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    <title>水の上を走る</title>  
    <link>http://ameblo.jp/can-ae/</link>  
    <description>都内在住PRプランナーのブログ。主にソーシャルメディアマーケティング、ネットPR、っていうかコミュニケーション全体についての思い。おさかなマイスター的なお話とか、江戸懐石のお話とか、牛込に対する熱い思いとかも。</description>  
    <language>ja</language>  
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    <item> 
      <title>「広報は、王様の仕事」</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 これまでにも何度かツイートしたことがあるのですが、<br />「広報は、王様の仕事」<br />という言葉が、大好きです。<br /><br />この言葉、2010年4月号の<a href="http://http://www.amazon.co.jp/gp/product/B0038KI290?ie=UTF8&tag=canae0f-22&linkCode=xm2&camp=247&creativeASIN=B0038KI290" target="_blank">広報会議</a>の、第88代警視総監池田克彦氏のインタビューの中で、<br />総監がおっしゃっていた言葉です。<br /><br />映画<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/B000YGFPNW?ie=UTF8&tag=canae0f-22&linkCode=xm2&camp=247&creativeASIN=B000YGFPNW" target="_blank">「ローマの休日」</a>の中で、オードリー・ヘップバーン演じるアン王女は、<br />お付きの人々の目を盗んで宿泊先を抜け出し、ローマの街でグレゴリー・ペック演じる<br />新聞記者のジョー・ブラッドリーと出会います。<br />ジョーに父親の職業を聞かれたアン王女は、<br />「パブリック・リレーションズ」<br />と答えます。<br /><br />池田総監は、インタビューの中でこのシーンを引いて、<br />「つまり、広報という仕事は王様の仕事である、ということ」<br />と答え、続けて、広報課出身の警視総監として、<br />「トップが取り組むべき大きな仕事の1つが広報である」<br />というご自身の考えを明確にされていました。<br /><br /><br />確かに、企業など組織のトップの方々が積極的に広報に取り組まれることは、<br />組織のメッセージを明確にし、組織の内外にそれを広めて行くにあたって<br />とても大切なことと言えると思います。<br />が、私はこの「広報は王様の仕事」という言葉を、更に一歩進めて、「広報」という言葉の<br />本質を現すものとして捉えています。<br /><br />言葉通りに、「王様の仕事」として捉えてみると、<br />我が国の場合は皇室の方々の仕事となります。<br />皇室の方々は、私たち日本人が考える「日本人の美徳」を体現する存在、<br />または「良い日本人」とはこういうもの、と多くの人が見て思えるような存在<br />であってほしい、または、あるべきだ、と期待される存在ではないでしょうか。<br />文字通り、「日本」を象徴する存在、というわけです。<br />そういう方々が、様々な人と交わる中で、国外では「日本」という国の「誠実さ」や<br />「高潔さ」、または「もの静か」で「穏やか」のようなイメージを作り、<br />国内においては、皇室の方々に出会って熱狂したり、尊敬したり、共感したりすることで<br />「帰属意識」や「誇り」や「自尊心」などを思い出させてくれるのではないかと思います。<br />皇室の方々の活動によって、「日本」という国と私たち国民との間に、<br />また、諸外国の方々との間に、（異論はあるかもしれませんが）<br />そうした、とてもポジティブな「関係」が作られているのではないかと思っています。<br />（「政府」や「政治」との間には溝がありますけどね…）<br /><br />そしてこの「関係作り」こそが、「広報」という仕事の本質なのではないかと、私は思います。<br />組織そのものを象徴し、組織の外にあってはその性質そのものを体現し、<br />社内においては社員の帰属意識を高め、その組織の一員であることに誇りや自尊心を持ってもらう。<br />そうして作られた良好な関係があってこそ、様々なメッセージも伝わりやすく、<br />コミュニケーションも円滑になっていくのではないかと考えています。<br /><br /><br />私が、「広報」という仕事から離れて、もう４年が経ちました。<br />次の仕事も、純粋な「広報」という仕事からは離れてしまいます。<br />組織の中では、確かに「広報」という立場ではないかもしれませんが、<br />それでも、「コミュニケーション」という仕事には今までも、これからも関わり続けて行きます。<br />組織にとっての「コミュニケーション」を考えるとき、あくまでも私は「広報」の視点に立ち、<br />「関係作り」から物事を考える姿勢を貫いて行きたい。<br />私にとって、「広報は、王様の仕事」とは、そういう大切な言葉なのです。<br /><br /><br /><br />と、いうことで、転職に寄せての、決意のエントリでした。<br />また、突然ではありますが、一旦ブログ終了に当たってのまとめのエントリでもあります。<br /><br />このブログは、当初、「webを使ってなんかやって」と上司に言われたことがきっかけで、<br />様々なwebツールやソーシャルメディアの勉強の1つとして始めたものです。<br />広報担当者が同じような立場に立たされた時に、何かのお役に立てれば、という気持ちもあり、<br />恥を晒しつつ、自分のお勉強の過程を綴る、という目的で細々と続けてきました。<br />（この１年は「続けてきた」とはとても言えない更新頻度でしたが…）<br />が、今回の転職に当たり、一旦、「お勉強」は終了です。（もちろん勉強は続きますが）<br />と、いうことで、こちらのブログも、役割を終えたものとして、<br />一旦これにて終了させていただきます。<br />また、何かのおりに始めることもあるかもしれませんが、その時は、まったく別の形にしたいと思います。<br /><br /><br />短い間でしたが、お付き合いくださった皆様には、本当にありがとうございました。<br />またどこかでお会いできるよう、これからも精進いたします。<br /><br /><br />でーはー。<br /><br />
 
</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/can-ae/entry-10986162838.html</link>  
      <pubDate>Sun, 14 Aug 2011 20:52:50 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>「何かしたい」と思ったときに思うこと</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 昨日、「<a href="http://atnd.org/events/14561" target="_blank">助けあいジャパン ボランティア情報ステーション 活動報告“わたしたちの取り組み”</a>」<br />に行ってきました。<br /><br />助けあいジャパン ボランティア情報ステーション（VIS）での取り組みの報告と、<br />VISが今必要としている支援についてのお話でした。<br />VISでは、学生有志が中心となり、被災地の方々が必要としている情報を収集・整理し、<br />インターネット上に発信する活動を行っています。<br />今は、その学生さんが、春休みが終わり学校に戻ってしまうため、<br />そうした情報の入力作業をしてくれる人や、その情報をAPIを使って広げてくれる<br />エンジニアを募集しているそうです。<br />そうした情報を広げる「面」がとにかく必要とのこと。<br /><a href="http://shinsai.yahoo.co.jp/" target="_blank">Yahoo!</a>や<a href=" http://busshi.311.goo.ne.jp/" target="_blank">goo</a>などからも<br />閲覧できるようになっていますが、アプリやウィジェットなんかになって、<br />色んなところから見られるようにしたい、ということでした。<br /><br />また、この入力作業は個人でバラバラと来てもらっても受け入れられないそうなので、<br />ある程度まとまった団体で、他の多くのボランティアと同じように自己完結できることが<br />望ましいとのこと。<br /><br /><br />私にも何かできることがあるかなー、と思って参加したのですが、<br />わかったことは、「何もできない」ということでした。<br />エンジニアでもなく、入力のお手伝いをできる団体を組織できるわけでもなく。<br />結局は、こうしてブログに書いたり、流れてきたツイートを<br />ちょいちょいRTするくらいしかできないのですよね。<br />ものすごい無力感を感じました。<br /><br />自分て、自分が思ってる以上に、何もできないのですよね。<br />こういう時に、本当に思い知らされるのだなあと…。<br /><br />今日、そんな無力感たっぷりな状態で、品川の高野山東京別院で実施されている<br />「阿字観」に行ってきました。<br />いわゆる「瞑想」体験です。<br />私は、もやもやがたまったときにお伺いして、心の中のいらないものを「置いてくる」んですね。<br />で、そこで今日聞いたお話。<br />「人間が、生まれてきて確実にできることは死ぬことだけです。<br />死ぬことだけは、誰でもできます。そのために勉強しなくても、<br />何もせずだらだらと怠けていても、死に方を知らなくても、ちゃんと死ねます。<br />生きている間に、何か成し遂げることができるなんて、思い上がりなんです。<br />人間にできることは、死ぬことだけなんですよ」<br />ほんとは、もっともっとわかりやすくて他にもいろいろおっしゃっていたんですけど、<br />これだけだと全然このお話の真意が伝わらないとは思うんですけど、<br />でも、ちょっと楽になったんですよね。<br />人間は、もともと「何もできない」ものなんだなと。<br />そのことで、自分を責めたり、落ち込んだり、無力感に苛まれたり、しなくても良いのですよ。<br /><br />今私にできることは、こうしてそういう人たちの活動をブログに書いたり、<br />ツイッターでコツコツRTしたり、休日に近所のボランティアに行ったり。<br />まあそれだけなので、しっかりと足下を固めて、何か大きなことをやろうと思わず、<br />できることからコツコツと。<br /><br />と、思っていたはずなのに。<br />高野山では、災害対策本部を設けて、お寺のネットワークを使って<br />被災地の支援や情報収集などをされているのですね。<br />で、昨日の報告会で聞いた「現地の情報がない」というただその一言に反応して、<br />「ここ、つなげられないかな」<br />と思ってしまったんですけど、今のVISでは上に書いたようなことの受け入れだけで手一杯なわけで。<br />「現地の情報がない」というのは、いわゆる社会福祉競技会のような、<br />本来であればボランティアの受け入れ態勢を作ったり、情報を集めて発信する役割を担っている<br />地元の組織が機能していないから、というわけで。<br />VISが掲載するのはそうした受け手と引き取り手がはっきりとした情報だけに限定していたのでした。<br />webにもそう書いてあるし。<br />ちょっと考えればわかることだったのですけど。<br />（藤代さんすみませんでした…）<br /><br />せっかく良いお話をお聞きした後だったのに、さっそく、「何かできるかも」とか<br />「思い上がって」しまいましたよ…。<br /><br />ほんと、今求められているのは、「具体的な」ものなんですよね。<br />そして、自分たちだけで完結できて、他の人に迷惑や手間、世話をかけない。<br />「何かしたい」と思ったら、まずはそれがこれらに当てはまっているかどうかを、<br />ちゃんと考えてから行動しようと、思ったのでした。<br />散々あちこちで言われていることではあるのですけど、結局私もよくわかってなかったんだなあ。<br />「何かしたい」と思ったら、「何かできる」と思い上がらないこと。<br />これから長くかかるであろうこの状態、<br />「みんな1つに！」「力をあわせて！」<br />みたいな風潮では、特に、必要な知恵かもしれないなあと思いました。<br /><br /><br /><br />
 
</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/can-ae/entry-10857070823.html</link>  
      <pubDate>Sun, 10 Apr 2011 01:15:26 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>その次の「カタチ」</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 最近、とても興味深い話を聞きました。<br />先日来日したコトラー先生が、「これからはTriple bottom lineが重要になる」<br />とおっしゃっていたということです。<br /> <br />Triple bottom lineとは、CSRを勉強したことのある方なら1度は耳にしたことがある言葉だと思いますが、<br />CSRの観点から企業のパフォーマンスの評価を行う際の評価指標です。<br />財務諸表の一番下に加えられるべき項目、という意味で「Triple bottom line」と言われています。<br />で、その指標が「Peole」「Planet」「Profit」の3つ、というわけです。<br />マーケティングでは「4つのP」をまず教えられますが、CSRではこの「3つのP」をまず教わります。<br />英語だと、企業の評価指標に「Planet」って結構インパクトあると思うんですが、<br />日本語では「社会」「環境」「経済」と非常に残念な形に翻訳されて輸入されています。<br /> <br />で、まあこの下地があって昨年、Marketing3.0を読んでからずっと考えていたこと。<br />企業の社会的責任、存在意義とか。<br /> <br />私は、Marketing3.0を読む以前から、<br />「利益を挙げる以上は何らかの形で社会の役に立っているということ。<br />そもそもまったくなんの役にも立たない、なんの価値も提供できないものがビジネスとして成り立つはずがない。<br />そういう意味で、まったく社会に貢献しない企業なんてない」<br />と言ってきています。<br />CSRをただ「慈善事業」とか「環境保護」みたいなものと同義にとらえている残念な人も多いですが<br />そんな人たちは放っておくとして、CSRというのは、「企業の存在意義」そのものだと思ってます。<br /> <br />で、Marketing3.0は「CSR」の本だ、という人が多いわけですが<br />私は、コトラー先生はあの本で企業の「在り方」を問うているのだと思いました。<br /> <br />コトラー先生はMarketingをもっと人の感情や行動心理の根源に求めるようになったのだと理解しています。<br />Marketing3.0で描かれている「善なる行動」や「Spirituality」はキリスト教社会では考えられなかったような発想です。<br />キリスト教では人間は「罪深い」生き物であり、「自然は克服する」対象であったわけで。<br />「性善説に立って自然に寄り添って生きる」という思想ではありません。<br />これはすなわち、西洋文明における「人」の在り方そのものにも関わる問題ではないか…とか、<br />壮大なことを少ない脳味噌で悶々と考えていたわけです。<br /> <br />で、この「性善説に立って自然に寄り添って生きる」姿勢こそ、<br />「我が日本の姿じゃないの？」と。<br />これから先、資本主義の次の社会に求められるのは、日本人のそういうメンタリティじゃないかと。<br /> <br />「三方良しhttp://www.shigaplaza.or.jp/sanpou/ethos/ethos.html」という昔の日本人の商売意識があります。<br />これが、まるっきり「Triple bottom line」と同じ考え方です。<br />江戸時代の近江商人たちはこの考え方にのっとって商売を成功させていました。<br />誰が自分たちに利益をもたらし、その利益の元を自分たちがどこから得ていたか、<br />をよくよく理解していなければ、この考え方には至りません。<br />「自然を克服して自らの努力によって得たもので商売をする」<br />のと<br />「自然と共存し、そこから与えられた恵みによって商売をする」<br />のではまったく商売の前後にある考え方が異なってきますよね。<br /> <br />で、そこが発展していくと、自然と、競争したりそのための合理性を追究したり、生産性を追究したり、<br />ではなく、「継続性」「持続性」へと重点がシフトしていくわけで。<br />これは近年ずーっといわれてますよね。「持続可能な社会」とか「サステナビリティ」とか<br />「循環型社会」とか、よく聞く（効く）言葉ですね。<br />みんな「競争」とか「経済合理性」とか「生産性」とそれらが共存できると思って<br />その方法を一生懸命模索してるんでしょうけど、私の直感では、そんなのムリだと思います。<br />だって、自然の恵みで生きて行こうとしたら、そこから取れるものでしか生活できないんだから、<br />効率化とか生産性とか合理性とか、捨てないと無理でしょ。<br />で、これまた極端で申し訳ないですがこれを追及してくと、結局は「全体最適」になっていって、<br />これを突き詰めて行くとトマス・モアの世界が待っているんじゃないかと。<br />「ユートピア」でみんな平等に平和に楽しく。っていう。<br />あるものをみんなで分けあいましょうっていう。<br />「資本主義の次の経済の段階が共産主義」ってだから、私にとってはすごく納得感の高い考え方です。<br />ただそれは資本主義の段階をすっ飛ばして無理やり共産主義を導入して破たんしている<br />中国やロシアの姿とは違う形で実現されるんじゃないかなーとぼんやり思ったり。<br />誤解のないように言うと、私は決して資本主義や市場主義経済を否定しているわけではありませんし、<br />共産主義者というわけでもありません。<br />ただ、経済というのは誰かが<br />「はい、じゃあ今日からこれで経済回すよー」<br />といって仕組みを作って動かしているものではなく、<br />古くは物々交換から始まって常に変化、進化してきて今日に姿になってきたわけで。<br />今現在機能している資本主義経済だって常に色んな人が研究したり<br />新たな手法を生み出したり検証したりしながら、試行錯誤を繰り返しながら、<br />また人間の自然の営みに影響されながら（結局経済を動かしているのは人間の「気持」なわけで…）<br />常に変化、進化し続けているわけです。<br />で、そうして変化・進化していく先にある姿が、かつて理想とされた姿に近づいていくというのは<br />決して不思議なことではないよね、と思っているというだけです。<br /> <br /> <br />で、今回の震災でこれからの日本はどうなるの？っていうのも、実はそっちに行くのかな、と思っていたり。<br />停電で経済が深刻な打撃を受けている、とか、今は外食産業がやばい、<br />みたいな話ですけど計画停電地域の中小零細企業は間違いなく倒産するところが多く出るでしょうし<br />外食・娯楽・不要不急のサービス業、等々、商売が立ち行かなくなるビジネスがたくさん出てくるでしょう。<br />今は、「みんな今まで通り消費して1日も早く経済を元気にして『元に戻ろう』」<br />という風潮ですけど、元には戻らないと思います。<br />日本人の「気持」が、決定的に変化したから。<br />今までとは違う何か別の「カタチ」で前に進んでいくのでしょう。<br />これはとてつもなく大きな転換点になると思います。<br />だって、好むと好まざるとに関わらず、「あるものを分け合って」生活しなきゃならない。<br />日々生きて行くこと、生活を持続すること、そのために必要なもの、をみんなが考えるようになる。<br />そこで、この「Triple bttom line」、「三方良し」を追及したビジネスを、一気に<br />実現する企業が出てくるんではないかと。<br /> <br /> <br />日本て「ガラパゴス」とか「独特」「特殊」とか言われてますけど、超楽観的に見ると、<br />それはもう、他にお手本のいない国になっちゃったってことだと思う。<br />いつの間にか、自分たちが今までお手本にして追いつけ追い越せやってた国の先頭で、<br />新しいモデルを生み出す立場になっちゃってたんじゃないかと。<br />ということで、そろそろ、段階的に資本主義から次の「カタチ」に移行するタイミングでもあると思う。<br /> <br /> <br />まだ他の国で誰も実現してないことを、やろうよ。<br />
 
</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/can-ae/entry-10839715787.html</link>  
      <pubDate>Thu, 24 Mar 2011 09:59:53 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>善悪を見極める力</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 敬愛するPR、web業界の先輩であり、頼れるビジネスパートナーでもある<br /><a href="http://www.news2u.co.jp/" target="_blank">ニューズ・ツー・ユー</a>の社長、神原美奈子さんの<a href="http://blog.news2u.co.jp/archives/2011/02/23_003102.html" target="_blank">ブログ</a>を読んで。<br /><br /><br /><a href="http://www.news2u.co.jp/" target="_blank">ニューズ・ツー・ユー</a>と言えば、いわゆるネットPR、<br />インターネット上に自社の<a href="http://www.news2u.net/" target="_blank">ニュースリリースを掲載するサービス</a>を提供している会社の草分けです。<br />最近は、類似サービスが乱立し、当社もずいぶん色々な企業からの営業を受けるようになりました。<br />当社はそんな中で<a href="http://www.news2u.net/" target="_blank">ニューズ・ツー・ユー</a>を利用しているわけですが、これにはちゃんと理由があります。<br /><br />最近はPV（page view）を売りにする類似サービスが多く、<br />1ヵ月無料で試して、ニューズ・ツー・ユーと同じリリースを掲載してPVを比べてください！<br />みたいな営業も多いです。<br />確かにPVだけ見れば提携サイトの多い企業の方が勝つわけですが、<br />こうしたサービスを利用する際、私が重視するのはPVだけではありません。<br />page lankとかインデックス数とか、細かくいうと色々ありますが、<br />一番大きな理由は、サービス提供者のポリシーや倫理観です。<br /><br />インターネットの世界では毎日新しいサービスが生まれては消えて行きます。<br />1つのものがヒットしたら、次々に類似サービスが生まれます。<br />そのサービスのもつ「ひずみ」にユーザーが気づくよりも早く<br />そのビジネスモデルが礼賛され普及してしまったりして、<br />結果非常に多くの「グレー」なサービスがひしめき合ったりしています。<br /><br />ネットPRは、<a href="http://www.news2u.net/" target="_blank">ニューズ・ツー・ユー</a>のようなサービス提供者のポータルサイトだけではなく、<br />多くの提携サイトにも同時に同じ内容の情報を掲載することができるサービスです。<br />SEO（検索エンジン最適化）においては、「良質な」サイトからどれだけリンクされているか、<br />という「被リンク数」が検索サイトでの表示順位に影響を与える要素の1つです。<br />このSEO効果を狙って、意味のないサイトからただリンクだけを貼ることをはじめ、<br />色々な手法でとにかくリンクの数を増やせばいい、という人たちもたくさん現れます。<br />ネットPRのサービスは、この点において<br />「単にリンク数を稼ぐサービス」<br />とみなされてしまう危険性もはらんでいます。<br />一度そうみなされてしまうと、GoogleやYahoo！のような検索サイトでは、<br />検索順位を下げられてしまうなどの制裁対象になる場合もあります。<br /><a href="http://www.news2u.net/" target="_blank">ニューズ・ツー・ユー</a>ではこうしたリスクを回避するために、非常に注意深くサービスが運用されています。<br />リンク元のサイトの「質」を重視する、<a href="http://www.news2u.net/" target="_blank">ニューズ・ツー・ユー</a>のポータルサイト自体の「質」を向上する、等。<br />提携サイトが他社に比べて少ないのも、その辺りに理由があると思っています。<br /><br />そしてそこには、社長である神原さんのポリシーが強く反映されています。<br /><a href="http://blog.news2u.co.jp/archives/2011/02/23_003102.html" target="_blank">神原さんのブログ</a>にあるような「Fairness & Reliability」が、<br />もっとも重視されているからこそ、PV競争や価格競争に走ることなく、<br />Loyaltyの高いお客様と良い関係を築かれているのだと思います。<br /><br /><br /><br />ここまで読むと単に<a href="http://www.news2u.net/" target="_blank">ニューズ・ツー・ユー</a>の推薦文みたいでちょっとアレなんですけど…。<br />何が言いたいかと言えば、結局この先、多くの新しいサービスが生まれてくると思うんですけど、<br />それらのサービス（オンラインオフライン問わないかも）の是非を決めるのは、<br />自らの倫理観を基準に、そのサービスのポリシーや運営者のビジョンに共感できるかどうか、<br />というのがすごく大きな要素になると思っているわけです。<br />（もちろん、最低限そのサービスの勉強も必要ですが…）<br />誰が一番、真にクライアント企業の向こうにいるユーザーのことを考えてくれているのか、<br />クライアント企業がお客様と最適な関係を築くことに貢献してくれるのか、<br />それを見極めて判断するのは、私たちクライアント企業自身でしかないのです。<br /><br />特に、webサービスの提供をしているようなベンチャー企業においては、<br />創業者の理想や理念がサービスの内容に色濃く反映される傾向がより強く現れます。<br />これから先、どんどん新しいサービスが出てくるでしょうし、<br />そのスピードはますます上がっていくでしょう。<br />そんな中で、何が良くて何が悪いのかは、なかなかはじめのころは判断しにくいと思います。<br />そういう時に頼れるのは、倫理観といえばかっこいいのですけど、<br />自分の直感みたいなものかなと、実は思っています。<br />「好きか嫌いか」<br />もちろん、それだけでみんなが判断できればいいんですけど、<br />なかなかそうはいかないのも理解はしています。<br />それでも、自分がお客様との関係を作って行く時に、<br />本当に誠実な関係をお客様との間に築きたいと思っているのなら、<br />そこに自分の好ましくないものや疑問を持つものをいれてはいけないと思うのです。<br /><br />まあ、それだけを根拠に社内の稟議を通せるんであればいいんですけど、<br />なかなかそうもいかないわけで。<br />「あなたが信頼する会社なら、私も信頼しよう」<br />と言われるくらい、社内での関係を築けているのが、理想的なんでしょうけど、<br />なかなかそうもいかないわけで（笑）<br /><br />まあ理想論はさておき、結局サービスの善悪を判断するには、<br />金額とかPVとか、わかりやすい指標だけに頼れないことは、胆に命じておきたいと思うのです。<br />そのサービスを提供している企業の行きたい方向や創業者のポリシー、<br />それをちゃんと営業担当者が共有して理解しているか、<br />クライアント企業とその先のお客様の関係をちゃんと理解して<br />そこに心底貢献したいと思ってくれているか、<br />そのサービスを利用することで、自社のレピュテーションにどんなリスクが発生するのか、<br />そういうものを何度でも担当者と話をして見極めるというのは、なかなか大変だと思いますが、<br />それ以外に方法はないかな、と思いますです。<br />これから、広告主企業には、コンサル系の外注先が増えて行くかもしれないので、<br />その時にも、この考え方はとっても大事になるんじゃないかなあと、思ったりして。<br /><br />決して楽ではないけど、お客様だけではなく、サービス提供してくれる会社との「関係」も、<br />きちんと作り上げて行きたいですね。<br /><br /><br />
 
</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/can-ae/entry-10822799850.html</link>  
      <pubDate>Sun, 06 Mar 2011 22:58:53 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>自分に似合う服を着ること</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 先日の、高広さんのfacebookの書き込みを見て。<br /><br />「魅力的になりたいと思っている女性がいました。<br />その女性に『いまこれが流行ってるからこれを着ればモテますよ』とある男は言い、<br />もう一人の男性は『あなたにはこういういいところがあるから、<br />そこを中心に表現していきましょう』と言った。前者がPRで後者が広告。」<br /><br />「えてして。PRは世の中のコンテクストに合わせようとする。<br />広告は世の中のコンテクストを変えようとする。」<br /><br />この書き込みには、いまどきのPR会社に対する批判が込められているのかもしれませんが、<br />その点は除いて、この表現には私もまったく同意。<br />以前、高広さんと「PRはコンテクストを見つけるもの。広告はコンテクストを作るもの。」<br />という話をしたことがあります。<br />それぞれに得意分野があるわけで、上の例は、担っているそれぞれの役割の違いを、<br />端的に表しているものだと思います。<br /><br />ただ、1つ補足すれば、<br />「『どういう風に見られたいですか？では、こういう服を着るのがいいでしょう』」<br />というのが、PRだと私は思っています。<br />確かに、世の中のコンテクストに合わせようとするのがPRです。<br />でもそれは、「どう見られたいか」を実現するための、PRには必須の能力なんですね。<br /><br />また、確かに、世の中のコンテクストを読み、「どういう服を着れば、どう見られるか」<br />を理解する能力はPRパーソンにとって必須の能力であり、腕の見せ所でもあると思うのですが、<br />その能力を発揮するためには、「どう見られたいか」がありきなわけで。<br />企業の広報担当者、もしくは、その企業の中にこれがない、もしくは共有されていないと、<br />どんなコミュニケーションをすればいいのかがわからなくなってしまいます。<br /><br />私が、「PRは戦略そのものだ」というのは、この点を指しています。<br />世の中に「どう見られたいか」そのための「課題」は何か、<br />が明確になっていなければ、どんな服を着ればいいのかわかりません。<br /><br />で、今この点に迷っている人たちがとても多いんじゃないかな。<br />と、思うですよ。<br />「えっ何それ。売上げ上がるの？」<br />っていう発想だと、「自分がどう見られたいか」<br />なんて考えている余裕はなくなっちゃう。<br />ひどいと、「自分がどう見られているか」すらわからなくなっちゃう。<br /><br />徹夜で仕事してお風呂も入らず袖口や襟が真っ黒く汚れているのも気にせず、<br />たくさん利益を生み出しているから満足。でもなぜか彼女ができず、結婚もできない。<br />なりふり構わないから、もちろん友達もいない。<br /><br />とかね。<br />それでも本人が満足していれば、いいでしょ？だって稼げてるんだから。<br />っていう話でしょうかね。<br />稼げてるうちは、それでいいかも。<br />でも、年をとって働けなくなったとき、孤独な人って生きるのがつらそう。<br /><br />企業も、同じじゃないですかね。<br />今、みんな稼げなくなっちゃったじゃないですか。<br />でも、そんなにたくさん利益をあげられなくても、お客さまと信頼でつながって、<br />支持されて、身の丈にあった収益をあげられている会社って、なんだか幸せそう。<br />せっかくソーシャルメディアなんていいものが出てきて、<br />第三者の口を通さずに、見せたい自分を見せられるようになったんだから、<br />ちゃんと、「自分はこう見られたいんです」「こういう人なんです」<br />っていうのを、見せて行きましょうよね。<br /><br />企業の側は、「どう見られたいか」をちゃんと決めることが、大事。<br />そんでもって、代理店の側は、そこに悩んでいる人と、<br />「どう見られるのが良いか」そのための「課題」は何か、<br />を一緒に考えてくれると、うれしいと思いますです。<br />ずーーーーっと「利益利益！」って言ってた人たちは、急におしゃれになれないんですよ。<br />「誰かが自分を『ミラクルチェンジ！」させてくれないかしら』<br />とか、思ってる人は、いっぱいいるんですよ。<br />バラエティとかで「イケてない旦那がおしゃれに大変身！」とかね。よくやってるでしょ。<br />あれですよ。あれ。<br /><br />でも、好き勝手にいじられてるだけの人って、どれだけプロが手をかけても、<br />なんとなく見た目ちぐはぐだし、きっと家に帰ったらもう二度とそんなおしゃれはできないわけで。<br />やっぱり、「自分がこうなりたい！」って思わないと、だめなんですよ。<br />そこ、間違えちゃだめなんですよね。きっと。<br />あくまでも、自分が能動的に考えないと、結局長続きしないんですから。<br /><br />そうそう。<br />当たり前のことですけど、PRパーソンの仕事の出来不出来は、100％見た目で判断できる気がします。<br />優秀なPRパーソンで、自分に似合ってない服を着てる人って、いない気がしますよ。<br />決して「おしゃれ」じゃなくていいんです。<br />「似合っている」ことが大事。<br />ちゃんと、世の中のコンテクストと、自分のコンテクストをマッチさせる能力があるってことだから。
 
</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/can-ae/entry-10711747767.html</link>  
      <pubDate>Fri, 19 Nov 2010 15:01:48 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>映画「ハーブ＆ドロシー」</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 今日、映画<a href="http://www.herbanddorothy.com/jp/" target="_blank">「ハーブ＆ドロシー」</a>を観てきました。<br />今年の6月に、さとなおさん（<a href="http://twitter.com/satonao310" target="_blank">@satonao310</a>）のつぶやきと<br /><a href="http://www.satonao.com/archives/2010/04/herb_dorothy.html" target="_blank">ブログ</a>でこの映画を知って以来、上映を楽しみにしてきました。<br /><br />今日はその初日、初回を観ようとはりきって出かけたのですが、<br />5分前くらいに渋谷の<a href="hhttp://www.imageforum.co.jp/theatre/index.html" target="_blank">イメージフォーラム</a>に到着したらもうイッパイで入れず・・・。<br />仕方なくチケットを買って2回目の整理券をもらって表参道をぶらぶらして時間をつぶしました。<br /><br />久しぶりに表参道をぶらぶらして食器を見たり画廊をのぞいたり。<br />そんなことをして眼も気分も頭の中もきれいな、<br />というか感性が高まった状態になっていたこともあったんでしょうが・・・。<br /><br />なんでだかわかりません。<br />でも、映画が終わって劇場を出ると、いつもよりも目に入る景色が、すごく色彩が鮮やかに見えたり、<br />なんでも愛おしく感じたり、少し緊張の糸がゆるむと涙が出てきたりするんです。<br />こうしてブログを書いてる今も。<br /><br />映画自体は、さとなおさんが紹介されている通り、本当にすばらしい映画でした。<br />ボキャブラリーが貧困な私は、どうやって表現していいかわからないんですけど、<br />大好きな映画になりました。<br />すごく主人公のご夫婦が微笑ましくて、思わず笑ってしまう場面も多くて、<br />泣けるところってなかったはずなんですけど、でも、最後の方は涙が止まらなくて。<br />上映後に佐々木監督の舞台挨拶もあったんですけど、その最中も。<br /><br />主人公のご夫婦に感情移入しすぎて、<br />自分も本当にものの本質が見える気になっちゃっているのか、<br />なんなんでしょうねw<br /><br />感性とか、感情みたいなものが裸にされちゃったような気がします。<br />ものっっっっすごく、監督や、映画を観られた方、<br />私と同じくこの映画のファンになられた方には不愉快な表現かもしれず、<br />とてつもなく不適切な表現なのはわかってるんですけど、<br />今の私の状態って、感性が、なんというか、<font size="1"><font color="#999999">むけたてのちんちん</font></font>みたいな。<br />もちろん女性なのでそれがどんな感じか私にわかるはずはないんですけどね・・・。<br />通風って、風が吹いてもイタイといいますけど、風が吹いただけで感じるという、アレです。<br /><br />すんません・・・。<br />意味わからないですね。<br />でも、それくらい、自分の感性を刺激される作品だったんだと思います。<br />すごく、大事なことを、思い出させてくれる映画。<br />アートが好きな人も、そうでない人も、きっと楽しめると思います。<br />そして、少しでもアートが好きな人、ものを産み出すことを仕事にしている人には、<br />感性とか、感情を揺さぶられる映画だと思います。<br />主人公、アーティスト、美術館のキュレーター、この映画に登場する、<br />全ての人が、情熱や愛情や友情やアートについて、眼を輝かせて語るんです。<br />でも、難しい言葉は一切なくて、「好き」が溢れている。そんな感じ。<br /><br />そっか。今も涙がとまらないのは、その純粋さが、伝染したのかも。<br />やー。<br />そんな状態でのエントリなので、ものすごく不適切な表現もあり、<br />ひょっとしたら気持ちが落ち着いた後、該当部分はさすがに恥ずかしくなって<br />削除するかもしれませんが、映画を観終わった直後の感想でした。<br />いやー。映画のストーリーとか紹介とか、ほぼなくってすいません。<br /><br /><br />いやー（恥）。<br /><br /><br />（初めてこの映画を知った月を6月に、修正しました。記憶違いで4月と書いていました…。それと、映画ハーブ＆ドロシー公式サイト、渋谷イメージフォーラムへのリンクを追加しました。2010年11月13日22時30分）<br />
 
</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/can-ae/entry-10705909993.html</link>  
      <pubDate>Sat, 13 Nov 2010 15:41:29 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>「個報」「個告」</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 <a href="http://ameblo.jp/can-ae/entry-10648778249.html" target="_blank">先日のエントリー</a>がきっかけで、ツイッター上で<a href="http://twitter.com/can_ae/status/24539126235" target="_blank">こんなやりとり</a>がありました。<br />　<font color="#0000FF">個報、個告とかw RT @dennis_50: can_ae「広報もですよ」。だよね。<br />　広告と広報についている「広」という字のせいかもしれない。<br />　いっそのこと、池田信行さんが言うみたいに、「狭告」「狭報」って、<br />　言っちゃえば楽になるかも。</font><br /><br />勉強不足なもので、「狭報」「狭告」という言葉、このやり取りで初めて知りましたが、<br />結構以前から「広報」「広告」との対比で使われている方はいらっしゃるようで。<br /><br />で、まあこの言葉がずっと引っかかっているので、<br />先日の続き、というかもっとそれを、掘り下げたお話を。<br /><br />マスを使ってできるだけ広い範囲に「どーん」っていうのが<br />「広報」とか「広告」だとすれば、<br />1人1人のユーザーに直接語りかけたい私が考えてるものは、<br />「個報」「個告」かなと。<br />「狭い」対象に情報を届けるんではなく、<br />ユーザー1人1人に届けるから、「狭報」「狭告」でもまだ広いんですね。<br /><br />結局、どんな情報に、どんな人が、どんな状況なら、どういう反応をしてくれるのか、<br />を考えると、やっぱり1人1人の耳元で、直接顔を見ながら説得したくなる。<br />「反応」を得ようと思うなら、そうしたくなるのが人情ってものではないですかね。<br />だって、伝言ゲームしてるより、自分が直接乗り込んでいって説得した方が早いでしょ。<br /><br />「ていうか、それって営業じゃね？」<br />という声が聞こえてきそうですが、「広報」や「広告」が扱うのは「情報」であって<br />「商品」そのものとはちょと違うかなあと。<br />商品そものなら物流にのるけど、「広報」や「広告」を届けるのはそれとは別の流通経路。<br />「営業」なら「買って」もらうことが目的だけど<br />「広報」や「広告」の目的は必ずしも「買って」もらうことじゃない。<br />特に、「広報」の仕事は「関係づくり」なので、「営業」とは、ほしい反応が微妙に違うのですよ。<br /><br />話がそれました。<br />で、より広く届けたいけれども、より多くの人に同じ情報を届けても、<br />情報を届けた全ての人から同じ反応が得られることはない。<br />でも、1人1人と直接対話できれば必ず説得できる、期待する反応を得られる可能性は高まる。<br />でも、人数が少なければ社会的なインパクト（社会的な反応）は得られない。<br />広報パーソンは、ずっとそういうジレンマの中にいたわけです。<br />で、既存のマスコミに情報を流す「広報」では、「足りない」と感じてきた広報パーソンが、<br />より広くより多くの「個人」のユーザーに情報を届けたい！と思ってきた広報パーソンが、<br />それを実現するツール＝インターネットを手に入れた、のが、今です。<br /><br />もちろんネット自体はもっと以前からありましたが、<br />ようやくネットユーザーの母数が、<br />「マス」に達した＝そこを動かせば一定のインパクト（社会的な反応）を得られる、<br />という状況になったわけで。<br />で、その「マス」を動かすためにはそれを形作っている「個」を動かさなければならない。<br />という意味で、その状況でのコミュニケーションの対象は、「個」なのです。<br />世論も空気もブランドもイメージも評判も、ほぐしていけばそれを形作っているのは、<br />「個」なわけで。<br /><br />ネットを使うことで1人1人の耳元で囁かなくても、面と向かって説得しなくても、<br />それと同じようなコミュニケーションを、もっと効率的にできるようになったわけで。<br />なので、ほんとに1人1人と対話する、という意味ではなく、<br />マスを形作る「個」に対してコミュニケーションをする、という意味で、<br />「個報」「個告」は、ありなんじゃないかなあと思うですよ。<br />まあ、ものすごく誤解されやすい言葉な気もしますが、私1人が使う分には、<br />私のイメージを伝える分には、いい言葉だと思いましたです。<br />ふむ。<br />
 
</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/can-ae/entry-10656531937.html</link>  
      <pubDate>Thu, 23 Sep 2010 06:04:07 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>What are you doing?</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 <br />先日、ニューズ・ツー・ユーの神原さん主催の<a href="http://tweetvite.com/event/asaeigo2" target="_blank">「朝英語」</a>の会に参加してきました。<br />出勤前の時間を使ってみんなで英語でマーケティングを勉強しちゃいましょう、という会です。<br /><br />教科書は神原さん監修、同じくニューズ・ツー・ユーの平田さん翻訳の<br /><a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4822247201?ie=UTF8&tag=canae0f-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4822247201">「マーケティングとPRの実践ネット戦略」</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=canae0f-22&l=as2&o=9&a=4822247201" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" /><br />の原著の改定版。<br />2008年に出版されたので、少し内容に古いところはありますが、<br />知ってる内容だけにわかりやすかったです。<br />みんなで同じ部分を読んで日本語でディスカッション、<br />その後自分の考えを英語でまとめて発表しあう、という流れです。<br />今回のトピックスは「Twitter」。しかも、2008年当時の。<br /><br />これを読んだ私の感想、というか一番引っかかったのは<br />「(twitter) gives users the opportunity to tell people what they are doing.」<br />というところ。<br />ツイッター以前には、確かに「What I'm doing」がそんなに他人から面白がられたり<br />その情報を元に誰かと仲良くなったり、なんてことが起こるなんて考えたこともなかったわけで。<br /><br />なんでしょうねえ。<br />この「What they are doing」という情報の持つパワーって。<br />覗き見してるような楽しさとは違うんですよねえ。<br />覗いてなくてもだらだらと流れてくるし。<br />覗きの楽しさとは違う。（べっ別に私には覗きの趣味はありませんからねっ）<br />自分が当たり前と思っていることが実は他の人にはまったく当たり前じゃなかったとか、<br />いかに自分と他人が違うかがわかって楽しいとか、そういう楽しさですよね。<br />あと、すごく他人をおもしろがらせるスキルが上がるツールのような気がしますｗ<br />他の人がツイートした電車の中での日常の一こまがすごくおもしろかったから、<br />自分も、今までだったら誰にも話さなかったようなちょっとした出来事もつぶやくようになる。<br />とかね。<br /><br />とにかく、「What I'm doing」という「Information」が持つ力、すごく興味深い。<br />で、思いだしたのが<a href="http://jptwitterhelp.blogspot.com/" target="_blank">Twitterのヘルプ</a>にある「ツイッターの使い方」ビデオ。<br />初めて見たときも「What they are doing」をシェアするとどうなるか、<br />というのがわかりやすくて目からうろこが落ちたんですけど、<br />自分が日常的に「What I'm doing」をシェアするようになった今、<br />あらためて見るとまた更におもしろい。<br /><br />確かにツイッターで「いろんな人とつながれる」<br />「今までなら興味のなかったような情報にも出会える」<br />とかいろんなことができるようになったかもしれません。<br />でも、それを可能にしているのは、「What you are doing/thinking」という「情報」です。<br />これ、すごいことだなあと思います。<br /><br />ツイッターをやってない人は「いちいち自分が何やってるとか、他人に知らせたくないし」<br />「人が何やってるかとか別に知りたくないし」<br />とか、よく言いますよね。<br />でも、そういう人が実際に初めてそこのおもしろさにはまっていく姿を、<br />何人もみなさ目撃していますよね。<br />この、魔力にも似た魅力w なんなんでしょ。<br /><br />で、そんなことを考えながら朝英語を終えて会社に戻ってみると、<br /><a href="http://twitter.com/Capote" target="_blank">@Capote</a>さんのブログに、<a href="http://capote.posterous.com/twitter-is-not-a-social-network" target="_blank">こんなエントリ</a>が！<br />なんとタイムリー。<br />「everyone's favorite micro-blogging network is not actually a social network.」<br />「Twitter is for news. Twitter is for content. Twitter is for information.」<br />ですと！<br />これ、先ほどのビデオと合わせてみると、どうでしょう。<br />以前、TwitterのCEO、Evan Williamsはこうも言ってます。<br /><a href="http://business.nikkeibp.co.jp/article/nmg/20090731/201445/?ST=nmg_page" target="_blank">【Twitterは「2013年に10億人のユーザーを獲得して、<br />地球という惑星の『Pulse（脈拍・鼓動）』となる。<br />それは、『Alert system（警告システム）』ではなく、<br />『Nervous system（神経系統）』という役割を持つ」】 </a><br />これだけTwitterにいろいろな側面があると騒がれていても、<br />結局、彼らの視点は最初からずっとぶれてないということ。<br />彼らが見ているのは「人を動かすsystem」の部分。<br />始めから「What they are doing」にその力があるとわかっていたのだとしたら、すごすぎる。<br /> <br /><br />なんというか非常に取りとめのないエントリになってしまいましたが、<br />もう少し、この「What they are doing」については、考えてみたいです。<br />多分、それはエントリの形ではまとめられないと思うけど。<br />でもきっと、これからの私を支えるものの一つになる。気がします。<br /><br /><br />
 
</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/can-ae/entry-10651686385.html</link>  
      <pubDate>Sat, 18 Sep 2010 06:12:18 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>1＝？</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 <br />最近、社外でお話をさせていただく機会が何度かありました。<br />私がお話しできることと言えば、まあ、広報まわりのことくらいなんですけど。<br /><br />当社の事例をお話しして、広報視点からのwebマーケティング、<br />的なお話をするのがお決まりの流れなんですが、その中で改めて、大事だなあと思ったことについて。<br /><br />これから、きっと多くの会社の広報担当者や、宣伝担当者が、<br />会社や社会の要請に従ってwebに関わって行くようになると思いますが、<br />その時、大企業になればなるほど、担当者の「感覚」のチューニングは、<br />大変だろうなあと思うわけで。<br /><br /><br />例えば、ネットPRとか、ツイッターです。<br />ていうかまあ、うちがやってるのってその2つしかないのでそのお話しかないんですけどw<br />宣伝担当者や広報担当者は、公称数百万部だ、CM1本で視聴者100万人だ、<br />とかの数字に慣れてるわけです。<br />自社HPのPVだって、やれ数十万PVだ、数百万PVだ、っていうレポートが毎月上がってくるわけで。<br />そんな中で、「なんだか盛り上がってるみたいだからツイッターとかやってよ」っていう方々は、<br />まさかネットPRで出したリリースのPVが1,000にも満たない、とか<br />1ツイートのクリック数が3桁行くことなんて滅多にない、とか、多分想像もしてないでしょう。<br /><br />でも、例え1PVと言えど、1人は見に来てくれたということなわけで。<br />「ネットを使うことで、個人に情報を直接届けることができるようになった」<br />わけですが、それは、取りも直さず「個人」のユーザー1人1人に、情報を届けることなわけで。<br />今までは、端から数十万、数百万を対象にして、そこを最小単位にしていたわけですが、<br />「個人」を対象にするということは、文字通り、「1人」が最小単位になるのですよ。<br />マスを対象にせず、「個人」を対象にしているんだということを、もう一度、<br />企業の中の人たちは、きちんと心に刻むべきなんじゃないかと思うです。<br />「個人」を対象にしてコミュニケーションをすると決めたなら、<br />頭の中の最小単位を「1」にチューニングしないといけないのですよ。<br />1PVを、如何に取りこぼさずに積み重ねるか。<br />ユーザー1人1人とコミュニケーションをするということは、そういうことなのだと、<br />もう少し、理解しなきゃいけない人たちが、多いんじゃないかなあ、と感じます。<br />そこが理解できれば、1PV、1UUを獲得することがどれだけ大変か、どれだけ貴重か、<br />がわかるんじゃないかなあと。<br />数字を競うことに慣れてしまうと、その数字がユーザー｢1人」を意味していることを、<br />忘れてしまいがちなんじゃないかなあと。<br />ユーザーは「数百万人」じゃ、ないのですよ。<br />あなたたちがコミュニケーションしたい人たちは、「1人」なのですよ。<br />と、いうこと。<br /><br /><br />うーむ。<br />何か、愚痴っぽいエントリになってしまった…。<br />いや、愚痴じゃないんですよ。<br />ただそのチューニングがうまくいってない人が、まだまだたくさんいるなあと思った、<br />というお話です。ハイ。<br /><br />
 
</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/can-ae/entry-10648778249.html</link>  
      <pubDate>Tue, 14 Sep 2010 22:58:40 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>もう一度、カクニン。</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 <br />先日、ある方に「そんで君はそんだけ勉強してこれから先どこに行くんだ。目的はナンだ！」<br />と、聞かれて言葉に詰まったことがありました。<br />目的も行きたい方向も明確で、何度もこのブログでも書いてきているのに、<br />口に出すとそれがとても陳腐に響いてしまうような気がして、声に出せなかったんですね。<br />なんでそう思うんだろうなあということを考えるのは、まあ今日はおいておいて。<br /><br />ひとまずこれからどこに行こうとしてるのかだけ、その質問への回答も兼ね、<br />その場で明確に声に出せなかったもやもやを吐き出す意味も兼ね、<br />もっかいまとめて書いておくです。<br /><br /><br />私が自分に課しているミッションは<br />「企業と生活者の間に、もっと正しくてもっとハッピーなコミュニケーションを増やすこと」<br />です。<br /><br />インターネットが浸透したことで、どんどん色々な情報が明らかになって、<br />企業の透明性が求められるようになったのも一つ。<br />経済が成熟したことで、お客様が単に商品・サービスの値段やクオリティだけではなく、<br />更に一段上の「価値」を見出すようになったことも一つ。<br />その他にもたくさん原因はあるかもしれませんが、そうしたことが、<br />企業に「誠実であること」「正直であること」を求めるようになっているわけで。<br />そうして、「誠実であること」や「正直であること」が価値を持って、<br />そうあることでお金を稼ぐことができるようになってきたのが、<br />「今」なんじゃないかと感じています。<br />すごく、正しいなあと、思います。<br />これが、「正しい」コミュニケーション。<br /><br />で、「ハッピーな」コミュニケーションは、<br />「企業がポジティブでなんだかハッピーな情報を発信すること」<br />そのものではなく、「正しい」コミュニケーションの結果として生まれる、<br />「ハッピーな」空気のことです。<br />何か、表現が拙くてもどかしいですが・・・。<br />企業が発信するのは常に楽しい情報ばかりではないのでね。<br />でも、楽しくない情報でも、「誠実に」「正直に」発信することで、<br />受取った側が、結果「ハッピー」になれると、理想的なんじゃないかと。<br /><br /><br />そしてこれが、企業対お客様だけではなく、個人同士のやりとりにまで広がると、<br />ものすごくハッピーな世界がやってくるような気がしています。<br />企業が積極的に、「正しく」「ハッピーな」コミュニケーションをすることで、<br />知らず知らずのうちにそれに触れる人たちが、「正しく」「ハッピーに」なったり、<br />それが良い循環を生んだりして。<br />そうして、その人たちが「正しく」「ハッピーな」ことの価値に気付いて、<br />またその人達の周りの人がさらにそれに気付いて・・・という。<br /><br />そんな妄想をしているわけです。<br />で、そのために、大好きなPRの仕事を通してその一端を担えたらいいなと。<br /><br /><br /><br />あ、あと、最終的には「企業と生活者」だけではなく、「情報発信する人と生活者」なんですけど、<br />私がひとまず貢献したい（できる）のは「企業と生活者」のコミュニケーションなので、<br />そういう表現にしています。<br />さらにそれを、上の文中では「生活者」ではなく敢えて「お客様」としているのは、<br />「カスタマー（お客様）」ではなく「コンシューマー（消費者）」<br />の意味で使っているんですけど、文中では「お客様」と表現するのがわかりやすく、<br />ミッションの中では「お客様」でも「消費者」でも、その表現では「狭い」からです。<br /><br />あー。なんだか注釈がうっとーしいですが、「気持ち」を表現することを優先した文章を書くと、<br />こうなってしまう自分の文章力が恨めしいです。すみません。<br /><br /><br />まー。そんな感じなんです。ハイ。<br /><br />
 
</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/can-ae/entry-10613224335.html</link>  
      <pubDate>Sat, 07 Aug 2010 22:00:57 +0900</pubDate> 
    </item> 
  </channel> 
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