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    <title>ぐうたらママのだらだら投資日記</title>  
    <link>http://ameblo.jp/buta2005/</link>  
    <description>毎日まいにち世界情勢、会社観察から投資対象をひたすら考えているアナリストの楽しい日記</description>  
    <language>ja</language>  
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    <item> 
      <title>死刑でいいです</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 週末に「死刑でいいです」という本を読んだ。題がいいっていうか、すっごい心惹かれる題だったんで、読む本が山積みで借りられない期間にどの事件についての本だったかは忘れてしまったけど、題だけ覚えていて予約したのだ。<br />
母親を殺して数年後、見知らぬ姉妹を殺して死刑になった人の話だった。<br />
あの事件には私もすごく驚いたのだ。私は昔から「親殺しをする人がその後他人を殺すことはまずない。殺される親は自分の責任なんだから法的に有罪にする必要はない」と考えていて、しょぼいHPでだけど、そういう主張を載せていたこともあったんで、「私の主張って何だったの？堂々と間違ったことを人前で主張してたの？」って感じだ。<br />
主張って言ったって、だ～～～～れも聞いてないに等しい主張だったんだけど。多い日でアクセス１００とかだったものねえ。社会に対して何の影響もない存在、何考えたって社会的には意味のない存在。それが私。<br />
私みたいに人生全体を見れば、まあえらくうまくやってるように見える人間が言うのは図々しいだろうけど、秋葉原連続殺人事件の犯人が人殺しなんてしたくなくて掲示板で必死に予言していた気持ち、わかるもん。私。け～～～っきょくは相手にされてないんだ、自分ってイタいなと思いながら、「助けてあげるって言ってよ」と涙をボロボロ流しながら「HP辞める」と書いてた時の気持ちと、掲示板に「人殺しする」と書き続けても何の反応もない時の気持ちって絶対似てると思う。<br />
私はHP辞めたくなかった。ずっとずっと一生書いていたかった。だけど、「辞めます」って言って、誰も助けてくれないのに続けるわけにはいかないよね。すでに十分イタいのに「気を引こうとして言った」ことになっちゃうじゃん。そりゃあ誰も評価しないようなHPせっせと書いてるようなクズだけど、そこまでクズじゃないぞ、っていうプライドが最後の砦だもん。秋葉原の人だって、「人を殺します」って重大なことを書いてるのに誰も反応しない場面で、本当に人殺しをしなかったら嘘をついて人の気を引いたってことになっちゃうじゃん。もうそうなったら「自分がひたすら他人の気を引くイタいだけの人間か、それとも言ったことはやる人間か」って最後のプライドをかけた話になって、もうやらなきゃ仕方ない、って事情はすごくよくわかる。<br />
私でも同じ状況だったら、やるしかない、ってなってしまうと思う。だから、殺人予告はしない。誰も止めないって、あの事件でわかったし。<br />
そのように、私ってば言ったことには必ず責任取りたいキャラなんで、母親殺しの人が縁のない人を殺した事件には、「私の見方は間違っていたのか」と同時に「私みたいな馬鹿、社会的に影響なくて良かったあ」という感じだった。１００人しか読んでないとこで間違ったことを言うのはいいけど、数万人読んでて影響力ある人だったら間違えましたって謝って済むものじゃないよね。<br />
しかし、本の中に出てきた専門家の人も「普通親殺しと他人殺しはダブらないので驚いた」って言ってたから、やっぱり、たいていはダブらないもんなんだろう。私は別に過去の犯罪について調べたわけじゃなくて、親殺しと他人殺しはどう考えても心の動き方が違うから「別に親殺しても他人に迷惑かけるわけじゃなし、そいつが他人に危害を与える確率が他の人より高いなら別だけど、親しか殺さない分には他人である社会が刑罰課すことないじゃん」と思っていたのだ。<br />
本を読んでいて感心したのは、親殺しで捕まった少年に関わったという人たちみんな、人の気持ちがわからない人ばっかりだということだ。誰も彼もが少年に母殺しの反省を求めるけど、反省なんかできるわけないじゃん。「この人たちは自分がこの犯人だったらと考えたことがないんだろうか？」と感心したし。後で「自分がああすれば殺さずに済んだかも、こうすれば殺さずに済んだかも」って考えられる余地があるくらいだったら殺してないって。そういうように考える余地があるとすれば、それは親のほうで、「ああ育てれば殺されずに済んだ、こう振舞えば殺されずに済んだ」ってことはあるでしょうよ。だけど、子供の方は、そもそも「違う道を考えられる余地がないようにしか育てなかったんだから親を殺すはめになった」わけで、どお～～～にもならないことじゃん。<br />
人間、狼に育てられれば、狼人間になるものを、狼人間本人に「狼人間になったことを反省しろ」と言ってるようなもんじゃん。狼人間に育ったら、そもそも、人間の言葉理解しないし。<br />
それに、「心を閉ざして本音を語らない」って言われてるけど、どう見ても本当に思ったことをそのまま言ってるようにしか見えないんですけど。犯人が本音を言わないんじゃなくて、周りの人が犯人の真実をそのまま認められないだけじゃん。思ったことの何を言っても相手にそのまま取ってもらえなくて、違う答えを要求されたら、それは話したくなくなるよなあ、と思う。<br />
私も昔、通ってた大学に精神的な相談に乗ってくれる相談室があるのを知って、行ってみたことがある。最初に行ったときにいた人は話しやすかったので少しは話したけど、雑談ばかりで終わった。でも、二度目に行った時にいた人に対しては、丸一時間ほぼ一言も話さなかった。一言も話さないというのは、何を聞かれても黙っているってことだ。自分で相談に行っておきながら。<br />
そういう態度のことを心を閉ざすって言うのなら、そうなんでしょうよ、と思うけど、そもそも、心を開いた状態というのがどんな状態なのか経験がないからわからない。自分では、自分が「心を閉ざしている」という特別な状態だと思っていない。「心を閉ざす」という表現を使うのは、そうじゃない状態のことを知っている人のことで、私らには自分の何を言われてるかさえわからない。<br />
宇宙について地球人が知らなかった時代に、地上に空気があると知ってた人っていますか？みたいな話だ。空気の存在を意識するのは、真空について知ってからでしょうが。<br />
私は大学の日常生活ではすごくオープンで、超社交的だった。それも実は、「心を開いた」ことがないから、自分の中に「知ってる人と知らない人という区分けが存在しない」し、すべての人付き合いが私にとって「接客でしかない」からだった。地味な大学だったんで「生徒会長より有名」と言われていた。道端でも電車の中でも知らない人と知り合って、ご飯を食べさせてもらったりしてたくらいで。それでも、二度目にいたカウンセラーには「何か違う」「この人とはしゃべりたくない、もしくは、しゃべっても無駄」と黙ってしまった。こっちだって悪気があるわけじゃないから、話したくはあったけど話せない。だって、そこでしゃべったって、相手に理解能力がないことはすでに会った時にわかっているんだから、相談者である私の方が調子合わせなきゃならないじゃん。自分の問題について考えた方がいいと行ったのに、なんで相手の職業のために接客しなきゃならないわけよ。というのは後での分析で、そのときは単に話せなかった。黙られている相談室の人も気の毒だなあ、と考えながら、話すことを妨害する何かを自分の中に感じていた。<br />
道端で知らない男についていって、ひどい目にあったことが一度もないのは、野生の勘が発達しているからで、人を見れば親しくなっていいかどうかわかるからだもん。話しても無駄、って感じさせる人でも、専門の学校に通って試験に受かった事実があれば「心の専門家」ってことになるって、おかしいよね。<br />
それ以降、相談室には行かなかった。次回を予約して行ったらカウンセラーが違う人になっていた、というのを、不愉快や恨みに思うというのは、私よりもずっとまともな人の話で、私くらいだと期待がないから恨みもない。「他人は危害を加えてくるのが当たり前」が自分のデフォルトだし。赤の他人に危害を加えられたことなんて全然ないし、社会には異常に親切な人ばかりいるんで戸惑っていたくらいで。<br />
後日、道端で最初のカウンセラーと会い、喫茶店に誘われて、雑談をした。どう見ても私に気があるようには見えないのに、どうして彼が喫茶店でパフェまで奢ってくれるのか、私は不思議でしょうがなかった。今の私だったら、「自分がカウンセラーとして相談を受けて、次の約束をした学生が、違うカウンセラーには黙秘を通した後に、相談に来なくなった」ら、そりゃあ気になるだろうな、と思うけど、私はそもそも、そういう心配っていう普通の人間の感情を知らなかったので、「何が楽しくて、この人は自分の時間とお金を使って私と話しているんだろう」と不思議だった。「いや、なんとなく君のことが気にかかってたんだ」と言われたことだけ覚えているのは、「そういうこともあるんだろうか」と思ったからだろう。<br />
わたし的には、私って、私に気のある男性以外には透明人間みたいなもんだと感じていたんだろうな。私に気のある男だけに私は意識されるし、覚えられるというように。もしくは、面白い人、有名な人、ってイメージの私が情報として誰かに覚えられるのはわかるけど。誰かと心が触れ合って人間として認識しあう、ってことについて、体験もないし想像が及ばなかったからだと思うけど。<br />
昨日の晩御飯は恵方巻き。今日は疲れてるから無理だな、何か作り置き物食べよう、と思っている時に太郎が帰ってきて、「恵方巻きするキーか？」と言うんで、「お母さんは無理だけど、太郎が作ってくれる？」と聞くと、「じゃあ、やろう。」と次郎を誘って、かんぴょうを買いに行くところから始めた。最近、太郎、リーダーシップあるし。ちょっと前まで太郎は足りなくて次郎はしっかりしてるんで、「どっちがお兄ちゃんか？」って感じだったのに、はっきり太郎がリーダーになって次郎が弟っぽくなってきた。<br />
その後、用意しながら、太郎はおおざっぱで次郎は几帳面な性格なんで、「次郎の置いたものを太郎が動かした」ことについて延々と喧嘩していたけど、どっちもキレずに余裕を持って口論していたのには感心した。
 
</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/buta2005/entry-10450347452.html</link>  
      <pubDate>Thu, 04 Feb 2010 10:44:15 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>合理的ってなに？</title>  
      <description> <![CDATA[ フラクタル幾何学の創設者が書いた「禁断の市場」という本を読んだ。理系のワンちゃんが「おもしろい」というので「相場と関係ない本ばかり読んで遊んでるのもダラケてるし、たまには我慢するか」と仕方なく読み始めたけど、まあまあ何とか最後まで頑張れた。<br />
レベルの高いことを書いているのに、私でも取りあえずは読めるのだから、さすがに頭のいい人は違うなあ、と感心した。難しいことを馬鹿にでもわかるように言えるのが頭のいい人の特徴だ。それに、数学で大物なのに、市場にまで研究を広げるのがすごい。<br />
しかしだ。この本は「市場の動きを数値化して予測する」金融工学について書いてるんだけど。私はこの「市場の動きを数値化して予測する」ってこと自体が成り立つように思えないんで、そもそも前提自体、そういうこと考える人とは違っているから、読んで意味あったんだろうか？と思う。<br />
だって、それ「人の心を数値化して予測する」ってことに等しいわけで。「市場の動きを数値化して予測」っていうと、何だか有り得そうに思えるけど、「人の心を数値化して予測」って聞けば、ほとんどの人は「そりゃ無理」って思うんじゃないかな。<br />
数値化して予測できるようなことって、その予測を成り立たせるすべての前提が正しくないといけないんだよね。一つでも間違いがあると全体が狂ってしまう。化学反応とかならいいけど、人の心って入れなきゃならない要因多すぎ。<br />
よく「市場がいちばん効率的に資源を分配できるというのは人間がすべて合理的に判断をして行動できるという有り得ない仮説に基づいてる」って市場主義批判がある。「人間が合理的なものなら、市場も合理的になるのに、人間は合理的じゃない」と言うのだ。だけど、「じゃあ、その合理的って何よ」って私はいつも思う。<br />
何が合理的であるかなんて、人によって違う。「人間がすべて合理的に行動するという仮説」があるとしたら、その合理的って何ですか？ってことから定義しなきゃならない。っていうか、まるで「合理的」な行動に人による違いがなく、同じ条件を与えられた時に人間が同じように行動すべきだと考えられる、ただ一つの「合理的な行動」が有りえると思っている人たち、頭おかしいし。<br />
だいたいその「合理的ならば」って言ってる人たちの思ってる「合理的」自体、きっと私が聞いたら「こいつら馬鹿か？狂ってるのか？」と思うようなものなんだ。利口そうにしている人たちってたいてい「何かをすっぱり切り捨てて、代わりの何かを信じて、自分の信じる狭い範疇の中でだけ合理的なのを、自分が世界一正しいと夢見ている」ものだし。<br />
その「すっぱり切り捨ててる」部分が本当は大切なことで、信じていることの方が実は下らなかったりするんだけど、そこまでの想像力がないから自分は賢くて合理的だと思っていられる、って場合がほとんど。<br />
昨日の晩御飯はカレーとガーリックナン。玄米を研いでおいてと太郎に頼んだのに、忘れられていたことが夕飯時になって判明し、次郎にナンを作らせた。責任を感じたらしい太郎と仲良く作っていた。
]]> </description>  
      <link>http://ameblo.jp/buta2005/entry-10445462376.html</link>  
      <pubDate>Fri, 29 Jan 2010 12:10:30 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>大学行けばそんなに偉いか</title>  
      <description> <![CDATA[ <p>こないだのＮＮＮドキュメントに、ボケた婆さんを施設に入れた三人の子供達の事情というのをやっていた。<br />
２０年前だったら顔を出して取材に応じる人なんかいなかっただろうテーマで、世の中変わったなあと感心した。っていうか、韓国を初めとしてアジアのほとんどの国じゃ有り得ない。台湾や中国だったらできるかな。ちょっとわからんな。<br />
自ら施設に行った婆さんは、家が恋しいという短歌ばかり書いてる。子供達のそれぞれの事情、っていうんで、「妻も仕事を持ってるし、子供達も大学進学でお金がかかるしで、婆さんとの同居は無理」ということを言っていた。<br />
だけどさ、それ、「ボケた婆さんの世話してお金ももらえずに暮らすより、仕事のほうが楽しいしお金も入るし」ってだけじゃん。「ボケた自分の親が寂しく死ぬかどうかより、子供を大学に行かせる方が自分にとって大事」ってだけでしょ。<br />
私は、他人が自分らの親を棄てようが殺そうが何の興味もない。年取った親を子供が殺しても、法的には無罪でいいと思ってるくらいだ。私自身についてだって、年取った時に子供らに殺されたとしても、法で裁いてもらう必要なんかない。赤の他人である警察や裁判所にガタガタ言って欲しくないです。<br />
自分が自分の支払いで親を養っているのに、自分の納めた税金に他人が親を養わせてるとしたら面白くないだろうな、とは思うけど、そのくらいの興味しかない。ていうか、台湾だったかで、子供がいないことにすれば税金で養ってもらえるから親子で共謀して身寄りのないふりをする、っていうのは聞いたことあるし、中国系の国で税金の養老施設を日本みたいに豪華にしたら、家族制度も家族関係も簡単に崩壊しそうだな、日本はどうなるのかな、って感じくらいで。あんまり税金が高くて割りに合わなくなったらどっかに移民するから別に関係ないし。</p>
<p>だけど、「仕事がある」「子供を大学に行かせたい」ことを、まるで暴力で強制された義務みたいに言わないで欲しいな。単に自分の選択じゃん。どっちだって辞められることだし、プラス貧乏はイヤなだけでしょ。家で家族と一緒に暮らしてそこで死にたい親の希望より、親のコストは税金で他人に払ってもらって、その分いい暮らしをできる方がいいだけでしょ。<br />
親がどう死のうと後には何も残らないけど、子供を大学に行かせれば学歴になるし、夫婦で働けば二人とも企業年金で国保よりいい年金もらえるし。<br />
別にそう判断することには何の文句も無いけど、「自分がそう判断している」ことを「できない、無理」と言わないで欲しいな。まあ、私だって同じ立場になったら世間向けには「できない、無理」って言うけど。だけど、それと、顔出しでテレビに出てもいいってくらいに自分がその嘘を信じ切るのとは違うんじゃないの。<br />
しっかし、この「大学」って最近、錦の御旗みたいになってるよね。行かなきゃいけないみたいな。<br />
ずうっと前、秋田の連続子供殺人事件の畠山被告が、まだ逮捕されてない頃のテレビ映像見て、私、ひと目で「この人は頭のおかしい人だ」ってわかったってことがあった。そんなの、見慣れてればわかる。人間なんて自分じゃ知らずに個人情報ボロボロこぼして歩いてるもんで、劇団四季の浅利慶太氏なんか「面接会場で歩いて名前言っただけで、その人がどれだけデキるかわかる」って言うもん。<br />
頭がおかしいとはわかったけど、頭のおかしいお母さんなんて世の中にゴロゴロいるから、だからといって犯人とは思わなかった。で、まあ、全般的におかしい中でも、特にチェック項目だったのが「専門用語みたいな言葉を使った」ところ。<br />
「私って本当は教養あるんだから」って言いたい人って、難しい単語を使える局面を逃がさないんだよねえ。だいたいそういう人って、「本当は」って主張したいだけあって、一般的に見ればあまり教養が無い人で、本人がそれを認めたくないわけだ。世間に対して認めないだけじゃなくて、自分自身に対しても認めない。現在の自分は「あるべき自分」がたまたまこうなってるんだと信じている。<br />
世の中に教養のない人はたくさんいるけど、ほとんどの人はそんなこと気にしてない。物知りじゃなかろうとどうしようと「私は私」で、そのまんま。不釣合いにモノを知ってるフリをするのはコンプレックスの塊みたいな人だけ。<br />
何を踏み台にしても大学に行かせなきゃっていうのも専門用語使いたがるのも、同じ根から出ている気がする。大学出の印籠持ってれば知性の面で虚勢張る必要ないし。前者は親がその親を税金施設に押し付ければ子供が大学行けたわけだけど、畠山被告の親は娘を大学に行かせることはできなかった。<br />
大学という名の場所に行けるかどうかって、とうの昔から純粋に金だけの問題になってる。下手したら知的障害者だって行けるんじゃねえ？それが美談になったりして。<br />
大学、大学、って有り難がるの、いい加減にして欲しいな。と、普段から思っているところに、「家のない少女達」という本に極めつけのパロディみたいな話が出ていた。<br />
母親に虐待されて家出して施設に入っている少女が「母親と暮らしたらどうだ」って言われて施設から逃げ出したって話。施設の人が「お母さんもパートしながら大学行ってがんばってる」って、うわあああって感じだ。<br />
ていうか、大学行く余裕あるなら、子供の経費全部税金でみさせないで施設に金入れさせろ、と私が思うことを、各地の生活保護決定担当者も思うらしく、そのお母さんは「大学に行く」と言っては、生活保護の申請を却下されていたそうだ。おかげさまで、娘は極貧プラス虐待。<br />
大学に行くっていうのは、娘に十分なご飯を食べさせるより大事なことか？？？？？世間ではそう評価してるのか？？？？<br />
最高気味悪いし。他人でさえ気味悪いんだから、それが自分の親だという少女がどれだけ気味悪いか計り知れないし。その気色悪さがわからず「大学に行ってがんばってる」ってマジに思えるらしい施設の公務員もう逝ってよしだし。<br />
大学行くって、もはや注ぎこむ資力の問題だけになってるのに、「無条件で人間の価値を上げるグッズ」になってる感じだ。他人がそう見るってより自分らにとってそうなんだろうけど。だって、多くの仕事の現場じゃ、カネで買える肩書きの有無より、ちゃんと仕事ができるかの方が重要だし。カネで買える程度の大卒の肩書きだったら通信制や放送大学でも同じくらいの評価は受けそう。<br />
しかし、私は気味悪いと思うし、家出少女も気味悪いと思ってるだろうけど、社会の評価、社会の価値観ってことで言えば、「大学行く＝がんばってる」「普通に子育て＝何もしていない」っていう方が明らかに主流だ。<br />
「キャリアウーマン＝がんばってる」「普通に子育て＝何もしていない」っていうのもあったな。<br />
命とか人間を大切にしようってことはたいてい誰でもうなずくし、その思想からいうと、「ガツガツ勉強したり地位向上をはかったり金儲けするよりも子供の命を大切にはぐくむことが大事」っていうのにも多くの人がうなずくはずなのに、「じゃあ大学行くのや金儲けと育児どっちが偉いか？」「仕事や進学を諦めて親を幸せに死なせて報いがあるか？」っていったら、「偉い。報われるべきだ」って思うのは、これを読んでる最中の人くらいだ。読み終わってしばらくしたら、また社会全体の価値観に戻るだろうし。<br />
この状況で、子供を大切に育てろったって、無理。だって、育児の価値の地位って私らの親の代からもうずうっと低下してるんで、元々自尊心が低い人が育児をするとますます自分を愛せなくなるし、当然子供も愛せないし、っていうのが親子で受け継がれながら続いてるんだもん。その下落ぶりはまるでバブル以降の土地価格みたいだ。<br />
っていうか、文章書いてる私みたいだ。「文章書いてると、私はどうしてこんなことを、と自分をさげすんでしまう。ああ今日ももう１１時まで書いてしまった」って感じは「自分はなぜ子供に縛られてこんなことを」って似てると思うな。私的には、親や子供をどうするか、っていう命に関係することが「こんなこと」になっている価値観を社会全体が共有してるんだから、世の風潮に左右されやすい弱い自我の人たちが子供を大切に育てられないとしても当たり前だろうなあ、と思う。<br />
ホリエモンに代表される拝金主義やマネーゲームのせいだって言う人多いけど。そんなの全然関係ないし。ホリエモンの親の代にすでにそういう風潮はあったし、私だって自分があんまり惨めだからそのマネーゲームとやらに参入を図ったわけだし。しかたないから拝金主義になろうって感じでもあるし。拝金主義になれば少なくともカネの分の自尊心は持てるもん。マネーゲームや拝金主義は結果であって原因じゃないんだよね。<br />
昨日の晩御飯はいなだのお刺身、大根の千切り、いなだのアラと野菜たくさんの味噌汁。 </p>
<p>１０Ｌのビタクラフト鍋いっぱいにおでんを作ってあったのに、ずうっと食べたかったイナダが今日こそあるかもとスーパーに寄ってしまい、大きなイナダを３００円で売っているのを見たらもう、おでんは延期決定。<br />
野菜をたくさん食べるためにアラ汁を作ったら、すごくおいしくて、お刺身以上の人気だった。アラも面倒くさがらず食べてくれて、本当にかわいい子供達だなあ、と思う。イナダ、７００ｇあったし。魚のほうが肉よりずっと安いなんて、家のあたりって漁村並みの暮らしぶり。</p>
]]> </description>  
      <link>http://ameblo.jp/buta2005/entry-10440024286.html</link>  
      <pubDate>Fri, 22 Jan 2010 10:48:47 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>コミュニケーションってなに？</title>  
      <description> <![CDATA[ 昨日の夜、子供達に英語の勉強をさせるためにダンシングクイーンというアバの曲を教材に使った。アバはスウェーデンのグループなので、英語が簡単なのだ。昼寝をして元気があったのでビシビシ教えてやった。<br />
ディスコに張り切って向かう１７歳の少女、あなたこそダンスの女王だ、っていうだけの単純な内容なんだけど、期待にあふれた若い熱気が見えるような描写で、「いいなあ、そういう世界」って感じだ。<br />
その前に、友達がオタクだらけの太郎とコミケットの話をした時に、「コミケじゃ５００円のものって安い」って言われて、「文化だのなんだの言ったって結局はカネがたくさんなきゃ話にならないのな。そういう世界じゃカネの量と満足感って比例するよな」と感心したこともあって、「アバの時代のディスコの入場料って日本でも世界でも１０００円や２０００円だったよな。それで一晩踊れて、人と交流できて、ダンシングクィーンって気分も持てて、恋も探せて、そっから交際が深まれば結婚もできて、ほんと～～～に甘い世界だったよなあ」とつくづく思った。<br />
そこで踊ってる人のほとんどは、低賃金のパッとしない職業の男女なわけで、恋して結婚したからって家計簿をにらんで子育てに追われるような日々が待っているだけなんだけど、恋をしてしまえばそれが幸せに思える、ディスコではみんな性的魅力を携えた美しくて若い心と体の持ち主であって、社会の序列も賃金の量もそこでは問題にならない、そういう世界だよね。<br />
かつてバンドブームがあった時に、そこに安らぎとか幸せをみつけて追っかけになったり家出してハマった少女がたくさんいるって話をよく本で読むけど、それだって、ものすごい量のカネが必要で。なんか読んでるだけで悲しくなってくる。<br />
追っかける交通費とか、ＣＤ買うカネとか、カネさえあればできるコスプレとか。オタクの世界も追っかけの世界も、カネが無きゃ自尊心も買えない。<br />
逆にカネさえあれば、トップに立てる。ばっちりコスプレ決められるし、何でも買えるし、当然周りの人から一目置かれて、人の欲しいアイテムたくさん持ってるから大事にされるし。<br />
インターネットはディスコほどにすらお金もかからず家にいるだけでラクにコミュニケーションできるって話なんだけど。私なんか「ネットで文字の言葉を交わすの、コミュニケーションっていうのかなあ。いっていいのかなあ」と思う。<br />
ずっと前、ＨＰをしていた時、漫画の原作のアイデアがあったんで、私のＨＰを面白いと言ってくれた人に相談したことがある。文章をプロで書いてた人だったんで、いろんな人を知ってるかなあ、絵を描けるけど無職の人とか卵の人とか知らないかなあ、と思って。私の文章を面白いと言ってくれてたので、「この人が面白いと思うけど社会的にはパッとしなくて暇な漫画家の人とか知らないかなあ」と思ったのだ。<br />
自分が面白いと思う発想を持つ恵まれない無職の人と自分が面白いと思う絵を描く恵まれない無職の人、その両方を結び付けられればいいなあ、って私が彼だったら思う。もし自分が本当に相手を評価していたら、関係するのは名誉なことだし、これをきっかけにお知り合いにって感じだ。<br />
けれど、「人に頼らず出版社に売り込みに行け」と説教されてしまった。<br />
私は別に「人に」頼ろうとしたんじゃなく、「彼が」私の文章を褒めてたからその「彼に」相談したんだ。じゃあ、あなたの「とっても面白い」って評価って何？「人に頼らず出版社に行け」って、相手が誰でも言うことで、彼にとって私が私である意味なんかないじゃん。あれはお世辞だったんですか？お世辞言う必要なんて全然なかったのに？って感じで。<br />
今までの、あなたのあの言葉は何だったの？とか、交流は何だったの？みたいなことってたくさんある。っていうか、ネットじゃそういうことばっか。<br />
人と交流するつもりで文字打ち込むもけっこう時間を食うもので、それで結局文字だけの付き合いで何にもならないんだったら、どっか出かけて誰かと話した方が、どっちにせよその場だけの会話でも、まだ効率がいいかも。本当に付き合えるかもとダラダラ期待する余地が無いだけ。<br />
こないだいつも忌々しく思っていた評論家の悪口を書いて、同感してくれそうな方のページで紹介させていただいたら、アクセスの数がとても多くなっていて、「ついに人前で言い返してやったぞ！！！」と気分が良かったけど。よくよく考えると、じゃあその「人前」って何？と思うと、私の見たのは人ではなくアメブロのシステムが表示した数字。<br />
ってことは、システムに間違いがあってアクセスされてもない数字が表示されたら、それでも私は同じ満足感を得るわけで、実際には人を確認しているわけじゃない。私は電子表示された数字に勝手に感動しているだけ。その数字の裏づけを確認してもないのに。その数字以外、人が読んだ証拠なんてどこにもないのに。<br />
だったら、それが人が実際に読んだ数字である必要、読まなきゃ増えないことになってる数字である必要はあるんだろうか？月千円、アメブロに払えばアクセス解析に１０００足してもらえる、っていうのでもいいんじゃないだろうか。数字は１０００人の人が読んだのと同じになるし、私はその数字に満足するわけなんだから。<br />
同じだよね。どこが違うの？<br />
と書きつつも、私が期待しているのは、人間の交流はそんなもんじゃない、って誰かが言ってくれることだ。<br />
昨日の晩御飯はカレーライス、大根とミントのサラダ。ベランダにミントの苗木植えたら、水もやらないのにすごい繁殖してのさばりまくり。
]]> </description>  
      <link>http://ameblo.jp/buta2005/entry-10439273929.html</link>  
      <pubDate>Thu, 21 Jan 2010 11:22:43 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>チ＠ポビール</title>  
      <description> <![CDATA[ <p>昔、富士通の成果主義の弊害という本を書いた城繁幸さんという方をちょっと前にテレビだったかな？で見かけて、サラリーマンが会社辞めてああいう本を書いた後って大変そうだなあ、と思っていたので、評論家やってるのか良かったね生きてたね、と時々ブログを見るようになった。<br />
本を読んだ時に、あ～あ～あ～ご苦労様だなあ、大変そうだなあ、気の毒に、でも会社辞めちゃってこれからも大変だなあ、がんばってね・・・・とずいぶん同情してたので、元気そうに生き残ってる様子を見て単純に嬉しかったのだ。<br />
しっかし、後で考えてみれば、その本の中の分析だって実に良いものだったし、アメリカだったらベストセラー出して出世して収入数倍だと当たり前に思えるような話なのに、なんで私は「お気の毒に・・・これからも大変・・・」と思ったかと考えると、それが日本ってことだなあとつくづく思える。<br />
私はそのとき、「いくら優秀な人でもパージくらってどこにも雇ってもらえないだろう」って当たり前に思ったのだ。<br />
富士通って会社自体は、そのときすでに私の中で「ダメ会社」というジャンルに入っていたんで、「成果主義の弊害」には驚きべきところはなくて、もうお笑いというか。だいたい悲劇と喜劇は紙一重なんで中の人が悲惨であればあるだけ外から見ればパロディみたいな感じで笑える様子になるんだろうなあ、と思う。<br />
当時私は株はやってなかったわけだけど、なんで富士通をダメ会社に分類してたのかな・・・。<br />
で、時々読んでたけど、コメント欄は毎回読んでるってわけじゃなかった。けれど、そのコメント欄にこないだすっごい面白い記事に飛べるリンクが載ってて。「大手有名銀行の飲み会で、先輩がチ＠ポ入れたビールを後輩に飲ませた」というのだ。<br />
日本の大手銀行ってどこも腐ってるの通り越して社員すべて脳軟化症なんじゃないかと思ってたけど、そこまでとは・・・・。老人施設に入っている方々同様脳みそ帝国陸軍か？（でもそういう人ってまだ生きてるんだろうか、そもそも・・・）で、社員は寒村からの新兵ってとこか。<br />
こないだ某鉄道会社の不動産部門を統括している立場のお方とお話して、「最近は不動産は値下がり傾向で大変ですよね」と振ってみたら、「確かにバブルの頃と比べると・・・」って、まるでそれが昨日のことのように返されて、バブルの頃っていつだよ、２０年前か？？？？と、あきれ果てて脳みそ爆裂、会場の端まで飛んでいくような気分になったけど。<br />
大銀行はバブル通り越して日清戦争。<br />
まともな会社じゃ１年前は大昔、１ヶ月前のことでさえ遥かな過去になっているというのに。<br />
城さんのところのコメント、勉強になるし～～。<br />
で、寝る時に次郎に「オマエだったらこのチ＠ポビールを飲むか？」と振ってみた。本当は子供が二人いるときに聞きたかったんだけど、みんなが揃って暇なときって食事のときしかなくて。私はチ＠ポって別に汚いものって意識が無いんでよくわからないんだけど、他三人にとっては食欲がなくなる話かなあ、と思ったのだ。<br />
「俺、キレるよ」と言う。まあ、そうだろうなあ、と思う。「だけどさ、このチ＠ポビールを飲まないと会社にいられなくなって失業するかも知れないんだよ。やっと入ったいい就職先だよ」と言うと、闇の中だま～～～ってる。<br />
「そんな会社はどうせダメになるから辞めた方がいいよ」なんて言ってる。次郎のキャラ的にはそんなこと絶対に我慢しないだろうと思えるのに、どうしてすぐにイヤだと言わずに「辞めてもいい理由」を言うのかね。別に素晴らしい会社だろうが高給だろうが一生安泰だろうが、ビールぶちまけて辞めりゃあいいじゃん。<br />
私の感じでは、どうも次郎は、「辞めたら後が無いよ」と言う私の言い方に、「お母さんは飲んだ方がいいと言ってるのでは」と思い、違う答えを言いたくなかったんじゃないかと思う。私が望めばチ＠ポビールだって飲みそうだし、私がそこにいて望まなくても、チ＠ポビールを飲まなければ会社に居づらくなってお母さんががっかりする結果になると思うと、飲んでしまうかもしれない。で、チ＠ポビールを飲んで身の安泰を図ったことはエリートになって良かったと喜ぶ母には一生言えないのだ。<br />
後日太郎に同じ質問をしたところ、なんでそんなことを聞くんだって感じで「飲まない」と言った。他の答えは有り得なさそうな感じだ。<br />
私が思うに、子供ら二人の答えの温度差は、キャラの違いじゃなくて、年の違いじゃないかと思う。太郎は大人になりかかる年で、自分に自信をつけつつあるというか、「世の中がどうでも就職先がどうでも、僕は僕として折り合いのつくことは折り合うけど引けないところは引かずにやっていける」って気がしてるんじゃないかと思うのだ。</p>
<p>お母さんを失望させることがあっても、それはお母さんの見方が間違ってるから。結果として成功して喜ばせばいいんでしょ、みたいな。</p>
<p>土日の朝ごはんは蜂蜜パン。土曜の昼はヤリイカのお刺身とか野菜汁とか。土曜の晩は広東麺ライス。日曜の昼は天ぷらだの白菜だの卵だののうどん。日曜の晩は次郎の肉団子入りキムチチゲ、大根の皮とニンジンのキンピラ。 </p>
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      <link>http://ameblo.jp/buta2005/entry-10437016345.html</link>  
      <pubDate>Mon, 18 Jan 2010 12:10:55 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>ご先祖様のご加護論</title>  
      <description> <![CDATA[ この間、「悪人に訴えられたことと不良品の冷蔵庫を買ったことが重なったのは、私を守っているご先祖の霊のご加護のおかげかもしれない」とワンちゃんに言ったら、「それは普通、不運と考えるようなことじゃないか」と言われた。<br />
まあ言われてみるとその通りで、人によっては「悪運がついている」とお祓いを受けるようなことのような気もする。<br />
そう考えると、何が幸運で何が不運か、というのは、人によって違うんだろうなあ、とわかる。別に私は無理にポジティブに考えてるわけじゃなく、ほんと～～～にご先祖様のご加護だと思ったのだ。背後霊とか当たり前に信じてるし。別に信じてても特に何もしないんで、霊感商法とかには絶対引っかからないし。<br />
だって、霊がいるとしてさ、なんでその霊と私との間の関係に、現世での金が関わってくるわけよ。さらにその霊が先祖のものだったとしたら、他人は関係ないじゃん。祈祷とかなんとか他人に口出される筋合いないし。私が感謝するより金もらってやる赤の他人の祈祷がいいんだったら、そんなもん先祖じゃねえ。<br />
交通事故にあって死んでしまう、とかの絶対的な不運だったらご加護じゃなくて悪運としかいえないだろうけど、自分しだいで解決できることは不運とは言わないよな。私なんか、な～～んにもないと、ついつい重箱の隅をつつくような下らない心配を始めてノイローゼになっちゃうようなとこあるし。<br />
今までの人生で一番、ご先祖様のご加護じゃないかと思ったのは、太郎の受験の時のことだ。第一志望の願書が受け付けられなかったのだ。<br />
１．さっさともらってきた願書を、いつもは用心深い私がなぜか「太郎ももう年なんだから自分で出しな」と太郎に任せてしまった。２．太郎はそれを締め切りの前の日に出したんだけど、いつもは「何かあるかもしれないから何でも早く申し込む」私が全然口うるさく言わなかった。なぜか心配もしなかった。第一志望だったのに。太郎の進路校については中一から検討していたのに。中学でやった先輩達による進路相談の会にも特別に申し込んで中二の段階で出て、親の出席は私だけだったのに。３．申し込み封筒に大きく書留と書いてあったのに、太郎はその言葉を知らなかったので普通郵便で出した。封筒を一瞥すれば私にはわかるはずで、しかも同じ部屋で願書の作業をしていたのに、どうしてか私はその封筒を見てない。４．消印有効の日の翌日、郵便局が親の留守中に料金不足で封筒を返してきた。５．この時点で志望校に連絡すれば何とかなったかも知れないけど、親は外出中だった。帰ったらもう夜で、翌日は日曜で学校休み。すぐに書留で出しなおさせたし、前回の消印がついてるから大丈夫じゃないか、ということになった。余計なこと言うとかえって良くないかもというのもあったし。５．志望校から、受け付けられないと願書が返ってきた。６．親子で志望校に向かい、「書留という言葉を知らなかったミスで、消印有効の期限内には出していて、スタンプもちゃんと押してあるので受け付けて欲しい」とがんばったけど、断られる。<br />
という経過をたどったわけだ。<br />
ここの校長がほお～～～～んとにイヤな奴で。顔見るだけで人類の汚物でしかないってわかるし。国家公務員って能力も人格も関係なく、というより低いほうが出世できるから校長なんじゃねえ？って感じで、税金払うのがイヤになるほどイヤな奴だった。<br />
消印有効の期限内には出してるし、ちゃんとそのときの消印もあるのに、「郵便法では、この場合後の消印が有効ということになっている」って、それはその通りなんだけどさ。今どき書留で郵便なんか普通出さないから親だって若ければわからないし、親が外国人だったら確実に何だかわからないし、願書には書留というものの説明が書いてなかったんだよね。それって説明しなかった方の落ち度もあるんじゃねえ？書留という言葉がわからなかったってだけで願書受け付けられませんかね。そこで郵便法を厳格に守る必要がどこにあるかっていったら、自分が自分が自分一人が、何の努力もせずに完璧にどこにも文句をつけられない状態を守りたいから。<br />
こいつが教育者っていうんだから笑えねえ？？？？笑うよね、普通。<br />
規則を厳格に守って、有益なことは何もせず、何も考えず何も判断しない、それが国家公務員にとって出世して高給を食む秘訣。っていうか、だったらそのポストに人間っていらなくねえ？人間雇って税金から高い給料払う必要がどこにある？<br />
いろいろな偶然？が重なって願書が受け付けられなかったわけだけど、私も志望校に直談判に行く時点では、もう「こんなに偶然が重なるの、おかしくねえ？なんか、この学校に行くのを妨げられてる気がする」と、「背後霊様の力かも」と思い始めていた。この志望校に行ったら何か良くないことが起きるんでちょこちょことした偶然を操作して妨げてたのかも、まあ談判はするけど、ここに通うのはよした方がいいのかも、という感じだ。<br />
まあ悪霊が悪い運命に導こうとして、っていうのも考えられないわけじゃないけど、悪霊ってそんな気の長い（まず志望校に行かせず、違う学校に通ったところで交通事故を起こす・・・とか）仕掛けをするかねえ？直接やらねえ？普通？と考えると、やっぱり運命を知ってて違うほうに行かせようとする善霊の力と考えた方がハマる気がする。<br />
人間社会だって、悪事って直接で気が短いもんじゃん。殺人とかオレオレ詐欺とか。数年ゆ～～～くり計画して仕掛けてってあんまりないよねえ。それに対して、運命を変えようとか現実を好転させようと思ったら、ちょっとした岐路でこっちに行かせてあっちに行かせてって長いスパンでやらないといけないじゃん。<br />
今の学校の通学途中に太郎が事故にでもあったら、「あれは悪霊の仕業だったか・・・」となるんだけど、今のところ大丈夫だし。学校としては今行ってるとこの方がぜ～～～んぜんいい。偏差値の差に血迷わなくて良かったし。志望校も合格確実だったからあっちも受けてたら迷ったかもしれないから受けられなくて大ラッキー、ってラッキーじゃなくて御加護だったか。<br />
私は基本的にばりばりネガティブ思考で、ワンちゃん見てて「なんでコイツとくっついたんだろう」と思うと「そうだ、私は元々男は底抜けの馬鹿が好みだったんだ。向こうまで突き抜けた馬鹿面見てると、そのときだけでも暗い見方を忘れられるし」ってくらい根暗なわけだけど。しかし、いろいろ考えていくと「一見不幸に見えたアレは実はご先祖様の御加護だったのではないか」ってことがけっこうある。ポジティブに考えてるつもりは全然ないんだけどな。例えば体が弱くてお腹を壊しがちなこととか。後でよく考えると、「ずうっとお腹を壊してた時だって食欲は落ちなかったしガンガン太っていた。もし私の消化器官が丈夫だったら、あんなもんじゃ済まなかったのではないか」と思えるし。<br />
昨日の晩御飯は、正月の食べすぎで胃腸の調子が悪くなったのでキムチうどんにした。のはいいんだけど、三杯も食べてしまった。ほんとに、胃腸が丈夫だったらどうなっていたことか。
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      <link>http://ameblo.jp/buta2005/entry-10433218895.html</link>  
      <pubDate>Wed, 13 Jan 2010 11:06:28 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>お正月の記録</title>  
      <description> <![CDATA[ お正月の記録。<br />
年末は結露によるカビ取りを中心にした大掃除。といっても、ほとんど子供達にやってもらった。３０日には子供達にやることを指示し、ワンちゃんを連れて横須賀見物に出かけた。シンデレラの継母みたいだな・・・と思う。<br />
子供達が小さかった頃は、３１日の深夜になっても掃除が終わらず、ずううっと働いていても今ほどすべてはできなかった。今じゃあ横須賀のマックでのんびりしている間に、子供達が磨いといてくれるんだもんなあ。<br />
３１日には仕方なく私がお節料理を作った。子供らには無理だもんね。といっても、１ｋｇのサトイモを手を赤くして剥いたのは次郎だったな・・・。下ごしらえは結局みんな子供か・・・。<br />
３人も人手があるんで（ワンちゃんは去年の財務の集計をしていた。家計の管理はすべてワンちゃんがやってるのだ）、年を越す前に掃除も料理も見事に終わり、大晦日の夜にゲームをしながら年を越すのを楽しみにしている太郎の指揮の下モノポリーをしてたら１２時を回る。<br />
太郎は元旦から調子悪いと寝込み、嫌がる次郎を無理に連れ出して都心方面の地味そうな寺に初詣。不動産屋の店先を覘いては賃貸価格の動向や空き状況を調べる。午後からはモノポリー。<br />
二日には太郎が回復したんで、みんなでやはり都心方面の寺に出かけ、やはり不動産の動向を調べる。マックに入って、子供達がバーガーを取り合うのが面白かったので、もうちょっと分け合ってもらおうとさらに買ってビデオを撮っていたら、スイッチが入ってなくてがっかりする。というか、「どうしてスイッチ入れたまま渡さないんだ」とワンちゃんに怒りまくる。帰ってワンちゃんは不貞寝。私はずっと怒っていたけど、夜にみんなに説教される。ワンちゃんは「ビデオなんて撮らなくていいじゃないか。目で見てるだろう。目で見て、覚えておけばいいじゃないか」と言うけど、忘れてしまいそうなんだもの・・・・。<br />
しかし、かわいいかわいいって言っても、太郎なんかもうすぐ成人じゃん。次郎だって他人から見たら、危なそうな若いのって感じだし。夜道で近くに寄りたくないような。ひよこを二匹連れ歩いてるつもりなのは私だけで、私以外の誰が見てももう「かわいい」とは見えない外見になってしまったな・・・。<br />
３日にはワンちゃんの親の家に行く。二日に喧嘩（じゃなくて真実は私が一方的に怒っていた）しておもしろくないので、私は行かないと言っていたけど、誰もそんなに気にしない様子だった。実際、子供達はお年玉のため行かなきゃなんないし、ワンちゃんは我が子なわけだけど、私が行こうと行くまいと関心のある人なんていないもんなあ。「オマエがいなくても誰も気がつかないから別にいいよ」と言うワンちゃんを、口のうまい次郎が「お母さんがいないとつまらない、と言え」と諭す。<br />
この子ってば、なんで「感じのいい会話術」の本に書いてありそうなことを知ってるんだろう。<br />
家に残るとさびしいので結局私も出かけ、子供達が行きたがるので夜には秋葉原にも行った。<br />
４日には、夕方からひたすらモノポリーをして戦いは深夜に及んだ。っていうか、このモノポリーというゲームが実社会に似てるのにびっくり。つい数十分前には競り合いでものすごい高値をつけた土地が、額面の半値で投売りされても買い手がつかなかったり。欲しかった土地が十分の一の値段になってるよ、と思いつつも、現金は無いわ、持ってる土地はみんな抵当に入ってるわ、って、ほんと実社会と同じ。<br />
作ったお節料理は、雑煮、白豆と黒豆の甘煮、サトイモとニンジンとコンニャクとレンコンと豆腐と結び昆布とシイタケの煮しめ、焼きブタ焼き鳥、キンピラゴボウ、なます、松前漬け、蕪の浅漬け、白菜の浅漬け、出し巻き卵。買ってあったのが蒲鉾と数の子。<br />
料理の際の残り汁とか半端ものでカレーも作っておく。<br />
煮しめだけでサトイモ１ｋｇだし、浅漬けだって大きなボール一つだし、量が多いので大変だった。<br />
元旦からの不動産動向の調査で、現在の経済の状況がいっそう鮮明につかめたと思う。需要がものすごく減退してるのに不動産が下がってこないのは銀行が支えているからに違いないと思うんだけど、私に言わせれば需要が戻ってくる可能性なんて政府が何をしようとほぼ完全にゼロだ。いつまでどこまで支えるのかなあ。どっちにせよ自然に逆らうことはできないんだから、いずれは崩れるだろうけど、預金や貯金をしている日本人への額面上大量の借金を抱え込んでいるけど、まあ日本円なんて日銀で輪転機回せばいくらでも出てくるんだから返せないことはないでしょうよ、という政府の出方との兼ね合いもあって、じゃあ土地が確実に下がるのか、となると貨幣の価値との比較じゃ何ともいえない。土地の価値が半分になっても、貨幣の価値が十分の一になれば土地価格は五倍になるわけだし。<br />
でも、金融工学（と称するもの）によるバブル景気の終焉が後から見ると必然であったように、これから日本に必然的に何が起こるか読むための材料はすでに出揃っている気がする。今度は「そうなるしかなかった」じゃなくって、ものごとが起こる前に「そうなるしかない」って言いたいもんだ、と思う。
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      <link>http://ameblo.jp/buta2005/entry-10432662799.html</link>  
      <pubDate>Tue, 12 Jan 2010 17:27:29 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>成長の機会</title>  
      <description> <![CDATA[ めでたく年明け。<br />
去年は平々凡々とつまらなく過ぎるかと思いきや、自分には一生無縁だと思っていた裁判というものをすることになって、人生に色が添えられた。ていうか、世の中には一般人が裁判起こされたら受け切れないのをいいことに、借りても無い金返せみたいな裁判起こして甘い汁を吸う奴がいるとは聞いていたけど、まさか自分らがその手の奴に遭遇するとは。<br />
っていうか、私ら、たまたまそこにいた一般市民と見られて訴えられたんだけど、一般市民がいつでも大人しく悪人に好きにされて泣き寝入りするだろうって認識甘すぎるし。<br />
というより前に、私ってば一般市民じゃないよねえ。だいたい。いや、プロフィールは目いっぱいスクエアなんだけど（私だって自分のことだと知らず自分のプロフィールだけ聞いたら立派な奥様だと思うもんよ）、キャラが全然一般人じゃないし。<br />
よくまあ、勝手に大人しい一般市民だと思ってるのは勝手だけど、この私に手を出したよなあ。<br />
私ってば生活信条が「やられたらやり返せ」だもんなあ。<br />
恩には報いる、っていうのもあるけど。<br />
「必罰」「報恩」って、映画で見る、ヤクザの親分の席の後ろの壁に飾ってある色紙みたいだなあ。<br />
そういうわけで、去年は一回り大きな自分になれる機会を与えられた感じだ。<br />
一昨年にはリーマンショックがあったし。その前のサブプライム後の暴落ぶりもすごかったけど。日経平均１万８千円がついには７千円に。あっという間に私の資産が飛んで、いや、すごかった、すごかった、って感心してる場合じゃなかったけど。<br />
あの暴落を経験したことで、一回り大きな自分になれたことは間違いない。<br />
というわけで、ここ二年は年毎に違うテーマで成長する機会を与えられ続けている私だ。<br />
さらに去年の終わりには駆け込みで揉め事が。買った冷蔵庫が不良品だったのだ。「げーーーー、今時売ってるときから不良品の冷蔵庫なんてあるのかよ。しかもブランド品だよ？？？？」と驚きつつも、「取り替えてもらうしかないか・・・・面倒だけど・・・・あ～あ～」と販売店に連絡したところ、調べに来たメーカーのサポートが超失礼な態度に、当然キレまくった。<br />
その後の展開もあり、揉めたまま、年を越して現在に至るわけだけど。<br />
会社って、ちょーーーっと関わってみると、ほんと、中が透けて見えてるのかと思うくらい良くわかる。サポートの奴がたまたま例外的に失礼な奴だった、ってことは有り得ないのだ。一人がダメな会社ってみんなダメ。平から社長まで、キレ～～～イに、みんなダメ。実際、この話も、そういう展開になったもん。<br />
この会社は、世間的評価が高くて、私にすらまあまあいい会社じゃないか、ってイメージがあったし、だから冷蔵庫も買ったわけだけど、内部はボロボロだなあ、良かったあ～～買ったのが冷蔵庫で。株じゃなくて。だってイメージが良くて中がボロボロって、株価が割高で実力に見合わないだろうってことじゃん。<br />
と、内心は思ってるんだけど、相手には怒り続けているふり。っていうか、どおおおお～～～しよ～～～～もないアンタらの状態を見かねて、怒りという形で忠告してやってるのに、その真心がどうしてわからないかねえ。<br />
企業も人間も同じ、怒られるっていうのは、自分の欠点を直して一段上の状態に生まれ変わるチャンスなのに、「怒られた」「イヤだ」「逃げたい」「丸めこもう」「謝っておこう」って、そうじゃないでしょ、与えてもらってることがどうしてわからないよ、っていうこと、多いよねえ。<br />
コンサルに頼めば何百万と取ったあげくに「御社の欠点は」って言ってくるのと同じかそれ以上のことを教えてやってるのに。<br />
しかし、正月休みが明ける頃の夜更け、しみじみ思ったんだけど。「世の中にただ生きてるだけで悪人に裁判しかけられる人がどれだけいるだろう？この日本で、買った冷蔵庫が不良品だなんてことがどれだけあるだろう？私はその両方に当たったわけですごい確率だ。そして、そのどちらも、私を成長させてくれる題材になっている」わけだ。<br />
もしかしたら、これは、ご先祖様の霊が私のために仕組んでくれてるのかも知れない。私は本気でそう思った。<br />
昨日の晩御飯はおせち料理の残り、秋刀魚の塩焼き、キャベツの味噌汁、大根の葉の炒め物。
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      <link>http://ameblo.jp/buta2005/entry-10428161915.html</link>  
      <pubDate>Wed, 06 Jan 2010 18:06:24 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>弁護士って楽しそう</title>  
      <description> <![CDATA[ 裁判所から訴状が届いたんで、昨日まで毎日、答弁書を書いていた。<br />
書くのがとっても面白くて、「弁護士ってこんな楽しいことを仕事にしているのか！」と感心した。<br />
中国旅行中、歯が痛くなったのが虫歯じゃないかと疑っているのに歯医者さんで調べてもらっても虫歯の証拠がなくて、「証拠がなくても銀の下を掘るべきか？？」「掘って何もなかったら？」「掘らずに進んで神経を取る羽目になったら？」と悶々と。もう歯のことしか考えられない状態だったところに、舞い込んでくれた訴状はまさに天からの贈り物。答弁書を書いている時だけは心からくつろげた。<br />
仕上がってくると、「もう終わってしまう・・・・」と寂しいくらいだったけど、ちょうどその頃、歯の方もネットで親切な歯医者さんに相談することができて痛みの原因の推察もつき、心穏やかになっていけたんで、ほおんとに「いいとこに訴状が着いて大ラッキー！！」だった。いちばんつらいところを答弁書書きの仕事が救ってくれたんだもん。<br />
弁護士っていいな～～～楽しそうだな～～～なってみたいな～～～～。<br />
私も中学生の頃、「将来は弁護士ってどうだろう？」って考えたことがある。勉強が好きだったから、「勉強だけで生きてける仕事って何があるだろ？」と考えた時に、そのくらいしか思いつかなかったのだ。<br />
将来のためだったら、もういくらでも勉強したかったし。<br />
世の中には、そういう考えを持ったら励まされて応援してもらえる子供も多いかと思うけど、私の場合は、親以外の大人とも世の中ともまったく接点がない暮らしだったんで、「仕事＝肉体労働」と理解していて、勉強と将来がつながるなんてこと、まともに想像できなかった。父親は大学出の営業職、母親は高卒なんで低学歴家庭ではない、というより当時の基準では高学歴な方の家庭だったけど、彼らは女は高卒で充分と思っていたのだ。別に私がそんなに昔の人ってわけじゃなく、同世代の、父親が失敗してなくてそれなりの生活が当たり前のご家庭では、女の子でも勉強や進学が奨励されていた世代なんだけど・・・。<br />
私なんか、勉強を邪魔しないでくれたら、国公立大学の学費出してくれるだけでいいくらいだったのにな・・・。勉強さえできれば、大学出て立派な専門職になれる人生が有り得るなんて想像もできなかった。<br />
あんまり親にずうううっと悪口ばかり聞かされるんで（それが原因だったってことは数年前にやっとわかったんで、それまでは自分は生まれつきの精神病だと単純に信じていた）、頭がおかしくなってきて、「このままでは病院行きだ」と高校で部活に入ったら、疲れ果てて毎日家と学校合わせて１２時間眠る生活に。そこで私の勉強ライフは終わった。大学の受験勉強程度は部活引退してからできたし、官立の授業料安かったから大学には行けたけど。受験して大学行くんで精一杯。というか、勉強しだいでなれる専門職ってもの自体、私みたいな人生とは無縁のものだったし。狂わずに生きるので精一杯。<br />
まあ、じゃあ弁護士になっていたら幸せな人生だったか？というと、それは全然わからない。というか、私の人生、何がどうなってようと、親にいただいた精神病が治らなかったら、絶対幸福にはなれなかったと思う。<br />
昨日の晩御飯はマッシュルームとクリームチーズ（自家製青カビ風味）のにんにく味スパゲティ、肉団子と野菜のトマトスープ。<br />
３パック１００円で買ったマッシュルームが古くなっていたのと、青カビが生えたクリームチーズを発見して思いついたメニューだけど、信じられないほど美味しかった。作った本人なのに、あまりの美味しさにびっくりした。
]]> </description>  
      <link>http://ameblo.jp/buta2005/entry-10413860131.html</link>  
      <pubDate>Thu, 17 Dec 2009 11:13:06 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>左翼って要はこういう人たち</title>  
      <description> <![CDATA[ エコノミストという雑誌に闘論席というページがある。開いてすぐの、とてもいい場所のページだ。<br />
このページには、数人の人が代わる代わる文章を載せている。<br />
その執筆者の中に、斉藤貴男という人がいて、いつも私はこの人の文章を読んで、「世の中、馬鹿に限りはないんだなあ」と感心している。<br />
この人がどれだけ馬鹿かはわかっていたつもりだったけど、そんな私でも１２月１日号の記事にはブッ飛んだ。<br />
その文章は「飛行機に乗るたびに狂おしい怒りに襲われる」で始まっている。なぜこの人が怒っているかというと、「国内旅行傷害保険の自動加入機が消えうせたから」だ。「墜落したが最後、家族が路頭に迷う。その命綱が一方的に断たれようとしている」そうだ。<br />
・・・・・・・この人は車には乗らないのだろうか。<br />
飛行機は自動車に比べて圧倒的に安全なのだ。毎日のように「傷害保険をかけずに」車に乗っている人が、飛行機に乗る時に特別に傷害保険をかけるとしたら、確率からいって馬鹿げている。<br />
この斉藤貴男という人が、飛行機に乗る時にだけ傷害保険をかけるとすれば、第一の理由は「データとかリスク計算とか考えたこともない。飛行機ってなんとなく怖そう」。第二が「そう思っているところに傷害保険をかけられる機会（機械？）があったから」。第三に「生きてるということはいつも死ぬリスクがあることなのに、そんな当然のことを考える脳味噌がなく、目立ったものにだけ大きなリスクがあると錯覚するから」。<br />
この人にもし１０５歳で癌が発見されたら、ありとあらゆる治療を受けまくったあげく、「癌という病気さえこの世になければ私は死ななくてすんだ」と「癌研究に予算をさかない非情な政府」を恨みまくって熱弁をふるうんだろう。<br />
旅行傷害保険って、リスクに比べて滅茶苦茶掛け金高くて、私は馬鹿だった２３歳の時の一度しか入ったことがない。航空券買うたびに、航空券だけ売っても儲からない旅行代理店が勧めるわ、勧めるわ。航空券は釣りネタで、稼ぎは損保代理店で上げてるんじゃねえ？と私は真剣に疑っている。だってぼろ儲けだもん、旅行傷害保険。「旅行なんとなく怖いな」って人の気持ちにつけこんで。リスクリターン考えずに申し込んじゃうもんね、安心のためだけに。完璧なカモだし。<br />
空港の傷害保険の加入機械がなくなったのは、一般人がそこまで馬鹿じゃなくなったからだ。だいいち、たいていは生命保険入ってるし、航空会社から補償金出るじゃん。なんで自動車の数倍安全で、落ちれば補償が確実な飛行機に乗るときだけ傷害保険かけるよ？<br />
ごく普通の一般人の標準と比べても劣る知性の人が評論家として生きていける。「馬鹿なのにカモになれなかった！！」ってだけなのに「企業の公益性の欠如だ」とわめき散らして。馬鹿のくせにもうカモにならないで済むようになったのに「狂おしい怒りに襲われ」て。<br />
なんで、この人が評論家としてエコノミストなんてそこそこまともな雑誌で執筆仕事ができるかといえば、この人が左翼だから、だったり、編集部が左翼好きだったり、で、その左翼って思想が、「馬鹿は馬鹿なほど偉い」ってものだからじゃないだろうか。で、左翼の世界ではみんなが偉くなりたいから馬鹿さを競うわけだ。賢さを競うなら上に行くのは難しいけど、馬鹿を競うから果てしなく優劣つけがたく、結局は「コネ」で仕事が決まるからなんじゃないだろうか。<br />
だから共産主義は必ず官僚体制になって、社会のすべてはコネで決まる、それこそ「生まれですべてが決まってしまう社会」になるんじゃないだろうか。<br />
昨日の晩御飯はラーメンライスとイカのキムチ。半額になったのを大量買いした生ラーメンがたくさんあるので毎週ラーメン食ってるし。<br />
夜、白菜二株分のキムチの仕込をする。自家製キムチすっごく美味しいし。<br />
お金持ちになったら家事なんかしないね、と言っている私だけど、じゃあ、この味のキムチがどっかで買えるか？と考えると、う～～んって感じだ。「お金持ちになったら」と言っているうちに、金で買えないものばかりが増えていく。
]]> </description>  
      <link>http://ameblo.jp/buta2005/entry-10413060069.html</link>  
      <pubDate>Wed, 16 Dec 2009 09:56:38 +0900</pubDate> 
    </item> 
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