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    <title>風のかたちⅡ</title>  
    <link>http://ameblo.jp/hidamari2679/</link>  
    <description>目に映り耳に聞こえ・・・五感に受け止める外界へのリアクション</description>  
    <language>ja</language>  
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    <item> 
      <title>孫田良平「戦時労働論への疑問」</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 <p>菅山真治『「就社」社会の誕生』は、戦後の日本的な雇用システムの生成から確立にいたるプロセスを、明治の産業化初期段階から、戦間期、戦時統制期、戦後占領期という大きな流れの中で見ようとする。</p>
<br />
<p><font color="#0000ff">「日本的」雇用慣行は、高度成長の時代に突然姿を現したのではない・・・ユニークな慣行や制度を生み出す種子は、西欧からの技術移転を主軸に勧められた日本の産業化過程それ自体の裡にすでに胚胎していた・・・その種子は、産業化のスタートとともに発芽・成長し（日清・日露戦争前後期）、やがて大きなつぼみをつけ（戦間期）、そして苛烈な夏の暑さのなかで開花した（戦時・占領期）。むしろ、1950年代以降の高度成長期は、最後の結実の秋に当たっていたというべきかもしれない。</font></p>
<br />
<p>という史観だ。</p>
<p>こういう一節に触れると、つい、「日本的」雇用慣行の成立に関する他の諸説、1920年代説、戦時期説、近世商家源流説といったものをおさらいしておこうという気持に駆られる。近いところでは、野村正實先生の大著「日本的雇用慣行」第6章にコンパクトな検討があったが、各説の原著にいちいち当たる暇は、浩瀚な菅山本を前にしてありそうにない。そんでもって、つい、菅山本がいう<font color="#0000ff"><strong>「苛烈な夏」</strong></font>の意義を明らかにしたという孫田良平「戦時労働論への疑問」（日本労働協会雑誌、1965年7月）に手を伸ばしてみた。</p>
<br />
<p><font color="#0000ff">「戦時中の労働関係は全くの空白期であったとするのは錯覚」「戦後史の前史となるべき戦時労働論は、この期を単なる特殊期間とみないで・・戦後の運動を潜在的に準備した期間とみるべきであり・・・戦時労働行政・労働立法が戦後に残した影響も・・・評価する必要があろう」</font></p>
<p>という。問題意識は実に鮮明だ。</p>
<br />
<p>昭和40年頃の思想や学問の状況を考えれば、戦時の労働関係について、孫田先生が疑問を呈した次のような見方が当たり前だったのだろうことは想像に難くない。</p>
<p><font color="#0000ff">・「情緒的・物語的発想」</font></p>
<p><font color="#0000ff">　「治安維持法と国家総動員法のなかで、軍需生産に駆り立てられた労働者は、組合運動も禁止され</font></p>
<p><font color="#0000ff">　おそるべき労働条件の悪化のもとに、悲惨な状態に陥り、暗い日々を送っていた」</font></p>
<p><font color="#0000ff">・「公式的図式的戦時労働論」</font></p>
<p><font color="#0000ff">　「帝国主義戦争と絶対主義支配強化のもとに組織的運動はすべて弾圧され・・・労働官僚は産報運動</font></p>
<p><font color="#0000ff">　ファッショ新体制運動に地位を求め、労働者階級は完全に窒息化し・・・圧倒的支配の重みは敗戦後に</font></p>
<p><font color="#0000ff">　至ってもみずから下からの革命の意図を出し得ないほどで・・・民主主義占領軍がようやくこれを指導し</font></p>
<p><font color="#0000ff">　て民主化への道を開いた」</font></p>
<p><font color="#0000ff">・「労使関係不在論もしくは非在論」</font></p>
<p><font color="#0000ff">　「戦時労働を意識的に無視するか、あるいは戦前と戦後の過程であり中間期であるとして検討の余地</font></p>
<p><font color="#0000ff">　がない」</font></p>
<br />
<p>こうしたステロタイプの認識にたいして、例えば、産業報国会に関する考察をみると、それが官製・上意下達の空疎な機関としての本質を脱することができず、「新国民組織」という狙いとしては失敗に終わったことを認めつつ、戦後につながる遺産として次の要素を取り出している。</p>
<p><font color="#0000ff">－職場秩序を活かして企業・事業所を単位にすれば機械的に民衆組織ができあがるという基盤</font></p>
<p><font color="#0000ff">　戦前には存しなかった職員・労務者一体の企業忠誠心</font></p>
<p><font color="#0000ff">　労働者を対象に企業をあげて行うレクリエーション・教養行事</font></p>
<p><font color="#0000ff">　産報青年隊や同女子部のようなインフォーマルなエリート若衆集団</font></p>
<p>これらが</p>
<p><font color="#0000ff">「戦後の労働組合新出発にあたって、<font size="2"><font size="3">人々の意識の底の組織の鋳型として残</font>っており</font>、それゆえにこそ<font size="3">職員層が先頭に立って<font size="2">産報当時と同じように</font>職場常会</font>をひらき、<font size="3">企業毎に組合規約</font>をつくり発会式をあげた」</font><font color="#000000">とする。</font></p>
<p>筆者が考察の締めくくりに引用する<font size="2">細谷松太の言葉</font></p>
<p><font color="#0000ff" size="3">「組合は産報の看板を裏返しにしただけで、できてしまったようなものだ」</font></p>
<p>に思わず頷いてしまう筋立てだ。</p>
<br />
<p>産報に対する上のような評価は、戦中期の「進歩的」行政官僚が立案した経済新体制、企業改革構想などが、戦後の職・工一体の労働組合の結成に影響したとする菅山本ともオーバーラップしている。菅山本は、</p>
<p><font color="#0000ff">「戦時統制下の日本では&lt;自由主義&gt;経済体制に対する批判の高まりが存在し・・・知識人の間では立場の左右を問わず&lt;統制&gt;経済の思想が広く浸透し・・・第２次近衛内閣下の&lt;経済新体制&gt;運動のもとでピークに達した」</font></p>
<p>とし、賃金統制令や重要事業所労務管理令を通じた「職工」の処遇改善が測られ、戦争末期に至っては</p>
<p><font color="#0000ff">「社長から見習工に至るまで勤労者」</font>という観点での職員・工員の一元化（身分差別の撤廃）まで試みられたことなどを、日立製作所日立工場の戦間、戦中期の分析を通じて明らかにしており読ませる。しかし、それと並べてみても、昭和40年という早い時期に戦時期の持つ意味に着目した孫田論文の先駆性は十分に伝わってくる。個人的には、仕事のうえでも断続的にお世話になった先生なのだが、こうした歴史研究の論文をものされていたことに畏敬の念を新たにする。</p>
<br />
<br />
 
</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/hidamari2679/entry-11074319826.html</link>  
      <pubDate>Fri, 11 Nov 2011 20:50:24 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>菅山真治『「就社」社会の誕生』を購入</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 <p>菅山教授の大著は、hamachan先生の紹介や、金子さんの書評などで承知していたが、日経賞受賞の発表を機に思い切って大枚をはたいてみた。その価値は十二分にある！！と思った。</p>
<br />
<p>序章を斜め読みして1章を過ぎたあたりだが、この本の「新鮮さ」みたいなものに魅了される。それは、</p>
<br />
<p>一つには、おいらみたいな素人にも既知感の強い「労働問題の歴史研究」の蓄積を踏まえながらも、教育社会学的な視点から、官営製鉄所の下級職員層の経歴分析などを通じて、ホワイトカラーの雇用、人材形成といった労働史研究では業績の薄い部分に光をあてようとしているところ</p>
<p>－－教育制度が整備途上にあった産業化初期世代では、技術系、事務系を問わず、広域にわたる頻繁な</p>
<p>　　　転職や、学歴の低さ（尋常小卒や無学歴－江戸期の藩校教育含む）を通信教育などの学校教育以外</p>
<p>　　　の手段を用いた修学で補いながら、社会的地位、収入の上昇を図っており、下級職員層にも明確な立</p>
<p>　　　身出世志向が伺われること</p>
<p>－－事務系職員ではことに、企業職員以外のホワイトカラー、官公吏、教員、軍人・警官などとの間での転</p>
<p>　　　職が広くみられ、後に確立する「就社」－一社内でのキャリアの完結とは全く様相が異なっていること　　　</p>
<p>－－しかし、一転して日露戦争後には、近代的な学校教育制度の急ピッチの整備を背景に正規の中等教</p>
<p>　　育を受けた「新規学卒」採用に移行していったこと、など。</p>
<br />
<p>一つには、いわゆる日本的雇用システムの形成を、企業システムというより広い視野のもとでとらえようとしているところ。戦時統制下における企画院の企業改革構想を源流とする企業理念が、戦中から終戦直後期における少壮経営者層、ホワイトカラー職員への継承等を通じて、具体化されていくプロセスを明らかにしていること。</p>
<p>－－「戦後復興期に政府官僚に止まらず、企業改革を模索する「進歩的」経営者や、「従業員組合を結成</p>
<p>　　した多数の職員・工員によって受容され・・・この時期には非妥協的な激しい労使対立が繰り広げられ</p>
<p>　　ていたにも関わらず、事実上「あるべき企業の姿」について大まかな合意が成立したいた」</p>
<p>－－　「GHQによる労働改革が、アメリカ的な労使関係・雇用システムとは全く異質の慣行・制度を帰結する</p>
<p>　　　ことになったという逆説は、このような歴史的コンテキストを踏まえることを抜きにしては十分に理解する</p>
<p>　　　ことができない」というのはそのとおりだろう。」</p>
<br />
<p>労働史、教育社会学、経済史・経営史の業績に基づく学際性の成功が際だつ、簡単にいえば、おいらの知らないいろんな研究の知見を駆使して、かけらほども知らなかったり、薄ぼんやりとしか見えていないものにはっきりとした光を当ててくれることが「新鮮」「斬新」と感ずる根っこなのだろう。</p>
<br />
<p>ちなみに、企業と学校のリンケージという著者がよりどころにするもう一つの視点、苅谷先生の「高卒就職システム」の業績等によりながら「就社」社会の成立を解くあたりは、;歴史的経緯としてそのとおりなのだろうけれど、既知感が強いというか、現代的に、それが崩壊または縁辺化している実態を明らかにする業績が若年者雇用研究に絡んで少なくない（直近でも、今年のJIRRA大会での堀有喜衣JILPT研究員の報告なんかは、苅谷説批判として印象深い）だけに、新鮮かといわれるとどうもなのだ。しかし、「ある年代以上の職業安定行政の中の人にとっては常識的であったものでありながら、ほとんど明示的にアカデミックな言語化されることなく次第に消え失せつつある領域を、こうして見事にえぐり取った」というhamacan先生の評につきるのではないか。紛れもない業績だろう。</p>
 
</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/hidamari2679/entry-11074238636.html</link>  
      <pubDate>Thu, 10 Nov 2011 12:50:11 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>遠ざかる日々だが--最高裁の二つの判決</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 <p>新国立劇場事件とINAX事件で立て続けに最高裁が高裁判決を破棄し差し戻したのは大ニュースだろう。</p>
<br />
<p>一瞥する限り、</p>
<p>労働組合法上の労働者性という問題、菅野労働法が第９版で力を入れたというか、中労委会長として、之は看過しがたいと、労使関係法に係る法理の長きにわたった欠落への対処を始められたのかもしれないことに対する判決としては、あくまで労働契約上の労働者の延長上に労組法の労働者をみるという、労組法の立法趣旨とは別種と言う方向で上告人の主張を認めたもののようにもみえる。</p>
<br />
<p>それで、よかったのですか、と仕事場の会議室で思わずいってしまったら、「とにかくもよかったのでは。これがなくては、次の議論が始められなかったのだから」というチーフのリプライに暫定的には同意。今後、各誌にに登場する判例評釈の議論に注目だ。</p>
<br />
<p>労働契約とは異なるように仕組まれた契約関係について、実施的な指揮命令関係=使用従属関係が瀰漫してきているように推測される現状に対しては、議論のタネを含んだ重要な判例として、今後、長く取り上げられるだろうなぁ・・・・と、法律学とは無縁の衆生のひとりとして思う。</p>
<p>ひたすら雑務に紛れているうえ、先週来、持病のぜんそくが昂進してしんどい毎日だが、サスガに、これはビッグニュースとして見逃せない。</p>
<br />
<p>ちなみに、私事ながら、家のお嬢のご入学は、昨日、研究科博士課程の代表でピカピカの１年生というには随分ととうのたった１年生としての入学式だった。科学乃至は科学者の社会的責務を訴えた総長のお言葉に感銘しきりのようすであった。</p>
 
</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/hidamari2679/entry-10860744622.html</link>  
      <pubDate>Wed, 13 Apr 2011 21:20:04 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>よかったです!!　Ⅱ--全くの私事</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 アメンバー限定公開記事です。
 
</p>]]></description>  
      <link>http://secret.ameba.jp/hidamari2679/amemberentry-10818114483.html</link>  
      <pubDate>Fri, 04 Mar 2011 12:49:12 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>よかったです！！－－自治体非正規職員への賃金返還請求訴訟</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 <p><font size="2">市民の側から行政を監察し非違等をただすオンブズマンの意義を云々するつもりはないが、中には酷い「オンブズマン」もいるものだと驚き呆れさせられたのが、シジフォスさんが紹介している「枚方市(非常勤職員手当支給)事件」だ。</font></p>
<p><font size="2">詳しくは、シジフォスさんのブログのとおりだが、</font><a href="http://53317837.at.webry.info/201103/article_3.html">http://53317837.at.webry.info/201103/article_3.html</a>
 </p>
<br />
<p><font color="#0000ff">&gt;この裁判は、住民である原告が、枚方市が給与条例に基づき一般職「非常勤職員」に対し、特別報酬として期末手当・退職手当を支給したことについて、給与条例主義に反し違法であるとして提起した住民訴訟</font></p>
<p><font color="#0000ff">&gt;2008年10月31日、一審の大阪地方裁判所は、原告の主張を認め、「枚方市は、元市長個人に対し損害賠償を請求するともに、手当を受領した非常勤職員に対し不当利得返還の請求をすべき」とした</font></p>
<p><font color="#000000"><br />
</font></p>
<p><font color="#000000">これに対して</font></p>
<p><font color="#0000ff">&gt;昨年9月17日、大阪高等裁判所は、枚方市非常勤職員手当住民訴訟（「損害賠償請求及び不当利得金返還請求控訴事件」）において、控訴人（枚方市長）および補助参加した非常勤職員の主張を全面的に認め、逆転勝訴判決を下した。</font></p>
<p>というものだ。的確な判決であり、本当によかったです!!!と思う。</p>
<br />
<p>原告・「住民側」は、条例違反を理由としているが、「非常勤職員」にまで期末手当・退職手当の返還を求めている。ここに、ワン公的には「異常」さを感じる。「異常」といってわるければ「フツウーでないもの」を感じる。それとも、ワン公の感じ方の方が「異常」で訴訟の原告・住民側の感覚の方がフツウーなのだろうか。</p>
<br />
<p>ワン公的感覚はといえば、</p>
<p>今回、期末手当などの返還請求の被告となった人たちは、改正パート法の差別取り扱いの禁止（8条）や均衡処遇（9条等）の規定、労働契約法3条2項のことなどもあり、提供する労務の内容等に応じて処遇の改善、向上が図られるべき労働者と近似した労働者グループと思う（公務員とはいえ）。</p>
<p><font size="2"><br />
</font></p>
<p><font size="2">「住民側」には、この処遇改善的発想、働いている人同士という目線はサラサラないのだ。あるのは、&quot;給料ドロボー、金返せ&quot;という、広く見られる公務員叩き的感覚ではないか。「公務員」とはいっても「非正規」なのだということに全く意識が及んでいないことに驚く。</font></p>
<p><font size="2"><br />
</font></p>
<font size="2"><p>役所の「非正規職員」というのは、民間とは事情がことなるにしろ、職員定員の縮減と行政需要の拡大の狭間で、事務補助にとどまらず、保育施設、病院など様々の行政サービスの領域に広がっていると承知している。正規職員と同様か類似の職務をこなす一方で、雇用が不安定で処遇も劣る非正規「身分」に甘んじている例がすくなくないと聞く。要は、必要な行政サービスとしての労務提供を、適切さを欠いた対価で提供することを求められている存在であるのかもしれないのだ。</p>
<br />
<p>こういう人たちを訴訟の対象とする背景にあるのは、「行き場のない怒り」「ルサンチマン」、経済・社会システムの行き詰まりという汚泥から湧くガスのようなものではないのか。そうしたものに発する、またはそうしたものを悪用する弱者攻撃だとしたら、情けない。</p>
<br />
<p>以下は、シジフォスさんの判決解説部分の引用だ。（下線部ワン公）</p>
<p><font color="#0000ff">&gt;本件給与条例において少なくとも給与の額及び支給方法についての基本的事項が定められており、かつ、その具体的な額等を決定するための細則的事項が本件非常勤職員給与規則に定められている本件においては、…給与条例主義に反するものではない…」とし、具体的基準及び具体的数値を規則に委任したことについて合理性があると判断し、枚方市が非常勤職員に対して手当を支給した行為は、給与条例主義に反するものではなく、適法であるとした。</font></p>
<p><font color="#000000">さらに</font></p>
<p><font color="#0000ff">&gt;「非常勤職員」に対して、支給された手当の不当利得返還請求義務についても否定した。その理由は，任用手続が公序良俗に反するとか重大かつ明白な瑕疵が存するなどの特段の事情のない限り、<u>支給された給与については、職員は命ぜられた職務に従事したことの対価及び生計の資本として受け取ることができ、これを不当利得として返還すべき義務は負わない</u>。</font></p>
<p><font color="#0000ff">&gt;当該の非常勤職員の受け取った一時金や退職金が不当利得かどうかという点については、「正規職員と比較して不当に高くはないこと、公序良俗や社会正義に著しく反するものではない」などとして、「返還する必要はない」とされた</font></p>
<p>ワン公的にとっても頷ける「まっとうさ」を感じる。</p>
<br />
<p>ついでに、これは良い方の驚きだが、「住民側」に対して、自治労と自治労連が共闘したということもたいしたものだと思う。こうした「異例」の運動があってはじめて、良識ある判決がある。シジフォスさんの義憤、当事者のコメントにも強く共感する。コメントの最後にあるが、官民問わず、一時金・退職金は「非正規職員」であっても処遇の均衡上、さらに退職金は非正規という不安定さへの代償としても、考えられるべきことであって、「返還請求」の対象にするなど、とんでもないことなのだ。</p>
<br />
<p><font color="#0000ff">&gt;行政オンブズマンと称する「公務員叩き」の訴訟は全国で繰り広げられ、一部では、この初審判決のように司法まで加担する状況になっている。しかし、<u>非常勤職員という公務職場の中でももっとも弱い労働者を叩こうとするオンブズマンの姿勢は許し難い</u>。</font></p>
<br />
<p><font color="#0000ff">&gt;自治労連のＨＰには、こんな当事者のコメントも紹介されているので、転載させていただく。<br />
</font><span style="COLOR: #090">&gt;＞国保徴収員さんからは、「勝利できて本当によかった。いろんな人に支援してもらった。本当</span></p>
<p><span style="COLOR: #090">　　にありがとうございます」。また、延長保育士さんからは、「5年前に裁判所から通知が来たと</span></p>
<p><span style="COLOR: #090">　　きに、個人なら泣き寝入りしかなかったが、組合として闘うことになり、いろんなところへ支援</span></p>
<p><span style="COLOR: #090">　　要請に行ったりして、応援してもらった。こんなこと出来るのかと新鮮な思い、感激した。みん</span></p>
<p><span style="COLOR: #090">　　なの力でここまでやってこれた」・・・</span><span style="COLOR: #090">弁護団からは「この判決はゴールじゃない。（同じような</span></p>
<p><span style="COLOR: #090">　　仕事をしていても）正規職</span><span style="COLOR: #090">員の半分でしかない。均等待遇に向けてさらに奮闘してほしい」と</span></p>
<p><span style="COLOR: #090">　　の激励もあった。<br />
　　府下には自治体職場だけでも２万を超える非正規職員が働いている。任期付き職員制度の</span></p>
<p><span style="COLOR: #090">　　導入や雇い止めも発生しており、<u>均等待遇の立場からの処遇改善、一時金・退職金制度の</u></span></p>
<p><span style="COLOR: #090">　　<u>確立、</u>雇い止め阻止など私たちが乗り越えなければならない課題は多い。</span><br />
</p>
</font>
 
</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/hidamari2679/entry-10818999372.html</link>  
      <pubDate>Thu, 03 Mar 2011 12:51:01 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>許し難いこと　Ⅱ　ジョブカード廃止なんて何故？</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 アメンバー限定公開記事です。
 
</p>]]></description>  
      <link>http://secret.ameba.jp/hidamari2679/amemberentry-10689521327.html</link>  
      <pubDate>Wed, 27 Oct 2010 22:20:24 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>ときは秋・・・目白駅前大学　Ⅱ</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 <p>３日の日曜も高い秋天。</p>
<p>なので、目白駅前の大学まで組織学会２日目を冷やかしに行く。どぶさらいが生業にもかかわらず、こんなとこに散歩にいくのは、家のお嬢のトランスポーター係のためもあるのだが、聞いていて、ワン公の耳に念仏というほど無意味なわけではない？？？。</p>
<br />
<p>午後の総括シンポジウム、「組織と組織論の未来」というテーマも凄ければ、</p>
<p>金井壽宏@神戸大、桑田耕太郎@首都大東京、榊原清則@慶應義塾大、佐藤俊樹@東京大、沼上幹@一橋大</p>
<p>という、いっちゃわるいが、口八丁手八丁の顔ぶれで、さぞや面白かろうとプログラムをみたところで思った。期待して良いのか悪いのか、予測不可能なことを含めて。</p>
<br />
<p>「組織」という現象を社会科学の対象とする試みは、M.Weberの官僚制論という古典もあって、ワン公の青春期的には親和感があったテーマなのだが、「理論」と「実証」いうレベルでそれがどんな展開をたどったのかは断片的に知るだけ。</p>
<br />
<p>３時間半以上も尻が痛くなるのをガマンして聞いている限り、各バネリストがパネリストなりの組織理論の過去と現在を語ってくれて、青春期からの空白を埋めてもらう上では極めて有用だった。</p>
<br />
<p>だけど、やはりというべきか、日本の組織研究は、研究者の数だけ、それもアメリカMBA流派の多様性と盛衰を反映して、組織という現象の「理論」化の試みを展開していたのだなと思う。さらにいうと、「実践的な」という桑田先生のキー概念でいうなら、「本家」アメリカと比べて、些か言葉遊びに走ったんじゃないのかという印象もある。野中教授とか加護野教授とかの長年のお仕事はあるとしてもだ。</p>
<br />
<p>今的には、なぜ日本の経済は、産業は、企業は、これほどに力を失ってしまったのか、雇用ということに関わって明らかにしなくてはならない、ということへの問題意識が些か乏しい印象があって、組織理論の未来に関するお話がむなしく聞こえたのは事実だ。</p>
<br />
<p>第１日目の特別講演で、三枝ミスミ会長の「９０年代以降の日本の研究は、&lt;企業経営の現実からの理論化、理論と経営の現実との往復作業&gt;などの点で努力不足だったのでは」という趣旨の言葉に、フロアから的確な反論がなかったことも、これまでの「組織論」研究がアカデミズムに傾斜していたことの結果ではなかったのか。</p>
<br />
<p>そんな中では、沼上幹教授@一橋大の</p>
<p>「企業にMBA人材を輩出し、その結果を含めた現実を実証していく」と、先輩方とは違った明確な宣言、</p>
<p>「調査にいって企業の人に&lt;組織&gt;の問題について提案したいんですといったら、大学の先生に聞かなくとも分かっています、といわれました。&lt;はあ、そうですか&gt;と帰ってきたのですが、調査していて分かったことは、彼らの言う&lt;組織が分かる&gt;とは&lt;根回しがわかるにすぎない&gt;ということも分かったんです」</p>
<p>といった体験談を踏まえた&lt;自信&gt;が印象的。</p>
<p>「組織の重さ」（2007）という見事な実証研究の裏打ちがあるのだろう、頼もしや、と感じた。</p>
 
</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/hidamari2679/entry-10666341979.html</link>  
      <pubDate>Sun, 03 Oct 2010 18:14:55 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>ときは秋・・・目白駅前大学</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 <p>組織学会の創立５０周年記念の大会が開催された。天気もよいので冷やかしに行く。</p>
<p>２日(土曜)の目玉は、青木昌彦教授による、今日的コーポレートガバナンス理論の展開。</p>
<br />
<p>Aモデル、Jモデルという著名なかってのお話しから、多元化モデルへの展開を試みた最新のお仕事を、簡潔に話して聴かせるという形になった。</p>
<br />
<br />
<p><span><strong>Corporations in Evolving Diversity: Cognition, Governance, and Institutions</strong></span></p>
<p><span>Oxford Univ Pr ,2010/07 </span></p>
<br />
<br />
<p>直近の著作のご紹介なのだが、株主主権型のアメリカ的CGを崇拝していた人がゴマンといたのはほんの数年前のことだ。いや、２年前だがの経済財政白書だって相変わらず金融資本主義マンセーみたいな雰囲気があったことからすると最近まで尾を引いていることなのだろう・・・要は、政治的ないしはマスコミ的な雰囲気を含めてだ。そんな熱狂とその後の虚脱感とは距離を置いて、コーポレートガバナンスモデルの多元化、裏返せばnot収斂化に理論的根拠を与えようと言う仕事だと理解。</p>
<br />
<p>一般理論は、全てを取り込むゆえに実は個別の何ものも説明しない、という感覚は否定できないのだが、ナマ青木教授のお話しは、そんなレベルとは違った包括性・理論性を感じさせてしまうから、やっぱ、すごいのかも、とアホなワン公は思ってしまう。</p>
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<p>フロアからの質問も、藤本隆宏@東京大、河合忠彦@中央大他、ワン公からみるとハーバード流とかスタン</p>
<p>フォード流であっても、日本の現実を十分にくぐらせた理論化を試みる大家からのもので、ちょい絢爛豪華</p>
<p>な瞬間だった。</p>
<br />
<p>どぶさらいを生業としていると、ときにこういう話を聞くのは、御仏の法話を聴くよりも心が洗われる。</p>
 
</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/hidamari2679/entry-10665469447.html</link>  
      <pubDate>Sat, 02 Oct 2010 20:09:27 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>心にも・・・</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 <p>深夜のよまよいごと。</p>
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<p>中秋節を過ぎてしまったけれど、長雨の合間の月に思わず</p>
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<p><font size="3">　</font><font size="2" face="ＭＳ 明朝">こころにも　あらでうきよにながらえば　</font></p>
<p><font size="2" face="ＭＳ 明朝">　　　　　　こひしかるべき　夜半の月かな　　三条天皇</font></p>
<font size="2" face="ＭＳ 明朝"><p><br />
目を病んで、いつまでみることができるか知れない夜半の月と、権力闘争の中で儚くも退位を強いられたことへの思いが重なる。</p>
<br />
<p><font size="2" face="ＭＳ 明朝">句作者にくらべるのは言語道断、無礼失礼の限りだが、同じように、満ち足りて長らえているわけはないという思いを抱えながら、それにしても、平安・室町期的には下賤の業ながら当今の御代に「世を渡る業」をもつ身でいられたことだけは、物憂くも有り難し、というほかない。これも偶々生まれた時代が早かったゆえだろう。</font><font size="2" face="ＭＳ 明朝"><br />
</font></p>
<p><font size="2" face="ＭＳ 明朝"><br />
</font></p>
<p><font size="2" face="ＭＳ 明朝">　<font face="ＭＳ Ｐゴシック">この浦里に住み馴れて　明暮運ぶうろくずの　</font></font></p>
<p><font size="2" face="ＭＳ 明朝">　<font face="ＭＳ Ｐゴシック">暇も波間に明け暮れて　世を渡るこそ　もの憂けれ</font><br />
　<font face="ＭＳ Ｐゴシック">よしよし同じ業ながら世に越えたりなこの海の・・・　　能　竹生島　シテの一声</font><br />
</font></p>
<p><font size="2" face="ＭＳ 明朝"><br />
</font></p>
<p><font size="2" face="ＭＳ 明朝">「世を渡る業」をもつこと、そこにささやかであっても、誇りや喜びにつながるものを持つことがよいことなのだ。ほんの何十年か前には、まだ、そんな許容範囲があったような記憶がある。私の身の回りにいた大人達の姿を思い返しても・・・向かいの海産物問屋のお兄さん、隣の表具屋の職人さん、裏小路の独り旋盤工のおじいさん（たしか片足がなかった）、同級生の女の子のお父さんだった下駄屋のオジサンetc、数え上げれば限りがない。</font></p>
<p><font size="2" face="ＭＳ 明朝"><br />
</font></p>
<p><font size="2" face="ＭＳ 明朝">それと比べて、グローバル化だなんだとかいうなかで、、「世を渡る業」をもつことが難しくなっていると・・・父親世代になったワン公としては思う。</font></p>
<p><font size="2" face="ＭＳ 明朝"><br />
</font></p>
<p><font size="2" face="ＭＳ 明朝">そんな事実に、早くから着目して、仕事を重ねてきたひとが、受賞の栄誉をうけたのは何よりだ。また、受賞者への選考委員の言葉（中村圭介教授）、後に続くべき人たちの研究環境を思う受賞者・小杉礼子@JILPTの言葉、いずれも実によい。労働研究の心がある。ついでのように言うのは、これまた余り余りに失礼なのだが。</font></p>
<font size="2" face="ＭＳ 明朝"><p><br />
</p>
平成２２年度労働関係図書優秀賞　小杉礼子 <br />
<p>(<font size="2" face="ＭＳ 明朝">日本労働研究雑誌１０月号に同賞関係記事)</font></p>
<br />
<p>もっとついでのようで失礼ながら、論文賞（労働研究の芥川賞みたいなものか）の受賞者への選考委員お二人の碩学（大橋勇雄教授、猪木武徳教授）の言葉もすこぶるつきだ。足らざる所を指摘したうえで、それに余りある美点と可能性を評価して今後の研鑽の糧とすべしされている。まさに新人賞たる所以だ。</p>
<br />
<p>こういう「文化」をわざわざネタにして、「仕分け」の具にしたてショーアップした人たちがいたらしい・・・これも憂き世。ワン公的にはあほらしい、映像化された衆愚政治。<br />
</p>
</font></font>
 
</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/hidamari2679/entry-10661936572.html</link>  
      <pubDate>Wed, 29 Sep 2010 00:38:19 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>le pagelle di Cesena,Serie A,Giornata 2_10092010</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 <p><span class="f"><cite><font color="#0e774a" size="2"><strong><a href="http://www.tuttomercatoweb.com">www.tuttomercatoweb.com</a>
</strong></font></cite></span></p>
<p>に掲載された主要新聞のpagelle（採点）</p>
<p>インザーギにPKを取られてしまった終盤のミスにもかかわらず、各紙とも合格点の６．５（除く、tuttosportの6）</p>
<p>第１節ローマと引き分けたゲームでも６．５とか７がついていた。ドイツの香川とともに、まずは順調なスタート。</p>
<p>この先、山もあれば谷もあると思うけど、ずんばれ  <strong>giapponese.</strong></p>
<p><strong>Corriere di Romagna<br />
</strong>Antonioli 7, Ceccarelli 8,5, <strong>Nagatomo 6,5,</strong> Von Bergen 7,5, Pellegrino 6,5; Appiah 6, Colucci 8, Parolo 8,5; Giaccherini 8, Schelotto 8, Bogdani 8 (Malonga s.v.). All. Ficcadenti 8.</p>
<p><strong>Il Resto del Carlino</strong><br />
Antonioli 6,5, Ceccarelli 7, <strong>Nagatomo 6,5,</strong> Von Bergen 7, Pellegrino 6,5; Appiah 6, Colucci 6,5, Parolo 8; Giaccherini 8, Schelotto 7,5, Bogdani 8 (Malonga s.v.). All. Ficcadenti 7,5.</p>
<p><strong>La Voce di Romagna<br />
</strong>Antonioli 7, Ceccarelli 7,5, <strong>Nagatomo 6,5,</strong> Von Bergen 7, Pellegrino 7; Appiah 6, Colucci 7,5, Parolo 7,5; Giaccherini 9, Schelotto 7,5, Bogdani 8 (Malonga s.v.). All. Ficcadenti.</p>
<p><strong>Corriere dello Sport<br />
</strong>Antonioli 7, Ceccarelli 7, <strong>Nagatomo 6,5,</strong> Von Bergen 6,5, Pellegrino 6,5; Appiah 6,5, Colucci 6,5, Parolo 7; Giaccherini 8, Schelotto 7, Bogdani 7,5 (Malonga s.v.). All. Ficcadenti 7,5.</p>
<p><strong>Tuttosport<br />
</strong>Antonioli 6,5, Ceccarelli 6,5, <strong>Nagatomo 6</strong>, Von Bergen 6, Pellegrino 6; Appiah 5,5, Colucci 6,5, Parolo 6; Giaccherini 7,5, Schelotto 7, Bogdani 7 (Malonga s.v.). All. Ficcadenti 7.</p>
<p><strong>Gazzetta dello Sport</strong><br />
Antonioli 6,5, Ceccarelli 7, <strong>Nagatomo 6,5</strong>, Von Bergen 7, Pellegrino 6; Appiah 6, Colucci 6,5, Parolo 7; Giaccherini 7,5, Schelotto 6,5, Bogdani 7 (Malonga s.v.). All. Ficcadenti 7,5.</p>
<br />
<p>仕事に追われてブログな気分になる閑がなかったが、calcioは別格ということかも。</p>
<br />
<p>U^ェ^U</p>
<p><br />
</p>
 
</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/hidamari2679/entry-10647296894.html</link>  
      <pubDate>Mon, 13 Sep 2010 12:51:54 +0900</pubDate> 
    </item> 
  </channel> 
</rss>

