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    <title>バックミンスター・フラーを知ってから</title>  
    <link>http://ameblo.jp/bachura/</link>  
    <description>バックミンスター・フラーの言説について 影響された自らの思考について書きます。</description>  
    <language>ja</language>  
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      <title>引越し</title>  
      <description><![CDATA[<p>
 思うところがあってブログを引越ししたく思います。<br />もし良ければ、以下のブログまでお越しいただければ幸いです。<br />新しいブログに後ほど過去ログも移したいと思います。<br /><br /><a href="http://cloud.kuizu.net/" target="_blank">http://cloud.kuizu.net/
 
</p>]]></description>  
      <link>http://ameblo.jp/bachura/entry-10647434760.html</link>  
      <pubDate>Mon, 13 Sep 2010 16:54:44 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>Think global ,Act local</title>  
      <description> <![CDATA[ 「Think global, act local」は人類の進むべき道ではないと<br />梶川氏は言っている。<br /><br />私の理解では、この言葉ではまず（個々がその立場で想定できる）全体像を<br />思慮してから、その全体像に反しない行為をする。<br /><br />こういうことが、メッセージとしてあると思われる。<br /><br />しかし、これは裏を返せば、権力機構が提示した全体のイメージに<br />「個々が世界の地域のそれぞれで、素直に従え」というメッセージであると思う。<br /><br />それから導き出される行動はエコポイントの期限内に車を購入しようと<br />駆け込んだり、割り箸をマイハシにするとかビニール袋をナイロン袋に持ち替えるという<br />だけで、その他の生活スタイルは一切変える必要は無いという、暗示への裏返しだ。<br /><br />また、梶川氏はそれに対してあるべき姿として、シナジーが働いた酸素と水素の結合と<br />その結果としての水の比喩をよく用いている。<br /><br />この場合、個々の要素である酸素と水素には、その結合である水の性質を予感させるものは<br />一切無い。<br />酸素と水素の結合からなる水、この働きはシナジーである。<br />シナジーによってより秩序だった生命にとっての欠かさざる決定的な「水」ができ<br />その次の段階としてより秩序だった生命が形成されうるのだ。<br /><br />これを酸素と水素＝個々の個人、水＝より秩序だった人類をより発展させる社会<br />と置き換えると、個々人は来る社会というか結果をその事前には予期できないということになる。<br />つまり、事前に予期できる概念、そのための行動は望ましい結果を決して創生しないということになる。<br /><br />では、個々人はマスコミで繰り返される「Think global, act local」以外に一体何を行動すればいいのか<br />となる。<br /><br />そこで、やはりヒントになるのは酸素と水素の自然の振る舞いを考察することになる。<br />酸素と水素は水を作ろうとして、互いが結合するわけでは「ない」。<br /><br />それぞれが自然経済的（＝決して金銭的経済ではない）により安定した形を、より少ないエネルギーで<br />成し遂げる原理（more with less)にしたがって結合したのだ。<br /><br />つまり、個々人が自然経済的にmore with lessを行動原理として活動し始めたとき<br />シナジーが働き、人類の社会が酸素や水素が結合して水が生成されたことのように<br />全く予想できないが、より本来の意味での富を増やす方向の形に変化するだろうということだ。<br /><br />これが、つまりはフラーが（more with less)を何度も主張したことの意味であるように思う。<br /><br />http://cloud.kuizu.net/TrackBack/106/
]]> </description>  
      <link>http://ameblo.jp/bachura/entry-10644887023.html</link>  
      <pubDate>Fri, 10 Sep 2010 21:46:14 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>利益２</title>  
      <description> <![CDATA[ トヨタやビッグ３などの自動車の大企業の利益の大半は、購入者のローン（＝借金）だ。<br /><br />建設会社や大手ハウスメーカーの利益も購入者の借金だ。<br /><br />購入者は銀行からお金を借りる。<br /><br />銀行は預金者からお金を借りていると思われているが、<br />実際はその預金の何十何百倍も貸すことができ、実際そうしている。<br /><br />そのある種ペテンとも言える行為が破綻しないのは、<br />その背後にある中央銀行に銀行でさえ、お金を借りているので<br />預金者の払い出しにもなんなく対応できるのだ。<br /><br /><br />中央銀行は誰にもお金を借りなくてよい、自らがお金を作れる唯一の存在だからだ。<br /><br />しかし、彼らもそのお金の裏付けの「富」は作れないので、所有権という法が必要なのだ。<br /><br />お金とはつまりは法である。
]]> </description>  
      <link>http://ameblo.jp/bachura/entry-10644847519.html</link>  
      <pubDate>Fri, 10 Sep 2010 21:32:10 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>対極</title>  
      <description> <![CDATA[ ある働きのベクトルから生じるプリセッションは一つではない。<br /><br />時には互いに反する方向にプリセッションの働きは生じる場合がある。<br /><br />インターネットの世界的な発達は、様々なプリセッションのベクトルを生じさせた。<br /><br />一つは多くの人に世界を全体的に見ることを可能にした働き<br />その対極にあるプリセッションは、極少数の存在が、世界中の<br />人間の思考を監視しうる経路を手に入れることを可能にしたこと<br /><br />どちら側にもプリセッションは働いている。<br />それどころか、3次元で360°切れ目なくプリセッションは<br />発生している。
]]> </description>  
      <link>http://ameblo.jp/bachura/entry-10643113245.html</link>  
      <pubDate>Wed, 08 Sep 2010 22:40:26 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>貨幣と富</title>  
      <description> <![CDATA[ 貨幣と富の概念の間違いが、現在の社会の問題の根源にあるように思う。<br /><br />フラーの言った、彼の言う｢富｣、つまりそれ自体が人間の生存、繁栄に役立つもの<br />と言う概念を共有する人口が増えれば増えるほど、今までの欺瞞は露わにならざるを<br />得なくなる。<br /><br />私には、現在のマスコミで決まりきった建て前である欺瞞は<br />ウェブの個同士のコミュニケーションの増大の前に、崩壊寸前のようにも思える。<br /><br />そして、それを一度で核心を理解させるのは、芸術と技術と科学を<br />一体化した、新しい何らかのアイコン、若しくはそれを作成する人だろうと思える。
]]> </description>  
      <link>http://ameblo.jp/bachura/entry-10642657146.html</link>  
      <pubDate>Wed, 08 Sep 2010 14:02:19 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>成長</title>  
      <description> <![CDATA[ 子供が圧倒的なスピードでドンドン成長するのは<br /><br />世界を、宇宙を信頼しているからだろう。<br /><br />大人の成長スピードが一般的に鈍化、もしくは停滞、退化するのは<br /><br />宇宙への信頼が減少、もしくは不信にとって変わられるからだろう。<br /><br />信頼すれば、行動し、不信に捕らわれるほど滞留する。<br /><br />不信は自らへも向けられる、この場合の自分はたった今までの過去の自分だ。<br /><br />そして過去の自分も、他者としての「世界」に含まれる。<br /><br />自分を信じられないというのは、自分という他者を信じられないということだ。<br /><br />
]]> </description>  
      <link>http://ameblo.jp/bachura/entry-10634702134.html</link>  
      <pubDate>Mon, 30 Aug 2010 21:45:42 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>宵</title>  
      <description> <![CDATA[ 最近の宵は昼間の暑さとは違い、格段に涼しくなり、クーラーなしでも外の冷気だけで<br />十分にすごせる。<br /><br />盆を過ぎると、昔から暑さが一段落すると言われていた。<br /><br />このころから、日照時間の短さが山間部では夕方の６時ごろには太陽を山が隠して<br />谷間に影を指すようになる。<br />　<br />そうなると、山間部特有の地形は天然のラジエーターのフィンのように、<br />山と谷が重なるため表面積が下流の平野部とは比較にならない<br />ほど多いという特徴が熱を効率的に空に放射として放出する。<br /><br />そういう訳で人々が家路につき、夕食を終えて一息つく時間帯には、都会の人々が<br />クーラーで設定する温度以下に気温が下がって、人々の頬を流れるようになる。<br /><br />そんな訳でやはり、ここいらの人々は、盆を過ぎると朝晩は涼しくなると挨拶がわりに<br />言うという光景がそこかしこに起こるわけだ。<br /><br />
]]> </description>  
      <link>http://ameblo.jp/bachura/entry-10631729595.html</link>  
      <pubDate>Fri, 27 Aug 2010 19:23:17 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>法律</title>  
      <description> <![CDATA[ 法律とは「禁止」「強制」である。<br /><br />そして、そのシステム内では大きく２つの要素に分かれる<br />「原則としての禁止」と「その例外」である。<br /><br />権力側はその両方を巧みに用い、我々大衆には「原則としての禁止」で抑制し<br />彼らは「その例外」というバックドアで実質フリーでその行為を行う。<br /><br />彼らは法律には実質縛られない、法律とは彼らが他者を縛るためのものである。
]]> </description>  
      <link>http://ameblo.jp/bachura/entry-10630819507.html</link>  
      <pubDate>Thu, 26 Aug 2010 20:04:25 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>螺旋</title>  
      <description> <![CDATA[ 螺旋軌道をとれば、直線的に対象を動かし得ないほど力が必要な場合において<br />直線的な力に比べて、ずっと小さい力で回転軸の方向に直角に動かすことが可能だ。<br /><br />つまり螺旋はプリセッションの働きを発揮するモデルの一つだ。<br /><br />マスコミで流される情報もその中には多分にプリセッションの働きを意図した<br />物に思われる。<br />表面的な力の渦の回転に翻弄されると副次的な緩やかに見えるが<br />着実かつ大きな力を見過ごしてしまう、大衆のほとんどは…<br />しかし、情報を編集し流す側の真の意図はその何次にも寄り合わされた<br />螺旋の重なりの副次的な軸方向にこそある。<br />それは個人的な形而上的な仕事にも応用可能であるし、そうでなければならない。<br /><br />彼らが私たちを動かすためにその技術を使うなら、<br />私たちも私たちそれぞれの現実を動かすために（それはまず最初に自らを動かすということ<br />に他ならないのだが）使うべきだし、そうでなければ、それらの技術を身につけなければ<br />彼らに動かされるのみだろう。
]]> </description>  
      <link>http://ameblo.jp/bachura/entry-10630502515.html</link>  
      <pubDate>Thu, 26 Aug 2010 12:52:40 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>ビジネス</title>  
      <description> <![CDATA[ 自然というシステム、宇宙というシステム、銀河系というシステム<br />太陽系というシステム、地球(系)というシステム、社会というシステム<br />資本主義というシステム、日本国というシステム、<br />会社というシステム、家族というシステム、地域社会というシステム<br />個人というシステム、そして個人というシステムの中に自営というビジネスのシステムが<br />一部重複しているのか？
]]> </description>  
      <link>http://ameblo.jp/bachura/entry-10630356282.html</link>  
      <pubDate>Thu, 26 Aug 2010 09:27:52 +0900</pubDate> 
    </item> 
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