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    <title>ただのオタクと思うなよ</title>  
    <link>http://ameblo.jp/adaken66/</link>  
    <description>書評は毎日1回更新。ビジネス書もあれば時にはトンデモ本も。 オタクの目（http://adaken.blog4.fc2.com/）にははまりきれない私生活感を、思いつくままつらつらと。</description>  
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      <title>ツンデレ相対性理論</title>  
      <description> <![CDATA[ <div class="booklog_html"><div class="booklog_html_image" style="float:left;"><a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4569772978?tag=kimagure0f-22&linkCode=as1" target="_blank"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/61EHzq8KFEL._SL160_.jpg" style="border:0;" /></a></div><div class="booklog_html_info" style="float:left;margin-left:10px;"><div class="booklog_html_title" style="margin-bottom:5px;font-size:12px;"><a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4569772978?tag=kimagure0f-22&linkCode=as1" target="_blank">ツンデレ相対性理論</a></div><div style="margin-bottom:10px;"><div class="booklog_html_author" style="font-size:10px;">アインシュタインクラブ</div><div class="booklog_html_manufacturer" style="font-size:10px;">PHP研究所</div><div class="booklog_html_release" style="font-size:10px;">発売日：2010-01-21</div></div><div class="booklog_html_link_amazon" style="margin-bottom:10px;font-size:10px;"><a href="http://booklog.jp/asin/4569772978" target="_blank">ブクログでレビューを見る»</a></div></div><div class="booklog_html_fotter" style="clear:left;"></div><br /></div><br /><font size="5">いまやマンガこそ教育の種</font><br /><br /><font size="3">　強度の理系アレルギーを有する私にとって、わからないものの代表的なのが「相対性理論」であります。かつての傑作SFアニメ「トップをねらえ！」、あれが理解の全てです、私にとって。<br /><br />　それでも、屁理屈と禅問答をブレンドしたような難解な理論に、なんのための相対性理論なのか自体わかってないのが私のレベル。所詮SF小説の題材にしかならない非現実的な考えでしかないだろう、などとすねておりました。<br /><br />　でも、今回紹介するこの一冊が、私をとりあえず救ってくれた、そんな気がします。<br /><br />　その一冊とは「ツンデレ相対性理論」。いわゆる「萌えで覚えるマンガ」系の一本です。<br /><br />　もう、PHPは有力なマンガ出版社の一角と言っていいかもしれません。なんだかんだで、点数だけは稼げるんでしょうね、こういう「やわらか意外系」の本というのは。<br /><br />　でも、以前このブログで紹介した<a href="http://ameblo.jp/adaken66/entry-10205917142.html" target="_blank">「量子論」の萌えマンガ</a>もそうでしたが、とりあえず教養として押さえておければ十分という程度に知識を得たい人間にとって、この手の書籍はかなりありがたい存在です。薄っぺらな知識といわれようが、知識の吸収性でいえばビジュアルに訴えるのが一番ですからね。特に相対性理論の場合、モノの見え方や向かい合っているモノと自分との関係性など、頭の中で考えれば考えるほど、知識のひもが腸捻転状態になってしまいますから、こういうのは本当に助かります。<br /><br />　わたし、思うのですが、いっそのこと学校の補助テキストにこの手の学習マンガを取り入れるのも一つの手ではないでしょうか。「萌え」というのはさすがに最近の傾向ですが、学習マンガというジャンル自体は私が子供だった1970年代にはすでに学研などによって確立されていましたし、そろそろそういう活動が公式の教育の場に認められてもいいのではないかと、まじめに考えるところです。<br /><br />　今、学習能力の低下が問題になっている一方で、世界に冠たるマンガ文化を抱える現状が、日本のもどかしさを象徴しているように思えてなりません。マンガだからダメ、マンガだから下劣、そんな古い思想の教育者は世代的にもういないでしょう。それをもっと積極的に取り入れることが、学力低下の歯止めをかける一つの方法ではないか。<br /><br />　サブカルジャンルにとどめていてはもったいないほどに、すでに「萌え」だけで一通りの知識が身につく現実が今の本屋さんに見て取ることが出来ることに教育者書系は気付くべきなのです。<br /></font>
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      <link>http://ameblo.jp/adaken66/entry-10482761462.html</link>  
      <pubDate>Mon, 15 Mar 2010 21:39:01 +0900</pubDate> 
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      <title>ヘンな間取り</title>  
      <description> <![CDATA[ <div class="booklog_html"><div class="booklog_html_image" style="float:left;"><a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4781603181?tag=kimagure0f-22&linkCode=as1" target="_blank"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/41lYF0l4olL._SL160_.jpg" style="border:0;" /></a></div><div class="booklog_html_info" style="float:left;margin-left:10px;"><div class="booklog_html_title" style="margin-bottom:5px;font-size:12px;"><a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4781603181?tag=kimagure0f-22&linkCode=as1" target="_blank">ヘンな間取り</a></div><div style="margin-bottom:10px;"><div class="booklog_html_author" style="font-size:10px;">ヘンな間取り研究会</div><div class="booklog_html_manufacturer" style="font-size:10px;">イースト・プレス</div><div class="booklog_html_release" style="font-size:10px;">発売日：2010-02-01</div></div><div class="booklog_html_link_amazon" style="margin-bottom:10px;font-size:10px;"><a href="http://booklog.jp/asin/4781603181" target="_blank">ブクログでレビューを見る»</a></div></div><div class="booklog_html_fotter" style="clear:left;"></div><br /></div><br /><font size="5">発想はアリだが、ネタに無理がある</font><br /><br /><font size="3">　3月と言えば卒業だの人事異動だので人が動く季節。やっぱりこの時期が引っ越し屋さんの最需要期なんでしょうね。そして当然不動産屋さんも。<br /><br />　で、当然玉突き的に儲かるのが、賃貸住宅情報誌なのであります。一冊200円からの、一見たわいもない実用誌に過ぎない住宅情報誌ではあるのですが、あれって、見ているだけで結構わくわくさせてくれるものなんですよね。買い物は買ってしまうより選んでいる間こそが醍醐味とよく言いますが、「この間取りがいい」「この条件も捨てがたい」などといろいろ眺めながら妄想を膨らますのも、ある意味エンタメ的要素だったりします。私もこれまで4度ばかり引っ越しを経験していますが、決めてしまう前が一番楽しいです。<br /><br />　ちょうど、時刻表を眺めながら脳内で日本一周の旅をする感覚に似ています。<br /><br />　ところが、その住宅情報にも「トンデモ」は存在するようです。きょうはそんなかぐわしいネタを集めた一冊「ヘンな間取り」というコンビニ本を紹介しておきます。<br /><br />　最近ではデザイナーズマンションなどというものが人気を得ているようで、普通の間取りで建てたのでは借り手も寄ってこないようです。そこで、少しでも奇抜なものを、と思い巡らした結果、実際に住むには何かと支障を来す部屋も少なくないとか。そんな奇形の部屋を集めたものなのかなと、このタイトルを見たら思うことでしょう。<br /><br />　でも、そんなものじゃないのです。例えば全く窓のない2畳半の1ルーム、しかもバストイレなし。そんなものもが存在するようです、この本によると。出所は不明ですが。小菅のあそこでさえ、小窓くらいはあるって話ですから、これはもう逮捕された方がまだましというレベルですね。<br /><br />　でも、まだそれはいい方。何しろ部屋には入れるんだから。もっとひどい部屋があるそうです、この本によると。つまり、玄関から先に進めない部屋。どうやって作ったんだそんな部屋。<br /><br /><br />　いやねえ、少し読み進めれば気がつきますが、これ、単なる印刷ミスの集大成でしょ。そんな玄関の目の前が壁だけの部屋とか、入れない部屋がある家とか、作るわけないじゃないですか。作ってる段階で気がつくでしょ、そもそも。無駄に長い廊下とか、お風呂がベランダにあったりとか、そういうちょっとヘンなのもありますが、古いアパートでそういう立て付けのへがあるのを私は知ってますし、無理に笑わせようという意図が見え見えの部分も。<br /><br />　制作サイドも発想段階では「これはいける」と思ったのでしょうが、ちょっと企画的には安易かな。まあ、所詮500円のコンビニ本、いちいち目くじら建てることでもないですがね。それでも、もう一ひねり欲しいなあ。<br /></font>
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      <link>http://ameblo.jp/adaken66/entry-10482038735.html</link>  
      <pubDate>Sun, 14 Mar 2010 23:36:16 +0900</pubDate> 
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      <title>ん</title>  
      <description> <![CDATA[ <div class="booklog_html"><div class="booklog_html_image" style="float:left;"><a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4106103494?tag=kimagure0f-22&linkCode=as1" target="_blank"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/41uZsdU7RlL._SL160_.jpg" style="border:0;" /></a></div><div class="booklog_html_info" style="float:left;margin-left:10px;"><div class="booklog_html_title" style="margin-bottom:5px;font-size:12px;"><a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4106103494?tag=kimagure0f-22&linkCode=as1" target="_blank">ん―日本語最後の謎に挑む (新潮新書)</a></div><div style="margin-bottom:10px;"><div class="booklog_html_author" style="font-size:10px;">山口 謠司</div><div class="booklog_html_manufacturer" style="font-size:10px;">新潮社</div><div class="booklog_html_release" style="font-size:10px;">発売日：2010-02-20</div></div><div class="booklog_html_link_amazon" style="margin-bottom:10px;font-size:10px;"><a href="http://booklog.jp/asin/4106103494" target="_blank">ブクログでレビューを見る»</a></div></div><div class="booklog_html_fotter" style="clear:left;"></div><br /></div><br /><font size="5">日本語における“最後”の謎</font><br /><br /><font size="3">　幻と思われていた大河ドラマ「草燃える」の復刻放送の話を先月書きましたが、いやあこれがすごいことになっております。映像や音声の状態など当初危惧された問題は、今のところ視聴に耐えうるレベルを維持しておりますが、むしろすさまじいのはドラマの中身そのものなのです。<br /><br />　もう、今放送中の「龍馬伝」が到底同じ大河ドラマとは思えないほど、無茶苦茶濃い内容なのですわ。大河ドラマと言うよりは、ほとんど昼メロ。しかも極上の濃いやつ。脚本が昼メロの大家・中島丈博氏と言うこともあり、ある程度想定されたことではあったのですが、これほど昼メロだったとは。しかも、前にも書きましたが言葉遣いがほとんど現代言葉。31年前、確かにリアルでほぼ全話見たはずなのですが、そういう雰囲気って忘れてしまうものなんですね。あるいは別の方角を見ていたのか。<br /><br />　大河ドラマにツッコミを入れるとき、言葉遣いの問題は恒について回るのですがこの「草燃える」はその中でもおそらくトップクラスです。でもこれを「時代考証が崩壊している」とストレートに叩くのはかえってお門違い。実はこの現代語使いは、旧勢力である平家や京の朝廷に対抗する形で勃興してきた板東の武士という新興勢力の印象を強める為の演出だったのです。その狙い自体が見ている側に受け入れられたのかはわかりませんが、今回再見した上においては、板東武士たちの荒っぽさを印象づけるのには十分効果を与えていると、私は感じました。<br /><br />　これはまあ極端な例ですが、じゃあ、例えば戦国時代でも幕末でも、当時の言葉遣いを忠実に再現すればいいのか。その反論がむなしい行為であることを、本日紹介する一冊を読めば認識されるかも知れません。その一冊とは「ん　日本語最後の謎に挑む」。<br /><br />　日本語はご承知の通り、50音が基本。でも51番目のこの「ん」がなければ、しりとりすら決着がつきません。ただ、「ん」はどこまで行っても「ん」であり、音はない。音がないものを表現するというのは、実は結構やっかいなことで、「ん」という文字自体、宇通に使われるようになったのは江戸時代になってからだそうなのです。ちなみにしりとりが生まれたのはわりと近年のこととか。<br /><br />　でも、話し言葉として「ん（ン）」がを口にせざる終えない表現は昔であっても当然あったわけで、そこを日本人はどうしたかというと「イ」や「ニ」などの文字を当てて「ん」と読ませるルールを執筆者独自で使っていたようなのです。そういうのをいやがったせいか、「古事記」などでは「ん」の表現自体がなかったようなのです。もちろん、奈良時代には万葉仮名こそあったものの、日本独自の文字自体がなかったわけですがね。<br /><br />　翻って、「ん」一文字外したドラマ脚本が今成立しうるのか。「助詞外し」という手法は、先日なくなった脚本家・田向正健氏の得意技でしたが、「ん」外しではしまらないですよね。<br />　</font>
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      <link>http://ameblo.jp/adaken66/entry-10480332487.html</link>  
      <pubDate>Fri, 12 Mar 2010 23:44:49 +0900</pubDate> 
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      <title>「つばさ」アテンダント驚きの車販テク</title>  
      <description> <![CDATA[ <div class="booklog_html"><div class="booklog_html_image" style="float:left;"><a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4330122103?tag=kimagure0f-22&linkCode=as1" target="_blank"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/41ZJyG0LN%2BL._SL160_.jpg" style="border:0;" /></a></div><div class="booklog_html_info" style="float:left;margin-left:10px;"><div class="booklog_html_title" style="margin-bottom:5px;font-size:12px;"><a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4330122103?tag=kimagure0f-22&linkCode=as1" target="_blank">「つばさ」アテンダント驚きの車販テク―3秒で売る山形新幹線の女子力 (交通新聞社新書)</a></div><div style="margin-bottom:10px;"><div class="booklog_html_author" style="font-size:10px;">松尾 裕美</div><div class="booklog_html_manufacturer" style="font-size:10px;">交通新聞社</div><div class="booklog_html_release" style="font-size:10px;">発売日：2010-02-15</div></div><div class="booklog_html_link_amazon" style="margin-bottom:10px;font-size:10px;"><a href="http://booklog.jp/asin/4330122103" target="_blank">ブクログでレビューを見る»</a></div></div><div class="booklog_html_fotter" style="clear:left;"></div><br /></div><br /><font size="5">神業見たさに乗り鉄するのもアリ</font><br /><br /><font size="3">　このブログでもたびたび触れた話ですが、最近、「鉄道」と「女性」の親和性が注目されています。いわゆる「鉄子さん」しかり、以前取材させていただいた「ママ鉄さん」しかり。そしてフィギュア化などで注目される「鉄道むすめ」さんしかり。<br /><br />　でも、歴史を紐解くと、女性と鉄道との親和性は何も最近にわかに沸いてきたブームではないことがわかってきます。<br /><br />　戦前の「つばめガール」「はとガール」といった客室係もそうですが、これはあくまで女性じゃないとできない仕事。それだけではなく、戦時中には、男手が足りなくなった事情もありますが、駅務係など一通りの業務が女性の手にゆだねられた時代もあったのです。<br /><br />　そして、古くから女性の牙城として受け継がれてきた鉄道の現場といえば車内販売。新幹線や特急列車に乗ったとき、厳つい顔の車掌の検札のあと、明るい声でやってくる売り子さんは、昭和から平成に代わった今でも車内のあるべき風景の一つです。<br /><br />　そんな車内販売で「達人」と呼ばれる女性たちの奮闘ぶりを紹介するのが、今回取り上げる一冊「「つばさ」アテンダント驚きの車販テク」です。<br /><br />　車内販売を女性がやるのは当たり前、そうわれわれはとらえがちですが、彼女たちが押しているあのワゴンを改めて見たとき、その「常識」は「感心」へと代わります。これを10数量編成の新幹線で、しかも人通りもある中をかいくぐりながら押していき、客からの数多の注文を平均わずか数秒で軽やかに裁いていくのはまさに神業。おそらく人間を介してものを売るテクニックとしては、この車販の女性と早朝・夕刻のキオスクのおばちゃんが双璧ではないでしょうか。女子鉄道力恐るべし。<br /><br />　その中でも「カリスマ」の称号で呼ばれるのが、山形新幹線に乗務するアテンダント・茂木久美子さんとその仲間たち。私はまだこの路線に乗ったことはないのですが、この人たちの活躍を見るために乗りに行ってもいいかな、という気持ちにさせられるほどスゴ技の持ち主のようです。ワゴンさばきしかり、乗客とのコミュニケーションしかり。特に接客業に携わる方なら、一度研修をかねて乗車してみるのもいいかもしれませんね。<br /><br /></font>
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      <link>http://ameblo.jp/adaken66/entry-10478697078.html</link>  
      <pubDate>Wed, 10 Mar 2010 23:49:46 +0900</pubDate> 
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    <item> 
      <title>セカイ系とは何か</title>  
      <description> <![CDATA[ <div class="booklog_html"><div class="booklog_html_image" style="float:left;"><a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4797357169?tag=kimagure0f-22&linkCode=as1" target="_blank"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/41ZQm7hM7JL._SL160_.jpg" style="border:0;" /></a></div><div class="booklog_html_info" style="float:left;margin-left:10px;"><div class="booklog_html_title" style="margin-bottom:5px;font-size:12px;"><a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4797357169?tag=kimagure0f-22&linkCode=as1" target="_blank">セカイ系とは何か ポスト・エヴァのオタク史 (ソフトバンク新書)</a></div><div style="margin-bottom:10px;"><div class="booklog_html_author" style="font-size:10px;">前島 賢</div><div class="booklog_html_manufacturer" style="font-size:10px;">ソフトバンククリエイティブ</div><div class="booklog_html_release" style="font-size:10px;">発売日：2010-02-18</div></div><div class="booklog_html_link_amazon" style="margin-bottom:10px;font-size:10px;"><a href="http://booklog.jp/asin/4797357169" target="_blank">ブクログでレビューを見る»</a></div></div><div class="booklog_html_fotter" style="clear:left;"></div><br /></div><br /><font size="5">要するに仮面ライダーディケイドなんです</font><br /><br /><font size="3">　もう6年くらい前の「日本オタク大賞」という毎年恒例のテレビ番組の公開収録にいったときのこと。壇上のコメンテイター（いわゆるオタク界のエライ人々）らに、自己紹介がてら「オタクの定義とは」と聞いて回る場面があって、その一角に居座っていた、当時まだ百数十キロのガタイを維持していたオタキング・岡田斗司夫氏が「オタクの定義を論じたがるやつがオタク」と言い放ったのをいまでも鮮明に覚えております。<br /><br />　2006年の「オタク・イズ・デッド事件」（<a href="http://d.hatena.ne.jp/ADAKEN/20060525/1148484907" target="_blank">詳細は私の姉妹ブログを参照してください</a>）以来、脱オタクの方向性を鮮明にしている岡田氏の、一次は自ら布教にいそしんでいた「オタク」という言葉への、決別の始まりだったように思います。<br /><br />　岡田氏に合わせるわけでもありませんが、私も最近「オタク」という言葉に、かつての羞恥心とは違う何か痒いものを感じています。未だこのブログでは「オタク」を看板にしている分、ぬぐい去ろうという気は当面ないのですが、今年1月の「オタク大賞」（今年は放送なし。近くニコ動で配信するとか）など、かなり追いつけない話が多くなってきてしまっていて、何というか「オタク」に疲れてきた感じなのです。だって、特撮の話なんて鶴岡法斎がちょっとしゃべったくらい何だもん（ガールズサイドではシンケンジャーで盛り上がったようですが）。<br /><br />　その、私をオタク的に追いつけなくしている象徴的な言葉が「セカイ系」なるものです。きょうはこの謎の言葉をテーマにした一冊「セカイ系とは何か」を取り上げておきたいと思います。<br /><br />　取り上げたいといいましたが、正直な話、取り上げたくない本、というか読むんじゃなかったという気持ちが三分の二くらい。要するに、「○○とは何か」と書かれたタイトルで「○○」の意味が明記されていることを期待してはいけない。この事実が確認できたのが、この一冊に時間を費やした数少ない成果です。<br /><br />　そもそも1990年代半ばに生まれた「エヴァンゲリオン」（新劇場版のヱヴァンゲリヲンじゃない方）ぽいものから端を発したのが「セカイ系」で、2000年代になると「ほしのこえ」っぽいものに変化して、訳のわからない方向へ拡大していったのが現在の「セカイ系」である、というのがこの本の説明。わかんないでしょ？<br /><br />　もう少し具体的に書くと、ボクと彼女がいて、その関係が面倒なリアル感をどーんと省いて、“世界が終わっちゃう”という飛躍にもほどがある展開につながってしまう、という流れが話の柱になっているストーリー。この“終わっちゃう世界”の切り取って「セカイ系」と呼んでいると解釈すればいいでしょう。いや違ってるかも知れないですが、これでいいんです。どうせ元々訳のわからない言葉なんだから。<br /><br />　要するにオタクと称する者どもはこのように外部の人間には理解できない言葉ノンアニーをすることに悦楽を覚える種族なのです。ほら、訳のわからない鉄道用語とか軍事用語とかいとも簡単に使うでしょ、オタクって。あれを文学系でやってるのが「セカイ系」なんですわ。<br /><br />　もっと簡単に言うと、「仮面ライダーディケイド」なんですよ。セカイ系って。「ディケイド」って、毎回各平成ライダーの、作り手のご都合主義的な「セカイ」を訪れては事件を解決（むしろ複雑化）させていくわけですね。そういうのの一つ一つが、まさにこれ「セカイ系」。おのれディケイド！！<br /><br />　ただ、誤解したくないのは、そこに善悪の分け方は存在しないことです。単なる不毛なのです（あ！怒らせちゃったかなあ？）。<br /><br />　でもね、そんな一般人にとうてい理解できない言葉が書く綴られつつも、いまオタクの間で注目されていて、近く一般の目にも触れることになりそうなコンテンツの傾向などがかなり細かく（著者の独断も込めて）書いてあったりするので、そういう意味での参考にはなるかも知れません。でも、決して一般の方は奴らの言動に巻き込まれないでくださいね。<br /></font>
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      <link>http://ameblo.jp/adaken66/entry-10477057412.html</link>  
      <pubDate>Tue, 09 Mar 2010 00:07:46 +0900</pubDate> 
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    <item> 
      <title>THE EYE OF JUDGMENT 神託のウィザード</title>  
      <description> <![CDATA[ <a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=8961462" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">THE EYE OF JUDGMENT(アイ・オブ・ジャッジメント) 神託のウィザード/ソニー・コンピュータエンタテインメント<br /><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/514fklHfDUL._SL160_.jpg" border="0" /></a><br />￥4,980<br />Amazon.co.jp<br /><font size="5">帰ってきたPS3屈指の名作</font><br /><br /><font size="3">　実に5日ぶりに書くブログになってしまったわけですが（たぶんこれまでの最長間隔）、私をそうさせてくれた原因は、4日前に買ったPSPのゲーム「THE EYE OF JUDGMENT 神託のウィザード」にあります。もうこれを買ってからこっち、頭の中身の半分はこのゲームのことばかり。<br /><br />　え？そんなゲームなど聞いたことない？何がそんなに面白いのかって？いやこれがもう、大変なんですから林家三平です。<br /><br />　早い話、1対1の対戦方式で、タテヨコ3×3の9つの枠を手持ちのカードを置きあって過半数、5つ先に置いた方が勝ちという至ってシンプルなゲームなのです。ただし、カードの種類は三百数十枚に及び、それぞれに細かい性能があってこれがゲームに複雑さを与えて、プレイすればするほど熱くのめり込んでしまう、きわめて毒性の強い代物なのです。<br /><br />　ゲーム自体は2007年にPS3用に、PS3の高機能をフル活用した目玉商品できゲームとして発売されたもので、今回のPSP版はPS3版のカードを再調整して移植したものです。私はPS3版も早期に購入し、その当時もはまりまくりました。当時最大の売りだったのは、本物の紙のカードを使い、それぞれのカードに刷り込まれている特殊コードをPS3専用のwebカメラで読み込んで、テレビ画面上に3Dキャラとして浮かび上がらせるという、革命的な仕組みになっておりました。これもいわゆるAR（拡張現実）が使われていたんですね。3年も前にこんなことをやっていたソニーって、やっぱりすごいわ。<br /><br />　ところが、その高性能さは価格にももろに跳ね返り、私のような狂ったゲーマー以外にはなかなか敷居の高い代物となってしまったのです。それでも、ゲーム内容自体は中毒性が強いほどによくできており、海外ではわりと受けがよかったようです。<br /><br />　で、せっかく開発費もかけたゲームなんだから、このまま眠らせておくのはもったいないと、ソニーさんも考えたのでしょう。晴れてめでたく、PSP版として帰ってきたのです。PS3版ならではの見てくれの良さやカード所有感は失われてしまいましたが、その分新規参入者への敷居ががくんと下がり、ゲームのおもしろさでは絶対的自信のあるEOJは広く一般ゲーマーたちの前に現れたわけです。<br /><br />　まあ、いわゆる「最新ゲーム」というわけでもないので、あまり派手な宣伝もしていないのは仕方ないところですが、すでにPSPをもっていてネットにつなぐ環境があるなら、ダウンロード版は3800円で手に入りますので「とりあえず手に入れてやってみるか」という需要には十分応えてくれるでしょう。もしこのブログを読んで来になったなら、是非遊んでみてください、そして、いつの日かオンライン対戦でお会いできたら嬉しいですね。<br /><br />　まあ、こうして長々と私の自己満足ブログにつきあうより、まずは下のぶっ飛び動画で、その魅力に触れてみてください。<br /></font><br /><script type="text/javascript" src="http://ext.nicovideo.jp/thumb_watch/1266473011?w=320&h=240"></script><br /><br />
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      <link>http://ameblo.jp/adaken66/entry-10476195160.html</link>  
      <pubDate>Sun, 07 Mar 2010 23:17:12 +0900</pubDate> 
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    <item> 
      <title>浅田真央とキム・ヨナとREGZAとLG</title>  
      <description> <![CDATA[ <font size="3">　ようやくバンクーバーオリンピックが終わり、テレビも普通に戻りました。どうも昔から、オリンピック開催中は現地の時間に生活パターンを引きずられてしまい、どことなく仕事も落ち着かなくなるものです。<br /><br />　そんなオリンピックで、やっぱり私自身も気になったのはフィギュアスケート女子シングル。べ、別に浅田真央もキム・ヨナもどっちかのファンということはないのですが、どっちがどう勝とうが負けようが、必ず結果が出たあとには“祭り”が発生することは目に見えていまして、それがどんな形ななるかが、私にとっての最大関心事でありました。<br /><br />　そしてその祭りは、思わぬところへ、いやある意味正攻法なのかも知れませんが、ある現象となって現れました。それが、韓国人らによるこの2日間（正確には30時間くらい？）にわたっての2ちゃんねるサイバー攻撃。しかもタイミングが悪いことに3月1日は1年の中でも特に彼の国の反日感情が高まりやすい“独立運動記念の日”、日本史的には三一運動の日だったために、攻撃力に拍車がかかったようです。<br /><br />　まあ、この一連の祭りに関しては“大人げない”のひと言でおわり。ただし半端じゃないほどに“大人げない”ことを、彼の国のネチズンたちはさらけ出してしまったということでしょう。それに対して一部の日本人が“復讐”を試みたようですが、この手の連中は日本人と思わないことにすればいいでしょう。<br /><br />　恥ずかしい連中の話はこれくらいにして、キム・ヨナと浅田真央の競技とジャッジの様子を見て、面白い比喩を書いているサイトがありました。<br /><br /><a href="http://blogs.itmedia.co.jp/fukuyuki/2010/03/lgipod-3aec.html" target="_blank">浅田真央はソニー製でキムヨナがLG電子製なんだなと思ったと同時に日本のメーカーがiPodを作れなかったことを思い出した。</a><br /><br />　iPod云々の話はともかく、今の日韓両国のエレクトロニクスメーカーの置かれている立場が、この二人の演技に象徴されているといえる点は我が意を得たり。<br /><br />　浅田を「ソニー製」というか、「日本の家電業界」としてとらえると、女子として初のトリプルアクセル×２はCELLを積んだ標準小売価格100万円の東芝REGZAであるのに対し、キム・ヨナの突出した技がない中で表現力全般を極限まで磨き上げた演技は、あくまでコストと使い勝手の汎用性を追求した世界標準というべきLGやサムスンの10万円割れの薄型テレビ。<br /><br />　どちらにも一長一短あって、一見甲乙付けがたいのだけれど、100万円の高級テレビは最終的に購入者が限られ売り上げに限界が見える一方、誰もが買える10万円割れのテレビの購入者は、ある意味無限に現れる。それが世界市場における日韓企業の立場の違いとなって現れていると言っていいでしょう。<br /><br />　同じように、トリプルアクセルなど大技は1度の演技で出す数が限られ、いくら高得点が出るとはいえ、天井は見えやすい。これに対して全般的な表現力なら、時間の枠内はあっても、組み合わせ次第でいくらでもネタを盛り込むことが可能というわけですね。ショートプログラムで、キム・ヨナがやった一瞬の“指ぱっちん”さえ、0.7ポイントの加点があったというのですから、まさに抜け目のなさが勝利を呼び込んだといえます。<br /><br />　もちろん、スポーツはビジネスではないのだから、トリプルアクセルや4回転といった極限の大技に挑むことを「無駄」切り捨ててはいけないと、私も思います。国の代表云々というひいき目はなしで見ても。でも、今回のオリンピックは極限より“究極の汎用性”が結果的に勝ったという、現代のビジネスを象徴するような形になったのは確か。それがこの先も続くのか、ジャッジ方法に変更が加わるのかはわかりませんが。<br /><br />　で、キム・ヨナには引退説も出てると聞きますが、少なくとも浅田に限っては「ソチ」という言葉が繰り返しでていますので、戦いはまだ終わらない。でも、バンクーバーでの演技を失敗なしにやっただけで、他の選手に打ち勝てるなどとは本人も考えていないでしょう。ただ、キム・ヨナが成功させた“汎用性”を組み入れるのかどうかはわかりませんが。<br /><br />　スケートではその点が難しいところですが、こと、ビジネスに関しては、相手のよいモノを取り入れて自らを強化するのは常道。日本のメーカーもサムスンやLGがなぜ勝っているのかを、下手なプライドをかなぐり捨てて受け入れる必要があると、私は思います。それが“大人げある”日本のとるべき対応です。<br /><br />　思えば、昭和30～40年代、欧米に追いつかんと必死にやったのは、高級品を扱う相手に対抗して、いかに大衆に向けた究極の汎用品の追求だったはずです。そのたまものがカローラであったりウォークマンだったはず。そう、東京オリンピックのメダルラッシュと重なる日本人の輝いていたあの頃。スポーツもビジネスも、そして個々の日本人も、今こそその輝きを思い返す時期にきているのではないかと、今回のオリンピックを通して思い知ったような気がします。<br /></font>
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      <link>http://ameblo.jp/adaken66/entry-10472037578.html</link>  
      <pubDate>Tue, 02 Mar 2010 22:30:13 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>東京23区の地名の由来</title>  
      <description> <![CDATA[ <div class="booklog_html"><div class="booklog_html_image" style="float:left;"><a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4779005523?tag=kimagure0f-22&linkCode=as1" target="_blank"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51YMJNweBWL._SL160_.jpg" style="border:0;" /></a></div><div class="booklog_html_info" style="float:left;margin-left:10px;"><div class="booklog_html_title" style="margin-bottom:5px;font-size:12px;"><a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4779005523?tag=kimagure0f-22&linkCode=as1" target="_blank">東京23区の地名の由来</a></div><div style="margin-bottom:10px;"><div class="booklog_html_author" style="font-size:10px;">金子 勤</div><div class="booklog_html_manufacturer" style="font-size:10px;">幻冬舎ルネッサンス</div><div class="booklog_html_release" style="font-size:10px;">発売日：2010-02-20</div></div><div class="booklog_html_link_amazon" style="margin-bottom:10px;font-size:10px;"><a href="http://booklog.jp/asin/4779005523" target="_blank">ブクログでレビューを見る»</a></div></div><div class="booklog_html_fotter" style="clear:left;"></div><br /></div><br /><font size="5">「秋葉原」を知らずに“アキバ”を語るなかれ</font><br /><br /><font size="3">　この世には、4種類の本しか存在しないと、ある意味いえると思います。それは、<br />　「楽しくてためになる本」<br />　「楽しくないけどためになる本」<br />　「楽しいけどためにはならない本」<br />　「楽しくなくためにならない本」<br /><br />　これまで500冊ばかりの本をこのブログで取り上げてきたと思いますが、一部の献本をのぞき、基本的に自腹で、古本ではなく新本を購入したものを取り上げております。である以上、なるべく損はしたくない。お金だけでなく一定の読書時間を無駄にしたくないですからね。<br /><br />　で、上記の4通りの見方はあくまで読み手の主観で仕分けするものなのですから、何とか中身にメリットを見つけて、最後に挙げた「楽しくなく、ためにならない本」であることを避ける努力をしております。偉そうですが、これをできるかできないかが、「読書力」の器量なのではないかと、私は思います。読解力はその次の問題かと。<br /><br />　で、きょう挙げる一冊は4番目に入りそうなところを何とか2番目の「楽しくないけどためになる本」に当てはまると決めつけて呼んだ物件です。<br /><br />　そのタイトルは「東京23区の地名の由来」。<br /><br />　タイトルだけ見ると、1番目に該当してもいい感じですよね。私もそう思いました。ところが、どこをどう転ばせても「面白い」という感覚は見いだせませんでした。なぜなら、中途半端だからです。<br /><br />　一応この本の趣旨を記しておくと、文字通り現在の東京23区、及び各区内の番地の名前の由来を、一切の“創作”を排除して淡々と書き記していくという内容です。<br /><br />　ところが、新書版にしてしまった限界からか、それとも調査不足なのか、すべての番地に言及しているわけではありません。まあ、人間のすることですから、ある程度仕方ないとは思いますが、もうちょっと内容が欲しかったというのが正直なところ。これが筆者の望みだったのか編集者の要望だったのかはわかりませんが、見事に狙いを外してしまっている。<br /><br />　それと、ちゃんとご自分の足で調べたのか疑わしい箇所も見受けられます。その典型が「台東区」の「秋葉原」。<br /><br />　あれ？と思った方もおられるかも知れません。秋葉原って千代田区じゃ？と。そう、電気街としての秋葉原は確かに千代田区。ただし電気街一帯の地名は「外神田」です。じゃあ台東区の秋葉原ってどこ？<br /><br />　実は電気街と東北線（山手・京浜東北・新幹線）の線路を挟んで、ヨドバシカメラ・アキバの少し北の当たり。<br /><iframe width="425" height="350" frameborder="0" scrolling="no" marginheight="0" marginwidth="0" src="http://maps.google.co.jp/maps?f=q&amp;source=s_q&amp;hl=ja&amp;geocode=&amp;q=%E5%8F%B0%E6%9D%B1%E5%8C%BA%E7%A7%8B%E8%91%89%E5%8E%9F&amp;sll=35.70218,139.775421&amp;sspn=0.006796,0.009538&amp;brcurrent=3,0x60188e9636a82eff:0x15470eba712647c0,0&amp;ie=UTF8&amp;hq=&amp;hnear=%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%8F%B0%E6%9D%B1%E5%8C%BA%E7%A7%8B%E8%91%89%E5%8E%9F&amp;ll=35.70218,139.775421&amp;spn=0.006796,0.009538&amp;z=17&amp;output=embed"></iframe><br /><small><a href="http://maps.google.co.jp/maps?f=q&amp;source=embed&amp;hl=ja&amp;geocode=&amp;q=%E5%8F%B0%E6%9D%B1%E5%8C%BA%E7%A7%8B%E8%91%89%E5%8E%9F&amp;sll=35.70218,139.775421&amp;sspn=0.006796,0.009538&amp;brcurrent=3,0x60188e9636a82eff:0x15470eba712647c0,0&amp;ie=UTF8&amp;hq=&amp;hnear=%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%8F%B0%E6%9D%B1%E5%8C%BA%E7%A7%8B%E8%91%89%E5%8E%9F&amp;ll=35.70218,139.775421&amp;spn=0.006796,0.009538&amp;z=17" style="color:#0000FF;text-align:left">大きな地図で見る</a></small><br /><br />この当たりは電気屋さんは一軒もなく、一昔前までの物流拠点としての役目を成していたこの界隈の名残を残す段ボール集積所みたなものがひっそりとある程度なんですね。<br /><br />　ところがこの本では「電化製品の町として知られる」とやってしまっているんですねえ。<br /><br />　淡々と書き記すなら、事実を正確に押さえておかないと、辞書の役にも立ちません。それどころかほかの箇所にも「ちゃんと事実が書かれているのか」、要らぬ疑いさえ抱いてしまう。<br /><br />　やっぱりこうやって書いてみると、「楽しくなくて、ためにもならない本」とした方が出版社にとってもいいのかも。どこだこれ？幻冬舎？ちょっと、しっかりしてよね。<br />　</font>
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      <link>http://ameblo.jp/adaken66/entry-10470444515.html</link>  
      <pubDate>Sun, 28 Feb 2010 22:20:26 +0900</pubDate> 
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    <item> 
      <title>徳川家が見た幕末維新</title>  
      <description> <![CDATA[ <div class="booklog_html"><div class="booklog_html_image" style="float:left;"><a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4166607413?tag=kimagure0f-22&linkCode=as1" target="_blank"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/41WpblIIy7L._SL160_.jpg" style="border:0;" /></a></div><div class="booklog_html_info" style="float:left;margin-left:10px;"><div class="booklog_html_title" style="margin-bottom:5px;font-size:12px;"><a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4166607413?tag=kimagure0f-22&linkCode=as1" target="_blank">徳川家が見た幕末維新 (文春新書)</a></div><div style="margin-bottom:10px;"><div class="booklog_html_author" style="font-size:10px;">徳川 宗英</div><div class="booklog_html_manufacturer" style="font-size:10px;">文藝春秋</div><div class="booklog_html_release" style="font-size:10px;">発売日：2010-02-20</div></div><div class="booklog_html_link_amazon" style="margin-bottom:10px;font-size:10px;"><a href="http://booklog.jp/asin/4166607413" target="_blank">ブクログでレビューを見る»</a></div></div><div class="booklog_html_fotter" style="clear:left;"></div><br /></div><br /><font size="5">世襲の最たるものの素顔とは</font><br /><br /><font size="3">　きのうのブログでは、有名人を親に持って生まれてきた子供は大変だなあ、という話を書きましたが、漫画家くらいで驚いちゃいけませんね。<br /><br />　鳩山首相もまあ、大変な立場だとは思いますが、よくよく考えてみれば、政治家なんて周りを見渡せば偉大な親をもった人ばかり。何せこの国の総理は現職に至るまで4代続けて元首相の子か孫。その前の人もダン代続いての政治家一家ですからね。なんだかんだでそういう立場の人じゃないと、一番エライ人にはなれないわけですよ、この国は。あの北朝鮮でさえ2代だけですからね、そういうのは。逆に、そうでない人を探すのが大変。故に、やっぱり非世襲の政治家というのは異端なのでしょう。<br /><br />　それがいいとか悪いとかなんて、私には興味ありません。所詮国民にとって政治家は道具ですから、使えるモノならどこで作られたモノかなどどうでもいいし、気に入らなければ取り替えるか無かったものと無視すればいいだけのこと。今のこの国はそれを許してくれる状態なんですから、ありがたいことではないですか。<br /><br /><br />　さて、偉大な父や先祖をもった人というと、この国にはもっとすごい方々がいらっしゃることをわれわれは忘れがちです。知ってますか？この国にもその昔、「貴族」がいたことを。平安時代の話じゃないですよ。今から70年くらい前までの話です。いわゆる「公候白子男」という爵位が明治初期から終戦までこの国には存在していまして、だいたい、皇族から民間降下した家や元の摂関家、大名家が様々な功績に応じてこの爵位を分け合っていたのですね。ほかにもいろいろな条件で“にわか華族”になった人もいたようですが。<br /><br />　その爵位の最高位が公爵。これを名乗れる家は、まず民間降下の皇族、ただしこれは実例がなかったそうです。次いで摂関家。いわゆる五摂家ですね。一番知られているのは、戦前首相にもなった近衛文麿などがそうですね。あと、明治維新の功労者っていうことで三条家や岩倉家といった公家にも与えられています。<br /><br />　そしてこれ以外で唯一、明治17年に出された華族令で示された「叙爵内規」に定められているのが、徳川将軍家です。<br /><br />　え？明治維新で徳川家って滅んじゃったんじゃないのって？あなた、ちゃんと「篤姫」を最終回まで見なかったでしょ。15代将軍徳川慶喜が大政奉還を行って静岡で隠遁生活に入ったあとも、徳川家そのものはまさに篤姫（天璋院）の尽力により存続が許されて、現在でも脈々と続いているのですよ。<br /><br />　ちなみに現在の徳川家当主は徳川恒孝さんという方で、日本郵船の副社長まで務めたという経歴の持ち主。まあなんというか、土佐の地下浪人が作った会社で仕えていたわけですな。なんという革命的巡り合わせというか。さらに恒孝氏のご長男で19代当主となりそうな家広さんという方は現在45歳。4年ほど前にベトナム人の女性を娶っており、いよいよ徳川家も国際化の時代へと突き進んでいくのでしょうか。<br /><br />　おっと、話が脱線しましたが、今回はこの徳川家に一員として過ごしてきた人間の目から、お家の一大事となった幕末のいきさつを見ていくという一冊「徳川家が見た幕末維新」を取り上げておきたいと思います。<br /><br />　この本を書かれた徳川宗英氏は、田安徳川家11代目当主。田安徳川家とは、8代将軍吉宗が、当時弱体化していた徳川御三家に代わるお家として仕立てたいわゆる「御三卿」の一角で、宗英氏は石川島播磨重工の役員などを経て、本書のような徳川家の裏話を書籍などにして伝えている貴重な人物なのですね。<br /><br />　取り上げているのは、最後の将軍・徳川慶喜の知られざる素顔や徳川サイドだからこそ語れる細かい心理描写、そして慶喜に大政奉還を決断させるのに影響をもたらしたかも知れない坂本龍馬に対する見方（これは今のご時世、入れる買い入れないかで本の売り上げが全然違いますからね）、実は世間で言われるほど犬猿の仲というほどではないという薩長との関係、さらに旧幕臣や朝廷との関係など、終始徳川の視点で斬新な歴史観が語られております。<br /><br />それにしても、33歳で維新を見ることなく暗殺された龍馬と、徳川将軍歴代最短の4カ月の在任期間ながら最長寿の77歳まで生きた徳川慶喜。人間の「生」とはなんなのかと、改めて考えさせられる話です。<br /><br />　歴史の経緯そのものは、誰もが知る、さほど新鮮みのあるわけではないものですが、ともすると勧善懲悪的にとらえてしまいがちの感覚をぬぐい去るにはちょうどよい内容といえるでしょう。<br /><br />　ちなみに、この本の中でちょっと面白かったのは筆者本人の学生時代の日本史の授業の話。身分が身分ですから、学習院で学んでおられた筆者なのですが、周りを見渡せば当然、元大名家のご子息ばかりなわけで、特に幕末の当たりにさしかかると、露骨に敵味方に分かれてしまうわけですね。しかもみんなのひいおじいさん同士のいざこざ、というすごい身近な話だったりするわけで、実際のところ、授業では深く突っ込まれなかったのだとか。まあ、よそからやってきた歴史教師の話などより、親から聞いた話の方がよほど正確なはずですからね（かなり偏ってるんでしょうが）。いや、なりたくないものです、学習院の社会科教師なんて（読んでいる関係者の方、ごめんなさい）。<br />　</font>
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      <link>http://ameblo.jp/adaken66/entry-10468030047.html</link>  
      <pubDate>Thu, 25 Feb 2010 23:11:06 +0900</pubDate> 
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      <title>ゲゲゲの娘、レレレの娘、らららの娘</title>  
      <description> <![CDATA[ <div class="booklog_html"><div class="booklog_html_image" style="float:left;"><a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4163720502?tag=kimagure0f-22&linkCode=as1" target="_blank"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/414sLcovfYL._SL160_.jpg" style="border:0;" /></a></div><div class="booklog_html_info" style="float:left;margin-left:10px;"><div class="booklog_html_title" style="margin-bottom:5px;font-size:12px;"><a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4163720502?tag=kimagure0f-22&linkCode=as1" target="_blank">ゲゲゲの娘、レレレの娘、らららの娘</a></div><div style="margin-bottom:10px;"><div class="booklog_html_author" style="font-size:10px;">水木 悦子,手塚 るみ子,赤塚 りえ子</div><div class="booklog_html_manufacturer" style="font-size:10px;">文藝春秋</div><div class="booklog_html_release" style="font-size:10px;">発売日：2010-02-10</div></div><div class="booklog_html_link_amazon" style="margin-bottom:10px;font-size:10px;"><a href="http://booklog.jp/asin/4163720502" target="_blank">ブクログでレビューを見る»</a></div></div><div class="booklog_html_fotter" style="clear:left;"></div><br /></div><br /><font size="5">娘の苦労、親知らず</font><br /><br /><font size="3">　大人物や有名人を親に持つと、われわれ庶民じゃ考えられないような苦労があるんだろうなと、最近特に思うわけです。その最たるものが、時の総理大臣・鳩山由紀夫その人ですね。何せ、父親どころか自民党初代総裁・鳩山一郎を含め3代続いた政治家一家の継承者であり、山の手の一等地に「鳩山御殿」を構える日本有数の名家の主なわけですからね。<br /><br />　その運命が災いしてか、親からもらった金が国家の一大事につながってしまうんですから、そりゃご苦労も庶民の知る領域をはるかに超えていることでしょう。かといって同情する気にはなれないんですがね、残念ながら。<br /><br />　まあ、そこまで規模が大きくないまでも、そういう立場の人の体験は、そうでないわれわれにとってはすごく新鮮だし、われわれの知り得ない有名人の秘密も覗けるのではないか、などと好奇心が沸き立つもの。<br /><br />　というわけで本日紹介する一冊は「ゲゲゲの娘、レレレの娘、らららの娘」。奇妙なタイトルの本ではありますが、見たとたんにピンときたことでしょう。<br /><br />　そう、昭和の日本を代表する偉大な漫画家3人の元に生まれた娘たちの、父が他界した今だからこそ言える秘話などを座談会形式でまとめた一冊です。え？ひとりはまだ生きてるだろうって？バカ言っちゃいけません、水木先生は最初からあの世にいるじゃないですか（これ、ほめ言葉のつもりですので）。え？「ゲゲゲ」と「レレレ」はすぐわかったけど「ららら」って？ほら、あれですよ伯父さま、「ららら科学～の子♪」。<br /><br />　というわけで、語らえるのは偉大な漫画家たちの意外な素顔。であることは確かですが実際のところそう際だった話があるわけでもありません。そもそも娘が物心ついたころにはお三方とも超売れっ子状態で、まともに遊んでもらった記憶が少ないというのが共通した思い出。しかも赤塚先生に至っては早々に別れて暮らしていたんで、そもそも接点が薄かったと。<br /><br />　それでも、友達づきあいなどではデリケートな問題が少なからずあったようで、水木先生の娘・悦子さんに至っては、「うそつきの娘」呼ばわりされたのだとか。オバケはいないっていうのを露骨に非難されたんでしょうね。夢を描いてなんぼの漫画家なのに、子供はホント、残酷です。<br /><br />　そんな苦労があるとは言え、やはり父は父。それぞれの思いの入れ方は、各漫画家の個性と入り交じって実に興味深い。かつてこの偉大な巨匠たちに心を揺さぶれた経験がある読者なら、是非読んでおいて欲しい一冊です。<br /><br />それと、今度始まるNHKの朝ドラ「ゲゲゲの女房」を見る前に読んでおくと、話はいっそう面白く見られるかも知れません。<br /></font>
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      <link>http://ameblo.jp/adaken66/entry-10467260654.html</link>  
      <pubDate>Wed, 24 Feb 2010 23:50:24 +0900</pubDate> 
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