民が生活に必要な資源を周辺の山林から調達することなどを通じて、その地域の環境保全にも寄与してきた、とするものである。なお、「コモンズ」の定義は一様でないが、私としては、高村学人先生の定義に倣い「利益享受者の総てがルールを守った節度ある利用をするなら持続的に各人が資源から利益を得ることができるが、少数の利用者が近視眼的な自己利益追求を行うならば容易に破壊される性質を有する財」および、「そのような性質の財が生み出される、共同体的管理に服する土地および水域」として理解している。コモンズ論者からも、近年においては「入会権の解体」について言及されており、この問題への対処として都市民による入会権の「肩代わり」が主張されている。つまり、入会権者以外、地域住民でない人々に、その山林の管理をさせようというわけだ。<br /><br />しかし、高村先生は、この主張に対して「待った」をかけている。すなわち、アクセスする都市民が、新たな山林原野の維持・管理の担い手ではなく自然資源へのアクセスについてフリーライダー化する可能性を示唆するとともに、近年の山林の開発をめぐる紛争では、従来その林野を維持・管理してきた住民よりも、一方的にそこからもたらされる利益を享受する立場にある周辺に居住する新たな住民が反対運動の中心となることが多いことを挙げ、必ずしも開発の阻止だけで林野の持続可能な維持・管理が導かれるとは限らない点も指摘し、自然資源の持続可能な維持・管理と、開発の阻止とは、分けて論じるべきであるとしている。<br /><br />このことをナショナル・トラスト運動に置き換えてみれば、やはり入会権の存在を念頭に置かずして、自然環境の保全を目的とするナショナル・トラスト運動は成り立つまいと私は考える。具体的には、山林の維持・管理に関する地域住民へのヒアリングや、入会慣行の実態調査が第一に求められるであろう。さらにナショナル・トラストには、旧入会権者と新たなアクセス権者との媒介、いわば地元住民と都市民との多様な利害の調整役としての、新たな役割をも期待されよう。いずれにしても、入会権が存続しているならばそれと協調しながら自然環境の保全の知恵を出し合うべきだし、解体しつつあるならばナショナル・トラストがそれを補完しながら共に自然環境保全の道を歩んでゆくのが、ナショナル・トラスト運動の望ましい形ではないだろうか。<br /><br />これらのことを踏まえた上で、私は2009年から2010年にかけて、三重県大台町における(特非)奥山保全トラストのナショナル・トラスト運動について、当該運動の対象地となった「池ノ谷」の閉鎖登記簿を調査しつつ、その売主および対象地の住民18人に対して面談調査を行った。当地のことについて詳細に書かれた『宮川村史』によると、「池ノ谷」のある大台町大杉谷地区は、古来より林業が盛んであったが、乱伐が横行し、洪水や土砂災害が絶えなかった。そこで、江戸時代に紀州藩はこの地域のいくつかの山林を「御留山」として伐採を禁じた。「池ノ谷」もそのひとつである。ちなみに、池ノ谷は大杉谷の「桧原」というところにある。明治以降、様々な形で同地を守る努力はなされてきた。一度、名古屋の材木業者が池ノ谷を買ったことがあるのだが、住民による買戻し運動により、1984年に池ノ谷のある桧原地区の住民代表3家が、池ノ谷の所有権を取り戻した。その一部（つまり売主の方の家が持っていた部分）が、今回のトラスト地であるというわけだ。周辺の山林は「出合地」と呼ばれる明らかな入会地であるし、池ノ谷そのものについてもナショナル・トラスト運動について住民の皆さんの間で相当話し合われたということから、まさに入会地であると考えていいだろう。<br /><br />ナショナル・トラスト運動について、地域住民の方々の意見は様々であるが、全員の一致を見たのは①買い取った山林の維持・管理について、桧原地区の慣習に反する方法で行ってほしくない、②森林の維持・管理について住民側から提案したいことが多々あるので、懇談会・ヒアリングの機会を設けてほしい、という2点である。2010年3月頃に森山まり子が山林の買い取りにあたって住民のうち何戸かを訪問しているが、単なる「挨拶」程度の趣旨を出ないようである。また、過去のナショナル・トラスト運動において取得した土地についても、(特非)奥山保全トラストは、というか熊森は、地域住民の方々への対応は全くもって不十分である。たとえば備忘録10においてご紹介した兵庫県宍粟市戸倉のトラスト地がその例だ。同地においては、2008年台風により大量の倒木が発生、幸い近隣住民の方々に被害はなかったが、その後は倒木の流出など、二次災害の危険にさらされながら生活していたという。2010年には、住民が熊森に懇談会の機会を持つことを申し入れ、懇談会は実現したものの、その席に(特非)奥山保全トラストの理事の出席は皆無であった。倒木についての住民の不安を訴え、その処理を申し入れたが、熊森の一部有志のボランティアが断続的に倒木処理を行うばかりで、今なお、たとえば森林組合や森林管理署への倒木処理の依頼といったような、十分な対応がなされているとは到底言えない状況である。このように、地域住民をないがしろにするあり方は、はっきり言ってナショナル・トラスト運動をする団体としては失格といわざるを得ない。このことは、前理事長だった四元忠博先生から再三指摘を受けているにもかかわらず、森山は無視していることも付け加えておく。<br /><br />このような、入会権の問題への言及は、今のところ日本のナショナル・トラスト団体においてなされている例を、私は知らない。もっとも、熊森以外の例はHPの活動報告やニュース記事を通してしか調べていないわけで、おそらくは一番やり方が杜撰なところと比較するのははなはだ失礼で乱暴というものであるが、もしもこの問題が日本におけるナショナル・トラスト運動の当事者たちに、自らの運動と結びつけて考えられていないとすれば、入会権の問題への「見落とし」こそが、日本のナショナル・トラスト運動の最大の課題ではないかと考える。<br /><br /><br /><br />参考文献<br />・井上真・宮内泰介編（2001）『コモンズの社会学 －森・川・海の資源共同管理を考える－』（新曜社）<br />・戒能通厚（1980）『イギリス土地所有権法研究』（岩波書店）<br />・戒能通孝（1944）『入会の研究』（一粒社）<br />・川島武宜・近藤康男・古島敏雄（1958）「入会慣習法の実態」（2002『川島武宜著作集八巻』所収 岩波書店）<br />・川島武宜（1968）「入会権の解体」（2002『川島武宜著作集第八巻』所収 岩波書店）<br />・川島武宜（1968）「入会権の基礎理論」（2002『川島武宜著作集第八巻』所収 岩波書店）<br />・鈴木龍也（2009）「日本の入会権の構造　－イギリスの入会権との比較の視点から－」（室田武編著『グローバル時代のローカル・コモンズ』所収 ミネルヴァ書房）<br />・高村学人（2006）「入会林野から里山コモンズへ」（日本民主法律家協会編『法と民主主義』No.413）<br />・高村学人（2009）「コモンズ研究のための法概念の再定位 －社会諸学との協働を志向して－」（『社会科学研究』第60巻第5・6号）<br />・名和田是彦 楜澤能生（1993）「地域中間集団の法社会学 ―都市と農村における住民集団の公共的社会形成とその制度的基盤」（利谷信義・古井蒼生夫・水林彪編『法における近代と現代』所収 日本評論社）<br />・平松紘（1995）『イギリス環境法の基礎研究　－コモンズの史的変容とオープンスペースの展開－』（敬文堂）<br />・北條浩（2000/2001）『入会の法社会学』（御茶ノ水書房）<br />・三俣学・森元早苗・室田武編著（2008）『コモンズ研究のフロンティア －山野海川の共的世界－』（東京大学出版会）<br />・四元忠博（2003）『ナショナル・トラストの軌跡　－1895年～1945年－』（緑風出版）<br />・Blackstone, William(1765)　“Incorporeal Hereditaments”Commentaries on the Laws of England　bookⅡ. chapter 3 <br />・Murphy, Graham（1987）Foundation of The National Trust.（Christopher Helm Publisher）四元忠博訳（1992）『ナショナル・トラストの誕生』（緑風出版）<br />・Ostrom, Elinor（1990）Governing the Commons :The Evolution of Institutions for Collective Action. Cambridge University Press<br />・Memorandum of association of The National Trust for Places of Historic Interest or Natural beauty（1894）<br />・National Trust Annual Report 2009/2010<br /></font>
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      <link>http://ameblo.jp/kumamoribibouroku/entry-10875037828.html</link>  
      <pubDate>Thu, 28 Apr 2011 18:51:07 +0900</pubDate> 
    </item>  
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      <title>備忘録12　森山まり子の正体</title>  
      <description> <![CDATA[ <font size="3">6日ぶりの更新である。まずはわが身の無事をご報告申し上げる。この間、私の身上を気遣うメッセージがいくつか届いていた。この場を借りて、ご心配いただいた皆様に心より御礼申し上げることをお許し願いたい。<br /><br />更新が滞ったのは、先週末から今週頭にかけて、いろいろと忙しかったことと、前回、雑記帳3のコメントで、ナショナル･トラスト運動についてのご質問をいただき、熊森の、というか(特非)奥山保全トラストのナショナル･トラスト運動についての私なりの評釈をすべく、時間を見つけて筆を執ったのだが、なかなかはかどらないことが理由である。私の研究分野にかかわることなので、お伝えしたいことはいろいろとあるのだが、私の論述の拙さゆえに、なかなか「複雑を簡潔に」説明することができない。そこで、時系列順の「備忘録」を先に進めることにした。ナショナル･トラスト運動については、いま少しお待ちいただきたい。<br /><br />余談であるが、つくづく、「複雑を簡潔に」とは難しい。このことは、私も多大な影響を受けたスポーツライターの藤島大氏も繰り返し述べられている。スズキスポーツのHP上に氏のコラムがあるので、<a href="http://www.suzukirugby.com/column/no_22.html" target="_blank">こちら</a>をご参考までにお読みいただければ幸いである。複雑なことを解きほぐして簡潔に説明することは、「単純化」とは似て非なるものである。後者は、森山のやっているプロパガンダに等しいものだ。<br /><br />さて、話の続きをしよう。<br /><br />「今年は修士論文の執筆で忙しい。だから学会の設立総会が終わったら、私は熊森には協力できませんから。」<br />　<br />2010年4月10日の奥山保全･復元学会設立総会の前に森山まり子にはそう伝え、了承を得ていた。<br />学会の設立総会も終えて、次の週のスタッフ会議で私はそのことについて報告した。同時に、5月の総会に向けての話し合いも行われた。そこで、さもそれが当然であるかのように私に役割が回ってきたのだ。話者の原稿を集めて校正しろ、と。これでは話が違う。会議が終わって、森山まり子にそう抗議したら、笑ってはぐらかすばかりだった。既に何度も書いてきたとおり、私はそれまで、森山まり子は話せばわかる人物だと思っていた。だからこそ、屈辱的なアンフェアにも耐え忍んできた。だが、このことは私の森山まり子への信頼を揺るがせしめるに十分であった。<br /><br />まだある。熊森には、資料集2で紹介した通り「くまもり指針」なる内規が存在し、その徹底遵守が求められる。それによると、「退会規定」として「組織の中で活動を続けることができないと確信したときは、派閥を作ったり、もめごとや争いを起こすことなく、引き継ぎを行い、組織を去る」とある。つまりは、やめる時は静かにやめていけというわけだ。実は、2010年の3月に職員が一人退職している。理由は「一身上の都合」であり、この指針の通りに従い、何ら波風を立てることなく去って行った。いつだったかその職員について、森山夫妻が「あいつは熊森を恨んでやめていった」などと言っていた。私はそれを聞いて思わず言った。「あの人はくまもり指針を守って出て行った。ならば残った我々がそれについてあれこれ言うのはアンフェアでしょう。」しかし、森山はへらへら笑うだけだ。<br />　<br />決定打が次の話である。<br />学生ボランティアから職員になったNという人物のことは、備忘録5と6において話に出したかと思う。Nは、この頃から明らかに「職場いじめ」に遭っていた。みんなが見ている前で怒鳴られる、「お前、普通の会社なら倉庫係にもしてもらえへんぞ」などと侮辱されるなどは日常茶飯事であった。これをやっていたのは主として森山まり子ではなく「応援団長」の森山昭典だ。確かにNの仕事ぶりは、社会人としての及第点に及ばないものだった。あまりにも仕事上のミスが多かったことは事実だし、私もiPodで音楽を聞きながら仕事をしていたことを注意したこともあった。しかし、忘れてはならないのは、まだNは入って半年も経っていなかったということだ。訓練の不十分な兵士を前線に送っても、敵弾の餌食になるだけだ。それに、仕事上のことで注意を与えるのであれば、個別に呼んで説諭すべきであって、多くの人がいるところで面罵すべきではない。それ以上に、Nは森山から「大学を出たら熊森で働かないか」と持ちかけられて就職したのだ。ならば、「仕事ができない」と当人を責める以上に、雇った者の責任こそが問われるべきだ。たとえばサッカーのコーチが、シュートが不得手な選手をFWに起用し、選んだコーチがシュートを外したと非難したら、それはアンフェアというものであろう。また、適材適所という言葉もある。任された仕事がNの不得手な部分だったかもしれない。その得手不得手を把握して仕事を割り振ることは、雇った者のなすべき「仕事」である。身長が160㎝の選手をロックに起用するラグビーのコーチはいないだろう。<br /><br />そういうNへの冷遇がはっきりと現れたのが2010年5月の総会だった。前年まで、新たに雇用された職員は、総会において新任者として紹介され、所信を述べる慣例になっていたが、それがNには用意されなかったのだ。これを見た私は驚いて、事後森山まり子に尋ねた。<br /><br />「会長、Nの紹介がなかったのはなぜですか？」<br /><br />すると、<br /><br />「え？だってどうせ長続きしないでしょ？」<br /><br />と悪びれもせずに言ってのけたのだ。<br />愕然とした。衝撃だった。頭が真っ白で、何も考えられなかった。私を、最後の最後、ぎりぎりのところで熊森に繋ぎ止めていたのは、森山まり子への信頼だった。2008年2月11日、涙ながらに自然保護を訴える姿に感銘を受けたからだった。森山まり子と、日本熊森協会に対する私の信頼が、何もかも、跡形もなく粉々に砕け散った瞬間だった。<br />「感銘」も「信頼」も、うわべだけの真っ赤な偽物であったことを、2年以上も見抜けなかったわが身の不明が嘆かわしい。家族にも多大な心配と迷惑をかけた。本当に申し訳ない。<br />私ははっきりと確信した。この偽善者は、絶対に許せないと。そして、自らの仲間すら大切にすることができない者を最上長に頂く組織に、自然保護など到底なし得るものではないとも。<br /></font>
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      <link>http://ameblo.jp/kumamoribibouroku/entry-10874158445.html</link>  
      <pubDate>Wed, 27 Apr 2011 20:17:37 +0900</pubDate> 
    </item>  
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      <title>雑記帳3　ドングリ運び、電話攻撃に思うこと</title>  
      <description> <![CDATA[ <font size="3">奥山保全･復元学会のHPに掲載されている<a href="http://okuyama-society.org/founders/" target="_blank">発起人一覧</a>と<a href="http://okuyama-society.org/board_members/" target="_blank">役員一覧</a>、および<a href="http://okuyama-society.org/blog/" target="_blank">ブログ記事</a>から、私の名前と写真が削除されていた。私への当てつけか、はたまた私との関係を「なかったこと」にして頬被りをするつもりなのかわからないが、ブログ記事の本文で「14人」と書かれている発起人の一覧が1人減っていては、よく読めば誰もが訝しく思うであろう。他にもWikipediaの記事を編集したりなど、いろいろとweb上での情報を工作しようとしているようだ。<br /><br />今回は、熊森に対して外部からの批判の対象となっているドングリ運びと電話攻撃について書く。やはり、かつてのインサイダーとして、このような批判のある事柄については言及しておくべきだと思うからだ。<br /><br />まず、ドングリ運びについてである。私としては、ドングリ運びについては真っ向からは十分に批判することはできない。私は生態学などについて、何らの専門性も有さないからだ。しかし、論者としての意見を述べることはできる。2004年、最初に熊森が大々的にドングリ運びを行い、メディアに取り上げられた。これについて、同年福井大学の保科英人准教授が批判的立場を取る<a href="http://www.nature.museum.city.fukui.fukui.jp/shuppan/kenpou/51/51-57-62.pdf" target="_blank">論文</a>を発表されている。これに対して何らの反駁も加えないことは、外形から見て保科氏の「不戦勝」と判断せざるを得ない。サッカーやラグビーの試合で、キックオフ時刻を過ぎても対戦チームの片方が現れなかったらどうなるだろうか。ちなみに、熊森内部に対しては、保科氏およびこの論文については、その存在すら知らされていない。私がこれを読んだのは、熊森から離れてからであった。<br /><br />実は、私が熊森に入った2008年当時は、ドングリ運びについてのガイドラインのようなものが存在した。残念ながら手元に資料が残っていない。私はこれを配布されていないし、熟読したわけではないので定かとは言えないのだが、京都府と兵庫県に限ったものであるが、「撒いていいところ」「そうでないところ」「散布していい樹種」などが記載されていたと記憶している。当時の相談役の主原憲司氏が作成したものだったはずだ。しかし、この資料や、これに類するようなドングリ運びについてのガイドラインが配布されたことはないし、本部による支部向け、あるいは一般向けのドングリ運びの指導などは、ほとんど行われていない。私もドングリを撒いたことがあるが、フィールド活動に行くときに、「ついでにドングリ撒いてきて」と渡されたから撒いたのだ。もし保科氏ほか生態学者の方々のおっしゃる通りなら、私はとんでもないことをしてしまった。<br /><br />また、ドングリ運びの注意事項として「民家や道路の近く、その他人が来そうなところには絶対に撒いてはいけない」「発芽しないようになるべく暗い放置人工林の中に撒くように」とは言われていた。私がドングリを撒いた場所は、豊岡市但東町登尾峠の山中と、宍粟市波賀町の「原観光りんご園」の裏山である。前者については、熊森にいろいろと協力してくださっている地元住民の方からの了承を得た上で、苔むした廃道からさらに奥地に分け入って撒き、後者においてはりんご園の幸福専務理事（当時）に、「ここなら撒いてもいい」と言われたところに、幸福氏の立会いのもとに散布した。但東町の場合は、「とにかくクマが集落から離れてくれるのであれば」ということで、ドングリ撒きについて了承したと、地元住民の方からお聞きした。原りんご園については、なぜそのようなコンセンサスを得ることができたのか私は知らないが、ドングリを撒いた場所が、およそ人が来そうにないところであったことから、同様の理由ではないかと推察する。森山も、前述のように「人が来そうなところには絶対にドングリを撒かないように」と厳命していたのであるが、その理由を「人身事故を誘発するから」と明言していた。<br /><br />一度、ボランティアに来た女の子が「持って行くのがしんどいから」と道路脇にドングリを撒こうとして、私があわてて止めたことがある。もし私がいないときの活動で、このようなことが行われていたら、そしてそのせいで人身事故が起こったら・・・と冷や汗をかいたのを覚えている。そして2010年、ヘリコプターによる散布も含め、あれほど全国的にドングリ運びが行われた昨年であれば、これに類することはあったに違いない。本部の活動においてさえこのような有様なのだから、支部や会員が個人的にしたことなど把握しきれているとは思えない。また、撒く場所について何らの注意喚起もなされなかったことは、人身事故を誘発する可能性についての危機意識と、地元住民の方々への配慮の欠如を物語る。地元住民の方からすれば、これほど恐ろしい話はないだろう。<br /><br />それから、ドングリ運びの事後調査は、私の知る限りまともにやっていない。フィールド活動に行くスタッフに対し、「前ドングリ撒いたところの写真撮ってきて」と頼むだけだ。森山は「昔はもっと大々的に調査に行っていたけど、最近は会員も増えて忙しくて・・・」と言っていた。なおその昔の「調査データ」も、私は見たことがない。<br /><br />ここで忘れてはいけないことは、ドングリ運びをして、熊森はメディアに取り上げられているという事実である。それにより、批判も高まるが一定数の会員は増やしている。つまり、ドングリ運びは「動物たちへの食糧援助」と称しながら、話題づくりと、それによる会員獲得を狙ったプロパガンダの内実を呈していると言っていいだろう。<br /><br /><br />次に、電話攻撃についてである。<br />熊森が電話攻撃を主導しているのではないかという話が、ネット上で取り沙汰されることがある。結論から言えば、その通りである。「くまもり通信」という会報誌があるが、毎回これには、全都道府県庁の野生動物や獣害問題を担当する部署名と、そこへの直通電話番号が記載された一覧表が同封されている。同様の一覧表は、熊森の事務所に常備されている。それには「激昂したりせず、落ち着いて対話してください」とは書かれているものの、事実として業務妨害と言っていいような電話攻撃は存在し、またその種を撒いている責任の一端は確実に熊森にある。にもかかわらず<a href="http://kumamori.org/news/blog/2010/11/21/recent-act/2030/" target="_blank">「憎しみや対立からは何も生まれない」</a>などと逃げ口上を並べるのは、極めて卑怯で、この上なく無責任な行動であると言わざるを得ない。<br /><br />私は、数を頼んだクレーマーは、クマの保護にとって百害あって一利なしと考える。もし、私が日常的に電話攻撃に悩まされる自治体の獣害担当部署の責任者だったら、と想像する。私なら、もしクマが檻にかかったら、そのことが漏れる前に殺処分し、直ちに死骸を隠し、速やかに関係者全員に緘口令を敷く。関係者も同様にクレーマーに悩まされているであろうから、誰もが従うだろう。「捕まった」「殺した」という事実がなければ、クレーマーも動けない。ならばその「事実」をなかったことにさえしてしまえばいいのである。<br /><br />個人的には、人里に出てきた野生動物をすべて殺すことには反対である。しかしながら、このような電話攻撃が野生動物の保護につながる有効な手段とは思わない。こんなことは、攻撃者が「言ってやった」という曲がった優越感に浸るためのものであって、断じてクマや野生動物を救うためのものではない。事実として、あれほどクマの出没が多かった昨2010年、熊森は一頭もクマを救えていない。<br /><br />熊森にとって、クマは永遠に「絶滅危惧種」であってもらわなくては困る存在であるのではないだろうか。兵庫県のシンポジウムによると、長年の保護政策が功を奏し、順調に生息数を伸ばしているとのデータが公表されている。対して熊森は「絶滅危惧種」と一方的に主張するばかりで、どういう根拠で「絶滅危惧」としているのかを示さない。ちなみに私は、2010年の大量出没を見て「クマ、まだこんなにいたのか」と驚いた。熊森は、「生息推定数1万頭のところ、2004年、2006年で9割以上が殺された」と言っていたからだ。もちろん、動物が殺されるニュースは胸が痛む。しかし、この問題についての処方箋は「殺さなければいい」などという短絡的なものではないはずだ。私は、修士論文の執筆のために(特非)奥山保全トラストが取得したトラスト地のある、三重県多気郡大台町の大杉谷地区について調査をしたのだが、過疎化、高齢化に悩む山間部の方々の現状と、何とか自分たちの生活を守ろうとする住民の方々の努力を目の当たりにし、それと熊森の主張との乖離を改めて思い知らされた。そういった山間部の住民の方で、中には熊森に協力したことで隣近所との軋轢が生まれた人もいる。これらの問題と、獣害問題とは切り離しては論じ得ない。熊森の主張は、明らかに現地調査を怠っているか、常識を欠いているがゆえの所産であり、暴論以外の何物でもない。<br /><br />以上が、ドングリ運び、電話攻撃についての私の見解である。<br /></font>
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      <link>http://ameblo.jp/kumamoribibouroku/entry-10868272403.html</link>  
      <pubDate>Thu, 21 Apr 2011 18:49:37 +0900</pubDate> 
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    <item> 
      <title>備忘録11　学会設立</title>  
      <description> <![CDATA[ <font size="3">いくつか、私のブログに応援メッセージをいただいている。非常に勇気付けられる。メッセージを下さった皆様には、この場を借りて改めて心より謝意を表させていただきたい。<br />そのようなメッセージの中で、森山夫妻が兵庫県内の他の自然保護団体に対して影に日向に嫌がらせをしているという証言があった。つくづく見下げ果てたものだ。<br /><br />3回ぶりの、時系列順の「備忘録」である。<br />前回の備忘録10より時系列は前後し、話は2009年10月まで戻る。西川先生を熊森本部にお招きして、満場一致で学会結成が決議されたことは備忘録9において述べた通りである。なし崩し的に担当者に祭り上げられ、私は途方に暮れていた。熊森の現有戦力で、学術団体の結成など到底可能だとは思えなかった。さりとて、やると決議され、内心学会の結成自体に疑問を抱きつつも、担当者を引き受けてしまった以上はやるしかないと私は思っていた。今思い返せば、ビタ一文もらったわけでもないのに納得できないことをやる必要などどこにもなかった。かつての自分の人の好さが嘆かわしい。<br /><br />学会設立が決まり、最初にすることは、設立趣意書、定款の作成だった。<br />まず、なすべき野外活動がだいたい終わった11月に、設立趣意書を作成した。最初に作ったものを森山に見せたら、大幅に手直しされ、それを、「学術団体らしく」見せるために再度私が文面を整えた。このブログと、<a href="http://okuyama-society.org/letter_of_intent/" target="_blank">設立趣意書</a>を見比べていただければ、文体の相似にお気づきいただけるかと思う。趣意書を作成してからは、自分が「嘘つき」に思えて自己嫌悪に苛まれた。<br />定款は、他の学会の定款などを参照し、字句を変えて作成した。森山から「乗っ取り防止には充分配慮するように」ということも忘れなかった。疑問を感じながら「学会がんばりましょう」などと森山の前で言う自分が情けなかった。もう、どうにでもなれという気持ちだった。<br /><br />次に、発起人だ。まず私が考えたことは、研究職にある会員にあたることだった。誰に聞いても「時期尚早」「有力ジャーナルへの投稿が先決」との回答だった。「熊森？私、退会したはずですけど・・・」と言われたこともあった。会員種別を見ると賛同会員だ。恐らく会費を納入せず、賛同会員に「鞍替え」させられた正会員か寄付会員の方だったのだろう。当時の時点で、このような「賛同会員」が1万人ぐらいいたはずだ。一般会員の皆さんからは色よい返事がもらえず、今度は顧問の先生方を頼った。結果は同じ。門崎博士を除いて全員が難色を示した。特に四元先生からは、「なぜこんなことに本部はゴーサインを出したのだ？」と私が直にお叱りを受けた。学術研究の当事者として、このような実力に見合わない、また恣意性を孕んだ「学会」は、先生には受け入れがたかったに違いない。私はただ、四元先生の叱責を黙ってお聞きするしかなかった。<br />私としては、設立当初に役員となるべき発起人の構成を、熊森本部の、というよりは森山の影響力から離しておかなければ、西川先生が再三強調された「あくまで別団体」としての実質は失われると考えていた。だからこそ、研究職にある熊森会員や、顧問の先生方を頼ったのだ。その一方で、森山はというと、夫である森山昭典、室谷悠子、大内義栄、岡真理子、安部真理子といった、絶対に自らの意見に従う者たちを発起人に入れろと、再三要求した。また、私の顔を見れば、二言目には「学会は？」と催促する。私は職員ではないし、また、熊森活動の中でも森復元チームの引き継ぎがあったというのに。<br /><br />最終的に、森山の意向をそのまま汲む形で、熊森本部の中心人物＋αを発起人に据え、2月に大阪梅田の「関西文化サロン」にて発起人会を行った。この時点で、「学会」の方向性は森山の権威づけのための傀儡として決定的となったと言っていい。同じことは、(特非)奥山保全トラストにも言える。それは、理事の人的構成を見ても明白である。<br /><br />その後、4月の設立総会に向けて、人員拡充と会場の手配が必要になった。会場については、私の大学で借りたので問題なかった。私が指導教員である金子先生に頼み込み、会場を無料で使えるように手配もしていただいた。ゼミ生の頼みだからと、快く引き受けてくださった先生のお気持ちがありがたかった。<br />問題は、人集めと、連絡その他の事務手続きの二つだった。<br />私は、「一人では手に余るから最低2人は手伝ってくれる人がほしい。」と願い出た。可とも不可とも回答が得られないままずるずると約1週間が過ぎた。業を煮やした私は、独断で熊森のHP上でボランティアを募った。すると、森山昭典と清野から「勝手なことをするな」とクレームが付き、直ちに募集は取り下げられた。学会設立のため必要な要求はのらりくらりとかわし、独断で事を進めたらそれに対するペナルティだけは驚くほど迅速だった。これには私は本当に嫌気がさした。「中本とイチャつくな」などと言われたのもこの頃で、余計に拍車をかけた。結局、設立総会の事務連絡、案内看板や横断幕の作成、資料の作成、講演依頼、当日の設営、何もかも私一人でやった。もちろん、西川先生などのアドバイスも仰ぎつつではあったが。<br />人集めについても、当初は、設立時に10人ぐらいの学者は集めたいと考えており、大学の図書館で生態学や生物学関連の文献を読み、その著者を訪ねて学会加入をお願いしようと考えていたが、全てやめた。あまりにもバカバカしい。「学会は？」と催促するくせに人員の増援はなし、さらに自分で何とかしようとしても「勝手なことをするな」、このことは森山まり子およびその取り巻きの、日本奥山保全・復元学会の発起人としての当事者意識の欠如を物語っている。手間のかかることは全て私に押し付け、学会から上がる諸々の「おいしい部分」だけをいただこうという肚だ。備忘録10や資料集1で私が語った森復元チームのことと全く同じ構図だ。<br /><br />結局、設立総会当日は、発起人に加えて、適当に熊森のボランティアをかき集めて会場を埋めるという、とんでもない「手抜き」をやった。その日、数名のボランティアが学会に加入した。なお、各マスコミにニュースリリースを流したのであるが、予想以上に取材依頼が舞い込んで驚いた。熊森がいくらリリースを流してもなかなか取材に来てくれなかったのに、「学会」という包装紙をつけただけで反応が一変するところに空恐ろしさを覚えた。<br /><br />5月の熊森の総会においても、学会設立の意義と素晴らしさについて私が発表したのだが、真意でないことを公の場で「堂々と発表する」ことは本当に気が重かった。「嘘つき」としての罪悪感に苛まれた。<br /><br />この「学会」結成は、私が今まで生きてきて自分として、いや、学者を志す端くれとして、最も恥ずべきことの一つだったと、今にして後悔する。まず、学会結成が時期尚早であり、実力不足であると認識していながら、その場に流されそれを強く主張できず、設立に手を貸した。また、いくら森山たちの不誠実にして不親切な対応があろうとも、引き受けたことについて手抜きを行った。これらはひとえに私の不道徳のなすところであったと深く反省している。またそれ以上に、この学会のあり方自体に問題があると考える。奥山保全・復元学会はまだ一度も研究会も開催していなければ研究誌も刊行していないが、後に詳しく述べるが森山と熊森を批判したことを理由に私をパージした一点をもって、熊森と同様に森山の私物と化していると言っていい。このような「学会」は、まずもって「奥山保全・復元」に資することができるはずがないし、そもそも存在自体が学術研究に対する冒涜であり侮辱である。仮にも学問を志す端くれとして、きちんと自分たちのありようを客観視することをせず、作った上での展望を見極めることも投げ出し、このような恣意性に支配された似非学会を作ったことは、拭いがたい大きな汚点であると非常に重く受け止めている。<br /></font>
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      <link>http://ameblo.jp/kumamoribibouroku/entry-10866320484.html</link>  
      <pubDate>Tue, 19 Apr 2011 17:44:02 +0900</pubDate> 
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      <title>資料集2　くまもり指針</title>  
      <description> <![CDATA[ <font size="3">まず、会員数についての追加情報をお伝えする。ある事務担当者によると、2007年以降に入会した会員については、会費未納の会員全てに電話をかけて、会費の納入のお願い、賛同の意思確認をしたそうであるが、それ以前に入会した会員については何も確認していないということである。また、最初から「賛同会員」で入会した会員についても、今でも賛同の意思があるかどうかなどいちいち確認しておらず、「賛同会員」は基本的に「名前貸し」と見ていい。とにかくそれらの人々も「会員」として計上し、なるだけ「多く」会員数を算定するやり方がとられているそうだ。やはり会員数の水増しはなされており、このような実態に反する数字に基づく政治活動は、大いに問題があると言わざるを得ない。<br /><br />さて、本題に入ろう。今回も引き続き、熊森の内規をご紹介しよう。<br />「くまもり指針」なるものが存在する。これは、熊森の活動指針やスタッフの心構えについての内規であり、支部を含めた全ての熊森スタッフには、徹底遵守が求められる。例えば、新たに支部や地区が設立される場合、その支部・地区の三役（支部・地区長、副支部・地区長、会計）は、就任当初に熊森本部への来訪が義務付けられているのであるが、その際にこの「くまもり指針」について説明を受ける。その上で「支部・地区結成の上は、この指針の遵守を徹底せよ」というわけだ。それほど重く見られている「くまもり指針」とはいかなるものであるのか、全文を引用してご紹介する。<br /><br /><br />（以下引用）<br /><br />くまもり指針<br /><br />【基本ポリシー】<br />自然の保全・保護活動は、物言わぬ自然への畏敬と奉仕である。人間のおごりを制し、人間は生態系の一部であり、全生物によって生存を支えられている事を、常に意識しなければならない。<br /><br />【理念】<br />①　植物＋動物＝森　全生物を保全して初めて豊かな森が残せる<br />②　クマは生態系の頂点にあり、豊かな森のシンボル。奥山水源域の守り神。<br />③　生命の尊重　外来種・在来種の差別・区別は行わない。<br />④　高いプライド、強いプライド、寛いプライドで活動する。<br />⑤　100万人の会員・組織を作り、国の流れを全生物と共存する持続可能な自然保護大国へと向かわせる。<br /><br />【行動方針】<br />①　森に入り、森を見る：徹底した現場主義。<br />②　地元に密着、行政に提案：徹底した現地主義<br />③　実践活動<br />④　報・連・相の徹底：報告、連絡、相談の実行<br />⑤　積極参加<br /><br />【組織論】<br />①　会長、支部長を頂点とし、各部のリーダーを中心に活動。：ピラミッド型（縦）組織<br />②　常に若者を尊重し、応援する。<br />③　ベテランは、若者に尊敬されるあらゆるサポート活動を行う。<br />④　本部と支部の意思の疎通と情報交換の徹底を図る。<br />⑤　100万人の組織を維持できる個々人の能力を研鑽する。<br /><br />【禁止事項】<br />①　外部での内部批判、事務所内での陰口：意見は、直接本人や会議で言う。<br />②　異性問題、金銭問題、権力抗争、派閥作り、公私混同<br />③　嘘を言うこと。（熊森は100％嘘のない会です）<br />④　協会内における政治活動、宗教活動、商業活動。<br /><br />【退会規定】<br />①　組織の中で活動を続けることができないと確信したときは、派閥を作ったり、中でもめごとや争いを起こすことなく、引き継ぎを行い組織を去る。<br />②　くまもり指針の違反行為と禁止事項の進言に応じないとき。<br /><br />（引用終了）<br /><br />結論から言おう。「くまもり指針」は、森山も、室谷や大内、清野といったその取り巻きも、全く遵守していない。これまで私が指摘してきた数々の熊森の問題点を振り返っても、そのことは明らかである。<br /><br />森山も、その周辺の者たちも、ろくに森にも入らなければ森を見てもいない。ボランティアからの報告を聞くだけである。実際にその「現場」に携わる人々の意見や要望には耳を貸さないのであるから、「徹底した現場主義」が聞いてあきれる。<br />また、地元に密着もしていなければ行政に提案もしていない。備忘録10で紹介したように、自らのトラスト地の地元住民の要望さえも無視した。昨年11月に愛知県瀬戸市で「応援団長」の森山昭典と事務局長の大内義栄、それに愛知県会員2人を加えた4人による7時間座り込み事件や、これまで熊森が推奨し煽動してきた数々の電話攻撃は、行政への提案ではなく業務妨害である。「現地主義」も全くもって不徹底だ。<br />現地主義、現場主義の不徹底が如実に表れたのが、2009年9月21日に発生した乗鞍岳の畳平バスターミナルでの人身事故だった。この件の概要については<a href="http://ha3.seikyou.ne.jp/home/kmaita/norikuma_rev.htm" target="_blank">こちら</a>を参照されたい。あの日、私はフィールド活動で一日出払っていたのだが、帰ってきたらこのような事故が発生しており、大いに驚いた。そこで、私は森山に「直ちに現地に向かい調査すべき」との意見を具申し、現地調査を買って出た。実際に現地に行って調べなければ、何があったのかも不明であるし、何より「実践自然保護団体」などと看板を掲げている以上は、このような事故が起これば真っ先に現地に行って然るべきだと考えたからだ。しかし、この時は清野が「もうクマが殺されたのだから現地に行っても無意味」と主張し、森山もこの意見を意見に賛同し、私の意見は退けられた。その上、内部にさえ何も言わず、「顧問先生指導」などと付した、被害者の方々の感情を全く無視した「声明」を発表した。現地調査にも行かずにあのようなものを公表すべきでない、どの顧問の先生のご指導を受けたのか、と森山に聞いたが「君には無関係」「答える必要はない」と横にいた森山昭典が言うばかりだった。あまりにも杜撰で、「現場」も被害者の感情も無視したあり方に唖然としたのを覚えている。<br /><br />そして、実践活動を行動方針としながら、地道な活動はボランティアに押し付け、森山やその取り巻きは政治活動など「目立つこと」にばかり心動かしているのが内実だ。「下」（いやな表現だ）に押し付け自分たちではやっていない活動を「私たちの活動成果」として各方面に発表することは、善意のボランティアの人々の上前をハネる行為であり、厚かましいことこの上ない。さらにそのような実践活動をする人々の意見や要望には無視し、場合によっては妨害さえもすることは、備忘録10においてご紹介した通りである。<br /><br />積極参加を行動方針にうたっているが、企画推進局長の室谷悠子や国際部長の岡真理子は、<a href="http://okuyama-trust.org/about/boardmembers/" target="_blank">(特非)奥山保全トラストの理事</a>になるような責任ある立場にありながら、ろくに活動に参加しない。そのことがどれほど多くの人々の不満と不信を買っていることか。同様の立場にある環境教育部長の安部真理子は、休日のほぼ全てどころか、平日に仕事を休んでまで時間を作って熊森の活動に費やしているというのに。<br /><br />熊森は、というか森山夫妻は、若者を尊重もしていなければ応援もしていない。搾取しているのである。森山や大内のような「ベテラン」と呼べる年代の者たちは、若者から尊敬されてもいなければ、若者をサポートもしていない。甘言を用い、体よく使うだけだ。あくまで実践活動をしようとした森復元チームは、サポートを受けるどころか事実上解体させられた。また、これについては後に詳しく述べるが、職員の拘束時間もどれだけ長いことか。深夜まで残業をさせられ、帰り道に痴漢に遭った女性職員もいたと聞く。他にも、私は「環境教育部長は交代させるべき」と意見を具申したことがある。安部が、休日どころか仕事をまでも犠牲にし始めたことを見かねたからだ。しかし、それが受け入れられなかったどころか、若ぐま隊の世話、ボランティア部長の奥野美歌がまともに引き継ぎもせずに留学するという無責任極まりないことをしたのでその後任、私をパージしたためポストの空いた学会の担当など、森山はその後次々に安部の負担を増やした。彼女を殺す気かと私は思う。これらは、どう見ても若いスタッフたちのことを本当に考えている者のすることではない。「自然保護のため」「奥山保全・復元」「クマを守るため」と善行のイメージを刷り込み、それを隠れ蓑に体よく若者たちに搾取を強いているだけだ。私自身、事実上の「内定取り消し」をされたのだ。<br /><br />本部と支部の意思疎通などできていない。そのせいで、「取り潰し」の憂き目に遭う支部があった。静岡県、福島県の真相は私も知らないままだが、昨年閉鎖処分になった愛知県支部は、熊森の活動方針に何ら違反するところがなかったのに釈明の余地さえ与えられなかった。善意と熱意をもって活動に参加した支部スタッフ一人ひとりの悔しさは、察するに余りある。このことは後に詳しく述べる。<br /><br />熊森のあり方と森山への批判的意見を、当人も出席している会議で述べた私をパージした。また、起こさなくていい権力抗争を自ら引き起こし、会を私物化したまま離さないようにすることにばかり腐心しているのは誰あろう森山だ。<br /><br />さらに実態に反する会員数を公表していながら、「熊森は100％嘘のない会です」とは、どの口で言うのか。<br /><br />私は、この「くまもり指針」については、内容そのものにも問題があるとは思うが、それ以前に、まず誰よりも遵守の徹底がなされて然るべきであるはずの指針の「作成者」であろう森山夫妻も、それにへつらう熊森本部の室谷、大内、岡、清野といった者たちも、この指針の遵守は全くもって不徹底であることは笑止の極みである。そのような者たちに中枢を握られている会に、「自然保護」も「奥山保全・復元」も到底なし得るはずはない。そのことは畢竟、熊森の活動資金を拠出した会員に対する重大な「裏切り」に他ならない。<br /></font>
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      <link>http://ameblo.jp/kumamoribibouroku/entry-10865332789.html</link>  
      <pubDate>Mon, 18 Apr 2011 17:10:56 +0900</pubDate> 
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