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    <title>てっちゃんの生きづらさオンライン＠Ameba</title>  
    <link>http://ameblo.jp/hampen1017/</link>  
    <description>フリーライター・渋井哲也のブログ。生きづらさのほか、ネット・コミュニケーション、自傷、自殺、援助交際などを取材。「実録・闇サイト事件簿」（幻冬舎新書）、「解決！学校クレーム」（河出書房新社）。「生きづらい」「死にたい」「消えたい」と思ったら</description>  
    <language>ja</language>  
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    <item> 
      <title>【メルマガ】【生きづらさ】生きづらさという言葉をあらためて考える</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 ●2001年の本でタイトルに「生きづらさ」を使わなかった理由<br />●「生きづらさ」という言葉を使うようになった理由<br />●「生きづらさ」を説明する<br />●いまは「発達障害による生きづらさ」が流行？<br /><br />　先日、若者のコミュニケーションをテーマに講演をする機会があり、生きづらさについて話をした。そういえば、私が「生きづらさ」という言葉を使ってからはもう10年以上が経った。<br />　<br />　「生きづらさ」という言葉がいつごろから、説明なしに使われるようになったのだろうか。もともと私が使いだしたのは1998年頃だったように思う。処女作「アノニマス　ネットを匿名で漂う人々」（情報センター出版局）のテーマでもあったし、この本の帯には「生きづらいと感じることは弱さではない」とある。<br /><br />●2001年の本でタイトルに「生きづらさ」を使わなかった理由<br /><br />　この本のタイトルは、いろいろ悩んだ。「生きづらさ」とか「生きづらさ系」とかをメインのタイトル、あるいはサブタイトルに付けるという案もあった。正直に言えば、私もそうしたかった。しかし、この本が出たのは2001年。書店で並んでいる本で「生きづらさ」と付けているものはゼロ。この「ゼロ」の評価をめぐって、いろいろ思考していたのです。<br /><br />　書店で並んでいる本に「生きづらさ」という言葉がないのは、まだ一般的にはなっていないということを示す材料にはなる。果たして、仮に、今後「生きづらさ」という言葉が使われるようになったとしても、そのタイミングで本を出すとき、「生きづらさ」という書名で読者が分かり得るのか？。それが問題だった。編集者との話し合いの中で、「でも、どこでは『生きづらさ』という言葉を使いたい」と私は主張し、いろんな組み合わせを考えていた。<br /><br />　編集者の最大の関心は、ネットで様々な思いを表現する人の日常だった。その人が「生きづらさ」を抱えているのかどうかは、それほど強い関心があるほうではなかった。しかし、「アノニマス」という言葉は、アルコール依存症者の自助グループのひとつ、AA（アルクホリック・アノニマス）でも、使われるように、生きづらさを抱えている人たちのキーワードのひとつでもある。また、インターネットでは「アノニマス」という言葉は使われる。両方をイメージする言葉として、書名に「アノニマス」を使ったのだ。<br /><br />●「生きづらさ」という言葉を使うようになった理由<br /><br />　もともと、私が「生きづらさ」という言葉を使った理由は、ある摂食障害の自助グループ的な掲示板で出会い、取材をさせてもらった女性が、<br /><br />　「私って、生きづらさ系だよね」<br /><br />　といったことがきっかけだった。当時、インターネットのコミュニティでは、「●○系」とカテゴリ分けをするのが流行っていた。たとえば、「自殺系」や「自傷系」、「精神系」、「メンタル系」、「メンヘル系」といった言葉は使われていた。のちに、「出会い系」という言葉も登場したりする。<br /><br /><br />　************続きを読む場合は<br />　<a href="http://magazine.livedoor.com/magazine/21" target="_blank">BLOGSメルマガ 渋井哲也の 「悩み、もがき。それでも...」</a>
 
</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/hampen1017/entry-11152096194.html</link>  
      <pubDate>Wed, 01 Feb 2012 14:04:07 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>【メルマガ】東京から電車で行ける津波被災地【週刊石のスープ】</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 週刊 石のスープ<br />定期号［2012年1月19日号／通巻No.23］<br /><br />今号の執筆担当：渋井哲也<br /><br />　昨年の震災直後から精力的に被災した各地を取材している渋井哲也さん。３月１５日に電車で宇都宮に行き、翌１６日に車で水戸を取材しました。さらに１９日、津波被害で死傷者の出た千葉県旭市で取材をしたそうです。<br />　引きつづき、当時の取材について振り返ってもらいました。<br /><br />＊　　＊　　＊　　＊　　＊　　＊<br /><br /><br />■旭市は震災直後、東京から電車で行ける津波被災地だった<br /><br />　２０１１年３月１９日。私は、関東で唯一、津波による死亡者（死者１３人）が出た千葉県旭市飯岡地区に行くことにした。<br />　前回の記事（２０１１年１２月１日号）で取り上げた上野～宇都宮間と同様に、東京駅からすでに電車が運行可能な状態だった。そこで、ＪＲ総武本線の旭駅まで電車で行くことにした。茨城県のＪＲ水戸駅まではまだ開通していない時期だったため、東京圏からは唯一、電車で行ける津波被害の地域が旭市だったということになる。<br />　この日は、社会福祉の業界紙「福祉新聞」の記者と同行していた。<br /><br />　旭市は、銚子市の手間に位置している。犬吠埼の西側であり、地形としては、ややくぼんでいる。その辺りに飯岡漁港がある。この漁港には、少しだけ縁があった。新宿ゴールデン街でバーのオーナーをしている知人の父親が所有する漁船があったが、津波によって陸に揚げられたという。私が行った１９日にも、何隻も漁船が陸に打ち上げられているのを目撃した。<br /><br />　ＪＲ旭駅に着く。電気も普通に通っているし、地震被害があるようにも見えない。小さな駅改札口を抜けると、そこには小さめのロータリーがあり、タクシーが並んでいた。特に「被災地」という印象はない。電車の利用者も「被災」しているイメージがまったくない。駅前は通常の生活そのままだった。<br />　駅から津波被害のある飯岡地区は遠いのだろうか。タクシーに乗って、運転手に聞くことにする。地元のタクシーなら、どこが被災地か一度くらいは見ているはずだ、と思ったのだ。<br /><br /><br />※この後の記事（小見出しのみ紹介）<br />■津波被害の現場を初めて目撃する<br />■サポートする側のサポートは？<br />■絆というけれど<br />●○●○●　最近の被災地　○●○●○<br /><br /><br />つづきは、有料メルマガ「週刊 石のスープ」のバックナンバーをご購読ください。<br /><br />メールマガジンの登録申し込みは「まぐまぐ」から<br /><a href="http://www.mag2.com/m/0001339782.html" target="_blank">http://www.mag2.com/m/0001339782.html<br /></a>
 
</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/hampen1017/entry-11143470631.html</link>  
      <pubDate>Mon, 23 Jan 2012 02:25:16 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>2012年になりました</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 　2012年となりました。昨年は、どの報道機関も、3月11日の東日本大震災、それに伴う東京電力・福島第一原子力発電所事故が１０大ニュースの１位にあげられていたと思います。流行語大賞も「絆」となるなど、震災関連のニュースが多かった年でした。2012年も震災や原発事故に関連したニュースが引き続き報道されることでしょう。<br /><br />　私自身も3月15日から取材を始めました。昨年末までにおよそ１４０日間、岩手、宮城、福島、茨城、千葉、埼玉、長野のどこかの被災地に行き、取材をしました。被災者の方々には、とても辛い状況だったにもかかわらず、取材にご協力いただき、ありがとうございました。<br /><br />　その一部は、例えば、<br /><br /><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=18382473" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">3.11　絆のメッセージ/被災地復興支援プロジェクト<br /><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51fILmfjolL._SL160_.jpg" border="0" /></a><br />￥1,050<br />Amazon.co.jp<br /><br /><br />　<a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=18382472" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">自由報道協会が追った3.11/自由報道協会・編<br /><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/41C3Ke1pPyL._SL160_.jpg" border="0" /></a><br />￥1,470<br />Amazon.co.jp<br /><br /><br />　になっています。ニコニコ生放送（<a href="http://live.nicovideo.jp/watch/lv48037704?ref=ser" target="_blank">カメラが震えた！ジャーナリストが撮った原発と被災地</a>、<a href="http://live.nicovideo.jp/watch/lv75328130?ref=ser" target="_blank">フリージャーナリストが“みた”震災復興の光と影</a>）でも出演させていただきました。<br /><br />　Business Media 誠でも<a href="http://kensaku.itmedia.co.jp/bizmakoto.html?q=東日本大震災ルポ・被災地を歩く" target="_blank">「ルポ　東日本大震災：被災地を歩く」</a>を連載しています。News cafeというサイト（PCでは読めません）でもコラムで、震災関連を取り上げています。また、通信業界の業界紙「電経新聞」でもリレーコラム「POINT OF VIEW」の１人として執筆し、震災時に、通信はどのように活用されたのかも書きました。<br /><br />　今年も引き続き、東日本大震災関連、東京電力・福島第一原子力発電所事故関連の取材が多くなると思います。被災地で取材に協力していただいた方、誠にありがとうございました。<br /><br />　一方、震災関連以外でも、昨年はたくさんの人にお世話になりました。東京都の青少年健全育成条例の改正がされ、表現規制が強化されました。それに伴い、たくさんの人の話を聞き、お世話になりました。<a href="http://live.nicovideo.jp/watch/lv40026299?ref=ser" target="_blank">ニコニコ生放送</a>でも取り上げていただきました。<br /><br />　ライフワークとなっている「生きづらさ系」の問題も引き続き、取材させていただったり、執筆させていただたり、講演をさせていただいています。最も注目を浴びていたものとしては、秋葉原事件がありましたが、昨年、東京地裁で死刑判決がくだされました。結局、被告の思いがまったく見えない裁判だったのですが、少ない情報の中から読み解くしかありませんでした。<br /><br />　2012年もいろいろなニュースが出てくるとは思います。その中で取材したいものを取材し、読み解く作業は続いていきます。今年もよろしくお願いします。
 
</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/hampen1017/entry-11126341679.html</link>  
      <pubDate>Wed, 04 Jan 2012 13:14:46 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>【東日本大震災】原発事故被害ペット飼い主の会</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 　東京電力・福島第一原子力発電所（1F）の事故を受けて、1Fから２０キロ圏内は「警戒区域」に設定されています。警戒区域内の住民たちは、事故の日（３月１２日）、避難指示が出て、分けも分からず、着の身着のまま、避難するしかありませんでした。なかにはペットと離ればなれになってしまう人たちもいます。そこで、警戒区域内に置き去りにされてしまっているペットの飼い主を中心に、「原発事故被害ペット飼い主の会」(ブログは<a href="http://ameblo.jp/genpatupet-kainusinokai/" target="_blank">「原発事故被害ペット飼い主の会」</a>、Twitterのアカウントは、<a href="https://twitter.com/#!/GenpatuPetKai" target="_blank">GenpatupetKai</a>）が作られました。<br /><br /><br /><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20111229/12/hampen1017/b7/42/j/o0800060011701338926.jpg"><img src="http://stat.ameba.jp/user_images/20111229/12/hampen1017/b7/42/j/t02200165_0800060011701338926.jpg"  alt="$てっちゃんの生きづらさオンライン＠Ameba" border="0" /></a><br /><br /><br />　呼びかけ人の女性の１人は、双葉郡富岡町に住んでいました。３月１１日の地震直後、富岡２中の体育館に避難しました。そのとき、猫２匹は一緒じゃありません。無事は確認しましたが、そんなに長く離ればなれになるとは思っていませんでした。<br /><br />　翌12日の朝、避難命令が出ました。川内村に避難するようにと言われたのです。このとき、すでに１０キロ圏内の避難命令は出ていましたが、多くの富岡町民は知らされていませんでした。そのため、「すぐに帰ってくるから大丈夫」と思い、猫を一緒に連れて行きませんでした。このときからペットとの離ればなれの生活となるとは思っていませんでした。<br /><br />　ちなみに、1Fの立地町である大熊町と双葉町では、茨城交通のバスが用意されて、集団で避難することになります。一方、隣接町の富岡町ではバスは用意されたものの、原則的には、住民達は自分たちで避難することになったのです。<br /><br /><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20111229/12/hampen1017/e3/e5/j/o0800106711701338925.jpg"><img src="http://stat.ameba.jp/user_images/20111229/12/hampen1017/e3/e5/j/t02200293_0800106711701338925.jpg"  alt="$てっちゃんの生きづらさオンライン＠Ameba" border="0" /></a><br /><br />　この女性が飼っていた猫はいったいどうなったのでしょうか。警戒区域と設定される前の４月、立ち入り制限区域だったために立ち入りはできました。その歳、１匹は見つけることができました。しかし、見つけることができません。１０月の一時帰宅の際にも猫を探しましたが、猫はいません。４時間の滞在で、２時間近くは猫を探し、猫の名前を呼び続けたそうです。<br /><br />　これまでも県庁で１人で行き、ペット救出の要請をしたこともあるといいます。しかし、県側は「伝えておきます」というだけで、対応はしません。そこで団結して訴える必要を感じたのです。<br /><br />　「県外に出たいというのが本心ですが、猫もいる。『あのときはごめん』と言いたい。でも、戻って来れなくなるとは思っていなかった。飼い主の中には、猫がいないということで、寝込んでいる人もいるんです。社会問題にしないと助かるものも助からない。最後の一匹がみつかるまで活動を続けたい」<br /><br />　２０１１年１２月に第一回の会合を、南相馬市原町区と郡山市で開いています。２０１２年１月にも会合を開くことを予定しています。<br /><br /><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20111229/12/hampen1017/42/ef/j/o0640048011701338924.jpg"><img src="http://stat.ameba.jp/user_images/20111229/12/hampen1017/42/ef/j/t02200165_0640048011701338924.jpg"  alt="$てっちゃんの生きづらさオンライン＠Ameba" border="0" /></a><br /><br />　<br />　写真はすべて、会の関係者からの提供です。<br /><br />　12月27日のニコ生<a href="http://live.nicovideo.jp/watch/lv75328130" target="_blank">「フリージャーナリストが“みた”震災復興の光と影～震災成金、復興デリヘルからセシウム米、津波差別まで～」</a>でも、写真を紹介しようと思っていたのですが、時間がなく、終わりに少しだけ触れただけで終わってしまいました。<br />
 
</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/hampen1017/entry-11120335948.html</link>  
      <pubDate>Thu, 29 Dec 2011 11:50:40 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>【東日本大震災】フリージャーナリストが“みた”震災復興の光と影　27(火) 開場:21:50</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 <a href="http://live.nicovideo.jp/watch/lv75328130" target="_blank">フリージャーナリストが“みた”震災復興の光と影～震災成金、復興デリヘルからセシウム米、津波差別まで～　　2011/12/27(火) 開場:21:50 開演:22:00</a><br /><br /><br />2011/12/27(火) 開場:21:50 開演:22:00<br /><br /><br />大手メディアが一切報じない“事実”が<br />被災地にはまだまだあった。<br />フリージャーナリストが包み隠さず語る90分間。<br /><br />なかなか進まぬ被災地の復興。<br />復興の裏で見え隠れする【光】と【影】。<br />今、被災地で起きていることとは、一体何なのか！？<br /><br />まず、【光】。<br />キラキラ輝くネオンの街に増え続ける復興デリヘル嬢。<br />満室で一切予約の取れない被災地沿岸のホテル。<br />バブルの再来？大忙しの不動産業者。<br /><br />一方、【影】。<br />誰にも知られていない北海道の“被災者”。<br />地震被災者が津波被災者を差別？津波差別問題。<br />仮設住宅は入れない、学校通えない、仕事ない。被災者の生活困窮。<br /><br />これだけではない、隠され続ける事実。<br />3.11以降、現地を取材し続けるフリージャーナリストをお招きし、<br />これまでユーザーのみなさんが知らなかった、<br />決して“表のメディア”では明るみにならない被災地を<br />赤裸々に語りつくします。<br /><br />【出演者】※敬称略<br />●渋井哲也（ジャーナリスト）<br />●上垣喜寛（ジャーナリスト）<br />●村上和巳（ジャーナリスト）<br />●増子瑞穂（司会・アナウンサー）<br />●亀松太郎（ニコニコニュース編集長）<br /><br />【ハッシュタグ】<br />「#nicohou」「#jishin」 「#復興」を使用ください。<br /><br />ニコニコニュース公式アカウント<br />@nico_nico_news<br />
 
</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/hampen1017/entry-11118591778.html</link>  
      <pubDate>Tue, 27 Dec 2011 14:26:08 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>【東日本大震災】「釜石の奇跡」と呼ばれた釜石東中学校。そのかげで地域では犠牲者が多かったーー1</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 ●「釜石の奇跡」と呼ばれた学校<br />●児童生徒は助かったが、地域では犠牲者が多かった<br />●避難場所ではない「防災センター」<br /><br />　東日本大震災から９ヶ月目の12月11日、 岩手県釜石市の釜石東中学校の生徒たちは、釜石高校体育館で開かれた「かまいしの『第９』」に参加した。市民参加で行われているもので、今年で３４回目。釜石東中学校の参加は５年ぶりで３回目。震災前から参加が決まっていた。平野憲校長は「だからこそ、歌うことができてよかった」と考え深そうに話していた。生徒たちは「緊張した」と言いながらも、大きな晴れ舞台を満喫していた。会場に貼られた東中生徒からのメッセージは「絆」の言葉があった。そのほか、「もう被災者ではない」と、被災当時の全国からの支援に感謝しつつも、次のステージに進もうとしている生徒もいた。<br /><br /><br /><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20111213/07/hampen1017/7b/a4/j/o0800053311668873090.jpg"><img src="http://stat.ameba.jp/user_images/20111213/07/hampen1017/7b/a4/j/t02200147_0800053311668873090.jpg"  alt="$てっちゃんの生きづらさオンライン＠Ameba" border="0" /></a><br /><br /><br />●「釜石の奇跡」と呼ばれた学校<br /><br />　3月11日の東日本大震災に伴う津波で校舎が被災した釜石東中学校。津波の高さは15.4m（東中近くの崖・遡上高）にも及んだ。しかし、生徒たちは全員走って避難して、無事だった。津波教育を担当してきた平野美代子教諭は「地震があったあと、生徒が校庭に集めってきていた。そんな中で、職員室の方から『津波が来るぞ』との声が聞こえたんです。そのため、津波がくる前提になり、走って逃げることにした」と話す。<br /><br /><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20111213/08/hampen1017/75/70/j/o0800053311668876015.jpg"><img src="http://stat.ameba.jp/user_images/20111213/08/hampen1017/75/70/j/t02200147_0800053311668876015.jpg"  alt="$てっちゃんの生きづらさオンライン＠Ameba" border="0" /></a><br /><br /><br />　教員たちは津波対策として、高台に逃げることを教えていた。そのために、１キロ近く離れた高台にあるデイサービスセンターまで逃げ出した。隣の鵜住居小学校でも、中学生が走って逃げるのを見て、釣られるように走って逃げることになった。途中で中学生と小学生が手をつないで逃げる様子はのちに話題となった。結果として、小学生と中学生は助かった。ただ、欠席していた生徒は亡くなった。津波教育が徹底していた影響で児童生徒が助かったことは「釜石の奇跡」とも呼ばれた。<br /><br />　「ただ、あとで分かったことですが、欠席していた生徒は病院にいたんです。地震があったときに、親友のケータイにメールをしていたようです。携帯電話は学校への持ち込みを禁止しているために、そのメールを親友が読むことはありませんでした。その携帯は家とともに津波に流されました。あとでデータを復旧してみると、欠席していた生徒からのメールがあったというのです。そこには地震直後のメールがあったのです。もし、そのときメールを見ることができたら、避難を促せたと、その生徒は後悔していたようです」（平野教諭）<br /><br />続きは、<a href="http://magazine.livedoor.com/magazine/21/archive " target="_blank">BLOGOSメルマガ「渋井哲也の悩み、もがき。それでも....」</a><br /><br /><br /><br /><br />
 
</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/hampen1017/entry-11105571778.html</link>  
      <pubDate>Tue, 13 Dec 2011 07:49:05 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>【オウム真理教事件】オウム真理教事件の前と後では、若者たちはどう変わったのか？</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 　最高裁第一小法廷（金築誠志裁判長）は、一、二審で死刑とされたオウム真理教元幹部・遠藤誠一被告（51）の上告審判決が11月21日に言い渡されました。この判決で、教団の関連事件で起訴された計189人の刑事裁判がすべて終結しました。<br /><br />　この判決前、共同通信からインタビューをされました。テーマは、「オウム真理教事件の前と後では、若者たちはどう変わったのか？」です。インタビューは11月10日、新宿区内の喫茶店で行われました。このインタビューの結果は、21日から配信される連載記事で反映されました。ただ、インタビュー時間は3時間にも及びました。記事にすべてが反映されるわけではないために、このメルマガでは、インタビューの起こしを配信します。<br /><br /><br />　ーー　オウム事件前と後で、若者の生きづらさは変わったのか？<br /><br />　変わらないのは、誰とどうつき合っていいのか？という悩み。ただ、社会背景は変わったと思う。<br /><br />　オウム事件前後は心理学ブーム、精神分析ブーム、新興宗教ブーム、自己啓発セミナーブームだった。たとえば、秋葉原事件の加藤などはすがるものがなかった。一応、二次元にすがったり、インターネットの情報にすがった。しかし、コミュニケーションがうまくいくか、いかないで相当変わってしまうようになった。<br />　オウム事件の頃は、コミュニケーションがうまくとれなくても、先輩後輩という縦のつながりや、友人関係という横のつながりがまだあり、コミュニケーションの善し悪しが決定的な差を産まなかった。今は、コミュニケーションの善し悪しが相当影響するにようになった印象がある。<br /><br />　例えば、mixiやTwitterを見てみても、マイミクやフォロワー数を気にする人がいる。ちょっと前は、撮ったプリクラを貼るプリ帳があった。また、携帯のアドレス帳に何人登録されているのかを気にしていた世代が、どんどん年代を重ねて来ている。かといって、何百人いるからといっても、その人たちとどんなコミュニケーションをしているのかという内容は別の話のはず。しかし、いま、マイミクやフォロワー数が多いことが、人気があるという勘違いをする人もいる。本当は、信頼されているから数が多くなるわけでもない。ネタになるから、フォローをする人もいる。必ずしも、数＝人気の指標ではない。にもかかわらず、勘違いをする人もいる。反応が多いから関心があるわけでもない。にもかかわらず、信頼があると思いたがる。逆に、反応がないから関心がない、人気がない、と思ってしまう傾向もある。その極端な形が加藤だったとも言える。<br /><br />ーー　コミュニケーション・ツールが変わって来た？<br /><br />　ネタになるかならないかが、相当大きなものになる。<br /><br />ーー　それはオウム事件後、組織なものがなくなってきたから？<br /><br />　オウムの時代は、よくも悪くも、それまでの学生運動の流れをくんでいた。例えば、先輩から後輩に向けて、「こんな本を読めばいい」というような上下関係の文化があった。このころがサークル活動の終焉の時代だった。この後のサークル活動で、上下関係の中で受け継がれるものがなくなってきた。<br />　僕がオウム世代とすれば、そうしたサークルがギリギリあった頃。僕が入っていたサークルは、そうした上下関係の文化はあった。しかし、そうしたサークルは珍しかった。「そんなサークルなんて、怪しい」と言われてしまっている頃だった。先輩が後輩に受け継ぐことを拒否した世代です。その世代は、受け継ぐという発想をしない。誰かに強制することをしない。上の世代がやってきたことを受け継ぐなんて暑苦しいと思っていた。僕らも、下の世代には同じように受け継ぐことをしなかった。<br /><br /><br />続きは、<a href="http://magazine.livedoor.com/magazine/21/archive " target="_blank">BLOGOSメルマガ「渋井哲也の悩み、もがき。それでも....」</a><br /><br />　　インタビューは３時間のために分割しています。一回の配信で３０分の長さを配信しています。<br /><br />
 
</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/hampen1017/entry-11094257348.html</link>  
      <pubDate>Thu, 01 Dec 2011 02:56:30 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>オウム後</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 アメンバー限定公開記事です。
 
</p>]]></description>  
      <link>http://secret.ameba.jp/hampen1017/amemberentry-11086941405.html</link>  
      <pubDate>Wed, 23 Nov 2011 15:59:01 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>【講演会】「生きづらさが伝えるメッセージ～いじめ、虐待、家出～」</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 第3回 横浜カメリアこころの講演会のお知らせ<br />　平成23年11月20日（日）、開院より毎年行なってきました横浜カメリアこころの講演会も今年で3回目を迎えます。今年度は「トラウマと生きる～生きづらさを生きやすさに変えていく手立て～」と題し、一般市民の方に向けた講演会を開催いたします。<br />　基調講演は、「生きづらさが伝えるメッセージ～いじめ、虐待、家出～」とし、ジャーナリスト･ノンフィクション作家である渋井哲也氏に、雑踏の中で若者が抱えている生きづらさの現状をお話しいただきます。<br />　パネルディスカッションでは、「トラウマと生きる～生きづらさを生きやすさに変えていく手立て～」をテーマに、各関係者が登壇します。パネリストには、虐待などによりトラウマを抱えた子どもの生活を支え治療も行なう大村椿の森学園園長の中島喜伸氏、トラウマ治療の第一線で活躍し、当院医師でもある白川美也子氏、基調講演に引き続き渋井氏がそれぞれの立場から討論をいたします。<br />　今回の講演会を通して、生きづらさを抱える人々に対しての周囲の理解やサポートの必要性、本人が孤立しないために連携することの重要性など、皆様と共に考えたいと思います。<br /><br />■日時：平成23年11月20日（日） 13時～16時（開場12時30分）<br />■会場：県民共済みらいホール<br />JR根岸線「桜木町」駅下車徒歩約3分<br />横浜市営地下鉄「桜木町」駅下車徒歩約4分<br />みなとみらい線「みなとみらい」駅下車徒歩約5分<br />チラシをダウンロード （PDF:0.62MB）<br />事前のお申込みをおすすめいたします。<br />タイムスケジュール<br />12：30	開場<br />13：00	開会・開会挨拶<br />13：10	基調講演「生きづらさが伝えるメッセージ～いじめ、虐待、家出～」<br />演者　渋井哲也氏<br />14：10	休憩<br />14：25	パネルディスカッション・質疑応答<br />「トラウマと生きる～生きづらさを生きやすさに変えていく手立て～」<br />16：00	閉会挨拶・閉会<br />■講演者およびパネリスト紹介<br />渋井 哲也(しぶい てつや)　ジャーナリスト，ノンフィクション作家<br />1969年、栃木県生まれ。93年、東洋大学法学部卒業。長野県の地方紙「長野日報」社を経て、フリーライターの活動を開始。2001年、東洋大学大学院文学研究科教育学専攻博士前期課程修了。「生きづらさ」のほか、インターネット・コミュニケーション、少年事件、ネット犯罪、自傷、自殺、援助交際などについて取材を続けている。主な著作に「3.11　絆のメッセージ」（東京書店、共著）、「自殺を防ぐためのいくつかの手がかり」（河出書房新社）などがある。<br />公式ブログ「てっちゃんの生きづらさオンライン(shibutetu.jugem.jp)」<br /><br />白川 美也子(しらかわ みやこ)　横浜カメリアホスピタル　精神科医<br />1989年、浜松医科大学医学部卒。同大学精神科教室に入局後、独立行政法人国立病院機構天竜病院、国立精神･神経医療研究センター、昭和大学精神医学教室などを経て、現在医療法人カメリア横浜カメリアホスピタル精神科医。主に女性･子どものトラウマ治療にあたる。訳書に、『トラウマを乗りこえるためのセルフヘルプ・ガイド』（河出書房新社）などがある。<br /><br />中島 喜伸(なかじま よしのぶ)　大村椿の森学園　園長<br />1999年、九州東海大学（現：東海大学）農学部卒業。大学卒業後は職･住居等を転々としながら生活。その後、約2年間、児童自立支援施設に非常勤職員として住み込みで就労。2003年、社会福祉法人カメリア情緒障害児短期治療施設大村椿の森学園にて児童指導員を経て現職。<br /><br />宮田 雄吾(みやた ゆうご)　横浜カメリアホスピタル院長　精神科医<br />1993年、長崎大学医学部卒業。同大学医学部精神神経科に入局後、長崎県立大村病院、佐世保市立総合病院等を経て、平成12年4月より医療法人カメリア大村共立病院で勤務。その後、同院副院長、「大村椿の森」園長を経て、現職。主な著書に『14歳からの精神医学(日本評論社)』などがある。<br /><br />■お申込方法<br />下記の必要事項をご記入の上、以下のメールアドレスに送付ください。<br />【必要事項】<br />1. 氏名（団体名）　2. 代表者　3. 参加人数　4. メールアドレス　5. TEL<br />【送付先】 E-mail：yokohama@camellia.or.jp<br /><br />■お問い合わせ<br />ご不明な点等ございましたら、下記までご連絡ください。<br />E-mail：yokohama@camellia.or.jp<br />TEL：045-958-0205<br />
 
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      <link>http://ameblo.jp/hampen1017/entry-11083662325.html</link>  
      <pubDate>Sun, 20 Nov 2011 02:53:32 +0900</pubDate> 
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      <title>2011年11月11日～12日の福島第一原発同行取材（外国プレス代表取材）の映像</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 　11月11日～12日、東京電力・福島第一原発の細野原発事故担当大臣の視察への同行取材（外国プレス代表取材）の映像です。<br /><br />　取材に同行が許可されたのは、細野氏の取材を主に担当する内閣記者会常駐１９社と、地元福島県内のテレビ、新聞７社、海外メディアの代表取材記者の計３６人。フリーやインターネットメディアは「人数に制約がある」などとして対象から外されたていた。<br /><br />　この映像は、「メディア・カルテル」に関心がある新月通信社代表でイランの国際衛星放送PressTV日本支局長のマイケル・ペンさんより、「記者クラブに所属しないフリーランスの記者限定で無償提供」を受けたものです。<br /><br /><br />　「Foreign Press Pool / The Shingetsu News Agency」<br /><br /><iframe width="560" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/rRGqiu4IyFg" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>
 
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      <link>http://ameblo.jp/hampen1017/entry-11080125098.html</link>  
      <pubDate>Wed, 16 Nov 2011 13:24:46 +0900</pubDate> 
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