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  <channel> 
    <title>PAGES D'ECRITURE</title>  
    <link>http://ameblo.jp/cm23671881/</link>  
    <description>フランス語の勉強のために、フランスの雑誌 Le Nouvel Observateur や新聞の記事を日本語に訳して掲載していました。たまには、フランス語の記事と関係ないことも書いていました。病気療養中のため中止を経て、一時再開しましたが、もうしばらく休止します。</description>  
    <language>ja</language>  
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    <item> 
      <title>【番外編】入院しました…</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 と書いたのが<a href="http://ameblo.jp/cm23671881/entry-10775435925.html" style="font-weight: bold;">2011年1月21日</a>
。<br />

<br />

当時は生命の危機は脱したものの、退院の見込みが立たず、腐っていました。<br />

<br />

1週間たった1月28日は、1週間続いた絶飲食から解放され、まともに食事ができるようになって、退院の希望も見えてきた頃でした。当然、その後に訪れる大震災のことなど、予想もしていませんでした。<br />

<br />

それから1年、入院時に全く疑われもしなかった別の疾患により半永久的な「闘病生活」に入ることとなったとはいえ順調に経過しており、今のところ、再び入院するような事態に陥る可能性はありません。それどころか、単純に血液検査だけ受ければ、健康人と変わりありません。入院する可能性よりも、入院を経ずして突然死亡する可能性の方が高い今日この頃ですが、残された人には迷惑でも、本人には痛くもかゆくもありませんので、あしからず。<br />

<br />

<br />

<br />

更新できていませんので、生存証明の代わりです。<br />

<br />
 
</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/cm23671881/entry-11148532825.html</link>  
      <pubDate>Sat, 28 Jan 2012 17:42:01 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item>
      <title><![CDATA[PR: 風邪ひいた？]]></title>
      <link>http://rss.rssad.jp/rss/ad/MB.wl7pZYSP9/omzdjMi1rR_r?type=2&amp;ent=5a7738610790137c7374fe4e98cf02e4</link>
      <description><![CDATA[<table cellspacing="0" cellpadding="0"><tbody><tr><td align="left" valign="center"><a href="http://rss.rssad.jp/rss/ad/MB.wl7pZYSP9/omzdjMi1rR_r?type=2" target="_blank"><img alt="" style="border: 0;" border="0" src="http://rss.rssad.jp/rss/img/MB.wl7pZYSP9/omzdjMi1rR_r?type=3&ent=5a7738610790137c7374fe4e98cf02e4"/></a></td></tr><tr><td align="left" valign="top" > 朝飲めば昼飲まなくても大丈夫！新コンタックかぜ総合 </td></tr></tbody></table><div style="font-size:10px;"><span style="padding-top:5px;"><br style="display:none"/><a href="http://www.rssad.jp/trendmatch/trendmatch.html">Ads by Trend Match</a></span><br/></div>]]></description>
      <pubDate>Sat, 28 Jan 2012 17:42:01 +0900</pubDate>
    </item>
    <item> 
      <title>CORINNE LEPAGE　『核の真実』　第1章</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 2011年9月30日の　<a href="http://ameblo.jp/cm23671881/entry-11033929368.html" style="font-weight: bold;">CORINNE LEPAGE : LA VÉRITÉ SUR LE NUCLÉAIRE　序文</a>


　以後も、この日本国民に捧げられたこの本、『核の真実：禁じられた選択』の日本語訳が出版される気配はありません。<br />


<br />


とりあえず、自分の勉強のために訳していたものを、順次掲載していくことにします。<br />


<br />


著作権はあくまでも、原著者と出版社(Albin Michel)にあることをお断りしておきます。<br />


<br />


<span style="text-decoration: line-through;">このブログの管理者の「遺作」、あるいは「絶筆」となることでしょう。</span><br style="text-decoration: line-through;" />


<br />


今回は第1章です。<br />




<div><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20110731/23/cm23671881/e0/0c/j/o0480064011386496487.jpg"><img width="220" height="293" border="0" src="http://stat.ameba.jp/user_images/20110731/23/cm23671881/e0/0c/j/t02200293_0480064011386496487.jpg" alt="PAGES D'ECRITURE-LA VERITE SUR LE NUCLEAIRE" style="clear: both; float: right;" /></a>


</div>


<br />


<br />




<p style="line-height: normal; margin: 0cm 0cm 0pt;" class="MsoNormal"><b><span style="font-family: &quot;Arial&quot;,&quot;sans-serif&quot;; font-size: 24pt;">CORINNE LEPAGE <br />


</span></b></p>




<p style="line-height: normal; margin: 0cm 0cm 0pt;" class="MsoNormal"><b><span style="font-family: &quot;Arial&quot;,&quot;sans-serif&quot;; color: red; font-size: 28pt;">LA VÉRITÉ SUR LE NUCLÉAIRE <br />


</span></b></p>




<p style="line-height: normal; margin: 0cm 0cm 0pt;" class="MsoNormal"><b><span style="font-family: &quot;Arial&quot;,&quot;sans-serif&quot;; font-size: 24pt;">Le choix interdit </span></b></p>


<br />


<br />


<br />


<br />




<p class="MsoNormal" style="line-height: normal; margin: 0cm 0cm 0pt; font-weight: bold;"><font size="5"><span style="font-family: &quot;Century&quot;,&quot;serif&quot;; font-size: 12pt;">1. Après Fukukshima <span>&nbsp;</span></span></font></p>


<span style="font-weight: bold;">第1章. フクシマ以後　　</span>（原著13ページ）<br style="font-weight: bold;" />


<br />


<br />


　2001年9－11以前と以後があったように、2011年3－11以前と以後があるだろうし、既にある。日本の大参事に由来する地球規模の心的外傷は、チェルノブイリのそれとは性質が異なる。たとえいくつかの点で、二つの事件が比較され得るとしても。何よりもまず、特に70年代のフランスで、民生核計画が開始されたとき、事故が起こる潜在的可能性という問題は最初から除外されていたということを繰り返しておこう。なぜ潜在的可能性なのか？　なぜならそのような事故の影響は余りにも悲劇的、余りにも不可逆的であるために、それが起こる可能性だけでも耐えられないように見えたからであり、実際に常にそう見えるはずだからである。一つの事故という単純な仮説はしたがって、公理の基盤から退けられたと、ラスムッセン・レポート (rapport Rasmussen ) は言う。つまり事故は3万5千年ごとにしか起こり得なかったと。別の言い方をすれば、一切の危険は存在していなかったというわけだ。<br />


<br />


<br />




<p style="line-height: normal; margin: 0cm 0cm 0pt;" class="MsoNormal"><i><span style="font-family: &quot;Century&quot;,&quot;serif&quot;; font-size: 12pt;">Des accidents en série <span>&nbsp;</span></span></i></p>


<span style="font-weight: bold;">一連の事故</span>　　　（原著16ページ）<br />


<br />


　1970年代の終わり、私がこの愚かさに反対して立ち上がっていた、未来予想雑誌 Futuribles の編集部での非常に激しい論争を思い出す。この時代に既に、複数の事故が起こっていた。1957年にロシアのMayak、1957年にイングランドのウィンズケール Windscale、そして1969年にサン＝ロラン＝デ＝ゾー Saint-Laurent-des-Eaux で。ここでは影響は限定的だったが、炉心内で5つの燃料棒の溶融を伴う重大事故になるところだった。最も重大で最も秘密にされている、1968年のショーズChooz（シャンパーニュ・アルデンヌ県）の事故を加えなければならない。これは数時間にわたる貫通管（サーマルスリーブ）の分解と炉心支柱全体の破断を引き起こしていた 。以上4件の事故は極秘のままにされていた。存在するフランスと英国の発電所からの放射性廃棄物が、英仏海峡で密かに、現在は消失してしまっている複数のドラム缶 の中で作られていた時代に、重水関連部門の放棄を正当化することを目的とした、サン＝ロラン Saint-Laurent の事故を除いて…　第5の惨事、スリーマイル島のそれは1979年、あらゆる分野において安全性の最先端にあると名高い国、アメリカ合衆国で起きた。しかし大惨事は回避され、この事故は、核事故の（INES）の評価尺度 でレベル5に分類された。3件の重大なトラブルが再び、サン＝ロラン、ショーズとブレイエ Blayais で起きた。我々はもう少しで悲劇に直面するところだったが、幸いにもそれは避けられた。しかしながらこれらの事故は、原子力発電所の安全性が基づいている危険性調査の極めて重大な欠陥を既に証明していた。ところが我が国では、発電所の数が多く、非常に分散している 。<br />


<br />


　1986年のチェルノブイリとは事情は明らかに別であった。しかし、広く人的原因によるこの事故は、世界の核産業によって、権威主義的であると同時に官僚主義的な世界、当時のソビエト連邦の世界における十分に信頼できない技術のせいにされた。言外の意味は、世界で最も信頼できる技術を備えた民主主義諸国にある発電所では、このような事故は起こり得なかったということである。そのような説明は、フランスが選んだPWR とは異なるロシア型のRBMK 型発電所が、たとえPWRのような格納容器を備えていなかった としても極度に頑丈であったという点で、部分的には不正確である。それでもこの種の宣伝が技術面には十分に有効であったことに変わりはない。<br />


<br />


<br />




<p class="MsoNormal" style="line-height: normal; margin: 0cm 0cm 0pt;"><i><span style="font-family: &quot;Century&quot;,&quot;serif&quot;; font-size: 12pt;">Les conséquences <span>&nbsp;</span><span>&nbsp;</span></span></i></p>


<span style="font-weight: bold;">影響</span>　　（原著18ページ）<br />


<br />


　もちろん、衛生面と環境面の問題が残っている。この点で、ソビエト当局による大惨事の管理の有効性は恐るべきものだった。一切の疫学的研究も、爆発という事実によって汚染され（そして／または）死亡した人々への一切の追跡調査も企画されなかったような条件で行われたからだ！　IAEA (AIEA)、国際原子力機関と、見かけ上さらに驚かされるが、WHO（OMS）、世界保健機関は、この主題について信頼できる情報を手に入れられるような体制を整えたりしなかった。その上、ソビエト連邦の消滅、そしてチェルノブイリの影響がベラルーシ、ウクライナとロシアに分割されたことにより、悲劇の結果を正確に評価することは非常に困難になった。直接の当事者がそれを避けるためにあらゆることを実施しただけになおさらである。このことが、チェルノブイリの死者の数を32人と評価するほどまでに行き着く、当局とIAEAが閉じこもった否定の理由である。この不正は余りにもひどかったために数日後には推計値は4000人まで引き上げられた 。1986年から1990年までに、消火のため、石棺を建造しそれを維持するために80万人、そう80万人もの作業員 が交替してきたことを単純に思い出そう。アレクセイ・ヤブロコフ、ワシーリ・ネステレンコとアレクセイ・ネステレンコの記念碑的書物、『チェルノブイリ、住民と自然に対する大災害の影響』 は、汚染された地域で実地に行われた研究に関わる数百本の科学論文と欧州諸国の医学統計の集成をまとめて、この悲劇を生々しく描写している。チェルノブイリの影響は、様々な度合いで、至る所で見ることができる。被害者の推定される人数 は2005年に90万人を超えるまでに増加していた 。<br />


<br />


　2006年4月18日、グリーンピースはベラルーシ、ウクライナ、ロシアの60人の科学者によって制作された報告書を発表した。これはある程度の曖昧さを含むものの、ロシア、ベラルーシ、ウクライナで2001年に確認された死者が20万人であると結論付けている。同報告書はさらに、将来にわたって、10万近くの致死的な例を含めて、25万を超えるガン患者が大惨事によって発生するであろうと述べている。この数字は常に異議申し立てを受けかねない。しかし1986年以来、あらゆる機関によって、衛生的損害が絶えず上方修正され続けているのが真実である。2000年4月、国連事務総長だったコフィー・アナンは被害を受けた人々が700万人であるという数字を引用した 。そしてこう付け加えた、「…700万を超える我々と同じ人類が、忘れることもできないままでいる。彼らは今もなお毎日、15年前に起こったことの影響に苦しんでいる。本当にチェルノブイリの遺産は我々を追いかけるのを止めていない、我々と何世代にもわたる我々の子孫を。」　その間に、200万人の子どもたちが治療を必要としており、重篤な疾病を発症する人々の本当の数が明らかになるのは、早くても、2016年以降である。　「人数は増えるしかない」と、国連人道対話センター事務局長、マーティン・グリフィス Martin Griffiths はWHOの会議の際に、1995年から予測していた。<br />


<br />


　これらの被害者たちは放射線に関連した病気に苦しんでいる。白血病、大腸がん、肺がん、膀胱がん、甲状腺がん、乳がん…　放射線被曝はさらに、罹患率（疾病の発生率）を悪化させる。心臓血管疾患（1平方キロ当たり5から15キュリーのセシウム137で汚染された一部の地域では、小児の80％までもが心疾患の症状に苦しんでいる）、肝臓、腎臓、甲状腺の疾患、免疫機構の損傷…　子宮内で被曝した子どもにおける知的発達の停止も確認される。同様に白内障、遺伝子変異、先天奇形、神経系の奇形、水頭症、等 々も。最も影響が重いのは、汚染された地区で暮らす現在の子どもたちの状況である。例えば、30キロ以上離れた所にあるイワンコフ地区では、5600人の子どものうち、チェルノブイリの被害者の認定を受けていないのは僅か40人に過ぎない 。<br />


<br />


<br />


　この現実にもかかわらず、2011年3月末まで、保健領域であれ、環境に関してであれ、チェルノブイリに関連した影響は全くなかったと信じさせておくために、核関連の機関、特にIAEAによって、あらゆることが実行されていた。それでも、現地での影響を測定しようとする壮大な努力が、真の英雄たちの手によって成し遂げられた 。2002年、ベラルーシの政令が汚染された地域の146の市町村から放射線防護のあらゆる権限を奪っていた。チェルノブイリの子どもたちベラルーシ les Enfants de Tchernobyl Bélarus を含む、多数の団体が2000以上の放射能測定に資金援助することになる。核のロビー が実に幅広く隠すことに成功したのは、これらの全ての作業である。IAEAとWHOは、25年を経て全てが解決したかのように思い込ませることで、ロシアの大惨事の影響に夜のとばりが下りるように試みた。それは嘘であり、更なる嘘である、といのは、広大な地域が永久に汚染されたままであり、異常な子どもを世に送り出し、あるいはガンに苦しむという不安を考慮すると、何世代もの人々が自らの人生が犠牲になったと感じるからである。そして死者の数は結局、現在も発電所が常にもたらす危険を考慮することなく、一つの未知数として残る 。慈悲深くも情報操作と形容され得るが、ほぼ確実にずっと暴力的な言葉が使われるに値するはずのこの政策は、その効果を生んだ。そもそも何でも同じようなものだとして、フランスでのチェルノブイリの放射能の雲の通過に関する虚偽の情報拡散のオーケストラの指揮者である、ピエール・ペルラン Pierre Pellerin 教授 に対する遅かった調査が、国家の嘘を明るみに出した。たとえ事実が古いとしても、核のロビーには司法の真実が確立されることは耐え難い。証拠は？　検事局すなわち司法省が、科学者に…免訴 を申し立てたことである。政治スキャンダルに、司法のスキャンダルが加わりかねない。<br />


<br />


　不幸にも我が国をはじめとして、特定の国家に支持されて、この危険性の通俗化は欧州人が核発電所と隣り合って生きることに慣れさせたばかりでなく、複数の新興国が核産業に「転向する」ことにも貢献した。そうした努力は、太陽にあふれ、しばしば技術的・人的下部構造を全く持たない国々が、進歩の象徴にして先進工業国との平等への近道として提示された原子力発電所を備えたいと激しくそそのかされるほどだった。ダフィのリビアだけでなく、湾岸諸国、サハラ諸国までもが働きかけを受けた。長老ヴデルVedelが指摘したように、北極で熊に毛皮のマントを着せるようなものだ！　たとえ核による電力がエネルギー総量の2％を占めているにすぎないとしても、中国では核計画は相対的に多い。インド、韓国の方はといえば、既にこのエネルギーに加わっている。さらに、イランが最もよい例だが、少なからぬ国々が、軍事核に移行することを期待して、民生核に興味を示している。<br />


<br />


<br />




<p class="MsoNormal" style="line-height: normal; margin: 0cm 0cm 0pt;"><i><span style="font-family: &quot;Century&quot;,&quot;serif&quot;; font-size: 12pt;">Depuis Fukushima <span>&nbsp;</span></span></i></p>


<span style="font-weight: bold;">フクシマ以来</span>　（原著26ページ）<br />


<br />


　フクシマは、特に我が国のような国で、状況を完全に変える。実際、この大惨事は、高い技術水準を持つ、リスクが何であれそれに対する防御の文化を非常に大きく進展させてきた、民主的な国で起こっているのである。<br />


<br />


　最初の影響は疑いようもなく、核の恐怖が戻ってきたということである。土壌と海の実に強い汚染と、大気汚染の広がりを理由に、この恐怖は日本全体を支配した。当局は、発電所から20キロと30キロの間に住む13万人の住民に、脱出するか自宅に退避するかを勧告した。30キロメートル？　それは、ビュジェー発電所とリヨンの街の距離よりも5キロメートル短いだけだ。IAEAは発電所から40キロメートルのところで測定されたヨード131とセシウム137の沈殿物の分析を実施した。結果は？　これらの水準は、避難を決定するための「実際的な基準」を超える放射能を示している。現実にはセシウムによる汚染は40キロメートルをはるかに超えて広がっている。ベラルーシでセシウム137に汚染された全ての子どもたちが重い病にかかったこと、そして今もかかっていることを繰り返しておこう。その間に、日本の当局は避難区域をさらに広げなければならない。しかしどこまで？そしてどのようにするのか？　海洋環境もまた非常に汚染されている（通常よりも4385倍高いヨード濃度 ）。局地的には、農産物はそれでも販売され続けていて、汚染濃度は通常よりも30倍から50倍高い。食品に関して許容可能な放射線の水準は日本政府によって直ちに引き上げられた。水についても同様に。<br />


<br />


　今や漠然とした不安が地球の一部に広がっている。まず、大惨事の際の人間的連帯を呼び起こした放射能の雲の通過を理由として。それだけでなく、我々が自身と同一視する、自分自身の国土に閉じ込められた数百万の日本人に対する共感によって。<br />


<br />


　この恐怖が大きければ大きいほど、技術の破綻は明らかに見える。少なくとも二つの理由で。<br />


<br />


　一つは、この大参事が起こったという事実そのものが、あらゆる危険を免れる技術という幻想を重く問い直すからである。たとえ日本が受けた津波の極度の激しさのために、この自然災害の背後に核の技術の欠落を隠そうと試みることを核のロビーに許すとしても。<br />


<br />


　いつものように、悲劇の一週間後にクロード・アレーグルは、次のように断言するという惨めな試みにより物笑いの種になった。「核と発電所の安全に関する限り、この事件が終息しあらゆる情報を入手できるようになったときには、もちろんあらゆる有益な結論を引き出さなければならないが、日本の発電所に起こった事故は地震そのものではなく津波の結果であると念を押しておくことが相応しい。 」<br />


<br />


　もう一つは、核のロビーにとっての最初の緊急課題が、工程と現在有効な施設、規制と制度の「完璧な」質の制御というフィクションを維持することだったからである。ところが、大災害の管理と、原因に関する最初の情報の公表は、そのようなものではなかったことを証明した。実際、そのとき支配していた、そしてこの行を書いている今もなお支配している、即興の間に合わせは、予め備えていなかったためにこのような事態を管理できないシステムの無能さを証明している。以来、フクシマによって問い直されているのは、関連産業全体による、危険の評価と管理そのものである。<br />


<br />


<br />




<p class="MsoNormal" style="line-height: normal; margin: 0cm 0cm 0pt;"><i><span style="font-family: &quot;Century&quot;,&quot;serif&quot;; font-size: 12pt;">De graves dissimulations <span><br />


</span><span>&nbsp;</span></span></i><span style="font-weight: bold;"><br />


重大な隠蔽</span>　（原著29ページ）<br />


</p>


<br />


　危険の評価における大きな欠陥はまず、不正、隠蔽と、要するに管理の不在に由来していた。<br />


<br />


　1974年、田中光彦は、福島第一原子力発電所の第4号原子炉の圧力容器の日立による建設を監督していた。2年半の期間に及ぶ製造工程の最終段階で、一つの技術的過誤から圧力容器内壁の歪み生じた。この欠陥は、安全性の要求が優先していたなら、不完全な圧力容器を犠牲にすることにつながったはずだ。その代わりに、田中は欠陥を隠すやり方で容器を加工し直すよう命じられた。後に、この技術者は後悔した。そしてチェルノブイリの事故の後、核産業を去った。1988年、田中はフクシマの圧力容器の問題を通商産業省に指摘した。その後、この話を『原発はなぜ危険か』と題された本で語った。3月11日の地震の瞬間、4号炉は停止中だった。「この4号炉は真の時限爆弾だった」と田中は見る。「地震の瞬間にこれが作動中だったら何が起こっていたか、誰が知っているだろうか？ 」　この技術者はニューヨークタイムズに次のように断言した。「この原子炉は入れ替えるべき時に来ていた。いずれにしても津波は大きな損害をもたらしていた。しかし配管、機械類、コンピューター、原子炉全体が古くなっていて、役に立たなかった。」<br />


<br />


　この発電所を経営していた、災いをもたらす企業、TEPCOは、冷却システムに関連した一部の装備を検査しなかったことを認めた。それらが今、どうしようもなく不足している。さらに、日本の核技術者たちの『 J’accuse  （私は告発する）』は、これらの発電所の設備が明らかに非常に不十分な基準によって、さらには相当な軽薄さで造られたことを強調する。というのは、例えば、配管類は埋設されずに、地表に設置されたりしていたからだと。さらに重大なことに、TEPCO自身、自らが行った監査の結果をごまかしていたことを認めたのだ。これは、自然に由来する大惨事以上に、自称絶対的安全性が紙の上のものに過ぎなかったことを証明している。<br />


<br />


　TEPCOは2010年11月、新潟工科大学で『日本の原子力発電所のための津波の評価』と題する論文を発表していた。この研究は、津波の危険性を受ける原子力発電所の完璧な安全性を証明することを目的としていた。そこで利用されていた高度に科学的なシミュレーションの方法により、フクシマでの津波の最大波高を5.7メートルとする推定が導かれていた。防護壁が建築されたのは、この根拠に基づく。3月11日、波はより高いところに達した。たとえ、大惨事をうまく「正当化する」ために発表されたような14メートルではなかったとしても。しかしながら、一部の専門家はその前に危険性を強調していた。2006年から、地震学者の石橋克彦は政府と核の専門家に、日本の原子力発電所が地震に対して脆弱過ぎると警告していた。しかし方針に沿わない専門家は排除されるか…聞き入れられないかである。傲慢さは決まり事であり、行き着くところまで行く。というのは、2011年2月、日本の安全当局は福島第一の1号炉の稼働許可を十年後まで更新したばかりだったからである。非常用発電装置の欠陥が知られていたにもかかわらず。この物語の続きは誰もが知っている。<br />


<br />


　しかしこの悲劇を日本の、ましてやたった一つだけの企業の欠陥のせいにすることは、単純化し過ぎすぎと言えよう。破綻したのは、国際的な規制、監督と基準の制度そのものである 。フクシマの機能不全は確かに、日本で設置され実施されているような規制システムの根本的な誤りに由来する。しかし核の安全性の規制システムは、許容可能な線量の水準に関しても、危険と事故の定義あるいは評価と監督の手続きに関しても、国際的であり、世界水準で承認された多数の実定法を通して採用されている。これらの規制は日本でもヨーロッパでも同じであり、核の安全体制は普遍的であり、それゆえに、国内の規制主体は困難な状況を管理し情報を交換するために全体として協同で作業することができる。ジョン・ラージ John Large によると、真実はフクシマの事故はシステム全体の損傷であるということであり、このことは、その普遍的性質ゆえにこの破滅的欠陥が、同一または類似した条件下では合衆国にも、連合王国にも、…あるいはフランスにも起こりかねないことを意味する。要するに、原子炉がある所ならどこででも。なぜなのか？　実に単純に、リスク管理体制が、一つのリスクが受け入れ可能で耐えられるかどうかを判断することを許す、蓋然性の分析に基づいているからである。それができるためには核システムの作動条件の欠陥が受け入れ可能か否か、すなわち取ることができるリスクに対応しているかを、決定しなければならない。<br />


<br />


　ある深刻な損害の危険性が統計的に起こりえず、想像を絶していると見なされれば、対策や追加の安全システムを考えることは無駄である。典型的な例は、タイタニックを沈没させることのできる氷山のことさらにあり得ない性質である。<br />


<br />


　ところが、フクシマで立て続けに起こった事件は明らかに、全面的に考慮の余地なしと見なされていた。そのために、バックアップの特別な措置は無条件に無視されていたのである。<br />


<br />


　近くの庭で拾い集めたようなバケツから、塩水を4基の原子炉の上空で撒く数機のヘリコプターに象徴される、事故後の状況管理の完璧なまでの即興劇の理由がそこにある。バカバカしく見えたほどに恐るべき措置であり、それはすぐに断念された。<br />


<br />




<p style="line-height: normal; margin: 0cm 0cm 0pt;" class="MsoNormal"><i><span style="font-family: &quot;Century&quot;,&quot;serif&quot;; font-size: 12pt;">Une sécurité plus que contestable <span>&nbsp;</span></span></i></p>


<span style="font-weight: bold;">この上なく疑わしい安全性</span>　　（原著33ページ）<br />


<br />


　それ以来、この体制に与えられた信頼の大部分を世論が失いつつあるとしても、どうして驚くことがあるだろうか？　安全性の文化は重く問い直され、当局は新たな危険性の分析を要求することしかできない。しかし全ての原子力発電所は同じ危険性評価のモデルに基づいて考案されており、したがってその大部分は恐らく、真の抵抗性検査に対応できない。打ち砕かれるのは、技術に対する確信である。核産業の技術者と首謀者たちの確信、傲慢から来ているかのように感じられる確信と同様に。格納容器内に放射性物質を閉じ込める能力も、不安を和らげるような物言いにもかかわらず、事実によって絶えず否定され続けている。というのは、依然としてその規模を明らかにする必要のある汚染が、今や日本の北部に、海にも陸にも存在しているからである。現実はなかなか終わらない。<br />


<br />


　フクシマの第三の影響は、我々が…欠陥だらけと形容する情報を与えられた後に自らの運命の中に打ち捨てられた犠牲者に対する、相対的な無関心である。以来、全般的な不信が長期間に根を下ろすことは避けられなかった。<br />


<br />


<br />




<p class="MsoNormal" style="line-height: normal; margin: 0cm 0cm 0pt;"><i><span style="font-family: &quot;Century&quot;,&quot;serif&quot;; font-size: 12pt;">Le mythe <span>&nbsp;</span></span></i></p>


<span style="font-weight: bold;">神話</span>　　（原著34ページ）<br />


<br />


　実際、絶対的安全というドグマ、本当は神話だが、がなければ民主主義的国家に核産業が存在することはできない。それでも、その言説が不可侵だった核の帝国が建設されたのは、このリスク・ゼロ神話の背後でだった。安全性がこのようなものだったのだから、どんな事故も検討され得なかった。30年近く前から我々に押し付けられてきた情報操作の規模を実感するには、「フクシマにEPRがあったら、状況がどうであれ、環境への漏出はなかった」とまで敢えて断言するロヴェルジョン女史の声明にまで至る、専門家と大企業経営陣の作り事をこの観点から読み直せば十分だ。<br />


<br />


　フクシマが最初に問い直すこととは？　まさしくこの安全神話であり、この核産業と国家の、危機的状況を制する能力である。その論理とは？今からすぐに、核エネルギーに頼ることをめぐる議論を始めることである。実際、より現実主義的な、新しい言説がかなり頻繁に姿を現し始めている。すなわち、事故は起こり得る、しかしそれは、この代えがたい安価なエネルギーに有利になされてきた集団的選択の、避けられない代償である、ということだ。<br />


<br />


　20年以上前、ビロー・セリュスクラ報告 rapport Biraux-Sérusclat が次のように記していた。「数の区分（フランスの核の保有数は、52基の加圧水炉を含めて57区分になる）と稼働年数区分（平均して20年）を関連付けると、炉心溶融の蓋然性は数パーセントになる」！　これが一つの情報である。これは我々の誰もが、そのような大惨事を生涯の間に経験するということを意味するのだ。2011年4月20日から22日までにキエフで開催された、核の安全に関する国連会議の際に、IRSN（放射線防護核安全研究所）局長、ルピュサール氏は、重大事故（大惨事とは言わないまでも）の危険性を原子炉1万基中年間1件と見積もるという几帳面さを示した。450基の原子炉が存在するから、危険性は25年毎に1件の事故ということになる。<br />


<br />


　国際専門家委員会とは異なる、ロシア、ベラルーシ、ウクライナの専門家の独立委員会 を1989年から1993年まで率いていたワシーリ・ネステレンコの筆からも、この国際委員会が『チェルノブイリ国際計画』と題された文書で、この事故が有意な影響を及ぼさなかったと断言していたことを、我々は知ることができる。<br />


<br />


　さらに素晴らしいことに、IAEAの元原子力安全部長、モリス・ローゼン Moris Rosen はあえて次のように断言していた。「たとえこの種の事故が毎年起こったとしても、私は核が有利なエネルギーであると考える 。」　事故が考えられないものと想像するか、反対に、毎年、さらには10年か20年毎に起こる事故に耐えられると認めるかによって、問題提起の仕方が全く異なることは言うまでもない。したがって、性質を変えるのは論争そのものである。なぜなら考えられないことが、あり得ることまたは確実なことになったからである。人類は選択が一部の人によってなされたこと、その選択が巨大で犯罪的な賭け、良くても嘘に基づくことに気付いている。<br />


<br />


<br />


　情報操作の手段が今もしかるべき場所にあるとしても、新しい伝達手段、独立した計測と社会ネットワークは鉛の外套の維持を以前よりも難しくする。そもそも、どのような人民があのような大きさの危険を受け入れる覚悟があるというのだろうか？<br />


<br />


　したがってフクシマから期待される大変動は、核にとってだけでなく、より広範に、核産業の技術者と同じくらい傲慢で自己満足している専門家によって安全であるかのように我々に紹介されてきた全ての技術にとって、かなり大きなものとなる。独立していると自己紹介するこれらの専門家がしばしば、直接または間接的に彼らに報酬を与えるロビーの代弁者に過ぎないだけになおさらである。我々はしたがって、全般化した信頼の危機に取り組まなければならなくなろうとしている。<br />


<br />


<br />


<hr />著作権は原著者と出版社に帰属します。<br />


<br />


なお、原注は省略します（この章の原注にはかなり衝撃的な内容が含まれているため、改稿する機会があれば適宜挿入するかもしれません）。訳注は適宜本文中に挿入します。<br />


<br />


<br />


次回、第2章以降の掲載は未定です。<br />


<br />


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<br />


<br />
 
</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/cm23671881/entry-11112564915.html</link>  
      <pubDate>Fri, 30 Dec 2011 03:21:59 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>Trois mois après la tragédie d’Oslo オスロの悲劇から3か月</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 「3か月」というタイトルにもかかわらず、現実には7月22日のノルウェーの事件から、既に5か月が経とうとしています。これはひとえに私の怠慢と不調のせいであります。<br />
<br />
7月26日の　<a style="font-weight: bold;" href="http://ameblo.jp/cm23671881/entry-10966158862.html">喪に服すオスロは自らの価値観に忠実であり続けようとする</a>
　と9月11日の　<a target="_blank" style="font-weight: bold;" href="http://ameblo.jp/cm23671881/entry-11015068081.html">Norvège : la bonne réponse ノルウェーの優れた答え</a>
　というエントリーで取り上げた以上、いずれは何らかの形で再び取り上げる必要があると考えていましたが、2か月近くも遅れてしまいました。<br />
<br />
週刊誌 Le Nouvel Observateur の2011年10月27日-11月2日（通巻2451）に掲載された　<span style="font-weight: bold;">Trois mois après  la tragédie d’Oslo</span> （オスロの悲劇から3か月）という記事で、「ノルウェーで最も人気がある作家」、Anna B. Ragde さんへのインタビューです。<br />
<br />
<br />
<h1 style="margin: 0cm 0cm 0pt;"><i><span style="font-family: &quot;Arial&quot;,&quot;sans-serif&quot;; color: red; font-size: 14pt;">Les débats de l’Obs </span></i><i><span style="font-family: &quot;Arial&quot;,&quot;sans-serif&quot;; color: red; font-size: 12pt;"><br />
</span></i></h1>
<p align="left" style="text-align: left; margin: 0cm 0cm 0pt;" class="MsoNormal"><b><i><span style="font-family: &quot;Arial&quot;,&quot;sans-serif&quot;; font-size: 28pt;">Trois mois après <br />
la tragédie d’Oslo <span>&nbsp;</span><br />
</span></i></b></p>
<p align="left" style="text-align: left; margin: 0cm 0cm 0pt;" class="MsoNormal"><b><span style="font-family: &quot;Arial&quot;,&quot;sans-serif&quot;; color: red; font-size: 12pt;">PAR ANNA B. RAGDE<span>&nbsp;</span><br />
</span></b></p>
<p> <font size="3" face="Century">&nbsp;</font><br />
</p>
<span style="font-family: &quot;Arial&quot;,&quot;sans-serif&quot;; font-size: 12pt;">L’écrivain le plus populaire de Norvège publie un nouveau roman et revient sur la tragédie du 22 juillet, le modèle social-démocratie et les problèmes d’immigration de son pays</span><br />
<br />
（ノルウェーで最も人気のある作家が新しい小説を出版し、7月22日の悲劇、社会民主主義モデル、そして自国の移民の問題を振り返る）<br />
<br />
<br />
<i><span style="color: rgb(255, 0, 0);">Le Nouvel Observateur</span> <b>Neshovの三部作となるあなたの小説、『 la Terre des mensonges （嘘の大地）』は、人口がせいぜい500万人の国で50万部が売れました。リクスマル賞（ノルウェーのゴンクール賞）を受賞し、21か国語に翻訳されて、世界中で数百万の読者を得ました。あなたの国で最も人気のある小説家であることは、特別な責任を与えますか？　</b></i><br />
<b><span style="color: rgb(0, 191, 255);"><br />
<div><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20111218/22/cm23671881/5b/5c/j/o0250036211679876390.jpg"><img border="0" style="clear: both; float: left; width: 76px; height: 109px;" alt="PAGES D'ECRITURE-ANNA B. RAGDE" src="http://stat.ameba.jp/user_images/20111218/22/cm23671881/5b/5c/j/t02200319_0250036211679876390.jpg" /></a>
</div>
<br />
Anna B. Ragde</span></b> はい、まさにそのとおりです。人々は作家が言うべきことに耳を傾けます。私の小説が必ずしも政治的に正しくはなくても、社会の問題について公に言及することを求められれば、深く考えます。ノルウェーの社会民主主義はもはや20年前と同じではありません。この国では、人口に対して世界で最も高い割合で百万長者がいます。社会民主主義の理想に強く根差した、アイデンティティーの感情の恩恵に我々がまだ浴しているとしたら、その理想を守るために、そしてある種の社会的平等を保つために闘う必要があります。我が国は、文化の混合を比較的受け入れにくい、若い国民国家です。非常に欧州的なデンマークという隣国と異なり、根本的に、我々は世界にあまり開かれていない、農民の国です。そして、自らの文化的、言語的伝統を一緒にもたらす移民にノルウェー人が直面した時には、移民を拒絶する傾向にあります。そもそも、私の父も古い農家の出身でしたが、ノルウェーでは1日でおよそ10の農地が消滅しています。今、農民は都市に居を構えに来ています。それは自然を保護し生態系の均衡を保たれるように監視することにとって問題となっています。<br />
<br />
<br />
<i><b>1940年のナチスの侵攻以来、ノルウェーは殆ど暴力を免れていました。しかし3か月前の7月22日、ノルウェー王国はウトヤの悲劇を経験しました。この国は今もショック状態にありますか？　</b></i><br />
<br />
はい、そしてずっとそのままでしょう、アンネシュ・ブレイビクが裁かれた後もずっと。毎日のように、マスコミはこのショック状態を助長する新事実を暴露します。捜査委員会は働いています。被害者は、弁護士や警察、政治家と同じように、日常的に自分の意見を表明しています。私たちはまだ起こったことを受け入れてはいません、そして今もなお、なぜ、そしてどうしてこのようなことが起こったのか自問しています。ブレイビクが精神分析を受けたことを知っています、そして彼の古い友人の中に、若い頃でさえ背徳的なものがあったと説明していた人がいました。彼は生まれつき悪人なのか？　悪人になったのか、もしそうなら、どのようにして？　これは変わらぬ論争です。2日前、複数の読者が新聞紙上で、この悲劇をめぐって作られたビデオゲームに対して強く抗議していました。ある人は次のように言うほどでした。「これに気付かないでいたら、戦争ゲームが自由に売られているということになる。人々はアフガニスタンで毎日殺し合っている。ノルウェーの子どもたちがコンピューターで戦争ゲームで遊んでいる時、彼らはどう考えるだろうか？」　そもそも、このウトヤに関するビデオゲームの作者がアメリカ人であることに気付くのは興味深いことですが。<br />
<br />
<br />
<i><b>アメリカでの9-11のように、7-23以前と以後というものがあるのでしょうか？　</b></i><br />
<br />
はい、その対照は明らかです。最初の数日間、人々は犠牲者に敬意を表してバラの花を手向けることで反応しました。この事件が我々は壊すことはない、我々は平和的な国家であり、憎悪に対して愛で答えると言っていました。突然、見知らぬ人々と話し合うことができるようになり、共に泣くことができるようになりました。悲劇は私たちを強く結び付けました。しかし、「私はこの男を憎む」と言うことがタブーにもなｒました。犠牲者の両親の中には恐らく、ブレイビクを八つ裂きにしたいという思いを表明したい人もいるでしょう。しかし私たちにはそのような憎悪を公に表明する権利はありません。私たちは全員、この暴力に対しては、それが二度と再び起こらないように、積極的思考で答えようとすることに合意していると見なされているのです。<br />
<br />
<br />
<i><b>あなたの姉（妹）は科学警察の専門官で捜査責任者の一人です。悲劇の間、警察はその有能性の欠如を非難されていました…</b></i><br />
<br />
警察官は、自由に使える手段を考慮すれば、可能な限り有能でした。政府は何年も前から安全予算を削減してきました。そして今は、手のひらを返そうとしています。警察官には、適合した船もありませんでした。ヘリコプターは、操縦士と整備担当者が休暇中で、節約のために交代要員もいなかったため、出動できませんでした。我が国はアメリカ合衆国から戦闘機を買うために何十億も支出してきましたあ、警察が自由に使えるヘリコプターのたった一機さえ配備できないのです。それでも私たちは、このブレイビクを行動に移る前に突き止めることができたとされる、ビッグ・ブラザー流の詮索好きな警察を望むことはありません。<br />
<br />
<br />
<i><b>ノーベル平和賞を授与するノルウェーは、失業のない豊かな国であり、北海の石油の恩恵を受け、世界最大の主権ファンド（5000億ドル）を保有しています。これほど平和で繁栄した国が、どうしてあのような「怪物」を産み出すことができたのでしょうか？</b></i><br />
<br />
その答えは、ブレイビクの人格、読書歴、着想の源の中に探し求めるべきです。彼はネットで批判的なブログを決して読まず、自分の確信を裏付けるものを吸収しただけでした。インターネットには多くの匿名のものがあり、匿名性は常に、人々が自らの中に抱く最悪のものを強調します。こうしてブレイビクは、ノルウェーがイスラム教徒によって侵略されようとしていて、誰も終わらせなければ、これから50年で我が国がイスラム化されてしまうと確信しました。悲劇の3日前、彼はテレビ・スターの一人に、間もなく自分が彼女よりも有名になると断言しました。この誇大妄想とパラノイアの混合が彼を、国を今から半世紀のうちにり渡そうとする政治家を殺害することで英雄になろうとさせたのです。<br />
<br />
<br />
<i><b>多文化主義とイスラムの脅威という観念に憑りつかれたブレイビクは、ノルウェー第二の政党である、進歩党(FrP)で8年間活動していました。</b></i><br />
<br />
FrPはブレイビク事件以来、少数政党になってしまいました。多くの加入者と資金を失いました。しかしかなり長い間、FrPにはブレイビクとほとんど同じ物言いをする、カルル・Ｉ．ハーゲンという指導者がいました。例えば、この国には余りにも多くのイスラム教徒がいる、我々はオスロの街でヒジャブを見たくない、というように。そして同党がその言説を穏健にしたとき、最も急進的な加入者は、「ノルウェー人のためのノルウェー」という言葉で要約される哲学を持つ自らのための小集団を形成するために、離党しました。ブレイビクもまた、FrPが自分の趣味から見て十分に過激でないと思ったために、同党を離れました。ブレイビク自身、オランダのゲエルト・ヴィルダースの讃美者だったように、ヨーロッパの至る所で見られる、この排外種劇的で大衆迎合的な潮流は、文化の恐怖と衝撃から生まれました。あなたがキリスト教徒であれイスラム教徒であれ、自らのアイデンティティーを宗教の上に築き上げることは常に危険です。<br />
<br />
<br />
<i><b>ノルウェーは過去15年間に多数の移民を経験してきました。移民の数は倍増し、現在では人口の10％を占めています。彼らはどのくらいノルウェー社会に同化しているのでしょうか？</b></i><br />
<br />
非常に良くありません。オスロは他のどの地域とも違っています。移民の大多数はオスロに住み着き、私たちはゲットーの地下kにいます。郊外の恵まれない地域には、見るに堪えない光景になっているところもあります。移民たちはノルウェー語を話さず、その子供たちは学校で挫折し、失業率は殊更に高く、女性たちは専業主婦として暮らしています。これらの地区には同化は実質的に存在しません。一方で、移民が僅かしかいない地区では同化が実にうまく行っています。人々は移民を歓迎し、彼らは非常に早く言語を習得し、両親がともに職を持ち、子供たちは実に早く溶け込みます。しかしオスロでは、移民たちは自分たちの輪に閉じこもります。スペインに行くノルウェー人のように。何年もの間FrPを率いていた、このハーゲンとやらは、今はスペインに住んでいますが、そこで彼は在外ノルウェー人の共同体から一歩も外に出ようとせず、せいぜい幾つかのスペイン語の単語しか話せません。自分は全ての移民にノルウェー語の習得を義務付けたがっていたくせに。おまけに、ノルウェーから自分の食料品を送らせることまでしています！<br />
<br />
<br />
<b><i>Propos recueillis par FRANÇOIS ARMANET </i></b> <br />
<br />
<span style="font-family: &quot;Arial&quot;,&quot;sans-serif&quot;; color: rgb(0, 176, 240); font-size: 10.5pt;"><strong>ANNA B. RAGDE</strong></span><strong><span style="font-family: &quot;Arial&quot;,&quot;sans-serif&quot;; color: rgb(0, 176, 240); font-size: 10.5pt; font-weight: normal;"> <br />
</span></strong><span style="font-family: &quot;Arial&quot;,&quot;sans-serif&quot;; font-size: 10.5pt;">née en 1957 en Norvège, est un phénomène littéraire dans son pays. Elle a publié en France les trois tomes de la trilogie de Neshov ainsi que « Zona Frigida », chez Balland. Elle sort cette semaine chez le même éditeur un nouveau roman, « la Tour d’arsenic », une saga familiale retraçant le destin de trois générations de femmes au siècle dernier. </span><br />
<br />
<br />
<b>Le Nouvel Observateur 2451 du 27 octobre au 2 novembre 2011</b> <br />
<br />
<hr /><br />
<br />
<br />
<br />
 
</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/cm23671881/entry-11112533286.html</link>  
      <pubDate>Tue, 20 Dec 2011 23:48:28 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>Camus et la peine de mort カミュと死刑</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 今月は全く記事を書いていなかったので、管理者の消息に疑問を持たれた方もいらっしゃるかもしれません（いないか）。とりあえず生きている証拠に、何の脈絡もない死刑制度に関する記事を載せておきます。<br />
<br />
週刊誌 le Nouvel Observateur の2011年9月29-10月5日（通巻2447）に掲載された、フランス共和国元法相ロベール・バダンテール氏による、 Camus et la peine de mort （カミュと死刑） という記事です。<br />
<br />
本文は Eve Morisi （エヴ・モリジ）著、『Albert Camus contre la peine de mort （死刑に反対するアルベール・カミュ）』という本に寄せられたバダンテール氏による序言です。原書ではこの序言はなぜか全文斜体で書かれていて、非常に読み辛いのですが、本誌では標準的な字体になっていて、この方が読み易かったと、個人的には思います。<br />
<br />
<br />
<h1 style="margin: 0cm 0cm 0pt;"><i><span style="font-family: &quot;Arial&quot;,&quot;sans-serif&quot;; color: red; font-size: 14pt;">Les débats de l’Obs </span></i><i><span style="font-family: &quot;Arial&quot;,&quot;sans-serif&quot;; color: red; font-size: 12pt;"><br />
</span></i></h1>
<p align="left" class="MsoNormal" style="text-align: left; margin: 0cm 0cm 0pt;"><b><i><span style="font-family: &quot;Arial&quot;,&quot;sans-serif&quot;; font-size: 28pt;">Camus et la peine de mort <br />
</span></i></b></p>
<p align="left" class="MsoNormal" style="text-align: left; margin: 0cm 0cm 0pt;"><b><span style="font-family: &quot;Arial&quot;,&quot;sans-serif&quot;; color: red; font-size: 12pt;">PAR ROBERT BADINTER<span>&nbsp;</span></span></b></p>
<br />
<br />
<p align="left" style="text-align: left; margin: 0cm 0cm 0pt;" class="MsoNormal"><span style="font-family: &quot;Arial&quot;,&quot;sans-serif&quot;; font-size: 12pt;">Voilà trente ans que Robert Badinter fit voter l’abolition de la peine de mort en France. A cette occasion, Eve Morisi publie un essai passionnant sur « Albert Camus contre la peine de mort ». Nous publions sa préface inédite <span>&nbsp;</span><span>&nbsp;</span></span></p>
<br />
<b>フランスでロベール・バダンテールが死刑廃止を可決させて30年になる。この機会に、エヴ・モリジが「死刑に反対するアルベール・カミュ」に関する、白熱させるエッセーを出版する。我々はその未公開の序言を公開する。</b><br />
<br />
<br />
エヴ・モリジに敬意を表そう。彼女の徹底的な研究、アルベール・カミュの人生とその作品に対する深い知識に、そして彼がカミュに示す共感に。エヴ・モリジは我々に、死刑に対するカミュの闘争の最も完成された研究を示してくれる。<br />
<br />
　私が闘争という言葉を使うのは意図的である。この旗の下に人間の自由と尊厳のために闘った若きレジスタンスにして論説委員に倣ってというだけではない。アルベール・カミュにとって死刑廃止のための闘いは永遠の闘争だったからでもある。死刑は彼の眼には常に、人権とは相容れない、「残酷で非人間的で下劣な」懲罰だった。それは現代における野蛮の持続のように彼には思われた。それはカミュが信じていた価値観の絶対的な否定であり、そして何よりもまず人生の絶対的な不可侵性である。彼は死刑に、手続きの形を踏んだ儀式の下に、正義の名において絶対的権限を以て冷静に執行される、死をもたらす暴力の究極の表出を見た。<br />
<br />
　死刑の拒絶が生涯を通じてアルベール・カミュの基礎的主題だったということは、このエヴ・モリジの本が証明している。その死から半世紀後、同時代の新しい世代に対して最も影響力のあった作家にしてモラリストであることが明らかになっているアルベール・カミュの伝記は数多く存在する。しかしながら、彼の死刑に対する絶えざる闘いが明るみに出されるには、この作品を待たなければならなかった。次のことをはっきりさせよう。アルベール・カミュはビクトル・ユゴーとともに、死刑廃止のための闘争において最も大きな役割を演じたフランスの作家である。1959年に記していたように、「未だになかなか訪れない真実の文明の日」を恐らくカミュが見ることはなかっただろう。しかし、その作品が共和国の学校に通った人々の心と精神に痕跡を残した、カミュなくして、そしてビクトル・ユゴなくして、死刑廃止のための闘いは同じ感情的力も同じ道徳的強さも呈していなかっただろう。死刑に反対する最も美しい文学作品が書かれたのが我が国であると気付くことは、フランスにおける死刑廃止の歴史の些細な逆説の一つではそもそもない。それでもやはり、我々が死刑を廃止した西欧の最後の国であるということに変わりはない。このことはフランス人が、時として主張するほどには文学に感受性がないことを証明することに向かうだろう。<br />
<br />
　したがってこの賛辞の中にビクトル・ユゴーとアルベール・カミュを結びつけることは望ましかった。実際、二人の間の平行線は心を揺さぶる。二人とも子どもの頃から、死刑に直面するという耐え難い心的外傷を経験していた。子ども時代のビクトル・ユゴーは、父親が戦争に散開していたスペインから帰国して、死刑台に連れて行かれる男に出会った。青年期、彼はグレーヴ広場で若い親殺しが処刑されるのを見た。その印象は彼の心から拭い去ることはできなかった。同様に、子ども時代のアルベール・カミュが処刑の恐怖の全てに慄くのは、オランの公園でのギロチンによる処刑から戻った父親を捉えた心の底からの不快感の物語を通してである。その恐怖は彼から去ることはなく、彼の作品を通じて繰り返されるのが分かる。『異邦人 l’Etranger 』にしても、『ペスト la Peste 』にしても、あるいは『最初の人間 Premier Homme 』にしても、ギロチンはユゴーと同じようにカミュの元で常に強迫的に存在している。<br />
<br />
　作品の分析と死刑に反対するアルベール・カミュの論拠以上に、私の目で見た最も重要なエヴ・モリジの寄与は、「身体を救う」、すなわち死刑囚の生命を救うためのカミュの闘いの綿密な紹介にある。そこでもまたビクトル・ユゴーとの対照が印象的である。有名な作家は、あらゆる地方で人間存在を死刑台から救い出す闘いに参加した闘志に変わったのだ。彼はその文学的栄光をこの闘争に捨てた。こうして彼はその行動の中で、死刑廃止論者としての確信と死の夜明けの不安に生きる不幸な人々との不滅の連帯の力を表現する。<br />
<br />
　ユゴーが、バルベスやパリ・コミューン参加者など、政治的急進主義を共有していなかった王殺しや革命家のためにそうしたように、カミュは自分が享受していた道徳的信頼を、レジスタンスで自らが闘っていた、処刑の恐れのある対独協力者のために利用した。例えば、フランソワ・モリヤック François Mauriac とポール・クロデル Paul Claudel に協力して1945年にロベール・ブラジヤック Robert Brasillach の恩赦を求める請願に署名する。彼は請願の発起人、マルセル・エメに、「私が何とも思わない作家のためではなく、私が全力で軽蔑する個人のためでもなく」行動するのだと書いている。なぜなら彼は「死刑宣告を常に恐れてきた」からだと。そしてカミュは付け加える、「少なくとも個人として、私は棄権によってさえそこに参加することはできないと判断した。」　さらに、1946年12月5日、彼は司法大臣、ピエール＝アンリ・テトジャン宛てに、ともに死刑を宣告されていた、対独協力のジャーナリストで辛辣な反ユダヤ主義者、リュシアン・ルバテ Lucien Rebatet とピエール＝アントワーヌ・クストー Pierre-Antoine-Cousteau のための恩赦請求を送る。「我々が自らの正当な遺恨を乗り越えることができず、この事件で正義が実現されたと評価して、正義ではなく、」彼らを「恥ずべきみじめな死」から助命することで「罪人に対する単純な同情を求めることができなければ、我々が擁護するものの優位性はどこにあるのか」。　二人ともオリオル大統領によって恩赦を与えられ、間もなく釈放される。11年後の1957年秋、カミュがノーベル文学賞を授与された時、ルバテは、「当時鎖につながれていた同胞を生かすという欲望と彼らの銃殺部隊を指揮しないという郷愁に引き裂かれた“闘争”の若き論説委員」に触れて、悪意に満ちた記事を発表する…　アルベール・カミュはこの談話に愕然とした。この予期せぬ出来事で、カミュの純真さかルバテの下劣さか、何が最も驚かせることかは知られていない。しかし何物も、処刑を称賛する近親者との対立も、救われた罪人の恩知らずぶりも、カミュを抑えることはできなかった。友人のジャン・グルニエへの手紙で、彼は記す、「全ての犯罪者には無実の部分がある。それがあらゆる死刑宣告を怪しからぬものにすることだ」、そして付け加える、「人間は完全に無実ではなく、完全に有罪でもない。どのようにしてそこから脱け出すべきか？」　<br />
<br />
　死刑囚を救うためのこの活動を、フランスでも外国でも、アルベール・カミュは生涯にわたって続けていくことになる。エヴ・モリジは彼の多種多様な働きを我々に生き生きと描写してくれる。フランコ独裁体制によって死刑宣告されたスペインの共産主義あるいは無政府主義活動家、1949年の内戦中のギリシャの知識人に関してであっても、植民地解放の瞬間の彼の闘いにおいてであっても。1954年3月、カミュはコティ大統領に、3人の警官を殺害したとして告訴された7人のチュニジア人の恩赦を求める。後に彼は、3人の死刑囚が銃殺されたが4人は助命されたと報道によって知ることになる。1954年12月、カミュはシャーの体制によって実行された簡易処刑に抗議する。1955年、英国の占領に対して反乱を起こしたキプロスの青年の処刑を未然に防ぐために『レクスプレス』誌に寄稿する。それは無駄に終わり、その青年は吊るされる。1957年10月、カミュは他の知識人と共同で、フランコ体制の軍事法廷で死刑が求刑されたカタロニア自治政府の社会主義者の元閣僚のために発言する。同じ時期に彼は、ベトナムのゴ・ディン・ジエム大統領に作家のホ・フン・タンの恩赦を求める。それは後に認められる。<br />
<br />
　アルジェリア戦争がアルベール・カミュにとって残酷な道徳的試練を意味したことは、誰もが知っている。彼は常に世界中の植民地主義と人種差別と闘ってきたし、本国人の無分別を非難してきた。しかし、アルジェリアの子どもであり、素晴らしい人物である教師のルイ・ジェルマンによって共和国の学校で教育を受け、ビュジョー高校の奨学生であり、左翼に政治参加したジャーナリストとして、彼は1940年にパリに着くために出生の地を去る。それでも深い結び付きによって彼が生涯アルジェリアに愛着を持ったことに変わりはなかった。彼にとって、アルジェリア戦争は真に同胞同士の殺し合いだった。1956年4月、紛争に対するフランス・アルジェリアの解決策を見出すことを助けるための彼の最後の試みは、ピエ・ノワール（アルジェリア在住・出身のフランス人）の敵意の叫びにぶつかっただけだった。FLNが実行する無分別なテロとフランス軍の一部の部隊が実行する流血の弾圧を前にして、彼が愛してやまなかった文盲のピエ・ノワールの母親の息子、カミュは、アルジェリアの反乱が実行していた流血のテロも、歴代のフランス政権が行い、フランスの名誉を傷つけていた犯罪的な弾圧も支持することができずに、最悪の道徳的苦悩を経験していた。1957年秋まで、彼は沈黙に逃避した。彼の態度を非難するアルジェリア人学生に答えたのは、ノーベル賞を受賞するために訪れていた、ストックホルムでだった。「この瞬間、アルジェの路面電車に爆弾が投げ込まれている。私の母もその電車の一本に乗っているかもしれない。それが正義だとすれば、私は母親の方を選ぶ。」<br />
<br />
　引き裂かれたカミュが公開討論で自らに課していた沈黙は、テロリズムによって有罪判決を受けたFLNの活動家に対してフランス当局が頼っていた死刑に対する受動性を意味してはいなかった。この著作の最も貴重な貢献の一つが、カミュと、アルジェリア人被告の弁護に取り組んだ一部の弁護士との間で交わされた書簡の公開である。アルベール・カミュの親しい友人、イヴ・ドゥシェゼル、ジゼル・アリミとピエール・シッブである。彼らの、そして他の人々の懇願に対して、カミュは常に手紙で答え、共和国k大統領ルネ・コティと国務院長ギー・モレに対する働きかけによって答えていた。時に恩赦が続いた。カミュの影響力が恐らくそこで寄与していたのだろう。しかしそれでもしばしば、この不吉な時代にアルジェのバルヴルッス刑務所の中庭ではギロチンが機能し続けていた。偉大なレジスタントにして高名な民俗学者で、カミュの友人である、ジェルメーヌ・ティヨンが関与した秘密交渉のおかげで、FLNによる襲撃と全く同じように、処刑は一時的に中断された。1959年1月、ドゴール将軍の政権への復帰後、FLNによって実行された新たな襲撃に続く死刑執行の再開を恐れるジェルメーヌ・ティヨンは、カミュに仲介を求める手紙を書く。作家は1959年1月11日、ジャン・ダニエルの序言に従って、ドゴール将軍に3人のアルジェリア人死刑囚の恩赦を懇願するために出向く。この恩赦は認められることになる。それは、アルジェリア人死刑囚のための将軍への、彼の唯一の仲介ではない。<br />
<br />
　このように、突然のそして早すぎる地上での存在の終わりまで、アルベール・カミュは死刑と闘うことを決して止めなかった。ビクトル・ユゴーのように、この闘いは彼の人生の縦糸全体を走る金の糸である。人間の生命を救うために彼の声が聞き入れられること、それが恐らくこの常に不安な魂にとって最も素晴らしい報酬であった。死刑に関する論争における、彼が生前に行使することができた影響力に関しては、直近の『ギロチンについての考察』の出版によって生まれた反響に関して1957年12月にストックホルムで質問されて、アルベール・カミュは単純に答えた。「さあ、不幸にして、何の論争も始まりませんでした…」　ついにアルベール・カミュの願いが叶い、死刑が我が国の司法から消えるまで、さらに四半世紀を待たなければならない。<br />
<br />
<br />
<b><i>ROBERT BADINTER </i></b><br />
<br />
<b>Le Nouvel Observateur 2447 du 29 septembre au 5 octobre 2011</b> <br />
<br />
<hr />だから何なのだ、と言われればそれまでです。<br />
<br />
こういった記事は、10月10日の世界死刑廃止デーにでも掲載すれば価値があったのでしょう。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
 
</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/cm23671881/entry-11092271625.html</link>  
      <pubDate>Tue, 29 Nov 2011 22:52:46 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>【番外編】ある意味闘病中</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 <br />



申し遅れましたが、1月に入院した時とは全く別の疾患により、7月初めより「闘病」しております。<br />



<br />



直ちに生命に影響はありません（笑）が、一日一日の検査値の異常（今は全て正常化しました）が数年後、（そんなに長生きするとは思えないが）数十年後に確実に身体を蝕んでいく、そのような病気です。具体的な疾患名はご想像にお任せします。<br />



<br />



今のところ、1日最低1時間は確実に治療に関する身体活動に充てる必要があり、必然的に当ブログ（の準備）に割く時間が減少することとなりました。<br />



<br />



今年に入って更新頻度が極端に減ったのは、前半が直ちに死ぬかもしれなかった病気とその後の療養のため、後半は「直ちに死にはしない（笑）」が放っておいたら確実に死ぬ（かもっと悲惨なことになる）疾患の療養のためということです。そして後者は多分、生きている間（か、諦めるか、国家体制が「金の切れ目が命の切れ目」を強制するまで）続きます。当ブログの更新には今後とも期待しないよう、よろしくお願い申し上げます。<br />



<br />



<br />



とはいえ、悪いことばかりでもなくて、47歳にして体内年齢は32歳、内臓脂肪レベル1、体脂肪率一桁、20歳の頃の体重、当時ですら突破できなかった胸囲3ケタまであと一歩、というような状態に、結果としてなることができました。腕時計のベルトと結婚指輪が緩くてかなわんのはご愛嬌ですが、人生、何が幸いするかわかりません。<br />



<br />



（上記の数値は↓の体組成計に基づくものです）<br />



<br />




<dl><dt><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=17576513" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">【送料無料】 TANITA/タニタ　【SDカードスロット・体組成計・体脂肪計付き】 体重計 「...<br />
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</dl>
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</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/cm23671881/entry-11061515826.html</link>  
      <pubDate>Fri, 28 Oct 2011 15:54:51 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>CORINNE LEPAGE : LA VÉRITÉ SUR LE NUCLÉAIRE　序文</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 前回の <a style="font-weight: bold;" href="http://ameblo.jp/cm23671881/entry-11031385865.html">CORINNE LEPAGE : LA VÉRITÉ SUR LE NUCLÉAIRE　裏表紙</a>

 に続いて、同書の序文を一応訳しておきます。<br />

<br />

<br />

<br />


<div><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20110731/23/cm23671881/e0/0c/j/o0480064011386496487.jpg"><img border="0" src="http://stat.ameba.jp/user_images/20110731/23/cm23671881/e0/0c/j/t02200293_0480064011386496487.jpg" alt="PAGES D'ECRITURE-LA VERITE SUR LE NUCLEAIRE" style="clear: both; float: right; width: 193px; height: 257px;" /></a>

</div>

<br />

<br />


<p style="line-height: normal; margin: 0cm 0cm 0pt;" class="MsoNormal"><b><span style="font-family: &quot;Arial&quot;,&quot;sans-serif&quot;; font-size: 24pt;">CORINNE LEPAGE <br />

</span></b></p>


<p style="line-height: normal; margin: 0cm 0cm 0pt;" class="MsoNormal"><b><span style="font-family: &quot;Arial&quot;,&quot;sans-serif&quot;; color: red; font-size: 28pt;">LA VÉRITÉ SUR LE NUCLÉAIRE <br />

</span></b></p>


<p style="line-height: normal; margin: 0cm 0cm 0pt;" class="MsoNormal"><b><span style="font-family: &quot;Arial&quot;,&quot;sans-serif&quot;; font-size: 24pt;">Le choix interdit </span></b></p>

<br />

<br />

<span style="line-height: 115%; font-family: &quot;Century&quot;,&quot;serif&quot;; font-size: 10.5pt;"><strong>Prologue</strong></span><span style="line-height: 115%; font-family: &quot;Century&quot;,&quot;serif&quot;; font-size: 10.5pt;">&nbsp;</span>（原著-p.11）<br />

<br />

<br />

　核はフランスにおいて広く禁忌とされた話題である。既定と見なされるフランスの世論 の支持に隠れて、核のロビーは長い間、議論は尽くされていると主張してきた。確かにフクシマの悲劇はこの問題に関する合意に少しひびを入れたが、決まり文句と半分の嘘がすぐに戻ってきた。例えば、空中の放射能の量はフランスでは広く秘密のままになっている。必然の帰結として、我々の産業への投資、我が国の予算、債務、財政、消費者と企業にとってのエネルギーの費用、フランス社会のあらゆる様相が、なされてきた選択によって影響を受けている。そのうえ、このエネルギーを信頼しようとする政府とサルコジ大統領の強情さ、さらには、この領域における我が国の自称優位性を擁護する執拗さには、安心させる要素は全くない。左翼が柔らかく異議申し立てするだけなのでなおさらである。それもそのはず。核の熱心な愛好家は、社会党にも、あるいは共産党にも、UMPと同じだけ数多くいるからだ。必要な公開討論はどこにあるのだろうか？<br />

<br />

　それが、無視された危険と隠された現実の国への旅にあなたを招待したいと私が思う理由である。正しい情報の時間、したがって、必要な現実認識の時間の後に、核についての真実に直面する瞬間が訪れるだろう。それから、三番目に、決定の時が。<br />

<br />

　フクシマが成す断絶（第1章）を理解した後、我々は「全て核」というフランスの選択の現実に（第2章から第7章）、次いでその財政と産業への影響（第8章から第10章）、最後に社会活動に関わる影響（第11章から第14章）に脅威を抱くだろう、事故の影響も含めて。その後、核後の社会への脱出のシナリオを描写する。<br />

<br />

<br />

<hr />著作権は、著者および出版社　Seuil に帰属するので、ここからの他のメディアへの直接の引用はご遠慮ください（誰もしないか）。<br />

<br />

<br />

<br />

<br />

<br />
 
</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/cm23671881/entry-11033929368.html</link>  
      <pubDate>Fri, 30 Sep 2011 16:08:20 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>CORINNE LEPAGE : LA VÉRITÉ SUR LE NUCLÉAIRE　裏表紙</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 8月1日の　<a href="http://ameblo.jp/cm23671881/entry-10972550615.html" style="font-weight: bold;">CORINNE LEPAGE : LA VÉRITÉ SUR LE NUCLÉAIRE</a>


　で言及した本、コリーヌ・ルパージュ Corinne Lepage 氏の　« La vérité sur le nucléaire – Le choix interdit » （『核に関する真実 - 禁じられた選択』）はその後も、日本で出版される気配がありません（多くのメディアで、『核の真実』と伝えられているので、今後はそちらに合わせます）。そうこうしているうちに、著者自身が福島を訪問されたりもして、ニュースにも一部取り上げられたようですが。<br />


<br />


裏表紙だけでも訳出しておきます。<br />


<br />
 

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<br />
<div><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20111006/13/cm23671881/ca/6d/j/o0480064011529278321.jpg"><img border="0" style="clear: both; float: right; width: 199px; height: 255px;" alt="PAGES D'ECRITURE-LAVERTITESURLENUCLEAIRE2" src="http://stat.ameba.jp/user_images/20111006/13/cm23671881/ca/6d/j/t02200293_0480064011529278321.jpg" /></a>
</div>
<br />
<br />




<p style="line-height: normal; margin: 0cm 0cm 0pt;" class="MsoNormal"><b><span style="font-family: &quot;Arial&quot;,&quot;sans-serif&quot;; font-size: 24pt;">CORINNE LEPAGE <br />


</span></b></p>




<p style="line-height: normal; margin: 0cm 0cm 0pt;" class="MsoNormal"><b><span style="font-family: &quot;Arial&quot;,&quot;sans-serif&quot;; color: red; font-size: 28pt;">LA VÉRITÉ SUR LE NUCLÉAIRE <br />


</span></b></p>




<p style="line-height: normal; margin: 0cm 0cm 0pt;" class="MsoNormal"><b><span style="font-family: &quot;Arial&quot;,&quot;sans-serif&quot;; font-size: 24pt;">Le choix interdit </span></b></p>


<br />


<br />




<p class="MsoNormal" style="line-height: normal; margin: 0cm 0cm 0pt;"><span style="font-family: &quot;Arial&quot;,&quot;sans-serif&quot;; font-size: 12pt;">Le nucleaire est un sujet tabou en France. Qu’il s’agisse de la sécurité des centrales, du coût réel de cette énergie ou des contraintes qu’elle fait peser sur notre démocratie, l’opacité règne. </span></p>


<br />


（核はフランスにおいてタブーとされている話題である。発電所の安全に関して、このエネルギーの実際の費用に関して、あるいは我々の民主主義にのしかかる制約に関して、不透明性が支配する。）<br />


<br />


<br />




<p style="line-height: normal; margin: 0cm 0cm 0pt;" class="MsoNormal"><span style="font-family: &quot;Arial&quot;,&quot;sans-serif&quot;; font-size: 12pt;">Mais depuis, il y a eu Fukushima. Cette catastrophe a tout changé : que se passerait-il en France si un accident similaire se produisait ? Sommes-nous vraiment préparés à ce type d’événement ? Quel est le poids du lobby nucléaire ? </span></p>


<br />


（しかしその後、フクシマがあった。この破局は全てを変えた。同じような事故が起こったらフランスでは何が起こっていたか？　我々は本当にこの種の事件のために準備ができているのか？　核のロビーの重みはどのようなものか？）<br />


<br />


<br />




<p class="MsoNormal" style="line-height: normal; margin: 0cm 0cm 0pt;"><span style="font-family: &quot;Arial&quot;,&quot;sans-serif&quot;; font-size: 12pt;">En présentant tous les arguments, Corinne Lepage, ancienne ministre de l’Environnement, députée européenne et avocate spécilaliseée dans les dossiers liés à l’énergie, répond aux légitimes questions que se pose désormais l’opinion. </span></p>


<br />


（あらゆる論拠を提示しながら、元環境大臣、欧州議会議員にしてこのエネルギーに関連した問題の専門の弁護士であるコリーヌ・ルパージュが、これから世論が抱く正当な疑問に答える。）<br />


<br />


<br />


<span style="font-family: &quot;Arial&quot;,&quot;sans-serif&quot;; font-size: 12pt;">Un document à la fois très fort, très argumenté, qui évite les procès d’intention et ouvre un débat longtemps interdit. </span><br />


<br />


（非常に強いと同時に非常に議論の尽くされた文書は、意図的な非難を避けて長い間禁じられていた論争を開く。）<br />


<br />


<br />


<hr />著作権は、著者および出版社　Seuil に帰属するので、ここからの他のメディアへの直接の引用はご遠慮ください。<br />


<br />


<br />


<br />


<br />


<br />
 
</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/cm23671881/entry-11031385865.html</link>  
      <pubDate>Tue, 27 Sep 2011 21:42:24 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>Norvège : la bonne réponse ノルウェーの優れた答え</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 本来この記事は、7月22日のノルウェーの事件から1か月後の8月22日にでも掲載するのがふさわしいかと考えていましたが、忘れていました。しかし本日、　<a style="font-weight: bold;" href="http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-2820.html">村野瀬玲奈の秘書課広報室 | 衝撃の日と、衝撃を和らげた一つのツイッター</a>
 の中で、当ブログの <a style="font-weight: bold;" href="http://ameblo.jp/cm23671881/entry-10966158862.html">喪に服すオスロは自らの価値観に忠実であり続けようとする （2001-07-26）</a>
 も引用していただいたことから、思い出してしまいました。雑誌に掲載されてから1か月以上も経っていますが、内容は決して古びていないと思います（ただし、記事に出てくる選挙の投票日、9月12日の直前になってしまいました。この結果がどこかの国で報道されることはないのでしょう）。<br />
<br />
 週刊誌 Le Nouvel Observateur の2011年8月4-10日（通巻2439）に掲載された <span style="font-weight: bold;">Norvège : la bonne réponse</span> （ノルウェー：優れた答え）という記事です。事実関係も8月4日以前のものです。ついでに、同誌に掲載された　<span style="font-weight: bold;">Le nouveau père de la Nation</span> （新たな国父）という記事も引用しておきます。<br />
<br />
（文中に登場するノルウェーの方々の名前の読み方は、ほとんどローマ字読みにしてあるので、間違っていると思います、申し訳ありません）<br />
<br />
<br />
<h1 style="margin: 0cm 0cm 0pt;"><span style="font-family: &quot;Arial&quot;,&quot;sans-serif&quot;; color: rgb(192, 0, 0); font-size: 16pt;">Monde <br />
</span></h1>
<h1 style="margin: 0cm 0cm 0pt;"><span style="font-family: &quot;Arial&quot;,&quot;sans-serif&quot;; color: rgb(192, 0, 0); font-size: 12pt; font-weight: normal;">NI CHASSE AUX SORCIÈRES, NI ANGÉLISME </span><span style="font-family: &quot;Arial&quot;,&quot;sans-serif&quot;; color: rgb(192, 0, 0); font-size: 12pt; font-weight: normal;"><span>&nbsp;</span><br />
</span></h1>
<p align="left" class="MsoNormal" style="text-align: left; margin: 0cm 0cm 0pt;"><b><i><span style="font-family: &quot;Arial&quot;,&quot;sans-serif&quot;; font-size: 28pt;">Norvège : la bonne réponse<span>&nbsp;</span></span></i></b></p>
<br />
<br />
<p align="left" style="text-align: left; margin: 0cm 0cm 0pt;" class="MsoNormal"><span style="font-family: &quot;Arial&quot;,&quot;sans-serif&quot;; font-size: 12pt;">Si l’attentat d’Utoya a décimé une partie de la relève travailliste, il a aussi déclenché un grand débat et entraîné une vitalité démocratique qui constitue la meilleure réponse au tueur<span>&nbsp;</span></span></p>
<br />
<b>ウトヤ島のテロ行為が労働党の交代要員の一部を大量に殺戮したとして、それはまた壮大な論争を始動させ、殺害者に対する最良の答えとなる民主主義の生命力を結果としてもたらした</b><br />
<br />
<br />
<p align="left" style="text-align: left; margin: 0cm 0cm 0pt;" class="MsoNormal"><b><i><span style="font-family: &quot;Arial&quot;,&quot;sans-serif&quot;;"><font size="3">DE NOTRE CORRESPONDANTE<span>&nbsp;</span></font></span></i></b></p>
<br />
<br />
アスタ・セーラスは93歳のノルウェー人女性だ。彼女は王国の第二の都市、西海岸にあるベルゲンに住んでいる。これまで政治組織の内部で活動したことはなかった。しかし、オスロの中心部とウトヤ島で77人の死者を出した7月22日の襲撃の数日後、労働党のカードを手にした。「私にはあとどれだけ生きる時間があるかわかりませんが、何かをしたかったのです」と、インタビューしに来たノルウェーのメディアに説明した。<br />
<br />
　テロ行為後に初めて公の場に姿を現した時、政府の長、イエンス・ストルテンベルグはノルウェー国民に、「さらなる民主主義」によって暴力に答えるように説いた。以来、ウトヤ島で殺された全ての人々の名において、王国の若者たちに政治参加するように求めさえして、首相は絶えず激励を繰り返し続けた。殺された人の多くは労働党青年運動の中で責任ある地位を占めていた。11人は、9月12日の市町村・地域選挙の候補者のリストで、当選するために十分に良い位置を占めていた。<br />
<br />
　「組織に登録しよう。論争に参加しよう。あなた方の投票権を利用しよう。」　首相が発したメッセージは受け入れられた。かつてこれほどまでに、ノルウェーのあらゆる傾向の政党がかくも短期間に加入申請を記録したことはなかった。労働党と労働党青年同盟はまだ計算していなかったが、殺戮の1週間後に、保守党は600人の新たな活動家を数え、進歩党とその青年運動は580人の新規加入者を記録した。一方で左翼社会党は290人の加入者を記録する。<br />
<br />
　2週間前からのノルウェー国民の目的は、殺戮の実行者、アンネシュ・ベーリング・ブレイヴィクに、そしてその行動に感化されかねない全ての人々に、自らの闘いが予め敗北していることを示すことである。そしてノルウェー社会がもっと強いことを。敬意と連帯が暴力に打ち勝つことを。保守党の副党首、イアン・トーレ・サンネルは証言する、「7月22日に最悪のことが起こったとすれば、その後我々は、ノルウェー社会が提示できるより優れたことを目撃している。助け合い、団結する人々、責任ある市民社会を。」<br />
<br />
　人類学者トマス・ヒランド・エリクソン Thomas Hylland Eriksen によれば、ある変化が起こったという。「我々はとても小さな国だ。人々のつながりは極めて緊密だ。だから我々は、実に明確な家族という感覚を持っている。しかし初めて、この家族は移民を含んでいる。」　ウトヤで殺された複数の若者は外国で生まれたか、外国出身の両親を持っていた。多くの移民は、殺人者がノルウェー人であってアルカイーダのメンバーのイスラム過激派テロリストではなかったことを知って安堵した。最近数週間に、複数の大臣、政府の長、ハーコン皇太子がイスラム教徒の共同体を訪問した。「二週間前から、ずっと前からに比べて、ノルウェーでイスラム教徒であるということがはるかに容易になっている」と、トマス・ヒランド・エリクセンは認める。殺人事件以来、国民統合の呼びかけが増えている。この人類学者は「もはや民族的基盤ではなく、市民的あるいは共和国的帰属に基づいた新しいナショナリズム」の出現を指摘する。<br />
<br />
　国民にならって、政治のリーダーたちは7月22日以来の聖なる統合を擁護する。彼らは、9月12日の投票を目指した選挙運動の開始を8月15日に延期することを決定した。8月1日月曜日の臨時会期に集まった議会を前に、イエンス・ストルテンベルグは、「この悲劇に憎悪と復讐心ではなく、団結、尊厳によって、そしてさらなる民主主義を求ることで答えた」ノルウェー国民に範をとるように議員を激励して、尊厳に満ちた選挙運動を弁護した。<br />
<br />
　首相は内省を呼びかけた。「我々政治家、ジャーナリスト、論客には皆、このような仕方で意見を表明したことは間違っていたと言う権利があり、そしてそのことで尊敬されるべきだ。」　しかし、「表現の自由に対する魔女狩り」に身をゆだねること、あるいは誰であれ罪を負わせることは、問題外だ。「スケープゴートを探す時ではない」と、彼を支持して、外交のトップ、ヨーナス・ガール・ストーレ Jonas Gahr Støreは強調した。<br />
<br />
　しかしながら、誰もがこの意見に賛成しているわけではない。2週間前から、ノルウェーでは、アンネシュ・ベーリング・ブレイヴィクが数年間活動家だった右翼大衆迎合で排外主義の勢力、進歩党（FｒP）によって広められた憎悪の風潮を非難する声が高まっている。「FrPは、イスラム教徒が我々の文化を破壊しようとしている、イスラム過激派がノルウェー社会を変えその支配権を握ろうとしていると言うことでに時間を費やしている」と、労働党の国会議員、スウェイン・ロアルド・ハンセンSvein Roald Hansenは見る。確かに、アンネシュ・ベーリング・ブレイヴィクが起こした行動で同党を非難することは問題外だ。「しかし、この種の思想が芽生える土地に肥料を撒くことは止めよう」と、同議員は投げかける。FrPの党首、シヴ・イエンセンSiv Jensenは、これからは「言葉の選択がかつてないほど重要になる」と認める。党の内部では、複数の議員が、移民に関する論争における特定のレトリックの使用をあえて非難する。例えば、ノルウェー社会の「卑屈なイスラム化」への不変の言及など。<br />
<br />
　日刊紙『アフテンポステン』の政治記者、ハラルド・スタングヘレHarald Stanghelleはそれでも、ほとんど幻想を抱かない。「一定の期間は、論争はより礼儀正しく慎ましくなると私は考える。我々を結集させる価値観の方が、我々を分裂させる価値観よりも多く語られるだろう。しかし、徐々に、襲撃前の論争に戻っていくだろう。」　というのは、政治学者スウェイン・トーレ・マルティンセン Svein Tore Marthinsen が指摘するように、「多くの人々はイスラム教徒と移民を恐れている、そしてこれからも恐れ続ける」からである。さらに、ノルウェーの論説委員は警戒する、「我々が言えることまたは言えないことを、ブレイヴィクが定義すべきではない」と『アフテンポステン』でヘルゲ・ルーラス Helge Luras は記す。襲撃後、複数の新聞が、インターネット上の討論のフォーラムを閉鎖するか、利用者の身分提示を要求してアクセスを制限することを決定した。ヘルゲ・ルーラスによれば、それは間違いである。「このような行動は、ブレイヴィクの思想に反論するよりも、表現の自由は幻想に過ぎないという彼の主張を支持することになりかねない。」<br />
<br />
　ハラルド・スタングヘレは同意する。「論争が白昼堂々と、これらの極端な意見を共有する人々に反論し話し合うことが可能な、公共の場で行われることが重要だ。論争が押し殺されても、それは存在し続けるだろう。ただし、地下に潜って。そして、誰もが沈黙する時、常に陰謀を信じることがより容易になる。」<br />
<br />
<br />
<b><i>ANNE-FRANÇOISE NIVERT</i></b><br />
<br />
<b>Le Nouvel Observateur 2439 du 4 au 10 août 2011</b> <br />
<br />
<hr size="1" />
<p align="left" style="text-align: left; margin: 0cm 0cm 0pt;" class="MsoNormal"><b><span style="font-family: &quot;Arial&quot;,&quot;sans-serif&quot;; font-size: 18pt;">Le nouveau père de la Nation </span></b></p>
<a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20110912/09/cm23671881/16/05/j/o0200032111478011336.jpg"><img border="0" style="clear: both; float: right; width: 135px; height: 215px;" alt="PAGES D'ECRITURE-Jens Stoltenberg" src="http://stat.ameba.jp/user_images/20110912/09/cm23671881/16/05/j/t02000321_0200032111478011336.jpg" /></a>
<br />
<br />
彼が行くところ、どこでも喝采される。7月22日の襲撃によって起こった損害を確認するために来た、荒廃した政府の本部前でも、イスラム社会の代表者と面会したオスロのモスクの出口でも。若者たちは彼の腕に飛び込む。彼のフェイスブックのページは支援のメッセージで溢れている。<br />
<br />
やや退屈で、よそよそしい、国家の偉大な長というよりは妥協の人としばしば描写されていたノルウェー首相、イエンス・ストルテンベルグは、およそ10日間で、国民的英雄となった。ノルウェー人の94％が、彼は模範的な仕方で7-22後に対処したと考えている。彼の反対派でさえ、称賛する。それでも1か月前、連立政権のトップとして過ごした6年間の後に窒息したと言われていたものだ。52歳にして最後の任期を務め、その後は恐らく国際舞台に身を投じるだろうと推測する者も既にいた。9月12日の選挙の前に、40％を超える投票の意向を得て、彼の政党は今や世論調査での記録に達している。<br />
<br />
元外務大臣と国務大臣の息子とて、ストルテンベルグは人生の半分以上を政治に捧げてきた。外交官と結婚し、二児の父である彼は、議会、次いで政府に入り、2002年に最終的に党のトップに選ばれる前に、労働党青年組織の指導部でキャリアを積んだ。7月22日、執務室の前で爆弾が爆発した時、彼は自宅にいて、翌日にウトヤで行うはずの演説の原稿を書こうとしていた。襲撃の数時間後、彼は記者会見を開く。<br />
<br />
メッセージは明確だ。それは続く日々にも変わらない。「我々は決して自らの価値観を捨てない。我々の開かれた社会がこの試練にも耐えられることを示さなければならない。暴力への答えが、さらに多くの民主主義であるということも。さらに多くの人間性も。」<br />
<br />
翌日、ノルウェー国民は初めて、自らの指導者が、ウトヤの殺戮の生存者をうでに抱きしめて、涙にくれている姿を発見する。1979年以来毎年夏に彼が訪れる島、ウトヤの。「地獄に変わった、私の青春の天国。」　4日後、日刊紙『ヴェルデンス・ガング』（『VG』）は、首相の写真の上に見出しをつける。「我々の新たな国父。」<br />
<br />
<br />
<b><i>ANNE-FRANÇOISE NIVERT</i></b> <br />
<br />
<b>Le Nouvel Observateur 2439 du 4 au 10 août 2011</b> <br />
<br />
<hr />ここでは、「犯人を厳罰に処せ」、ましてや「死刑を復活しろ」なんて言葉は、一度たりとも出てきません。そういう意見が当地に全くないとは言い切れませんが、社会を動かすことはないでしょう（そういう声を殊更に大きく取り上げたがる、どこかの国は地球上に存在しますが）。<br />
<br />
「アメリカの9-11」から10年（世界の9-11から38年、日本の9-11から6年）の今日、どこかの国やどこかの国では、憎悪を呼び覚まそうとする「報道」が跳梁跋扈するのかもしれませんが、こういう日にこそ、冷静になる意味で、今回取り上げた記事を再読するのも悪くはないかと、勝手に思いました。<br />
<br />
（本当は、同誌の2011年8月25-31日に掲載された <span style="font-weight: bold;">Les révoltés de Fukushima</span> （フクシマの反乱者たち）という記事を掲載できればよかったのでしょう、震災から6か月の日としては）<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<p align="right"><a target="_blank" href="http://www.chobirich.com/introduce/?22356"><img width="88" height="31" border="0" alt="サイフもココロもハッピーに！ちょびリッチ" src="http://img0.chobirich.com/img/mypage/introduce/cara_88_31.gif" /></a>
</p>
 
</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/cm23671881/entry-11015068081.html</link>  
      <pubDate>Sun, 11 Sep 2011 22:44:23 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>7 questions sur la démondialisation 脱世界化に関する質問</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 7月31日の <a style="font-weight: bold;" href="http://ameblo.jp/cm23671881/entry-10971221881.html">Faut-il démondialiser ? 脱世界化すべきか？</a>

 の末尾で、「次回があれば、翌週号に掲載された　<span style="font-weight: bold;">7 questions sur la démondialisation</span> （脱世界化に関する7つの質問）という記事を引用するかもしれません。」と書いておきながら、次回がなかったわけでもないのに、掲載するのを忘れていました。<br />

<br />

週刊誌 Le Nouvel Observateur の2011年6月30-7月6日（通巻2434）に掲載されたものです。  <br />

<br />

<br />

<h1 style="margin: 0cm 0cm 0pt;"><span style="font-family: &quot;Arial&quot;,&quot;sans-serif&quot;; color: rgb(255, 192, 0); font-size: 16pt;">Economie <br />

</span></h1>

<h1 style="margin: 0cm 0cm 0pt;"><span style="font-family: &quot;Arial&quot;,&quot;sans-serif&quot;; color: rgb(255, 192, 0); font-size: 12pt; font-weight: normal;">VICES ET VERTUS DU PROTECTIONNISME<span>&nbsp;</span><br />

</span></h1>


<p align="left" class="MsoNormal" style="text-align: left; margin: 0cm 0cm 0pt;"><b><i><span style="font-family: &quot;Arial&quot;,&quot;sans-serif&quot;; font-size: 28pt;">7 questions sur la démondialisation<span>&nbsp;</span><br />

</span></i></b></p>


<p align="left" class="MsoNormal" style="text-align: left; margin: 0cm 0cm 0pt;"><span><br />

</span></p>

<span style="font-family: &quot;Arial&quot;,&quot;sans-serif&quot;; font-size: 12pt;"><br />

Convaincus que la globalisation ébranle notre modèle économique et social, les Français sont de plus en plus critiques vis-à-vis du libre-échange. Mais peut-on revenir en arrière ? <br />

</span><br />

<b>グローバル化が我々の経済と社会のモデルを動揺させていると確信したフランス人は、自由貿易にますます批判的になっている。しかし後ろに戻ることはできるのだろうか？</b><br />

<br />

<br />

さる5月に発表されたIFOPの世論調査によると、国境の開放の影響に不安を抱いていると考えるのはフランス人の84％である。政治学者エマニュエル・トッド、経済学者ジャック・サピール、あるいはさらに、世界貿易機関に対する戦争を始める決意である、社会党の国民議会議員アルノー・モントブールによって再び始められた、保護主義に関する論争は大統領選挙運動の中心に入り込む。しかしこの自由貿易だけが、我々の経済状況の原因なのだろうか？　あまり確かではない。<br />

<br />

<br />


<p align="left" style="text-align: left; margin: 0cm 0cm 0pt;" class="MsoNormal"><b><span style="font-family: &quot;Arial&quot;,&quot;sans-serif&quot;; color: rgb(255, 192, 0); font-size: 12pt;">1</span></b><b><span style="font-family: &quot;Arial&quot;,&quot;sans-serif&quot;;"><font size="3"> La mondialisation a-t-elle tué nos emplois industriels ? <br />

</font></span></b></p>


<p align="left" style="text-align: left; margin: 0cm 0cm 0pt;" class="MsoNormal"><span lang="JA" style="font-family: &quot;MS UI Gothic&quot;; font-size: 9pt;">（世界化が我々の産業雇用を殺したのか？）</span><span style="font-family: &quot;MS UI Gothic&quot;; font-size: 9pt;"><br />

</span></p>

<br />

　10年間で、フランスは60万人の産業雇用を失った。大損失である。誰のせいか？　何よりもまず、技術の進歩と生産性の向上のせいであり、それらは人員の溶解の3分の2近くの理由である。残りは、国際競争によって説明がつく。10年間で、フランスの工業製品の世界市場における割合は6％から3％になった。もちろん、中国のような新興国に利益をもたらすだけでなく、世界化のおかげで雇用を獲得する、特にドイツのような工業国の競争相手にも利益をもたらす、大暴落である。「フランスの製品は十分に競争力がない、それが過去数年間の雇用喪失の加速の原因だ」と、パリ・ドフィーヌ大学の経済学教授、エル・ムフブ・ムフード El Mouhoub Mouhoud は判断する。そして生産拠点の国外移転は？　INSEEの研究によると、年におよそ15000人の雇用を失わせている。これらの仕事の半分と少しだけが、中国のような賃金費用の低い国々に逃げている。残りの半分はイタリア、スペイン、あるいはドイツに去っている。「国外移転は、全体として失われた雇用の3％足らずの原因に過ぎない」と、ムフードは確認する、「しかし局地的な影響は実に激しく感じられている。」　INSEEはフランスを388の雇用地区に区切っている。そのうちの40％は採用に困難を抱くが、15から20％は失業の悲劇的な状況にある。国外移転あるいは工場の閉鎖がこれらの地区の一つに影響するとき、その影響は惨憺たるものになる。<br />

<br />

<br />


<p align="left" class="MsoNormal" style="text-align: left; margin: 0cm 0cm 0pt;"><b><span style="font-family: &quot;Arial&quot;,&quot;sans-serif&quot;; color: rgb(255, 192, 0); font-size: 12pt;">2</span></b><b><span style="font-family: &quot;Arial&quot;,&quot;sans-serif&quot;;"><font size="3"> Est-il possible de relocaliser la production ? <br />

</font></span></b></p>


<p align="left" class="MsoNormal" style="text-align: left; margin: 0cm 0cm 0pt;"><span lang="JA" style="font-family: &quot;MS UI Gothic&quot;; font-size: 9pt;">（生産を現地に戻すことは可能だろうか？）</span><span style="font-family: &quot;MS UI Gothic&quot;; font-size: 9pt;"><br />

</span></p>

<br />

　生産拠点の国内再移転は現実に在り、将来には増える可能性がある。しかし大変動を期待すべきではない。「再移転は三つの論理に対応する」とムフードは説明する。その１、国外移転の失敗であり、それは品質の問題に現れる。食器類のジュヌヴィエーヴ・レチュ Geneviève Lethu、眼鏡のアトル Atol、あるいはタクシー・ブルー Taxis bleus のコールセンターなどの例がそれである。その２、半導体工業で見られたように、生産の自動化を可能にする技術の飛躍である。その３、輸送費の変化であり、これが、特に一部の精錬所の活動といった、最終市場の近くへの重量製品の再移転の原因になっている。<br />

<br />

　実地では、リール都市圏国際推進局を率いる、ティエリー・マビーユ・ド・ポンシュヴィルが似たような現状認識を示す。「消費財について、輸送費が原価の10から15％を超えると、企業はその市場に近づく。」　こうしてリールは自転車のデカトロン Decathlon と調度品のデメイエレ Demeyere の再移転を受け入れた。<br />

<br />

　エル・ムフーブ・ムフーブが「脱世界化 démondialisation 」という言葉よりも好む言葉、「ポスト世界化 post-mondialisation 」のまだ消極的なこの動きを利用するために、その地域は競争力があり、下部構造の網に取り込まれ、利益のある物量があり、よく訓練された働き手がいなければならない。大きな借金の枠組みにあることを想定した、「再移転への報奨金」の制定よりも有効な戦略である。2億ユーロの貸付が、企業がフランスに戻るのを助けるとされている。今のところ、この贈り物は、数千万ユーロでウール＝エ＝ロワール県における精錬業ロワズレ Loiselet を含む、三つの企業にしか利益を与えていない。<br />

<br />

<br />


<p align="left" style="text-align: left; margin: 0cm 0cm 0pt;" class="MsoNormal"><b><span style="font-family: &quot;Arial&quot;,&quot;sans-serif&quot;; color: rgb(255, 192, 0); font-size: 12pt;">3</span></b><b><span style="font-family: &quot;Arial&quot;,&quot;sans-serif&quot;;"><font size="3"> Faut-il établir une préférence nationale ou européenne ? <br />

</font></span></b></p>


<p align="left" style="text-align: left; margin: 0cm 0cm 0pt;" class="MsoNormal"><span lang="JA" style="font-family: &quot;MS UI Gothic&quot;; font-size: 9pt;">（国内またはヨーロッパの特恵を設立すべきか？）</span><span style="font-family: &quot;MS UI Gothic&quot;; font-size: 9pt;"><br />

</span></p>

<br />

　その発意は善意から出ていた…　しかし大失敗だった！　10日前、あらゆる政治領域のおよそ100人の国民議会議員が、ボーイングよりもエアバスを選ぶことで「経済的愛国心」を示すようエール・フランスに促したとき、最も怯えたのは恐らく…EADS （European Aeronautic Defence and Space Compan 欧州航空宇宙防衛会社）社長、ルイ・ガロワ Louis Gallois だった！　「エアバスにとって厄介で、完全に逆効果な、ばかさ加減だ」と、この部門に通じた人は切って捨てる。公的支援の恩恵を受けることで、エアバスは直ちに品質が疑わしくなる。A350とA320は優れた航空機であり、最近のサロン・ド・ブルジェの記録的な受注が証明したように、政府に支援される必要は全くない。エアバスは全体で2,600機をアメリカの航空会社に販売した。その市場を保護することは直ちに、大西洋の反対側、さらには世界中の制裁措置を創設させることにつながるだろう。「エアバスのような企業集団の未来は中国、ブラジル、あるいはインドにあり、国内にあるのではない」と、経済学者エリー・コーエン（エリー・コアン） Elie Cohen は断言する。<br />

<br />

　軍事のような、いくつかの戦略的部門を除いて、経済的愛国主義はしばしば逆効果である。そもそも、企業をその本社の国籍という視点で考えることにもはや大きな意味はない。SNCFが列車をアルストムからよりもボンバルディアから買うことを嘆くかもしれない。しかしカナダの製造会社の鉄道車両の大部分はフランスに移転した工場に由来する。アルストムの方は、その生産の一部を国外に移転した。<br />

<br />

<br />


<p align="left" class="MsoNormal" style="text-align: left; margin: 0cm 0cm 0pt;"><b><span style="font-family: &quot;Arial&quot;,&quot;sans-serif&quot;; color: rgb(255, 192, 0); font-size: 12pt;">4</span></b><b><span style="font-family: &quot;Arial&quot;,&quot;sans-serif&quot;;"><font size="3"> L’euro est bon pour notre économie ? <br />

</font></span></b></p>


<p align="left" class="MsoNormal" style="text-align: left; margin: 0cm 0cm 0pt;"><span lang="JA" style="font-family: &quot;MS UI Gothic&quot;; font-size: 9pt;">（ユーロは我が国の経済にとって好ましいのか？）</span><span style="font-family: &quot;MS UI Gothic&quot;; font-size: 9pt;"><br />

</span></p>

<br />

　左翼も右翼も含めた脱世界化の支持者にとってユーロは、インフレ、我が国の産業雇用の国外移転と弱い成長の、一緒くたにした原因ということになる。したがってそれから脱却すれば全ては上手く行くだろう！　それでもまだ枠外に留まる意見ではある。最新のユーロバロメートルによると、フランス人の69％（26％に対して）は単一通貨の外側に出ることを想像すらしていない。<br />

<br />

　ユーロの経済の決算がぱっとしないことは事実である。1989年から2008年までに、ユーロ圏は平均して2.1％の成長を示し、正味で1600万の雇用を創出した（15％の増加）。特に最近の「サブプライム」危機の際に、確かにユーロは盾の役割を演じた。特に為替相場という頭痛の種を取り除くことで、ユーロはとりわけ我が国の大企業の成長を活性化した。「15年前、欧州の企業集団は米国に対して小人だった」と、銀行家のジャン・ペルルヴァード Jean Peyrelevade は強調する。「ユーロによって、ついに規模の経済を利用できるようになった。」<br />

<br />

　しかし「強いユーロ」の方は、甚大な被害をもたらした。2002年の1ドルから4年後に1.5ドルになったユーロは、我が国の中小企業の障害となった。というのは、ドルと元を競争の武器にした米国と中国に対して、欧州中央銀行の対インフレの権限は単一通貨の「政治的操縦」を全く可能にしなかったからである。<br />

<br />

　振り返って見ると、誤りはその結果を考慮することなしにユーロを採用したことだった。より統合された統治が必要だったはずのブリュッセルでも。単一通貨の麻酔効果（低金利を可能にすることで）が財政赤字を伸びるままにし、そして特に我々の競争力を無視することを許したパリでも。しかしユーロから脱退することは、これらの問題を一つとして解決しない。反対に、そこではさらに穴二つ分、ベルトを締める必要があるだろう。<br />

<br />

<br />


<p align="left" class="MsoNormal" style="text-align: left; margin: 0cm 0cm 0pt;"><b><span style="font-family: &quot;Arial&quot;,&quot;sans-serif&quot;; color: rgb(255, 192, 0); font-size: 12pt;">5</span></b><b><span style="font-family: &quot;Arial&quot;,&quot;sans-serif&quot;;"><font size="3"> L’économie américaine est-elle vraiment ouverte ? <br />

</font></span></b></p>


<p align="left" class="MsoNormal" style="text-align: left; margin: 0cm 0cm 0pt;"><span lang="JA" style="font-family: &quot;MS UI Gothic&quot;; font-size: 9pt;">（アメリカ経済は本当に開かれているのか？）</span><span style="font-family: &quot;MS UI Gothic&quot;; font-size: 9pt;"><br />

</span></p>

<br />

　舞台の上手では、アメリカ経済は今もなお国際社会への開放の模範であり続けている。外国投資は2010年に49％増加し、「合衆国は世界のどの国よりも多くの国外からの直接投資を受け入れている」と、バラク・オバマが強調したばかりだ。貿易に関しては、中国からの輸入に不利な条件を与えることを目指す法案（最後の提案は27.5％の一律課税を制定しようとするもの）は議会で全て廃案になった。<br />

<br />

　下手では、事態は余り模範的でない。特に、巨大な軍産複合体が自らの競馬界を強引に防衛している。輸出においては、メードインUSAの武器を買うようにするためのペンタゴンとホワイトハウスの友好国に対する圧力がよく知られている。また合衆国内でも、重大な不正によって信用を損なっているにもかかわらず、当初はエアバスに割り当てられていた、ペンタゴンに179機の給油機を供給する契約をボーイングが最終的に勝ち取った。ヨーロッパで成功を収める、中国の通信設備企業ファーウェイ（華為）は、アメリカ領土に入り込むことができないでいる。農業ロビーに関しては、トウモロコシ製エタノール、砂糖あるいは綿への補助金を効果的に保護している。<br />

<br />

　外国の投資は？　ある会社がアメリカの大企業を買収することを提案する時、事業が失敗することは稀でない。2005年に中国企業がしきりに欲しがったが、「国家安全」を理由にシェブロン Chevron によって取り戻された、石油会社ユノカルの場合、あるいは2006年にドバイ・ポーツが取り戻そうとしていた、6つの海港の管理の場合である。とりわけニューヨーク証券取引所を管理するNYSEユーロネクストのドイツ証券取引所 Deutsche Börse による買収でさえ、激しい反対を引き起こし続けている。ゴールドマンサックス元会長、ジョン・ホワイトヘッドは、この買収に見る多くの人々の感情をこう要約した、「ニューヨーク市に対する、ニューヨーク州に対する、アメリカ全体に対する侮辱」と。<br />

<br />

　アメリカは結局、今もなお自らの多国籍企業が最大の受益者であった世界化に最も開かれた国の一つであり続けている。しかしそれはもはや、20年前のラブストーリーではない。<br />

<br />

<br />


<p align="left" style="text-align: left; margin: 0cm 0cm 0pt;" class="MsoNormal"><b><span style="font-family: &quot;Arial&quot;,&quot;sans-serif&quot;; color: rgb(255, 192, 0); font-size: 12pt;">6</span></b><b><span style="font-family: &quot;Arial&quot;,&quot;sans-serif&quot;;"><font size="3"> Etait-ce une erreur d’admettre la Chine au sein de l’OMC ? <br />

</font></span></b></p>


<p align="left" style="text-align: left; margin: 0cm 0cm 0pt;" class="MsoNormal"><span lang="JA" style="font-family: &quot;MS UI Gothic&quot;; font-size: 9pt;">（中国が世界貿易機関の内部に入ることを認めたのは間違いだったのか？）</span><span style="font-family: &quot;MS UI Gothic&quot;; font-size: 9pt;"><br />

</span></p>

<br />

　底知れない！　中国に対するフランスの貿易赤字は拡大し続けている。昨年には260億に達し、フランスの貿易赤字全体の半分を少し超えるほどである。驚くことではないが、電子製品と繊維がその大部分を占める。しかし農産物の貿易そのものは、辛うじて黒字である。<br />

<br />

　2001年に先進国が中国の世界貿易機関への加入を認めたことは、お人好しだったのだろうか？　本当にそうではない。長く困難だった加入交渉は15年続いた。そして世界貿易機関は中国の商行為に対して注意深く見守り続けることを要求した。その専門家の最新の報告によると、関税を徐々に下げることで、北京はほぼルールに従って行動していたようである。<br />

<br />

　問題は、中国政府が数多くの「非関税障壁」を打ち立てたことだ。外国の輸出業者の作業を複雑にする行政、技術あるいは司法の難癖（無茶苦茶細々しい製品の耐性検査、不透明な輸出免許、等々）がそれである。別の難点として、公的市場あるいはサービス業（銀行、保険）の開放が僅かでしかないということがある。<br />

<br />

　要するに、中国にはもっとよくする余地がある。しかし、現実には、「世界の輸出における中国の比率は10％前後で安定している」と、Natixisの中国専門家、ベイ・ジュ Bei Xu が説明する。特に「貿易黒字の増加は減速しつつある、なぜなら人件費が急速に増加しているし内需が増大しようとしているからだ。」　今後10年ほどで、中国人の所得は欧州諸国の一部の国の所得に追いついているだろう、その上昇は2％前後の範囲である。富裕国の貿易収支にとっては一つの望みではある…<br />

<br />

<br />


<p align="left" style="text-align: left; margin: 0cm 0cm 0pt;" class="MsoNormal"><b><span style="font-family: &quot;Arial&quot;,&quot;sans-serif&quot;; color: rgb(255, 192, 0); font-size: 12pt;">7</span></b><b><span style="font-family: &quot;Arial&quot;,&quot;sans-serif&quot;;"><font size="3"> Peut-on ériger une Europe-forteresse ? <br />

</font></span></b></p>


<p align="left" style="text-align: left; margin: 0cm 0cm 0pt;" class="MsoNormal"><span lang="JA" style="font-family: &quot;MS UI Gothic&quot;; font-size: 9pt;">（要塞としてのヨーロッパを築くことはできるのか？）</span><span style="font-family: &quot;MS UI Gothic&quot;; font-size: 9pt;"><br />

</span></p>

<br />

　ヨーロッパの経済建設を擁護するために、ローマ条約は「共通の域外関税」を準備していたが、年月とともに世界貿易機関による貿易自由化によって撤廃された。脱世界化に賛成する団体が発注した6月16日のIPSOSの世論調査によると、フランス人の80％が、欧州の港におけるこの障壁の再建を望んでおり、同胞の20％だけが「フランス国境」における保護を望んでいるが、これは欧州のレベルよりも有効ではなく、さらには近隣諸国の激怒を引き起こす危険性がある。連合王国あるいはオランダにとって、「自由貿易」は実際、自らの権勢を確立するために競争力のある国によって考え出された「政治構造」、「ドグマ」というよりも、それらの国々が自らの成長を築き上げた文化である。ますます四方に開かれた自由貿易圏と見なされつつあるヨーロッパにおいて、（ブリュッセルによって禁止されている）国レベルでの関税障壁の設立は直ちに制裁措置を発動される可能性がある。欧州の自由貿易主義者たちはまた、脱世界化に関する論争が過去に属すると主張する。新興大国（中国）における所得増加を見ると、「地域圏」の間の費用の構造の違いは今後5年間で完全に消滅するという。そこで、「Zara戦略」（ヨーロッパでの高級・中級の品質維持）が「H&amp;M戦略」（欧州連合域外への生産の完全な移転）よりも好ましいかどうか、理解できるだろう。<br />

<br />

　逆説的だが、世界経済は見かけよりもはるかにグローバルではない。世界の電話での通話に占める国際通話の比率はどれほどだろうか？　2％である。投資全体に占める外国への直接投資の割合はどれだけだろうか？　8％である。ハーバードの経済学者パンカジ・ゲマワット Pankaj Ghemawat 教授は、まだ限定的なグローバル化というアリバイの陰に逃れて自らの責任を免れないよう政治家たちに説くために、この数字を引用することを好む。「所得格差と不平等の増大は、雇用の創出の問題と同じように、国内政治の問題だ」と彼は説明する。<br />

<br />

　自明の理を否定するのは問題外だ。「真の産業政策を築くことが必要だ、しかし、問題に対する答えが国境への関税あるいは障壁の法制の実施によるとは、私は考えない」と、経済学者ムフーブ・ムフーブも判断する。彼によれば、競争力、産業の専門化、国土の改善と、個人への同伴さらには流動性に関して研究しなければならない。もちろん、為替比率という極めて戦略的な問題も忘れてはならない。<br />

<br />

<br />

<b><i>SERVICE ECONOMIE <br />

(AVEC PHILIPPE BOULET-GERCOURT, À NEW YORK) </i></b><br />

<br />

<b>Le Nouvel Observateur 2434 du 30 juin au 6 juillet 2011</b> <br />

<br />

<hr />どっちみち、国内政治の問題（雇用の創出、所得格差と不平等の増大への対処…）も何も考えていないくせにTPPだの何だのいうてる国には関係ない話でした。<br />

<br />

<br />

<br />

<br />

<br />

<br />
 
</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/cm23671881/entry-10995509287.html</link>  
      <pubDate>Tue, 23 Aug 2011 22:21:08 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>ヒロシマからフクシマへ、核の悲劇</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 8月6日、8月9日にちなんで、既にどこかで誰かが掲載しているかもしれませんが、久し振りに『ル・モンド』の東京特派員、フィリップ・ポンス Philippe Pons 氏の記事を紹介します。<br />

<br />

8月6日の『ル・モンド』に掲載された（と思われる）　<a style="font-weight: bold;" href="http://www.lemonde.fr/idees/article/2011/08/05/d-hiroshima-a-fukushima-la-tragedie-du-nucleaire_1556522_3232.html">D’Hiroshima à Fukushima, la tragédie du nucléaire</a>

 （ヒロシマからフクシマへ、核の悲劇）という記事です。<br />

<br />

<br />

<br />


<p class="MsoNormal" style="line-height: normal; margin: 0cm 0cm 0pt;"><b><span style="font-family: &quot;Arial&quot;,&quot;sans-serif&quot;; font-size: 24pt;">D</span></b><b><span style="font-family: &quot;Arial&quot;,&quot;sans-serif&quot;; font-size: 24pt;">’</span></b><b><span style="font-family: &quot;Arial&quot;,&quot;sans-serif&quot;; font-size: 24pt;">Hiroshima à Fukushima, la tragédie du nucléaire</span></b><b><span style="font-family: &quot;Arial&quot;,&quot;sans-serif&quot;; font-size: 24pt;"> <br />

</span></b></p>


<p class="MsoNormal" style="line-height: normal; margin: 0cm 0cm 0pt;"><span style="font-family: &quot;Arial&quot;,&quot;sans-serif&quot;; font-size: 9pt;">Analyse</span><span style="font-family: &quot;Arial&quot;,&quot;sans-serif&quot;; font-size: 9pt;">&nbsp;</span><span style="font-family: &quot;Arial&quot;,&quot;sans-serif&quot;; font-size: 9pt;">|</span><span style="font-family: &quot;Arial&quot;,&quot;sans-serif&quot;; font-size: 9pt;">05.08.11 | 14h49<span>&nbsp;</span>•<span>&nbsp;</span>Mis à jour le 05.08.11 | 15h27</span><span style="font-family: &quot;Arial&quot;,&quot;sans-serif&quot;; font-size: 9pt;"><br />

</span></p>

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<p class="MsoNormal" style="line-height: normal; margin: 0cm 0cm 0pt;"><span style="font-family: &quot;Arial&quot;,&quot;sans-serif&quot;; font-size: 9pt;"><span style="font-weight: bold;">par Philippe Pons, correspondant à Tokyo </span><br />

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<p class="MsoNormal" style="line-height: normal; margin: 0cm 0cm 0pt;"><span style="font-family: &quot;Century&quot;,&quot;serif&quot;; font-size: 10.5pt;"><br />

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広島、次いで長崎への原爆投下の日である1945年8月6日と9日は、日本人の記憶に付きまとう日付である。もう一つの日が国民の歴史を明確に区切る運命にある。2011年3月11日、フクシマの発電所に、1986年4月26日のチェルノブイリの破局以来もっと重大な核の破局をもたらした、地震とそれに続く津波の日である。<br />

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即座に死亡した数十万人の被爆者と人生の残り全てを苦しむことになる他の被爆者とともに、敗北した、荒廃した国と、今のところ一つの地域に限定されている悲劇的な影響をわずかに見せているだけの核の大災害との間には、確かに共通点はない。<br />

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犠牲者への追悼式典の際の<span style="font-weight: bold;">広島と長崎の生存者の証言</span>は、この年のさらになお衝撃的な性格を少なからず受け止めている。<span style="text-decoration: underline;">国民が核の炎の恐怖を生身で経験した国がどうして、原子力によって示される危険性にこれほどまでに注意を払わずにいられたのか？ましてや地球の力に屈服している国で</span>。<br />

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証言、新事実、核のロビーによって長い間追放され、メディアによって無視されてきた専門家の意見が続くうちに、毎日さらに多く規模を理解する破局の背景を垣間見始めている。彼らは、危険性を過小評価したエリートの恥ずべき「賭け」に気付いている。発電所の事業者である東京電力（Tepco）の良好な統制という問題、そして「核に賛成か反対か」という問題を超えて、国民を守ることができなかった国家と、自らが代表する人々の安全への正当な期待を裏切った選良の問題が提起される。前者も後者も同様に、警告を受けるという国民の権利を無視したか、さもなくば奪ってきた。<br />

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制御されているというには程遠い事故から5か月後、予防の不十分さ、隠ぺい、文書の偽造、嘘と世論操作が入り混じった破滅の責任者を人は空しく探している。「チェルノブイリと同様に、誰も責任を引き受けない」と、ノーベル文学賞受賞者、大江健三郎は評価する。他に仕様がないのだろうか？　ここで「原子力村」と名付けられているものの専門家の保証を伝達していた行政、事業者、原子炉の製造業者、巨大メディアの共謀という混沌に怠慢が溶け込む。<br />

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<span style="font-weight: bold;">フクシマの破局は</span>、制度全体に関わる信頼の危機を開く。明治維新以来、少なからぬ尊大さを伴って、政治家を二番目の位置に押しやってこの国を運営着てきた官僚機構を。確かに成功してきた。鉄の三角形（行政、政治とビジネス界）は敗北した日本を世界最大の経済大国の一つにした。<br />

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しかし「破損なし」でもある、水俣（化学工場から海に流された有機水銀による汚染）を含む、1960年代から1970年代の公害病が証言するように。数千人の死者と生存する障碍者。<span style="text-decoration: underline;">当時既に、国家は市民を守らなかった。</span>何年もの間、汚染と病気との関連への否定を終わらせるために戦ったのは被害者だった。<br />

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化学工場が地域に繁栄をもたらすと信じた後に、それが死をもたらすものでもあることを発見した水俣の住民のように、多くの日本人は、教科書においてまでその安全性をほめそやしてきた技術への途方もない信頼を抱かされていたことに気付いている。<br />

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<span style="font-weight: bold;">ニッポン人は国家が</span>危険な「道具」を制御する手段を備えていなかったことを発見する。核産業を監視する機関は、それを振興する役割を担う経済産業省に従属している。そして、自らの「基準」を押し付けていた電力会社によって形成された強大な地域独占が形成されるのを国家が放置してきたことにも。1990年代の終わりに、経済産業省の官僚がそれらを壊そうと試みたとき、政治家の抵抗がその試みを封じ込めた。<br />

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国家は一方で、現地の自治体に、多額の補助金によって発電所を受け入れるように納得させた。全ての住民がそれに賛成していたわけではない。1973年以来、反対派は、地震と津波の危険性を根拠として、事業者に対する司法活動を起こした。彼らは常に敗訴し、彼らの論拠はメディアによって無視された。近隣住民に追放され、雇用者に警戒されて、彼らは頭を引っ込めた。<br />

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広島と長崎から66年後、日本は再び原子の犠牲者となる。しかし今回、日本は破滅の責任者である。そして今年、1965年に創設された、日本で最も重要な反核運動である原水爆禁止日本国民会議（原水禁）は、そのスローガン、「No more Hiroshima ! No more Nagasaki ! 」に「No more Fukushima !」を加えることになるだろう。<br />

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日本は過去に、自らを再発見する能力を示した。そして恐らくまたそのようになるだろう。しかし、今回、国家と国民の社会契約は傷ついた。<br />

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<p style="line-height: normal; margin: 0cm 0cm 0pt;" class="MsoNormal"><span style="font-family: &quot;Arial&quot;,&quot;sans-serif&quot;; font-size: 9pt; font-weight: bold;">Article paru dans l'édition du 06.08.11</span><span style="font-family: &quot;Arial&quot;,&quot;sans-serif&quot;; font-size: 9pt;"><span style="font-weight: bold;">&nbsp;</span><br />

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<a style="font-weight: bold;" href="http://www.lemonde.fr/idees/article/2011/08/05/d-hiroshima-a-fukushima-la-tragedie-du-nucleaire_1556522_3232.html">http://www.lemonde.fr/idees/article/2011/08/05/d-hiroshima-a-fukushima-la-tragedie-du-nucleaire_1556522_3232.html</a>

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<hr />訳文中の下線は私が勝手に引いたものです。太字は、できる限り原文に合わせました。<br />
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なお、文中に出てくる「日本」は全て、「にほん」と読むものとします。「にっぽん」と読ませたい場合は「ニッポン」と表記します。（これは、当ブログ全体を通じてのお約束です）<br />

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</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/cm23671881/entry-10980841236.html</link>  
      <pubDate>Tue, 09 Aug 2011 23:30:09 +0900</pubDate> 
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